炭色地帯2007年04月の日記。
Ver.11は殆ど完成。残すところ数ページになっている。しかし、これで移転できるわけではなく、古い方にある総数960ページの膨大なHTMLを全て移転先のページへのリンクに書き換える必要ある。プログラムで一気にやりたいところだが、ディレクトリが大幅に変更されているため大半は手作業で変更するしかない。まさしく悪夢だ。
しかし、自サイト内で一切のリンクエラーを生じさせることなく引っ越すのはとんでもないな。次にやる時はファイル操作可能なプログラムを扱えるようにして、人力並に柔軟な動作をするプログラムでも走らせないと、色んな意味で日が暮れる。
ちなみにファイル数1000というのは、1分間に1ファイルを編集したとして16時間かかる量。
オンラインからマニュアル落とせても膨大なリファレンスに一々検索かけるのは骨が折れる。基本的なプロパティ/メソッドを記憶していないうちは本の1冊でも買ったほうが効率的かもしれない。基本的に私のスタンダードな教材はリファレンス+サンプル集に限る。
実用的な処理はインターフェイスが整備されたWeb言語で十分だから、C言語等の出番は演算速度が要求されるような特異な処理に限られる現実。
最近見た新書に、従来の"知識人"を是とする考え方とは真っ向から対立する、"大衆的な大衆"を是とする考え方に関する本があった。タイトルまでは覚えていないが、ある種あるべき消費者像の極論と言えそうだ。説明すれば、世界に常に懐疑的に接し最終的な意思決定は全て自分の知恵と知識で解決するのが、知識人であってSpecialist。対し、メディアを信仰し,流行に乗り,全ての意思決定を一般大衆の総意に任せるというのが、凡人であってGeneralistということになる。まぁ、当然ながら前者を目指すのが人類として正しいのだろうが、後者を選択して一生大衆の中で生きるという選択も、極論ではありうる。いやむしろ、"楽"を追求すれば、誰も信用できない闇の世界を歩き、常に日ごろから勉強し知識を増やし脳を回転させ続ける前者よりも、勉強せずにメディアが映し出す快楽溢れる表世界に棲む方が、楽といえば楽だろう。言わば無知は幸せなりと。
ここまで言っておいて後者断固拒否だが。
そいや、あるある問題で政府が番組捏造に対処にするとか言ってるが、正しくはTVなんて最初から捏造されたものだと見るべきなんだよね。もう何でもいいから報道してしてていいよ、アレに引っかかる程度の教養じゃ捏造があってもなくても同じだろうから。それに政府も結構捏造しているようだし、人のことは言えないだろう。
教科書なんて見たことないからどうなっているのか知らないが、少なくとも私の高校で微分方程式を習った覚えはないし、明らかに発展事項として紙面を大幅に削減されているだろう。最近面白がって高校数学の技術のみで電磁気学の大学レベルの公式を導出してみたが、数IIIクラスのdyとdxの操作技術、もっと言えば置換積分をある程度自由に操作できれば、導出に必要な微分方程式それ自体を知らなくとも導くことは可能だということが分かった。個人的にはただ数式を弄繰り回す数学よりも、自然現象の特性理解から関数そのものを未知数として解く微分方程式のほうが、実用利用については遥かに有用な技術だと思うんだが…なんで省いたんだろうね。
まぁ、新聞とかでインドの数学が取り上げられていると、必ずと言っていいほど掛け算の九々の暗記に話が流れる。しかし、そんなものは数学技術でもなんでもなくただの算数であって、インド数学の本質はそんな暗記にはないなんて直ぐに分かるはずなんだが、この世界(国)の数学認識はお粗末限りない。この調子で反ゆとりが進んで、掛け算の九々を19×19にするとか言い出したら大爆笑してやりたい。
現在350曲を超える量がドライブ上に…もうオワッテル最近。最近激増中のアリプロはPeercastで聴いた少女殉血が爆心地だったか。
どうでもいいが、こうなっても穴の底に墜落しない4つの理由。
さて、いつ崩壊するかな。ちなみに√ネコミミとかいつでも聴ける状況にあるので、これを聴いて素晴らしいと感じ始めたらレベルアップ確定。どうでもいいが、√ネコミミは無限大を結果とする数式としては不適当だ。
まぁ、今のところ勉学と運動と"そっち系"の全立などとほざいているので、ある程度のストッパーは望める。しかしアリプロはいいよね。
iPod買う金はあるけど未だ買う気になれない。
タイトルがハヤテのごとくだからKOTOKOでも許す。時間帯は取り合えず"時代は変わったんだ"と無理やり納得できる(できない)。
どうでもいいが、現在聴いている楽曲における"そっち系"アーティストの占有率は100%である。
ありゃもうドメイン数を数えるの面倒だから、もう一般的なアクセス解析の挿入パターンを検出して弾くタイプのフィルターを作り出したこの頃。などと、Lucent氏の戯言とか見て言ってみる。
今更ながら、脳科学的にはパズルゲームの処理にかかわる脳神経ネットワークをより効率的にするだけであって、脳全体の機能向上につながる直接的理由はない。尤も高等生物特有の処理能力であるパズルゲーム処理能力を測る一般的IQテストを知能の高低だと勘違いして、それでもパズルゲームの能力を追求し続けるのは一向に構わない。
身体制御系としての脳をトレーニングしたいなら、体を動かせばいい。五感の解像度を上げたいなら、体を動かせばいい。海馬からのバッファ処理能力を向上させたいなら、体を動かせばいい。知的になりたいのなら、本を読めばいい。この場合ニンテンドーDSが最も効力を発揮すると思われるものは、ボケ防止の一点に尽きる。ポケモンが与えてくれたものは、若干の視力低下と豊富な話題の提供であった。
ラノベは粗方漁り尽くし、なんとなく戦争系に走る。そういえば過去の友人に2名ほどこの手の戦争モノを持ってるのがいたっけ。確か片方は将来の夢は海上自衛隊とかいう奴だ。否定はしない。
一番賢い処理方法は、こういう今の知識で確実に正しいという結果が得られない歴史的事実については、半永久的に判断を保留することだ。
マジでやってるのかわざとやっているか気になってはいたが、少なくとも教育再生にすらならないという予測は大方当たっているようだ。ちなみに精神論の素晴らしさを持ち出して総合だの道徳だのを履修科目に加えようとしている政治家の子供は、そういった類の"お馬鹿"な授業を放棄した、いわゆる履修問題騒ぎを起こしている進学校に在籍しているということを忘れてはならない。重要なのは"巷"の学校がどれだけ腐敗しようが、勉学というものをきっちり理解した"エリート"学校には全く関係がないということだ。
文字と絵における決定的な差異は、読解に要する思考能力であり、漫画で数学を解決したところで、数学という科目の"真髄"である論理思考の課程を数式化している事実を変更することは出来ない。何れにせよ、相応の文章解析力がなくては数学を理解することはできない。面白いのは、国語が出来るセンスというものがそのまま数学の能力に直結している点だ。理系離れと言われているが、数学問題の根底には国語がある。文系には本来文系の者と"数学が出来ずに"理系落ちした者の2種類が存在する。前者は生粋の国語マスターであり、後者は国語がために数学が出来ない者たちだ。センター試験の国語の点数は理系のほうが高いということに注目すべきだ。
表面では感傷的な口調で南京大虐殺などの歴史問題戦争を日本に吹っかけているが、所詮は超合理的,理性的,無宗教の中国共産党の政治戦略でしかないということが、この宗教概念を踏み躙った"ネット墓参"から見て取れる。
10日ほど作業に追われいた。現在サイト移転を準備中。そろそろ本腰入れてサーバーサイドの攻略にかかろうかと。
無秩序と化した愚作の箱の長期間耐えうる構造体とすべく、サイト移転作業中。そのうち移転するが、検索エンジンとか外部リンクの数が普通じゃないので、1ヶ月ほど期間を空けて双方を誘導する手筈。