星を掴む


 


 どれくらい経っただろう。ふと背後から僅かに足音がすることに荒北は気が付いた。顔を上げようとして、荒北は硬直する。潮の香りに混じってよく知った匂いがした。
 荒北が顔を伏せたままでいると、足音はどんどんと大きくなり、ついに荒北のすぐ傍まできた。そして、隣で腰を下ろす音が聞こえた。
「探したぞ、荒北」
 荒北は観念して顔を上げる。そこには予想通り仏頂面をした福富が荒北を見ていた。福富も荒北同様に布団に入った時と同じラフな格好をしている。着替える間もなく、荒北を探していたのだろう。
「ごめんね、福ちゃん」
 海が見たくて。言い訳にもならないことを呟く。冷や汗が出る。今、荒北の頭の中は嵐に遭ったかのようにぐちゃぐちゃだった。そんな荒北に福富は何も言わない。沈黙が我慢できなくて、荒北は一方的に喋り続ける。
「新開から聞いたけど。福ちゃん、明早大学行くんだな」
「チャリ部強くて有名だもんなァ」
「あそこ偏差値高ェし、新開受験大変だな」
「オレの学力じゃ、ぜってェ無理」最後の一言は余計だ。荒北は己の浅ましさに自嘲する。こんな無駄な予防線を張るほど、まだ心のどこかで期待している。福富が「一緒の大学へ来てくれ」と言うのではないかと。
 福富がそう言ったら荒北は行くのだろうか。荒北は自問する。
「荒北はどうする」
「オレェ? まだ本命は決めてねェけど。多分、理系の学部がある大学行く」
 無難に荒北は、先生や親に言っている内容と同じ答えを返す。
「そうか」
 福富はそれだけ言ってまた黙ってしまった。ロードに関する話を振ってこないのは、やはり荒北の選択肢になど興味がないのだろう。改めて突きつけられる現実が痛い。しばらくふたりで波の音を聞いていた。

「そういえば、東堂から聞いたのだが」
 唐突に福富は空を見上げて語り始めた。つられて荒北も空を見る。
「荒北は星ではなく花火になりたいそうだな」
 思いもつかない話題を持ちだされて、荒北は赤面した。東堂、コロス。宿に帰ったらまずやることが決まった瞬間だった。
「福ちゃん。それは違くて」
 弁明する荒北を無視して福富は続ける。
「オレはそれを聞いて楽しみだと思った」
「ハァ?」
 楽しみ。予想外の言葉に目を丸くする。今の荒北は燃え尽きた花火だ。昨夜の手持ち花火のように水にぷかぷかと浮いている存在だ。
「お前の花火なら、誰よりも高い位置で大きく散るだろうな」
 当然のように福富は言う。荒北は打ち上げ花火で、まだ空へ昇っている最中なのだと。
「福ちゃん」
 オレは打ち上げ花火なんてキャラじゃねェ。福富の穏やかな顔に喉まで出かけたセリフが引っ込む。福富は更に続ける。
「きっと派手なんだろうな」
「……当然だろォ。福ちゃんがどこにいてもわかるくらいでっけー花火、見せてやるよ」
 不敵に荒北は笑った。
「期待している」
「あんがとね。そういえば、福ちゃん」
 寝る前までのぎこちない空気が嘘のように、荒北と福富は色々なことを語り合った。
 しかし、話す荒北の脳の一部はジーンと震えていた。奇妙な感覚だが、仕方がない。こうして心を麻痺させていないと福富にバレてしまう。荒北の心を今占めているものが絶望だということが。
 期待されていると福富に言われた時、純粋に嬉しかった。心の中で福富の期待に応えようと腕をまくる自分がいた。福富のたった一言で。そう、たった一言だ。荒北は前へと進もうとしたのだ。今までの停滞が嘘のように。
 荒北にとって福富とは、船乗りを導く星と同じ存在だ。疑いようもなく。
 では、その逆は。福富にとって荒北は何だろうか。
 福富が辛かった時、荒北は何もできなかった。インハイも優勝させることができなかった。福富の人生において、荒北が必要な場面などあるのだろうか。
 ないだろうな。残酷な結論を荒北は脳内で呟く。
 福富寿一に荒北靖友は必要ない。これが現実だ。
 それでも、荒北は冷静だった。 
 この世にはどうしても叶わない望みがあることなんて、とっくに知っている。肘が壊れたあの日から。だから、荒北が願うことは脳の震えが永遠に止まらずに、心が麻痺し続けることだ。
 福富とは別の大学へ行って、ロードも辞めて。彼から忘れ去られて。いつかプロで活躍する福富をテレビで目にする日が来ても。心が麻痺していればいい。そうなれば、バラバラに心が千切れても前に進める。
 もしも、いつか福富の言うとおり荒北の花火が空に散る時。それを見た福富が荒北のことを一瞬思い出す。そんな幸福な夢を見続けて荒北はひたすら進むだろう。あくまで一方的。福富の“特別”に荒北はなれない。

 話が一段落着いたところで荒北は空を見上げた。星々が高価な宝石のように瞬いている。
「昨夜も思ったが、すごいな」
 隣で福富が感心したように呟く。その様子に荒北の中で悪戯心が湧く。
「福ちゃん、星とかわかんのォ?」
「授業で習ったくらいなら」
 落ち着いた声で応えると、福富は空を指さした。そこには一際輝く星があった。
「あれがベガ、織姫の星とも言われている」
「ヘェ」と荒北が気の抜けた返事をする間に、福富は今度は違う星を指さす。
「これがアルタイル、彦星だ」
――案外近いじゃん。織姫と彦星」
 年に一回しか逢えない伝説が有名なわりに。と荒北が言うと、福富は眉を寄せた。
「近いように見えても実際は」
「んなことはわかってる。でもよ」
 空で光る織姫と彦星の間は、荒北と空への距離よりはずっと近く感じる。
「彦星も織姫も根性が足りないんじゃねェの。会いにいけばいいんじゃナァイ」
 天の川なんて泳いで渡れ。いつでも、会いにいけばいい。荒北は言う。

「同じ世界にいるんだからよ」

 息を呑む音が聞こえた。
 福富へと視線を向けると目を大きく開き、僅かに口を開けていた。
「福ちゃん?」
 何かおかしいことでも言っただろうか。荒北が心配して呼びかけると福富は大きく息をはいた。そして、口元を抑えてクックと笑い始めた。
 あまりに珍しい光景に荒北が声を失っていると、福富は笑いを収めて真顔で言い放った。
「荒北はロマンチストだな」
 言われたセリフに頬が熱くなる。
「ち、違ェよ。全然違ェ」
 手を大きく振って慌てて否定する。東堂や新開に知られた日には、何てからかわれるか知れたものではない。
「星なんかよォ、取って売ってやろうて考えてるから」
「星を取る?」
 福富が不思議そうな顔をする。荒北は恨めしそうに星々を見つめる。
「取れるなら取りてェよ」
 こんだけあったらいくらになるのだろうか。我ながらがめつい。苦笑する荒北を置いて、突然福富が立ち上がった。
 帰るつもりだろうか。福富を見上げて荒北は少し残念に思った。福富とふたりだけで話す機会はそう多くはない。なんだか名残惜しい。もう少し引き止められないかと荒北は思案する。
 しかし、荒北の予想はあっさりと覆された。
「荒北」
 立ち上がった福富は海へと数歩近づくと、振り返って呼びかける。ついてこい。とでも言うように。
 海に入るつもりなのか、福富のビーチサンダルは荒北の隣に脱ぎ捨てられていた。
「荒北」
 動かない荒北に焦れたのか、福富がもう一度名を呼ぶ。静かだか有無を言わせない響きがあった。
「ヘイヘイ」
 荒北も立ち上がり、サンダルを脱いで福富の後を追う。
 先を行く福富が海へと入ったのを見て、荒北も覚悟を決めた。勢いよく音を立てて海へと入っていく。ぬるい海水が足にまとわりつく。飛沫を上げつつ進んでいくと、福富は海面がちょうどひざ下くらいにくる所で荒北を待っていた。
「福ちゃん、急にどうしたんだよ」
「水をすくえ」
 荒北の質問には答えず、福富は新しい指令を出す。さっぱりわからない。
 とりあえず腰を屈めて両手を海の中へと突っ込む。そして、水が溢れないように、ゆっくりと胸の位置まで持ち上げる。
 すると、福富が荒北の手の中を覗きこんだ。
「荒北、見てみろ」
 福富は無邪気に話しかける。荒北は自分の手の中を見る。そこには、星空がうっすらと滲んで見える。
「星が見えるだろう」
 得意そうに福富が言うと、怪訝な顔をする荒北の指先を両手でそっと包んだ。荒北はぎょっとした。そのまま、福富は荒北の指を優しく折り曲げて握りこませる。

「星を捕まえたぞ、荒北」

 ロマンチストはどっちだ。
 荒北は言おうとして、言えなかった。福富の顔を見たら、胸がいっぱいで。うまく息ができない。握られた手が熱い。福富の手は依然として、荒北の手を握っている。
「すまない」
 福富が目を伏せる。
「実はずっと怒っていた。お前がロードを辞めると聞いた時から」
 意外な告白に荒北は呼吸を止めた。嘘だ。福富は荒北がロードを続けようが辞めようが気にもしないはずだ。
「オレより先に新開に言ったことにも腹が立った」
 お前はロードのことについては一番にオレに言うと思っていたから。福富は呟く。
「ごめんねェ」
 荒北はそう言うだけで精一杯だった。じわじわと心に広がる喜びの感情を抑えるのに必死だった。そんなわけねェ。勘違いすんな。絶対に違う。
「これはオレのわがままなんだが」
 荒北の気も知らず、福富の告白は続く。
「お前にロードを辞めないで欲しいと思った」
 お前の走りが好きだ。と言った後で福富は首を振る。
「それだけではないな。ダメだと思った」
「ダメ?」
 息も絶え絶えに荒北は問う。
「ロードを辞めたら、荒北とオレをつなぐものがなくなってしまう」
 なんだそれは。その言い方だとまるで――
「福ちゃん」
「荒北に会いに行く口実がなくなってしまう」
 はっきりと。荒北の目を見て福富は言った。
 大きく荒北が目を見開く。嘘だ。その音は声にならなかった。
 会う口実だって。そんなバカな。それでは福富が荒北に会いたいみたいではないか。ロードを辞めた荒北に会いたいなど思うはずがない。
「嘘だ」
 やっとの事で告げた声は小さく、福富の耳へは届かなかった。
「別の大学に行っても大丈夫だと考えていた。ロードという絆がオレたちの間にはあるんだと信じていた」
 荒北の脳裏に福富から譲り受けたビアンキが浮かぶ。
「お前が、やめると聞いて。手が届かない所へ行ってしまうような気がした」
 逆だ。荒北は心の中で叫ぶ。福ちゃんがオレを置き去りにするんだ。
「だが、違った」
 静かに福富は告げる。
「違う?」
 呆然と荒北は尋ねる。
「オレたちは織姫と彦星と同じだ」
「ハァ?」
 今度こそ荒北は大きな声を出した。手の中の星がジャプンと揺れる。
「さっきからナニ言ってんだよ。どうしたんだよ、らしくねェ」
「聞け、荒北」
 福富は穏やかな声で続ける。
「会いたければ会いに行けばいいんだろう? どんなに離れていても」
「あっ」その言葉に荒北は先ほど言ったことを思い出す。

『会いに行けばいいんだ、いつでも』
『同じ世界にいるんだからよ』

 そんな荒北を福富は柔らかい眼差しで見つめ、告げた。
「会いにいってもいいだろうか。卒業をしたら、もうお前はオレに興味などないかもしれないが」
 オレはロード以外のことは知らない男だから。
 そう告げる声が微かに震えているのは、荒北の気のせいだろうか。
 ああ、神様。信じられんねェ。荒北の目に薄い水の膜ができる。どうにか口を開いて福富へと語りかける。
 どうしても確かめたいことがあった。
「他の大学にオレが行っても」
 荒北は睨むように福富の目を見る。その視線を福富は真摯な顔で受け取る。
「ロードを辞めても」
 福富の眉が僅かに動く。それでも、荒北は目を逸らさない。地獄へと下ろされた蜘蛛の糸にすがる亡者の如き必死さで。
「オレに会いたいかよ」
 ただあるがままの荒北靖友という人間に。
 宿の来る途中に車の中で交わされた会話を思い出す。もし、福富がロードに関わらない人間に執着を見せることがあるとすれば。
『そんな人間がいたとしたら、寿一にとって本当に――特別な存在だな』
 そう言って淋しそう微笑む新開が荒北の視界に浮かぶ。あの時、荒北は新開でさえ福富の絶対基準から逃れられないことを悟った。
「ねェ、福ちゃん。どんなオレでも」
 荒北はなおを言葉を重ねる。
 その口を塞ぐかのように急に強い向かい風が吹いた。風圧に荒北は反射的に目を閉じる。
 一瞬の暗闇の中で――
「会いたい」
 力強い声がした。それはロードレースで彼がオーダーを出す時の声に似ていた。荒北がこの世で一番信じられる声。そう思ったら、限界だった。
 こらえていた涙が瞼を乗り越える。頬を伝って、海へと落ちていく。
「荒北」戸惑う福富に、荒北は大切な宝物を優しく包むように言った。
「あんがとね」
 福富を見つめる。視界が涙で滲んでいても、荒北には福富がどこにいるか、どんな顔をしているかが手に取るように分かった。
 荒北は手の中の星が溢れないように注意しながら、少し背伸びをした。福富の額に自分の額を優しく当てる。
 こうするともう福富しか見えない。綺麗な星空も。暗い海も。見えない。
「荒北」
 そう言う福富の息が顔にかかるくらいの距離。
「捕まえた、福ちゃん」
 今度はオレの話を聞いて。
 口の端を上げて涙で濡れた頬もそのままに荒北は笑う。
「オレ、福ちゃんと同じ大学行きたかった」
 福富は何も言わない。荒北はそのまま続ける。
「同じ大学へ行ってチャリ部入って、今度こそ福ちゃんに王冠をあげたかった」
 大学までなら努力でどうにか誤魔化せると自惚れでもなく荒北は踏んでいる。新開ほどではないにしろ、王者箱学でレギュラーの座だった実力だ。その証拠に、福富はまだ黙っている。ロードに関することで間違いがあれば、訂正を入れるはずだ。
「んでよ。プロの世界に羽ばたく福ちゃんを見送って、そこでお役御免」
 別れの時に荒北の心に浮かぶものはなんだろうか。この海のように深い悲しみか。この星空のように輝かしい誇らしさか。
 おそらくそのどちらでもないだろう。
 浮かぶの冷え冷えとした諦観だ。「アァ、いつかこの日が来るって知ってた」と空虚に言い聞かせて。後の余生はふらふらと幽霊のように過ごすのだろう。それも悪くないと思う自分も確かにいる。
「でもよ、同時に考えてた。オレの人生の責任を福ちゃんに押し付けてもいいのかって」
「人生の責任?」
 福富は神妙な顔をして荒北の話を聞いている。
「そっ。福ちゃんを言い訳にして、自分の将来決めていいのかって」
 誰かを理由にして選択するということは楽だ。
『なーんも考えずに決めたんじゃねェの』
 昼間、新開に放った暴言を思い出す。あの言葉は荒北自身への戒めでもあった。
 一緒に行こうと差し出された手を掴んでしまわないように。
 新開の申し出が真に魅力的だったからこそ、荒北は強引にでも振り払わなければならなかった。
「だからね、福ちゃん。オレはこれからたくさん悩む」
 高校三年間。思えば、荒北はずっと福富の背中を見ていた。ロードに情熱を注いで、走って。どこか未来を見ないふりをしていた。
 将来のことなど、あの日――肘を怪我した日から考えたこともなかった。
“野球選手になりたい”頭の中で幼い自分が笑う。わりィ。荒北は心の中で詫びて、その身体を抱きしめる。もうコイツをなかったことにはしない。
「正直、やりてェこともわかんねェし、理系でやってけんのかも知んねェ」
 悩んで出した答えが合っているとも限らない。あの時、あーしていればと後悔する日もあるだろう。
 ひどい失敗をして、もう立ち上がれないと嘆く朝もあるかもしれない。
――それでも。
 夜が来れば、手の中にあった星を思い出すだろう。
 どんな荒北でも会いたいと言ってくれた心を照らす仄かな光を。
 そしてまた荒北は歩き出す。どうしようもない自分を認めて、逃げない。
 荒北のは福富の目を見つめる。その瞳に映る自分は泣いて酷い顔なのに、どこか清々しい顔をしていた。
「オレはオレの道を進む」
 あるがままの自分を受け入れて、荒北らしく生きていく。たとえ、もういらないと誰かに――福富に言われようと、自分の道を行く。それは悲壮な決別ではない。
 違う道を行くからこそ伝えられることもある。
「でも、福ちゃん。地球の裏側にいても会いに行くからァ」
 福富が望む望まないに関わらず、荒北が会いたいと思うならば会いにいっていいんだ。誰の意志にも囚われずに自由に生きる。叶うあてのない願いを胸に抱き続けることも。
『お前は今、前を向いていない』
 やっと荒北は線香花火の時に言われた言葉の意味を理解した。
 願いや望みがあるから人は前を向ける。だから、望みを持てと彼は言いたかったのだろう。相変わらず言葉が足りない。
 他にも花火の例え話で励まそうとして、本当にこの鉄仮面はわかりづらい。
 間近にある福富の目を睨めば、その目が柔らかく細められた。
「あぁ」
 福富が微笑む。至近距離の笑顔に何故かどきりとした。福富が口を開くまでは。
「オレたちは織姫と彦星だ」
 福ちゃん、それ気に入ったのォ。脱力して荒北の涙が引っ込む。
「ていうか、どっちがどっちなんだよ」
「それは考えていなかったな」
 気まずそうに目を逸らす福富が面白くて荒北は吹き出す。ゲラゲラと笑う荒北を横目で福富が睨む。
「にしても福ちゃんはともかく、オレは星なんてキャラじゃねェよ」
 いいとこ花火なんだけど。と荒北が言えば福富が真剣な顔をする。
「問題ない」
「何が」
 半眼で見つめる荒北を意に介せず、福富は続ける。
「打ち上がった花火はどうなると思う、荒北」
「ハァ? 地面に落ちんじゃねェの」
「違うな」
 大真面目な顔をして福富は言い放った。
「そのままに空に残って、星になるんだ」
 やっぱ、福ちゃんの方がロマンチストじゃナァイ。荒北は笑った。
 心がいっぱいで。うまく笑えていたかはわからない。



 ふたりで民宿に戻ると部屋の電気は点いていた。驚く荒北に「おかえり」壁にもたれた新開が穏やかな声で言う。そして、うるさい奴が静かに素早く荒北の前へとやってきた。
「ずるいぞ、荒北。オレたちに黙って遊びに行くなんて」
 ばっちりカチューシャを装備した東堂が声を抑えて意地悪く笑う。そこで荒北は気付いた。新開も東堂も寝ていた時の格好ではない。いつでも外に出れるような私服に着替えている。
「まぁ驚いたよ、起きたら靖友いないし」
 新開はのんびりと話す。
「まったくだ。フクはひとりで迎えにいくと言うし」
 頷く東堂。
「寿一の奴。線香花火の優勝の願いごとだ、ひとりで行くって言ってきかなかったんだぜ」
 お陰でオレたちは待機組だよ。呆れたように新開は笑う。
「マジかよ、福ちゃん」
 隣にいる福富を見る。福富は頬を赤くしてそっぽを向いた。
 そんなふたりを置いて、新開と東堂が顔を見合わせる。
「でもな」
「そうだな」
 お互い頷くと東堂が代表するように言った。
「良かったな、仲直りできて」
「ハァ?」
「照れるな、荒北。仲よきことは美しきことだぞ」
「ッゼ。んなことどうしてわかるんだよ」
「どうしてって靖友」
 東堂に喰ってかかる荒北と顔の赤いままの福富との中間を新開はばきゅんと射抜く。
「寿一と手を繋いだままだぜ」
「あ」荒北と福富は同時に声を上げ、手を離した。そうだった、すっかり失念していた。
「フクもまだまだだな」
 東堂が福富をからかっている間に、新開が荒北の耳へと口を寄せる。
「なぁ、靖友は寿一に何かお願いされたか? 線香花火の」
 荒北は曖昧に微笑んだ。
「さあな」


2015/02/01