夢か現か

 ベッドの端の方に腰掛けながら、青木はぽかんと口を開けていた。
「うちと違いすぎる……」
 思わずそんな言葉が口をついて出る。果たしてここを、自分の住む「マンション」と同じ種類の建物と定義していいのだろうか。もしそうでないのだとしたら、青木の方こそ恐縮し、這いつくばって名称を譲るべきだ。
 冷静になった頭で周りを見渡してみれば、薪の住まいはまさに高級住宅そのものだった。部屋の広さは勿論のこと、天井の高さも目を見張るものがあった。更に一段くり抜いたような意匠になっているので、屋内では味わえないような広々とした解放感をもたらしている。
 当然窓のサッシも大きな特別製の物となり、ひだの厚いカーテンがそれを重厚に覆っている。さっき少しだけカーテンをめくってみたが、そこから見える夜景の素晴らしさは、朴念仁の青木ですら言葉を失う程だった。
 今腰掛けているベッド一つとってもそうだ。単純にスプリングがいいだけの話ではない。青木のように大きな体躯の人間が腰掛けてもきしまず、床の上に座っているかのような安定感がある。その上で腰に負担をかけない程度に柔らかく体が沈み込み、またそこにかけられたシーツの滑らかさと言ったら、いつまでも手を動かして触り続けていたいくらいだ。
 壁に掛けられた額縁の絵も、実はとんでもない値がついているのかもしれない。警視正の給料とはいか程のものなのだろう。室長の地位ともなると、特別手当が与えられるのだろうが。
「俺も頑張って出世しよ……」
 決意の言葉というよりは、自虐的に呟きながら青木は立ち上がり、部屋の電気を落とした。
 それからサイドランプの灯りをつけ、改めてベッドを見下ろす。青木はごくりと唾を飲み込んだ。

 ──俺がここを使っていい……んだよな?

 ついつい自分に向かって確認してしまう。そしてドアを振り返った。
 あの扉の向こうで、薪が眠っている。

 ──そうだよ、薪さんが俺にこの部屋使っていいって言っ……てはないけど、指差したってのはそういうことなんだろうし、ここじゃなかったらどこで寝るんだって話だし。今更俺がソファで寝るって言ったって、リビングに薪さんがいるんだから、それは絶対にだめで……いや、別に一緒に寝るわけじゃないんだけど、全然そういうのじゃないんだけど、近くに他人がいたら薪さんも落ち着いて眠れないだろうからって意味で、別に疾しいことを考えて言ってるわけじゃなくて、ってか疾しいことって何だよ。

 そう考えた瞬間、青木の頭の中にとある光景が浮かんだ。
 リビングに設えられた布団の傍にしゃがみ込む自分。薪は目を覚ましていて、布団を広げて青木を迎えてくれるのだが、なぜかパジャマを身に着けていない。つまり、さっき風呂場で見たような生まれたままの姿で──。
 青木はぶるぶると頭を振る。

 ──違う違う、そういうことを言ってるんじゃなくて。家主の薪さんがここを譲ってくれたんだから、俺は遠慮しなくていいってことなんだよ。それだって多分、今日俺が車で送ったお礼とかだろうし。あの人意外に義理堅い所があるんだろうな。そうそう、そういうことなんだよ。よし、これ以上悩むのは終わり。明日は早く起きて、ここを出なくちゃいけないんだから。もし寝過ごしたら、そっちの方が薪さんに迷惑がかかるだろ? はい、結論出た!

 頭の中で延々と理論武装を固めた結果、青木はベッドに恐々足を乗り上げた。眼鏡を外してサイドチェストに置き、ランプを消して、シーツの上に横たわる。
 枕に頭を乗せると、馴染みのある匂いに包まれた。

 ──うわ、これ……薪さんの匂いだ……。

 そう認識した途端、ばくばくと心臓が鳴り始めた。青木は目を瞑るが、自分の心臓の鼓動が煩くて眠れない。横向きになって体を丸めると、足先に触れたシーツの柔らかさにはっとなる。
 そうだ、いつもここで薪は寝ているのだ。さっき見たパジャマ姿で、このシーツの上で、夜毎彼が眠っている。その場所に、今自分がいる──
 瞼の裏に浮かんだのは、先ほど目撃した白い裸体だった。抱き起こす時に触れた肌のしっとりとした感触、自分の胸元に寄せられた小さな頭、水滴をまとったうなじ。
 一瞬しか見なかったはずの細い腰のラインまでが、くっきりと鮮やかに脳裡に蘇って、青木はシーツをぎゅっと握りしめた。

 ──なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ!

 青木の胸から、熱のこもった吐息がこぼれる。自分の体が熱くなっているのを自覚するのと同時に、その火照りの正体が何なのかも分かってしまった。

 ──いやいや、人んちのベッドではさすがにそれは! せめてベッドじゃなくてトイレとか借りて、なるべく音を立てないようにして……いや、それでも駄目だって。ここは薪さんちなんだから、上司の家でマスかくってどんなプレイだよ……って、何言ってんだ。俺の馬鹿!

 落ち着いて数字でも考えて、気分を鎮めよう。そう自分に言い聞かせるのに必死で、青木はなかなかそれに気づかなかった。
 そもそも立てつけの悪い安普請ならともかく、こんな家賃のゼロの数がいくつになるかも分からないような家で、ドアの開閉に大きな音が立つはずもない。また床に敷かれた絨毯は、人ひとりの密やかな足音を完全に消してしまうのに十分な柔らかさを持っていた。そして前述のとおり、このベッドは大人一人分の体重ぐらいではきしむこともしない程に頑丈で。
 だから。
 横向きになって寝ている自分の背中に誰かの手が触れるまで、青木は全くその存在に気付いていなかった。

コメント

kahoriさん

オロオロしている青木君のモノローグが面白くてw
薪さんの裸体を見てしまって後から妄想しているところ、青木君らしいです(笑)
薪さんが女の子になった夢みてるくらいなんでそれはもう色々妄想してるはずですよね!
そしてお目覚めになった薪さんがベッドに来てくれて、またもやここでお終いなのですかーーー(´Д` )
続き気になりすぎます!

> 薪さんの裸体を見てしまって後から妄想しているところ、青木君らしいです(笑)

青木は本当〜〜〜に鈍いですよね。
原作でも明らかに薪さんのこと好きになっていたのに、
雪子さんにもそれとなく言われてたのに、
最後薪さんと別れるまで気づかなかったぐらいですから。ほんとおバカさん。
女の子になった薪さんを妄想してたくせに、なんでそこで自分の気持ちに気づかないの〜!?
なので、手っ取り早く自覚してもらうために、裸の薪さんをくれてやることにしました。
さすがに最後までやったら、いくらなんでも気づくだろうということで(笑)。
この6話時点でも、なんで自分が薪さんにドキドキしてるか分かってませんからね。
まったく、筋金入りのニブチンめ!

 

あやさん

あれ、これもまだ途中ですか?
薪さんが酔っていたとはいえ、最初は青木に送ってもらうのも嫌な風だったのに
泊めると言い出したのも酔っていたからなのか。
翌朝の薪さんの様子からするとやっちまった!(やられた?)
という感じだし顛末が気になります^^;

> あれ、これもまだ途中ですか?

そうですね。トップの目次に「完結」か「短編」マークがついていないものは
全部連載中と思ってください。何本も同時並行して気分を換えないと行き詰っちゃうタイプなんです。
もしマークが表示されてなかったらすみません。一応私のキャリアでは確認したんですが……。

> 薪さんが酔っていたとはいえ、最初は青木に送ってもらうのも嫌な風だったのに

その辺はまあ、二人の間に色々と齟齬があるんですね。
あえて視点変更をしている理由と言いますか。
そういうのも含めて、これから明かされていく予定なので、どうぞ気長にお待ちください。
多分忘れた頃に(笑)更新します。
コメントありがとうございました!

 

かなさん

つづきプリーズ!!肝心な所が遠い!!(笑)ファイト青木

はい、せいぜい青木に頑張らせまーす! って結論は冒頭に出てるんですけどね笑

 

 (無記名可)
 
 レス時引用不可