Lovers

 くしゅん、と小さなくしゃみをして、薪は目を覚ました。
「ん……」
 布団からはみ出た肩がぶるりと震える。薪は首元に布団を引き寄せながら寝返りを打った。
 すると彼は、腰回りがどこか心もとないことに気づいた。いや、腰だけではない。肩も背中も脚も、全身の肌がベッドシーツに直に触れている。几帳面な彼にしては珍しいことに、裸で眠ってしまったようだった。
 なぜこんな事態になったのか思い出そうとするが、寝起きのせいで頭がうまく回らない。そして寝返りを二回打って、ようやく薪は原因に思い当たった。そうだ、昨夜は恋人と久しぶりのデートだったのだ──。
 仕事帰りに彼とこっそり所外で待ち合わせし、一緒に帰宅して食事をした。と言っても薪が外食を好まないので、いつも通り自宅での手料理である。
 長い独身生活でそれなりに腕に覚えはあるものの、毎回こうでは向こうも飽きるのではないかと薪も心配しているのだが、今の所相手から不平不満が出たことはない。それどころか何よりのご馳走だと言って、毎回綺麗に完食してくれる。あんまり嬉しそうな顔を見せてくれるので、今度腕によりをかけて豪勢な料理を振る舞おうと、密かに決意したものだ。
 そして食後は二人で一時間半の短い映画を見た。上映中は会話を挟むこともなく、じっくりと鑑賞したはずなのだが、内容はあまり頭に入っていない。いや、あらすじはちゃんと覚えているのだが、どこが良かったとか、特に心に残ったシーンが思い浮かばないのだ。今思えば、映画そのものより、ソファに並んで手を繋ぐことが主な目的だったような気がする。
 そのあとは交互に風呂に入って、軽く酒を飲み、それから──寝室で甘い時を過ごした。アルコールが入っていたせいか、あまり細部は覚えていない。だが、とても満たされた時間だったことだけは感覚として残っている。
 事が終わった後も無性に離れがたくて、互いに手や足を絡め合ったり、キスを繰り返したりしているうちに、そのまま寝入ってしまったのだった。
 薄目を開けると、ベッドにいるのは薪一人だけだった。しかしすぐ隣には、恋人が寝ていた痕跡が残っている。シーツのくぼみをそっと撫で回し、薪は満足して起き上がった。
 ベッドの足元に薪のパジャマの上着がくしゃくしゃになって脱ぎ捨てられていた。それを拾って袖を通し、ボタンを留める。下に何も履いていないせいでかなりアンバランスに感じたが、仕方がなかった。薪の記憶が正しければ、ズボンと下着はリビングの床に落ちているはずなのだから。
 先に洗面所に行って顔を洗う。青木がシャワーを使ったようだ。バスルームの換気扇が回っている。
 それにしても青木は自分で着替えを用意できたのだろうか。いつもは薪が用意してやっているのだが、今日は寝過ごしてしまった。もしかしたら昨日と同じ服を着ているのかもしれない。彼の着替えをタンスのどこに入れているか、ちゃんと教えておけばよかった。
 そんなことを考えながら廊下に出ると、リビングに繋がる扉が開いて、その先に人影が見えた。逆光に思わず目を細める。
「おはようございます、薪さん」

 年下の恋人の姿が、そこにあった。

 彼は風呂上がりらしくタオルを首にかけ、がしがしと髪を拭いていた。身にまとっている物と言えば腰のボクサーパンツ一つ。昨日ここに来る前にコンビニに立ち寄って買い求めたものだ。黒のシンプルなデザインで、彼によく似合っている。スタイルがいいせいだろうか、五百円の安物にはとても見えない。
「あ、すいません。こんなだらしない恰好で」
「別に……着替えが見つからなかったのならしょうがない」
 薪は気にしていないように振る舞いながら、さりげなく彼の姿を眺める。
 昨夜も寝室で彼の身体を見ているはずなのだが、朝の光の中ではまた一段と新鮮に見えた。筋肉質というほどではないが、適度に引き締まった体つき。普段のスーツ姿では細身に見えるが、こうして脱ぐと横の厚みもそれなりにあることが分かる。上背がある上に、骨格がかっちりしているので、体重は薪の倍近くあるのではないだろうか。体全体で受けた彼の重みを思い出し、薪は頭の奥の方がじんと痺れるのを感じた。
 もっとよく彼を見たい。そう思って近くに行くと、青木はキッチンの方に行ってしまった。冷蔵庫から牛乳パックを取り出して、薪に笑いかける。
「喉渇いちゃったんで、これもらってもいいですか?」
「ああ」
「薪さんも飲みませんか?」
「うん」
 青木は二人分のコップを出して牛乳を注いだ。そして自分の分をあっという間に飲み干してしまうと、使ったコップを洗い始めた。
 せっかく近くで彼を見ようと思ったのに。薪は残念に思ったが、こうして後ろ姿を眺めるのも悪くない。青木の背中を肴に、ちびちびコップを傾けていると、そのうち青木がなかなか振り返らないことに気づいた。コップはとっくに洗い終えているのに、なぜかシンクの縁に手をついて項垂れている。
「青木?」
 薪が声をかけると、青木が苦しそうに息を吐いた。
「すいません。俺、なんかだめで……」
「何が? 体調が良くないのか? いつまでもそんな恰好でいるから湯冷めしたんだろう。ちょっと待て、今服を……」
「いえ、違うんです。そうじゃなくて、その……朝から薪さんのそういう恰好は、ちょっと……目の毒っていうか……」
 後半は尻すぼみになって消えた。薪はコップを置いて、彼の方に歩み寄る。
 すぐ隣に立って、下から顔を覗き込む。すると彼はこちらを振り返って、おずおずと手を伸ばしてきた。自信なさげな素振りが愛おしくて、薪は自分からあと一歩の距離を詰める。
 青木は壊れ物を扱うかのように、薪をふわりと優しく抱きしめる。薪も腰に手を回し返した。
「石鹸の匂いがする……」
「あ、すいません。勝手に借りちゃいました」
 付き合っているのだから、それぐらいのことでいちいち遠慮しなくてもいいのに。薪はふくりと笑みをこぼし、首を真上に傾けて彼の顔を見つめる。
「なんだ。今日なら一緒に入ってやってもいいかなって思ったのに」
「えっ」
「残念」
「あ、でも、俺は別に、もっかい入っても……風呂なんて何回でも入っていいんだし……お背中を流したいっていうか、その……」
 薪の軽口を真に受けて、青木はあたふたと弁明を試みる。薪は噴き出しそうになるのを堪えながら、彼の胸に額を押し付けた。
 ことあるごとに青木は一緒に入浴したがるのだが、薪はなかなかそれを許さなかった。向こうは薪が潔癖さゆえに拒絶するのだと思い込んでいるようだったが、本当の理由はそうではない。
 薪は自分の身体に劣等感を持っている。鶏ガラのように細くて、生っちろい腕や脚。あばらの浮いた脇腹。三十五歳にもなって、いまだに子供のように貧相な裸体を、彼の前に晒すのが気恥ずかしかったのだ。
 とはいえ、彼と一緒に入浴することが薪にとって必ずしもデメリットばかりというわけでもない。なんたって自分の身体を見られる代わりに、こちらも彼の身体を見ることができるのだから。
 でも今はもう少しこの時間を味わっていたい。自分と風呂に入るために必死になっている可愛い恋人の姿を、もっともっと見ていたい。
 薪は「どうしようかな」と嘯きながら、青木の首にするりと腕を回した。そしてつま先立ちになって彼の耳元に囁きかける。
「キスしてくれたら……考えてもいいけど」
「薪さん……」
 レンズの奥の瞳が真剣な色合いを帯びる。普段の優しげな表情とは違って、この瞬間の彼はうっとり見惚れてしまいそうなほどかっこいい。
 大きな右手に頬を包み込まれる。彼の顔が少しずつ降りてきて、薪は瞼を閉じた。唇が触れ合うまであと数センチ。
 脱衣所に行ったら、僕が最後の一枚を脱がしてやろうかな。薪がそんなことを考えた時だった。

 ピンポーン、と家のチャイムが軽やかに鳴らされた。

コメント

kahoriさん

薪さんにとっては満ち足りた時間を持つことが彼に必要なことで、意義のあることと思います。
青木君の方が裸体表面積多いのに明るく清々しい気がします。
逆に薪さんは…そりゃ毒です。
襲い受け薪さん可愛すぎか!文章を脳内映像変換した時の萌えの素晴らしさといったら…
今回もごちそうさまでした!!
沈丁花さんの青薪小説は正にこんな感じ
→ “愛とは、言葉なしで「愛してる」と伝えることだ。”ヴィクトル・ユーゴー”

わわ、素敵な言葉……言葉で語らず行動で語る、か。理想ですねえ。
二人とも一般的な日本人男性なんで好きだの愛してるのは滅多に言わないと思うんですよ。(特に薪さん!)
その代わり手の触れ方とか視線とかに愛が現れるのっていいですよね。
そういう青薪を目指したいなって思います。
あとこの話は薪さんの内面描写が目立って、青木の方の描写はあっさり目ですが、
二人の様子を、薪さんは能面、青薪は百面相で想像して頂いたら、
色々と面白く読み返せるのではないかと思います…笑。
私の思う青薪ってそんな感じなんですよね〜。

 

kahoriさん

このお話、鈴木生存設定なのですね。
親友としての鈴木が青木君に嫉妬したりしないのかしら…
鉢合わせした鈴木と青木君見てみたいです。
今後の展開が楽しみです(o^^o)
青薪の糖度高くて美味でございます。おかわり!
パジャマの上だけ薪さんがなかなか扇情的で(//∇//)
リビングでお酒を酌み交わしてほろ酔いで、いい雰囲気になってしまわれたのですね!
ラブソファで盛り上がってしまわれたのですね!!いろんなところが…(下品)
すいませんm(_ _)m
青木君をガン見してる薪さんかわいい…。
職場じゃチラ見しか出来ませんからね。どうぞどうぞ、お気に召すままに!
青木君心臓強くなりますね、薪さんにここまで求められて幸せ者め〜>_<

> 親友としての鈴木が青木君に嫉妬したりしないのかしら…

鈴木はちょうど小舅のような位置にいます。
三人の関係性についてはいろいろ語りたいんですが、
この後のネタバレになるので今は控えておきますね。
とりあえず青木と薪さんはラブラブでお互いしか見えてない状態なので、
小舅のことはあまり気にならないみたいです(笑)。

> パジャマの上だけ薪さんがなかなか扇情的で(//∇//)

今回薪さん視点だったので青木の方の描写は少なかったですが、
結構大変なことになってたんですよ。
薪さんを直視できなくてキッチンの方に逃げたのに、
薪さんがついてくるもんだから牛乳飲むふりして見ないようにして、
けど勢いで一気飲みしちゃって、することなくなったからコップ洗って……。
割と分かりやすくバタバタしてたんですが、
薪さんは薪さんで青木を見るのに夢中だったので、気づかなかったみたいです。

> リビングでお酒を酌み交わしてほろ酔いで、いい雰囲気になってしまわれたのですね!
> ラブソファで盛り上がってしまわれたのですね!!

その辺は脳内補完でよろしくお願いします。
ただ薪さんを抱っこして寝室に連れて行ったことだけはお伝えしておきます。

> 職場じゃチラ見しか出来ませんからね。どうぞどうぞ、お気に召すままに!

プライベートで満たされてるので、IF編の薪さんは第九ではそんなに青木のこと見てないかもですね。
それか逆に、ふとデート中のことを思いだして密かに見とれちゃったりしてるかも?笑

 

なみたろうさん

……いいぞもっとやれ!!\(^o^)/
青木の体が好きな薪さんかわゆす!!
いや絶対好きですよ肘の骨とか筋とかにうっとりしてたでしょーー!!抱かれたいとか思ってたでしょーー!!
はあはあ。
続きが楽しみだけど、ラブラブの続きもやって欲しいなっ。
白状しますが私、沈丁花さんのエロが大好きです( ・∇・)

> いや絶対好きですよ肘の骨とか筋とかにうっとりしてたでしょーー!!抱かれたいとか思ってたでしょーー!!

ですよねー、薪さんが青木の身体好きなのはもう公然の秘密ですよねー☆
本編だと薪さんいつも後ろから青木の背中を見つめているだけでしたもんね。
薪さん本人はそれで満足してたのかもしれませんが、やっぱりそれじゃ物足りない!
青木にはちゃんと正面から薪さんを抱きしめてあげてほしい。不純な下心付きで。笑
いつかそのうちメロディ本誌でそういうシーンが見られるといいですね。

> 白状しますが私、沈丁花さんのエロが大好きです( ・∇・)

本当ですか? わー、ありがとうございます!
こういう系統がお好みということは、なみたろうさん事後や朝チュンがお好きなんですね?
私も好きです。いいですよね、二人が何をするでもなくただイチャイチャしてるの。
しかもこの時の薪さんの身体には、青木の匂いが染みついてるというね。ここポイントですよ!

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可