Lovers

 ぱちりと目を開けた薪は、至近距離で青木と見つめ合う形になった。そうしている間にもチャイムはしきりに鳴らされている。まるで早く出ろと言わんばかりに。
 薪はため息をついて恋人の腕から離れた。そしてリビングの壁に据え付けられたインターフォンの所に行く。
 だが映像で確認するまでもなく、薪には訪問者のおおよその見当がついていた。チャイムはマンションのエントランスからではなく、すぐそこ、家の真ん前で鳴らされている。こんなことができる知り合いは数えるほどもいない。一人は目の前の恋人で、一人は無二の親友。そして可能性は下がるが、あともう一人──。
 通話スイッチを入れると、相手に「少しだけ時間をください」と伝え、彼は寝室に着替えに行った。

 応対に出た薪を待ちかまえていたのは、堂々たる仁王立ちのポーズだった。おはようの挨拶もなく、彼女は開口一番にこう言った。

「克洋君、いる?」

 一応語尾を疑問形にしているものの、それは問いかけではなく完全なる断定だった。薪はげんなりしながら、彼女を玄関に引き入れる。
「……こんな朝っぱらからどうしたんです、雪子さん。鈴木がいなくなったってことですか?」
「白々しい。隠したって無駄よ。彼がここにいるのは分かってるんだからね」
「隠してません。鈴木はうちにはいませんよ」
「今出てくるまでに、随分時間がかかってたみたいだけど?」
「そりゃ男の一人暮らしですから。女性の前に出るのに、色々と支度が必要だったんですよ」
 まさか下着を履いていましたなどと本当のことを言うわけにもいかず、薪は適当な理由をでっちあげる。が、残念ながら彼女の心には届かなかったようだ。薪に疑いの眼差しを向けたまま、雪子は玄関の床を指さす。
「じゃあ、そこのそれはどう説明をつけるつもり?」
 彼女は何を言っているのだろう。薪が怪訝に思いながら足下を見ると、そこには薪のものより一回り大きい男物の靴があった。なるほど、態度が軟化しないわけである。
「つよし君。あなたの靴のサイズ、いくつだったかしら。教えてもらえる?」
「いえ、これはあいつの靴ではなくてですね……」
「あら、こんなに明白な物的証拠を突きつけられたのに、まだ言い逃れするつもり? それとも他人を一切プライベートに立ち入らせないあなたが、克洋君以外の人間を自宅に上げたとでも言うの? 二十九センチの靴なんて、警察でもそうそう珍しいサイズだと思うけど、すごい偶然ね」
 雪子はそう言うが、この靴のサイズは正しくは二十九センチではなく、二十九.五センチなのだ。もっともそれを彼女に伝えた所で、納得してもらえるとも思えなかった。靴はその形によって多少の誤差が出る。〇.五センチ程度では、靴の持ち主を別人と証明するのには弱いかもしれない。「じゃあその持ち主を出してみろ」なんて展開になっては藪蛇である。
 雪子が部屋の奥に向かって声を張り上げる。
「そういうわけだから、克洋君、いい加減出てきなさい。どうせ私たちの会話を聞いてるんでしょ。いつまでもこんなところで騒いでたらつよし君に迷惑だと思わない? あんまり往生際が悪いようならこっちから踏み込むわよ。それでもいいの?」
 とんでもない話である。薪は慌てて彼女の前に立ち塞がった。
 雪子がなぜこんな思い違いをしているのかは分からないが、断固として彼女を家に上げるわけにはいかなかった。
「雪子さん、落ち着いてください。本当に鈴木はここにはいないんです。考えてみてください。僕がつまらない嘘をついてまであいつを庇うと思いますか? 面倒事を持ち込むなって、喜んであいつを叩き出しますよ」
 薪はなんとか説得を試みる。だが雪子は悲しげな目つきになって、首を横に振るだけだった。
「ねえ、つよし君。私たちもう何年の付き合いになると思っているの? あなたは私を克洋君の添え物のパセリぐらいにしか思っていないのかもしれないけど、私だって馬鹿じゃないんだから、あなたが嘘をついているかどうかぐらい見極めはつくわ。あなたは何かを隠している」
 ズバリと言い当てられて、薪は絶句する。どうして女性というものはこうも鋭いのだろう。いや、彼女個人を称えるべきか。雪子の観察眼が優れていることを、薪も認めざるを得なかった。
 もし本当にこの場に親友がいたのなら、薪は喜んで彼を差し出しただろう。だがない袖はどうしたって振れない。ならばいっそ「この奥にいるのはあなたの恋人ではありません。僕の恋人なんです」とぶちまけてやろうか。いや、刑法の一三〇条に従って、彼女を不法侵入の現行犯で逮捕するのが警察官としての正しいありようなのかもしれない。
 切羽詰まったあまりに、脳裏に過激な案がよぎった時だった。
 ふと雪子の視線が、薪の背後に流れた。そして突き刺さるようだった彼女の瞳が、丸く見開かれる。それだけで、薪は彼女が何を見たのかを理解した。
 我慢しきれずに、とうとう奥から出てきてしまったのだろう。これほど長い間言い争っていれば、彼が心配して様子を見に来るのは仕方ないことであった。そもそも靴が見つかった時点で、シラを切りとおすことは不可能だったのかもしれない。
 薪が後ろを振り返ると、昨夜の服を着た青木が申し訳なさそうに佇んでいた。
「あなた確か、第九の……ええと」
「青木です」
 そう言って青木がぺこりと頭を下げる。雪子が困惑したように薪を見る。彼女の目は「つよし君、これはどういうこと?」と尋ねていた。
 薪は腕組みし、何度も繰り返した言葉をもう一度彼女に告げる。
「見た通りです。ここには鈴木はいません。いるのはこの青木だけです。まあその……うちでいろいろありまして」
「いろいろって?」
「すいませんが、詳しくお話しするのは控えさせてください。そちらには関係のない話なので。とにかく、やむを得ない突発的事由により、彼を家に泊めてやることになったんですよ。靴はもちろん彼の物です。この身長ですから、疑問はないでしょう?」
 嘘はついていない。昨晩のことは元々予定にあったことではなく、青木に「家に行ってもいいですか?」とせがまれて、断れなかったというのが突発的事由である。しかし薪はあえて誤解されるような言い方をした。仕事の時のように彼女を「そちら」と呼ぶことで、青木を家に泊めた理由を仕事絡みだと、暗に匂わせたのだ。もっとも、公務員である薪が一体どんな仕事上の理由で部下を家に泊まらせる羽目になるのかは、薪自身も分からないのだが。
 雪子はぽかんと青木を見上げている。薪が靴を拾って裏面のサイズを見せてやると、彼女は口に手を当てて、「あらやだ」と小さくこぼした。

 雪子は「迷惑をかけてごめんなさい」と自分の非を認め、大人しく帰っていった。
「くれぐれも田城所長にはご内密に」
 別れ際、薪はそう念を推した。これで今回の一件が仕事関係なのだと印象付けられたらいいのだが。
 薪は彼女をエレベーターの所まで見送り、部屋に引き返した。青木は玄関で自分を待っていた。
「三好先生はお帰りになりましたか?」
「ああ」
「仕事でお会いする時の姿しか知らなかったので、びっくりしました。案外パワフルな方だったんですね」
「いや、確かにああいう激しい一面を持ち合わせていることは否定しないが、基本的には彼女は聡明な人だ。なぜあんなに頑なに、鈴木がここにいると思い込んでいたのか分からない」
「そうなんですか」
「それにしても雪子さんをあそこまで怒らせるなんて、あいつは一体何をしたんだ? まさか浮気でもした、の、か……」
 リビングに入ろうとしていた薪は、ドアノブに手をかけたところで、ぴたりと動きを止めた。そのままの姿勢で固まってしまう。
「薪さん?」
 青木が声をかけても、何も反応を示さない。虚空の一点をじっと見つめている。
 一体どうしたのだろうと青木がおろおろしていると、薪は回れ右をして玄関に戻った。そして何を思ったか、靴箱の前にしゃがみこんで、ゴソゴソと中を探っている。
 やがて彼は一番下の段で何かを見つけたらしい。眉間にしわを寄せながら、奥の方に腕を突っ込んで、ゆっくりと引き抜いた。
 その手が掴んでいるものを見て、青木は「あっ」と声を上げる。
「薪さん、これってもしかして……」
 薪は憮然とした表情で頷く。

 彼の手にあったのは、二十九センチの男物の靴だった。

コメント

kahoriさん

薪さんと青木君の関係は、鈴木にだけバレてて雪子さんは知らないんですね?
薪さんならオフィスラブは鉄壁の仮面で隠し通せるでしょうけど、
鈴木に勘付かれたのは青木君のせいでしょうか。
それにしても雪子さんの剣幕&呼鈴連打コワイ(笑)
鈴木怒られてばっかりですが何やらかしたのかすっごい気になりますv


> 薪さんと青木君の関係は、鈴木にだけバレてて雪子さんは知らないんですね?
> 薪さんならオフィスラブは鉄壁の仮面で隠し通せるでしょうけど、
> 鈴木に勘付かれたのは青木君のせいでしょうか。

今のところそんな感じですねー。
鈴木に二人の関係がバレることになったきっかけは
今回のひとつ前のエピソードで描く予定なので、それまでお待ちください。
今私から言えるのは、このシリーズのギャグ担当が薪さんだということぐらいです!(マジか)

> それにしても雪子さんの剣幕&呼鈴連打コワイ(笑)
> 鈴木怒られてばっかりですが何やらかしたのかすっごい気になりますv

その辺も今後詳しく描く予定です。
雪子さんは理不尽なことで怒る人じゃないと思うので、
それなりのことをやらかしたんではないでしょーか?笑
いえいえ、嘘です。そんなたいしたことじゃありません。鈴木もいい人ですし。
でも、この時間軸の二人にとってはたいしたこと……かも?

 

なみたろうさん

毎度しつこくすみません。更新チェック、日課なもので。
えっえっ何?まさか鉢合わせ?いたの?克洋くん(笑)いつから?
薪さんが服着ちゃって残念です( ;∀;)
さっき爪先立ちして青木の首にぶら下がった時、
パジャマの上持ち上がって下半身が大変なことになってましたよね( ☆∀☆)

> 毎度しつこくすみません。更新チェック、日課なもので。

日課にしてもらえて光栄です^^
なみたろうさん専用のお席を用意してるような気持ちでお待ちしてますね。

> えっえっ何?まさか鉢合わせ?いたの?克洋くん(笑)いつから?

さあ、どうなんでしょう?笑
そう思って1話を読み返すと、なかなか面白い状況になってると思いません?

> さっき爪先立ちして青木の首にぶら下がった時、
> パジャマの上持ち上がって下半身が大変なことになってましたよね( ☆∀☆)

そこに気づかれるとはなみたろうさん、さすがです☆
あの時青木の手は律儀に、薪さんの腰から上にありましてですね、
(奴には上司のおしりを痴漢するという発想がありませんでした)
最後まで薪さんがノーパンだったことに気づかずじまいだったんですよ。
もし気づいてたら……朝から大変なことになってたでしょうね(笑)。

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可