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それは確かいつかの三軒茶屋ヘブンズドアで、シュガーフィールズの演奏時間が押してしまっていたか、原朋信氏は、後に控えているヌードルスのお姉さん方に迷惑が掛かってしまうとばかりに、「あ、あと1曲!」と上ずった声で言ったのだった。
シュガーフィールズの話をしようってんじゃなくて、先日のコミティア(コミティア82)の話を。 シカクイハコ(http://www5f.biglobe.ne.jp/~anyu/)から買ったアニュウリズム氏の「一人と一人の声」というC.D.の中ジャケに、「masterd by Tomonobu Hara」と記されていた。 成程、言われてみれば、例えば収録曲の1つ目「飛ぶ鳥」のイントロなどは、シュガーフィールズを彷彿とさせる様な気もするが、作品全体の持つ儚さは、シュガーフィールズのそれとはまた違った独自のものだ。ポップスへの洗練/昇華がなされていないと言えばそうで、故により正直な創作に聴こえる。 メジャーな商品に於ける創作は確実に“演出”されていると断じて構わないだろう。それ等に感動する事はマーケティングに僕等の感情がコントロールされるって事で、だから、僕等がインディー/同人を志向するのは至極真っ当な選択だ。 上掲の氏のサイトで、このアルバム中の2曲程を聴く事が出来る。これは、僕等を搾取しようという商人の意図が介入していないという意味で、つまり本当の意味で、僕等が安心して鑑賞出来る表現だ。 いつかのコミティアで買ったアニュウリズム氏の「記憶にある丘」というC.D.を聴く。暗いメロディーとか細いボーカルでか弱い生命力を鳴らす音楽はインディーズに於いて珍しくはない。ただ余り商品として市場に出回る事が無い。
残念な事にこのC.D.は廃盤だとの事だが、来る11/18(日)のコミティアで氏のサークル「シカクイハコ(http://www5f.biglobe.ne.jp/~anyu/)」は出るから、氏の漫画を読む事は出来る(因みに、僕のサークル「時計屋」も出るけどそれはどうでもいい)。 バージョン違いや特典付きで続々と発売されるアニメ作品のD.V.D.や、登場キャラクター個別の声優ソングのC.D.だのとは無縁のオタクの世界がそこにある。 フィッシュマンズを説明する時、レゲエと言うと誤解されそうで困るという話を後輩にしたら、同感だと言った。「世間で思ってるレゲエってダンスホール・レゲエなんですよ」。
ダブとはダビング・ミックスという事でしかないが、事実上あるスタイルのレゲエを指す言葉だと言って間違いじゃない。 暗く静かなベースラインによって成る音楽。例えば、それにレクイエムの名を冠するならとても似合う。果ての住人が鳴らす音楽と称されたこだま和文氏のアルバムは「Requiem DUB」といった。 「レコード万歳」または「Dishonour」氏の曲を「audioleaf インディーズバンド試聴サイト」で聴く(http://www.myspace.com/dishonourjp(氏のサイト「レコード万歳」(http://blog.livedoor.jp/dishonour/)よりリンクしてる))。 「Behind the Darkness...」「Pessimism」「good-bye」「Karma」・・・どれもいい。この内特に僕が推すのは「good-bye」だが、理由はタイトルを気に入ったからだ。「good-bye」というタイトルの曲がこういう曲調である事が嬉しい。こういう音楽に「good-bye」とは「Requiem」と同様に似つかわしい。 氏のこの4曲がダブなのかトリップ・ホップなのかはたまたインストゥルメンタル・ヒップホップなのか、は知らない。だが僕は素晴らしいダブとして聴いた。 レゲエ、イコール、レゲトンだと思っている輩も居そうな昨今、ジャマイカにはオーガスタス・パブロも居た事を全ての人に知って欲しい。 そして、日本のインディーDishonour氏のこの4曲を聴いて欲しい。 「ウルトラセブンX」は、ウルトラセブンもしくはウルトラマン・シリーズに於ける実相寺昭雄氏風の部分に特化した作品だと言えるだろうか。
ウルトラセブンもしくはウルトラマン・シリーズに於けるシュールな内容の作品を、実相寺監督風と称して構わないだろうか。 ウルトラセブンもしくはウルトラマン・シリーズを子供番組として楽しんでいる子供達には実相寺氏作のアーティスティックな話など有難くなかったという意見があるが、僕はそうは思わない。あくまで怪獣が暴れてそれをウルトラマンが倒すというのが基本パターンである上でなら、時折そんなシュールな回があっても、幼児の僕も全然O.K.だった。面白かった。 何故リメイクされるのはウルトラセブンなのだろう? ウルトラセブンはそもそもが宇宙人ものであり、殺陣のシーンこそ巨大怪物対巨人ヒーローだが、ストーリー全体は異性人が地球侵略を企む短編S.F.だ。そもそもオリジナルのウルトラセブンがそうなのだ。故に、かつての子供番組のヒーローものを現代の一般向けS.F.として再解釈するという事が他のウルトラマン、いや、他の特撮ヒーローものに比べて極めて無理無く出来てしまうって訳だ。 子供向けヒーローものを一般向けS.F.にリメイクして、オリジナルとさして変わらないとい稀有な例…と言うと多分に語弊があるかも知れない。 先月末に放映終了したT.V.アニメ「DARKER THAN BLACK」は、アニメ放映本数の尋常でない現在、確実に、すぐに忘れ去られる作品の一つだ。
いや寧ろ、酷評とかされて印象付くかも知れない。そんなもの(酷評)があるのかは知らないが、設定を皆台詞で言っちゃうのは良くないという感想を聞いた事があって、それはその通りだと思った。 如何にもな設定に如何にもなキャラクターを配し、それなりのエピソードをこなした、という評があるとすれば、それはその通りだろうと思う。 でも、他作品にあるお約束を実は守っていないという、地味な特徴(特長?)があった。 能力の高い特殊工作員が主人公の場合、その人物は余りうろたえたりポカをやったりはしないが、本作の主人公は割と読み違えをする。優秀である筈の彼等のチームだが、結構不手際が多いのだ。 そして、彼等はワルイ組織に抵抗しているのでも、そこから逃亡しているのでもなく、クライマックスのエピソード迄の間、ただ、組織の命令通り活動しているだけだった。つまり、彼等は本当に正義の味方などでは全くない、非合法組織の末端の工作員でしかなかった。ヒロイズムのカケラも無い。 美形キャラの配置にも意味が無い。美女・美少女が幾人も登場してはいるが、いわゆる“萌え”なんて無い。言うなれば、アキバ系作品からアキバ系的要素を抜いた様な…ってそれじゃ何も残らないじゃないか(笑)。 エンターテインメント性の無い地味な現実にS.F.アニメの外面を与えたものと言えるかも知れないし、逆にビジュアル系的スタイルのものを泥臭く表現する試みだったのかも、とも思える。 一言で言えばパッとしない。そして僕はこういうパッとしない作品が好きだ。 ヒーロー/ヒロインを讃え上げる様な物語はもうウンザリなんだよ。かと言ってダメ人間をショウ・アップするのも本当はもっての外なのだ。 その意味で、この作品は誠実だったと思う。 この漫画はきっと、アフリカのあの国をモデルに描かれたに違いない。おっと、「この物語はフィクションであり実在の人物・団体とは一切関係なく、また、現実の国家情勢を反映している訳でもありません」と表4にあるんだった。
先のコミティア(コミティア81)でサークルNight-Marchenより購入した村山慶『アルンダ国の物語』は、幼少期に部族間の虐殺事件を体験した男の物語だ。 この国ではかつて、シス族とスヌ族との間で紛争が起こり、スヌ族によってシス族が大量虐殺された。戦後、「部族」は廃止され、身分証明書にも載らない。虐殺の過去と部族はタブーとなり、誰が何族なのかももう分からない…。 …のだが、主人公は隣人がかつて自分の部族シス族を虐殺したスヌ族であると偶然知ってしまう。しかし、自分の娘と隣人の娘はそんな事の関係無い「戦後世代」で仲良しだ。 主人公も「憎しみの連鎖」を止める事が正しいと知っている。しかし虐殺の記憶はトラウマであり、それは殺らなければ殺られるという強迫観念へと容易く変化し増幅する。 だがこのサスペンスはそれ程に常軌を逸しない。戦後日本の日常物語に戦時中の体験をトラウマとする者が登場する様なものか。 結局、何の変哲も無い物語なのかも知れないのだが、平和な現在のちょっと以前にそんな過激な事態が現実であったという事実が、重く胸に残る。 それと、もう一つ、僕にだけかも知れないが、新鮮な要素があった。アフリカ(と思われる地)で、黒人の父娘がリビングで団欒する図が新鮮だなんて。かつてアフリカ出身の人物が、黒人というとアメリカ人だと思われるのが解せないとテレビか何かで語ってたのを思い出す。明治以降の欧化政策の効果はなかなかにしぶとい様だ。ベルナール・アッカ氏もデイビット矢野氏(インテルのC.M.でバレリーナのマリエさんを演じた男性)もアフリカから来たのだというのに。 |
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