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R.m.G. 2

◆.Xo1qLEnC.氏

山中はガキの頃の記憶と違わず、奇妙な静けさを保っていた。

木々を掻き分け、ただ黙々と進む。

目的のクレバスに辿り着ける自信は無かった。
何せチビっこい頃、偶然みつけただけで、その後一回も
行っていないのだから。だが…

その場所はあっさりと見つかった。

鬱蒼とした木々が開け、突然に鼠色の岩盤が細長く、おそらく数キロに
渡って広がっている。
いつか見た景色。
岩の大地のその真ん中を横切る深い亀裂。

「ここ…?」
突然歩みを止めた俺の背後から、クリスがそっと顔を覗かせる。
「ああ…こんなあっさり辿り着けるとはな…気味悪いぜ」

開けた場所なのに、薄暗さを感じる。
何か、得体の知れない気配が漂い、冷や汗が出る。

「ねえ、途中からさ、ここを知らないボクでさえ、道を知ってる
気分になったんだけど」
「…オレもだ」
リドも同意する。二人とも顔色が消えていた。
呼ばれた…?『何か』が居る。それは確かだ。

「リド、ホーク、これを持ってて」
クリスに、何かが描かれた長方形の赤い紙を渡される。
「これ、幻惑の術を跳ね返して、正気を保つためのお守り。
なんか、この空気ヤバいから…絶対落とさないでね」
それを受け取ると、嫌な気配が少し遠ざかった気がした。

ゆっくりと岩盤に踏み出し、亀裂の淵にしゃがみ込む。
対岸までは十数mといった所か。
下を見渡すが、底は見えない。左右を見渡しても、どこまでこの亀裂が
広がっているのやら…
小石を拾い、落としてみる。暫らくしてから、コーン…と、微かな
音が聞こえた。
地獄にでも続いてそうな深淵だが、底は一応あるらしい。

次は、地図に印されていた木を探す。
適当に方向を決めてクレバス沿いに歩きだすと、すぐ見つかった。

樹齢千年は越えると思われる大樹が、岩盤を割り、亀裂の底へと根を
伸ばしている。

そこから下を覗くと少し降りた所に小さな岩棚があり、底へと続く
細い石階段が岩壁沿いに伸びていた。
「あそこまでなら、木の根を伝って降りれるな…行くか?」
二人が頷く。



細く長い階段には柵なんて親切なモノは無い。足を滑らせれば、
谷底へ一直線だ。
慎重に降りていく中、疑問が過る。

クリスとリドが襲われたのは、ここへ来させない為では無かったのか?
何故、山に入ってから、いいや、昨夜ですら襲撃が無い…?

ヒカリ苔が照らす、薄暗い底に到達する。
見上げると、光の筋が遥か遠い。
苔むした岩が転がる谷底。階段と反対側の岩壁には、ポッカリと開いた
洞窟の入り口。
その洞窟を塞ぐように、獣の牙のような尖った岩が地面から突き出ている。

「…ッ!?」
俺とリドが同時に武器を構える。
洞窟から、何かが出てくる気配がしたのだ。

「あと、一つの血が必要だ…」
そいつは言った。
岩の横に立つ影は、この場に不釣り合いな純白のスーツ。
やや、ずんぐりとした中年ジジイは、俺が見知ったボブ・テイラー
本人だった。

だが、その全身から立ち上る妙な気配は、さっきから辺りを漂う、嫌な
空気を凝縮したような、酷く凶々しいモノ。

違う。こいつは、俺が知ってるチンピラじゃない…


「ボブ…いったい何があった?」
短剣を構えたまま、リドとクリスを庇える位置へと移動する。
「何も。今も昔も、変わっちゃいないさ。トビーんトコの坊や」
ヤツは特に構えることも無く、隙だらけの格好で話し続ける。
その顔に笑みすら浮かべて。

「そうだな、昔話をしようか。今から、二十年は前になるか…。
私も冒険者として、鳴らした時代もあったのだよ。君の父親達と共にね」
親父達と…?
「確か、うちの親父とこいつらの親父達は旅仲間だったと聞いたが?」
「そう。君たちの父親と4人で組んでいた。…危険溢れる未開の山は、
若い私たちの心を、捉えた。神隠しの謎は、自分達が解いて見せる、
と無謀にもこの山へ踏み込んだのさ」

―そして見つけたのは古代の魔法陣。そこからは、迷い込んだ人間を
喰らい、力を付けた魔物が今や現われんとしていた。
適わないと悟った親父達は、強力な封印を施し、この場を去ったという―

「だが、そいつは私に囁きかけたのさ。そいつの解放と共に富を
約束するってな」
「へぇー。で、そのお約束なお誘いに乗っちまった、と。その手の話で、
美味しい思いした奴、居ないぜ〜?」
「そんな事は無いさ。現に私は力を手に入れた。この力があれば
なんだって出来る!」
ボブが腕を振ると、光が一閃し、谷底に転がる岩の一つが砕け散る。
あーあ、狂っちまってんな。高笑いとかしちゃって。
始めに甘い汁吸わせんの、詐欺の常套手段じゃん。



「あの場に居た4人の血により、封印は施された。解放にはその4人、
もしくはその血族の血液が必要だ」
「じゃあ僕の家を襲ったのは…」
押し殺した声が震えている。
「封印を解くためさ。それをトビーに感付かれてな。神出鬼没の
アイツが、自ら出て来てくれるんだから、手間が省けた」
親父も!?まさか…
「だから、君には用は無いんだよ、ぼうや。そこを退いてくれるかな」
「だーれが」
リドの家族は、皆亡くなったと聞いた。
狙いは…リド、か。
襲撃がなかったのはリドをここに来させる為…

ボブがにじり寄る。
その瞬間、何かが横を擦り抜ける。…って、またか!おい!!

「リド!!」

俺とクリスの声が重なる。
バサリとコートが投げられ、ボブの顔面にヒットする。
そのまま走り抜け、斬りかかるリド。
速い。が、その瞬間にボブから一筋の光が奔る。
少年の小さな体は光に貫かれ、剣と共に地に落ちた。
クリスが半狂乱でリドを呼ぶ。
一瞬肝が冷えたが、それでも必死に立ち上がろうとする姿に
少しホッとした。
しかし。

「飛び込んで来てくれるとは。本当ツイてるね。」
ぶつけられたコートを放り投げ、ボブが鼻歌混じりにリドを抱え上げる。
その右肩は、真っ赤に染まっていた。
「こんな変装までしたのに、残念だったね。お嬢さん」

へ?お嬢…?
間の抜けた俺の顔を見て、ボブが鼻で笑う。
「おや、知らなかったのかね?この子は、女の子だよ」
「ぅ…やめ…」
呻くリドのシャツを、ボブは強引に破る。
ボタンが弾け飛ぶ音がして、切り裂かれた肩があらわになる。
そして、サラシが巻かれ押し潰された胸、腹から腰へのなだらかなライン。
それは、確かに女の…

「く…くりす?」
思わず、背後の少年に振り返る。
「あ。えーと、そのぉー…後で説明するから。あんまり見ないで
あげてよね!」
否定無しっすか。あー…なんかパニクってきた。
でも、今はそれどころじゃない。
こっちの動揺を余所に、ボブはリドを抱えたまま牙のような岩に
近づいていく。
そして、リドの肩から流れ落ちる鮮血をその根元に落とし、何かを呟く。

―パンッ…―

意外と軽い音を発てて岩が弾けた。

ゾクリ
悪寒が背中を這い上り、吐き気がする。


濃い瘴気に意識を失いそうになった時、クリスに腕を捕まれた。
「ホーク、僕の傍から離れないで!結界を張るから!」
目に見えない何かが広がり、吐き気が止まる。
「これは、魔物が出てくんのか?」
「たぶん。さっさと、父様の術を仕掛けたいんだけど…あの男が…」
ボブはリドを抱えたまま、洞窟の入り口につっ立っている。
「あのままじゃ、リドを巻き込んじゃう…」
苦しげに震えるリドが見える。
くっそー。俺が何か仕掛けても、リドを盾にする気らしい。
その時。
「ホォークーッ!!!!」
俺にとっちゃ、聞き慣れたダミ声が響き渡る。
反射的に走りだすと、上方より飛来した矢が、ボブの額に命中する。
グラリと揺れた体から、リドを奪取。
そのまま、奴に蹴を入れながら、横に思い切り跳ぶ。
くそ、またクラクラして来た。ヤバい…
瞬間、赤い光が辺りを照らした。激しい爆音が続く。
砕かれた石がつぶてとなり、跳ね回る。
もはや意識を失ってるリドを庇い、伏せて静かになるのを待った。

やがて光が止む。
顔を上げると、さっきまでの様な静けさが戻っていた。
但し、妙な気味の悪さは無く、広がるのは両側の絶壁に薄明かり差す、
神秘的な風景だった。

「リディー…っ!ホーク、リディはっ」
クリスが駆け寄ってくる。リディ…が本名なのか?
リドを抱き起こすが、意識を失ったまま微かな呼吸を繰り返すだけ。
血を流しすぎたのかも知れない。その肌は青ざめて見えた。
「リディ…リディッ!」
クリスが治癒の魔術を発動させる。
今は任せるしか無い。
俺は、少し離れて立ち上がる。

「親父、居るんだろ?」
呼ぶと、5m程頭上の岩棚から、ボブより遥かにずんぐりむっくりな
うちの親父が落ちて…もとい、飛び降りてきた。
うわー、ここ岩場なのに…
「足痛そー。なにカッコつけてんだ、このジジイ」
「おい、思ってる事、そのまま口に出てるぞ」
あ、しまった。(棒読)
「生きてたんだな。残念。」
「そう、簡単にくたばるかよ。まあ、ちぃとばかし帰るのが遅れたがな…」
まったくだ。
と、クリスがおもむろに立ち上がる。
「ホーク…リディの顔色が戻らない…。急いで帰るよ」
ああ、と返事をしかけた瞬間。ぐにゃりと、風景が歪んだ。

気が付くと、親父が消え、俺達は見慣れた我が家の前に立っていた。
「へ?え?何が起った!?」
「空間、歪めて、跳んだ…。ゴメン、後、お願い…」
え、空間歪めて…って、大技じゃないのか!?
「おい!」
クリスまで真っ青になって、倒れこんでしまう。

騒がしさに駆け付けたローズに、慌てて医者を呼んでもらった。

…一件落着…かな。はぁ。


―親父達はその昔、この山の魔物を封印した後、解散する事となる。

この山の危険性を、充分理解していたクリスの父、レオンは退魔の研究を、
親父はここに居を構え、山を見張り続けていた。(ほとんど留守
だったくせに)
リドの父、ペルジオは平和に農家を営んでいたらしいが、武術訓練は
怠らなかったとか。

そして…一人。魔物の声に耳を傾け、暗躍していたのがボブだった。
強請りだなんだとする傍ら、親父の目を盗んでは山に入り込み、
誘拐した人間を、魔物の贄としていたらしい。

医者を見送った後、山から戻って来た親父と、三人で事の顛末を話す。

「リドちゃん、女の子だったんだね」
「ショックか?お前、リドがお気に入りだったろー」
「まあね。でも、それはそれでカッコイイじゃない?憧れちゃうな〜」
………。将来、ローズが間違った道に入ったら、責任取ってもらおう。

親父がぽつりと零す。
「昔、ツァーザビル周辺にゃ、セコい盗賊団がいてな。」
…確か、クリス達の故郷の村だ。
「近くの町に行商に行った奴らが、被害に合っていた。
それをペルジオが、痛め付けてやったらしいが、その逆恨みでな…
リディ嬢ちゃんは、家族を亡くしたのさ。」
そして、ボブから守るって意味も含めて、クリスの家、ノーア家で
保護されたらしい。

「人生で二度も家族を失うなんて、辛すぎるだろう…?」
親父は、ボブのノーア家襲撃を嗅ぎつけ、急いで奴らを追い…結局、返り打ちにされた訳だが。
寸でのところで川に飛び込み、逃げたそうな。
……助かったのは、きっと立派な脂肪の所為だ。間違いない。

そして、そういった一連の事件は俺達、子供に
多くを語る事無く過ぎ行き、今に至ったのだ。

「そうだ、コレ。拾ってきたんだ。嬢ちゃんに渡しておいてくれ」

差し出されたのは、リドの剣だった。
「確か、嬢ちゃんの爺さんが、あの子のために選んだヤツだ。
大切なモンだろう。」
俺がそれを受け取る。
「さて、オレはそろそろ行くよ」
「えーっ、もう行っちゃうのー?」
「ま、イロイロ仕事も溜まってるしな。そのうちノンビリしに帰ってくるさ」
惜し気なローズの頭を軽く叩き、親父はまたどっかへ旅立った。

「クリスちゃん達の家族…皆、無事だといいね」
「ああ…」
あとは、アイツらを無事、家に戻すだけ…。


* * *
二人は眠り続けていた。
クリスは魔術の大技連発による疲労。リドは出血多量によるものらしいが、
リドは、クリスの治療のおかげで、回復は早いだろう、と医者は言ってた。

親父の部屋で眠るクリスを覗く。スースーと寝息をたてている。
客間のリドは…。こちらも、静かに寝ている。

下ろした長い髪。白い頬に、影を落とす長い睫毛。
その姿は紛れも無い女性で…戦ってる時の、やや猪突猛進気味の少年と
同一人物とは思えない。
男装してたのは追っ手の目を紛らす為、てなトコだろう。
俺達にも隠してたのは…やっぱ信用されてなかったのかな…。
こうして見ると、結構大人びて見える。

「……クリスっ!」
びっくりしたぁ〜。
いきなり叫んで、起き上がるんだもんな。
その声も既に、女性のものだった。
「…クリス…?」
目眩がするんだろう。頭を押さえて、ゆっくり視線をめぐらす。
そして、目が合った。
…何か気まずい。
「よ、よお…大丈夫か?えーと…リ、リディ?」
「あ…う、うん」
向こうもバツが悪そうに俯く。
「クリスはまだ寝てる。命に別状はないよ。頑張りすぎて、疲れた
みたいだ。リディも丸一日寝てたんだぜ?」
な、なんか、女だと思うと緊張する…。へたれだな、俺。
「あ、あの…私…」
必死に何かを喋ろうとするが、混乱してるみたいだ。
今にも泣きそうな顔になる。
やっべぇ、可愛い。
小生意気なリドの欠片も見えない、おとなしそうな女の子。
今まで縁が無かったタイプで、どうしたらいいのか判らない。
「あ〜、今はいいから休んどけよ。食欲はあるか?スープ作ってあるから、
いつでも言えよ。取り敢えず、ローズ呼んでくるわ。なんかあったら
アイツに言え。じゃ」
一気にまくしたてて、部屋をでる。
ええい、後はローズに丸投げしてやるっ!

* * *
夜、部屋でのんびりしてると、ノックの音が聞こえた。

「………ッ!?」
鼻血吹くかと。扉を開けると、そこにはリド…いや、リディが立っていた。
着ているのは俺の寝巻。
…着替えが見当たらなかったから、ローズが適当に着せたんだよな…
俺の寝巻は、リディには当然デカ過ぎて…
肩も袖も、幅は余ってるし、ズボンの裾なんか折ってあっても、
引きずってるし…
あの、かわいーんですけど。



「あの、少しお話ししても、いい?」
真っすぐ目を見られる。
「あ、ああ…」
そして、俺はリディを部屋に招き入れ………
て、いいのか!?いいのか、俺!
しかし、なんか不安気な視線を受けると追い返せない。
…てか、そんな格好で男の部屋に入っちゃいかんって…。

「その辺、適当に座れよ」
「うん」
嬉しさと辛さで混乱したまま、俺は絨毯の上にあぐらをかく。
リディも向かい合うような位置に、正座する。…その姿勢は素か。
やっぱ、男らすぃー。

「リディってのが、本名?」
沈黙はヤバい気がして、俺から喋りだす。
「アイリーディアていうの。皆にはリディって呼ばれてる」
「へ〜…あ、そうだ、コレ」
親父から預かった、剣を差し出す。
「これ…!持ってきてくれたの?」
「親父がな。帰りも、あった方がいいだろ?」
「…ありがとう…」
嬉しそうに剣を抱えて微笑む。
「や、俺は何にもしてねーし…」
な、なんか照れる…
「あの時、助けに来てくれたのがトビーさん?」
捕まってた時の格好を思い出したのか、そう言う彼女の頬が
微かに赤い。…多分俺も、赤い。
「そう。覚えてた?さっさとまた出掛けちまったけどな」
「残念ね。でも、トビーさん、生きてて良かった。」
「ああ」
まあ、生きてたのは喜ぶべきかなあー。
と、整った顔に一瞬影が射す。
「私の家族ね、昔、野盗に殺されたの。だから、盗賊の類は大嫌いだった。
だから、あなたに酷い態度をとってしまって…ごめんなさい…」
「気にして無いよ」
それこそ仕方ないじゃないか。
「…本当に…ごめんなさい。こんな事に巻き込んだ上に騙してて…」
言葉が終わる頃には、すっかり俯いてしまった。
「気にすんなって!無関係だった訳ではないし…。あの『リド』が、
女の子だったのは驚いたけどな」
笑って言うと、リディがホッとしたような笑顔を返す。
あー…直視出来ない。
「ありがとう。怪我…してない?」
「すっげー元気だよ。こっちこそ、すまない。結局、二人が
こんな事になっちまって…」
実際けっこー悔しくて、床を見てしまう。
「そ、そんな、謝らないで。私達が勝手に、やったんだからっ」
慌てたように、リディが手を振る。
顔を上げると、目が合う。
「じゃ、お互い様、という事で」
と、言えば彼女に笑顔が戻り、俺はホッとする。
…なんか、コイツの笑顔、好きかもしれない…



もっと笑って欲しくて、話題を変える。
「クリスとは、幼馴染みつったっけ」
「ええ。あの子は4つも年下だけど、いつも一緒だった。
大切な友人で…家族だわ」

二人は結構なイタズラ者だったらしい。
森で迷ってたき火をし、ボヤ起こしかけたり、ヘビを捕まえて見せて、
クリスの母親を失神させたり…。
結構ワイルドだね、お嬢さん…。

イタズラの首謀者はリディだろ、とからかうと拗ねた様にそっぽを向く。
そんな様子が可笑しくて、思わず吹き出した。
「私は、森を探険するのが好きだっただけで、イタズラはクリスの専門よ。
私が男の子のフリしてたのだって、あの子が言い出した事なんだから。」
彼女達は、この町に来る途中の襲撃で、狙いはリディだと薄々感付いていた。
だから襲撃を避ける為に、クリスに言われて男装していたらしい。
「まぁ、動きやすかったから、良かったけど」
「そっかー、なかなか様になってたぜ。ローズなんか、惚れそうなくらい。」
「あはは…」
リディが苦笑する。

俺は、移り変わる彼女の表情をずっと見つめていた事に気付く。
夜も更けて、空気が冷たくなってきた。
そろそろ時間だな。

「冷えてきたな。もう、部屋に戻った方がいい。」
なるべく、何気なく切り出す。
「うん…」
返事はするが動こうとしない。
「傷、痛むのか?」
「ううん。傷はクリスのおかげで、完全に塞がってる。
…もうちょっと、ここに居ちゃ…駄目?」
ぐあ。俯き加減の上目遣いは天然ですか?落ち着け!落ち着くんだ、俺!
「じゃ、じゃあ茶、煎れてくるよ。寒いだろ?」
この場を離れろ。危険だ!(リディの身が)
立ち上がりかけた体がカクン、と止まる。
リディが俺のシャツの裾を掴んでいた。
少女は表情が見えないほど俯き、震える声で呟いた。
「いっちゃ、やだ…」

そのままリディの体が寄せられ、突然の出来事に俺はヘナヘナと
また座り込んでしまった。

「リ…ディ?」
折った袖から伸びた、細い腕。その先の小さな手が、俺の胸元を
ガッチリ掴む。
幅が余った寝巻の下の、薄い肩が震えている。
顔は俺の胸に埋められて見えない。
泣いてるのか…?
その肩に手を置くと、温もりと柔らかさが布越しに伝わってくる。



「終わったんだよね…全部…」
リディから吐き出される息で胸元が温かい。
「ああ、もう危険はねえさ。だから…」
部屋に戻れ、と言い掛けるのを小さな呟きが阻止した。
「…かったの。」
「ん?」
「恐かったの…おじ様達が、無事かもわからないし…」
「うん」
声も震えてる。
リディの頭を撫でてやると、彼女の腕が俺の背中に回される。
「…皆、死んじゃうかも、しれないって…」
張り詰めていた気が解け、押さえていた感情が暴走しているんだろう。
俺は相槌を打ち、話を聞いてやるしか出来ない。
「私…狙われてるって、知って…ホッとした。…また、一人に
なるなら、先に…死んじゃ…たかっ…た」
嗚咽が混じり始めた。
「もう、大丈夫だよ。クリスは無事だ。…それに、俺達だっているから」
「っ…ん…」
彼女は泣き続ける。

考えてみれば、実戦経験も無いような女の子が、ここまで戦ってきた
のはスゴい。
寄り添っていたクリスも優秀な魔術士とはいえ、彼女にとっては無事が
確認できる唯一の家族。
相当なプレッシャーだったろう。

頭を撫でていた手を、背中に下ろす。そっと抱き締めれば、
安心した様に体を預けてくる。

ヤバイヤバイヤバイ!
さっきから気になってはいたんだが…腹の上らへんに当たる、
やーらかい感触が…布一枚越しに…その…

「今日はもう寝ろよ」
泣き終わるまで、そばに居てやりたいが…そろそろ平静を装うのも限界。
不謹慎にも、下半身が重いです…。
「やだ。………迷惑?」
こ、コイツは自分の言ってること、判ってんでしょーか。
もはや、俺の理性を繋ぎ止めるのは、素人童貞である事実のみ!
(…なんか虚しい…)

「いや、迷惑なんかじゃ、全然。むしろ、迷惑かけるのは俺の方で…」
「……?」
不思議そうな顔で、俺を見上げる青い目は、紫を帯びた綺麗な色だった。
あぁ、こんな色だったんだ…気付かなかった。
つい、見つめてしまう。

あぁ〜っ、こうなりゃ、最後の賭けだ!

俺はリディの唇に、静かに自分のを重ねる。
お、押し倒してしまいたいが…が、我慢だ。

これで逃げてくれれば良いが、逃げなければもう止まり様が無い。
顔を離して目を開けると、涙渇ききらぬ瞳がが見開かれ、俺をじっと
みつめている。
そして、やっと状況に気付いたのか、顔を真っ赤にして、再び
俺の胸に押し当て、呟いた。
「いいよ…。迷惑かけても…」


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