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司6 (1)

◆aPPPu8oul.氏

ふわぁぁ、と色気のないあくびをしている司が、ソファにうつぶせに転がっている。
手にしているのは三国志…の漫画だ。一人暮らしの隆也の部屋を圧迫している漫画のひとつである。
両親が家にいない日中(行き先を聞かれるから)。友人からも誘われなかった日。加えて、司にその気がある。
この条件が揃うと、司は勝手に、何の連絡もなしにやってくる。
携帯の番号もメアドも交換したが、ほとんど連絡してこないし、こちらからもしない。
この年頃の女の子なら、それこそ絵文字顔文字満載のメールを頻繁に送ってきそうなものだが、
やはりそのあたりの感覚が違うのだろう。
とはいえ。
「……司。胸見えてるぞ」
暑いから、といって早々にサラシを解いてシャツを脱いで、タンクトップ一枚で転がっていると、
日に焼けていない白い胸元がだいぶ見えてしまう。いまさらだが、目のやりどころに困る。
「え……まぁ、いいじゃん。先生しかいないんだし」
悪びれもせずに言う司には、羞恥心がないのか、油断しているのか。
ため息をついて、不本意ながら教師らしい説教を始めなければならない。
「あのな、普段男のかっこしててもお前は女なんだから、もうすこし恥じらいを持てって。無防備すぎるぞ。
 その、な…俺も心配なんだよ。お前が女だってバレたらと思うと…な」
最初はむくれていた司も、最後の方を聞くと困ったような顔をする。
「俺だって、いっつもこんなんじゃないよ?確かに、学校にいるときは自分が女だって忘れてることもあるけど…」
忘れてるのか。いやたしかに、忘れていなければ男子生徒と下ネタで馬鹿笑いなんてできないだろうが。
「バレないようには、頑張ってるし…実際俺が女だって知ってるのは、先生と三崎さんと、あいつだけだし」
あいつというのは司の親友で、最初の相手である男子生徒のことだ。
「…でもあいつにはバレたんだろ?……結局、そのまま…」
抱かれたんだろう、と口にすると、隆也にはやはり、おもしろくない。
「あー、あれ、は…不慮の事故というか、あいつだからバレたというか…とにかく大丈夫、だと思う。多分」
体を起こしながら言った最後の方は、だいぶ自信がなさそうだ。
多分では困るのだ。司自身がどこまで自覚しているかわからないが、中性的な外見は男女どちらから見ても魅力的だ。
加えて男気にあふれていて、女の細やかな心配りもできるとなれば、それなりに人気も出る。
これで女だとわかったら、この年頃の男なら間違いなく意識してしまう。そのまま本気になられたら問題だ。


思わず口を開こうとした隆也より先に、司の口が動く。
「こう、恥ずかしくなったりとかっていうのは、自分が女だって自覚してるときだけで…
 だから、先生の前でだけだから…体触られても、普段はなんとも思わないし…」
「あ…そうか……そうなんだな……」
自分が触れたときの司の反応しか思い浮かばなかった隆也は、思わず頬をかく。
「いや、どうもここで一緒にいるときのイメージが強くなってて…あんな可愛い反応してたらばれるだろうって…」
司の頬が赤く染まる。
「だから、そんなんじゃとっくにバレてるって…俺は、先生の前でだけこうなの!」
上体を乗り出して、触れるというよりはぶつける、といった感じで唇を押し当てる。
その頭をなでてやって、にこりと笑う。
「…そっか。そうなんだな…ありがとう、っつーのも変か…はは」
正座のような姿勢だった司が膝を抱えて体育座りをする。
そのすぐ横に腰を落ち着けて頭を撫でてやっていると、何故か司は黙り込む。
「………」
何か機嫌を損ねるようなことを言っただろうか。
「…先生。相談があるんだけど」
「うん?なんだ?」
司は正面を向いたまま、何かいいにくそうにしている。
「…その、バレないように、ってことで」
「うん」
「……修学旅行の、話」
隆也が固まった。
そうだ。10月には修学旅行がある。修学旅行といえば観光と枕投げとちょっと浮かれてしまった思い出と…
「いや、待てよ。ちょっと待て?修学旅行…って、あれだよな、そうだよ、風呂とかどうするんだ?
 いや、風呂がどうとか言う前にそもそも男の中に一人で行動して、しかも同じ部屋で寝るなんて…」
慌てる隆也の様子に、司もため息をつく。
「そう、だから…まぁ、部屋とかはどうにでもなるとして、風呂だけなんとかなんないかなって…」
「どうにでも…ってわけにはいかないだろう。同じ部屋で寝るのも十分マズイぞ…うーん…」
本気で考え込む隆也が担任でよかったと、司はのんびり考える。
こういう関係になっていなかったら、それこそ自分でどうにかするか、修学旅行をあきらめるしかなかった。
「そうだ、お前身体測定のときとかどうしてたんだ?というか、そろそろお前が男子生徒として通用してる
 からくりを教えてくれないか?」


司は膝を抱えたままこちらを見上げて、そのままぐるりと天井まで視線を巡らせて、しばし考える。
流石に世間を欺くだけのからくりなので、慎重にならざるをえない。
「んー…まぁ、いいか…うちの理事長ね、俺の大叔父さんなんだ」
いきなり大物がきた。隆也でも年に数回しかお目にかかれないが、確かにあの理事長なら許しそうだ。
「トップダウンかよ…いや、確かに安全だな。…あれ、待てよ?たしか…」
「うん。保健の高木先生は理事長の姪で、俺の叔母さん」
磐石だ。これでだいぶ納得がいった。たしかに学校行事で服を脱ぐ場合、保健の先生が関わることが多い。
納得のため息をついて、次の瞬間には違うため息をつきたくなった。
「…しっかし担任やってて気付かないとはなぁ…可愛い顔してるとは思ってたが…俺もまだまだだな」
頭を撫でながら苦笑すると、なんだか微妙な表情でこちらを見ている。
「ん、なんだ?」
「…ね、先生…やっぱ俺、学校で女に見えること、ある?」
その質問の意図がどこにあるのかわからないが、とりあえず正直に答えておこう。
「そうだな……女っていうか、可愛いと思うことはあるな。女子にも言われないか?
 でも、普通性別は疑わないだろ。だから大丈夫じゃないか?」
「ん…そっか、うん。えへへ。正直見えるって言われても見えないって言われてもちょっとヤだったんだ…」
取り扱いにくいことこの上ない。それでもはにかんだ笑みを見るとこちらも笑みがこぼれる。
「ま、俺にはもう可愛くしか見えないけどなw」
可愛いを連呼していると、司の頬がほんのり染まって、それを隠すようにむくれた顔をする。
そろそろ慣れてもいい頃だと思うのだが、そうはいかないらしい。
「……先生、学校では前の通り接してよ?俺、まだ学生生活楽しみたいんだから」
「あぁ、わかってるって。と、そうだそうだ、修学旅行の話だったな。風呂は絶対何とかしなきゃいけないな。
 ちょっと待て、宿泊施設の資料持ってくる」
資料を探しに立ち上がった隆也の背を見て、司はぼんやりと再確認する。ほんとに隆也でよかった。
言い方は悪いが、やっぱり便利だ。
「あったあった。えーと…一日目は広島のホテルだな。夕食の前に被爆者の体験談を聞いて…か
 ここは部屋ごとに風呂ついてるから大丈夫だな。心配なら夜中にこっそり入るとか…」
司の横に腰を下ろした隆也の手にはプリントの束がある。
職員の間ではもうほとんどの日程が決まっているのだろう。司は興味津々といった様子でそれをのぞきこむ。
「うん。大丈夫そう、だね。二日目からは京都だよね」
「あぁ。ここは…女子は部屋ごとに風呂あるんだけどな。男子の部屋になると…いや、待てよ?」
隆也はいつになく真面目な表情で考え込んでいる。


「……やっぱりだめだ。男子と同室はまずい。着替えもあるし雑魚寝上等だし脱がされるかもしれないし」
「脱が…どんな状況ですかソレ…」
「いやあるんだよ。大体。女子が恋愛トークをするのと同じような状況で男は下ネタトークをするんだ。
 そしてそこには教師にバレないように調達した酒があったりなかったりで、酔っ払った奴らは裸になって
 騒ぎまくり、結局見つかってホテルの廊下に正座させられるという…」
それは教師としての経験談なのか生徒としての経験談なのか。ちょっと司が退いているがそのへんはご愛敬。
「…でも、だからって男子と同室じゃなく、ってわけにもいかないでしょ?…疲れたとか言ってさっさと寝ちゃう
 とかすればなんとか…」
「ダメだ」
すっぱり否定。
「さっきも言ったろ?もうちょっと危機感持ってくれよ、頼むから…」
本当に、危機感がない。よっぽど自分が女だとバレない自信があるのか、読みが甘いのか。
どちらにせよ隆也には頭が痛い話だ。
不満そうな司の顔を両手で挟んで、ぐぅ、と潰してやる。
「む。だってしょうがないじゃん…先生にどうにかできるの?」
「まだ言うか。俺をなめるなよ?これでも大学時代は段取りの鬼と呼ばれた男だ」
「…何ソレ」
うん、ナメられてる。
ナメられているのは気に入らないが、こう、潰した顔もなんとなく可愛く見えるのはやっぱり惚れた欲目だろうか。
「先生、顔変形する」
「ん、ああ、悪い。まぁつぶれてても可愛いから安心しろって」
笑って言ってやると、またむくれたような顔をする。こういう子供っぽい反応をみていると、やはり心配になる。
「…そういえば、班はもう決まってたよな。えーと、お前の班は…」
「あ、別に、班は問題ないから!」
何故か慌てる司の反応に、嫌なものを感じながら、クラスの修学旅行の情報をまとめてあるノートをめくる。
「だからいいってば…」
腕をつかんでまで止めようとする司の反応は確実におかしい。
班分けについて書かれたページを開いて、隆也の表情が固まる。
「…問題ないから…って…」
予想はできていたことだが、例の司の親友が同じ班になっている。
「……いや…問題ない、と思う…んだけど…」
くちごもる司に、思わず眉をしかめる。


「お前の言うことを信じないわけじゃないけどな…やっぱり俺としては…」
司の肩を抱き寄せ、少し気恥ずかしそうに呟く。
「心配だし…嫉妬も、するぞ」
「うん……」
大人しい司の肩を抱きながら、想像してみる。
親友とはいえ一度は男と女の関係になったわけで、司の気持ちが固まっていても相手はどうだかわからない。
ひょっとしたらずっと司のことを女として思い続けていて、修学旅行で一緒に行動しているうちによりを戻そう
とする…可能性もある。その手段が告白であるとか説得であるならまだいいが、もし強硬手段に出られたら…
と思うと、やはり黙ってはいられない。
自分の生徒を疑うのは本意ではないが、どうも警戒心の薄い司にはよく言って聞かせなければ…
「でもあいつは、協力してくれるよ?」
まさに警戒心が薄い。というか、その全幅の信頼がやはり気に食わない。
眉間に皺を刻んで、ため息をつく。
「……司。俺も自分の生徒を疑いたくはない。けどな、お前のことになったら話は別だ」
じっと目を見つめて言うが、司は困った表情のままだ。
「…あのね、先生。嬉しいんだけどちょっと俺の話聞いてくれる?」
「ん?」
「あいつはもう俺と先生のことも知ってて、協力してくれてるの。だから大丈夫」
今までの思考をひっくりかえされるような事実である。
「…そうなの?」
「そうなの。俺がここに遊びに来るときのアリバイ工作もしてくれてるし。あいつは信頼していいよ」
それが事実なら、まぁ大丈夫だろう。
…司のことが好きなのに涙を飲んで協力しているとか、こっちも泣きたくなるような事態になっていなければ。
しかしそうなると、司が班分けの話を嫌がった理由がわからない。
「じゃあなんで班の話を嫌がったんだ?」
「う……」
口ごもった司の視線がノートに落ちる。そっと指差したのは、同じ班の、男子ではなく女子の名前。
「…三崎ゆい、か」
なんなんだ、この班は。色々と危険すぎるぞ。なんなんだ。なんで司はこんな班なんだ。
いや、あのときは妥当だと思ったんだ。とくに危険なことをしそうな奴もいなくていい班だと…
「せ、先生、今意識が飛んでた」
目の前をひらひらと司の手が動いている。なんというか、頭が痛い。とりあえず抱きしめておこう。


「…先生?」
「…いや、な。司が悪くないのもわかってるし別にこの班が悪いってわけでもないんだが……落ち着かないな…」
少々無理な体勢で司を抱きしめてため息をつくと、膝の上に乗せていた資料が退けられた。
空いた腿の上をまたいで、司が正面に回りこんで抱きついてくる。
「……これで落ち着く?」
「…うん…落ち着くな」
しばらくそのまま司の頭や背をなでている。そうだ、決まったことは仕方ない。
ゆいやあいつの協力が得られればやりやすくなるだろう。前向きに考えなくては。
ふと視線がカレンダーに移った。
「そうだ司、もうすぐ…」
声をかけようとして、司が寝息を立てているのに気付く。だから油断しすぎだと言っているのに。
油断しきった寝顔が可愛いので、起こすつもりはないが。
「…やっぱり男子と同室はよくないな、うん」
前髪をよけて額に口付けて、じっくりと寝顔を観察する。半開きの口からよだれがこぼれそうだ。
本当に無防備で…そういえばシャツ一枚隔てて胸に胸があたっている。
本人は普段はこんなに無防備ではないと言っていたが、実際どうなのか妖しい。
「…あ。そうかそうか」
司を起こさないよう小声で呟きそっと抱き上げて、ソファに横たえた。

「…ん……ふぁ……」
数十分後、司は寝たときと同じ姿勢で目を覚ました。
わざわざ担ぎ上げた隆也の努力が実って、司は何事もなかったと信じ込んでいる。
「ん、起きたか?」
「うん…ごめんなさい。重かったでしょ」
むしろこっちが謝らなければいけないのだが。
笑い出しそうになる口元をひきしめて、いつもの調子で話しかける。
「いや?それよりさっき言い忘れたんだけどな、俺もうすぐお盆で実家に帰るから、
 その間はちゃんと用心して生活しろよ?」
「あ、そっか…俺もお父さんの実家行くんだった。大丈夫だって、先生は心配しすぎ」
笑う司の胸元に、さっきの悪戯が見える。そろそろ教えてやろうか。
「そうか?まぁ用心に越したことはないからな。ちゃんと虫除けのマークつけといてやったぞ」


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