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タイトル不明

7_628氏

 その日は半日休みだった。
 駐留している田舎町からそう遠くないところでは小競り合いが続いているが、
国軍の主力部隊が出るまでもないといったところだ。
 午前中の内に調練を終えた者は、久しぶりにきちんと料理された昼飯にあり
つけるはずだった。

 が、町の様子がどうもおかしい。
 特徴的な白木の屋根の雨どいに造花の飾りが結わえられ、もとは白色なのだ
ろう、年季を感じさせる温かい灰色の石壁にはこの地域の神を祀る文様のタペ
ストリーがいくつも並べられていた。
 人々の顔は、祭りのそれである。

「なんだこりゃ」

 国軍第一部隊隊長、アーレントは不意を突かれて立ち尽くした。
 この町に着いてから三日、美しい道々を散策する暇はもちろん、宿を使うこ
ともなかったのだから祭りの準備に気づかなくても不思議はないのだが。
 今は初夏。どうにも季節はずれである。

「町長の孫が嫁に行くんだってさ」

 アーレントのひとりごとに返ってきた返事も、心からは納得していない響き
があった。
 声の主の少年は、可憐な黄の造花を一本摘んでしきりに眺めている。
 自身の栗色の髪にそれを挿す真似をしてから、ふんと鼻を鳴らして道に捨てた。

「へえ。そいつはめでたい。シトウェル、よく知ってるな」
「町中挙げて祝うようなものなのか?」
 アーレントの問いかけは無視して、シトウェル少年は吐き捨てるように言った。

 また何か、気に入らないらしい。
 生意気盛りのシトウェルはいつもなにかしら不機嫌なのだ。直属の上司に敬語を
使わないことは常、飯にえんどう豆が入っていたから一日口をきかない、なんてこ
ともあった。



「風呂屋が閉まってる。御祝日につきって」

 頬を膨らますほどの不機嫌の理由はそれか。
 アーレントは眉をひそめた。

「昨日の晩入ったろ」
「昨日だ。今日はまだ」
「いつもは毎日風呂なんて行けないと思うが」
「だから! 行ける時に行きたいんだよ」

「俺にはわからん」
「隊長は不潔ですからね」

 シトウェルがアーレントの部隊に配属されて半年。国内の少数民族が反乱を
始めて三月。もうすぐそれも収束する。
 その間なんとなく分かってきたことだが、この男はかなりの綺麗好きだ。ど
んなに厳しい状況の下でも必ず水浴びか、出来なければ体を拭いている。
 一度居合わせたことがあったが随分長い時間かけてゆすいでいたようだ。

「ああもう、腹が立つ」
「怒ってもしゃあない。飯屋は開いてるから昼飯にしよう。うまくすりゃ祝い
酒の一杯でも飲める」
「くそ…… 食べ終わったら花嫁の顔を拝みに行ってやる」
「……おごってやるから、何もするなよ」
「しない」

 そこまで礼儀知らずとは思いたくないが。青の目が冴え冴えと怖い。
 悪い予感がする。


 飯屋の主人は背丈も度量も大きい男だった。結論から言うと飯をおごっても
らい、アーレントは上機嫌で店を出た。
 酒は子供連れということで(俺はもう十六だとシトウェルは怒鳴ったが、親
父は頑固だった)飲めなかったものの、アーレント一人でまた来ればいい。

 そこそこ機嫌の良くなったシトウェルと二人、その町唯一の神殿の前に来ていた。

「男が多いな」
「娘さんは美人だってさ。この田舎町で美人といってもどうせ……」
「聞こえるぞ。美人のシトウェルちゃん」
「……うるさい」
 シトウェルの毒が過ぎるとき、彼が女顔の美人であることを揶揄すると一時
静かになる。
 このあたりも最近分かってきたことだ。

 揶揄といってもだが、アーレントにとっては多少の本気も混じっていた。
 シトウェルが国王陛下の拝命を受ける時――それが初顔合わせになった――
その場にいたものはおそらく全員、彼の顔立ちの良さに目を奪われたと思う。
 稚さの残る、けれど大人びた表情。知的な額を持つ涼しい顔立ちの、確かに
彼は美人だ。
 女だったらさぞや幸せな結婚を望まれただろうに。

 白塗りの壁に、鐘付きの尖塔が一本。天を刺す……と形容するにはかなり高
さが足りないそれを、神を象った彫刻が取り囲んでいる。
 高台にある神殿から町に下る一本の道の両側には本物の花が植えられ、両開
きの樫の扉からは緋色の艶のある絨毯が階段までひかれている。
 その一番最後の段から、前述の花道というわけだ。
 絨毯には金糸で、扉には彫りで、それぞれに祈りの文様が見て取れる。

 意匠の凝りをじっくり眺めてもいいところだが、あいにく神殿沿いの道は人
でごった返していた。
 御正門(と呼ぶのが通例ではあるが、この神殿に扉はひとつしかなさそうだ
)前にいたっては麦の穂先だ。ぎゅうづめである。

 鐘が鳴った。
 新郎新婦が登場したのだろう。方々から祝福の声が上がり、歓声で一時耳が
塞がれてしまう。
 アーレントは首を伸ばして、白い衣装にくるまれた件の花嫁を見た。

「ああ、確かに美人だが……」
 シトウェルが正しかったようだ。このくらいの金髪美人なら王都にはいくら
でもいる。

「なあシトウェル。こんなもんだ。顔だけならお前の方がよっぽど美人だぞ」
「……見えない」
 低い声。
「くそ。見えない。どてかぼちゃどもが」


 自身もそうであるアーラントは意に介さなかったのだが、なるほど大男が多
い。女子供に混じる背丈のシトウェルは何度も跳びはね、それでも彼曰くのか
ぼちゃで見えないらしい。

 ふと思い立ち、アーレントはその首根っこを捕まえた。前で跳ばれるとうる
さいのもあるが、この子供にちょうどいい体勢というのを考えたのだ。

「見せてやる」

 何なんだと見返してきた少年の腿を両手で掴み、ひょいと持ち上げる。
 アーレントはこの人ごみにあっても頭一つ大きい。抱きかかえてやったらこ
の貧弱な少年でも眺望に恵まれるはずだ。
 もちろん、そんな優しい動機だけではないのだが。

「げ」
 シトウェルの温かい背中がぴしりと固まった。

「軽い軽い。紙みてえだ」
「下ろせかっこ悪い! こらアーレント!」
 やっぱりまだ子供らしく、筋肉も十分ではない。薄い布越し、指の腹に当た
る腿の感触に、一瞬だけ戸惑う。
 持ち上げてしまってからアーレントは気付いたのだが、これは相当危険な体
勢だ。うっかりすれば怪しいところに手を差し込んでしまう。
 柔らかすぎるのだ。軽いいたずらだと言い聞かせないと、妙なことをしてい
る気分になってしまう。
 アーレントは力を込めなおした。

「馬鹿、放せって! ちくしょう!」
「暴れるな」
「ちょっと、息かけるな変態!」

 ちょうど口の前あたりに小さな尻の正面がある。変態とは心外だがしゃべり
にくいこと、この上なしだ。
 首をどうにか回して、アーレントはシトウェルを見上げた。
 これはいい。
 耳まで真っ赤にして恥ずかしがる(怒っているのかもしれなかったが)シト
ウェルはそうそう見られるものではない。

「どうだ?」
 アーレントは思わず笑みを浮かべた。
「花嫁さん見えるだろ?」
「こっちが見られてるよ!」


 周囲から、花吹雪散る階段を挟んだ向こう側からさえ、好奇の視線と失笑が
届いている。花嫁にいたってはその平凡な紅色の唇をぽかんと開け、田舎娘丸
出しだ。
「ああもう、笑いものだよ! 団のものがいたら!」
「いるだろうな。うちの隊も」
「……放せ!」
 頭を三発殴られたが、糞生意気な部下をいじめる、もとい懲らしめるのに髪
の毛の十本や二十本安いものだろう。
 この人ごみの中全身で暴れることもできず、シトウェルはもぞもぞと身をよ
じるのが精一杯らしい。

 それにしても。
 指先に感覚が集中してしまうのはどうしたことか。シトウェルが足をくねら
せるたび。
 そういえば最近、女に触れていない。

 なぜそんなことを連想してしまったのか。妙に生々しい感慨。振り払おうと
頭を動かし、尻にぶつかる。
 今度はアーレントが固まる番だった。

「あ、あれうちのじゃないか」
 実際には確認できなかったのだが。
 我ながら何かをごまかしているのがばればれだと思いながら、適当な方向を
指でさす。
「嘘!」
 あっさり、シトウェルは信じ込んでしまった。多少後ろめたく感じたが後に
は引けない。適当に隊の者の名前を並べる。
 シトウェルの抵抗が大きくなった。手のひらに、ほどよい肉付きがまんべん
なく感じられる。
 
「おい、そんな動くと……」

 いろんな意味で危ないぞと、まさに言いかけたとき。

「――ひゃ」

 手が滑った。その、股ぐらに、親指が。
「あ、悪……」
 慌てて指をひき滑らせる。
「ん……!」



 言い訳を、するわけではないが。
 何というか、親指の爪で引っ掻いただけだ。物を触ったり、ましてや掴んだ
りなどしていない。していない。
 予想外、というか予想なんてするわけがない『男の』甘い吐息。

「お、下ろす下ろす。ほれ」
 正直なところアーレントはあせっていた。なぜか分からないが、単にくすぐ
ったがったと思うことが出来なかった。
 明らかに何か、昼間に似つかわしくない種類の。

 気まずい。
 後悔の念で頬が熱くなる。
 男の喘ぎ声も鳥肌物だが、男の頬染めもよろしくないぞと言い聞かせ、それ
をネタに笑ってごまかすことも考えたが、シトウェルが黙り込んでしまってそ
んな雰囲気でもない。

 どうしたものか。

 周囲にはもう二人の困惑に関心を寄せる者などいない。平凡な花嫁と、二人
に視線すら送られなかった花婿が場を取り戻していた。

「アーレント」

 俯いたきりだったシトウェルが、ようやく口を開いた。
「何だ」
「あ、と……」
 いたたまれない雰囲気から救われたと思ったのだが、シトウェルは煮え切らない。



「どうした。早く言え」
「その、何か」
 頼んでもいない軽口ならぽんぽん言うくせに。
 思えば、腿が柔らかいと思ったときから調子が狂って仕方がない。
 きょろきょろ空色の目を動かす表情と言ったら。
 アーレントはシトウェルから目を逸らした。

「何か変とか、思わなかったか?」
「は?」
 あんまりシトウェルが間を溜めたものだから考え込んでしまっていたらしい。
 やましい気持ちを引きずりながら、急いで聞き直す。

「だから、何かおかしいとか、その、触っ……」
「何かとは?」
「……やっぱりいい!」
「いや、意味が」
「分からなくていいんだアーレント!」

 音がしたのではないかと思うほど、真正面から目が合った。
 瞬き一回分息を止める。

 やっぱり、花嫁よりも美人だ。
 
 耳にかかる短髪と同じ、栗色の睫毛。大きな木の実のような瞳の形はアーレ
ントが生まれて二十数年、五本の指に入る。

 神様は、残酷なことをなさるものだ。

 結局、結婚式に、それも冷やかしに来て主役をろくに見ず、神の像を見上げ
不信心なことを思うという、実に模範的な行動をその日、アーレントは遂行した。

 鈍い彼がことの真相、シトウェルの秘密を知って神様を褒めちぎるのは、ま
た先の話になる。





       おしまい。


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