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土曜日の情事 三週間目

8838氏

 彼女の弱い部分は知り尽くしていた。身体を重ねたのは何度目か、もう覚えていない。しかし龍
司の指は無意識に、それとは微妙に違う部分をなぞっていった。
「は、あん……!違う、っ……んう」
 女はまるで泣いているような声を上げ、指に内壁を擦り付けるようにして腰を動かした。もどか
しくてたまらないといった様子で身悶えする。緩やかに波打った豪奢な髪が彼女の肌に絡みつき、
汗を吸ってきらめいていた。完全に勃起した乳首は紅色に染まり、豊かな乳房の頂点でもっと愛撫
が欲しいとねだっている。
「そこじゃない……違うのぉ……ねえっ、イかせてえっ……!」
「――」
 切羽詰った声にふっとわれに返る。涙目で見上げてくる彼女を認識し、龍司はようやく自分が今
何をしていたかを思い出した。指に力を込め始めると、彼女はようやく満足げに声を上げ始めた。
「はっ、あっ、あん、いい、いいのっ」
 甘ったるい声を響かせて快楽を享受する女を龍司は見つめた。
 いつ見てもいい女だと思う。大きな胸と正反対にくびれた胴。尻はなだらかに上がっていて張り
がある。長い髪は金茶に染めているがまるで本当の髪の色のようにその秀麗な輪郭になじんでいた。
背が高く、長身の龍司とも遜色ない体つきをしている。
 そしてそれでも、龍司は今の目の前の行為に集中できていなかった。何か、自分でもわけのわか
らないものを振り払うかのように、龍司は一心に愛撫を続けた。女は慣れた反応でそれを受けた。
「あ、ふぁ、あっ、あっ」
 彼女の中が強く収縮し、龍司の指を締め付けた。同時に大量の愛液が溢れ出す。
「っ、あ」
 彼女は一度ベッドに沈み込み軽くまどろむような表情を見せたが、身体が疼いたのか、すぐにそ
の脚を広げて誘ってきた。
「ね……も、来て……」
「――ああ」
 答え終わるか終わらないかのうちに、ゴムを付けた自身を彼女の奥へ滑り込ませる。
「ああんっ……!」
 最奥まで突き通すと、彼女は悦びの吐息を漏らして身を捩った。
 龍司はすぐに動き始めた。貫いた肉棒を擦り合わせるように動かすと、彼女はすぐにその快楽に
飛び込んできた。
「あんっ、はん、ひゃあんっ」
 肉感的な身体を隠そうともせず仰け反り彼女は喘いだ。脚を龍司の腰に絡ませ、もっと深くと
言わんばかりに引き寄せる。応えるように動きを早くすると、それにつられて喘ぎ声もだんだんと
高くなっていった。
「っは、ぅん!あ、ひう、あっ、はぁん」
 彼女は腰を叩きつけられるたびに嬌声を上げ、胸を揺らして悶えてみせた。艶かしい動きで腰を
振る。それも高みへ押し上げられると余裕をなくし、龍司に突き上げられるがままになっていった。
 大きくびくんと身体をしならせると、彼女はその顔に蕩けた笑みを刻んだ。
「あ、ダメ、イっちゃうっ――」
「じゃ、一足先にイってくれ」
「あ、あ、はあんっ――――――――!」
 ひときわ強く身体を打ち付けると彼女はあっというまに達した。彼女は自分の高い鳴き声を抑え
ようとはしなかった。声は長く尾を引いてやがて消えたが、すぐに新たな嬌声を発し始めた。龍司
が彼女の絶頂にまったく構わず動き続けていたからだ。
「はああっ、あっ、やん」
 変わらない速度に驚き、それでも再び快感を受け入れ始める。ただ達した直後でもあり、その声
には甘さとともに事態に窮する響きも混じっていた。
「ん、あ、そんなに動いちゃ駄目ぇっ……」
「悪い、俺も、もう少しだから」
「あっ、でも、ぅんっ」
 逃げるように身体を捻るが、龍司はその腰を両手でしっかりと押さえつけた。怪我をした右手はまだ完全に痛みを失っておらず彼女の動きに鈍痛を訴えたが、龍司は気にしなかった。
「やっ、激しっ……!ちょっとおっ」
 非難の声が飛ぶが気にしない。彼女にとってはいつになく強引であろう自分のやりかたに自らも
わずかな疑問を感じながら、彼は止まらなくなっていた。やりにくいながらも抜き差ししている部
分の、すぐ上のクリトリスに指で触れる。彼女はたちまち鳴き声を上げた。
「きゃ、あう、は、反則っ……!っあ」
「俺がイく前にもう一回イってくれそうだな」
「あっ、あ、そんなことしたら当たり前っ……やぁあっ」
 二度目の絶頂は一度目よりはるかに早かった。



「ひっどー」
 彼女はぶーたれた。
「散々焦らしたかと思ったら次はイかせまくってくれて……腰に来た、久々に」
「悪かったよ」
 龍司は吸っていた煙草を口から離すと謝罪の言葉を述べたが、彼女の心の琴線には全く触れなか
ったようだった。いい年をした女は少女のような拗ねた表情で上掛けの下から顔を出した。
「悪いって顔してないじゃん」
 口だけは元気よく、のそのそとベッドから這い出した彼女は「あー、体痛い」とぼやきながら髪
をかきあげた。
「タバコ」
「ほら」
 龍司が自分のストックのうち一本を目の前まで指し出してやると、彼女はうつぶせのままそれを
咥えて上半身だけを起こし、身を乗り出した。「火をくれ」というジェスチャーである。仕方なく龍
司が自分の煙草を口に咥えたまま顔を近づける。彼女は更に身を乗り出し、背を反らした格好のま
ま器用に煙草の先をくっつけた。ジジ、と音がして、自分の煙草に火が灯ると、彼女は枕の上で頬
杖を付いて隣の龍司を見上げた。
「手、大丈夫?」
 いまだに生々しい傷の残っている右手を指で差される。
「どしたの、それ。犬にでも噛まれたの?」
「……まあ、そんなもんだ」
 龍司の表情をじっと見ていた彼女はふと黙り込み、やがて口を開いた。
「ねえ、リュージ」
 すーっと煙草の煙を吐き出して、彼女は言った。
「好きな子できた?」
「はぁ?」
 龍司は素っ頓狂な声を出した。
「んなわけないだろ」
 即答すると彼女は半眼でこちらを見た。
「ふーん」
 じろじろとこちらを観察するとにやりと笑って、
「良かったじゃん」
 と言った。
「……」
 龍司はこれ見よがしに、お前人の話聞いてるのか、といった顔をしてみせたが、彼女にはまった
く通用しなかった。彼女は上を向くと口先を丸めてぽっと息を吹き出し、中空に見事な輪っかを作
り出した。興味深そうな瞳でじっとこちらを見る。何となくいたたまれなくなって顔を背けると、
彼女が続けた。
「で、どんな子?」
「お前人の話聞いてるのか」
 表情で言っても伝わらなかったようなので直接言うと、彼女は「うん、聞いてるよ」とどこまで
本当なのかわからない表情で返事をした。
「可愛い子?それともボーイッシュ?ショート?ロング?スレンダー?グラマー?リュージはどん
なんが好みだったっけ」
「……だからなあ」
「隠すこと無いじゃん」
 苦々しく訂正しようとすると彼女は再び頬を膨らませた。駄々っ子のようにじたばたと手足を振
り回し、
「知りたい。知りたい知りたい知ーりーたーいー」
「だー、うるせ」
 龍司はついに音を上げた。
「マジでオンナなんかできないって。知ってるだろ?俺の性格」
「うん、タチ悪いのは知ってる」
 彼女は実にあっさりそう言うと「あ、それとも」と意地悪く微笑んだ。
「認めたくないのかなー?リュージくんはお姉さんと逢瀬できなくなるのが恐いんだー、だからだ。
ねっ」
 なにが「ね」だ。龍司は髪を逆立てた。
「なわけがあるかっ!」
 叫ぶ。
 とは言え、ひとつ年上の彼女とは長い付き合いになる。そういう意味での愛着もあるが、何より


ほぼ唯一、彼が腹を割って話せるのが彼女だった。彼女の言ったことは当たっていると言って差し
支えない。肉体的にだけではなく精神的に、龍司は彼女に依存している部分があった。
 その彼女は煙草をふかして引き下がった。
「ま、いーけどね」
 言うと紫煙を吐き出す。ただ、と彼女は付け加えた。
「オンナとしては、相手のオトコが他の子思い浮かべながらヤってるのはあんま気分良くないかな

「――」
 それを聞いた龍司の煙草を吸う手が一瞬止まった。
 具体的に誰かを思い浮かべていたわけではない。しかし途中まで、自分の指の動きは明らかにこ
の女を意識してのものではなかった。そのことに言われて初めて気付いたのだ。ならば自分はいっ
たい誰を意識していたのだろうか――
「えへへ」
 龍司の表情を見た女は会心の笑みを浮かべた。
「で、どんな子ー?」
「やかましいっ。他の話題は無いのか、他の話題は」
「じゃあさ」
 彼女はふと真面目な顔になった。
「まだおかあさんと一緒に住んでんの?」
「――」
 残り少ない煙草の灰が落ちた。
 肺腑を抉られた表情で龍司は振り向いた。彼女はその表情だけで納得したようだった。
「そうか。まだ住んでんだ」
 彼女は瞳を細めた。たったそれだけの仕草に、龍司は目を伏せた。直視できなかったのだ。彼女
は「子供ねー」と感想を述べ、煙草を灰皿に置いた。
「さっさと追い出したらどうよ。でなきゃ、あんたが出てきたら?」
「……そういうわけにもいかないだろ」
「言い訳じゃん?それって」
「そうかもな。でも」
 龍司はやっとのことで苦笑をつくった。
「あれでも親だからな。一応」
「だから、それが言い訳なの」
 彼女はそう断言して、龍司にもう一本煙草を要求した。



 瑞希が思わずといった様子で身を引くのがわかった。
 鍵を開け、ドアを開けて、靴を脱ぎ、畳の部屋へ上がって、瑞希と顔を付き合わせる。少女の顔
を見た瞬間、龍司は動きを止めていた。
 少女の態度が先週までと幾分違う。
 彼女はぎゅっと拳を握り締めていた。こちらへしっかりと顔を向け、以前と同じようにこちらを
睨んでじっと沈黙に耐えていた。
 しかしその瞳はわずかだがゆっくりと揺らいでいるように見えた。こちらが一歩踏み出すと、彼
女はほんの少し、注意してみなければわからないほどだったが、すくんだような表情を見せた。
 それは先週の事後にも気になったことだった。彼はずかずかと近づいた。すると今度ははっきり
とした反応が返ってきた。明らかに彼女は怯えた表情を見せた。
「――」
 龍司は眉をひそめた。良くない傾向だ。
 彼女を男だと思っていたころ、龍司は瑞樹が大嫌いだった。その目つきが嫌いだった。その気の
強さや頑固さが嫌いだった。親戚だの財産だのといった理由よりそちらの方がはるかに癇に障った。
それは同じタイプの人間である龍司にとって同類嫌悪とも言える感情で、しかも相手を叩き潰さな
いことには消えない感情だった。
 瑞樹が女だと知ったとき、龍司は彼女を抱いた。最初はことのほか綺麗だった彼女の肌に惹かれ
て、次は単純に興味本位で、そして最終的にはやはりその同類嫌悪が凶行を後押しした。女ならば、
暴力に勝る屈辱を与えてやることができる――そういった感情があった。
 ところが彼女は折れなかった。そしてそれが意外にも、龍司にとって面白いものと感じられた。
これまで嫌っていた気の強さが一転して魅力的なものに思えた。
 龍司がわざわざ鍵まで奪ってここに入り浸る理由がそれだった。瑞希はこの関係の継続も彼女を
貶めるためのもの、あるいは単純に性欲のはけ口であると思っているのかもしれないが、龍司にと
ってはそうではなかった。これまで自分に近づいてきた女は媚びる類の女が多くて辟易していたと


いうこともあるし、自分が彼女の秘密を知ったことでこんな妙な関係になってしまった危うさに惹
かれたという部分もある。恐らく瑞樹が思っているよりもずっと、自分にとってこの環境は手放し
がたいものへ成長しているのだろう――龍司は朧気ながらも、今ではこの一連の出来事にそんな奇
妙な感想を持っていた。
 だから今回の彼女のこの反応は、龍司にとってはあまりよくない傾向だった。
 それは前回や前々回にも兆候はあった――瑞希は自分にイかされることに激しい自己嫌悪を示す。
理由は容易に想像がつく。嫌いな男に気持ちよくさせられるのはまるで自分が犯されることを悦ん
でいるような感覚を引き起こすのだろう。確かに彼女は人一倍感じやすい傾向にあるようだ。痛み
に対する慣れも早い。龍司にとってはむしろ良いことの筈なのだが、だからといって単純に喜ぶわ
けにはいかなかった。自分は瑞希の反抗的な部分に魅力を感じているのであり、どういう形でも、
折れてしまわれては意味がないのだ――
 目の前まで歩いていくと、瑞希はついにぎゅっと目を瞑った。肩が震えている。自分のプライド
を傷つけた男に対しての怒り、嫌悪、何より恐怖が彼女を支配している。それが目に見えるようだ
った。
 龍司は右手を上げて彼女の頬へと持っていった。瑞樹がびくりと震えて目を開ける。龍司の右手
は一週間経って普通に動くようになっていたものの、傷跡は残っている。瑞希はそれを酷く動揺し
た様子で間近に見ていた。視線が揺れている。龍司はそれをあえて無視し(わずかながらも彼女に
同情している自分のほうにむしろ驚いた)、彼女の頬を撫ぜた。
「恐いか?」
「……」
 答えが戻ってくるまでにかなりの間があった。瑞希はこちらの顔を見上げ、不安げに瞬きをして、
唇を引き結び、それからようやく口を開いた。
「恐くなんかない……」
 彼女の答えはささやかだった。それを聞いて龍司は彼女から――この場合は言葉通りの意味で―
―手を引いた。
「……あー、つまんねえな」
 本音を吐くと彼はくるりと方向転換した。板の間に行くと小さなガスコンロと申し訳程度の調理
器具があった。小さく古い型ながら冷蔵庫もあった。それらを視線で指して、彼は言った。
「今日はいいや。それより飯喰わせてくれよ。腹減った」
「……」
 その台詞に瑞希が呆然とたたずんだ。
「駄目か?」
「駄目……とかじゃなくて……」
 瑞樹が言葉をつむぐ。戸惑いがありありと聞き取れた。龍司はにやりと笑った。
「俺に食わせるもんは無いってか?こんな貧乏暮らしじゃな」
 言うと勝手に冷蔵庫の散策を始める。すかすかの冷蔵庫の中のキュウリと大根を品定めし始めた
ところでようやく瑞樹がリアクションを起こした。
「ちょ、ちょっと!」
 冷蔵庫まで駆け寄り扉を閉める。勢いづいていたため、龍司は危うく手をはさみそうになった。
「何勝手なことしてるんですか!」
「喰えるものがないか探してただけさ」
「この最低男っ」
 肩で息をして瑞希は毒づいた。そこに先ほどの弱弱しさは無い。龍司はなおも冷蔵庫を開けよう
としたが瑞希に断固阻止された。
「腹減ってるんだよ。ちょっとくらい時間食ってもいいからさ、何か作ってくれないか?」
「ろくなものありませんよ!?」
「わかってるさ。不肖この我妻龍司、どんなに不味い料理でも完食してやろう」
「……!」
 彼女は怒りのあまり修羅の形相になっていたが、散々考えた末やがてこの注文に抵抗するのも馬
鹿らしいと思ったか、
「……いいですよ。でも量は少ないですからねっ」
 そう言い置いて龍司を板の間から追い出した。脇の棚から畳まれたエプロンを取り出し、ぱっと
広げると首にかけて腰の後ろで結ぶ。その後改めて、彼女は自分で冷蔵庫を開けた。龍司は熱心に
それを観察し、声をかけた。
「何か買ってきてやろうか?金使わせるのは可哀想だから、俺が奢ってやる」
「貴方のお金で買ってきたものなんて要りません!」
「ほら、一飯の恩義ってことになるわけだし、別にいいだろう」
「嫌ですっ」
 相変わらず強情な娘だ。が、龍司は楽しくなり、彼女の後ろで頭越しに料理の一部始終を見てい
ることにした。瑞希がたびたびうるさそうにこちらを睨みつけてくるがどこ吹く風である。


 が、ところどころ、彼としてはありえないだろう的な光景に出くわし絶句することになった。彼
女が棚から取り出したジャガイモに、彼はあろうことか腰が引けた。
「……それ、喰えるのか?」
 芽が出てジャガイモの三分の一ほどを覆ってしまったまるで種芋のような有様のそれを彼は見た。
「食べられます。収穫の時鍬で切ってしまったものをもらってきたやつですから時々腐ったりもし
ますけど、大丈夫なところは大丈夫です」
 表面を見ただけで相当古いものとわかったが、瑞希は平然とした顔で調理を始めた。まず手で外
側の芽を取り払い、水で洗って皮を剥く。皮の下も、ところどころ紫色になっているのがなんとも
気味が悪い。
「うわ、キモ」
「黙っててください、邪魔です」
 彼女は包丁で紫色の部分を取り除き、更に芋の内部に侵入していた芽も綺麗に取り除いた。これ
でやっと終了である。いつもこんなものを調理しているのか、瑞希の手際はスムーズだった。綺麗
な皮は取り除いた(次の日料理に使うらしい)にしても、ジャガイモの実に半分以上がゴミ箱行き
になった。日本が残飯大国であることを龍司はふと思い出したが、それら全てが食えない部分では
誰も彼女を責めることはできまい。
 そのほかの野菜も大抵同じようなものだった――もともとそれほど種類があるわけではなかった
が。龍司の知らない種類でさやが細く丸い棒状の表面がざらざらした豆類は明らかにしなびすぎて
痩せていたし、大根は明らかにすが立っていたが、彼女は殆ど頓着しなかった。次々に鍋に放り込
んでいく。
「……」
 龍司は眉間にしわを寄せた。頭痛でもするかのようにこめかみに片手を当てる。
「……俺、ちょっとだけ喰いたくなくなってきた……」
「贅沢は敵です」
 瑞希のその台詞は彼を罵る時よりも更に冷徹だった。

 ガスコンロが一台しかないため多少時間が掛かったものの、かくして一連の料理が卓袱台に並べ
られた。
 メニューは白米、味噌汁、具がジャガイモのみの煮物、パック納豆の四種だった。「これだけ?」
と問いかけたところ、「煮物がある分だけいつもより豪華です」と言い切られ、彼は口をつぐむこと
になった。
 向かい合って座り、黙々と味噌汁を啜る。其れには例の怪しげな豆類(ささげというらしい)と
薄切りにした大根(薄切りなのは『す』対策と思われた)が少しずつ入っていて、あとはひたすら
薄い汁が九割を占めていた。具はしなびていた所為か、なんだか食感が微妙だった。
「海苔無いか?」
 納豆には海苔という固定観念を持つ龍司が食卓に海苔がないことに不満を覚えて尋ねると、瑞希
は白い目を向けてきた。
「海苔の値段知ってます?」
「さあ」
 ろくに考えずに即答すると、瑞希はこめかみを引きつらせて手にした箸を卓袱台へと叩きつけた。
「味付けだと一箱で三百円以上です!そんなもの常備できませんっ」
 いやそのくらいならそんなに高いもんじゃないだろう、というツッコミが危うく喉まで出掛かっ
たが、彼は鉄の精神でそれを飲み込んだ。金銭感覚に関しては彼女のレベルまで下げて話をする自
信が無かった。彼の箸は箸休めを求めて一瞬ジャガイモの煮物に向いたが、わずかに空を彷徨って
結局白米に戻っていった。後一歩勇気を出さなければいずれ屈辱的な前言撤回をしなければならな
くなるだろう。
「ヒートアップするなよ、料理が不味くなる」
「いいじゃありませんか、どうせもともと美味しくもない料理なんだしっ」
 ぷいとそっぽを向いて瑞希は言った。その拗ねた様子がまた、龍司を惹きつけた。瞬間的に襲い
たくなる衝動を抑えて彼は言った。
「そんな服しか持ってないのか?」
 瑞希は毎回変わりばえのしない男物の服装をしていた。今回はシャツにチノパンといういでたち
で、今回はその上に地味なモノクロカラーのエプロンをしている。容姿とあいまってどこから見て
もおとなしげな少年といった風情だ。


「私、男ですから」
 刺々しい口調で応じる。そういえば、と龍司は思った。先週まではちょくちょく女言葉も出てい
たのに、今週は流石に慣れてきたのか、一貫して丁寧語だ。このままでは私が俺になってしまう日
もそう遠くはあるまい。 
 とてもつまらない。龍司はそう感想を持った。さりとてそう簡単に手を出すこともできなくなっ
てしまった。彼は渋い顔をした。彼女を自分の望む『彼女』にするには一体どうしたらいいのだろ
う。
 考えた末、彼は言った。
「なあ、瑞希」
「何です」
「お前、女に戻る気は無いか」
 瑞希は茶碗を取り落としそうになり、それを金の無い貧しい人間しか出しえない速度で箸を持っ
た右手を出して支え、落下から守った。
「……どういう意味ですか」
「深い意味は無いさ。ただ、お前には女のほうが似合ってると思っただけだ」
 その言葉を聞いた瑞希が明らかに機嫌を損ねたのが龍司にはわかった。
「何ですか、それ」
 言葉尻のトーンが一段跳ね上がる。無視して龍司は言った。
「墓と土地なら俺がどうとでもしてやる。だから女に戻る気は無いか」
「――」
 間があった。
 瑞希は突然こんな事を言い出した龍司の意図を計り損ねた様子だった。酷く戸惑った表情を見せ
る。彼女はその表情のまま、それでもはっきりと言った。
「嫌です。貴方に頼るなんて嫌」
「そう言うと思ったよ」
 龍司は肩をすくめた。目の前のジャガイモに目をやり、ついに箸を伸ばしてひとつ取り上げる。
だが力を入れすぎて一瞬痛みが走り、挟んだジャガイモがするりと逃げた。
 芋はそのまま卓袱台の上に落ちる。
「……」
 沈黙が落ちた。そろりと瑞希のほうを窺うと、瑞希は盛大にため息をついた。
「……もうっ」
 彼女はあきれた様子でそう言い、龍司の落とした芋を直接手で拾い上げて流しへと持っていった。
三角コーナーに捨てると手を洗い、戻りぎわに布巾を持ってきて卓袱台を拭く。
「悪いな」
「別にいいですよ」 
 そこにはそれまでの刺々しさはまだ残っていたものの、幾分か柔らかい口調が混じっていた。そ
れがただ単に世話好きだからなのか、それとも少し女の部分が出たからなのか、龍司にはまだ判断
はつかなかった。



 一時間後。
「……本当に……」
 玄関先で、瑞希はぽかんとして立っていた。
「何もなかった……」
 安堵のためか、それとも気が抜けたためか、彼女は座り込んだ。
「何だ」
 独り言を聞きつけ、龍司はここぞとばかりに身を乗り出す。
「何かして欲しかったのか」
 靴はすでに履いていたが背丈の違いで覆いかぶさるような格好になった。瑞希は慌てて立ち上が
るとさっと後ろに下がった。
「い、いいえっ!早く帰ってくださいっ」
「つれないな」
 龍司はつまらなそうに身を引いた。
「そうだ。予定」
 龍司は思い出したように言った。
「来週は朝から一日空けとけよ」
「ど、どうして!」
 彼女は狼狽して「嫌ですっ」と叫んだが龍司は頓着しなかった。
「俺の予定がとれたから。お前、土曜は休みなんだろう?」
「仕事が入る時だってありますっ」
「じゃあ休み取っとけ」
「――」
 彼女はどうしていいかわからないといった表情をした。
「何をするの?」
 彼女は硬く脆そうな声で尋ねた。気丈に立っていたが、その表情は見ていて痛々しいものだった。
龍司は咄嗟に視線を引き剥がした。以前ならこんな顔をされても何とも思わなかったのに、今は違
った。それを龍司は自覚していた。
「安心しろ。別に一日中玩具にしようってわけじゃない」
 はぐらかすように龍司は言った。先週までのように彼女の秘密をネタに脅迫すればいいはずが、
何故かできなかった。



 悪循環だと龍司は思った。
 どうすれば、彼女は彼女を保ったままで、俺のものになるだろうか?
 彼は夜空を見上げた。見当も付かない。それは自分の思考では辿り着けないところにあるような
気がして、龍司は憂鬱な気分になった。ただわかるのは、今回お預けだった分、来週の自分がいっ
たいどこまでするのか、自分でもわからないということだけだ。
「ヤバイな……俺」
 龍司はうんざりと呟いた。
 あの女の言は当たっている。龍司は苦々しく認めた。自分は瑞希に確実にハマってきている――
信じがたいことに。まさかたった三週間でここまでになってしまうとは思いもしなかった。今では
最初の土曜日は彼の後悔の種になり始めていた。無理に身体を奪ったりしなければもう少しやりよ
うもあったかもしれない。
 あるいはこの状況を打破すれば、いいほうであれ悪いほうであれ状況が進展するかもしれない。
しかし龍司にはその決断ができなかった。
 龍司は奥歯を噛み締めた。
(ガキだな。俺は)
 後々まで針のむしろに座ることを予感していても尚そうしてしまうことがある。問題の先送りだ
とわかっていながらどうすることもできない。言い訳をしながらそのままそこに座り続ける。
 家には戻りたくなかった。龍司の足は自然に病院へ向いた。



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