この世はわからないことばかり


 


『見ろよ、寿一。もう咲いてるぜ』
 廊下を歩いていると嬉しそうな声が頭に響いた。
 福富は脚を止めて、窓の外を見る。
 校庭の花壇では気の早い花々がぽつぽつとその花弁を開いていた。
 まだ肌寒い日々が続いているが、春はもうすぐそこまでやってきているようだ。
 そういえば、学校内にある桜の樹も蕾をつけていた。
 入学式までには咲くだろうか。この時期の学校は行事が目白押しだ。
『綺麗だな』
 新開が微笑む。
 はっきりと聞いたことはないが、この鬼は花が好きらしい。
 道端でもどこでも花を見かけると福富に話しかけてくる。だが、切り花はあまり好きではないようだ。以前、いただいた物を部屋に飾っていたが、新開は一度もそれについて触れる事はなかった。
 福富は脳裏に浮かぶ新開の横顔を見つめる。
 緩くウェーブがかかった色素の薄い髪。愛嬌を感じる大きく少し垂れた目。柔らかそうな厚い唇。
 昨夜の夢を思い出して、心臓が跳ねる。
 どうして。衝動的に頭を抱えたくなるを必死で我慢する。何故、あんな夢を。

――寿一、可愛かったよ。
――何回、イッた? そう睨むなって。
――次はオレの番。
――そう。そのまま咥えて、寿一。

 福富は反射的に口を抑える。悪夢のような肌色の風景が甦る。
『寿一?』
 新開がこちらを振り返る。心配そうなその顔に罪悪感で胸がいっぱいになる。
『大丈夫だ』
 福富は首を振る。絶対に新開には知られてはいけない。

 保健室を開けると消毒液の匂いがした。
「邪魔をする」
 そう一声かけて中に入ると、白衣の男が読んでいた本から顔を上げた。
「珍しいな。どこか悪いのか?」
 低い声を響かせて尋ねる金城に福富は応える。
「身体は悪くない」
「では、心か?」
 穏やかな声色だったが、目は鋭く福富を捉えている。見透かすようなその視線に福富は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「オレはカウンセラーではないのだが」
 その福富の様子に何を感じたのか金城は視線を本に戻す。専門的な医学書のようだ。
「今泉が世話になっているそうだな」
 養護教諭の金城はまだ赴任してから日が浅いにも関わらず人気がある。
 女子はもちろんのこと、最初は女性でなくてがっかりしていた男子まで何かと相談しに保健室に通っているらしい。
 整った容姿に落ち着いた物腰。頼りにしたくなる生徒の気持ちもわかる。
 今泉までそうなったのは少々意外だったが。
「今泉は少し繊細だからな」
 ふうん。面白いような面白くないような。微妙なニュアンスで発せられた相槌に金城は視線を上げる。
「なんだ。嫉妬か?」
「違うっ」
 無表情の福富に対して金城は悪戯が成功した子どものように笑う。
「全く。元気そうだな、金城」
「お陰さまでな」
 金城は肩を竦める。この世に存在する為に金城は生気を奪い続けなければならない。当初は福富は自分の生気を渡すつもりだったが、金城はその申し出に首を横に振った。
 彼はこう説明した。大勢の人間から少しづつもらえば個々の負担は少なくなるのではないか。と。
 今まで、山奥の寺に住んでいた金城は学校のような多くの人間が集まる場所に行ったことがなかったのだ。
 勿論、福富は生徒から生気をとることには反対した。そこで金城は授業をサボる為に、保健室に来る不届き者のみいただくという方針を打ち出してきて。それで足りない分は福富からもらうと。
 だが、反論しようとする福富に金城は空々しい笑顔で囁いたのだ。
『自分の生徒が信じられないのか?』
 こう言われてしまっては返す言葉もない。
「今日も、生気は必要なさそうだな」
 それから今まで、一度も金城から生気を要求された事はない。それだけ不真面目な輩が多いのだろうか。
「そうだな。心の調子が悪いのならなおさらもらうわけにいかない」
 金城のその言葉に福富ははっとする。
 本を閉じる音がした。金城が福富へと向き直る。
「で、どうしたんだ」

 夢を見るんだ。
 空いているベッドに腰掛けた福富はそう話を切り出した。
「夢?」
「妙な夢なんだ」
 毎日、昨夜の夢の続きから夢が始まる。
「そういう夢を見させる術、呪いなど知らないか」
「随分、ざっくりとしているな」
 金城が腕を組む。
「……不愉快な内容なんだ。誰かがオレを呪っているのではないかと考えてな」
――寿一。
 夢の中の甘い響きを思い出して、福富は身体を震わす。
「そういう話はお前の方が詳しいんじゃないのか」
 金城のその言いように福富は首を傾げる。
「お前、今泉に夢を見させてなかったか?」
 いや、それはオレの仕業ではない。と金城が首を振る。
「今泉はどうも感受性が強いらしい。オレの気配を無意識に感じ取って夢でみたようだ」
 そう言うと金城は福富の右手に視線を向ける。
「第一、お前に呪いなどかけられるはずがない。鬼がいる」
 黒い手袋の覆われた福富の右手。今、その中身は空っぽだった。新開は外に走りに行っている。
「新開は物理的な攻撃には強いんだが」
 福富は頭を掻く。
「呪術の類は苦手なんだ」
 自身が強すぎる為か、些細な術など新開は気にも留めない。まだ福富の方が気がつく。
「それは厄介だな」
 金城が眉を寄せる。
「すまないが、そのような術に心当たりはない」
「そうか」
「だが、どんな夢か教えてくれれば関連する妖怪ぐらいは教えられるかもしれない」
「夢の、内容だと」
 福富の顔が強張る。しかし、金城は真摯な目で先を促す
 その目はこう言っているかのようだ。
――言えない内容なのか。
 そんはことはない。半ば意地のように福富はその口を開いた。
「いつから見始めたのかは覚えていない」
 夢の中に新開が出たきた日が最初になるだろうか。一糸纏わない新開がすぐそばにいて、驚く自分も服を着ていなかった。目が覚めて、おかしな夢だと思ったが特に気にもしなかった。
「夢にストーリーがあって毎日、続きをみるんだ」
 その次の日。夢の中でまた福富は驚いた。まるでDVDが一時停止されていたかのように、昨夜と全く同じ場面から夢が始まったのだ。そんな福富に新開は笑いかけると、軽いキスを何度も口にしてきた。そこで、また目が覚めた。
「それは良い夢ならいいが……。それで、どんな夢なんだ」
「内容は」
 夢はどんどん進んでいった。お互いに深く舌を絡ませ口付けし、身体を愛撫された。局部に彼の手が触れ、激しく擦りあげられ高められた。何度も。何度も。
「夢の内容は」
 昨夜は、口に彼の性器を突っ込まれた。自分の頭を掴む大きな手。荒くなっていく彼の息遣い。
 全てがリアルに思い出される。
「福富?」
 金城の声が遠い。
 うるさいほど鳴る己の心臓に掻き消される。
 昨夜の夢で福富の顔が白濁て汚された後、新開は「寿一」と言って微笑んだ。
 呆然とする福富の無防備な尻が撫でられた所で目が覚めた。
 その感触を思い出して鳥肌が立つ。
「福富」
 突然、耳元で大きな音がして身体が跳ねた。
 見れば、いつの間にか金城が自分の隣に座り込んでいた。
「言いたくないのなら言わなくて構わない」
「金城」
「すまない」
 そう言うと金城は手の上に自分の手を置いた。昨夜の夢を思い出して、咄嗟に福富は払いのけようと思ったが。金城の手は思いの外冷たく、逆に心地が良かった。
「つらい想いをさせたか」
「お前が謝る事はではない」
 福富はほうと大きく息を吐いた。少しずつ頭が冷静になっていく。
「そんな風に言ってくれるな」
 緑の瞳が福富を覗きこむ。
「オレは今日お前が相談しに来てくれて嬉しかった」
 何故だろうな。と金城の整った顔が歪む。
「金城」
「力になりたいんだ」
 金城は福富の手を持ち上げると両手で包んだ。そして、その指先にそっと口付けた。
――金城。
 福富は金城を凝視する。目を伏せている金城はまるで彫像のようだ。
 窓から差し込む夕日が保健室を照らす。オレンジ色に染まるその光景は宗教画を思わせた。
 その美しさに目が離せない。囚われたように。
 息をしただけでも崩れてしまいそうな静謐な世界。
 福富が呼吸すら忘れた見守る中、金城が緩やかに目を開ける。
 意思の強い視線が福富を射抜く。穏やかで静かだった雰囲気が一変した。
「福富」
 金城の顔が近づく。
 その時、勢い良く保健室のドアが開く音がした。
「失礼します」
 福富が視線を向けると入り口に立った髪を短く刈り上げた男子生徒と目が合う。
 その生徒は慌てた様子で口を手で覆った。
「ス、スミマセン。お取り込み中でしたか」
 何を誤解したのか。彼はそう言うなり方向を百八十度転換して、激しい音を立ててドアを閉めた。
「おい」
 福富はベッドが立ち上がってドアに駆け寄る。用があって来ただろうに、遠慮することはない。
 急いで扉を開ける。そして首を傾げた。廊下の前にも後ろにもその生徒の姿はどこにもなかった。



 あの夢の一番厄介なところは抵抗が一切できない事だ。
 図書室の奥に福富はいた。丸い机と椅子が置かれたその場所は本棚に隠れて生徒から見つかりづらく、福富のちょっとした隠れ家になっている。
 眠い目を擦りながら、福富は本のページを捲る。
 金城に相談してから数日経っていたが、状況は悪くなる一方だった。
 夢の中で散々、慣らされて焦らされ。遂に親友と一線を越えてしまった。
 それでも、悪夢は続いている。
 福富にできる事と言えば、眠らぬ事だけ。だが、生物である以上睡眠をとらない事など不可能だった。
 五分でも十分でもうっかり眠れば、あの世界に連れて行かれる。そこで過ごす時間は永遠にも感じらるほど長かった。
 昨夜の己の痴態を思い出して、紙を捲る手が止まる。
 やめろ。と、いやだ。とあんなにも強固に願ったにも関わらず夢の中の自分は腕を振り上げることもしない。
 まるで自ら望むように。
――新開、もっとッ。
 福富は本を閉じて額を抑える。
 あんなもの嘘だ。ねだるような甘い嬌声を思い出して吐き気がする。
 あれが自分のはずがない。貫かれて揺さぶられて、あんな場所で快楽など得るはずがない。
 やはり、呪いの類に違いない。こちらの精神を弱らせるための術だ。
 一息つくと、福富は再び本を開いて文章を指で辿る。
 この本は金城が貸してれた物だ。何でもあの有名な“獏”を呼び出す方法が書いてあるらしい。
 獏とは夢を食べてくれる架空の生き物だ。
 福富は見たことがないが、こうした書物が存在するということは実在しているのかもしれない。
「これを試してみたらどうだろうか」とこちらを気遣うような金城の声を思い出す。
 濃い隈ができて、今の自分はひどい顔をしていたのだろう。
 金城は執拗に保健室で休むことを勧めてきた。うなされていたらすぐに起こすからと。
 だが、それを断って福富は図書館に来た。
 あの夢を見ている姿を見られるなど、死んだ方がマシだ。
 奥歯を噛み締める。静寂の中でその音が響くような錯覚をする。放課後の図書室は人気がない。
 なんにしろ、一刻も早くどうにかしなければならない。
 福富は再び目で難解な文字たちを追い始めた。

 本棚に挟まれると容易に姿が見えなくなる図書室は、ある意味“あちらの世界”に通じるものがあるのかもしれない。
 福富は前と後ろにそびえ立つ本棚を一瞥する。
 そして、本を取ろうと腕を伸ばした。自分の背より高い本棚の上部。背伸びすれば背表紙に手が届きそうだ。
 あと少しで本に触れるという時、隣から急に手が伸びてきて本を掻っ攫った。
 福富は少しムッとして隣の人物を睨む。しかし、そこによく知った顔があって息を呑んだ。
「新開」
 呆けたように呟くのが精一杯だった。
 何故。どうして。
 疑問が脳に渦巻く。新開はいつもの白い着物ではなく、箱根学園の青い制服を着ていた。
「なんだよ、人のことまじまじと。ああ、これ?」
 新開はブレザーをヒラヒラと翻す。そうしているとまるで本物の生徒のようだ。
「寿一だって」
 指を差されて福富は自らへと視線を落とした。目を瞬いた。
 いつものシャツと黒いスラックスが、新開と同様に箱学伝統のブルーの制服に変化している。
 高校生の時に戻ったみたいだ。
 袖口に触れてその感触を確かめていると肩に腕を回された。新開が顔を寄せる。
 鼻孔の奥にふんわりと甘い香りが流れた。
「なぁ」
 しようぜ。
 とっておきの秘密をばらすような悪い顔で新開は微笑む。
「何をだ」
 意味がわからず問えば、新開は福富の耳に柔らかいキスを落とした。
「わからないのか?」
 ぞくりと肌が粟立つ。
「し、んかい」
 嬲るように新開は福富の耳朶に舌を這わす。身体に小さな爆発が起きる。
 しようぜ。
 もう一度、新開は言った。

 こんなこと望んでなどいないのに。
「ふっ。ん。ダメ、だ」
 新開の首に腕を回して、まるで愛しあっているかのように舌を絡ませている。
「ダメって?」
 キスの合間に交わされる言葉には何の力もない。
 人が。そう続けようとした唇はすぐに塞がれる。そうされると、何もわからなくなってしまう。
 身体に灯る熱が熱くて。脳が溶ける。
 こんな自分など知らない。
 するりとベルトが引き抜かれる。
「人が来るかもしれないから」
 先ほど福富が言いかけた台詞を新開が逆の意味で使う。
 蕩けそうな甘い顔で新開が囁く。
「後ろ向いて。本棚に手、着けるよな?」
 疑問なのは形だけで、それは命令に近かった。
 ふざけるな。飛び出しそうになった言葉は喉の奥で引っ掛かる。 
 どうしても、逆らう事ができない。
「寿一」
 大きな目が優しく緩められる。
 ダメ押しだった。
 福富の意思と反対に首が小さく縦に振られた。

 縁に手を着けると深い緑色の背表紙の本たちと目が合った。
 同じシリーズの本なのか端から端まで緑で埋められている。
 金色に光るタイトルを読み取ろうとする前に、下着がスラックスと共にずり下げられた。
 息を詰める。と同時にチャイムが鳴り響いた。
 そうだ。ここは学校なんだと強く意識する。
 生徒たちも使っている図書室であられもない姿を晒している。
 羞恥で身体中の血液が顔へと昇る感覚がした。
 そんなことお構いなしに新開の指が容赦なく胎内へ侵入してくる。
 ぎゅっと福富は本棚の縁を強く握った。
 クリームでも使ったのか指は滑らかに奥へと進む。
「ん、ん」
 指の本数を増やされて必死で唇を噛む。後ろが物欲しげにヒクついているのが、ぼんやりした頭でもわかってしまう。
 新開は空いている手を福富のシャツの下に潜り込ませて、突起を弄ぶ。
 何度も何度も壊れた玩具のように身体が跳ねる。
 福富の首筋に舌を這わせて新開は囁く。
「そろそろかな」

 静寂の中、お互いの呼吸だけが聞こえる。
 誰に犯されているか誇示するようにゆっくりと己を埋め込んだ新開はすぐには動かなかった。
 不審に思った福富は後ろを見る。それに合わせて新開が口の端を上げる。
「誘ってんの? 寿一」
 違う。きつく睨んでも新開は余裕綽々だ。
「そんな目で見たってなぁ」
 腰、揺れてるぜ。そう言って嗤う。
「ち、ちがう」
 言葉とは裏腹に浅ましい身体は福富を裏切り続ける。ほんの数日で身体が全て作り替えられてしまった。
「これは――ヒッ」
 言い訳の途中で突然新開が動いた。強く突き上げられた衝撃で息が止まる。
 脳天へ快感が一直線に突き抜ける。
「ま、まてッ」
 福富の懇願は無視して新開は腰を掴んで激しく律動する。
「あぁっ、ンン」
 零れる声を口の中に押しとどめようとするが、うまくいかない。
 いっそ我慢などやめてしまおうか。
 身の内の熱さに脳が思考をやめ、本能に屈指そうになった時。
 急に新開が動きを止めた。
 中途半端な状態で放り出されて福富は戸惑う。
「しんかい?」
「何か聞こえないか?」
 そう言われて耳を澄ます。図書室は相変わらず静かで埃さえ落ちる気配がない。

――チャン。

 遠くで微かに声が聞こえる。福富は更に集中する。
 今度ははっきりと聞こえた。

――福ちゃん。

 背筋が凍る。
「靖友の奴、寿一を探しているみたいだな」
 人事ののようにのんびりと新開が楽しそうに呟く。
 なぁ、寿一。
「こんな姿、靖友が見たらどう思うかな」
「あ――
 頭が真っ白になる。それだけは。
 そんな福富を嘲笑うように新開は抽送を再開した。
「新開ッ」
 もし、見つかったら。焦る福富を宥めるように新開は言った。
「大丈夫だって」
 声さえ出さなければ。欲の滲ませた声色を隠そうもしないで新開は笑う。
「んッ」
 一際、強く突かれて咄嗟に唇を噛んだ。
――福ちゃん。
 荒北の声が近づいてくる。
――っっ」
 必死で声を抑える。
――福ちゃん。
 発散できない熱が内にこもって気が狂いそうになる。
 目の前に並ぶ金色の文字が踊る。
――福ちゃん。
 来ないでくれ。大きくなる荒北の声に祈るように福富は願う。
 汗で湿って縁を掴む手が滑りそうになりながら。
 新開の熱を心ごと全身で受け止めながら。
――福ちゃん。
「ん、ヴッ」
 奥の弱いところを掠め、ビクリと震える。
 荒北。荒北。荒北。必死で呪文のように名前を唱えて、耐える。
 そんな福富を新開は感情のこもらない目で見つめていた。
――ちゃん。
 そのうちに荒北は諦めたのか、再び声が遠ざかっていく。
 ほっと福富が息を吐いた瞬間、新開が前に触れた。
「あ、やめっ」
 新開は無視して、既に先走りで濡れていたそこをやわく掴んだ。
 ゆるゆると緩やかに擦りながら笑う。
「あっあっ、し、んかい、やめ」
「寿一、声」
 新開に指摘されて慌てて福富は口を噤んだ。
「ンンーー」
 新開が手の動きに合わせて腰を振る。さっきまでが遊びかと思うような福富の弱いところばかり責めてくる。。
「寿一ってさ、結構エッチだよな」
 ぬちゃぬちゃと音を立てながら前を擦る手も激しくなっていく。
「なぁ、気付いてた?」
「アッ」
 奥の深いところまで犯される。知りたくなかった昏い悦び。
「そこはッ、アアっヴ、ンン」
「靖友の声がするたびにさ」
「やめ、しんかい、ひっ」
 ここがきゅってさ。
「ひ、」ズンと強く突かれる。
 新開は声を楽しげに歪めた。
「淫乱」
「ちが、う――アッアアッンッう」
 言いいながら新開のものを締め付けてしまう。搾り取ろうとするようなその淫らな動きにゾクゾクとした快感が走る。
 知らない。知らない。知らない。
「アッアアッ、」
 奥をゴリゴリと抉られ、脳が焼き切れる。気付けば、声が。
「あっ、やめ、あ、ん、ああ」
 一度、出てしまえば止まらない。口の端からとろとろと透明の液体を垂らしながら、甘い声を撒き散らす。
――福ちゃん。
 再び荒北の声が近づく。駆け寄ってくる足音まで聞こえた気がした。
「あ、く、くる、な、アッアッ」
 腰が浅ましく揺れるのを止められない。
「寿一、もう」
 中に出していい?
 切羽詰まったように新開が呟く。
「だめ、だ、あ、」
 一瞬、絵が浮かぶ。荒北の目の前でたっぷりと種付けされる自分の姿が。奥がきゅっと絞まった。
「あッイク、アッアアアアアッ」
 頭の中を白い閃光が埋め尽くす。何も考えられなくなる。
 同時に後ろにドクドクと生温かいものが注ぎ込まれた。
 荒い二つの息が鼓膜を震わす。
 身体は気怠い虚脱感に襲われ、喉がカラカラに乾いていた。
――福ちゃん。
 すぐ近くで響いた声にのろのろと福富は顔を上げた。

「福ちゃん」
 目を開けると心配そうな荒北の顔があった。
「荒北?」
「ったく、こんな所で寝てたら風邪引くじゃナァイ」
 どうやら本を読んでいたつもりがいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「どうしたんだよ。最近、様子もおかしいし……」
 まだ夢から醒めきらずぼんやりと荒北を眺めていると、その荒北がまじまじと福富の顔を覗きこんだ。
「どうした?」
「なんて顔して――
 荒北はそこまで言うと急にきょろきょろと周囲を見渡し、顔を寄せてきた。
 荒北の長い下睫毛の曲線まで見える距離。
「近い」
 避けるのも億劫で福富は荒北を睨む。
「福ちゃんが悪い」
 頬を薄紅色に染めて荒北も福富を睨み返す。
「そんな顔されたら我慢できねェ」
 そんな顔とは果たしてどんな顔か。薄い荒北の唇がスローモーションのように近づいてくる。
 それを人事のように眺めていると、本棚の方から床を突くような派手な音がした。
 荒北がすっと身体を離す。
「チッ」
 舌打ちをする荒北の視線を辿ると、一人の生徒が床に散らばった本を必死に拾っている。
 さっきの音はこれが原因のようだ。
 福富はじっとその生徒を観察する。
 見覚えがあった。どこで会った事があるのだろうか。福富は頭を捻る。
「ところで福ちゃん、この本どうしたんのォ?」
 すっかりいつも通りに戻った荒北が、福富の本を指さす。
「あぁ、それは――
 福富は生徒から目を離す。荒北の質問に応えようとして気付く。
 短く刈られた黒髪。遠くからでもはっきりわかる長い睫毛。
 あの生徒は、金城と話していた時に保健室にやってきた生徒に似ている。
 福富は顔を上げる。
 例の生徒は既にどこにもいなかった。




2015/02/07