38度2分の記憶


知られたくない秘密ほど ばれた時の妄想は楽しい


 学生時代に思いつきで書いた手紙を未だにとってある。
 何故、そんなものを書いたのか自分でもわからない。遺言のようなものだったのかもしれない。
 あの夜、宮田は熱にうなされて目を覚ました。家はしんと静まりかえり、この世界には自分だけ取り残されたような気になった。
――俺、死ぬんだ。
 ぼんやりとした確信が心に舞い落ちる。目から透明な水分が一筋流れる。宮田はベッドから身を起こした。
 そのまま立ち上がってふらふらと揺れながら机へと向かう。自身の人生が終わることに未練はなかった。でも、ひとつだけ。
 引き出しから白い無地の便せんを取り出す。ボールペンを手に取ると立ったまま、文字を書き殴る。
 兄さんへ。
 ひたすらにペンを動かす。がりがりがりがり。強い筆圧で不協和音が奏でられる。一番下まで埋まったらまた次の便せんを取り出す。がりがりがり。
 窓から見える空が白み始めた頃、やっと手を止めた。唐突に自分がかかっているのは流行の風邪で、三日もすれば治るということを思い出した。死ぬことは絶対にない。宮田はあくびをひとつした。先ほどまで夢中で書いていた紙を見下ろす。
「気持ち悪い」
 無造作にそれらを掴むと引き出しに放り込んだ。よろよろとベッドまで戻る。その後は目を閉じて何も考えずに寝た。
 数日後には宮田の風邪はすっかり治った。
 例の手紙は引き出しから取り出されることもなく、今も同じ場所で眠り続けている。
 どうして今更そんなことを思い出すのか。苦々しく思いながら窓の外を眺めていると声がした。
「先生、どうかしたんですか」
 看護師の美奈だ。入院患者の様子を見て来た帰りのようだ。
「いや、」
 なんでもないと首を振る前に美奈は窓の外を見た。まぁと納得したように声を漏らす。彼女の視線の先には子供たちと笑い合う牧野の姿があった。
「求導師様がいらしていたのですね」
 その言葉は正しいが正確ではないような気がした。確かに牧野は病院の前で村の子たちと戯れているようだが、それはたまたまだろう。病院に用があるわけでもない。偶然、この場所で子供にあっただけだ。
「ご挨拶に行った方が」
 美奈が上目遣いでこちらを見た。
「必要ない」
「でも、」
「あの人の邪魔をしてはいけない」
 言い募る美奈を遮って宮田は言った。幼い頃から叩き込まれた言葉を。
「邪魔だなんてそんな」
 美奈の眉が下がる。宮田は気付かないふりをして窓の外を見続ける。
 いつの間にか牧野の周りには子供だけではなく、お年寄りにも囲まれていた。嫌な顔をひとつも見せず、話しかけられれば笑い、野菜を差し出されれば受け取って頭を下げる。その頭上から優しく陽が差し込み、まるでどこかの宗教画のようだ。
 たとえこちらがどれだけ見つめても、絵の中の人物がこちらを見ることは決してない。
「そういえば、妹に手紙を書いているです」
 沈黙に耐えかねたのか美奈が再び口を開いた。
「手紙」
「はい。妹は都会に住んでいて、それで先生のことを」
「妹に手紙を読ませるのか?」
 宮田の問いに美奈は首を傾げた。
「えぇ。だって、手紙は読んでもらうために書きますよね?」
 がりがりがりがり。あの日の不快な音が耳の奥によみがえる。身体が熱くて、苦しくて、震える指で書いた。
 あの手紙をあの人に読ませるために俺は――
 総毛が立つ。違うと心の中で反論する。
 そんなつもりではなかった。身体が、頭が熱くてもう終わりだと思った。だから、最後に彼に。遺書のつもりで。でも、読ませるつもりはなかった。今でもない。机の奥深くにしまってあるソレを牧野が手にすることはないだろう。
 宮田は僅かに息を吐いた。大丈夫だ。彼はアレの存在すら知らない。読むこともない。
 ガラス一枚の隔たりの向こうでは牧野が小学生くらいの男の子の頭を撫でていた。ぶすっと口元をひん曲げた男の子に諭すように何かを話しかけている。
――でも、もし。
 ふと宮田は思った。もしも。
 もしも、あの人がどうしてもと言うのならば。心から宮田のことを知りたいと願うのなら。
 読ませても、いい。
 彼はどんな顔してアレを読むのだろうか。恐怖に顔を歪ませるだろうか。怒りに肩を震わせるだろうか。哀れんで涙のひとつでも流すのだろうか。それとも。
「あ、」
 隣にいる美奈が小さく息をのむ。宮田は自分が微笑んでいたことに気付いた。顔の筋肉を引き締めて、彼女に声をかける。
「そろそろ――
 その時、不意に牧野がこちらを見た。同じ形をした互いの双眸が真っすぐに向き合う。
 だが、それも一瞬だった。牧野は笑顔を張り付けたまま、すぐに視線を反らした。そして、何事もなかったかのように幼子の頭を緩慢な動作で撫でる。
 宮田は窓に背を向けた。
「戻るぞ」
「はい」
 一拍おいて美奈は返事をした。
 背中に彼女の気遣うような視線を感じる。鬱陶しい。何もかも。
――もし、あの人が読みたいと言うのならば。
 数分前の思い上がった夢想を反芻する。今度こそはっきり宮田は嘲笑った。
 わかっている。知っていた。ずっと前から。

 そんな日は、永遠に来ない。



【38度2分の記憶】

2023/09/10

閉鎖されたKERRYさんのRandom Titleより
あなたの小説タイトルは『38度2分の記憶』、
煽り文は『知られたくない秘密ほど ばれた時の妄想は楽しい』、
書き出しは『学生時代に思いつきで書いた手紙を未だにとってある』