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専門分野を扱った漫画の作者が、原作者と作画担当に分かれていなくて驚く事がある。驚くのは、扱っている分野の詳細さと作画レベルの高さを共に備えているからで、だから青木幸子『ズゥキーパー』第2巻で、作者に下手だの地味だのという批判がある事が語られていたのにも驚いた。主人公はおとなしめなルックスとはいえ美人だし、彼女をはじめ人物は皆個性的だし、各動物達の再現度も十二分だと思うのだが、どうか。
絵柄や画力のハナシなんてイイんだよ。 人の好い新米女性飼育員が主人公で、人情話に陥らない所がもう稀有だが、シビアだが好奇心(そもそもシビアさと矛盾しない)旺盛な園長や、園長とも主人公とも異なる信念(と個性)を持った各先輩飼育員達の存在が、この作品の冷静なバランス感覚を生み出している。 即ち、現実のシビアさ/リアリティーとドラマの醍醐味/エンターテインメント性が矛盾していない。 更に。リアルな世界観と裏腹に、主人公には温度が視認出来るという特殊能力が与えられている。 リアルな作品に、そんな超能力を持ち込む事を嫌悪する向きもあるだろうが、待ってくれ、サーモグラファーの目なんて、こういう専門科学ものじゃなかったら、使い勝手の分からない、意味を成さない能力だ。 非現実的な要素をリアリティーを増す為のギミックとする作家は間違い無く達人だ。 「「物をつくる(物をとる)」=「売る」=「買う」 これは流通の基本です。3つは相互関係です。とってくる者がエライだなんてとんだおごりです。あえて誰かがエライと言うならばそれは買ってくださるお客様に他ならない」
高倉あつこ「山おんな壁おんな」は、タイトル通り、胸が大きいだの小さいだのという話題が恒常的になされるコメディである。 が。 冒頭に掲げた台詞は、百貨店店員である主人公の片方が、故郷の漁師達(含母親)の「売ってる奴より獲ってくる者がエライんだ」という物言いに対してした反論で、これこそがそのまま本作のテーマだ。 骨太なテーマをコメディに落とし込めるとは、即ち、タフな作品だって事だ。 所で、本作は“ツートップ主人公を謳いながら事実上片方は準主役”タイプの作品には当たらない。周りの人間(含読者)から見て素性も思考も謎の主人公像というのがあるが、そのタイプの主人公を、物語をその視点で進める一人称タイプの主人公と並立させるというスタイルを実現しているのだ。 「町は一回しゃがむと全く違った景色並ぶの 末端担った時のアナウンサー ほのぼの顔で楽しそう」
僕も地面に座り込んでいる若者など見ると眉をひそめるクチだが、そんな若者からのアンサー・ソングというのも存在する。 「町は一回しゃがむと全く違った景色並ぶの 発達しちゃったアジア ならず者のボロボロ長ズボンの裾 恥じらいも無く学ぶと やっぱ筋が合った友と鼻歌 末端担った時のアナウンサー ほのぼの顔で楽しそう」 (降神「ジベタリアン」) 僕も昨今の若者のある種の行為とか流行りとかを訝るクチだが、しかし、上掲の最後のラインなどにはニヤリとさせられる。大変小気味好い。 降神の志人をフィーチャーしたスイカによる別バージョンも聴いてみて欲しい(「コインサイド」収録)。このどこか物悲しい辻語りが都市の地べたの真実なら、ニュース番組のレポーターは何も伝えてはいない。 メイン・キャラ2人を“この2人ともが主人公”という体裁でやってる作品の多くで、結局片方は事実上準主役になってたりするが、道明「せごどん」は、丁度反対にタイトルは西郷どんで内容も勿論西郷隆盛の英雄譚である!と謡いながら、その実西郷と大久保の話となっているのが面白い。
幕末の偉人伝に於いて、「西郷隆盛」といえば西郷と大久保の物語である、といった風だ。掲載誌『イブニング』の'06.No.24の扉では「薩摩史上 日本史上 世界史上 最高のツートップ!!」なんてアオリを打たれていた。 その上で、少年期の大久保…大久保正助どんは計算高く小賢しい面が強調されて描かれるが、西郷と双璧を成すもう一人の主人公としたからこそのその描写だ。 器量の狭い面を強調したからといって彼を小人と解釈する気は毛頭無いし、また太っとか、男らしか(笑)気性の西郷どんをただ讃えようという訳でもないという作者の意図も見て取れる。 好対照の2人がコンビで、歴史上等しく偉人で…という稀有な事例が、手放しである一人を賞賛する他の偉人伝と違った客観を可能にしている。 勿論作者がそれに気付いたからこそ。 歴史上の英雄が大好きな作家先生は多いが、道明氏は信用出来そうだ。 『ドルフィン』(司書房)が、先月号を以って告知もなく突如休刊するという噂は本当だった様だ。
『ペンギンクラブ』が美少女誌に於ける少年ジャンプなら、チャンピオンといった風情の老舗雑誌だったが、脱落か。 美少女エロ漫画誌には幾つかの要素があるが、美少女漫画誌としてもエロ本としても、オタク系マイナー・サブカルチャー誌としても、他誌と比べ振るわなかった、のかどうかは分からない。社内でその売り上げを重要と見るかどうかってのもキーらしいし。 ともかく。 僕等みたいな連中には、これで20世紀の残滓がまた一つ消えたなどとも思えるが、このテのハナシは多すぎて、今更何の感慨も無い。 こやま基夫氏の新作「なおざりダンジョン」は、「おざなりダンジョン」の第1話よりも前、主役のあの3人組 が初めて会った頃の物語だ。
彼等の魅力は何といっても風来坊気質な所だ。それぞれ戦士/盗賊/魔法使いとして達人級の実力を持ちながら、その事実はあくまでも知る人ぞ知る、見るべき者が見れば解るといったものであり、誰に認められようと、何を成し遂げようと、彼等は一介の最下層の冒険者のままだ。 「おざなり~」に於いても、続編「なりゆき~」に於いてもそうだったのだから、それ以前の本っ当ぉに名も無き頃のエピソードならその傾向はより顕著だ。世知辛く過酷な冒険をゆく者が故の、ドライさと情熱の見え隠れっぷりもまた然り。 このシリーズでも、いずれ彼等は英雄視されて然るべき活躍をするのだろう。でも(「おざなり~」の冒頭でただの名も無きゴロツキだったのだから)確実に、そんなくだらないものにはならない。 反権威主義の為の反権威主義など意味は無い。本物は初めからそんなものにはかかずらわない。 |
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