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月下桜園4 (1)

◆ELbYMSfJXM氏


梅雨明け間近なこの時期が終われば颯爽と開く向日葵の鮮やかな季節がやって来る。
 その輝く笑顔を持ちながら白く眩しい肢体は覆い隠して過ごさなければならない理不尽さに
勝手な怒りともどかしさを感じるが、俺が苛立つのもおかしい話だ。
 実際に本当の姿で現われたら完全に蚊帳の外に追い払われると決まっている。
 ばしゃ。
「――!」
「どうした、君がよそ見なんて珍しい」
 水溜りに右足を突っ込んでズボンの裾が靴ごとびっしょりと濡れた。
 新珠は俺の左側を歩いていたので幸い巻き添えを食わずに済んだ。
「そんなに離れてるから濡れちゃうんだよ? 傘はひとつしかないのに、もっと傍に寄ってよ」
「男同士で寄り添っても気持ち悪いだけだ」
「そうだった。忘れてた」
「忘れるなよ……」
 まるで反省する様子も無く上目使いに柔らかく微笑む彼女に傘を掲げて歩き出す。



「あいつら堂々と二人で帰りやがって。公認カップルだな完全に」
「だからねえ……」
 帰り際に雨が降り始めて、傘を持たない雨宿松月に新珠燐が相合い傘に成功したという所?
 男子生徒が並んで下校してるだけなのに……、僕らだってそうじゃないか。誰もそんな邪推はしないよ。
 確かに体育祭が終わってから、あの二人を認める空気が何とはなしに流れている。
 授業の課題やクラス内のまとめ、新珠が一人で、もしくは個別での行動だったのが、
雨宿と互いに協力するようになって、流れが格段に良くなった。
 僕は……そっと、見守りたいんだ!そっと!
「またいい値で売れるぜ、あっはっは」
 最近の市原は二人のツーショット写真に命を懸けているのではと思うくらいだ。
 売る方も売る方だが買う女生徒達もどうかしてる……
 判断不能な周囲の思考回路に苦しみながら今一歩阻止する手をためらうのは、この状況を新珠が嫌がっていない事実に他ならない。
 それにこの邪推が歯止めになっているのか、これ以上の秘密に興味を持つ気はないらしい。
 最強最大のスクープの目くらましなら、やむを得ないのではないか。不甲斐ない状況を無理矢理納得させようとする。
 ああ、学園長に勘づかれませんように……、それだけが気がかりで悩みの種だ。
 実際は当に雷が落ちても不思議はないだけに、音沙汰がないのが怖すぎる。
「お、奥丁字?」
「何だよ」
 悩みの一端を担う相手につい声を荒げる。
「後ろ頭のここ……、ハゲてねえか?」
「えええっ! うわああああん!!!!」



 バイトから帰ってくる頃には雨は止み浅く点々とする水溜りを避けながら自転車を停めていると、
 一台の車が後ろを走って出て行った。……こんな時間まで来ている保護者? は珍しい。
 通り過ぎる間際に派手に水はねをしてくれてまたもやずぶぬれになりかける。
 風呂でざっと汗を流すと気を取り直してノート型PCを立ち上げる。
 ――着信音。
 新珠だ。
『制服乾いたから今から行くよ』
 夕方は夏服の右半分を上下共ずぶ濡れにして帰り着いたが一晩干しておけばまあいい。
 料金制だが食堂横の乾燥機を使う手もある。
 そう考えていたら「帰ってくるまでに任せて」と強引にひっぺ返された。一応玄関の内だったが……
「有り難う。……って、その当のシャツを着てくるな。意味無いだろ」
「すこーし生乾きだったから着たら乾くと思って」
「その事態ならアイロンを掛けるよ。そのまま脱いで帰るなよ」
「だから別のシャツを貸してよ、長袖がいいな」
 溜息を吐き言い返す事は取り止めてなるべく汚れていないものを見繕って渡すと、
早速着替え始めたので画面に集中する。

「雨宿、パソコン買ったんだ」
「借り物だよ。バイト代で生活しているのに買えるか。早晩山(いつかやま)さんの私物だな、色々弄ってある」
「いつかやまさん? 誰?」
「嶺先生の旦那。知らないか?」
「結婚してるなんて初耳だよ! 若くて仕事出来るけど恋愛には興味がないと思ってた」
 目をぱちくりさせて意外そうに覗き込んできて俺の腕を掴む。
「早晩山さんは虎尾教授の研究室メンバーでは若手のリーダーで嶺先生とは同級生なんだ」
「ふうん、そっか、結婚してたんだ……、そうなんだ。うん。へえー」
 妙に上機嫌で嬉しそうに繰り返している。理由は分からないが踊り出しそうな勢いだ。
「俺が知り合った頃は発表した論文が認められたらプロポーズすると公言していて、
『二十代で結婚出来なかったラ貴様ヲ殺ス』と脅迫されていたな、」
「え? 嶺先生って20代後半か、30歳そこそこだろう?」
「今年で35…………、
「うそ! 絶対そんな年には見えないよ!!」」
 ――新珠の様子に油断して墓穴を掘った。吐いたとバレたら千島医師と組んで殺されるな。
「今の言葉は忘れてくれ。俺の命が危なくなる」
 只ならぬ様子を察したのか女性同士年齢の件には敏感なのか、うん、と納得した風に頷いた。
 が、それも束の間、至近距離でにんまりと笑う彼女の口元から予想通りの言葉が紡がれる。
「それはものすごく困るよ。――だから、口止め料が欲しいな?」



「……ん、はぁ……、ぇ……っ」
 尚も続けようとする唇を引き離して断りを入れる。上気した顔が名残惜しい。
「制服は世話を掛けたな、明日の朝までに書き上げるから今日は相手に出来ない。御免な」
「ぼくに手伝えることはないの?」
 残念そうな甘えた瞳で見上げて未練を引きずるだけで無く、とんでもない格好で居る事に今更思い当たった。
 男物のシャツは痩せた俺の物とはいえ彼女にはやや余り、袖口から細い指が覗いている。
 胸のボタンを一応止めてはいるものの先刻所々触れた柔らかい感触は明らかに生乳だ。
で、何故また生脚なんだ? 先刻脱いだままか? その下はいくら何でも履いているよな?
 裾から伸びる太股や見えそうで見えない部分へうっかり誘われてしまえば終わりだ。
 眼前の課題より難題を出してどういうつもりだ、阿呆。
「頑張れと言ってくれるか。上手くいけば教授に紹介する」
 振り切る為に一度深呼吸をし改めて答える。
 俺の様子をじっと見つめていた新珠はおそらく彼女に出来得る最善の眼差しで応えてくれた。
「――ん、……頑張って。雨宿なら、出来るよ。
 その言葉と笑顔で、俺は、「…………ぼく、帰らないから。今日は……したいんだ。だから待ってる」
「……っ!?」
「急がないと寝ちゃうからな!」
 言い捨てるとベッドで薄手の毛布に頭からくるまって丸くなったまま動かない。
「…………、
 発情期じゃ無いんだからよ……」
 思わずぐったりと頭を抱えた。顔に火が点いてあやうく良からぬ言葉を叫んでしまいそうだ、
新珠、お前なぁ……分かってるのか、自分が何を言ったのか。

 PCとデータを渡されたのが29時間前、確認や論点の絞りに手が掛かって、残り8時間で上げて嶺先生に渡すのが条件だ。
『高遠(たかと)から預かり物ダ。
夏休み中の空き時間に研究室に来るのハ構わないがネ、雑用でも使い物にならない、デハ困るんだヨ。
その気があるナラ、この件について書いてくるんだネ』
『これを?』
『卯月 楊が7年前に造った案件だよ。楽しみにシテル』
 PCに向き直りキーを打ち始める。



 Enterキーを押して完成、ファイルを閉じる。4時37分。
 脳内ではまだ単語や繋がらない文章が巡って収まってくれる様子は無い。
 コンタクトを外して目を洗い眼鏡に掛け直すと椅子にもたれてようやく息を吐いた。
「あ、ま……やど……」
 ぎょっとして振り向くと人のベッドの上で平和に熟睡する新珠が目に入る。寝言か。
 羽織っていた毛布も何処へやら相変わらず素晴らしい寝相で目の毒だ。
 ボタンはいつの間にか二つ三つ外れ胸の谷間は丸分かりで、呼吸に合わせ小さく揺れている。
 見事にはだけた下半身はショーツの皺まで確認できる。
「んっ……あ……」
 悩ましげに身をよじり唇が開く。脚を摺り合わせて、やらしい夢でも見ているのか……
 したいと言っていたからな。
 …………
 頭は興奮してもうこの時間から眠れる筈も無い、期に乗じて悪戯させて貰う事にする。

 ぎし、とベッドが軋む音や彼女の上に形作られる自分の影に後ろめたさを感じつつも、
閉じた瞼にキスを落とし規則的な小さな寝息を頬に感じながら掌で体中をそっと愛おしむ。
 目を覚ます気配は無い。
 脇腹をさすり上げる様に撫であげてそのまま二つの膨らみに辿り着く。
 大きく開いた襟元から揉み込む自分の指が見え隠れする。
 彼女の息はほとんど変化は無いが掌の下はじわりと汗ばみ突起を軽く弄るとあっけなく固くなった。
「ふぁ……ぁ……っ」
 声が漏れ一瞬動きを止めるがそれきりだ。右胸を露出させ吸い上げるとぴくりと反応する。
 べっとりと濡れるまで幾度も胸全体を埋めるように舐める。
 唾液と彼女の寝汗と体の匂いが立ち、水音に似た淫靡な音が聞こえ始める。
 幾分荒くなった様に感じる呼吸に密かに弁解すると、下着を脱がせた。
 片方の足首に引っ掛けたままで押し開く。奥に軽く触れると既に濡れて露が光る。
 そのまま指を割れ目に沿ってなぞり上げると、みるみる膨らむ花芯を剥いて爪先でつつく。
「あ……ぁ、ん……」
 切ない吐息は夢か現実か。やや紅潮しただけの何も知らない寝顔と裏腹に熟れた秘所は俺に弄られてひくついている。
 気付かれたら怒るか拗ねるか、もう少し強く掻き回してやるか、胸や耳を噛んでやるのもいい。
 溢れる愛液は繁みを伝い、へその付近まで流れている。舐め取ってやりながら尖る胸の蕾を摘んで潰した。
「んん……っ!」
 体が跳ねたが覚醒するまでには至らない。
 意識の無い彼女とする……興味はあったが、俺はやはり直に反応を返す新珠がいい。

「おい、起きろよ……、するんだろ?」
 なるべく優しく囁きながら再び桜色の突起を挟み強めにこね回し荒々しく中を指の腹で擦りつける。
「……はぁ……、っ、や……あっ!」
 息を吐きながら体をよじり表情を歪める。あと少しか。
「新珠……、……だよ……」
 耳の奥を舐めながら聞こえない呟きを伝える。声には出していないはずなのに一瞬体が強張った。
「あ……、は……ぁ、……あん、……あま……や、ど……?」
 イッた後のような蕩けた瞳を覗かせて呼吸をゆっくりと繰り返した。わざと意地悪く嗤って返事をする。
「夢のなか、気持ちよかったか?」
「…………?……え……、?」
 まだ焦点がぼやけて判っていない。本当にイッたんじゃ無いだろうな。
 左手に残る蜜を伸ばして糸を引かせて見せつけながら、右手で彼女の手を取って足の間へ誘う。
熱く溶けた自らの部分に触れさせて、くちゅりと蜜壺の音を響かせる。
「寝てる間にこんなにするなんて、やらしいな。相当激しかった?」
「!! や、ばか! 違うっ!」
 正気に戻った彼女は出来る最大限の力で俺を突き放してベッドの端へ逃げた。
 狼狽と羞恥とまだ残っているだろう快感の名残で最大級に全身を紅くして。



「き、君がしたん、だろっ? ……あ、パンツこんなにしてっ、えっち! すけべ! へ、変態っ!」
「……したいって言っただろ……、つっ、……本気で突き飛ばしたなー、痛っ……」
 椅子の脚で頭を打った。ベッドの上から飛ばしすぎだろお前。
「一人でヘンなことするからだよっ! 馬鹿馬鹿! 二人でしたかったのにっ、もう知らないっ」
 頬を膨らませて怒る様子が余りに可愛くて、つい笑いを零すと蛸の様にますます膨れた。
「ぼくは、怒ってるんだよ?」
「そうだな、頭の上に角が見えるよ。これは怖い」
「〜〜〜〜〜〜、早く謝らないと、本当に知らないから」
「ゴメンナサイモウシマセン。…………ああ、分かった。御免な、これきりだよ」
 口を尖らせて泣き出す寸前にまで拗ねた新珠に白旗を揚げて、ベッドに乗り上げると抱きついてくる。
「忘れさせないで、君を……」
「?、どういう……」
 互いの答えは塞ぎ合った唇の中に消えた。

 既に火が点いていた彼女の躰は少し優しく舐るだけで熱っぽく香る。
そんな自分の痴態に翻弄されて戸惑う姿が余りにも蠱惑的で劣情が増す。
「やぁ、はぁんっ、だめ、そんなのっ、……あぁん、はや……早くぅ……っ、もう」
 形の良い胸を弄びながら弾き蜜を啜りながら転がす。その都度淫らに声を上げ体が跳ねる。
 俺の愛撫を全身で感じて悦んでくれるのを目の前にして、やはりかなわない。
 がちがちに硬く反り返って今かと主張する俺のものを両手の平で包んで上下にさすられる。
 彼女の奥にまで入れた中指を折って襞の間を撫でる様に刺激しながら人差し指で入り口を小刻みに擦る。
 お互い相手がどうすれば悦ぶか知っている。向かい合わせに座り性器を弄り合って快楽に堕ちていく様子に、
恥ずかしさを誤魔化そうと口腔を貪り合う。
「あ、あふん……っ、……ぁ、して……き、てぇ……っ、」
 待ちきれず細い指で握ったまま柔肉の奥へ導こうとするのを制す。
「ちょ、待ってくれっ、もう生は駄目だと、」
「いいよ、このまま、して……」
 潤んだ瞳と半開きの唇で請われてごくりと唾を呑みこむ。以前の甘美な麻薬が甦り、彼女の手の中で
あの記憶に震えて爆発しそうだ。ああ、そのほうがいいかも知れない……
「違うだろ、……そ、そう、新珠、お前が着けてくれよ」
「ん…………、…………わかったよ……」
 切ない瞳を見ないようにして、たどたどしい手つきで装着してもらいながら、
罪悪感ともどかしく触れる指先に度々なけなしの理性を反故にされそうになる。




「これで、いいよ、ね……?ああ、もう……待てないよぉ……」
 恍惚とした表情で貫かれる期待におののきながら蜜の溢れる場所を自ら進んで指で広げて迎い入れた。
 中に押し入って拓いていくと同時に飲み込まれる感覚。
 この一緒になる瞬間の甘さと火花が散りそうな昂揚は何度抱いても修まることはないだろう。
「はっ、はあ、ああぁ、あついの、ぁあっ、」
 言葉より正直に合わさった部分から熱く煽動され、ただ求める事しか考えられなくなる。
 抱き合って密着しているせいで新珠の指や吐息、しなる身体の一つ一つが高みへと誘う。
 腰を抱えて突き上げると合わせて全身がびくびくと胸同士が擦れ合う。
「あっ、あっ、あっ、あは、っ、あん、あ、あま、やどぉ……っ」
「……はぁ、……っ、新、珠……?」
 上下に動く衝撃と汗で首に回した腕が外れそうになるのを今一度掴み直して涙声混じりに喘ぐ。
「も、う、だめぇ……、いきそう……、いっちゃ、う……っ」
 必死にしがみつきながら腰を揺らして自分でもより悦楽を求める。
 呼応して首筋に感じる荒い息と粘る水音に伴われて遠くない頂点へ追い上げられる。
「いっしょ、に、いって……、いきたい……っ、あああぁぁ、あ、だめ、あぁああぁぁっ、」
 激しく抽送を繰り返し襲ってくる締め付けは互いの意識を麻痺させていく。
 彼女の内側から細かい痙攣が始まる。
「ああぁぁ、あ、あまやどっ、いくぅっ、いくよぉっっ! 」
「俺も、だ……、新、珠……っ!」
 熱い海の中で強く搾り取るように錯覚する収縮の波に攫われ、背筋を駈け昇る甘い痺れに任せて、
堪えきれなくなった熱情を放った。
 その度に力を失った彼女の体が、俺の腕の中でがくがくと揺れる。
「あ……、感じる……っ、いま、……はぁっ、……ぼくも……、嬉しい……」
顔を擦り寄せて冷めやらぬ熱に浮かれた息をしながら嬉しそうに呟く彼女を愛おしく抱き締めた。
「気は済んだか?」
「――ん、……忘れない……」
目を伏せて胸元で囁く声にまた違和感がした。



 薄く空が白み始めている。自業自得だが認識すると眠気が襲ってくる。
 欠伸をして溜息を吐くと横でくすっと首をすくめた。
「課題は出来た?」
「お陰様でこうして夜明け前に終わったよ。……有り難う」
「頑張ったのは君だよ? お礼は自分自身に言わなきゃね」
 ちゅ、と頬にキスをされる。
 ……無性に、顔が火照り背中がむず痒く落ち着かない。先刻より激しく動悸が耳内に響く。
「新珠……」
 隠していた言葉が漏れそうになる。

「そうだ」
 新珠は髪を結んでいる赤い紐を解いて軽く頭を払った。
 広がる刹那に肩にさらさらと振り落ちる絹糸は途端に雰囲気を息を呑む美少女へと一変させる。
「シャツの代わりに、あげるよ」
 俺の左手首に一巻きして蝶々結びにする。
「……糸なら、いいのにな」
 微かな声で良く聞き取れなかったが、そう呟いた気がした。
「新珠?」
「ねえ、ぼくがもし女の子の格好だったら、相手をしてくれた?」
「っ…………」
 何故か一瞬返事に詰まる。唇を噛む俺の戸惑いは咄嗟に彼女にも伝わった。
「あはは、そうだよね。……だけどね、こんな風にこっそり会うんじゃなくて、堂々とキスしたり、
手を繋いだり、したい時に抱き合ったり出来たのかな、……普通に」
 様子が変だ。部屋に来た時から何処か空元気で無理をしている様に見えた。
かと思えばやたらと絡んでくる。別れた夕方から夜までに何かあったのか。
「俺とお前が普通だと思えば、これが普通なんだ」
 縋り付く瞳をした彼女にかろうじて絞り出すように答えるが、言うべき事は違うと繰り返し警告が脳内を走る。
 だが目の前の美少女に対してどうしても語句が告げられない。
「寮にね、……いられなくなったんだ。父様が来て、母様の具合が悪いって言われたんだ。
せっかく羽を伸ばせたのに悔しいけど、心配だから後悔したくないから、戻ることにする」
「――――!」
 からりと表情を変えて明るく一息で喋ってしまうとその艶やかなベールを翻して去っていく。
「じゃあね」
 彼女に答える間も無く送ってしまった自分に、胸の中でまた機はあると言い訳をした。
 こうして体を重ねる機会は無くなっても、結果を出し自分自身に納得出来てからでも、遅くない。
 時は流れていくものとは、まだ他人事に考えていた。



「転校生が来るんだってなぁー、職員室の前通ったら話してた」
「高3の夏休み間際に奇特な奴だな。進路はどうするんだ?」
「男かー、女かー、って、はい。3年なら男だよな。つまんね。潤いがほしーよ」
 朝課外の後にもたらされた季節外れの話題で、1時限前の短い休み時間は否応にも盛り上がっていた。
 俺は眉間を押さえて眠気を堪えつつ訳有りの生徒でも受け入れてくれる校風故の事だと一蹴する。
「新珠、奥丁字、学園長から聞いてねーのかあ、どーゆー奴なんかよー」
「ぼくはここでは皆と同じ一生徒だからね、市原、君の勘のほうが詳しいかもしれないね」
 数時間前の秘事を悟られない様互いに普段の振りで受け答えて流す。
「すかした色男としかわかんねーな」
「やっぱり君はっ、どこで見たんだよっ!、…………あ」
 口を滑らせたらしい奥丁字を俺を含め三人一斉に凝視する。
「衣黄? 誰のことを言って、」
 立ち上がって訝しげに眉をひそめて問い詰めようとする新珠に、及び腰で焦って両手を振っている。
「僕も今朝聞いてびっくりしてるんだ。まさか、……」
 言い掛けた矢先に江戸先生が入って来る、クラス中がその後に続いて現れた人物を注視した。
 背は高く180cmは越えている。やや彫りが深く陽に焼けた顔や締まった腕はいかにも好青年で、
爽やかなスポーツマンの印象を与える。
「今日から皆の仲間になる〜、秩父高砂君だ」
「秩父です。卒業まで半年ほどの短い間ですが、よろしくお願いします」
 低く落ち着いた声で挨拶をすると一瞬の沈黙の後にざわめきや囁き声が教室全体に木霊する中で、
声も出さず身じろぎもせずに見つめている、時を止めた存在があった。
 斜め後ろからの視線でも彼女の驚き様は感じ取る事が出来た。
 秩父高砂は新珠の存在を認めて目を細めると明らかに彼女だけに向かって笑いかけた。

「燐、戻ってきたよ。きみに会いにきた」


「――――高砂。」
 一層どよめく外野の声など全く介せず、新珠は小さく呟き金縛りが解けた様に肩の力を抜いて、
右手の二の腕にそっと手をやった。
 二人の間だけを流れる空気を目の当たりに嫌という程感じて俺は軽い目眩を覚えた。


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