Glitter in The Air

 翌日の夕方、青木は慌ただしく九州へ帰っていった。仕事も家のことも、全て放り出してきたのだ。そうそう何日もこちらに滞在しているわけにはいかなかった。
 いくつかの検査結果を聞いた後、薪は午前中に退院した。岡部の運転でマンションに帰って──岡部は薪を送り届けると、すぐに仕事に戻った──午後いっぱい話をした。
 しかしいくら話し合っても、全然話し足りなかった。彼らがこれからのことに折り合いをつけていくためには、半日という時間では全くの不十分だった。

 玄関で靴を履くと、青木は名残惜し気に振り返った。
「次の休みには、必ずまた来ます」
「無理をするな。そう何度も上京できる身分でもないだろう。話なら電話でもできる」
「でも電話じゃ手が届かないじゃないですか。こんな風に……」
 薪を引き寄せると、「おい」と不機嫌そうな声を上げられた。しかし、青木は構わず彼を抱きしめる。
 今までも別れるときは離れがたかったが、今回はいつにもまして一入だった。まるで半身がもぎとられるようだ。腕の中の存在が大切で仕方がない。もし叶うことなら、このまま彼を引っさらって九州に帰りたいくらいだった。
 小さな頭を胸に抱え込んで、青木はため息をつく。
「……なんか俺、今から単身赴任に行くような気分です」
「何を馬鹿なことを言ってる。そもそもお前の家は向こうだろうが」
「それぐらい寂しいってことですよ」
「僕は平気だ。こうしてお前を見送るのもいつものことだからな。いちいち感傷に浸ってたら身が持たない」
「そうですか」
 青木は苦笑を漏らす。昨夜自分に甘えていた彼はどこに行ったのか、一日経つと薪はすっかり元の彼に戻っていた。
 だが、青木は知っている。薪の本心は言葉ではなく態度に現れるのだと。だから彼がどれだけ憎まれ口を叩こうが、それをそのまま間に受けることはない。今だって大人しく自分に抱きしめられているのだ。ならば向こうも少しは寂しいと思ってくれているのだろう。
 しかしいくら離れがたくとも、いつまでもこのままでいるわけにはいかなかった。飛行機の時間は刻々と近づいている。マンションの前に呼んだタクシーも、間もなく到着するだろう。彼らはどちらからともなく、ゆっくりと体を離した。
 互いの顔を見つめ合った瞬間、青木は思わず「ああ」と呻いた。
 
 ──薪さん、なんて顔してるんですか。

 恐らく彼自身も気付いていないに違いない。今、自分がどんな顔をしてこちらを見つめているか。
 薪の瞳は言葉よりも雄弁に、彼の本当の気持ちを物語っていた。
 青木がそっと手を伸ばすと、彼は目を伏せて、自分から手のひらに頬を摺り寄せた。


 九州に到着すると、青木はまず第八管区に向かった。
 第九が再編されてから、捜査員たちの労働環境は劇的に向上した。よほどの大事件が起こった場合を除けば、以前のように家に帰れない日が何日も続くということはなくなった。それはMRI捜査が全国展開されたことで、一か所に集中していた負担が分散されたことが主な理由に挙げられるが、もう一つの要因として、捜査員たちの生活や家庭を守ろうという現体制の意識の表れでもあった。
 それでも全くの残業がないわけではない。青木が本部に顔を出すと、何人かの部下が残っていた。青木は仕事に穴を開けたことを詫び、仕事の進捗について尋ねた後、そこにいる全員にコーヒーを奢った。
 そして部下を帰らせた後、彼は室長室でいくつかの仕事をこなし、深夜になってからようやく帰宅の途に着いた。
 家に帰ると、母が玄関まで出迎えてくれた。早い時間なら姪も一緒に来てくれるのだが、今日はもう寝てしまったのだろう。
「お帰り。随分遅かったのねえ」
「こっちに帰ってから、一度職場に顔出したんだ。それで遅くなっちゃって」
「それはお疲れさま。お夕飯はもう食べた?」
「いや、まだ」
「じゃあお腹すいてるでしょう。お風呂の用意もしてあるけど、どうする?」
「先に風呂に入ってくるよ」
「そう。ご飯の支度しておくからね」
「うん」
 母は青木の仕事に対して口出ししてくることはない。もちろんMRI捜査に関しては、今でも完全に理解してくれているとは言い難い。だがそれでも、黙って舞の養育係を引き受けてくれている。
 母の年齢を考えれば、一日中幼子の面倒を見るのはかなり負担なはずだ。だが、それについて母が文句をこぼしたことはない。彼女が家で舞を守ってくれているからこそ、青木も今のように安心して仕事に打ち込んでいられる。
 その日、青木は少しだけ長風呂をした。そして風呂から上がると、夕飯をつつきながら、留守中の舞の話を聞いた。今日は公園に行ってどんなことをしただとか、何を食べたとか、話の内容はさして代わり映えのないことばかりだ。だが青木にとって、それは何よりも大切な日課だった。
 一通り語り終えると、母は小さく欠伸をした。時計を見ると、そろそろ日付の変わる頃だった。毎朝早起きしている彼女には、辛い時間帯だろう。
「もういいよ。俺が皿洗っとくから、先に寝てて」
「そう。じゃあ悪いけど頼むわね」
 母はあっさりと頷いて、椅子から立ちあがった。
「あ、母さん。ちょっと待って」
「なあに?」
「あのさ、来月か再来月辺りに、一度休みを取ろうと思うんだ」
「おや、珍しい。お仕事は大丈夫なの? 忙しくないのかい?」
「うん。大きな事件が入らなかったら、何とかなると思う」
「そう、なら良かった。もしお休みが取れたら、舞をどこかに連れて行ってあげて。私じゃ、子供が喜びそうなところにはあまり連れて行ってあげられないしねえ」
 舞の寝ている部屋の方を見て、母は申し訳なさそうに笑った。
「うん、そうだね。最近あまり舞とも遊んでやれてないし、それに母さんとも話したいし」
「話?」
「うん」
 母は「話なら今したばかりなのに、何を言っているのだろう」とでも言うように、首を傾げる。
「行ちゃん、もしかして何かあるの?」
 さすが母親である。勘が鋭い。だが今はまだ話す時ではない。青木は曖昧に笑って、首を振った。
「最近帰るのが遅かっただろ? ゆっくり話してなかったなと思って。それだけだよ」
「おやまあ、そんなこと言って、実は怖いこと隠してるんじゃないだろうね? お母さん、嫌だよ?」
 そう言いながらも、母の口調は明るかった。青木の様子が落ち着いていることから、深刻には受け止めていないのだろう。
「まあ先のことだから。日程が決まったら、また知らせる」
「そう。まあお母さんにはお仕事のことは分からないけど、うまくやりなさいね」
「うん。お休み、母さん」
「はい、お休み」
 母の背中を見送った後、青木は携帯を取り出し、一通のメールを送った。
 もう寝ているかもしれないからと電話をかけるのは遠慮したのだが、すぐに返事が返ってきた。画面を見て青木は口元を綻ばせる。
 そして彼はテーブルの上を片づけ、台所で鼻歌を歌いながら皿洗いをしたのだった。

コメント

ほねおさん

ツイッターではいつもお世話になっておりますほねおでございます。
あー続き読めて幸せです……!ありがとうございます!!
青木との別れ間際の薪さんほんとかわいいです。きゅんきゅんしました(´д⊂)
青木のお母さんが薪さんの妊娠についてどういう反応を示すのかすごくハラハラします……
喜んでくれたらいいなあ。
続き楽しみにしてますね(°▽°)
更新頑張って下さい、応援してます!

わーい、ほねおさんだ!
サイトにお越し頂いてありがとうございます!^v^

> 青木との別れ間際の薪さんほんとかわいいです。きゅんきゅんしました(´д⊂)

多分薪さん自身が一番驚いてるんだと思います。
彼と離れ離れなのはいつものことなのに、どうしてこんなに辛いんだろうって。
青木が帰ってから、その日一日ずっと携帯を手放さなかったんじゃないでしょうか。
だからラストで青木がメールを送ったときに即レスできたんでしょうね。
多分文面は超そっけないですよw 「分かった」とか「明日遅刻するなよ」とか。
でも、それでも青木には薪さんの気持ちが伝わったんだと思います。

> 青木のお母さんが薪さんの妊娠についてどういう反応を示すのかすごくハラハラします……

本編中では割を食う役柄でしたが、なんといってもあの青木を育てた人ですから、
きっといい人だろうと思ったんです。
時間がかかってもいつかは二人のことを認めてくれるんじゃないかって。
そしたらこないだのメロディで……ごほんごほん!
ネタバレになってしまうので、これ以上は控えておきますね。
また単行本が発売されたら、ここの所熱く語り合いましょう〜。

 

なみたろうさん

おおお…2がいただけるのですね?( ;∀;)
薪さん、産まれちゃう?

充分萌えましたよおお〜。
薪さんどんなお顔を?ヤバいどう妄想しても可愛い!
ほっぺすりすりとかもう…猫みたいな。
めっちゃ大好きじゃないですか!?パパのこと。

青木はどう折り合いつけるんでしょうか…きっと嫁、母、娘、3人全員のことを大切に考えるんだろうけど。
アイツってその気になったらなんとかしそうです(ただし暴走)

> 薪さんどんなお顔を?
> ヤバいどう妄想しても可愛い!

その前の「僕は平気だ」とか言ってる時点で、すでにそんなお顔になってたんですよw
ほら、薪さんって本人に見られてなかったら素直になる人だから、
青木に抱きしめられた時点で、もう結構来てたんです。
青木の腕が離れて、きりっと顔を作ったつもりだったんですが、
余韻が残っちゃってたんですね。

> ほっぺすりすりとかもう…猫みたいな。

言われてみれば確かに……!
このシーンは特に考えなく書いてて、青木が手を伸ばしたら、
薪さんの方から自然に動いてくれたんです。
なみたろうさんに言われて初めて気が付きました。
薪さん、寂しがりの猫ちゃんだ……。
もう自分一人の身体じゃなくて、二人だからこそ、離れるのが余計に辛く感じたのかもしれませんね。

> 青木はどう折り合いつけるんでしょうか…

彼は大事なことの優先順位を間違えない人間だと思います。
それにほら、岡部お父さんにも認められた男ですしねw

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可