序章
 海を渡ってきた風が急勾配を駆け上がり、日に灼けた花崗岩に潮の色を吹き付ける。ミシディア領のほぼ中央に位置する聖峰”試練の山”は、緑と青の境を貫くように、何百年と変わらぬ姿で聳えている。 
 草木貧しい不毛の岩山。そのよりにもよって山頂に、三月程前、一人の男が小屋を建てた。風雨に洗われ色褪せた扉の脇には、不釣り合いに立派なミスリル製の看板が張り付けられている。そこに書かれている文字は、強烈な直射日光に削られ殆ど形を失っているが、かろうじてこう読める――バロンミシディア親善大使館。 
 強い日差しが降り注ぐ昼下がり。野晒し大使館の扉が開き、中から男が二人出てきた。前を行くのは、白金のような硬質の輝きを持つ長い髪をきつく結わえた長身の男だ。浅黄の長衣に細い鎖を編み付けた軽鎧を重ねた体は、装着物の嵩を引いても逞しいと形容するに十分だろう。甲部分に箔鉄を打ち付けた頑強な靴が、所々苔帯びた大地を踏む。恐らくは無意識に一定の調子を保つその歩き方からして、兵役経験者であることは想像に難くない。事実、その背に負った背嚢の上蓋中央には、一カ所だけ凧状に布色の違う部分がある。そこには以前、彼の所属を明らかにする徽章の類が縫い付けられていたのだろう。 
 一方、前を行く連れとは対照的に背を丸めがちにして歩くのは、滅紫の髪を頭蓋に沿って短く刈り、うなじの一房のみ綾を巻き付け長く背に垂らすという、何とも奇妙な髪型をした痩身の男だ。首元と左肩のみを覆う型の肩当てを付け、濃紺の袖無し衣から露出した二の腕に楔形の金具を皮帯で固定している。外臑から足の側面を保護するように金属板を貼り付けた靴は水面に落ちた木の葉のように流れ、その上に乗る重さをまるで感じさせない。足運びに合わせ、太股あたりにまで垂れた一条の髪が尾のように揺れる。 
 白金髪の男は小屋のある補峰と主峰を結ぶ吊り橋を渡り、古代遺跡のある脇峰へと連絡する岩棚に向かった。岩棚といってもその表面はほぼ平らで、件の大使館小屋を二軒ばかり優に立てられる程の面積がある。バロン戦役当時は、この岩棚へ登るための粗末な階段があったのだが、ミシディア沿岸に沈んでいた月連絡船浮上の際に起きた局地地震により、現在は崩れてしまっている。 
 男は瓦礫の積もった階段跡の手前で、やにわ跳躍した。その体は優に背丈の三倍はあろう切り立った岩壁を何の苦もなく越え、岩棚の上に降り立つ。 
 男にやや遅れて、その連れも岩棚に到着した。 
「お前よー、登るの手伝おうとか考えねぇわけ?」 
 少ない凹凸を手がかりにようよう岩を登り切った後続は、友情を振り返りもせず先を行った男に文句を投げる。 
「勝手に付いて来てその言いぐさは何だ。」 
 白金髪の男は涼しい顔で連れの非難を一蹴した。だが、それで沈黙する連れではない。 
「可愛くねえぇえ! 普段世話になってる礼に夕飯の調達付き合ってやろうってこの優しい気遣いが分かんねぇのかよ?」 
「だったら連日世話になりに来るな! 全く、国の再建はどうしたんだ! 遊んでいる場合じゃないだろうが!」 
「なぁーに言ってんの。再建は大工の仕事だ、俺様はこうして他国との交流を深めるために日々努力してるんじゃねぇか。」 
「何が交流だ、人の家の裏にデビルロード開けやがって!」 
「そりゃちょっとした手違いってやつよ。本当はバロンに繋がるはずだったんだけどなあ、ひゃっはっはっは!」 
「……不毛だ……」 
 頭痛を痛めた男はファブール海溝よりも深いため息を付いた。みすみす相手の掌中に乗ってしまった己の愚かさに腹が立つ。 
「ま、俺がこうして毎日遊びに来てやりゃ楽しかろ? お前一人でいるとどこまでも鬱屈すっからよ。」 
「はいはいはいはい身に余る光栄ですよ若様。」 
 投げやりに返し、男は背嚢に差していた前腕長の鉄棒を抜いた。滑り止めの布が巻かれた握りを持ち、円を描くようにして風を切る。と、棒の先端が三段に伸び、小型の槍に姿を変えた。 
 山の周囲に溜まる湿った空気が、飢えた敵意を真綿のように吸い寄せる。携帯性を重視した簡素な武器を手に、男は風に耳を立てた。獲物の気配を嗅ぎ付けた猛禽たちの蠢動を感じる。みるみる数を増す羽音は切り立った崖を登り近付いてきた。 
※昨年末から引き続き、巨鳥類は数を増し続けている。森林がちなこの国にあって希少な尾長麦の畑を荒らすに留まらず、果ては漁り小船まで襲われるとあっては、人手による狩りで頭数調整をしなければならない。この山は、散々人里を荒らした鳥たちが塒へ戻る際経由する場所だ。 
「こりゃ食い切れんわ。」 
 およそ十倍は下らぬであろう敵を視界に捉え、剣鼠頭の男は口笛を吹く。 
「しばらく鳥尽くしだな……。」 
 野ざらし大使館料理長は手にした得物で十字に風を切った。 
「また全部町へ持って行ってさばこうぜ。」 
「よしてくれ。”お惣菜屋さん”なんて看板を貰っても困るんだ。」 
 親善大使に愛嬌溢れる通り名が付くきっかけを作った男は、相棒の武器の矛先が己の方を向かぬ内に駆け出した。 
 一人突出した男の頭上を鉤爪が掠める。姿勢を低く構えた男は、袖口に留めた武具帯から金具――苦無を抜き、無防備な巨鳥の腹を喉元から縦に裂いた。焦げ色の血をマントで受け、牙剥く一つ目を苦無で潰す。 
「大当たりぃ! やったね俺様!」 
 外しようのない大きな的だが、満点圏である瞳孔の中心に命中したとなれば話は別だ。 
 四匹の巨鳥が浮かれる男に挟撃をかける。男は胸の前で交差させた両腕を羽ばたくように広げた。飛翔の叶わぬ翼から放たれた鋼鉄の羽根は、過たず巨鳥の眉間に吸い込まれる。急所を割られた鳥は、失速しながらも目標地点まで滑空を続け、折り重なって息絶えた。 
「ヒャッホー! 俺様無敵♪」 
 背後からの突進を跳躍で避け、最後の苦無を首の付け根に打ち込む。手持ちの飛び道具を投げ切った男は、腰に差していた短刀を抜いた。主力とするには心許ない武器であるが、残存している僅かな敵を葬るには十分である。 
 切れ味を確かめるついでに一匹切り払ったところで、男は異変に気付いた。敵が攻撃を止め、次々と飛び立っていく。 
「おンやぁ〜?」 
 巣に戻るのかと思いきや、そうではなさそうだ。皆、森へ降りていくのではなく、さらに上空へと昇っていく。敵の向かう先を見極めるため頭上を降り仰いだ男は、しばし言葉を失った。 
「な……!」 
 太陽を覆う巨大な影。翼で飛翔する生物とは明らかに異なる流線型のシルエットは、バロンを世界最強の軍事国家たらしめた今世紀最高の発明――飛空艇。 
「カイン!」 
「ああ、見えてる……。」 
 名を呼ばれ、専ら相棒の後方援護を務めていた男――カインは、半ば呆然と答えた。空を駆ける巨大な船体の影は立ち尽くすちっぽけな地上の影を飲み込む。 
「ありゃあ……”赤い翼”か?」 
 空き手でひさしを作り空を仰ぐ相棒の言葉に、カインは血相を変えた。 
「バカな! ミシディア上空は不可侵空域――」 
「でも飛んでるぜ実際。」 
 バロン戦役以降飛空艇が飛ぶことを禁じられた空域を侵し、船は悠然とミシディアの町へ向かう。 
「また戦を仕掛けようってか?」 
 今日と同じく良く晴れた日に故郷を焼かれた男は呟く。 
※「いや、侵攻が目的ならば、一機だけというのはおかしい。」 
 ※心ならずも、数多の地を焼く松明の掲げ手となってしまった国を故郷とする男は明確に否定した。 
 バロン王国空挺部隊を兵力として用いる場合、五機の飛空艇を一部隊とし、それ以下での運用はない。これは飛空艇という隠密性皆無の兵器を運用する上で考案された最小の戦闘単位であり、旗艦を先頭に鳥翼隊列を組み波状爆撃を最も効果的に行うための編成でもある。 
※もっと言えば、一機だけでの航行自体相当おかしい。一機だけで飛ぶことがあるとすれば、飛行演習中だけだ。国外領空で飛行演習? ありえない。 
「セシル……一体何を考えている?」 
 この世界で唯一”赤い翼”に命を下す権利を持つ者の名が口を付く。クリスタル戦役の英雄を疑いたくはないが、バロンの戦闘飛空艇が不可侵空域を飛んでいる事実は覆せない。 
「なぁ、」 
 憂いに身を沈めていたカインは、注意を促す呼びかけで我に返る。 
「あの船おかしいぜ。」 
 陽光を反射する飛空艇の軌跡を追っていた男が異常を訴えた。一目瞭然な事実を告げる相棒に、カインは呆れて口を開く。 
「何をそんな分かり切った――」 
「じゃなくてよ、こう、何かふらふらしてねぇ?」 
 予想通りの指摘を遮り、男は見たままを手真似で表した。カインは目を凝らし、上下に波打つ手の動きと飛空艇の動きとを見比べる。 
 観察を始めた直後から、拳大ほどに見えた流線型の鉄塊は輪郭を二回り程も増した。それから三つも数えないうちに今度は鶏卵大まで縮む。 
「どっか調子悪ぃのかねぇ?」 
「不時着しようとしている訳でもなさそうだが……。」 
 機関に故障が生じたのならば、まず着陸を試みるのが定石だ。しかし、巨大な船体を進める数多のプロペラは狂ったように回転しており、減速を掛ける素振りは全く見られない。 
 混乱する二対の瞳の先で、飛空艇の輪郭が再びぶれた。なめらかに拡大された船尾に、鮮やかなバロンの国旗が掲げられている。十字に打ち合った槍と剣の刃先で笑う悪魔の頭蓋は、気流の渦を従え誇らしげに翻った。 
「”赤い翼”……。」 
 カインは苦々しく呟く。※正規航行であることを示すミシディア国旗か、飛行トラブルを示す白旗に掲がっていてほしかった――僅かに残っていた希望が跡形もなく砕けた。 
 地上に渦を巻く複雑な思いをよそに、異常飛行を続ける”赤い翼”は視認出来る限界を超えていく。 
「どうするよ。」 
 短剣を腰に差した男は、寡黙な相棒に今後を問うた。 
「ここで議論していても埒があかん。街へ降りよう。」 
 簡単に言うものの、徒歩では一日もかかる距離だ。男が友人宅に押し掛け始めて間も無い頃、交通の不便を解消するために山頂から町の入り口まで結ぶ長大且つ粗末な滑走式策道を通したことがある。嫌がるカインに無理矢理縄を巻き付け送り出したところ、加速がつきすぎて縄が焼き切れ、丈夫が取り柄の竜騎士が全治一週間の怪我を負うという悲惨な結果に終わった。 
 ”火の玉大使”の異名を頂戴した怪我人の不貞腐れ面を思い出し、男はこみ上げる爆笑を必死に圧し殺す。 
「……非常に不愉快だが今はその件を蒸し返している場合じゃない。頼むぞエッジ。」 
「オッケー! んでは久々の♪」 
 横隔膜の痙攣を何とか治めたエッジは、”火の玉大使”事件以来、在庫を絶やさぬようにしている道具を懐から取り出した。 
※ エブラーナでしか入手できないこの道具は、見た目こそただの黒い小石だが、実際は特殊な配合の火薬を固めたもので、衝撃が加わると大量の煙を発する。当初は敵への目眩ましとして使用されていたのだが、長年の研究の末、拓けた空間ならば、水を越えない限り風の流れる方向へ移動する事が可能となった。 
※ これほど便利な道具が何故流通しないのか。それは、使用出来る者が限られているためだ。エブラーナ王家の人間――バロンの発音で言うとニンジャー――にしかこの道具を扱えない。エブラーナの現君主は、自分専用の便利道具を振りかぶり、勢い良く地面に叩きつける。 
「トンズラの術〜!」 
 爆発音と共に上がった多量の煙が、二人の姿を完全に覆いかき消した。 
 
 ミシディア国主都――創世神話の唯一神と同一視される大魔導師”アブサロム”が建国したとされ、数々の優秀な魔導士を育成、輩出する魔導国家である。悠久の歳月が流れるままに魔法陣の守護を失い、先のバロン戦役では第一の犠牲となった町並は、住民の努力とバロンからの支援により、今ではすっかり美しい佇まいを取り戻した。 
 幅広の薄い緑葉を撫でる風は湿りを含み、灼熱の季節の訪れを暗に伝える。色煉瓦を敷いた歩道でつむじを巻いた風が砂を巻き上げ、商店の木戸に吹き付けた。 
 穏やかな昼下がり。しかし、町は不気味なほど静まり返っている。物売りや、買い出しの婦人や、魔法学院の生徒など、普段ならば何処にでも溢れているはずの姿が、今日は何処にも見あたらない。大通りに軒を連ねる商店は一様に木戸を閉ざしている。 
 生きている町の気配を塗り込めてしまったかのような石壁が並ぶ住宅街に、高く軽い靴音が重なり響いた。元気良く軽快に響く足音を、小刻みでより軽量な足音が追いかけているようだ。先を行く足音は通りを渡り、路地を抜ける。だが、後を追う足音は路地の手前でふつりと止んだ。 
 全力で走っていた幼い少年が、後続の停止に気が付くまでは少し時間がかかった。栗色の髪をうなじで編み結わえた少年は、褐橙の糸で棘草模様を描いたチョッキの裾を翻し、路地の壁に寄りかかって息を整える連れの元まで引き返す。 
「ポーロムっ! 何やってんだよ、先行っちゃうぞ!!」 
 少年にポロム、と呼ばれた幼い少女は額に滲んだ汗を拭った。足に張り付く薄藍のローブの裾を持ち、上下させて風を入れる。差し出されたハンカチを握りしめ、少女は小さな唇を僅かに動かした。聞き取れなかった少年は、男女の差こそあれど瓜二つの顔を突き合わせる。ポロムはもう一度、肺いっぱいの酸素を集めて同じ言葉を口にした。 
「……先に行ってパロム……少し休んだらすぐ追いかけますわ……」 
 片割れの疲労を見たパロムは、やや高い位置にある彼女の頭を拳で軽くこづく。普段ならば五割増の利子を付けてやり返されるのだが、今は手を上げる気力もないようだ。 
「公園で座ってこうぜ。」 
 休憩を提案した少年はぐいと手を突き出す。ポロムは湿気を含んだ掌を重ね、引かれるままに歩き出した。 
 路地を抜け通りを渡ってしばらく歩けば公園がある。僅かな距離だが、疲労の浸みた足には永劫に等しい。公園の入り口に辿り着いた途端、ポロムの膝が崩れた。パロムは、その場にへたりこみかける少女を支え、花壇の囲いまで誘導する。 
 公園中央に据えられた噴水にハンカチを浸して戻ってくる頃には、ポロムの呼吸も幾分かは整っていた。だが、深く呼吸をするとまだ咳き込んでしまう。片割れに湿らせたハンカチを持たせ、パロムはその隣に腰掛けた。 
「……何かヘンですわ。」 
「んん〜?」 
 ハンカチを額に当て、ポロムは呟く。パロムは交互に空を蹴り上げ、見るともなしに噴水に目をやった。 
「パロムが優しいなんて、……絶対何かヘンですわ。」 
「ちぇーっ、何だよせっかく親切にしてやったのに。」 
 無心の奉仕に疑惑の眼差しを返されたパロムは口をとがらせる。 
 斜めに見上げる視線の先で、噴水が一際高く水を噴き上げた。一日を四つに分けた区切りごとに動く時報の仕掛けが動き出したらしい。やや青みがかった水が様々に形を変えて噴き上がる。 
 パロムが大がかりな仕掛けに見入っていると、噴き上がる水の真上に、何の前触れもなく巨大な白い煙が生じた。今まで幾度か同時刻にこの噴水を見たが、こんな仕掛けは無かったはずだ。 
「おいポロっ!」 
 パロムは慌てて、足下を這う小さな羽虫に気を取られているポロムの肩を叩いた。 
「なに?」 
「あれ……」 
 パロムの指先をたどり、ポロムも同じ異変を目にする。青い空を濁して立ち上った煙は風に吹き散らされ、人影を二つ空中に残して拡散した。 
 
 地面からおおよそ三メートルも離れた空間に現れたエッジは、視界が開けた直後、転移の不手際に気付いたがどうにもならない。噴水の尖塔に足を払われ、受け身も取れず鏡石張りの池に墜落した。派手な水しぶきが上がり、付近一帯水浸しにする。 
 一方、エッジにやや遅れて落下運動に入ったカインは、尖塔を蹴って速度を殺し、噴水池の縁に着地した。 
「大丈夫か?」 
 差し出された手を掴んで上体を起こしたエッジは、背筋に走った雷撃に顔をしかめる。 
「くそ、マジ痛ぇ……」 
 間抜けな相棒に肩を貸して地面に降りたカインは、右から左へ視線を回した。普段は昼下がりを憩う市民達で賑やかな公園なのだが、今日は猫の子一匹見あたらない――かと思われたが。 
「ニィちゃん! 隊長ー!」 
 元気溌剌な声に耳を叩かれ振り返る。尖塔の影からお揃いの顔をした子供が二人、カインとエッジの元に駆け寄ってきた。 
「よぉーす! 元気かパロポロ♪」 
 背中を丸めて縁に腰掛けたエッジは、見知った顔に笑顔を向ける。 
「ちょうど良かった。長老と面会願いたいんだが――」 
 挨拶もそこそこで本題を切り出すカインに、少年は人差し指を振ってみせた。 
「バロンの船の事だろ? その事で、オイラたちニィちゃん家に向かってたんだ。」 
「長老がお待ちです。祈りの塔へいらして下さい!」 
 ミシディア市を統べる長老の使いの言葉に、青年二人は二つ返事で応じる。早速、カインは少女を背負い、エッジは少年を肩車し、全力疾走で祈りの塔へ向かった。 
 
 遠く海を渡って現れた鉛色の光。翼を持たない人間の翼たるべくして生まれた夢の結晶は、強い輝きに伴う闇を地上に落とす。 
 初めて闇が訪れたその日、美しい町並と長くそれを守ってきた住民は炎の雨を浴し、世界初の被戦略爆撃国という烙印を押された。輪郭を失いながらも色褪せない悲しみのために、どれだけの涙が流されたことか。 
 試練の山を呑んだ闇は、森を覆い、間もなくミシディア市の境界に差し掛かろうとしていた。 



一章前編
 ミシディア市の正中心に聳える巨大な古代遺跡――祈りの塔。有史以来煉瓦一枚も欠ける事なく威容を誇り続けるこの塔は、魔導国家ミシディアの象徴でもある。 
 塔前広場で群れをなす市民にもみくちゃにされやっとの思いで塔に辿り着いた四人は、彼らの到着を待ち侘びていた書官の案内で、最上階へ向かった。 
「かなり混乱してるみてぇだな。」 
 両脇に扉が並ぶ大廊下を魔導士たちがせわしなく行き交う。エッジの言葉に、先頭を行く書官は暗い表情を見せた。 
「皆セシル殿を信頼していますが、先の大戦の傷が癒えたわけではありませんから……。」 
 すれ違う魔導士たちは皆、張りつめた表情の奥底に恐怖を隠し、忙しさに自分を駆り立てているように見える。 
「……すまない。」 
 ふと、頭上から降りてきた呟きにポロムは顔を上げた。声の主と思われる人物は、険しい眼差しで真っ直ぐ行き先を見つめている。 
 彼の言葉は真横を歩いていた少女にしか聞き取れなかったらしい。その後何の会話もなく、一行は塔の最上階、長老の待つ祈りの間に通された。 
「それでは、私はここで……」 
 案内を終えた書官が一礼して踵を返す。 
「頑張んな、おねェちゃん。」 
 長い焦色の髪をなびかせ去っていく後ろ姿に、エッジは励ましを投げる。書官は振り返らず、その場で再び一礼して足早に階段を駆け降りていく。 
「何してんのさ、もう時間無いんだってば!」 
「へぇへぇ。」 
 パロムに気の抜けた返事を返したエッジは、カインと共に扉を押し開けた。 
 重厚な扉が左右に分かれ開く。室内の様子を目にした一行は、驚きのあまり言葉を失った。 
 石像然とした不思議な余裕の笑みを頌える長老――の背後に据えられた大砲。壁の無い北に砲口を向けるそれは、軍事国家出身であるカインですら見た事が無い程巨大且つ長大だ。 
「よくぞ参られた、大使殿、エブラーナ王。ご苦労であったな、パロム、ポロム。」 
 長老の言葉が右から左へ突き抜ける。 
「本来ならば礼を尽くさねばならぬところじゃが、今は一刻を争うゆえ用件のみを簡潔に申す。バロンの船の件じゃが、先ほどから幾度も警告を発しておるのに何も応答がないのじゃ。そこで塔の上空を通過する折に――」 
「おいおいおいおい! もしかしなくてもその大砲で船までぶっ飛んでけってか!?」 
 皆に先駆けて正気を取り戻したエッジは、話の腰に飛び蹴り喰らわせた。恐るべき陰謀を見抜かれた長老は、曇一つない晴れやかな笑顔を浮かべる。 
「おお、さすがはエブラーナ王殿! では、善は急げじゃ早速準備を――」 
「じゃっ、じゃあー、頑張ってな、ニィちゃん達……」 
「ご武運をお祈りいたしますわぁ……」 
 聡明な双子は素早く防御線を張った。だが。 
「何を言うておる。お前達も一緒じゃよ。」 
「「やっぱりーーー!?」」 
 不気味なほど喜々とした長老は、一行に粗末な鉄兜を支給した。 
「もう時間はあまりないのでな、早速準備を。」 
※長老は大砲の発射準備に取り掛かる。もはや何を言っても非人道的移動手段行使を思いとどまらせる事は不可能に違いない。命を預けるにはあまりにも安い安全装置を頭に乗せ、エッジは隣の仏頂面に話しかける。 
「よぉ、カイン。」 
「何だ。」 
 もはや覚悟を決めたらしいカインは、全ての思考を停止させたような無表情の顎下で紐を結ぶ。 
「あのじいさん、この非常時になぁ〜んで明るいんか考えてみたんだけどよー、」 
「何も考えるな。疲れるだけだ……。」 
 相棒の邪推を遮り、カインはため息をついた。手に下げていた背嚢から武具帯を取り出し、筒状の固定具を右肩の真後ろにくるようにして斜めに掛け留める。 
「達観しちゃってんのな……」 
 鉄壁の冷め顔で黙々と武装を済ませる相棒の姿には言い様の無い悲哀が滲む。 
※ 長老は大砲のつるつると磨かれた筒を頼もしげに撫でる。 
※「この大砲は急拵えではなく、ずっと昔にきちんと研究して作られたもので当時ちゃんと試験済みじゃ。試験の結果、着地に難があることが判明しての。だが、試練の山より炎を纏いて舞い降りても五体無事であった火の玉大使殿ならば、きっと大丈夫じゃとも」 
※思いもよらないところから因果が巡ってきた。 カインは悔いる ここへ来る前・街へ降りる前の会話・あの時きちんと蒸し返して首の一つも絞めておくべきだった。最も、今回はエッジも同じ目に遭う点については、いくらか溜飲の下がる思いだが。 
※言外に剣呑な気配を感じたエッジは、準備に取りかかった。獣皮を幾重にも重ねた巾着袋から苦無に代わる投擲具を五本取り出す。 
「変わった武器だな。」 
 一足先に装備を終えたカインは、異国の武器に興味を引かれ覗き込んだ。エッジが手にするそれは細い円錐の刃部分と朱糸を巻いた柄から成っており、刃と柄の繋ぎ目に節足を模した装飾が施されている。 
「点討(てんとう)ってんだ。持って見っか?」 
 初公開の武器を矯めつ眇つするカインの様子に気を良くしたエッジは、手振りを加えて講釈を始めた。 
「そいつをほら、何たっけ、『打圧』だっけ? あれみたいにして構えてよ、こう、でけぇ血管の通ってそうなトコに向けて投げる。」 
「ふむ?」 
「すっと、その足みてぇなとっからエブラーナ秘伝の猛毒がだな――」 
「エッジさん、カインさん! おしゃべりしている時間はありませんわ!」 
 既に準備完了したポロムが武具講談を遮る。 
「す、すまん。」 
「いっけね。」 
 非常事態である事をうっかり失念していた二人は、中断していた準備を再開した。 
「俺とした事がエッジの口車に乗せられるとは……不覚。」 
 失態を悔やみながらカインは手持ちの薬類を確認する。薬用酒の小瓶が三本、血清が二本、固形血止め剤が一つ、気付け薬が二包……一通り揃っている。 
「おいおいー? 話しかけてきたのはそっちだろがぁ。」 
 謂れの無い非難にきっちり報復し、エッジも武装を済ませた。飛蟲針を五本左上腕に巻いた武具帯に差し、予備の小刀を腰に留める。 
「準備オッケィ!」 
「こちらも完了だ。」 
「では、参りましょうか。」 
 青白い光を放つ宝玉を先端に飾った杖を一振りし、ポロムは唇を固く結んだ。 
「じっちゃん、出発だー!」 
 白金の短剣を勇ましく腰に差したパロムは、射角調整する長老に準備完了を告げる。入念な点検を終え、長老は一行に向き直った。※エヴァック用の特別仕様(噴水前広場にバインドしてある)「ひじょうぐち」をそれぞれに配りながら 
「大使殿、エブラーナ王、子供達を頼みますぞ。パロム、ポロム、わがままを言って迷惑をかけんようにな。」 
「じっちゃーん、遠足に行くんじゃないんだからさあ……」 
 緊迫感を著しく殺ぐ長老の言葉に、パロムが唇を尖らせる。 
「では、どなたから参るのじゃな?」 
 口元を覆う絹糸のような髭を揺らし、長老は大砲の弾込口を開いた。運命の選択を前に、四人は顔を見合わせる。 
「……俺が行こう。」 
 示し合わせたかのような視線の一斉掃射を浴びたカインは、泥沼議論に陥る前に自ら進み出た。どうせ結果が同じならば無駄な時間を費やす必要はない。 
 ミシディアで暮らすようになって以来どんどん潔くなってゆくカインの姿に僅かな良心の呵責を感じたエッジは、傍らにいたパロムの手を捕まえ、大砲の前へ歩み出た。 
「よっしゃ、天下無敵の俺様とパロムが先陣を務めんぜ。」 
「えっ……た、隊長、勝手に決めんなよ!」 
 了解無く先発隊に加えられ、パロムは頓狂な声を上げる。エッジはじたばたともがくパロムの手をぐいと引き、挑発的な笑みを浮かべてみせた。 
「へぇぇ〜、ほぉぉ〜、もしかしてパロム君……いや、まっさかねぇ〜、怖いわけねぇよなぁ〜、天才黒魔導師だもんなぁ〜。」 
「ばっ……そんな、怖いわけないじゃん!」 
「んじゃ、異存はねぇよなぁ〜?」 
「うっ……。」 
 ませているとはいえ、およそ五分の一ばかりの人生しか持たない子供に、修羅場をかいくぐってきた歴戦の悪知恵が負けるわけがない。子供心を手玉に取った元悪ガキは、パロムを抱いて射出席に着いた。着地の関係で砲口に足を向けなければならないため、しばしの逆立ちを強いられる。 
 直射日光を反射する砲口の先を、無数のプロペラで空を駆ける飛空艇が差し掛かった。 
 念入りに最終チェックを行った長老は、分厚い鋼鉄製の蓋が閉める。余裕の笑みでひらひらと手を振るエッジの逆さまになった姿が見えなくなった。 
 砲身が僅かに上を向く。 
「では、行きますぞ!」 
 号令一喝、筒の脇に取り付けられた発射棹が勢い良く手前に倒された。 
「うっ ひょおぉぉーーーーーーーー……」 
「うっ ひゃあぁぁーーーーーーーー……」 
 連続する爆発音が愉快な悲鳴を凪ぎ払う。砲口から飛び出した一塊の光は風を切って遠ざかり、飛空艇にかかる放物線を描いて消えた。 
 先発の様子を見守っていた後続は、これから訪れる運命の前に息を呑む。 
「さぁ、早う乗りなされ。」 
 長老に急かされ、ポロムは傍らに立つ竜騎士を見上げた。 
「ふつつか者ですが……宜しくお願いいたします。」 
 ポロムは幾分青ざめた表情を深々と垂れる。 
「不安か?」 
 小さな体を抱き上げたカインは、幼なじみと良く似た瞳の白魔導師に問うた。 
「へ……平気ですわ。カインさんはいかがですの?」 
 精いっぱい強がる言葉に、カインは思案顔で答える。 
「俺は不安だ――行き先より移動手段に不安を感じるのは初めてだがな。」 
「えっ……。」 
 思いがけない言葉に、ポロムは迷った。この非常時に冗談を言うような人物ではないが、かといって徒に暗澹を顕にする人物でもない。笑うべきか、頷くべきか――。 
 軽い冗談で元気付けてやるつもりが大困惑を招いたカインは、鼻先の羽を吹くように嘆息する。人当たりの良いセシルや、無条件で子供に好かれるエッジのように、明るく振る舞ってみたつもりなのだが、何処か何かが決定的に違うのだろう。 
 無理はよくないと気を改めたカインは、ポロムの体をしっかり固定し狭い射出席に着いた。薬類を詰めた背嚢はポロムの尻に敷くようにして腹に抱える。 
「では、行きますぞ!」 
 長老の隠声が響き、頭上から差していた光が消えた。足元へ目をやると、遥か下に小さな白い輝きが見える。 
 部品の噛み合う音が響き、体が揺れた。足元から押しつぶされるような感覚がし、体中の血液が頬の辺りに溜まる。有り難いことに爆発音は全く聞こえなかった。音が外へのみ向かうよう何らかの仕掛が施されているらしい。 
 金属の擦れ合う甲高い音が耳を叩く。足元にあった小さな光の点が大きさを増しながら近付き、視界の全てを呑み込んだ。 
 肩を押さえていたハーネスが外れ、四肢が自由になる。回りの景色が緩やかに流れ、目的の船の甲板が見えてきた。 
 慣れ親しんだ感覚の中で、カインは素早く計算する。射出速度と射出角度からみて、着地するのは甲板の―― 
「足り――」 
 少女を抱く腕に力を込め、船尾の張り出し部に爪先を噛ませる。再び空に舞ったカインは、宙で蜻蛉を切った体をどうにか甲板に降ろすことに成功した。安堵を少女と共に腕から下ろし、遠ざかってゆく射出元を見遣る。わざわざ一歩手前で落ちるよう仕組んだのかと思われるほど、見事な角度調整ミスだ。 
「大丈夫か? しばらく気持ちを落ち着けるといい。」 
 息も付かせぬ空中曲芸を味わったポロムは、目を見開いて硬直している。背嚢をたすきに掛けたカインは少女をその場に座らせ、先発隊の姿を探した。何があるのか分からない以上、迂闊に声を出すのは危険であると一度は判断したが、相当派手な到着をした今更声を出す事を躊躇う必要もないと思い直す。 
「エッジ、パロム、何処だ!」 
 声を掛けて待つこと暫し。 
「ニィちゃーん! ポロー!」 
「よぉー! 遅かったじゃねーかっ」 
 陽気な挨拶と共に、船室へ降りる扉の向こうから二人が姿を現した。パロムの方に怪我はないようだが、少年と歩幅を合わせて駆けてくるエッジは右肩を押さえている。 
「ったく散々だぜあのじっさまよりにもよって計算ミスしやがんの。」 
「脱臼か。」 
 どうやら先発も同じく――否、以上の不運に見舞われたらしい。カインは顔をあわせた早々文句を並べ立てるエッジの右腕を持ち上げた。エッジはあからさまに顔をしかめる。 
「災難だったな。」 
「ホント焦ったぜぇ〜とっさに旗掴んだがバロンの旗っちゃ弱ぇのなぁ俺様じゃなきゃ落ちてたねきっと。」 
※背後ではためく赤い翼の隊旗 エッジの言うとおり1.5人分の荷重を受け止めたポールは曲がっている。 
「エッジさん、肩をこちらへ。応急処置いたしますわ。」 
 自慢話に移行しそうな雰囲気を察し、ショック状態から立ち直ったポロムが治療を申し出た。 
「いや、温存しておいてくれ。」 
 詠唱を始めたポロムを制し、カインはエッジの腕を掴む。 
「こんなもの、魔法に頼るまでもない。」 
「なっ……ちょい待っ……ちょい待っ……」 
 優しい看護を受けられるものと期待し、わざわざ後続の到着を待っていたエッジは、予想外の成り行きに待ったをかけた。が、腕を握る竜騎士は患者の懇願を聞き流す。 
「ゥギャワァーーー!!」 
 何とも形容しがたい鈍い音と、それを追いかける悲鳴。いささか強引すぎる治療を施したカインは、豪快に痛がるエッジを呆れ顔で見下ろす。 
「ニンジャーなら少しは我慢しろ。」 
「お前なぁーーーっ! 忍者関係ねぇだろ忍者は!」 
「いや、ある。ニンジャーなら我慢すべきだ。」 
「何で依怙地になんだよ!」 
 口先の鍔迫り合いかたわら、前衛を担うための戦闘準備に余念はない。 
 小剣を鞘から抜いたエッジは、右腕の運動も兼ねて左右に風を切った。カインも利き腕に携えた槍を振り、携行用に収めていたそれを使用の長さに戻す。 
 甲板に降り立った瞬間から感じる妙な気配。俗にモンスターと呼ばれる凶暴化した原生生物とは明らかに異なり、気配そのものは人のそれだが、何故か生を感じられない――試練の山に時折現れる鬼火屍に似た、しかし非なる何物か。 
「さて行きますかぁ。」 
 軽い屈伸を準備運動に設え、エッジは明るく突入を告げた。 
 本来ならば前衛の直掩を担うカインが”盾”の不在により押し出し式に先頭を務め、黒、白と魔導師二人を挟んでエッジが殿に立つ。 
 カインは居住層へと降りる扉を四つに切り払った。なんとも乱暴な挨拶だが、それを咎める者はいない。周囲を警戒しつつ、慎重に階段を下る。奇襲に備えるまでもなく、船員フロアの廊下からはまるで人の気配が感じられない。高速航行中という事を差し引いても異常と言える静けさだ。 
 人員の行き来に支障がないよう、互い違いに取り付けられた船員室の扉は左右ともに二つ。カインは最も手前にある一号船室の扉をノックした。 
「我々はミシディアの者だ。貴船は領空を侵犯している、直ちに停船せよ。」 
 お約束の台詞をかけて出方を待つが、何の反応もない。返事はともかくとして、動いた気配すらない。念のためマントの裾でノブを掴み、カインは扉を押し開けた。 
「!」 
 室内の惨状を目にしたカインは、マントを広げ後続の魔導師二人の視界を遮る。見物禁止を喰ったお子様二人を押し退け、エッジは室内に足を踏み入れた。 
「こりゃ……何だ……?」 
 茶化しが商売の楽天家ですら言葉を失う。 
※死体 頭頂の骨が外れて、中から脳がほどけて太ももの上にこぼれ出ている(繋がってる状態) まるで中途半端に掻き出したような 
 室内には船員が二人、壁に背を預けて座っていた。項垂れた二人の表情は分からないが、確実に生きてはいないだろう。両耳を結ぶ線で頭蓋骨がきれいに割られ、脳が神経を引きずったまま、投げ出された足の上に解けている。 
 今まで無惨な死体をいくつか目にしたが、これほど異常な死体は初めてだ。検証へと移る前に、カインはしばらく目を閉じ黙祷する。 
「何なんだよ! ニィちゃん達だけズルイぞ!」 
「馬ぁ鹿野郎。ズルイって問題じゃねぇや。」 
 真剣な瞳で室内を観察するエッジは、騒ぐパロムの頭をこづいた。 
「見てぇんなら見ても構わねーけどな……覚悟しろよ。」 
 エッジの脅しに、双子は揃って生唾を呑む。 
「おいエッジ――」 
「こいつらだって遊びに来てんじゃねえよ。」 
 行き過ぎをとがめるカインに、エッジは過保護を指摘した。 
「……エッジさんの仰る通りです。見せて下さい。」 
 しばし逡巡のち、ポロムは保護者二人に決意を示す。 
「お、おい、ポロっ……もー少し考えようぜ……」 
「情けない顔しないのっ!」 
 弱気な弟を叱咤し、二人は同時に目隠しを外した。惨状を目の当たりにした小さな手と手が、互いを固く繋ぎ止める。 
「ぜ、ぜん、ぜ、ぜんっぜん平気じゃん……こんなの……」 
「ほ、本当、へ、平気ですわ……」 
 強がりながらも震える小さな肩を廊下に戻し、カインは改めて現場検証にかかった。 
「よぅ、一応他の部屋の様子も見てくら。」 
「気を付けろよ。」 
 すすんで分担を申し出た相棒に偵察を任せ、カインはまず右の死体に近付く。 
「ニィちゃん、オイラ達は?」 
 一時的な言語障害から立ち直ったパロムは、自分達にも役割を充ててくれるよう申し出た。正直なところエッジと同じ他部屋の偵察は避けたいのだが、そうも言っていられない。 
「廊下の見張りを頼む。何か変わった事があったらすぐ知らせてくれ。」 
「「りょーかい!」」 
 周囲警戒を任された双子は、ようやく動悸の鎮まった背中を合わせ廊下を見渡す。 
 全員に仕事を割り当てたカインは、船員の顔を傾け、襟元の記章を確かめた。バロンの国旗と同じ紋の下に三本の横ラインが引かれ、それを打ち消す斜めのライン。これは準位空士、軍学校を出て一巡年に充たない見習い身分であることを示す。カインは首を傾げた。”赤い翼”を編成する大型正規軍艇に何故准士官が乗船しているのか――新政権樹立後の情勢は詳しく分からないものの、一般から徴用可能で、なおかつ最も人気が高く志願者の多い空軍に於いて、人手不足は考えられない。 
 疑問はひとまず胸にしまい、恐らくは一撃の元に命を断ったであろう傷の検証に取り掛かる。人体の中でも群を抜いて切断が困難な頭蓋骨なのだが、骨の継ぎ目に沿って、見事に滑らかな切断面だ。※どれほど切れ味の良い銘刀で、どれほどの達人がこんな仕業を行ったのか。 
 切り離された頭部の片割れは膝の脇に落ちていた。骨椀に湛えられた忌紅を零さないよう、慎重に取り上げる。上下移動に伴い、浸血を免れた毛髪が掌に落ちた。目線の高さに上げた断面部を見れば、赤糸が幾条も椀内部へと垂れ落ち、その縁を篝っている。 
 切断部付近の頭髪がこれだけ残っているとは何とも奇妙なことだ。無論、この無残な遺骸は、所謂通常の方法で作られたのではないだろう。それにしても、どのようにして、何故――目まぐるしく様々な方法で殺害の瞬間を作り出す思案の隙間から、うんざりと淀む吐き気が滲み出し、溢れる。※致命傷が斬撃によるものとしたら出血が不自然に少ない・拭った跡も見当たらない それに、骨を割られただけでは死に至らない しかし、抵抗した後が無い 少し想像 今しも己の脳を掴み出されているとして、果たして満足に抵抗などできるだろうか 
――とても正気の沙汰ではない 
 ※追証を一語の元に切り捨てる。このような凶行に及んだ者の考えは理解できようもない 
 損傷部の検分を終えたカインは、足の上に広げられた頭蓋の中身を見やった。脳の破損箇所を調べるために顔を近付け、己が目の正常を疑う。 
 だらしなく形を崩した脳の襞一畝一畝が、僅かずつだが四方に延びている。※床板を目安とすることによって、幻覚は事実となる。蚯蚓が這うごとく非常にゆっくりと、だが確実に、延びるほど太さを増す赤黒い触手。 
「カイン、生きてんぞこれ!」 
 壁越しに鋭い警告が上がる。カインは持ち場を離れ廊下の二人と合流した。ほぼ同時に、エッジも最奥の部屋から飛び出してくる。 
「ニィちゃん! 隊長!」 
「船員さん達、生きているんですか!?」 
「ンな筈はねぇ……んだが、動いてんだよ、中身が……。」 
 戦慄の証言にポロムは青ざめた。 
「どうする大将?」 
 エッジは後ろ手に薄気味悪い光景を閉ざす。カインは暫し考えを巡らせた後、一つの提案を述べた。 
「……石化させよう。」 
「うっ……!」 
 大役を仰せつかったパロムは思わず呻いた。カインとしても、幼い目に酷いものをこれ以上見せたくはないのだが、他に良い案が思い浮かばない。 
「ほらパロ! 私も一緒にやるから。」 
「へ、平気だい! ポロはニィちゃんと一緒に待ってろよ。……な、なあ? た、隊長……」 
「おうよ。」 
 エッジをお供にしたパロムは、船室を回り一体ずつ確実に石化させる。幼いながらに天才と謳われるだけあり、一度も失敗する事無く八体の不気味な彫刻が完成した。 
「さて、どうすっかねェ。」 
 想定外事態の発生に、エッジは当座指揮官の意向を問う。 
「生存者を捜そう。一体何が起こったのか、原因を突き止めなければ――」 
 なし崩しに一行の行動を決定しかけ、カインは付け足した。 
「お前達はミシディアに戻るか?」 
「止せやい、首突っ込んだからにゃあ手ぶらで戻るつもりは毛頭ねぇよ。」 
「報告書を書かなければなりませんので、一緒に参りますわ。」 
「早く次行こ、次!」 
 一蓮托生を決め、船室層を後にした一行は、続く船長室に於いても同様の死体を三体発見した。船長と補佐官二人の死体も、パロムの魔法によって石化する。 
 残るは上下二層。操舵室と機関室はどちらが停止しても船の航行に支障を来す。ということは、どちらにも生存者がいる可能性があると言う事だ。 
 カインはここで二手に別れる事を提案した。 
「俺とパロムで操舵室、エッジとポロムで機関室を当たろう。もし何らかの支障が生じたら各自の判断で脱出し、ミシディアへ戻る。異存は?」 
 飛空艇の知識に長けた者の指示に、一同異存なしを示す。 
「じゃ、塔前広場でな!」 
「待たせるなよ。」 
 拳を打ち合わせ互いの武運を願った二人は、それぞれの背にした方向へと歩き出す。二人の年長者を真似て挨拶を交わした双子も、それぞれ保護者の後を追った。 



一章後編
※実際耳には聞こえているはずのプロペラ作動音が分からない 井戸の底にいるような閉塞感  船腹に取り付けられた丸窓の向こうに、日光を反射する深い青がきらめく。 「バロンじゃ自由にヒクーテイに乗れるんだろ? いいなぁ〜。」  背伸びして採光窓を覗き込むパロムの言葉に、カインはつい笑みを漏らす。祖国に深い傷を負わせたバロンの最先端技術を、屈託なく受け入れはしゃぐ少年の姿が眩しい。 「機会があったらシドに頼んでみよう。旧型の飛空艇なら飛ばしてくれるかもしれん。」 「ホント!? 絶対、ぜったい約束だぜニィちゃん!」 「ああ。」  約束を取り付けたパロムは、手持ちの薬用酒を一気に飲み干し、正拳突きの構えを取る。 「よっしゃー、やる気ぜんかーい!」  俄然張り切るパロムを壁に添わせ、カインは扉に近付いた。扉越しに中の様子を窺う。 「あのさ、ニィちゃん。」 「どうした?」  部屋の中で動く気配はない。カインは少年に顔を向けた。 「えっとさぁ、ニィちゃんて、けっこう良い奴だよなっ。」  言いながら、パロムは平板張りの壁にぐりぐりと頭を押しつける。 「あんちゃ……バロン王から聞いてたカンジだとさ、何か怖い奴ってカンジだったんだけどさ、でも、あんまり怒ったりとかしないしさ。」 「そうか、ありがとう。」  これまでの評価を正反対に覆してしまうほど、少年にとって飛空艇は魅力的なものであったらしい。彼なりの恐らく最大の感謝を表そうと考え考え言葉を繋ぐ姿に笑みを返し、カインは扉を軽くノックした。 「我々はミシディアの者だ。生存者がいるなら返事をしろ。」  声をかけると同時に扉を開ける。 ※瞬間、見えない鎚に顔面をひどく殴りつけられるような 頭が割れるほどの耳鳴り 体中から力が抜け、視界が波打つ。とっさに槍で床を突き転倒だけは避けたが、床に付いた片膝になかなか力が戻らない。 「ニィちゃん!?」  パロムは慌てて構えを崩した竜騎士に駆けよる。その顔色は、傍目に十分分かるほど真っ青だ。 「このおっ!!」  酷い挨拶を見舞った張本人を確かめるため、パロムは顔を上げる。  そして、見た。  舵輪の前に不自然な格好で直立し、こちらを恐らくは”見て”いる生物。形だけは辛うじて人間の姿を止めているが、※垂れ下がった神経から伸びる枯花色の筋が顔面を覆い尽くし、完全に解けた脳が頭蓋骨より溢れて皮膚を破り、到るところで露出した筋繊維と融合している。  これと較べてしまうなら、船室で見た屍すら幾分も増しだった。下腹に取り付いた巨大な血膿が鼓動する度、弓なりに反り返った指が断末魔のようにのたうつ。 「……うぅっ……」 ※滲んだ涙が視界がぼやけさせ、醜悪な姿にモザイクを掛ける。パロムは、感電したように痺れる手を固く握り込んだ。逃げ出したい気持ちを堪え、精一杯に眉を引き上げ睨み付ける。 「よくもニィちゃんを! このやろー!」  腹の底から大声を出し、パロムは怒りを奮い立たせた。依然体力の戻らないカインを背に庇い、両腕を顔の前で交差させる。怪物の周囲を取り巻くようにきらめく靄が湧いた。 「凍えろっ、ブリザラ!」  号令一喝。靄が無数の氷牙と化し、怪物の表皮を切り裂く。破られた傷口から噴出す血が氷を溶かし薄煙に変えた。  空気中の水蒸気を集めて冷却し氷刃と化す黒魔法、ブリザラ。試練の山を閉ざす炎壁すら凍らしめた、少年が最も得意とする術だ。  しかし、上級魔法にも匹敵する威力のブリザラを受け、多量の体液を失ったにも関わらずそれは倒れなかった。みるみるうちに裂かれた皮膚が再生していく。 「こいつー……」  程無く完全に再生した怪物は、ぎこちなく口を開げた。音もなく目にも見えないざわめきが起こる。 「デジョンっ!」  間一髪、目の前に広がった闇が敵の放った力を打ち消した。本来目標を物質世界から消滅させる術だが、前方に効果を張れば簡易防御壁として機能するかもしれない――とっさの閃きがこれほど上手くいくとは思わなかった。  魔法大国ミシディアをして天才といわしめた所以を目の当たりにしたカインは、保護対象としか見ていなかった己を恥じる。様々な逸話を耳にしてはいたが、家に来る度エッジとつるんで悪戯を繰り返す姿と、ミシディア史上屈指の黒魔導師では感覚的に結びつかなかったのだ。  ※槍で床を突いて弾みを付け、カインは立ち上がる。体の端々に軽い痺れこそ残っているが、十分に戦えるだけの体力は戻った。 「ニィちゃん、ダイジョブか?」 「ああ。十分に休ませてもらった。」  パロムと並んだカインは槍を半型に構える。 「切りつけたらバイオを頼む。」 「りょーかい!」  指示と同時に竜騎士は床を蹴った。宙を滑って間合いを詰め、袈裟に斬り上げる。すかさずパロムは左手を掲げた。 「蝕めバイオ!」  大きく裂けた傷口を猛毒の黴が嘗め尽くす。再生を阻まれた怪物は、舵輪に凭れかかるようにして崩折れた。指揮系統と思しき下腹部の血膿を潰すため、カインは再び槍を向ける。と、怪物の全体が大きく跳ね上がった。隈無く張り巡らせた触手を無理矢理に引き千切り、血膿が宿主の下腹部を離れる。床を這う血膿に引かれて顔面を覆っていた神経も剥がれ、神経に通じる臓物が開いた頭から溢れた。  カインは素早く至近距離から飛び退く。が、血膿から延びた新たな触手に引脚を捕らえられた。一本切り払う間に二本延び、それを足がかりにして見る間に太さを増す。 「ニィちゃん!!」  パロムは小刀を抜き、触手切断に加担する。しかし、非力な斬撃では表面を傷つける事しかできない。  脈打つ管を伝い、血膿は新たな宿主の元へ移動する。 「燃やせ!」 ※少年に最終手段行使を強いる 「でもニィちゃんが――」 「迷っている暇はない!」  進行を食い止めるため、カインは血膿を掴み押し止めた。その腕にまで触手が絡み付く。  パロムは目を閉じ、両手を胸の前で組み合わせた。 「……フレア!」  悲鳴のような少年の声。灼熱の闇が視界を呑み込んだ。 
 地上から見た限りでは船酔い必至と思われたが、船内にいる分にはあまり揺れを感じない。  階段を降りきると熱気に顔を覆われた。廊下も天井も鋼鉄が張られているため、動力炉から放射される熱を逃がさないのだ。 「あぢ〜〜……ちくしょう計りやがったなカインの野郎……」  すっかり根を上げたエッジは、額で流れを作る汗をマントで拭った。こんな場所に長居をしたら脱水症状を起こしてしまう。 「とっとと終わらして脱出しよ〜ぜぇ……」 「ハイ……。」  応えるポロムもかなり参っているようだ。ローブの裾をまくし上げ、びっしりと汗滴に覆われた腕を外気に晒す。  エッジは頭をかき、しゃがんでポロムと目線を合わせた。 「ちょっといいか?」 「はい? 何か……」  一言断り、エッジはいきなり足元まで覆う長いローブの裾を膝下で裂いた。巾着から縫い針を取り出し、あまった布から糸を抜くと、解れないよう手早くまつり縫いを施す。 「ほれ、袖も。」  丈詰めを終えたエッジは縫い針をくわえ、目を丸くしているポロムに手を伸べた。 「えっ、あのっ……」  ポロムは言われるままにおずおずと手を差し出す。エッジは両袖を外し、端切れで小さな手甲を一式拵えた。腕を通させサイズを調節する。 「一丁上がりっと。」  手際よく夏服を仕立てたエッジは、縫い針を巾着の内側に留め、一歩下がって出来具合を吟味した。 「おー、なかなかイイじゃん。」  即興にしてはなかなかの出来である。重たげな感が随分和らいだ。 「あのっ、あ、ありがとうございます。お裁縫、上手なんですね。」  顔を真っ赤にしたポロムは深々と頭を下げた。意外な特技を披露した忍者は屈託無く笑う。 「驚れーたろ? 仏頂面の竜騎士がテメェの服くらいテメェで繕えっつってな、ヤロー二人ツラ突き合わせて毎夜毎夜ちくちくちくちく……」  エッジは大げさな手振りで不気味な裁縫講習会を再現する。やれ目が飛んだの縫い目が雑だのと小言が飛び交う様をリアルに想像し、ポロムは思わず吹きだした。 「あいつホンットうっせぇーの。小姑だねまるで……と、盛り上がったところで参りましょーや!」 「ハイ!」  横隔膜の痙攣を堪え、ポロムは元気よく応える。エッジはポロムを壁に添わせ、金属製の分厚い扉を靴のつま先でノックした。 「ミシディアの者だ。生きてたら返事しな。」  声をかけ、応答を待つ。中で動いた気配はない。  エッジは袖を引き上げて手を覆い、そっとノブに触れる。瞬間、鑢を擦り合わせるような音が、袖から白煙を立ち上げた。 「ぢぃっ!」  エッジは慌てて腕を振る。手首周りの布が吸っていた汗を全て蒸発させ、煙は程なく消えた。 「大丈夫ですか?」 「おう。」  心配するポロムに苦笑を返し、エッジは袖とマントで二重に手を覆った。ノブを下ろし、扉を開ける。  ※と、凄まじい蒸気が噴き出した。熱の洗礼を浴びたエッジは、背けた顔を両腕でかばう。 「シェル!」  ポロムは素早く杖を振った。エッジの体を虹色にきらめく貝殻形の光が包み、熱に対する防御膜をなす。  機転の利く相棒に感謝の目配せを送り、エッジは改めて周囲を曇らせる靄をかき分け室内に足を踏み入れた。自らにも防護膜を張り、ポロムも後に続く。  機関室内は灼熱地獄と化していた。両脇の壁に沿って走る鋼管の表面が赤熱し、視界が歪んで見える。ポロムの守護膜がなければ五秒として中にいられまい。  最奥に置かれた巨大な動力炉は狂ったように燃えさかり、燃料供給管との接合部から薄い煙があがっている。 「こ〜りゃ見込みなしだわ……。」  周囲を見回し生存者無しを確信したエッジは、徒労を払うため勢いよく伸びをした。めいっぱいに伸ばした指の先が鋼管に触れる。 「うわぢぃっ!」  派手な叫びを上げたエッジは慌てて飛び退く。と、背後の鋼管から今度は炎が吹き出した。 「だあっ!?」  炎に飛び込む寸前で華麗なステップを踏み、後ろへ傾いた重心を無理矢理横にねじ曲げる。  助けようと駆け寄ったポロムだったが、緊迫した状況と滑稽な動きの落差にとうとう堪えきれず吹き出した。 「エッジさん、かわいい……。」  ポロムの手を借り体勢を立て直したエッジは、思わぬ賛辞に苦笑する。他人に可愛いと言われるのはかれこれ十何年ぶりではないだろうか。  ひとしきり笑った後、ポロムはシェルの張り替えを行った。刻一刻と暑さが増してくる。守護膜ももうすぐ利かなくなるだろう。 「脱出しましょうか?」 「そうだな……」  エッジは汗まみれの顎に手を当てた。こんな場所には一秒たりとも長居したくはないが、このまま放っておけば程なく動力炉は臨界に達するだろう。その後に待つのは爆発だ。別行動を初めてまだ十分。操舵室組が何らかの事故に遭遇している可能性を鑑み、もうしばらく時間を稼いでおいてやりたい。 「とりあえず、動力炉いじってみら。ちっとここで待ってな。」 「はい。」  ポロムをその場に待機させ、エッジは動力炉に近付いた。 「ちくしょう、暑ぃぞ……」  炉の内部で燃え滾る赤熱が顔皮を炙る。※首覆を鼻上まで引き上げる 大した効果はないがしないより幾分かマシ?気分的に  土台に取り付けられたプレートの型番を確認し、エッジはまず向かって右のハンドルを回した。ハンドルは熱伝導率の低いミスリル製だが、袖とマントで二重に覆っても肌を燻す熱を感じる。掌を冷まし冷まし燃料の供給弁を閉めたエッジは、次に反対側の調節盤を覗き込んだ。 「んで、確か……こうだったかな?」  バロンの飛空艇オヤジことシドに、”ファルコン”の改造を手伝わされた経験が、思わぬところで役に立った。全ての作業を終えてスイッチを切り替えると、動力炉の運転音が低く変わる。 「これでちったぁ保つだろ。後はあいつらと合流して――」  応急処置を済ませたエッジは踵を返した。暑さに打ちのめされそうになる体を杖で支えながら、作業の終了を待っていたポロムと手を繋ぐ。幼い白魔導師の手は、水を大量に吸った真綿のように重く冷たい。 「もうちっとの辛抱だからよ。」  素っ気ない言葉と裏腹に、エッジは繋いだ指に力を込める。 「大丈夫ですわ。」  ポロムは気丈な笑顔を浮かべた。エッジは無言でノブに手を掛ける。  二、三度ノブを上下させたエッジは、顔色を変えた。繋いでいた手を離し、扉に体当たりを始める。 「どうしました?」 「開かねぇ!」  金属の扉が熱で膨張してしまったのか。五度の体当たりで肩を痛めたエッジは、苛立ちを露わに扉を蹴りつける。 「冗談じゃねぇぞ、おいッ!」  こんな事なら扉を開け放しておくべきだった――己の不手際を責めかけ、エッジはふと気付いた。 「……なぁ、俺、ドア閉めたか?」 「エッジさん!」  鋭い叫びが耳を打つ。振り向きざまポロムと同じ物を目にしたエッジは、口端をつり上げた。 「なるほど……こうやって船員を喰いモンにしてやがったか……」  動力炉の背後から現れた巨大な砂虫に似た生物が、腹の下に生えた無数の触手で床を掃くようにゆっくりとこちらに近づいてくる。エッジは武具帯から飛蟲針を抜き構えた。  ※事情把握 上空で内部から襲われる可能性はほとんどない 警戒は船外へ向き、船内はどうしても手薄・迂闊?に 炉の異常を起こし、様子を見に来た船員を一人ずつ犠牲に 知能なさそうだし計画して行ったことだとは思い難いが とにかく、捕食はまんまとうまくいったわけだ 自分たちが乗ってくるまでは(エッジ様が現れるまでは) 自分たちと、船員たちとは異なる点がある。エブラーナ忍術の手練はそうそう簡単に餌食にならないという点だ 「援護頼むぜ!」 「ハイ! 汝れに守護をっプロテス、シェル!」  ポロムは手にした杖で四拍子を刻む。重心を低く取る痩身を、二重の守護膜が包み込んだ。  灼熱の炉を覆い尽くした巨大砂虫は、赤黒くぬめ光りする触手を新たな獲物に向かって伸ばした。エッジはすり足で慎重に間合いを計る。と、腹の中央部から伸びる一際太い触手の先端が十字に割れ、中から五体の血膿が飛び出した。三本の長い血管を垂らした血膿は、腹の中央を大きく開き、細かく生えそろった牙をむき出す。 「喰うか!」  エッジの両腕が閃き、空中を斜め十字に切った。手から放たれた四本の飛蟲針が、標的の腹を貫き床にたたき落とす。蜘蛛飾りの内部に蓄えられた猛毒が、腹に大穴空けて尚蠢く血膿にとどめを刺した。 「ざまぁ!」  最後の飛蟲針で残る一匹を切り払い、返す手で先端を開いたままの触手めがけて投げる。狙いは僅かに逸れ、触手の左端に長い蚯蚓腫れを引いた。 「とどまりなさいっ、ホールド!」 ※ ポロムの呪文が砂虫の巨体を縛る。ミスリル刀を抜いたエッジは一気に間合いを詰め、張り出した鋼管を足場に跳躍した。熱された鋼管を蹴る靴底が白煙を上げる。 「見よう見まねジャーンプ!」  適当に思いついた技名を叫び、落下速度で砂虫の体を縦一文字に割る。深く抉れた傷口から、腐った果実のような色をした粘液が吹き出した。  ※鋭い円月で汚れを振り落とした刃を鞘に収める。粘液が流れ出すに従い、砂虫は徐々にその形を崩していく。 「案外大したことねぇ……バロンの飛空艇部隊がこんなモンにやられたのか?」  粘液とともに流れてきた飛蟲針を拾い、エッジは首を傾げた。※あまりに呆気なさすぎる。自分には及ばぬといえバロンの軍人をして、はるかに良好な環境下で、こんな砂虫もどきの退治に手こずるとは思えない。 「エッジさん、まだ!」  ※ポロムの声で場に返ったエッジは、異変を目にして口を結んだ。  真二つに切り離された砂虫の体が、瞬きの追い付かぬ速度で元に戻っていく。失った粘液の分いくらか小さくなってはいるが、崩れかけていた外形が再生し、続いて傷口が癒着する。 「マジかよ……どーしろってんだ……」  再び刀を抜いたエッジは、額を濡らす汗を拭った。暑さに曇る思考を懸命に回転させる。 「再生させずに倒す方法……確かいたよな、こーいう……」  敵が再び主腕を伸ばした。※バカ正直に真正面から来た触手を刃の広い面で払い流す 触手の左側面に残る鮮血色の蚯蚓腫れが顔の横を流れて過ぎる。 「……それだ!」  ※戻る触手をくぐってやり過ごし、エッジは飛蟲針を逆手に持ち換え  その瞬間。 「パロム!?」  爆発音がポロムの声を薙ぎ払う。頭上から降り注いだ灼熱の光が視界の全てを白く塗り潰した。  小さな温もりが、刀を握るその手に触れる。胸の底が泡立つような感覚とともに、体が重力から解き放たれた。 
 蒼空を映す波間に閃光が生まれた。丸く膨れ上がった光は徐々に収束し、海面に向かいながら陽炎のように輝く。  恵みの陽光と並んで燃える破壊の炎が、空翔る船を巨大な松明と舐め尽くすまで、そう時間はかからなかった。 
 生い茂る緑が風に吹かれ、囁きながら揺れる。状況を把握できず、エッジは何度も瞬いた。  視界の下に祈りの塔の白い屋根がちらちら映る。顔を左にねじ曲げると、頬に軽い焼け焦げを負ったカインが、目を丸くしてこちらを見つめ返してきた。 「気が付きましたか?」  ポロムの声に上体を起こすと、すぐ目の前でパロムが胡坐船の櫓を漕いでいる。弟の隣で、ポロムが小首を傾げた。※エッジはカインに目を戻す。 「どーなってんだ……?」 「さあ……。」  思考する努力を放棄し、カインは目を伏せる。疲労に遊蕩う相棒に肩を竦めたエッジは、問いの宛先を変えた。 「なぁ、どうやって脱出したんだ?」  遊び疲れた子供を見守る母親のような穏やかな笑顔を浮かべ、ポロムは軽く屈伸する。 「”ふたりがけ”ですわ。パロムと心を通じて、同時にテレポを唱えたんです。」  分かったような分からないような。そういえば、ミシディアの幼い双子魔導師は、精神共鳴によって魔法の効力を二倍にする特殊能力を持っているという話を、セシルから聞いた覚えがある。心を通じて、というのは、精神共鳴を使用した際の感覚を表した言葉か。 「ま、とりあえず……助かったっつー事か……」  投げやりに結果を享受し、エッジは頭を後ろに倒した。風景が流れ、視界いっぱいに空が広がる。  大の字になり直してから物の数秒で熟睡に入ったエッジの鼾を聞きながら、カインは寝返りを打った。鼻先を小さな羽虫が行き過ぎる。  自分は何故助かったのだろうか。パロムが敵を焼き尽くすべくフレアを唱えるのを、この目で確かに見たのだが。 「本当に驚かされる……。」  術者本人が寝てしまっている今、他の誰も疑問に答えられはすまい。カインは四肢から力を抜いた。大地に横たわる体に睡魔が寄り添う。  広場で雑魚寝を始めた男勢の無邪気な顔を覗き見、ポロムはしばしの安息に浸った。  そう――これはしばしの安息。 「嫌な予感がしますわ……。」  呟きを膝に落とし、ポロムは杖を固く抱きしめる。魔法の連続使用からくる疲労が、間もなく少女の意識を夢へと誘った。 
 数時間後、他に先んじて目覚めたカインは、幼い二人とでかい図体一つ担いで祈りの塔を登る羽目になる。


二章前編
 街の灯が群青の空を焦がす。飛空艇事件によってふいにされた昼間を取り戻すかのように、今宵の盛り場は一段と賑やかだ。 
 双子を自室に寝かせたカインは、最後の荷物を客間のベッドに転がした。随分ぞんざいに放り出したのだが、余程疲れているのだろう、エッジは瞼ぴくりとも動かさない。大の字で高いびきをかく大きな子供の傍らに腰掛けたカインは、一日分の疲労を吐き出した。固く結んだ飾紐を解き、腰までかかる長い髪を下ろす。湿気を含み重くなった髪は、束になって背中に垂れた。 
 目を瞑ると飛空艇の中で見た奇妙な生物の姿が浮かんでくる。他の生物に寄生する生命体はいくつか知っているが、ああまで宿主の外形を大きく変貌させてしまうものは見たことがない。獣に喰い裂かれた死体にも動ぜぬ自分が、完全寄生体のおぞましさには吐き気を覚えた。 
「バロンに一体何が……」 
 故郷と離れている分、寄せる想いは強くなる。飛空艇に搭乗していた異様な生物。その飛空艇を派遣した国と、まさか無関係ではあるまい。 
 深いため息を両手に沈めたカインは、髪を強く引かれ自然顔を上げた。 
「まぁた沈んでやがる。」 
 どこか人を食ったような印象を与える口調。肩越しに顔を振り向けると、組んだ両腕を枕に薄笑いを浮かべたエッジが瞳をこちらに真っ直ぐ向けていた。 
「起きたのか。」 
「ぶつぶつうるせぇんだよ。ったく、どうしてそう次から次へと悩みの種を拾ってくるかねぇ。」 
 一言投げると二言返る。大欠伸しいしい上体を起こしたエッジは、軽く前屈した。寝ている間に凝った筋肉が堅い音を立てる。 
「起こしてすまなかった。」 
 疑念を引きずったままのカインは※型通りの謝罪を述べた。一通り体を解し終えたエッジは、毛布を除け裸足を床に下ろす。 
「生真面目に謝んじゃねぇや。一人で悩んでも仕方ねぇだろってんだ。」 
 エッジは寝癖の付いた髪を更にかき混ぜながら立ち上がった。広げた膝に肘を付いたカインは、無造作に投げられた台詞につい微笑を漏らす。※ぶっきらぼうな態度の下に、覆い隠せぬ人の好さが透けて見える。 
 月明かりの元地上に蒔かれた星の輝きを見下ろし、エッジはめいっぱい両腕を伸ばした。寝起きの体に吹き寄せる颯かな風が心地良い。 
「あー、あ、変な時間に目ぇ覚ましちまったな。仕方ねぇ――」 
「言っておくが酒は飲むなよ。」 
「……分ぁったよ。茶でも飲んでくらぁ。」 
 先手を打たれ、エッジは渋々予定を変更した。大袈裟に床を鳴らして扉に歩み寄り、ノブに手を掛けたところで振り返る。 
「よぅ、お前も来いや。まだ眠くねぇだろ?」 
「そうだな。監視しておかんと心配だ。」 
 誘いを受け、カインは立ち上がった。それとほぼ同時に、扉が外からノックされる。 
「ハイウィンド殿、ジェラルダイン殿、お寝みですか?」 
 昼間塔の案内をしてくれた白魔導師と思しき女性の声。エッジは扉を引く。 
「待ってたぜお嬢さん! 俺様に――」 
「何か御用ですか?」 
 白魔導師の手を固く握るエッジの後頭部に手刀を喰わせ、カインは用向きを尋ねた。白魔導師は安堵の表情で一礼する。 
「長老がお二人に是非お話したいことがあると。蔵書室までお越し下さい。」 
「了解しました。支度が済み次第すぐに向かいます。」 
「はい、それでは。」 
 再び頭を下げた白魔導師は、華奢な後ろ姿を残し、廊下の向こうへ消える。 
 客室備え付けの軽装に着替えた二人は、薄暗い中壁伝いに緩やかな階段を降り、塔の最地下に向かった。下へ行くに従い、ひやりとした空気と古いインク臭が強まってくる。最後の一段を踏み、細い廊下の突き当たりにある小さな扉を開けると、溢れ出た温かい光が濃霧のように頬を撫でた。 
「大使殿、エブラーナ王殿、ご足労すまなんだのぅ。」 
 見上げるほど巨大な本棚の林の中央に据えられた樫の円卓。その上にうず高く積み上げられた本の間から枯れ枝のような指が覗き、視界を遮る壁を二つに分けた。 
「こちらにお掛けなされ。今茶を煎れるでな。」 
 並んで腰掛ける二人と入れ違いに長老は席を立つ。 
「いえ、お気遣い無――」 
「俺はそのまま、こいつはミルク入り砂糖抜きで。」 
 カインの言葉を遮り、エッジはそれぞれの好みを告げた。注文通りに香茶を煎れ、長老は髭を震わせ笑う。 
「ホッホッホッ、素直が一番じゃて。」 
「そーそ、好意は有り難くいただかにゃあ。」 
 異口同意義の忠告を受けたカインは、無言で湯気を吹いた。 
「さて、バロンの船の件、心より感謝いたす。本来ならばこちらで魔導師を派遣すべきだったのじゃが……」 
 長老は瞑目し、青磁の茶碗をゆっくりと回す。背もたれに反り返ったエッジは手を上げ、冗長な挨拶を打ち切らせた。 
「よせよ、じぃさん。あの船に魔物がいるって分かってたんだろ? 俺らもあの魔物の正体を知りたいわけよ、ちゃちゃっといこうぜ。」 
「うむ……エブラーナ王殿の言うとおりじゃな。すまんが、船の中におった魔物を描いていただけるかの?」 
 長く垂れ下がった白眉毛に瞳を隠した長老は、本の山から数枚の羊皮紙を抜き、ペンを添えて二人の前に置いた。エッジは目の前に横たわるペンの腹をつつき、カインの方へ転がす。指の長い手に握られたペンは紙の上を滑るように、おぞましい生物を描いた。思い出し描きのため輪郭が散らかっているが、幾重にも線を重ねて現した陰影が映える秀作だ。 
 船室で見た死体、操舵室で戦った操舵士、その操舵士から離れ襲ってきた血膿と、三体描き終えたカインは、エッジの鼻先にペンを突き出した。が、エッジはそれを押し戻す。 
「いや、俺様絵描くの苦手なんだよね。特徴言うから代わりに描いてくれや。」 
「ニンジャーのくせに何を言う。」 
「お前何でも忍者に託けんのやめろ! ったく……じゃ、言うからな。」 
 気を取り直し、エッジは機関室で遭遇した敵の詳細を伝えた。感覚で告げられる情報を繋ぎあわせ、カインは何とか変形砂虫の画を完成させる。 
「これでいいのか?」 
「おー、そうそう、こんなんこんなん!」 
「初めから砂虫と言えば良いものを……”しょげしょげもばもばってカンジ”じゃさっぱり分からん。」 
「まぁ、ちゃんと描けたんだからオッケーだろ? 出来たぜ、じぃさん。」 
 危うくペンをへし折る寸前だったカインを宥めたエッジは、本を読みに入っていた長老にお絵描きセット一式を返す。カイン画の魔物図を見た長老は、細滝のような眉毛の下から見開く瞳を覗かせた。 
「これは……何という事じゃ……!」 
 紙を挟む指が震える演出付きで、溜めを取り言葉を紡ぐ。エッジとカインは自然身を乗り出した。 
「なんだ? 随分と大仰じゃねぇ。」 
「長老、その魔物は……?」 
 青年二人の注視を浴びた長老は、魔物図を並べて机に置き深いため息を漏らす。 
「これは……ステュクスという魔物の本体と種子じゃ。」 
 不気味な砂虫と血膿に名が与えられた。二人は息を顰め、長老の次の言葉を待つ。 
「種子は大地に根を伸ばし、成長すると大地から離れ新たな地へ移動する。少々変わった繁殖方法の植物じゃが……」 
 長老は船員の死体、操舵士と順に指でなぞった。 
「まさか人を襲うなど……。」 
「なぁ、こりゃあ一体どこから湧いて出たんだ?」 
 渋面を頬杖に乗せたエッジは出自を問う。長老は頭を垂れ、深く長い息を吐き出した。 
「どこにでもいたのじゃよ…………二千年前はな。」 
「「二千年!?」」 
 長老の口から飛び出した途方もない歳月に青年二人は耳を疑った。通常教育で習う最古の歴史を優に二倍は上回っている。 
 長老は一番上に積まれていた分厚い本を開き、ページを繰った。真ん中ほどで指を止め、二人に示す。 
「学者が残した古代植物に関する文献じゃ。これによると、バロンでの目撃例を最後に絶滅したとなっておる。」 
 見開きの左ページを丸々使い、色褪せたインクが砂虫の姿を描く。その右隅に付された地図には、現在バロン城がある場所に赤く印があった。ここが最後の目撃場所なのだろう。 
 エッジは横目にカインを盗み見た。冷静を装う竜騎士の顔は陶器のように白い。 
 しばしの沈黙を経て、カインは口を開いた。 
「……明日、バロンへ調査に向かいます。デビルロード使用の許可を願いたい。」 
「うむ……。では、パロムとポロムを供になされよ。」 
「いえ、私一人で――」 
 単身乗り込む覚悟のカインを、長老は厳しい目で見つめる。 
「先週からバロンにいる魔導師達と連絡が付かんのじゃ。子供達の力は存じておろう? 大使殿が一緒であれば、万が一はあるまいて。」 
 カインは口を噤んだ。何が起こるか分からない場所へ幼い子供を同行させることに対する抵抗と、心強い味方を得ることが出来た安心とがごちゃごちゃと頭を巡る。 
 本を閉じ山に積み上げた長老は、思案顔で腕を組む一国の王に視線を向けた。 
「エブラーナ王殿、貴殿はどうなされる?」 
「俺かい? そうだなぁ――」 
 エッジは足を突っ張り、椅子を揺らす。 
「一回国へ戻るわ。悪ぃけど出発は昼にしてくれや。」 
「エッジ……!」 
 あくまで乗り気のエッジに、カインは眉を顰めた。エッジは口端を吊り上げ、糾弾者を覗き込む。 
「おいおい、野暮は言うなよ? 首突っ込んじまったら、最後まで乗るのがスジってもんだ。」 
「……勝手にしろ。」 
「じゃ、決まりだな♪」 
 一礼して席を立つ二人に、長老は懐から取り出した小さなガラス瓶の首飾りをそれぞれの首にかけた。見事な細工の施された小瓶の中には、ほのかに光を放つ薄氷色の液体が入っている。 
「クリスタルで浄めた水じゃ。幸運を呼び寄せると言われておる。持ってゆきなされ。」 
「ありがとうございます。」 
「お守りってヤツだな。」 
 蔵書室を後にし、客間へ戻った二人は明日に備えて眠りについた。心は逸るが、体を休めておかなければならない。 
 しばらく続いていた衣擦れの音もやがて絶え、静かな寝息が夜闇に溶けた。 
 
 翌朝。 
 少しだけ早起きしたポロムは、寝着のまま自室を出た。光に慣れぬ目をこすりこすり洗面所へ向かう。顔を洗ってしっかり目を覚まし、食堂の手伝いに行かなければならない。 
 窓から差し込む朝焼けに染まった祈りの塔内は、荘厳な静寂に支配されている。編み靴をつま先に引っかけ渡り廊下に出たポロムは、ふと視界の隅に人影を捕らえた。 
 薄靄のかかった中庭は肌寒い。新緑色の柔らかい朝日が降りる中、風を纏い長い手足を振り子のようにして踊る長身の影。数羽の小鳥を憩わせるその肩に、白金の弱光が掛かって見える。 
「……カインさん?」 
 ポロムが声をかけると、小鳥がふわりと空に舞った。長身の影が振り返り、程無くして靄の中から左肩に緩く髪を纏めたカインが現れる。※普段は凛と高く髪を結わえ、豪槍を軽々と振るう勇壮な騎士が、今は、楽琴の音に乗せ古い物語を口遊む詩人のようだ。昨日読み終えたばかりの絵本から抜け出してきたかのような青年の姿を前に、少女の瞼から眠気が吹き飛ぶ。 
 見知りの顔を見留め、青年の顔に笑みが浮かんだ。少女の頬にうっすらと紅が差す。 
「やあ、お早う。よく眠れたか?」 
「あ……おはようございます。お早いんですね。」 
 ぎこちなく笑み返し、ポロムは一歩引いた。 
「もう少しゆっくりしようと思ったんだが、どうも目が冴えてしまってな……。」 
 カインは頭の上で腕を交差させ体を反らす。 
「仕方がないから体を動かしていた。ポロムは何処へ?」 
「あの、顔を洗いに行きますの。」 
 寝着の前をきつく合わせ、ポロムは視線を外した。着替えを面倒に思った事が悔やまれてならない――と、ポロムの頭に昨日の記憶が甦る。 
「わ、私っ……いつ着替えたんでしょうかっ!?」 
 飛空艇の魔物を退治した後、着のみ着のまま眠ってしまったのだ。自分で着替えたのではないとすると、当然誰かが着替えさせてくれたのだろうが――。 
「え? ああ、お手伝いさんが着替えさせたようだが。」 
「良かったぁ……!!」 
 カインの答えに、ポロムは安堵の涙を浮かべた。もし着替えさせてくれたのが目の前に立つ男だったら――彼とは金輪際顔を合わせられない。 
「そ、それではっ……!」 
 七転八倒する表情に戸惑い顔のカインを残し、ポロムはそそくさとその場を去った。 
 
 朝焼けのヴェールを脱いだ太陽が世界を明るく彩る。カインにたたき起こされたエッジは、のべつまくなし文句を垂れ流しつつ着替えを済ませ、食堂へ向かった。 
「大体なぁ、毎朝毎朝訳分かんねぇ変な体操でバカみてーな時間に起こされてんだから、たまにゃゆっくり寝かせてくれたっていいじゃねぇか。」 
「変な体操じゃない。バロン国民第一健康体操だ。」 
 カインが毎朝日課としているバロン国民第一健康体操は、その名の通りバロン国民ならば遍く知っている一揃いの柔軟運動だ。特に士官学校の生徒は、夏期休暇中一日も欠かさず朝の六時に中央広場へ集合し、全員でこの体操を行う事を義務づけられている。士官学校時代、一日も欠かすことなく体操会に出席していたカインは、卒業してからも毎朝の習慣として続けていた。別段、意識して課しているわけではなく、その時間になると自然と目が覚めてしまうからだ。 
 そんなカインの事情はともかく、朝日の訪れと共に朗々と響く”バロン国民第一健康体操の歌”で叩き起こされるエッジは、たまったものではない。 
「名前なんてどうでもいいだろうが! 足をぉ交互に蹴り上げてェ〜なんつー愉快なかけ声を目覚ましにすんじゃねぇよ! 大体、足を交互に蹴り上げてんのに、どう解釈したら背伸びの運動になるんだよ?」 
「俺が知るか。」 
 矛盾した歌詞に対する突っ込みをぞんざいにはねのけたカインは、食堂の扉を開けた。 
 祈りの塔の入り口脇に設けられた食堂は、塔の職員と、隣接する魔法学院に通う生徒とが共同で使用しているため、中央広場が優々収まるほど広い。登塔した職員でごった返す食堂内を見回すと、窓際の席に長老の姿が見えた。カインとエッジは料理の注文を後にし、そちらへ足を向ける。 
「おっはよー!!」 
 と、背中に威勢の良い挨拶が飛んできた。 
「おはようございます。エッジさん、良く眠れましたか?」 
 木製の選択式朝食用トレーに各種惣菜の麺麭包みを山と盛ったパロムと、生鮮菜サラダ・根菜汁・焼き麺麭の惣菜乗せ三点セットを二つ重ね持ったポロムが、上手に人混みをすり抜け二人の元に走り寄ってきた。 
「隊長、挽肉パン取っといたぜっ!」 
 隊長と慕う男の好物を確保したパロムは小さな指で大きな勝利を示す。 
 絶妙のバランスで食料がそびえ立つトレーを受け取り、エッジは少年の頭をぐりぐり撫でた。一番上で不気味に揺れる麺麭の端をつまみ、香ばしく焼き上げられた挽肉炒めごと一口で頬張る。 
「んめー。えかひたろ、ふぁろむ。」 
 一方、ポロムは長身を見上げ、二段重ねのトレーを差しだした。 
「他に欲しい物がありましたら、遠慮なさらず言って下さいね。」 
「重かったろう? すまないな、ポロム。」 
 上のトレーを受け取り、カインは眉を寄せる。 
 それぞれ朝食を手にして席へ向かう途中、パロムがカインの横腹をつついた。 
「ニィちゃん、ニィちゃん、そのサラダの味付け、ポロムが――」 
「こ、こら! 余計な事言わないの!」 
 少年の密告は耳敏く聞きつけた姉によって打ち切られる。カインはサラダにかかる薄紫のソースに目を近付けた。 
「これは紫蘇葉か……懐かしい、ここの食堂にはあるんだな。」 
 紫蘇は、独特の色と香りが特徴の一年草である。バロンでは雑草と言っても差し支えないほどありふれた植物だが、気候の違いもあってか、ミシディアにはほとんど自生しないはずだ。紫蘇葉のドレッシングは好物の一つだったが、市場で見かける紫蘇は高額なので諦めていた。 
「ちがーうよニィちゃん、ポロムがさー賄いのおば――」 
「やめてったら!!」 
 悲鳴に近い声を上げたポロムは、おしゃべりの足を踏みつける。一連の騒動を見ていたエッジは、横から口を出した。 
「それ、ポロムが作ったんだろ?」 
「そうなのか!?」 
 驚いたカインは少女を凝視した。ポロムはちぎれんばかりに首を振る。 
「ち、違いますわ! 私はお手伝いしただけでっ……!」 
 失言に気付くが最早遅い。耳まで赤くなったポロムは、床に沈み込んでしまいそうな程俯いた。 
「なんでハズカシがるのさあ。いつもお世話になってるお礼なんだろ? 素直に言えばいいじゃん……。」 
 あまりの落ち込みように、パロムはおそるおそる声を掛ける。 
「そうそう、こいつ鈍いから言わなきゃ気付かねぇって。」 
 悪戯心からかまを掛けたエッジも、パロムの援護に入った。 
「何をやっておるのじゃね。」 
 一行の背後から響く重厚な声。待てど暮らせど戻らない双子と、姿を見せない二人組を探しに来た長老は、朝食用トレーの数を確認し、口を開いた。 
「……儂の分はどれじゃな?」 
「「あっ!」」 
 双子は顔を見合わせる。 
「じっちゃんごめん!」 
「すぐお持ちしますわ! カインさん、お願いします!」 
「あ、ああ……」 
 カインに自分のトレーを預けたポロムは、パロムと連れだって料理皿を並べた棚へ駆け戻った。 
 
 朝食の後、バロンへの同行を告げられた双子は二つ返事で快諾した。カインは最後まで難色を示したが、口の達者なエッジに長老まで加わっては反論する余地がない。 
 正午に祈りの塔前広場で集合を約束し、カインとエッジは一旦試練の山へ戻った。 
「んじゃ、行ってくら。」 
「ああ。……本当にいいのか?」 
 詰責の色を含んだ注視に、放蕩国王は肩を竦めた。 
「じいやはうっせぇだろうけどな。正午までに戻れるたぁ思うが、ま、ちっとぐらい遅れても待っててくれよ。」 
 彼曰く”事故”によってカイン宅裏に空いたデビルロード。濃白の靄をたたえる小さな泉は、そこに身を投じた者を遥か海を越えエブラーナの地へ送る。 
 エッジを見送ったカインは、まず大使館内の掃除を始めた。床を一掃きするごとに、漠然と漂っていた生活の匂いが消えていく。 
 やがて、大使館がうら寂れた廃虚のように片付いた頃、異常な量の荷物を抱えたエッジが戻ってきた。家財道具の一切合切だとでも言われなければ到底納得できない量の荷は、二時間かけて掃除した大使館を再び元通り――いや、それ以上に散らかしてくれる。 
「何なんだこの荷物は!!」 
「ああ、全部持ってくワケじゃねーから。」 
「当たり前だ……。」 
 あまりのことに怒りを通り越し脱力するカインを後目に、エッジは手早く携帯用荷物を選り分ける。 
「ほれ、ガキども待ってんぜ。」 
 整理整頓する努力を放棄したカインは、がらくたの山から己の荷物を掘り出した。マントの上から背嚢を背負い、壁に掛けておいた長槍を取る。携帯するには少々重くかさばるが、その分威力が高く用途が広い。 
「これを使うようなことにならなければいいがな……。」 
 鞘をしたまま槍を振り、胸を占める暗い予感を斬り払う。長く使っていなかった槍の重みを確かめたカインは、背嚢と斜め十字を描くようにして背に差した。 
「準備出来たかぁ?」 
「完了だ。」 
 エッジは腰の巾着から煙玉を取り出す。天頂にかかる太陽を覆い、白い煙が立ち上った。 
 
 ミシディア。祈りの塔前広場では、既に用意を終えた双子が、引率者の到着を待ちかねていた。 
 広場内で最も古い楡の大木の真上に登場したカインとエッジは、浮遊魔法の助けを借りて地面に降りる。 
「ねねねニィちゃん、フネフネ船乗せてくれるよなっ! ヤクソクしたもんね!」 
 よそ行き衣装に身を固めたパロムは、竜鱗を縫い合わせた帷子の裾にしがみついた。 
「シドが了解してくれたら、の話だぞ?」 
「おっちゃんならダイジョブだい! オイラ、マブダチなんだぜ!」 
「パロム! 遊びに行くんじゃないんだから!」 
 金糸で襟を飾ったワンピースを纏うポロムは、まるで遠足気分の弟を叱る。 
「まぁそう怒るなや。深刻な顔してたっておもしれぇ事ぁねんだからさ。」 
「エッジさん、そうやってパロムを甘やかしちゃダメです!」 
「うひょぉ、おっかね……。」 
 薮をつついて蛇を出した。エッジは大仰に肩を竦める。 
 大通りの南端に建つ石造りの小屋。入り口を警備する黒魔導師に敬礼を受け、四人は祭壇に足を踏み入れた。 
 大使館裏の急造デビルロードと違い、由緒正しきこちらの転送泉には、より確実な転送を補助するための魔法陣が泉を囲んで描かれている。 
「帰ったらさ、エブラーナ行きのやつにもこういう祭壇作ってくれよ。」 
「とっとと塞いでバロンに繋ぎ直せ!」 
 一番にエッジ、その後にカインが続いて転送泉に身を投じた。 
「ひゃっほーーー」 
 パロムの歓声を合図に、双子は手を繋ぎ飛び込む。 
 
 四人の出発を悟った長老は、窓を開け、光溢れる空を見上げた。彼らの行く手に待ち受けるものが何であろうと、祈り信じて待つより他にない。 
 バロンに吹く風が穏やかである事を願い、長老は瞑目した。 
 
 一方その頃。 
 粘り付く闇が瞼を離れない。夢と現の狭間に打ち寄せる意識を手繰り寄せると、世界が目映い光で二分された。 
 蝋燭の煙で煤けた壁が見える。カインは緩い浮遊感に支えられた足を一歩前に踏み出した。靴底が小石を噛み、じゃり、と音を立てる。 
 石床に降りたカインは、転送泉を振り返った。水面に燐光が現れ、幼い影絵を現す。八重彩の紗を纏うその姿は、祭の樹上に掲げられた大御光が使いのようだ。 
 双子の転送が無事完了した事を見届けたカインは、真っ先に到着したはずのエッジを探した。室内にいないところを見ると、先に外へ出て行ったのだろうか。 
「全く勝手な事を……」 
 仲間の身勝手を嘆きながら部屋を出たカインは、すぐ外の廊下でへたるエッジを発見した。 
「よぉ〜着いたかぁ……」 
 ふだん血色が良い分、青ざめた顔がより痛々しい。壁に凭れたエッジは、力無く手を振った。 
「大丈夫か?」 
「あ〜……ちっと調子に乗りすぎたわ……」 
 デビルロードは、大陸間の物資輸送を円滑にするため、古代ミシディアで開発された転送装置だ。開発の志こそ高かったものの、蓋を開けてみれば、時間短縮のみに※重点を置きすぎ、転送物・転送者にかかる負担が大きく、海上交通機関の発達に伴い封印された代物だ。 
 体力、精神力ともに充実していたカイン、魔力の防護膜を張る事で体にかかる負担を軽減していたパロム・ポロムと違い、休む時間を設けずに連続転送を行ったエッジの疲労は激しい。 
「少し休んでいこう。」 
 カインの提案に、エッジはがくりと頭を倒した。 
「すまねぇな。」 
「もうバロンに着いているんだ、急ぐ事はない。」 
 そう、急ぐ事はない。最後の行を自分自身に言い聞かせる。急ぐような事はない――なければ良い。 
 エッジの体力が回復するのを待つ間、パロムはそわそわと辺りを歩き回った。 
「ねねねねニィちゃん、町いろいろ見て回っていい? そうだ、ニィちゃんの家族に会わせてよ! ズバリ、ニィちゃんのお母さんって美人だろ!」 
「あ、私もぜひカインさんのご両親にお会いしたいですわ! 日頃のお礼を申し上げなければ。」 
 無邪気な言葉を受け、カインは静かに微笑する。 
「両親は俺が子供の頃に死んだんだ。」 
「「えっ……」」 
 カインの間近に迫った顔が、揃って驚きを浮かべる。 
「に、ニィちゃん、ごめん……。」 
「た、たいへん失礼な事を……。」 
「お前らが謝るようなこっちゃねぇさ。」 
 恐縮する双子に、後ろから声が飛んだ。 
「具合は?」 
 減らず口を叩いた相手に声を掛ける。相棒の気遣いを受け、エッジは片手を挙げて応えた。 
「バッチリよ……とはいかねぇが、待たせたな。」 
 蒼白だった顔に生気が戻っている。エッジは弾みを付け、長く暖めていた壁を離れた。 
「よし、行こう。」 
 転送室を取り囲む細い外廊を抜け、表通りへ通じる扉を開ける。 
 次の瞬間――カインの目に映ったのは、見慣れたバロンの町並みではなかった。こちらに敵意を向け、一列に咲いた十数本の真白い刃。群青に塗られた鎧は、バロン陸兵団警邏隊のものだ。 
「お出迎えご苦労……って感じじゃねぇなあ。」 
 カインは胸を潰す溜息を細く長く吐き下ろした。裏切りの罪を清算せず、過去に背を向けた自分は、この国に拒絶されて当然だろう――※しかし、思い直す。今、刃を向けられているのは自分だけではない。身元照合すらなくいきなり包囲――これではまるで、この国の土を踏むことが罪であるといわんばかりだ。デビルロードを使った出入国は禁止されていたが、それはミシディアとの平和約定締結以前の話であり、現在は出入国管理局での手続きが多少面倒になる程度のはずだ。 
「武器を置け。」 
 バロンの紋を白く染め抜いた緋色のマントを翻し、隊長が四人に武装解除を命ずる。 
「大人しく従えば危害は加えない。もう一度言う、武器を置け。」 
 カインは横に立つエッジの様子を窺った。エッジは目を伏せ、舌打ち一つ吐き捨てる。 
 驚くべき事に、最も抵抗を懸念された彼が誰よりも早く武器を手放した。腰の小刀、腕の苦無、その他、体のいたるところから不思議な形をした刃物が出てくる。 
「これで全部だ。」 
 足元に小山を築き、エッジは嘯いた。本当はもう一つ武器を隠しているのだが、身体検査を受けても杳とは知られぬ場所であるし、何より外すのが面倒だ。 
 エッジに倣い、カインも武装を解いた。父の形見である槍を地面に横たえ、両手を挙げる。続いて、双子もそれぞれの得物を地面に寝かせた。 
 隊長が腕を振り、命を下す。数人の兵士が四人の体に張り付き、腕から足まで入念に叩く。 
「武装解除、確認しました!」 
 身体検査を終えた兵士は、踵を打ち付け敬礼する。兵を列に戻し、隊長は一歩進み出た。 
「これより貴殿らの身柄を拘束する。大人しく従うなら捕縛はしない。同行願えるか。」 
「陛下にお目通り願いたい。」 
 刃に身を晒し、カインは一縷の望みにかける。だが、隊長は力無く頭を垂れた。 
「全ては陛下の御命です、ハイウィンド殿。」 
 固く握られていた竜騎士の拳が解け、長い指がポロムの目の前に落ちる。少女は手を伸ばし、その手にそっと触れた。 
 ふと指先を包んだ温もりを、カインはやんわりと握りしめる。 
 隊長が挙手で兵に指示を投げると、右端から見事な波を打って白刃が煌めき鞘に収まった。カインとエッジの両脇に二人ずつ、子供達の背後に一人ずつ、計六人の兵士が一行を取り囲む。 
 隊長に率いられ、兵士を引き連れて城までの道のりを行く間、カインが伏せた瞳を上げることはなかった。 
 
 外壁に添って植えられた無数の小さな花弁が、日に焼けた赤煉瓦を霞ませる。隊長と門番が敬礼を交わし、王城を閉ざす石門が砂を噛み口を開けた。 
 中庭で兵を解散させた隊長は、侵入者四人を連れ玉座の間へ向かう。 
 柔らかい毛足を踏みつけるように大股で歩くエッジは、観光者よろしくあちらこちら視線を巡らせた。世界随一の規模を誇る王国の象徴だけあって、天井の高さからしてエブラーナ城とは比べ物にならない。 
「でっけぇなあー……。一体誰が作ったんだろな?」 
「史記では建国王と言うことになっているが、はるか前世代からの遺物だと言う噂もある。」 
 慣れた廊下を複雑な面もちで歩くカインは、エッジの無邪気な問いに答えを返した。 
「噂って、お前住んでたんじゃねぇんかよ?」 
「住んでいたからと言って隅々まで知っているわけじゃない。歴代の王にしか立ち入りを許されない場所もあるし、それ以前に何度も改修工事を経ているから元の姿とは大分違ってしまったろう。」 
「へぇ……。」 
 近代的に見えるこの城のどこかに、途方もつかない過去への扉がひっそりと埋もれている――そんな幻想の色眼鏡を掛け、改めて城の中を見回したエッジは、右脇の扉に掛かる表札を目にし歩みを緩めた。神妙な面もちを並べて歩いていた双子の片方がそれに気付き、小さな声を上げる。 
「ねねね、竜き――」 
「しっ。」 
 弟を素早く諌めたポロムの目が、窺うように視野の隅を掠める。カインも気付かなかったわけではない。だが、意識的にそれを無視した。槍を打ち合う紋を掲げた扉の向こうに誰がいようと、今は関わりないのだ。 
 謁見の間と廊下を隔てる重厚な扉の前で、隊長は足を止めた。入り口を固める近衛兵に二、三言何かを告げ、扉を開く。 
 寸分の狂いもなく真っ直ぐに敷かれた赤い絨毯。その先に、掌ほどの玉座が見える。装飾刀を捧げ持った近衛兵の林を抜け、隊長は膝を折った。それに倣い、四人も順に膝を折る。 
「侵入者を捕らえました。」 
 近衛兵を脇に従えたバロン王は、眼下に五つの頭を見おろし、静かに口を開いた。 
「ご苦労。彼らと話をしたい、下がっていてくれ。」 
「ハッ。」 
 隊長は片膝をついたまま御前から一歩退いてから、立ち上がり敬礼をする。きっちり三つ足で廻れ右をした隊長は、警備の最後列に着いた。 
「皆、顔を上げてくれ。」 
 王の命に従い、四人は顔を上げる。カインが目にする親友の微笑は、紫銀色の前髪が覆う額に、翡翠を埋めた宝飾冠がはめられていることを除けば、共に旅をしていた頃と何も変わらなかった。そう、何時でも何かに心を痛め、どことなく曇のかかったあの笑みと。 
 一年ぶりに再会した親友の注視を避けるように、セシルは視線を僅か足下へ反らす。 
「懐かしい友人に再会できて本当に嬉しいよ。皆変わりなくて何よりだ。」 
「セシル……!」 
 選んだ挨拶をつぎはぐセシルに、カインは腰を浮かせた。エッジは、勢い前のめるカインの首根を掴んで引き戻す。 
「御託はいらねえよ。侵入者だなんつって引っ張って来たんだ、さぞやご大層な理由があんだろう、なあ?」 
 挑発的な言葉を微笑の仮面で跳ね、若き王は玉座を空けた。胸を張り、半ば天を仰ぐようにして口を開く。 
「如何なる者であろうと、現在この国への出入りは禁じられている。だが、君たちが即刻この国を去ってくれるのならば、今回だけは特例を認めよう。」 
 それぞれに驚きを浮かべる一行を見おろし、セシルはあくまで冷ややかに言葉を続けた。 
「もしこの申し出を受け入れず抵抗するならば、君達は反逆と同等の罪を犯したものとして扱われる。どちらの選択が賢明か、言うまでもないだろう?」 
 夢の中に放り出されたような気分で、カインは瞳を何とか動かし、隣の男の様子を窺った。冷静に努めようにも思考が停滞し、自分が向かうべき座標すら浮かんでこない。こんな時、常に行動指標が逆を向いているエッジならばどうするのだろう。 
 カインと視線をあわせたエッジは、その耳に呟きを滑らせた。 
「信じてやらにゃあ、なァ。」 
 言い終わると同時に立ち上がる。不敬を姿勢に現したエッジの背後で、近衛兵達が携えた剣の柄を鳴らした。 
 無言の威嚇を苦もなく背負い、エッジは真っ向から玉座に収まった馴染みの顔を見据える。 
「納得いかねえな。侵攻の次は国境封鎖だと? 礼儀知らずな手前勝手に従う義理なんざねえんだよ。」 
 懸念通りの展開を迎えたセシルは、きりと引いていた眉を僅かに曇らせた。あからさまに不服従を唱えたエッジは、近衛兵に取り囲まれる。 
「……それが君達の総意か。」 
 エッジに続き、カイン、双子の両肩にも冷光りする白刃が当てられた。罪人を引き立たせた近衛兵は、王の次なる命を待つ。 
「連れて行け。」 
「セシル、正気なのか!?」 
 親友の悲痛な叫びを黙殺し、セシルは片手を挙げた。踵を打ち鳴らして王に答えた近衛兵は、罪人を引き連れ玉座の間を後にする。 
 謁見を終えた王は、肘掛けに両の腕を張り長くため息を吐き出した。 
「皆、しばらく退室してくれ。私が呼ぶまで誰もここには立ち入らぬよう。」 
 人払いの命に戸惑うざわめきも、しばらくせぬうちに絶える。彼を王と認識する者がいなくなった謁見の間で、セシルは額冠を外した。 



二章中編
 人気の無い廊下を大股に歩み行く影。オイル汚れと灼けた鋼鉄の匂いで周囲から浮き立って見える壮年の男は、近衛兵の制止をはねとばし、謁見の間に通じる扉のノブをがっしと掴んだ。 
 蹴り破らんばかりの勢いで扉が開け放たれる。物思いから覚まされた王が言葉を発する前に、乱入者の先制パンチが放たれた。 
「こぉりゃセシル!! やつらを牢に放り込むとは何事じゃあ!」 
 大音声がその場に居合わせた全ての者の鼓膜を叩く。彼を取り押さえんと肩にくっついていた近衛兵は、哀れにも意識を飛ばされ崩落ちた。 
 勝手に失神した若い兵士を部屋の外に追い出し、男は玉座の間近まで迫り寄る。危うく額冠を取り落とすところだったセシルは、安堵と緊張の入り交じる笑みで闖入者を迎えた。 
「やあ、シド。そういえば、会うのは久しぶりだ。」 
 シド、と呼ばれた大柄な男は、顔の半分も覆う剛髭を揺する。 
「ふん、挨拶なんぞどうでもいいわい! ワシなんぞより余程久しぶりの再会を不意にしおったそうじゃな!」 
 幼い頃より第二の父として、実子に対すると何も変わらぬ態度で接してくれた男の糾弾に、若き王は表情を陰らせる。 
「……情報が早いね。」 
「ベイガンの小倅が城内をうろついておったから、警護はどうしたとしめあげてやったんじゃい!」 
 父の汚名を晴らすべく懸命に仕える近衛兵の身に降り懸かった悲劇。ハンマーのような腕で、文字どおり首を絞め上げられた青年の姿を思うと涙を禁じ得ない。 
「ベイガンも可哀相に……」 
 セシルの呟きはシドには届かず虚空に消える。 
 怒りと幾ばくかの酒気を帯びて真っ赤になったシドは、オイルの染みた太腕をセシルの両肩に振り下ろした。 
「若造から話を聞いてみれば、何というザマじゃ! お主、いつから親友すら信じられんような情けない男に成り下がりおった!?」 
「別に信じていないわけじゃ――」 
「言い訳なんぞ聞きたくないわい! 大体お主、ここ一ヶ月ばかりおかしいぞい。他国からの訪問者は門前払い、国内から他国への旅行も禁止、挙げ句の果てに戒厳令……信じられんわい。」 
 セシルはシドの腕を下から持ち上げて外し、肩に残った熱を払う。と、シドはセシルの瞳を覗き込んだ。 
「お主、偽物じゃなかろうな?」 
 大真面目な顔で途方も無い想像を吐き出すシドに、セシルは苦笑する。 
「まさか。僕は僕だよ。」 
「いや、わからんぞ。操られとるのかもしらん。」 
 シドはなかなか引き下がらない。 
「あのね……偽物だったり操られてるんだとしたら、本当の事言うはずないじゃないか。」 
 半ば呆れてセシルは答える。腕組みをしたシドは大げさに肩を落とした。 
「むぅ、どうやら本物のようじゃな。……いっそ偽物であってくれたほうが良かったわい。」 
「ひどい事言うね……。」 
 捨て台詞紛いの文句にセシルは眉を顰める。その手の悪口は本人のいないところで言ってもらいたいものだ。 
 言うだけ言ってすっきりしたのか、幾分険の取れた顔つきになったシドは大きく腕を広げた。 
「のうセシル、お主は王じゃ。じゃが、その背に負うのはバロンであって、孤独ではないぞい。」 
 微笑を含み、王は目線を外す。 
「素直に話してみい。皆喜んで力になるはずじゃ。」 
「分かってるよ……」 
 シドは踵を返した。固い筋肉を鎧のように纏った背中が床を踏みならして遠ざかり、扉の向こうに消える。 
「分かっているから……言わないんだ。」 
 
 どこからか漏れだす水滴が石畳の隙間に溜まる。バロン城地下に設けられた罪人留置所は外堀の真下という素敵な位置にあるため、湿気と悪臭に事欠かない。蝋燭の薄明かりと不規則に滴る静寂のリズムは、ただでさえ憂鬱な気分を更に演出してくれる。 
 カインは苔生した石畳に深いため息を落とした。彼の右腕に背中を預けたパロムは、靴の踵を交互に蹴り上げ不満を露わにする。 
「これからどうなっちゃうんだよー!」 
「危害を加えられるような事はないと思うが……。」 
 思案顔のカインは、牢の奥に据えられた粗末なベッドに目を向けた。両膝の間に組んだ両手を置いたポロムは、気遣うカインに疲れた笑みを返す。 
 世話役にすっかり放り置かれた形となったパロムは、持て余す苛立ちをカインの右腕にぶつけた。手首を掴み、大きく左右に振り回す。 
「なーんでそんなこと分かるのさあー!」 
「おいおいパロム……」 
 物思いから無理矢理引き戻されたカインは、暴れる少年を胡座の上に据えた。地べたに比べて幾分か居心地の良い椅子を手に入れたパロムは、しばらくの間大人しくしている程度に機嫌を直す。 
 対面の壁に凭れ、結わいた後ろ髪を解いていたエッジが会話の続きを拾った。 
「何でかっつーとな、俺様やお前らはまがりなりにもエブラーナとミシディアの代表な訳だ。いくらバロンといえど二国相手に戦争する気はなかろうよ。補給線の維持が難しいし、何より戦争してまで欲しいもんはねえ――」 
 緻密に編み込んだ飾り紐は必要以上に固く髪をくわえ込んでいる。エッジは舌打ち、爪を立てた。 
「まー、カインはもしかしたらヤバイかもなあ。」 
「そんな! だって、カインさんはセシルさまの親友じゃないですか!」 
 エッジの軽口にポロムが反応する。単調な作業に飽き始めていた男は、手を休め顔を上げた。 
「わかんないぜぇ〜、もしかしたらセシルは裏切った事をすげえ恨んでるかもしんねえよ〜。」 
「ひどい事言わないで下さいませ!」 
 憤慨した少女は大きく跳ねる。ベッドに寝ていた埃が舞い上がった。 
「おい、ふざけるのもいい加減にしろ。ところで、エッジ。」 
「あん?」 
 神経を使う作業に従事していた男の気が逸れたを好機に、カインはかねてからの疑問を口にする。 
「お前ともあろう者がバロンへ来てから異様に静かなのは何故だ? 転送酔いがそんなに酷かったのか?」 
「異様って、あのなぁ!」 
 心配と侮辱紙一重の言葉で作業再開の出端を挫かれたエッジは、大袈裟に肩を落とした。 
「っとまァそれはさておき、騒ぐのは得策じゃねえかんな。」 
「何か知っているのか?」 
 パロムと顔を並べ、カインは大きく身を乗り出す。エッジは白目がちな瞳で竜騎士の真摯な表情を舐め、それから手元に視線を戻した。 
「んな大層なこっちゃねえ。バロンが国境封鎖してんのは知ってたけどな。」 
 執念すら感じられるほど頑固に結いこまれていた一房がようやく解ける。飾り紐を手早く指に巻き付けたエッジは、追求を受ける前に先手を打った。 
「まあ、小っさい国だからよ。情報の遅れが命取りってやつ。」 
「怖いな……。」 
 極小の島国に、港が開いてなお独立を維持せしめた一端を見たカインは、素直な感覚を口にする。東西南北場所を問わず、首領であるエッジの目となり耳となる人間が存在する――それは、飛空艇に勝るとも劣らぬ強力な武器だ。 
「さってっと――」 
 作業を一段落終えたエッジは、中途半端に解けた後髪を背中へ流した。 
「お客さんがおいでなすったぜ。」 
 留置所入り口の頑丈な掛け金が受け金を噛み、気障りな鳴き声をたてる。八つの瞳が鉄格子の向こうに集中した。 
 柔らかい革をなめした帯鞋の足音が近付く。赤錆びた縦じま越しにずんぐりとした影が壁を這い、次いで毛むくじゃらの男が姿を現した。 
「シド!」 
 カインに名を呼ばれ、四方八方気ままに伸びた束子のような髭が笑う。 
「久しぶりじゃの!」 
「シドのおっちゃん!」 
 パロムは格子に飛びついた。 
「シドさん、お久しぶりですわ。」 
 スカートの端を摘み、ポロムが優雅に一礼する。 
「よぉ、まだまだくたばりそうにねえなあ〜。」 
 エッジは二本指をこめかみから前に投げ、親愛のサインを刻んだ。口々に述べられる挨拶に、シドは重戦車のような体躯を揺する。 
「皆元気そうで何よりじゃ!」 
 真っ先に駆け寄ってきた少年に触れようと差し入れた腕が、手首で進退極まった。重刑で逮捕された者を監禁しておくためのこの牢は、通常の牢より格子の間隔が狭い。 
「……むぅ、感動の再会には全くそぐわん場所だわい。」 
 鉄格子にがっちり腕を掴まれたシドは、忌々しい邪魔物を蹴りつけた。 
「良く面会の許可が降りたな。」 
 思わぬ再会に表情を緩めながらも、カインは疑問を口にする。囚人に面会するには、前日までにその旨を陸兵団詰め所へ申告する必要があった筈だ。法改定されたならともかく、投獄されたその日に面会人が来るなど、通常考えられない。 
「うむ。牢番のバカ者が、許可の無い人間は通せんなぞと抜かしおった! 横っ面張り飛ばしてやったわい!」 
 おそらく陸兵団の兵士があたっているであろう牢番の身に降りかかった悲劇。鉄槌の一撃を喰らわされ、文字通り壁まで飛ばされたであろうその光景を思うと涙を禁じ得ない。 
「……牢番も可哀相に……」 
 カインの呟きは直滑降で床に落ちる。シドは胸を反り返し、大仰に溜息を吐きおろした。首を振るたびに機械油と熱のこもった匂いが散る。 
「全く、世界を救った英雄がこんな場所にぶちこまれるなぞ――」 
 嘆きの言葉に鼓膜を掻き毟るような音が重なった。重厚な扉を開け訪れた靴音は甲高く、鋲打ち靴の牢番とは明らかに違う。新たな来訪者をいち早く目に留めたシドは、格子の間から力任せに手を引き抜いた。 
「おう、小やかましいのが来おったわい……」 
「ポレンディーナ技師長、こちらにおいででしたか。」 
 面会規則違反を咎めるでもなく、訪問者は一定のリズムで足音を刻む。やがて、格子の向こうに青い儀礼服を纏った青年が現れた。短く刈った金髪をやや右寄りに分けており、その顔はエッジより幾分か幼く見える。 
「貴卿は?」 
「お初にお目にかかります、ハイウィンド卿。」 
 銀の飾針で留めた淡草色のマントを肩先で払い、青年は一礼した。 
「何か見たことあるぞ、この兄ちゃん……」 
 爪先立ちで青年を見上げていたパロムは、既視感に首を傾げる。少年の視線を拾ったシドは、横に並ぶ青年の後ろ背を無遠慮に張った。 
「こやつはベイガンの小倅じゃ。」 
 バロン戦役の際打ち倒した魔物と、目の前の青年との血縁関係を教えられ、パロムは目を丸くする。 
「えっ、あのリザード怪獣の!?」 
「こ、こら、パロム!」 
 驚きに呑まれていたせいで弟の失言を止められなかった。ポロムは慌ててパロムの足を踏みつける。青年は軽く俯けた首を振り、鎮む笑みに翳りを注いだ。 
「陛下の寛大な処置で、近衛兵団末席に籍を置くことを許していただきました。父の行いは許されるべきではありません……ですが、私は汚名を雪ぎたい。父と同じ道を歩むことで――」 
 醜悪な魔物と化した心弱き者を、それでも父と呼んだ青年は、襟元に落としていた陰を拭い肩を竦める。 
「とは言え、まだまだ力不足で、ハイウィンド卿のようには到底及びませんが……。」 
「当ったり前じゃわい、目標が高過ぎじゃあ!」 
 シドが青年の肩を勢いよく張り飛ばす。危うく鉄格子と衝突しかけた青年の額を押さえやり、カインは曖昧な笑みで濁した。彼に先達と認められるだけの価値が自分にあるだろうか。 
 カインに礼を言って姿勢を正した若き近衛兵は、略式礼で雰囲気を改めた。 
「貴殿らの処遇が決定いたしましたのでお伝えします。――王命に背いた罪は許し難いものですが、陛下のご盟友である貴殿らの身分を考慮し、三十年の禁固刑に減刑となりました。貴殿らの身柄は明朝六時をもって東監獄へ移送いたします。」 
「バカな、決定が早すぎるぞい!?」 
 シドの驚愕が石壁に乱反射する。口を噤むカインの両腕に、顔面蒼白となった双子がそれぞれぶら下がった。 
 囚人の顔から視線を外し、非情な伝令は言葉を続ける。 
「陛下から伝言を賜りました――先月投獄したエブラーナの間者を真似て、旧水路へ続く通路を探り、脱走しようなどとは努々思わぬよう。」 
 青年は懐に手を入れ、外傷用水薬の小瓶を取り出した。下手投げで放った小瓶は格子をすり抜け、ベッドの足に当たり砕ける。窮屈な容器を脱した液体は床に広がることなく、敷石の隙間に吸われた。 
「陛下の目の届く場所に留まる限り、貴殿らの安全はない――以上です。」 
「一つ良いか。俺の槍はどうなっている? 父の形見なんだ。」 
 話の切り上がりに被せ、カインは押収品の行方を聞く。今この場で返却される可能性は薄いが、せめて相応の扱いを望みたい。青年は少し考える素振りの後、早口に付け加えた。 
「……貴殿らの武具は全て地下宝物庫に納めてあります。」 
 伝達事項を告げ終えると、青年は格子の間から手を伸べた。カインは双子の手からそっと腕を外し、握手に応じる。 
「ご武運を。」 
「ありがとう。」 
 ほんのわずか口元に微笑を滲ませ、青年は踵を返した。来た時と同様、規則正しい足音を刻んで視界から消える。 
 青年の背を見送ったシドは、大仰に溜息をついた。 
「ローザが側におらなくなってから、セシルは何か苦しんどるようじゃ……。」 
 呟きに混ざった幼馴染の名。未だ慕情の断ち切れない自分に蔑笑しつつ、行方を聞かずにはいられない。 
「ローザはバロンにいないのか?」 
「うむ。トロイアに行っておるよ、親善大使という名目でな。……のう、言うまでもないかもしれんが、セシルを信じてやってくれい。」 
 若き王の身に心を砕く男の真摯な眼差しを受け止め、カインは瞑目する。 
「……ああ。」 
 自分はセシルを信じている。だが、セシルはどうだろう。自分を恨んでいないと言う保証はない。 
「ったく、マジメすぎんだよどいつもこいつも。」 
 冷水と温水を同時にかけられた心持ちでカインは我に返った。反射的に背後の声を振り返ってしまい、慌てて正面に向き直す。 
「シド!」 
 似合わぬカインの大声に、持ち場に戻ろうとしていたシドが首をねじ曲げた。 
「何じゃ?」 
「昨日、ミシディアに赤い翼が現れた。セシルから何か聞いていないか?」 
 格子に取り付いたカインは簡潔に疑問を延べる。呆けていたせいで情報収集を怠っていた。事情通であろう人物にこのまま去られてしまっては冷静沈着の名が廃る――だが。 
「何じゃと!?」 
 カインの言葉に、シドは血相を変えた。大地を揺るがす勢いで引き返し、カインの手の上から格子を掴む。熱の増した機械油の匂いを間近に据えたカインは、予想外の反応に眉を顰めた。 
「知らなかったのか?」 
 バロン空軍所属飛空艇を一手に総括するシドが、先日のミシディア遠征に関わっていない訳がない。だが、一本気なこの職人が嘘を吐くとは思えない。ならば――一体どういう事情になっているのか。 
「赤い翼が飛んだのは知っておったが……そうか、ミシディアに……。」 
 疑念を浮かべる眼差しの先で、シドは大きく息を吐く。 
「むぅ……先月から技師長とは名ばかり、デッキに入れてもらえんのじゃ。」 
 身を切られるような告白に、カインは息を呑んだ。 
「おいおい、おっさんから飛空艇を取ったら陸に上がったサハギンじゃねえか!」 
 シドとは付き合いの浅いエッジですら目を剥く。飛空艇の発展に情熱を注ぎ、命を賭けると豪語している人物が、情熱の対象から引き離されるとは。 
「のぅ、赤い翼はどうなった?」 
 救済を求める幼子のような瞳に、カインは躊躇った。よりによって彼に、あの悲惨な末路を伝えていいものか。 
「俺らも分かんねえのよ。赤い翼が出たってんで、慌ててこっちへ来ちまったからな。その内ミシディアから正式に連絡が来ると思うぜ。」 
 エッジがすかさず後を引き継ぐ。弁の立つ忍者の言葉を疑問無く受け入れたシドは、安堵と悲哀の入り交じる吐息を漏らした。 
「そうか。しかし、よりにもよってミシディアとは……お前達に信じていろと言ったばかりじゃというのに、ワシが挫けそうじゃわい……。」 
「元気を出して下さい。セシルさんは自分の闇さえ克服した方ですもの。きっと、大丈夫ですわ。」 
 格子に歩み寄ったポロムは隙間から腕を伸ばし、力無く垂れた太い指に触れる。小さな淑女の励ましに、シドは僅か口元を解いた。 
「うむ……レデエにこんな悲しそうな顔をさせちゃ色男失格じゃな。ありがとうよ、元気百倍じゃ。」 
「その意気だぜ、おっちゃん!」 
 パロムはガッツポーズで姉に便乗する。幼い二人に絶望の淵から引き上げられたシドは、慈父の笑みを浮かべた。 
「良い子たちじゃ……ありがとうよ、もう大丈夫じゃわい!」 
 普段の調子を取り戻した男に、双子も揃って笑顔を返す。 
 びしゃりと頬を叩いて髭を引き締めたシドは、カインに拳を向けた。 
「カイン、と後ろの若造、この子達を泣かせたら承知せんぞ。バロンのことは任せておけい! 出来る限り調べを入れてみるわい。」 
「かーっ、調子の良いオヤジだぜ。」 
 頭を反らしたエッジは、やれやれと肩を竦める。生涯現役を貫く技師の無鉄砲さを良く知るカインは苦笑した。 
「頼む……だが、無理はするなよ。」 
「心配無用じゃ! 危なくなったらとっとと逃げ出すわい。」 
 呵々と笑い、シドは踵を返した。石床を打つ平編革靴の音が遠ざかり、扉の軋む音と共に絶える。 
 騒々しい客人の帰った後に、沈黙が訪れた。嘲笑めいて鳴く錠の音が、何とも言えぬ暗い余韻を一同の上に広げる。 
 と、喉の奥に溜めるような笑い声が雰囲気を破った。六つの瞳の先で、少年が無邪気な笑い声を立てる。 
「どうしたよ?」 
 少年の横隔膜に痙攣を起こさしめた理由が分からず、エッジはパロムの顔を覗き込む。腹を抱えたパロムは、ちらと目を上げエッジを見ると、更に深く腰を曲げた。 
「シ、シドのおっちゃん、そっくりなんだモン。」 
「はあ? ……何が。」 
 小さな手がエッジの頬をぴたんと叩く。 
「隊長とさあ〜、そっくり。”レディーに悲しい顔させちゃ色男失格”って、同なじみたいなこと言うよね。」 
「なっ……!」 
 心外な指摘を受けたエッジは目を剥いた。その隣で、仏頂面の竜騎士が感慨深げに頷く。 
「言われてみれば、リディアと初めて会った時も同じような事を言っていたな。」 
「ほら、やぁっぱり。隊長、おっさんになったらあんな風になるんだ!」 
 少年の零す無邪気な笑いが、カイン、ポロムにもさざ波のように広まった。 
「バっ、バカ言うな! オレサマはなあ、もっと、こう、洗練された渋いオヤジになるに決まってんじゃねーか!」 
 楽しげな笑みに三方囲まれたエッジは必死に反駁するものの、まるで効果がない。解きかけの髪をがしがしとかき混ぜ、将来を勝手に決定された男は最終手段に出た。 
「ったく、おら! お子様はとっとと寝やがれ!」 
 言うと同時に双子をそれぞれすくい上げ、ベッドの上に並べて置く。枕に頭を押しつけられたパロムは掛けられた毛布を蹴りのけた。エッジの腕に往復びんたを喰らわせ、憤然と起き上がる。 
「バカにすんなよ! 脱走――」 
「しっ!」 
 横に並んで座るポロムが、人差し指を口に当てた。 
「声を落としなさい。誰かに聞かれたらどうするの。」 
 しっかり者の姉に諫められ、パロムは肩を竦める。 
「バカにすんない。脱走計画練るんだろ? オイラだって知恵を貸すぜ。」 
 腰に手を当て上体を曲げたエッジは、勝ち気な少年と目線を会わせた。藪睨み眼に、少年は一瞬ひるむ。 
「バカになんかしてねぇよ。いいか、……ここの先客が国へ帰って来てねえ。てことはつまり、脱獄には成功したが、旧水路とやらで何かあったって事だ。」 
「その事なんだが、」 
 カインが口を挟んだ。話を中断されたエッジは、上体を起こし顔だけ振り向ける。 
「旧水路は何十年も前に封鎖された場所だ。今はどうなっているか見当が付かん……出来れば避けたい。テレポかデジョンは使えないか?」 
 カインの提案に、双子は俯いた。しばらく互いの顔を窺い会った後、ポロムが口を開く。 
「デジョンは物質に僅かな歪みを生じさせる魔法ですから、壁を抜けられるだけですの。運良く見つからずに城の入り口まで行けたとしても、橋が上がってしまっていたら逃げられません。テレポは……この城の壁材に混じっているミスリルに反射されて、目的地が定まらないんですの。すみません、お役に立てなくて……。」 
「そうか……。」 
 沈黙から察してはいたが、カインは肩を落とす。 
「ま、楽は良くねえってこった。」 
 明るく切り返したエッジは、改めてパロムの肩を叩いた。 
「つーわけで、魔力を回復しておけや。お前らの魔法、頼りにしてんだからよ。」 
「むむ〜、……分かった。」 
 依然不服の色を残してはいるが、頼りにしているの一言に押されたのだろう、未来の大魔導師その1は靴を床に落とし、ベッドに転がる。 
「それでは、少し休ませていただきます。」 
 丁寧にお辞儀をし、未来の大魔導師その2も弟の隣に身を寄せた。 
「良い夢を。」 
 カインは首元の紐飾りを解き、毛布の上になめし革のマントを重ねる。 
「これも頼むぜ。」 
 肩鎧を外したエッジがカインの顔に向けマントを放った。僅かな手間を惜しむ相棒に眉を顰めながらも、カインは一塊りの厚布を受け取り幼子に三重の防寒を施す。 
 余程疲れていたのか、パロムはものの数秒で寝息を立て始めた。 
「カインさん……。」 
 踵を返したカインを、呟きにも満たない声が引き留める。名を呼ばれた男は回れ右でベッドの傍らに寄った。 
「どうした? 寒いか?」 
 寝心地を気遣う言葉に、ポロムは首を振る。 
「いいえ、暖かいです……。あのっ――」 
 その瞬間、毛布から飛び出た少年の腕が彼女の顔面を直撃した。全くの不意打ちに、少女は声を失う。 
「だ、大丈夫か?」 
「パロムったら、もうっ!」 
 鼻を真っ赤に腫らしたポロムは、暴れ狂う弟の腕をひっつかみ、力ずくで毛布の中に押し込めた。患部を押さえ涙ぐむポロムの頭を撫でてやる。 
「あまりにパロムが暴れるようであれば、俺のところへ来ると良い。床より少しはマシというだけだが……。」 
 少女が満足な睡眠を取れない可能性を鑑みた保護者は、新たな寝場所提供を申し出た。ポロム程度の体重なら、抱えていても苦にはならない。 
 が。先ほど打たれた鼻以上に頬を真っ赤にしたポロムは、髪が振り乱れるほど首を振り、毛布の中に沈没した。 
「いいえっ、いいんです! お休みなさい!」 
「あ、ああ……お休み。」 
 結局、何故呼び止めたのかを聞けずじまいだった。きっと大した用では無かったのだろうと自分を納得させ、カインはエッジの対面に戻る。 
「罪作りだよなァ〜。」 
 飾り紐を解き終え、今度は止め紐に取りかかっていたエッジが、ふと歌うように呟いた。 
「何か言ったか?」 
 どこか笑いを含んだ音に意味を拾えなかったカインは聞き返す。手元の作業に神経を費やす男は顎を横に振り、ただ喉に溜めるような笑いを漏らした。 
 会話が途切れ静寂が下りる。片膝を立てたカインは、利き手で顎を摘み視界を閉じた。柔い闇の向こうに、微かな音が感情の色を伴い表れる。 
 双子の寝息。無償の信頼を寄せてくれる彼らに応えなければ。 
 不定期に落ちる水滴の音。セシルの真意は何だ。気苦労の絶えない親友は、また心配の種を自らに蒔いたのか。それは――やはり、飛空艇に起こった異変と関係しているのだろうか。 
 忍者の指先から発される微細な作業音。彼の真意がいまいち測れない。確かに、国王として玉座に構えていられるような男ではない。だが、不用意に国を空けるほど考え無しではないはずだ。 
 薄く開けた視界の中で、エブラーナきっての風来坊は飾り紐を裂き分けていた。朱と碧に黄を混ぜた綾紐が、色ごとの糸に分けられる。そうして出来た三色の糸をいったん床に置いたエッジは、結い癖のついた髪を解した。ぐしゃぐしゃと棒状の髪の中を探っていた指が、やがて白い太紐を探り当てる。 
 飾り紐と同じく太紐も糸に分けたエッジは、足の裏を合わせて糸の端を押さえると、白糸と色糸を幾本か束ね、編み始めた。目を交互に休めながら、緻密な綾紐を織っていく。 
「……そんなに量があったのか。」 
 歯車のような模様が作られていく様をぼんやり眺めていたカインは、心に浮かんだままを口にした。 
「は?」 
 意表を突かれたらしく、エッジの声がひっくり返る。眠たげな竜騎士の顔と自分の手元を交互に見比べた忍者は、編み上がったばかりの綾紐を摘み上げた。 
「あー……これか? これは咬煌(かみきり)っつってな〜、」 
「いや、髪だ。」 
「ああ?! …あのなあ……」 
 根を詰めて精密作業していたせいで怒る気力もない。綾紐を膝に落としたエッジは、頭の後ろで腕を組み、壁にもたれかかった。水を差されたついでに休憩を取る事にする。 
「セシルは何故、ミシディアに飛空艇を寄越したんだろうな……」 
 ろくでもない指摘でエッジの気力を萎えさせたカインは、罪悪感皆無で別の話題に転じた。 
「国交断絶の通告だったんじゃねえーの?」 
「ふむ……。」 
 やさぐれ気味の適当な返事に、これまた気のない答が返る。思考の海で気ままに揺蕩うカインに見切りを付け、エッジは天井を仰いだ。首の後ろに張り付いた鉛が一枚一枚剥がれていくようだ。 
「……何故俺だったんだ?」 
「はぁ!?」 
 何の脈絡もなく始まった会話に、エッジは再度意表を突かれた。間抜けた表情で凍り付く相手に一向構わず、思案顔のカインは話の先を続ける。 
「身を寄せる場所など他にいくらでもあったろう。何故、試練の山を選んだ。」 
「ああ、俺がって事か。……お前さん、そーやって主語ぼやかすのやめてくんねぇ?」 
 腕で壁を押しやり姿勢を正したエッジは、肩先に垂れる髪の三つ編みを始めた。 
「ま、敢えて理由付けんなら気まぐれってヤツさ。お前ンとこが一番退屈しなさそうだったからな。」 
「本当にそうか?」 
「あん?」 
 真偽を問われ、手元に気を残したままエッジは顔を上げる。 
「三ヶ月の間に少しだけ理解した。お前は一見してバカだが、少なくとも急を要する判断でなければ、未来を見ず選択するほどバカじゃない。」 
「本人の目の前で二度もバカとか言うかぁ?」 
 淡々と言葉を紡ぐ男の太々しさに半ば感心しつつ、エッジは編み上げ髪に通した飾環を肩先に払いのけた。 
「ま、甘ちゃん王子よかマシかねぇ。」 
 前回の旅の道中、事あるごとに言われた台詞を引き合いに出し皮肉る。軽い牽制でカインの注意を促したエッジは、ぐいと身を乗り出した。 
「ところで、俺も少ぅしだけ理解したぜ、お前のことさ……思ったほど利口じゃねえってな。」 
「どういう意味だ。」 
 思考の海を漂っていた意識がほんの少しこちらに寄ってくる。カインと真っ向から瞳を合わせたエッジは、顔をくしゃと崩した。 
「教えてやんネェよ! バカなんつった報いだぜ。」 
 胡座に組んでいた足を宙に放り、横様に身を投げる。作業途中の紐類を足で一カ所にまとめたエッジは、大欠伸しなしな仰向けに転がった。 
「よぅ、交代で休み取ろうぜ。次の巡回が来たら起こしてくれや。」 
「……ああ……。」 
 釈然としない表情のカインを振り切り、エッジは夢の世界へ降りていく。穏やかな寝息の中、水滴が波紋を広げた。 
 
 青白い常夜灯が廊下に沈殿する静寂に綾模様を描く。刻一刻と滲み入る闇の中を足早に乱す影は、手にした蝋燭の細い明かりを頼りに地下へ降った。 
 主無き玉座。前王の御霊が出没するという噂のあった場所は、そう呼ばれている。薄く延ばした紫銀の髪を掻き上げ、影は朧な光を掲げた。名の由来となった古い玉座が照らし出される。 
「嫌な思いをさせて、すまない……」 
 燭台を床に据え、影は玉座に近付いた。両の肘掛けを握り、左肩を背もたれに押しつける。足で地を掻くと、玉座がわずか後じさった。 
「僕はもう二度と――」 
 誰が聞くでもない言葉を、影は吐き続ける。身の内に溜めた痛みに身じろぐ獣のように。 
「あんな思いはしたくないんだ……!」 
 玉座の真下に現れたハンドル。額を拭い、影はハンドルを回す。床下で金属片の噛み合う音が鳴った。真横の壁の向こうに轟音が落ちる。 
 影は玉座を戻し、踵を返した。燭台のもたらす明かりを足下に向け、一段一段照らしながら階段を昇る。 
 長い闇を引き地上へ戻る影の瞳で、赤銅色の光が跳ねた。 



二章後編
 誰かが肩を揺り動かす。薄く開いた視界にぼんやり光る金髪が映った。 
「お……交代か?」 
 投げ出した四肢を引き寄せ上体を起こしたエッジは、腕を振り天井を突き上げる。 
「バカ言うな。もう時間だ。」 
 カインは厚織りのマントを持ち主に投げた。どうせしばらく起きないだろうと予想していたが、まさか最終巡回まで熟睡するとは。もはやエッジ本人よりも、彼の言葉を信じた自分に腹が立つ。 
「うー……体中ビキビキするぅ。カイン君、肩揉んでくんない?」 
 どこまでも調子の良い相棒の願いを黙殺し、カインはうり二つの寝顔に顔を寄せた。 
「出発するぞ。」 
 掌にすっぽり収まる肩を揺り動かすと、小さな寝息が大きな欠伸に変わる。目をこすりこすり上体を起こしたポロムは、右腕を高く掲げ睡魔を祓った。 
「まだねむいぃ〜……」 
 ごねる弟に小さなゲンコツを見舞い、ベッドを離れる。手荒い目覚ましを喰らったパロムは、目をこすりこすり上体を起こした。 
「殴ることないだろー……」 
 乱暴な姉に文句を言い言い、パロムもベッドを離れる。 
 カインが双子を起こしている間に綾紐一本編み上げたエッジは、残りの糸を腕に巻き付けた。 
「準備はいいか?」 
「いつでもオッケーだぜ。」 
 首元で留めたマントを背に流し、カインは跪く。ベッドをずらすと、脱出口はすぐに見つかった。欠けた角に手を差し入れ、肩幅大の床石を持ち上げる。暗闇の中を覗き込むと、冷えた石の匂いが頬に触れた。穴の様子を調べるために小石を落としてみる。カインの手を離れた小石は、やや間をおいてから澄んだ接触音を返した。穴は垂直に下へ続いているようだ。深いと言えば深いが、骨折の心配はしなくても良いだろう。 
「俺、パロム、ポロム、エッジの順で行こう。」 
「あいよ。」 
 穴に両足を突っ込んだカインは、寝ぼけ眼の幼い不安顔に笑みを投げ、両腕の支えを外した。視界が闇に没したのもつかの間、すぐに空間が拓ける。赤みがかった岩の上に着地したカインは、天井から漏れる柔い光を見上げた。瞬くように光が閉ざされ、双子が順に降ってくる。 
 最後の一人は着地に介助を要さない。落下地点を開けようとしていたカインは、ふと、布擦れとは全く異なる音に注意を引かれ再度天井を降り仰いだ。※石に爪立てるようなカリカリという音が近づいてくる 
「な!?」 
 頭上から落ちてきた何かをとっさに受け止める。それが何であるか判別した次の瞬間、温かい重みに頭を殴られた。 
「おわ!?」 
「ぐっ!?」 
 もんどりうって倒れる鈍い音。軽量とはいえ※会心のドロップキックを胸に食らったカインは、色とりどりの花が咲き乱れる楽園を目撃した。あの川の向こうで手を振っているのは、幼い頃死に別れた父だろうか。 
「ぃ……ってぇ〜……なんで突っ立ってんだよ……」 
 ※石頭に強か打ち付けたエッジが不手際を責める。大きな川の水際で我に返ったカインは、横暴忍者を押しのけた。 
「こんな物を落とすからだ、馬鹿者め……」 
 よろよろと立ち上がり、肩当てを持ち主に投げ返す。体の線に沿うよう丸く鋳た防具を肩に取り付け、エッジは鼻を鳴らした。 
「仕方ねえだろ、通らなかったんだからよ。」 
「お二人とも、大丈夫ですか?」 
 気遣うポロムに、気の抜けた答が二つ返される。 
 幸先の悪い出発を切った一行は、右手から差す尖った光に向かい歩き出した。濃い靄のような闇に覆われた地面は凹凸が激しく、カインまでもが足を取られ転倒しかける。怪我をしてからでは遅い――カインは素早く決断し、パロムに松明代わりを頼んだ。魔力は最大値のまま温存しておきたかったが、背に腹は変えられない。 
 やがて、通路が急激に勾配し天井と接した。一見して行き止まりのようだが、カインはパロムに消灯を指示し、僅かな光を掴むため鈍闇に目を慣らす。 
 果たして、埃を被った岩の隙間に黄味がかった漏光が見えた。 
「外れそうだな。」 
 手探りで隙間の周囲を探ったエッジは、光の真上に位置する岩の表面に掌を当てた。少し力を込めただけで岩は簡単に抜け、成人一人がぎりぎり通れるほどの穴が開く。 
 ほとんど視界の利かなかった通路を抜けた先には、ちょっとした公園ほどの空間が広がっていた。壁を辿って見上げた瞳に、闇と同化した高い天井が朧に映る。 
「ここはー……どこだ?」 
 腰に手を当て反り返ったエッジは、同じ姿勢で天井を探す事情通に尋ねた。 
「そうだな、……位置的には、竜騎士団控え室の真下……あたりか。」 
 牢からここまでの通路の距離を覚えの見取り図に置き換え、見当を付けてみる。まったく的外れではないだろうが、どうにも確かめようがない。 
「もしかしたら、内堀の下にかかっているかもしらんな……。」 
「ニィちゃん、ニィちゃん、あそこ、ほら!」 
 パロムに袖を引かれ、カインは振り向いた。少年の指先を追い視線を延ばすと、目算十メートル辺りの場所に張り出した足場が見えた。大股で後ろに下がり目を凝らすと、足場の向こうに階段が見つかる。 
「ねねね、ジャンプしてビューンって行けない?」 
「いや……いくら何でも高すぎるぞ……。」 
 無邪気な過大評価に、カインは苦笑を返した。パロムはがっくり肩を落とす。 
「なーんだぁ……竜騎士って大したことないんだね。」 
「……パロム……。」 
 少年に悪気はない――それは分かっているのだが。 
「おーい、こっちに通気口があんぜ。」 
 背後からエッジの声が響いた。場所の特定はひとまず取り置き、対面の壁にいるエッジの元に集まる。 
「他に道はない、か……。」 
 床すれすれに取り付けられた通風口は腰元まで届くほどの高さだ。這って進むのに支障はないだろう。 
 金網を外したエッジは、上半身を潜らせ、先を探った。中は薄暗いが視界は利く。出口はそう遠くなさそうだ。 
「大した距離じゃねえみてぇよ。」 
「よし、行ってみよう。」 
 四つ這いで連なり、緩やかに勾配する排気管の中を登っていく。途中の分岐をまずは右に折れ、一階分ほど上に登ったところで、入り口と同様金網が張られた出口が見えた。 
 流れていく空気が鼻先を掠める。網の隙間から指を出し器用に金網を外し、エッジは顔だけ出して視線を巡らせた。ところどころに据えられた燭台が、薄闇の中に光の輪を描いている。 
 右見て左見て人気がないのを確認した脱獄囚は、通気口を這い出て細い通路に立った。エッジに続き、カイン、パロム、と通気口を抜ける。最後の一人に手を貸すカインの隣で殺風景な廊下を端から端まで見渡したエッジは、ふと右手の扉に掲げられたプレートを目にし口笛を吹いた。装飾を懲らしたバロン文字が、宝の山の在処であることを誇らしげに告げている。 
「……武器を回収する必要がある、か……。」 
 不気味なほど愛想のいい笑みを浮かべるエッジに、カインは半ば諦め顔で入室を許可した。 
「へっへっへ、そうこなくっちゃ〜!」 
 長髪を留めるためのピンを一本拝借した忍者は、鼻歌混じりに宝物庫の扉を解放する。鈍色の重厚な扉を開けると、白い清浄な輝きが視界を満たした。 
「ヒャッホー! 豪華豪華!」 
 歓声を上げたエッジは、早速手近な棚に取り付く。 
「待て待て待て待て!」 
 カインは慌ててエッジをひっぺがした。棚を探っていた腕を引き抜くと、骨張った手が装飾品を鷲掴みにしている。どこまでも予想に違わぬ相棒に呆れながら、カインは執念で接着された指をこじ開けた。 
「所持品の回収をするだけだ。それ以外の物に手を付けるな!」 
「いいじゃねぇか、どうせ肥やしになってんだからよ。」 
「肥やしじゃない! いいか、これは国家の有事に予備役の人間に支給される武具で、いつ何時事が起こっても即対応出来るよう、丹念に手入れをし――」 
 生真面目な竜騎士は、これらの備品がいかに国家の安全を保証しているか蕩々と語り始める。つまらない薀蓄を右から左へ聞き流し、エッジは壁に掛けられた大小さまざまな剣を物色した。宝物庫というだけあって儀礼用の装飾刀が多いが、造りの良い秀刀もちらりほらり見受けられる。特に、一際目を引く朱鞘の大太刀と、柄に蒼玉が埋め込まれた鈍銀の短剣が素晴らしい。 
 目を付けた二本の内護身用の短剣を手に取ったエッジは、荷物を探す少年を呼び寄せた。 
「隊長、なーに?」 
 小走りに駆けてきたパロムに剣を持たせ、エッジは手前勝手に納得する。 
「こーの短剣は業物だぜ〜。オレサマのオススメ! パロムにピッタシ!」 
「こうして南部を併合した後……違う! エッジ!」 
 一方、いつの間にやらポロムにバロン建国史を語っていたカインは、ようやく本来の説教相手を思い出した。 
「手を付けるなと言っただろうが!」 
「ポロー、胸当てくれえ付けられんだろ?」 
 掴まれた肩をするりと抜いたエッジは、薄金で箔を押した胸当てをポロムの体に押しつける。 
「え、はい……。」 
 手渡された防具を胸に当て、ポロムはカインの顔を窺った。濃い諦めが竜騎士の顔に影を落とす。 
「……もういい。」 
 溜息一つ吐き捨てたカインは、部屋の片隅に立てかけられていた己の槍を回収すると、エッジと並んで棚を覗き込んだ。 
「お? どうした?」 
 盗人王が呑気に声を掛けてくる。いくつかの小型刀を手に取ったカインは、薄刃に明かりを透かした。 
「予備の武器を持っていく。槍だけでは心許ないからな。」 
「へっへ、なんだかんだ言って結局お前も漁るワケね。」 
「どうとでも言え。」 
 盛んにどついてくるエッジを膝で蹴り返し、掌長の投擲刀二対を上腕に止める。 
 武器の回収と補充を終え重装備となった一行は、通気口の分岐点まで戻り、先ほど残った選択肢へと進んだ。冷気を吸った金属面は徐々に地下へ下っていく。 
 今度の出口は真下に現れた。金網を外したエッジは上体を落とし、辺りの様子を窺う。 
「どうだ?」 
「ほっそい通路だぜ。あー、こりゃあ……」 
 エッジの体がするりと消えた。鉄棒の要領で床に降りた忍者は、天井の四角い穴から覗いた顔を招く。 
「この先って、オーディンがいたとこじゃねえ?」 
 滴のように垂れてきた仲間達に、エッジは左手奥を示してみせる。次第に宵闇色を増しながら伸びる通路の行き止まりに、ほの白い扉が浮かんで見えた。 
「主無き玉座の間、か……」 
 バロン戦役後期、先王の亡霊が出没すると噂になった場所だ。誰が腰掛けた形跡もない石造りの玉座だけが収められたその部屋は、先王の亡霊騒ぎ以前から様々な怪奇談の舞台として有名だった。 
「アルジルチギョク……ら?」 
 異国語をうまく聞き取れなかったエッジは大袈裟に首を傾げる。 
「ややこしい間違え方をするな! ……そうか、あそこは水門の真上だったな。」 
 律儀に突っ込んだカインは腕を組み、暗闇にひっそりと佇む扉をじっと見つめた。 
 かの近衛兵から――つまり国王直々に融通された情報によれば、先に脱獄したエブラーナの間者は、城内から旧水路へ至る道を探り当てた。自分の知る限り、巡回の穴を縫って最も水路に近付ける場所が、玉座の間を目前に据えるこの廊下だ。通路の反対から塔の上階へ上り、窓から堀へ飛び込んで水路の入口へ向かうか――成功可能性の低い案にカインは自ら却下印を押す。水深は落下の衝撃を受け止めるのに十分だが、着水音もまた警備兵の注意を惹くに十分だ。 
――まさか、脱獄を示唆するような言葉は、脱獄の罪を上着せするための罠だったのか? 
「そーやって考えてる時間がいっちゃん無駄なんだよ。行って駄目なら別の道だ。」 
「……そうだな。」 
 楽天家に背を押され、カインは足を前へ踏み出した。エッジの言うとおり、ここで迷っていても仕方がない。 
 闇を押し分けるようにして長い廊下を歩く。簡易錠を難なく破った一行は、主無き玉座の間に足を踏み入れた。 
「変な部屋〜……」 
 埃と冷気が沈殿する床に小さな足跡を刻み、パロムは玉座に近付く。 
「先に脱獄した者が、何か手がかりを残してくれていればいいが……」 
「誰かが見つけられたなら、俺達に見つからねえ道理は無ぇさ。」 
 軽く応じて、淡く発光する壁面を調べていたエッジは、ふと引き攣るような低い笑い声を漏らした。 
「……セシルから聞いたんだけどよぉ〜、ここって、マジやべぇらしいぜ〜。数年前警備の兵が、この場所でな……けっけっけ……」 
「きゃーっ! やめて下さい!」 
 か細い悲鳴を上げ、ポロムが耳を押さえる。 
「ほれそこ! そこの壁から赤い腕が!!」 
「おい、悪ふざけは止せ。」 
 怯え青ざめる少女を見かね、カインは相棒の悪趣味を咎めた。エッジは舌を出し、再び壁の調査にかかる。最年長とは到底思えぬ振る舞いだ。 
「全く……確かにそういった噂が多々ある場所だが……」 
「へぇ、マジで? 聞きたい聞きた〜い。」 
 事情通の呟きをしっかり聞きつけたエッジが駄々をこねる。 
「オイラも聞きたい! ねねね、どんな話? どんな話?」 
 玉座の背後を調べていたパロムも早足で戻ってくる。 
「あの、私も……カインさんが話してくれるなら安心ですわ。」 
「おいおい、そりゃどういう意味だ。」 
 恐がりらしいポロムまでもがおずおずと申し出る。満場一致を得、カインは朧気な記憶を掘り返した。 
「怪談といえるかどうか知らんが……バロン戦役が始まる少し前、夜間警備の兵がこの部屋で行方知れずになったらしい。」 
「ほーらな、ほらな、言ったとおりだろ?」 
「黙ってなよ隊長。」 
 少年に怒られ、エッジは肩を竦める。 
「セシルから同じ話を聞いたんだな。……で、そう、なったらしい、ではなく、実際行方知れずになったんだ。その時一緒に巡回していた兵士によると、壁から赤い腕が伸び、兵を壁の中へ連れ去ったのだと。」 
 淡々と語られる前置きに、一同喉を鳴らした。これからいよいよ面白くなる。 
 期待を一身に背負ったカインは、くるりと踵を返し壁に手を当てた。待つこと暫し。 
「……それで?」 
 いつまでたっても始まらない後編を待ちきれず、エッジが合いの手を入れる。カインは首だけ振り向けた。 
「それで、とは?」 
「続き続き! 話の続きは?」 
「これで終わりだが。」 
 皆の期待を綺麗に一刀両断したカインは、壁に取り付けられた燭台を覗き込んだ。使われなくなって久しい燭台の受け皿には、埃が層を成している。 
「おいおいおーい! そりゃねぇだろ〜!?」 
 頓狂な声に耳を掴まれ、カインは振り返った。 
「お前ホンットつまんねぇなあ。フツーこっからが面白くなるんだろが!」 
「面白くも何も、それだけの話だぞ? 脚色する必要はない。」 
 どうにもこの生真面目人間は怪談の主旨を理解出来ないようだ。エッジは肺から絞り出すような溜息をつく。 
「んじゃ、もっと話し方工夫しろよ。……こうやってさー、」 
 正しい怪談の話し方を教えるため、エッジは勢いよく腕を広げた。その右拳骨が、目算の遙か手前にあった燭台を右拳骨で掬い上げる。 
 秒針が時を刻むのとよく似た音が鳴り、燭台がわずか上へ滑った。 
「カチッ?」 
 音の出所に最も近い二人は顔を見合わせる。その瞬間、足下の床石が膝まで沈み込んだ。 
「おおお!?」 
 重い地響きと共に、床石がどんどん沈んでゆく。とっさに決断を下したカインは、双子に手を差し伸べた。 
「来い!」 
 双子は迷わず沈む床石に飛び乗る。 
「凝った仕掛けだな……」 
 見る見る高くそびえ立っていく壁に当たらぬよう身を竦めたエッジは、額に手を当て大分遠くなった床を仰ぐ。※垂直搬送機と同じ仕組み。新しい床板が穴を塞ぐ 
「罠ではないようだな。」 
「何で分かる?」 
「侵入者を始末するなら落とせば済むだろう。」 
 四人を乗せた床石は一定の速度で下降を続けた。五メートルほども降ったところで、ようやく四方を覆っていた壁が消える。※ベルトコンベアで少し前方へ押し出されて停止 
 辿り着いた先は、ところどころ岩石が露出した古い通路だった。向かって右は土砂で埋まっており、もう一方は頑丈な鉄の扉に塞がれている。 
 錆びた扉を蹴り開けた途端、生暖かい腐臭が全身にまとわりついた。 
「ぐぇ!」 
 顔をぐしゃぐしゃにしかめたエッジは、首覆布を引っ張り上げ口と鼻を覆う。他残る三人もそれぞれ両手で呼吸器を塞いだ。光苔の生む僅かな明かりの下、様々な色が解け合い闇色に変色した川が、呼吸をするのさえ躊躇われるほどの悪臭を放っている。 
※壁一面を覆う光苔が放つ蛍光に照らされ、カラービニールを貼ったような不透水面 もっとも、自然光で照らしたところで、この水面がろくな色でないことは想像に難くない。 
「ここが旧水路だ……。」 
 くぐもったカインの声が目的地到着を告げた。 
「こりゃ……何が出てきても不思議じゃねえわな……。」 
 潤んだ瞳を細め、エッジは水に目を落とす。いくら古い水路とはいえ、あまりに環境が変わりすぎている。 
 流れることすらやめてしまった水面に、ポロムは細い息を吐いた。 
「この水……死んでいます。何も生み出さない、ただここにあるだけ……。」 
「ポロム、顔色が真っ青だぞ?」 
 深遠な台詞を口にする少女は、今にも倒れてしまいそうだ。 
「ぅぅううう〜〜〜っっ! 来たあぁーーー!!」 
 少女の容態を案じるカインの背後で、パロムが盛大な奇声を発した。体格に見合わぬほどの発声量を示した少年は、両肩を押さえてがたがた震えている。 
「お、おい!? 大丈夫かよって大丈夫じゃねえな。」 
 真横で鳴り響いた警報に少なからず肝を冷やされたエッジは、膝を折り少年の目線を拾う。パロムは歯をかちかちと鳴らしながらも、真っ青を通り越し土気色に変色した顔で無理矢理笑みを作ってみせた。 
「へっちちゃらだだだい、ししばららららくすればばば」 
「ど、どうした!?」 
 パロムに起こった異変の原因が分からない。為す術の無いカインはパロムの背をなでやる。自身も気怠げに浅い息をつくポロムが、ゆっくりと杖を振り上げ弟にエスナを施した。 
「パロムはクリスタルから受ける影響が強いんですの……ここにあまり長く――」 
「ははやややくいこここうぜっニニニィちゃんたたいちょうおうぅぅ」 
 姉の言葉を遮り、負けん気な少年は右腕を突き上げる。ポロムの言葉を聞いたカインの頭に、ふとある考えが閃いた。急かすパロムを制し、うなじに手を入れ鎖を探る。やや苦戦しながらも首飾りを吊る留め具を外したカインは、胸元から小瓶を引っ張り出した。 
 パロムは人一倍クリスタルの影響を受ける――ならば、水のクリスタルで浄めた守りの効果も高いのではないだろうか。 
 カインの手で首に下げられた小瓶をつまみ、パロムは首を傾げる。 
「こここれれこ……」 
「長老から頂いたものだ。クリスタルで浄められた水らしい。……少しは良くなったか?」 
「おお! なるほど〜。」 
 カインの機転に感心し、早速エッジもそれに倣う。パロムはエッジから受け取ったお守りを、隣に立つ姉の首にかけた。 
「パロム、私はいいから……」 
「何言っててんだよ! ポロだだって具合悪いいくせに。」 
 微妙な痙攣はおさまらないが、それでも喋れるほどに快復したパロムは、姉の額をぺしと叩く。 
「おぉ、兄弟愛だねえ〜。良き哉良き哉。」 
 膝に付いた汚れを払い、エッジはカインを顧みた。 
「海側は完全に封鎖されているはずだ。とすると……」 
 口の中で呟き、カインは前後に伸びる水路の先に目を凝らす。旧水路内に入ってからというもの、方向感覚がまるきり途絶えてしまった。風の流れさえ淀ませるほどの重苦しい奇妙な気配が五感を鈍らせる。 
「北西はどっちだ?」 
 一縷の望みをかけ、カインは天然野生児に方向を問うた。口元を覆っている為か普段よりぐっと凛々しく見えるエッジは、魔術の詠唱でも行うかのように人差し指の横腹を額に押し当てる。 
「この前からどぉ〜も調子悪ぃんだよなあ……」 
 愚痴を零しつつ、口だけ万年絶好調男は瞑目した。しばらくそうして何やら察した後、徐に顔を上げる。 
「右だ。……と、思う。」 
「異論は?」 
 不明瞭な断言を得たカインは、エッジを真似て思案顔を作るパロムと、それを窘めるポロムに向き直った。双子は揃って首を振る。 
「よし、右だ。」 
「確率半々なんだから、外れても文句言うなよ?」 
 最終判断をカインに持たせたエッジは、先頭へと歩み出た。その後を双子が並んで続き、殿をカインが努める。 
 菱形の隊列を組んだ一行は、ぬめる床に足下を掬われないよう慎重に足を運んだ。川に落ちても死ぬわけではないだろうが、気分最悪になること間違いない。 
※距離を少しでも稼ぐためヘイストで補助かける? ポロ提案 エッジ期待わくわく カイン悩んで却下 とにかく先に何があるか分からない エッジがっかり 一同口数少なく あまり口を開きたくない環境に加え、不安がより固く一同の口を閉ざす 時間の感覚もない 
 出口に向かっているのか分からない不安が四人を無口にする。と、先頭のエッジが何の前触れもなく立ち止まった。視線を床に落としていたパロムは、エッジの太股と激突する。続くカインは、少年の後頭部を殴りつける寸前で足を止めた。 
「ちょっ、隊長〜! いきなり止まんなよぉ。」 
「悪ぃ……なぁ、何か――」 
 心ここにあらずで辺りを窺うエッジにつられ、三人も視線を回す。 
 瞬間、カインの鼻先に黒の塊が躍り出た。考えるより先に※拳で払う。足下に落ちたそれは床で一度跳ね、川面に消えた。 
「何だ……?」 
 ミスリル銀の※篭手を粘性の高い射干玉が伝い滴る。しかし、得体を確かめる悠長は許されないようだ。カインは※少し下がって前方と間隔取ってから 背の槍を抜き、横一文字に空を裂き、勢いで鞘を飛ばした。 
 静かだった川面に無数の泡が浮かんでいる。それは波のように後から後から押し寄せ、見る間に川面を覆い尽くした。二倍近くまで肥大化した頭部に、人間と酷似した眼球をはめ込んだそれは、魚と言うにはあまりに不気味な生物。 
「走れ!!」 
 鋭い警鐘が凍り付く足を剥がした。カインとエッジはほぼ同時に子供をすくい上げ、床を蹴る。忍者の小脇に抱えられたパロムは、激しく揺れる上下逆転した視界の中心に右手を伸ばした。 
「ブリザァ――」 
 川面に薄靄がかかる。が、不自然に途切れた呪文は氷の層を成すには至らず、押し寄せる黒い波に塗り込められた。 
 ※振り切れるか?それほど早い魚じゃない筈なんだけど 常識で考えない方がよさげ・通常の状態と比較するのは明らかに無意味だ 後ろから追いかけてくる水音が途絶える気配が一向にない・水音が途絶えるまで走り続けるしかない 
 生存の可能性を賭けひた走る二つの影に、白濁した眼球が群れ集う。 
 やがて、目の前が左右に拓けた。 
「どっちだ!?」 
「右ィ!」 
 後続から迫られた運命の選択。だが、迷わない。直角に折れ曲がる通路の端ギリギリまで踵を滑らせ、減速せずに曲がりきる。彼らの背後で水袋を踏みつぶすに似た音が相次いだ。壁や仲間の体と激突しながらも、それらは獲物に追いすがる。 
※腐臭のする空気さえ今は貴重な酸素源 否応なし肺に循環させる 
 揃っていた足音が乱れ始めた。胸元に抱いた小さな体を負荷に感じる心を殺し、カインは槍を握り直す。 
 程なく、彼らの目の前に今度は三択が訪れた。 
「エッジ!」 
「真っ直ぐゥ!」 
 己を信じ、エッジは方向を定める。肺に送り込まれる酸素の中に、ほんの微かだが流れる水の匂いが混じった。出口は近い―― 
「!!」 
 靴底に刻まれた滑り止めが苔を剥がす。エッジにやや遅れ、カインも足を止めた。 
 少年を下ろす忍者の後ろに道がない。ひび割れた通路の先は、完全に水没している。 
 
※旧水路からの脱出口 水溜まり(?)を斜め右の対壁へクロスして飛び越す形 
 
「時間を稼ぐ、何とかしろ!」 
 少女を下ろしたカインの肩をぐいと後ろに押しやり、エッジは追っ手と対峙した。カインは躊躇わず槍を手放し、腐った水に足を踏み入れる。 
「ここで少ぅし遊んでくれや!」 
 小刀を中段に構えたエッジは、支配領域に立ち入った愚かな獲物を狙う魚を袈裟に払い落とした。 
「カインさんの元に行かせるもんかっ エアロ!!」 
 殊勝な台詞と共に杖を振るうポロムの前面に、不可視の壁がそそり立つ。触れたもの全てを切り裂く古代禁呪、エアロ。パロムにもしもの事があった場合を考え、長老に許可を得ず学んだ魔法が早速役に立った。 
 呪文の詠唱が思うようにいかないパロムも、後方援護を諦め皆からやや離れた位置に構えた。エッジとポロムが取り逃がした分を、拙いながらも習い覚えた剣術で丁寧に減らしていく。 
 三人の援護を受け出口を探るカインは、急激にかさを増す水をかきわけ進んだ。強烈な腐臭が心臓の間近に迫る。 
※壁に添わせた手が細い感触に袖を引かれた 壁に水面から突き出た白骨の手 エッジが使う苦無とよく似た四角錐の飛び道具を握っている。 水から突き出た手の骨だけ残っている ここが出口だと告げているかのように 体の他の部分はどうなったのか知る術はない 
 カインは頭を傾け視線を上げる 組んだ石の隙間に差し込まれた苦無が見つかった。彼はこれを足場にして登ろうとしたに違いない。手を伸ばしても届かない、白銀の梯子に。 
 一段、二段、と梯子を辿り見上げ先に、新月のような細い光が見える。 
 カインはぐるりと体を回した。一刻も早く仲間に出口を知らせなければ。※ぬめる水底をかく左足に鋭い激痛が走った。一瞬よろけたカインは、壁に手を付き水没しかける体を支える。神経を刺す断続的な痛み。だが、我慢できない程ではない。 
 原因究明を後に回したカインは、大股で通路まで引き返した。 
「この先に上への梯子がある! パロム、ポロム!」 
 立てかけておいた槍を下段に構え、双子の後を担う。名を呼ばれた双子は頷き、カインの脇をすり抜けた。 
「気を付けろ、深いぞ!」 
 ポロムの背にカインの助言が追いすがる。通路の切れ目で立ち止まった少女は、杖を背中へ振り抜いた。 
「レビテト!」 
 重力制御の力を得た二人は、水面に波紋を描いて走る。先に梯子を握ったポロムが、パロムに手を差し伸べた。冷えた金属の棒を伝い、出口を目指す。梯子の頂上まで登りきった二人は、しかし、そこで最後の難関に出くわした。 
 蓋が動かない。接着されているのか錆びたのかは分からないが、顔が真っ赤になるほど腕を突っ張ってみてもびくともしてくれないのだ。 
「ポロ、頭引っ込めろっ」 
 と、背後から肩先を掠め耳元に手が伸びた。姉の背に頬をきつく押し当て蓋に掌を付けたパロムは、全神経を腕に集中させる。 
「ブリ……ザドォ!!」 
 少年の祈りは金属を構成する元素を冷気で包み込んだ。白い結晶体と化した蓋は、ポロムの杖の一撃で容易に崩れ去る。 
「エッジ!」 
 双子の脱出を知ったカインは相棒を促した。が、エッジはカインを軽く突き飛ばす。無言の返答を得たカインは槍を背に差し、距離を測って通路の縁を割らんばかりに蹴りつけた。緩い放物線を描き宙を駆けた竜騎士は、左手に捕らえた梯子を強く胸元に引きつける。壁にたたきつけられた左足から、弾力に富んだ何かが破裂する鈍い音がした。視界の隅で、潰れた魚の体が眼下の闇に落ち水しぶきをあげる。左足の激痛は、どうやらそいつが原因だったらしい。 
 再び出血しだした左足に構わず、カインは梯子に取り付いた。数段登ったところで右腕を足場に絡め、目一杯体を傾け後続に槍の柄を差し伸べる。 
「急げ!」 
「あいよ! ――火遁!」 
 最後まで留まり前線を確保していた忍者は、川面に炎の壁を建てると回れ右で駆け出した。一目散に走りながら、手首に巻き付けておいた綾紐を解く。 
「雷迅!」 
 エッジを取り巻くように起こった稲妻の輪は、螺旋を描いて紐に吸い込まれた。 
 灼熱の防御壁をかいくぐった魚がブーツの踵にぶつかってくる。紐を水面に落とすと同時に、エッジは跳躍した。カインの腕力を信じ、槍に全体重を預ける。 
 エッジの手が確かに槍の柄を掴んだその瞬間、足下に淀む闇を凄まじい電光が引き裂いた。荒れ狂う轟音が水中を焼き尽くす。 
 うんていの要領で槍の柄を伝い梯子に取り付いたエッジは、眼下の光景を驚愕の眼差しで見つめるカインに自慢げな笑みを投げた。 
※僅かな水音ぽちゃん 足下を見下ろすと、粘性の高い水に沈み行こうとする白い手の骨 まるでこちらに向けて手を振っているかのよう 
――無惨な死を遂げた彼の御霊は、大いなる光の元へ還れたろうか。 
 カインは目を伏せて祈りの言葉を、エッジは両手の平を合わせる故国式の黙祷をそれぞれ死者に捧げ、旧水路を後にした。 
 
 水飛沫混じりの清浄な空気が肺を満たす。出口の先は巨大な滝の裏だった。バロン付近でこれだけの滝がある場所といえば、ミスト山脈付近しかない。必死だったためまるでそんな気はしないが、相当な距離を走った計算になる。※カインをして、全団合同訓練で一度か二度完走できたことがある、くらいの距離 ※実際走った距離がどれほどか、エッジには知らせない方が良いだろう。(多分へたりこんだまま三日くらいは休むとか言い出すんじゃないか) 
 外界はすっかり朝焼けに染まっていた。朝日が澄んだ水を貴石のように輝かせる。出口に手頃な岩を乗せ封をした後、エッジはそのまま岩に背を預け崩折れた。※肺の中身は元より細胞一つ一つに至るまでそっくり入れ替える勢いで、腐敗臭のしない空気を堪能する。 
「……あー疲れた……もー動けね……」 
「エッジさん、頭!」 
 体力回復のため駆け寄ったポロムが悲鳴を上げる。エッジは眉間にしわを寄せ、指摘された部分に手をやった。生暖かい水のような物が髪にたっぷり染み込んでいる。 
「えぁ? っうおぉ!?」 
 目の前に下ろした掌は、一面鮮朱に塗れていた。仰天したエッジはすぐさま頭部を探る。これだけの出血があるとすればかなりの傷のはずだ。しかし、いくら頭皮を探っても傷の在処が分からない。 
「すぐに治療を!」 
「違う違う、俺じゃねえぇえ!」 
 滝壺で体や衣服に付着した汚れを落とし終えたカインは、洞窟を舞台に繰り広げられる謎の出血騒動に口元を緩めた。※風上の岩壁に寄り、観覧席に着く。この仲間の誰一人欠けることなく、脱出できて本当に良かった。 
「ニィちゃん! 足……!!」 
 パロムの声が洞窟内に乱反射する。カインは暢気に姿勢を正し、少年が指さす己の足を見た。左足首に滲んだ鮮血が見る間に溢れ、地面に溜まる。 
「……すまんポロム、俺だ。」 
 患者の挙手により謎の流血騒動にようやく幕が下りた。 
「どうして早くに仰らなかったんですか!」 
 治癒呪文の詠唱を終えたポロムが鈍感に過ぎるカインを叱りつける。鋭利ではない刃物で抉られたような傷はかなり深く、このまま放っておいたら歩けなくなるところだった。 
「いや……すまない、忘れていた。」 
 呪文だけでは治しきれない傷跡の残る足をブーツに突っ込み、カインは恐縮する。※これほどの傷を負いながら、痛みどころか存在さえ意識から全く飛んでいたとは、我が事ながら他人事のように呆れてしまう。 
「ったくー……んな傷忘れるなんざどっか神経切れてんじゃねえのかぁ?」 
 汚れた髪をマントで拭いつつ、エッジはうんざりと肩を竦めた。ぶつぶつと言葉にならない呟きを漏らし、苛立ちを発散する。 
 カインから反省を勝ち取ったポロムは、改めて再びエッジの元へ駆け寄った。 
「これ、お返しします。ありがとうございました。」 
「おうよ。」 
 胸元から引っ張り出した小瓶を、持ち主であるエッジに手渡す。パロムも姉に倣い、カインの首にお守りを下げた。 
「んで? これからどーするよ。」 
 小瓶を胸元に落とし、エッジが今後を問う。背後に流れる水の音を聞きながら、カインは目を閉じた。 
「一度ミシディアへ戻ろう。デビルロードを使えないとなれば、ファブール経由で船に乗るしかないが……。」 
「おっけ、決まり決まり。」 
 続く懸念を同意で遮ったエッジは、腕を枕にさっさと横たわる。双子たちもエッジのマントを敷布に身体を転がした。 
 横になって並ぶ仲間の間を慎重に縫い、カインは滝畔に出た。陽に晒しておいた服を拾い、袖を通す。まだ水気が残っているが、着ていれば十分もせずに乾くだろう。※滝の水しぶきを浴びながら遠景を望む。鮮やかな一日の始まりを迎えるバロン城は、真白い城壁の背後に陰鬱な影を長く引いている。その城下を、草原を、海を、そして闇をも浸食する影――その中には何が潜んでいるのか。見極めなければならない。大きく一息を吐き出したカインは、故郷を背に負い洞窟の闇へと足を踏み出した。 



第一間章
※この時点で既に山沿いに移動して何日か経ってる計算↓の行に二章最後の洞窟からは既に移動していること、パロムの訓練で何日か経過している 
 
 恵みと言うには強すぎる雨足が大地を叩き、濡れた土の温もりを匂わせる。眠りと覚醒の境界線を綱渡りする少年は、掛布を頭まで引き上げた。 
 雨音に紛れ、頭上から低い会話が降り注ぐ。 
「お姉ちゃんと、仲良くね。」 
 どこか虚ろに響く声。 
「守ってやるんだぞ。」 
 大きな温もりが頭を撫でる。 
「お前は男の子なんだから。」 
 夢は唐突に意識を解放した。掛布を除け上体を起こした少年は、隣に眠る少女の顔を見つめ、唇をきつく結ぶ。思い思いにばらけて休む他のメンバーに気付かれぬよう、少年は息を潜めて洞窟を後にした。 
 昼下がりの太陽が、水面に眩しく照り返る。滝から少し歩いた場所に手頃な場所を見つけたパロムは、枯れ枝を拾い、まだ若い樫の木と向き合った。 
 脳裏に隊長と慕う男が見せた構えを思い描く。 
「確か……こーやって……」 
 横半身にした体の前面に刃を立てる独特の基本型。そこから変幻自在な流水の如き斬撃が繰り出される。深く腰を落としたパロムは、前に置いた右足親指に力を込めた。 
「たぁーーーっ!」 
 勇ましい気合いと共に枯れ枝を振り下ろす。敵に喩えられた木の幹から高く乾いた音が返った。振り抜いた枯れ枝に利き手を添え、今度は袈裟に切り上げる。固い幹はやはり嘲笑うかのように、非力な斬撃を跳ね返した。 
 魔法が使用できない局面に際した場合、今のままでは確実に荷物となってしまう。地下旧水路の戦いで嫌と言うほど痛感させられた事実。 
 いきなり強くなれるわけは無かろうが、少しずつでも練習を重ねれば、きっとカインやエッジのように信頼に足る男になれる。ならなければいけない。強い男になって姉を守ると約束したのだから。 
 腕を大きく回し、痺れを振り払う。渋色の幹に巨大な敵意を描くパロムは、得物を振りかぶった。 
「たぁーーーっ!」 
「何やってんだ、パロ……。」 
 突然背後から掛けられた声。秘密の特訓を見られた少年は、ドキドキと踊り出す鼓動を抑え振り向く。そこには、訓練教本と決めた男の姿があった。 
「た、隊長……おはよ。」 
 咄嗟に枯れ枝を背に隠し、パロムは引きつり笑いを浮かべる。あまり適当でない挨拶に片手を上げて返したエッジは、欠伸しいしい寝癖だか何だか判別し難い髪をがしゃがしゃと掻いた。 
「珍しいじゃねーの? お前が一番に起きるなんざよ。」 
 寝坊常習犯二号は一号の顔をしげしげと覗き込む。視線に追われ顔を俯けたパロムは、ふと思い直し顔を上げた。見よう見まねでやるより、本人に教えを請うた方が余程効率的ではないか。 
「あのさ隊長っ、オイラにニンジュツ教えてくれよ!」 
 手にした枯れ枝を突き出し、指導を請う。相当に意表を突かれたらしいエッジは不審顔を真横に傾げた。 
「はぁ? ったってお前、黒魔導師じゃねぇか……」 
「オイラ、強くなりたいんだ。魔法が使えなくっても困らないように。」 
 渋るエッジの服の裾を引き、真剣に学ぶ意志を伝える。 
「それに、魔導師なんて地味じゃん。やっぱ隊長とかニィちゃんみたいに前に立って戦う方がかっこいい!」 
「……地味かぁ? ま、いいけどよ。なら――」 
 困惑顔のエッジは、溜め息一つで足下から小石を二つ拾い上げると、やや大きい方を木に向け投げた。無造作に放った小石は細枝を震わせ、数枚の葉が振るい落とされる。 
 次の瞬間、風を裂く音と同時に、散っていた葉が全て木の幹に叩きつけられた。 
「これが出来るようになったら、忍術を教えてやるよ。」 
 簡単には言うものの、狙い通りの的に当てる投擲技術はもとより、風の向くままに散る木の葉全ての動きを掌握する洞察眼も必要とする難度の高い技術だ。 
「す……すげー! かっこいい!」 
 忍者の持つ戦闘能力の一端を垣間見たパロムの口から素直な感嘆が漏れた。早速小さな手に石を握り、闇雲に放り出す。少年の意気込みとは裏腹に、放物線を描いた小石は的を大きく外れて草むらに落ちた。 
「うー、うまく出来ないや……。」 
「はは、いきなり出来ちまったら俺の面目丸つぶれだろが。」 
「訓練あるのみ、だね! オイラ頑張るからさ、これが出来るようになったら絶対ニンジュツ教えてくれよな!」 
 何の疑いもなく約束を求める少年の姿に、少々胸が痛む。だが、これくらいの難関を設けた方が早い内に諦めもつくだろう。 
「おうよ。男に二言はねぇやな。」 
 少年に石の持ち方だけを教え、エッジは踵を返した。 
 
 特訓場から少し歩いたところで、食事の材料らしき雑多な荷を抱えた竜騎士と出会う。 
「意地の悪いことをするな。」 
 すれ違いざま、冷めた声に肩を掴まれた。エッジは首だけ捻り、さも意外だと言わんばかりに瞳を丸める。 
「なにがよ?」 
「茶化すな。あのままでは何年掛かってもパロムがあれを出来るようになるとは思えん。」 
 青菜と野鳥を抱えて仁王立ちするカインは、叱責の色を含んだきつい瞳で戯け面を一蹴した。お説教に移行しそうな雰囲気を読み、エッジは苦笑する。 
 この竜騎士ときたら、己に関することは何一つ神経を払わぬそのくせ、仲間のことに関しては全能に近しいほどの観察眼を発揮するのだから堪らない。※さすが竜騎士、索敵員だけあって、地上で起こる何事も見逃さない 
「お前本っ当いろいろ見えてんのなぁ……ただ石っころ投げるだけだぜ?」 
 眉を顰めたエッジは、振り付きで如何にそれが容易なことかを示してみせる。だが、それで丸め込まれるカインではない。 
「嘘だな。お前が二度目に投げたのは石じゃない、何か妙な道具を使ったろう。」 
 糾弾者の手が袖に伸びる。エッジは素早く腕を引き、肩を竦めてみせた。妙技の種明かしを諦めたカインは、飄々と追求をかわす道化に冷えた視線を向ける。 
「きちんと剣を教えてやればどうだ。せっかくお前を慕って教えを請うたのに、これではパロムが傷付くぞ。」 
 生真面目な、いかにも騎士らしい言葉。厳然と口を開ける深い溝に、エッジはふと笑みを漏らした。 
「……そこら辺が違いなんだよなぁ。」 
「何?」 
 音に込められた真意を測り損ね、カインは問い返す。しかし、エッジは全く何事もなかったように、カインに背を向けひらひらと手を振った。 
「忍術は一子相伝、門外不出って事さ。基本はお前が教えてやりねェ。」 
「おい、エッジ!」 
 流水の如き忍者が本気ではぐらかす心算でいるなら、弁の立たない自分の追求など微風ほどにも結論を揺らしはすまい。溜め息一つで理解を諦めたカインは、薪となる枯れ枝を拾うため森に足を向けた。 
 
 天頂をやや過ぎた日が、僅かな緋を帯びた衣を纏う。皆が揃ったところで時間外れの昼食を取った一行は、ミスト村に向かい出発した。次に待つ砂漠越えを鑑み、子供達の足に無理がかからぬようゆっくりと歩を進める。そうしてミスト山脈を貫く洞窟を越えると、既に日は西に傾いていた。 
 鮮やかな朱に染まった大気の中に、ぽつりぽつりと生活の灯が点る。雑多な料理の匂いに迎えられ、一行は村でただ一軒の簡易宿に足を向けた。 
 特別な観光地でもないこの村の宿は、ほとんど民家と見分けが付かない。扉の脇に掲げられた『ミストINN』の木札と、よく言えば趣のある、悪く言えば今にも崩れそうな二階建てを見比べたカインは、意を決して扉を開けた。 
「誰かいないか。」 
 よもや民家に踏み込んでしまったのではなかろうか――。そんな不安に苛まされながらも、玄関に据えられたカウンターを信じて待つこと暫し。 
「おやまあ、珍しい。」 
 ふくよかな体躯をエプロンに包んだ女主人が、サンダルを音高く鳴らして台所から現れた。 
「こんなさびれた村にあんたがたみたいなお若い旅人さんが来るなんてねぇ。」 
 ぼろぼろの宿帳と固まりかけたインク壺とをカウンターの下から取り出し、女主人はひっきりなしに喋りかける。 
「二階の空いてる部屋を好きに使っておくれ。どうせ他にお客は来ないからね、ゆっくりしていくといいよ。」 
「ありがとうございます、おばさま。」 
 ポロムはぺこりと頭を下げた。愛らしい少女の物言いに、女主人は朗らかに笑う。 
「まあまあ、おばさまなんて言われたのは初めてだよ。あんたの子供だろ? 本当に可愛いねえ。」 
 女主人の視線を辿り、カインは思わず吹き出した。突然二児の父にされたエッジは目を白黒させる。 
「おいおい、俺ぁまだ独身だぜ!」 
「おお、おお、そりゃあ大変だわねえ。お嬢ちゃん達がしっかり助けてあげないとね。」 
「だぁから違うっての――」 
「ねぇねぇ父ちゃん、腹減ったあ!」 
 必死の弁明をパロムがたった一言で不意にする。口をへしゃ曲げたエッジは、似た顔並べて笑う双子を両脇に抱え込んだ。 
「こぉーのお子様ども!!」 
「わー! 痛いよ父ちゃんっ」 
「きゃあ! 止めて下さいお父様っ」 
 和やかにふざけ合う三人を背に宿帳を書き終えたカインは、少し余分に宿代を手渡した。 
「夕食も頼みたいんだが、これで足りるか?」 
「あれあれ、こんなに頂いちゃ腕によりを掛けないわけにはいかないね。荷物を置いたら降りておいで。すぐに用意するからね。」 
「ありがとう。」 
 袖をまくり上げた女主人は勇んで台所に戻って行く。生活を背負う女主人のたくましい背を見送ったカインは、双子を抱えるエッジの荷を持ち二階へ登った。 
 
 豪華過ぎる夕食の後、必要最小限の旅行道具を買い揃えた一行は早々とベッドに潜り込んだ。砂漠をただ歩くだけでもかなりの体力を消耗する上、砂虫をはじめとして砂の大海に巣喰う凶悪な怪物に襲われる可能性もある。いざという時遅れをとらぬよう、前衛に立つ二人はもとより、特に子供達の体力は温存しておかなければならない。 
「お休み、父ちゃん!」 
 広いベッドで大の字になったパロムは、向かいのベッドでくつろぐエッジに揶揄まじりの挨拶を投げる。 
「っかー、まだ言うかこいつ! とっとと寝やがれ!」 
「あははっ、お休み隊長、お休みニィちゃん!」 
 布団に押し込もうとする腕をするり抜け、少年はころころと笑いながら布団に逃げ込んだ。 
「お休みなさい、カインさん、エッジさん。」 
 備え付けの寝着に着替えたポロムは、一礼してから布団に潜り込む。買い出してきた水や防暑具を詰めた背嚢を枕元に置き、カインも横になった。 
「お前も早く休めよ。」 
「はいはい、分ァってるよ。」 
 どこまでもお節介な若年寄に二つ返事を返し、エッジはベッドに倒れ込む。明かりを落としてしばらくもせぬ内に、室内は静寂に包まれた。 
  
 半月の吐息が視界を青く染め上げる。存分に頃合いを測り起きあがったエッジは、十八番ともいえる忍び足を駆使して隣のベッドに歩み寄った。 
 風を動かさぬよう細心の注意を払って、眠るカインの口元に掌を寄せる。穏やかな寝息が皮膚をくすぐった。 
「……よし。」 
 この様子ならば当分目覚めはしないだろう。念のため、布団の中に枕を潜らせ簡単なカモフラージュを施したエッジは、そろそろと宿を抜け出した。 
 大体が、今日は昼過ぎまで寝ていたのだ。大の大人が酒も無しに寝付ける方がおかしいではないか。――頭の中で言い訳を垂れつつ軽やかな足取りで盛り場へ向かったエッジは、予想だにしなかった大惨事に見舞われた。 
「おぉい?!」 
 酒場の扉で”閉店”の二文字が嘲笑う。酒場独特の余熱らしきものすら感じられないところからして、随分前に閉まったようだ。 
「っまだ一時だぞおい!」 
 ノブを掴み乱暴に回してみるが、もちろん開かない。それでもまだ信じられずに明かりの落ちた店内を覗き見、ついでに店を一周回ってみたエッジは、とうとう途方に暮れて頭を抱えた。 
「……畜生、カインの野郎いやにあっさり寝たと思えばこういう事か……」 
 そこまで悪どい人間では無いと分かってはいるのだが、毒づかずにはいられない。 
「は〜〜〜……帰って寝るかぁ……」 
 やりきれない気持ちでふと村の入り口に目を向けたエッジは、そこで在るはずのないものを目にした。 
 驚きのあまり呼吸が詰まる。 
 闇の中で一際鮮やかに燃える、深く澄んだ緑。ほっそりと伸びた四肢に風を纏い、静かな夜を歩く娘。 
 目を疑うより先に体が動いた。通路に放置された酒樽と木箱の間をすり抜け、今しも村を去ろうとしていた娘の肩を掴む。 
「リディア!」 
 伸ばした手に確かな感触が返った。萌える緑が緩やかに軌跡を描く。 
「エッジ?」 
 今、確かにその体に触れている。ということは、幻ではない。 
 今、確かに”エッジ”と名を呼んだ。ということは、良く似た別人ではない。 
 一々確認したエッジは、ようやく鼓動を取り戻した。――あと一秒遅かったら彼岸を見るところだった。 
「お前……幻獣界にいたんじゃ……?」 
 再会の喜びと同時に疑問が浮かぶ。先に口をついたのは後者だった。 
「……出来れば、会いたくなかった、な……。」 
 憂い顔で告げるリディアに、エッジは盛大な溜め息を吐き下ろした。 
「おいお〜い、ご挨拶じゃねぇの。俺様はこーんなにお前のこと思ってやってんのによぉ。」 
 変わらない軽口に、リディアは儚い笑みを浮かべる。あからさまにおかしいその原因を問う寸前で、少女は口を開いた。 
「少し歩こ。」 
「あ? ……ああ……。」 
 言われるままに、並んで木造の簡素な門を抜ける。歩調を合わせて草を踏みながら、エッジは幾度も隣を窺った。 
 確かに、いる。この娘が幻だというのなら、周囲を取り巻く世界の全てを疑わなければならない。 
 当分会えないと思っていた愛しい娘と月夜の下を歩く。まるで夢のようだ。――最も、リディアがこんな調子では寝覚めの悪いことこの上無いが。 
 会話のないまま時間が進む。村を少し離れたところで、リディアは立ち止まった。夜風に鳴く木立にもたれ、風上に瞳を向ける。大地の恵みを宿す瞳に遠い月影が光った。 
「で、ここにいる理由は?」 
 見えない気配に怯えるかのような娘を引き戻すため、ぶっきらぼうに直球を投げる。 
「この村の空気に触れたくて。……そういうエッジこそ、どうして?」 
「俺は野暮用だな。カインの野郎がどうしてもっつーからヤツにくっついて来てやったんだけどよ。」 
「じゃあ、カインもここにいるの? セシルお兄ちゃんは? ローザお姉ちゃんは?」 
「カインはそこの宿で寝てんぜ。セシルはバロンでふんぞり返ってやがるし、ローザはトロイアにいるみてぇ。なあ、せっかく来たんなら会ってきゃどうだ?」 
 矢継ぎ早に仲間の所在を聞くリディアに、半ば安心し半ば不満を抱きつつ、エッジは順を追って問いに答えた。 
「うん……。でも時間がないから……。」 
「何だよ、また帰っちまうのか。」 
 そんな気はしていたが、はっきり言葉で示されるとやはり寂しい。つれない娘は両手を背で組み上体を折る。緩やかな曲線を描く長い緑髪が滝となって表情を隠した。 
「あのね……幻獣界が、一度こっちの世界との接続を切ることになったの。……避難するために。」 
「避難?」 
 難儀な言葉にエッジは眉を顰める。丸々一つの世界が避難とは、また何とも壮大に過ぎる話だ。 
「”眠り星の災禍”が幻獣に負の影響を及ぼしてるの。魔力の低い者たちの中には、既に理性を失い凶暴化してしまった者もいる。」 
 伝え覚えた文句を口にする少女は、おそるおそるといった風に柔らかく土を踏み歩く。 
「ネムリホシノサイカ? 何だそりゃ……」 
「アスラ様が言うには、予定されていた必然であるそうよ。」 
 問いに返される言葉は分厚いヴェールに包まれており、まるで要領を得ない。 
「さっぱり分かんねぇ……」 
 エッジは呻き、人差し指をこめかみに押し当てた。与えられた情報を砕いて整理し、もう一度言葉に直す。 
「とりあえずつまり、そのサイカとやらがどうにかなるまで、お前がこっちに来れなくなると。そういうこったな?」 
「うん……あたしに流れるお母さんの血が、災禍への抵抗力を弱めているの……。エッジ、あのね、だから……」 
 窺うような視線をわざと外したエッジは、大きく胸を反らした。 
「ま、サイカだろーが必然だろーが俺様の手にかかりゃイチコロよ! だから、安心して――」 
 青白い闇の中で深淵の緑が揺らめく。彼女が立っているその場所だけ、重力から解き放たれたかのように。 
 人知の遠く及ばぬ存在――胸の奥に滲んだ畏れを、しかしエッジは握りつぶした。彼女の体を構成する物質は、確かに自分たちと異なるかも知れない。だが、彼女を彼女たらしめている本質は。 
「安心して行って来な、リディア!」 
 一歩、足を踏み出す。ただそれだけで、リディアの周囲を取り巻いていた風は失せる。 
 依然目を伏せたままのリディアは、輪郭に張り付く緑髪を梳き流した。 
「エッジ……」 
「あンなぁ、ここ笑うトコ、笑えっての。な、自分で選んだ道だろ? 辛ぇなんつって逃げんじゃねえぞ!」 
 日向に微睡む猫のように目を細めたエッジは、陶磁にも似たリディアの白い額を指で弾く。ぺち、という軽い音とともに憂いを弾かれた少女は、額を押さえ、男をにらみ返した。 
「っ、そんなことしないもん! あんたじゃないんだからっ――」 
 強気な瞳からこぼれた涙が、丸い顎の先でわだかまる。薄れゆくその姿に向かい、エッジは二本指で虚空を打つおきまりのサインを投げた。 
「また、な。」 
 再会を祈る言葉は果たして届いただろうか。一時の夢から覚醒した夜は、ただ涼やかな色を増すばかりだ。  
「てっきり行っちゃヤダとか言い出すのかと思っていたが。」 
 渺茫たる余韻は無愛想な一言で微塵に砕かれた。振り向いた先に、色恋沙汰など全く無縁げな仏頂面がある。 
「カイン、てめーーー……」 
 無粋極まる盗み聞きに鼻白んだエッジは、ふと下から袖を引かれた。 
「エッジさん……好きな人と一緒にいたいと思うのは、悪いことなんですか?」 
 真摯な瞳で問いかける幼子にまで怒りをぶつけるわけにもいかない。エッジは溜め息一つで腰を落とし、少女と目線を合わせた。 
「悪ぃってぇワケじゃねえよ。ただなあ、何かを後悔して心ここに在らずじゃ、近くに居ても傍にいねぇのと変わりねぇってこった。」 
「よく……分かりません。」 
「ちっと難しいか――そうだなぁ、」 
 右手で衝立を作ったエッジは、ポロムの耳に小声を滑らせる。 
「例えば、あのヘッポコ竜騎士と同じ形しててもよ、人形より本物の方が面白ぇよな? ジャンプしたり減らず口叩いたりする本物の方がよ。」 
 言って、何故か枕を手に提げたカインを指で示す。少女はこっくり頷いた。 
「はい。」 
「要はそういうこった。俺はリディアの人形が欲しいわけじゃねぇ。」 
「……難しいですわ……。」 
 寝着の裾を風にたなびかせるポロムは、複雑怪奇な大人の世界に小さな頭を悩ませる。一方、おかしな手荷物をぶら下げたカインも、恒例の苦悩病を発症していた。 
「眠り星の災禍……一体何だろうな……。」 
 幻獣に最も近しい娘が残した不気味な言葉。先のバロン戦役ですらほぼ傍観に近しい立場をとった幻獣界が、こちらの世界との接続を切らねばならぬほどの大事であるらしい事は分かる。 
――一体この星に何が起こっているというのか。 
「何であれ何とかなんだろ。今うだうだ考えてみたところでどうせ分かんねぇよ。」 
 生真面目竜騎士の趣味を一笑に付し、宿に戻ろうと一歩踏み出したところで、 
「じっちゃんに聞けば分かるかも!」 
 カインの背後から顔を出したパロムがエッジの行く手を阻んだ。切ない離別を、よりによって衆人環視の中繰り広げていたことを知ったエッジは頭を抱える。 
「うげぇ……みんなして見てたんかよ……。」 
「へっへー、”安心して行って来な、リディア!”」 
 パロムは得意げに鼻の下を擦り上げ、最後の台詞を振り付きで真似た。エッジはイタズラ小僧の頭を脇に抱え込み、ぐりぐりと拳を押しつける。お仕置きを受けたパロムはきゃっきゃと歓声を上げて逃げ出した。時間も考えず騒ぐ弟を、しっかり者の姉が追う。子供達の後から宿へ引き返す道中、エッジはカインに声を掛けた。 
「なぁ、何でお前枕持ってんの。」 
「! そうだ、こんなもので誤魔化しやがって、この馬鹿者が!」 
 言わなければ良かった――慌てて駆け出す背中に重い羽枕がクリティカルヒットした。地面に落ちた枕を拾い、エッジは頬をふくらませる。 
「あーあー、枕投げちゃいーけないんだー。ローザに言いつけてやるー。」 
「やかましい! 子供かキサマ!」 
 途轍もない脱力感に見舞われたカインは、宵闇を仰ぎ嘆息した。冥い運命を報され、愛しい娘と別れたばかりだというのに、あの脳天気さは何処から生じるのだろう。 
 雷鳴のように響く獣の遠吠えが、深みを増す夜空に波紋を広げる。 
 遠い世界へ戻った娘との再会を願い、エッジは視界を閉じた。 
 
 等間隔を保って灯された蝋燭が、玉座までの道を描く。夜半も過ぎた今、外廊下より零れる音も無く、謁見の間にはただ無機な空虚が拡がるばかりだ。微かな風の流れに晒される灯火がゆらめき、様々な物影をまるで呼吸するかのように伸縮させる。 
 ほの明かりにたゆたう夜の鼓動に深く身を沈めた玉座の主は、扉の開く音に目を上げた。 
「失礼します。」 
 入室を告げる声が蝋燭の舌先を竦ませる。静かな空気を揺らして歩を進めた青年は、絨毯に膝を付き恭しく頭を垂れた。 
「ご報告致します。昨夜未明に脱獄を図ったハイウィンド卿ら一行ですが、捜索は難航しております。」 
 肘掛けに体を凭れた王は、傾ぐ視線を御用聞きの上に投げ遣る。 
「一日探索して足取り掴めずか。……もうこの国にはいないということだろうね。」 
「は、恐らく。」 
 同意を承け、王は何事か心得たように頷いた。 
「ご苦労さま。兵を引き上げて、君も休んでくれ。無駄足を踏ませて悪かったね。」 
「は。」 
 どうにも過去の語り口が治らない風の若き王に、簡素な御意を返して立ち上がる。過去とはいえ、一年にも満たぬ時間だ。それを責めるのは酷だろう。 
 近衛兵が扉の向こうに消えると同時に、王は頭を後ろへ逸らせた。王冠と背もたれがぶつかり、カンと乾いた音を立てる。まるで中身の無いその音に、何故か可笑しさが沸き上がった。くっくっと喉元にのめる声がぼんやりと反響する。 
 いつの間に、これほど一人になってしまったのだろう。 
 人間は元々一人だ、などと建前てみたところで答になろうはずはない。つい最近、技師にどやされた言葉を思い出す。王は国を背負うが、孤独を背負うべきでない、だったろうか。そんな按配ではなかった気もする。 
 自分が周囲に見捨てられているなど考えたことはない。今ですら、事情を全て打ち明けたなら、喜んで受け入れてくれるだろう。 
 だから、それができないのだ。 
 助力を求めることはいとも容易い。見返りなど求めないことも知っている。そうして罪過は心に積もっていくばかりだ。 
 瞼を下ろした視界に色濃く浮かぶ禍つ影。溜め息を吐き下ろし、静かに向き合う。 
 ここまで決意を固めたつもりでいながら、真実はどうだ。やはり自分は甘えている。剣を取る手が震えずいられるのは、続く道を歩む者がいるという確信があるからだ。 
「参ったなあ……。」 
 瞑目の額に手を当て、自嘲の笑いに唇を委ねる。 
 王がその座を後にしたのは、明け方も間近い時刻であった。 



三章前編
 午前五時。薄青に塗り変わる空を、悠然と雲が行く。朝の体操を終えたカインは、部屋に戻りカーテンを勢い良く開けた。窓の向こうに見える町並みは、ガス灯が描く煙の色を残している。 
「起きろ、出発だ。」 
 双子達を揺り起こした後、カインは最も始末の悪い大きな子供を起こしに掛かった。 
「目を覚ませ、出発するぞ。」 
「うーん、リディア……もうちょっと……」 
「誰がリディアだ。とっとと起きんか!」 
 相当愉快な夢を見ているらしいエッジは、肩を揺すられたぐらいではびくともしない。カインは迷わず最終手段に訴えた。枕を抱きかかえ丸まった背中を思い切り蹴りつける。エッジは面白いほど見事に二回転し、派手な音を立てて床に落ちた。 
「ッてぇなこの……蹴るこたねぇだろ蹴ることぁ!」 
 強硬手段で寝床から引き剥がされ、エッジは暴力目覚ましに苦情を叩きつける。慣れた手つきで髪を纏めるカインは、未だ毛布を被ったままの寝坊を横目にふんと鼻を鳴らした。 
「悔しければ起こされる前に起きるんだな。」 
「何だとこの――」 
「ニィちゃんが正しいぜ、隊長。」 
 ベッドの上でぼんやりと着替えるパロムが、冷たい突っ込みを投げ寄越す。 
「パロ……お前に言われたかねぇんだよっ。」 
「だってオイラ起こされれば一回で起きるもんねー。」 
「嘘吐け! この前ポロにこづかれてたじゃねーか。」 
「で、でもニィちゃんに蹴られたりしたことないもん!」 
「無駄口叩いてないでさっさと着替えろ。」 
 荷物の点検まで終えたカインは、頭の中身が同程度らしい二人のやりとりを遮った。放っておくと何時まで出発が延びるか分からない。 
 雑然が目覚め活気づく部屋にノックが訪れた。別室で着替えているポロムが戻ってきたのならばノックはしなかろう。とすると、宿の女将だろうか。 
「はい、開いて――」 
「ポロムです、開けて下さいぃ……」 
 カインの予想に反して、扉の向こうから何処か苦しそうなポロムの声がした。慌てて扉を開ける。そこには、両手で抱えきれないほど大きな袋に背負われるポロムがいた。 
「どうしたんだこの荷物は?」 
 少女から巨大な麻袋を受け取る。それはかなりの重量でもってカインの腕にのしかかった。 
「宿のおばさまが、食べ物と服を下さったんです。長旅なら必要だろうって……。」 
 善意の塊のような笑顔で言われ、断りきれなかったのだろう。カインとポロムは困惑顔を見合わせた。 
「こ……好意はありがたいが……」 
「分担しりゃ持てそうかい?」 
 言葉を失うカインの肩越しにエッジが袋の中を覗き込む。中には携帯用食料と水、そして、子供用の衣服がぎっしり詰められていた。 
「うん?……ここに小せぇ子供いたっけ?」 
 不審に思ったエッジは半袖シャツを一枚引っ張り出す。お古にしては布が随分新しい。余程大切に保管されていたとしても、使われなくなって一年と経ってはいないだろう。 
「息子さん夫婦とそのお子さんが、一年前の大火で亡くなったそうです……私、断れなくて……。」 
 ポロムの言葉は力無く床に落ちた。カインは無言でベッドに戻り、袋の中身を空ける。 
「食料と水は各自予備として携帯しよう。衣服は俺とエッジで半々だ。」 
 ここで荷物を増やすのはあまり好ましくないのだが、かといって女主人の気持ちを無下には出来ない。腰に付けて道具を携帯する巾着以外入れ物を持っていなかったエッジに予備の麻袋を渡し、ベッドの上に積み上げた衣服を半分背嚢に詰め込む。 
「おー、カーワイイじゃん。へぇ、子供服っちゃ結構凝ってんのなあ〜。」 
「そういうことは後にしろ。」 
 一枚一枚広げてデザインを確認するエッジを叱りつけ、カインは荷物を背負った。右足立ち、左足立ちと荷のすわりを確かめた後、渡砂用の外套を被り背に槍を差す。 
 カインに続き、子供達も準備を終えた。体中に紐で結わえた食料やら水筒やらが丈の短いマントの下から見え隠れする様は、まるで遠足にでも行くようだ。程なくエッジも準備を終える。 
「よし、行こう。」 
 女将に再三旅の無事を祈られ、一行は日が昇る前にミストを後にした。目指すはオアシスの町カイポ。山脈から海へ流れる水脈が地表付近へ現れ出来たオアシスを拠点に、旅人達が築いた砂漠の中継地点である。昼前に着くことが出来れば、午後のダムシアン王都直通ホバー便に乗れるだろう。 
 朝焼けに染まる黄砂が、見えない指先で砂地に模様を描く。 
「お前ら歩き方がなってねえなあ。そんなんじゃカイポに着く前にへたっちまうぞ?」 
 一歩踏み出す度に崩れる柔らかい砂地と格闘する一行に、一人飄々と歩くエッジが声を掛けた。額に薄く滲んだ汗を拭い、カインは揶揄に視線を向ける。 
「ではどうやって歩けと?」 
 問われたエッジは待ってましたとばかりに胸を張った。 
「おし、俺様が特別に歩き方を伝授してやろう! いいか、砂漠を歩くときは水面を進むが如く! 左足が沈む前に右足を前に出す、これだ!」 
 やたら生き生きとした講師はご託を並べ、また実際いとも容易く砂の上に足跡を刻んでみせる。腑に落ちない顔を見合わせた三人は、とりあえず実践を試みた。足を忙しく動かす必要から自然小股になり、歩き方に合わせて姿勢まで窮屈になる。砂に蛇がのたうったような跡が続いた。 
「――てのは冗談でな。」 
 なだらかな砂丘を登り切ってしまった後で投げられた一言。三対の恨み目に刺され、悪戯っ子は乾いた笑いを浮かべた。 
「悪ぃ悪ぃ……ってか、そんな簡単に信じるなよ……」 
「「「こんな時に冗談を言うな!!」」」 
 暑さと疲労が人格に及ぼす影響を見くびっていたエッジは、その後、三人分の荷を背負わされる羽目になる。 
 
※人間(大人)一日10時間歩いて40キロ程度 渡砂で2日程度経過  
 
 カイポ――黄金の死海に取り残された水の町。砂漠を渡る隊商が妻子の根を宿す場として選んだこの町は、命を育む泉を中心に据えたほぼ正円をしている。陽炎の街路樹に日干し煉瓦で作られた真四角の屋根がぽつりぽつりと並ぶ町並みは、長閑の一言に尽きる。 
 暑さ故か、往来を行き交う人々の足取りもどことなく緩慢だ。灼熱の国ダムシアン領の人間は、元々争いを好まないと聞く。それは、感情の変化に伴う体温の上昇を嫌うからと言う噂もあながち嘘では無かろう。 
 しかしそんな、歌を愛で踊りを友とする人々さえも、先のクリスタル戦役に巻き込まれた。 
 熱砂を巻き吹きすさぶ風の中、砂糖菓子を思わせる町並みを見渡し、カインは視線を遠く思いに馳せる。――軍靴が踏みしだいた草は、再来の春を迎え傷を癒しただろうか。 
 ダムシアン直通のホバー便に乗るためには、まず窓口で席の予約を取り、切符を購入しなければならない。簡単な食事を済ませた一行は、品物の補給に戻る隊商や商業都市へ買い出しに行く旅行客でごった返す広場に足を向けた。この小さな町で唯一外界との接点を備える広場は、町中の人間を集めてなお足りないほどの人出である。 
 切符売り場は難なく見つかった。広場入り口から続く行列の先に、ホバー便切符売り場の看板を掲げる白茶けたテントの屋根がある。じりじりと僅かずつしか移動しない行列に、子供より堪え性のないエッジがげんなりと頭を垂れた。 
「こりゃあ切符買うだけでも一苦労だぜ……。」 
「何処かで暇を潰していろ。」 
 彼が騒ぎ出す近い未来を予知し、カインが先手を打った。幸い、周囲には切符販売を待つ客目当ての露店が並んでいる。先ほどからちらちらと店先に並ぶ商品の品定めをしていたエッジに、カインは無駄使いするなよの小言を付けて駄賃を握らせた。 
「うっしゃー! パロム、俺様に付いてこい!」 
「おす、隊長!」 
 先立つものを手に入れたエッジは弟分である少年の手をしっかり握る。 
「出発の三十分前には停留所にいろよ!」 
 待ち合わせを告げる声も届いたどうか。大小二人のお子様は喜々然として人混みに消える。溜め息一つで視線を戻したカインは、何も言わずその場に残った双子の片割れを見下ろした。 
「ポロムはいいのか? 随分時間が掛かりそうだぞ。」 
「カインさん、お一人ではお暇でしょう?」 
 ポロムは柔らかに表情を崩す。返す言葉もなく、カインは長い行列の先に目を向けた。確かに何の暇つぶしもなく順番を待つのは苦痛かも知れない。 
 時刻はもう一時を過ぎただろうか。天頂を過ぎた太陽は容赦なく地上に炎熱を注ぐ。宿の女将にもらった水筒を一つ空にし、ポロムはふぅと肩を落とした。もう十人ほど前へ進めれば日差し避けの天幕が張ってあるのだが、そこへ辿り着くまではマントの庇が作る僅かな陰で我慢するより他にない。 
 無口な引率者の、薄く汗に覆われた顎を見上げていたポロムは、ふと肩を叩かれ後ろを振り返った。 
「お嬢ちゃん、見ていかねぇかい?」 
 頭上から陽気な声が振ってくる。熱を反射する黄白のマントを伝い視線を上げると、浅黒い肌をした壮年の顔にぶつかった。 
「え……あの……」 
「見るだけならタダだよ、タダ! カイポで買い物怠る奴はサンドワームの良い餌だって、昔の人は言ったもんだ!」 
 人の好さそうな笑顔も商売道具の一つだろう。客の注意を引きつけた商人は両翼を開く。くるぶしまで隠す長いマントの内側に吊された雑多な売り物が、がちゃがちゃと派手な音を立てた。 
「これなんかどうだい? 遠く遠く海に囲まれた異境、エブラーナに古くから伝わる特別な技術で作った紅玉の髪飾り! 職人がほとんど死んじまったせいで今じゃ滅多に手に入らないお宝だよ。」 
 袖口に近い場所に差してあった小物の中から一つ引き抜き、男は蕩々と宣伝文句を詠い上げる。 
「嘘ではないだろうな?」 
 対応に戸惑う少女の後ろから、保護者が声を掛けた。怪訝な視線をものともせずに、商人は鼻孔を広げ胸を張る。 
「旦那、あっしは正直者で通ってるんでさぁ。」 
「生憎商人の口上を信じるほどお人好しじゃないんでな。」 
 カインは細長い髪飾りを手に取った。結い上げた髪に挿して留めるよう先が二股になった髪飾りを日に透かすと、水に絵の具を置いたような模様が鮮やかに浮き上がる。しばらく矯めつ眇めつした後、カインは視線を流した。 
「連れにエブラーナの奴がいるんだが、そいつに見せても構わんか?」 
「え……エブラーナの?」 
 商人の顔に焦りが浮かぶ。と、 
「ろーかひらかぁ?」 
 まるで測っていたかのようなタイミングでエッジが顔を出した。 
「なんれなんれぇ、おもひろほーらンいとっつからってんらねーろ♪」 
 右手に巨大な棒付き飴を二本刺し、左手にはフォークを突き立てた紙皿を載せ、口一杯に淡水イカの姿炒めを頬張った彼は、カインを押し退け会話に乱入する。 
「食ってから喋れ、みっともない!」 
 エブラーナには食事の礼儀というものがないのだろうか。カインが教えられた行儀の全てを一撃の下に破壊した自称王族は、小煩い若年寄を据わり目で射た。 
「ふぁいん。」 
「な、何だ……?」 
 名を呼ばれ――たのだろうと仮定して、及び腰になりながらもカインが応じる。エッジは右手を頬の横まで持ち上げた。 
「ほえれもくあえぃ!!」 
 その動きはまさに神速。避ける間もなく、カインは巨大飴に口を塞がれる。行儀教育係を実力行使で黙らせたエッジは、すっと腰を落としポロムに右手を差し出した。 
「ぽおう、あいよ。」 
 カインと同じ目に遭うことを予測し目を固く瞑っていたポロムは、優しい声音に恐る恐る目を開く。引きつり笑いを浮かべる己の顔が、鏡のような甘菓子に映り返った。 
「あ、有り難う御座います……」 
 依然目の前で起こった惨事の衝撃から逃れ得ぬポロムは、壊れ物を受け取るようにして飴を頂戴した。雪崩るばかりに降り注ぐ好意の眼差しに、うだるような甘さを口に含み愛想笑いを返すことで応える。 
 やがて、口を塞いで余りある飴をようよう外すことに成功したカインは、深い溜め息と共にやや丸みの欠けた凶器をエッジに突きつけた。 
「……パロムはどうした。」 
「あっひりまたひれあうえ。」 
 公用語、というより人語であるのかどうかすら疑わしい音が返される。 
「何言ってるのかさっぱり分からん……」 
 分かりきった事実を敢えて言葉にし頭痛を抑えるカインを余所目に、淡水イカを丸飲みしたエッジは髪飾りを手に取った。 
「へぇ、簪か……。」 
 飄々と砂を巻く風にふと混じるほのかな郷愁。実り薄い痩せた大地と、煙がかった薄靄の朝焼けを半月の飾りに写した品を、幼い頃トンボにした様カインの鼻先で揺らす。 
「ポロムに買ってやったらどうだ? そんなに値の張るもんじゃねーしよ。」 
「これは安い物なのか?」 
「ああ。子供の小遣いでも買えんだろ。」 
 同郷のよしみで売り口上に一役買ってやった心算であろう男の言葉に、会計係は眉後を下げた。 
「そうか。」 
 突き出した掌に、曰く安物の簪を受け取る。パロムに呼ばれ再び遊行に戻るエッジの背を見送ったカインは、凍てつく氷めいた瞳を商人に戻した。 
「やはり嘘だったな。」 
「ははは、は。じゃ、じゃあこれはどうです。バロンの貴族御用達の銀細工! これはかなりの値打ち物――」 
 銀が同属を打つ涼やかな音が立て板の水を遮る。眼前に据えられた銀滴の腕輪に、商人の目が釘付いた。 
「これとどちらが優れているかは分かるな?」 
「だ、旦那はバロンの貴族様かい!? ま、まいったな、仕方ない、とっておきだ! ミシディア産、幸運の魔力が込められた指輪――」 
「この指輪から魔力は感じませんけれど……」 
 控えめに、だがはっきりと、幼い白魔導師が偽りを砕く。 
「こ、こ、このお嬢ちゃんはミシディアの娘か! こ、こりゃ本当に参ったな……」 
 年若く旅慣れた風でもない父娘連れという格好の上客を捕まえた筈が、とんでもない外れ籤を引いてしまったようだ。三度目の正直にあっさり裏切られた商人は、しょんぼりと肩を落とし店じまいを始める。 
 ポロムは、ふとカインの顔を見上げた。調子の良い押し売りを遠ざけた彼の目に怒りが浮かんでいる様子であれば、この言葉はしまっておこうと思ったが。 
「あの、そちらの弓を見せていただけますか?」 
「ん?」 
 右の肩先を指す小さな手に、商人は今一度ショールを解いた。 
「……これかい? これはトロイアで作られた軽い弓だよ。宮殿付きの女官が使うやつだ。」 
 まさか興味は引くまいと頭にしまっておいた説明を流し、フックから外して幼い娘に手渡す。一連のやりとりを何処か遠く眺めたカインは、眼前にかかる淡風を吹き分けるように笑みを落とし、改めて現実と向き直った。 
「貸してもらえるか?」 
 弦の張りを確かめていた少女の手から弓を抜き、射出口を空に向け翳す。上下リブを内側に畳んで収納できる型の複合弓だが、通常の狩猟用と違い持ち手の部分に女性の横顔を模した彫刻が刻まれている。 
「確かに、同じ物を女官が持っていたな……。」 
 今度こそ、カインの知識は商人の口上を認めた。 
「そうでしょうとも。あっしは正直者で通ってますからね、へへへ……」 
 額の脂汗を拭い、商人は今更ながら胸を張る。商人と並び鑑定を待っていたポロムも、何故かほっと胸を撫で下ろした。 
「あの、では、こちらをいただけますか? よろしいでしょうか、カインさん。」 
「ポロムが気に入ったのなら構わないが……。」 
「嬢ちゃんが使うのかい? 飾り物の方が良くないかい?」 
 小物類を収めた袋に伸びる手を、ポロムは微笑でもって押しとどめる。 
「いいんです。これを下さい。」 
「よし、じゃあミスリル銀の矢をたくさんおまけしてあげよう。300ギルになりまさぁ。」 
 言い値が品質に適っていると判断したカインは、ようやく財布の紐を解いた。 
「はいよ、これでお嬢ちゃん達はサンドワームに食われやしねえ! 火のクリスタルのご加護があらんことを。」 
 品を入れた革袋と共に手渡された祈りの言葉。心から願い発するとき、その言葉にはごく微かながら魔力がこもる。ささやかで幸せな魔法にかけられたポロムは、スカートの裾を摘み丁寧に一礼した。 
「次の方、どうぞ。」 
 窓口から順番が回った事を告げられる。大小二枚の切符を入手したカインは、屋台に突き刺さる大小お子様コンビの首根を引いてホバー船停留所へと移動した。 
 
 巨鳥の羽を象った彫刻の元、集う旅人達の足下に黄砂色の霧がかかる。停留所には既に砂上船が待機しており、カインら一行を最後の客として積み込んだ。 
 一日に七往復、計四百五十人の往来を助けるホバー便は、首都ダムシアンとカイポを結ぶほぼ唯一と言っても良い交通手段である。といっても他の交通手段がないわけではない。しかして、渡砂用に訓練されたチョコボを個人単位で入手するのは金銭的にほぼ不可能であるし、バロンまで下り船便を利用する手段は余計な手間がかかるだけだ。 
 オレンジの塗装が施された砂漠の船は、出力こそ劣るものの、バロンで使用している飛空艇のエンジンと同型のエンジンを積んでおり、徒歩のおよそ二倍程度で砂海を渡る。 
 最後尾八人掛け席の半分を占領した四人は、それぞれの荷を足下に降ろした。乗り物酔いを理由に窓際を確保したエッジだったが、槍の立て掛けに苦心するカインを見かねて席を交換する。左隅に竜騎士の証を掲げた船は程なくカイポを後にした。 
 情報という名の商品を扱う屋台となった船上を、折り畳み式の日差し避けがするすると覆う。旅人達のざわめきにバロンの三文字が混ざる度耳に含めていたカインは、軽く握りしめていた指の背を不意に弾かれ視線を回した。 
「なぁに後生大事に持ってやがっかねぇ。早よ食わにゃ溶けっちまうぜ?」 
 カインの意識に棒付き飴の存在を示した忍者は、南国果実の砂糖漬けを挽粉の薄皮に包んだ見目涼しげな菓子を頬張る。彼の膝に置かれた重たそうな紙袋を見、カインは先ほど渡した駄賃の釣り銭回収を諦めた。口を開く度雑多な匂いを解き放つ紙袋の中には、何日分にも匹敵する量の飲食物が詰まっているとみて間違いないだろう。 
「甘い物は苦手なんだがな……」 
 砂気混じりの溜め息を吐き出したカインは、改めて花蜜の塊と向き合った。一口含み、過度の甘さに顔をしかめる。 
「んな嫌そうに食うなよ。」 
「食えと言ったり食うなと言ったり、どっちなんだ。」 
 気まぐれ忍者の意見に翻弄されるカインの足に、ふと一対の小さな掌が乗った。 
「あの、私にいただけますか? 甘い物好きなんです!」 
 突如会話を遮った少女は、勢い乗り出した上半身をおずおずと引き下げる。 
「ポロ、でぶでぶになっちゃうぜ!」 
 火種を耳ざとく聞きつけ、エッジの向こうから野次が顔を出した。 
「パロは黙ってて!」 
「いってぇ!」 
 有無を言わさぬ衝撃音と少女の剣幕に一刀両断される。皮靴越しとは言え、全体重を足の甲に乗せられたパロムが悲鳴を上げた。後部座席にホバー客の視線が集まる。 
「こら、乱暴は止せ。……ポロムは甘い物が好きなんだな。」 
 他客達に軽く会釈し無礼を詫びたカインは、諫めの言葉と共に騒動の原因を差し出した。 
「そ、そうなんですの……ありがとうございますっ」 
 口早に礼を述べ、めくれあがったスカートの裾を撫で居ずまいを正す。微笑みとも羞恥とも何とも付かぬ表情で飴を受け取ったポロムは、両手でしっかり握った菓子を啄むように口付けた。紅色を透かす唇に撫でられる度、金色の円が少しずつ形を崩していく。 
 手に余っていた荷を相応しい所持者に譲渡したカインは、背張りの上に肘を付き頬杖を立てた。思えばこうして、好物を手に笑っているのがこの年頃の相応というものだ。パロムや、特にポロムは随分大人びているが、実際その中身は庇護の対象とされべき純粋無垢な幼い魂なのである。 
 その子供に、欲しいものを欲しいと素直に言わせてやれなかった責は、やはり実力として認める以上にどこかで戦力と見なしてしまっていた自分の態度にある――カインは視界に薄く瞼を下ろした。そんな身勝手な自分の意識に背一杯のつま先立ちで合わせてくれた少女の心には、どれほどの優しさが込められているのだろう。 
 感慨に沈むカインの視線に、ポロムの上目遣いがふと触れた。 
「あー、分かったぁ! ポロム、ニィちゃんとカンセ――」 
 姉の視線の意味に気付いたパロムが得意げに声を上げ――かけたところで、ポロムの踏みつけ攻撃が再度床を揺るがした。 
「いってぇぇ!! 足潰れちゃうだろお!」 
「余計なこと言うからですわ!」 
 涙目の弟に、少女は憤然と言い放つ。わざわざ席を立ってまで弟の足を踏みつけたポロムは、とどめとばかりに拳を振り上げた。 
「おい、喧嘩するな――」 
「止めないで下さいカインさん! きつく言ってやらなきゃ分からないんだから!!」 
 カインに腕を押さえられて尚、余程腹に据えかねたらしい少女は顔を真っ赤にして弟を睨め付ける。藪をつついてツインスネークを出す羽目に陥ったパロムは、慌てて保護者の影に潜り込んだ。脇腹に貼り付く竦み蛙に、エッジの爆笑が降り懸かる。 
「お前らといると飽きねーわホント……っひゃひゃひゃひゃ」 
「お騒がせして申し訳ない……、っお前も頭を下げんか!」 
 子等の責を負う保護者二人が頭を下げてどうにか降船勧告を免れた一行は、溜め息と共に自主サイレスを強いた。 
 
 砂漠という土地柄、流れる景色は黄土色ばかりで目を引く物もない。子供達は先のじゃれ合いに疲れたか、保護者に寄り添い寝息を立て始めた。フードを目深に被ったエッジも、腕組みをしたままうつらうつらと櫂を漕いでいる。 
 拳に顎を押し当て、見るとも無しに遠ざかるカイポを眺めていたカインは、ふと砂の流れに違和感を感じた。風が爪立て描く流線の中に現れた一際巨大な畝が、こちらに向かってくるように見える。 
「……何だ……?」 
 目の錯覚だろうと思ってはみたが、どうも納得がいかない。カインは背もたれに手を付き身を乗り出した。ホバーが蹴り上げる砂煙に紛れてしまい、後方の様子が鮮明に見えない。 
「どーしたよ?」 
 隣で動く気配を感じ、目を覚ましたエッジが声を掛ける。カインは畝を指さし示した。並外れた感覚器官を持つ忍者ならば違和感の正体を見極められるかもしれない。 
 ぐずぐずと流れる砂の中で何かが蠢く。直後、くぐもった爆発音と共に大量の砂が巻き上がった。太陽に膜がかかり視界が曇る。 
「あれは……!」 
 黄砂色の靄を打ち払い、カインの目が映した物。 
 空を穿ち聳える真紅の巨体は、ややもすれば丘陵と見紛うほどだ。太陽を覆い波打つ漆黒の影が、ちっぽけなホバーを呑み込む。 
「で、出たーーー!!」 
 誰の口から発せられたとも知れぬ恐怖が混乱の口火を切った。 
「サンドワーム!?」 
 最も間近に敵を捉えた二人が、異口同音にその名を叫ぶ。 
「お前が飛空艇で見た物と――」 
「似てる……が、でけぇ!!」 
 砂より浮上した怪物は、獲物を乗せた椀に向かい巨躯を倒し込んできた。いかに砂虫の体皮が柔軟とはいえ、これほどの大きさに見合うだけの重量が掛かればホバーなどひとたまりもない。 
 エンジンが唸りを上げ、乗客たちは揃って体を背張りに押し付けられた。カインの目前に打ち下ろされた深紅の金鎚は、自ら起こした衝撃に体表をぶるぶると震わせる。最大船速で砂を巻いた船の後尾が一瞬持ち上げられた。床に置かれた荷の幾つかが宙を舞う。 
 ホバーの変速で崩された体勢を立て直し、カインは砂虫の動きに警戒を戻した。切符売り場の壁に貼られていた仕様書によれば、最大船速は時速十八キロメートル、体を伸縮させて砂地を進む砂虫に追いつける速さではない。加えて、砂虫は縄張り意識が強く、自分の支配領域から逃れた獲物までは追うことはない。――通常ならば。 
 カインの懸念は、果たして想像以上の最悪な現実で証明された。一度は拳大まで縮小した砂虫が、予想外――あるいは、予想通り、縮小した以上の速度で拡大を始める。 
「お、追いつかれるぅぅ……」 
 針の振り切れた速度計と、背後に迫る砂虫に挟まれた運転手が泣き言を風に撒いた。カインは槍を取る。それこそ話にならない体格差を前に、何が出来ると思わないではない。それでも、牙を持つならそれを振るわずいるなどできない。穂先を、今はまだ辛うじて遠い標的に向け座席に土足を上げる。と、真横で軽やかな気配が動いた。 
「足止めならな――」 
「エッジ何を!?」 
 必死にすがりつくパロムをカインに委ね、エッジは後部収納の上に飛び乗る。微妙な重心移動だけで安定を保つエッジの両袖から、三対の細長い光が滑り落ちた。 
 人差し、中、薬の三指に掛けたリングから垂れる糸で吊られた計六本の銀筒。先へいくに従い徐々に膨らんだ形のそれは、祭事などで使う小型の祝砲に良く似ている。 
「フォロー頼むぜ!」 
 エッジは両足の間隔を広めに取り、上半身を深く沈める独特の型で構えた。呼気を細く長く吐き下ろし、機を読む。 
 聴覚から喧噪が遠ざかってゆく。白濁した小さな瞳に強烈な殺意を宿した砂虫が、逃げまどう獲物を前に咆哮した。――己が射程距離に入った事も知らずに。 
「行けッ!!」 
 エッジは四肢に溜めた歪みを解放する。外へ向かう力を得た銀筒は、糸を振り切り空へ打ち上がった。 
 投擲直後の極度に重心を傾けた体が、ホバーの震動に掬われる。カインは咄嗟に右手を延ばし、エッジの首根を捕まえた。細身とはいえ成人男子の体重と、それに落下の勢いも加わった重量が右腕一本にかかる。利き腕ではない不自由さに顔を歪めながらも、前のめりになったエッジを引き起こすことに成功した次の瞬間、岩に船底を掠られたホバーが激しく浮き、跳ね上げられた体がそのままカインの上に降ってきた。 
「ぐッ!」 
 胸元に骨の張った肩の直撃を受けたカインは、霧散しかける意識を何とか繋ぎ止める。一方、 
「ぐぇ、ごほ……必殺・驟雨の舞、どうだっ」 
 逆さまに転げたエッジは、咳き込みながらも快哉を叫んだ。礼の一つも言わない横暴忍者を押し退け、カインは空を見上げる。 
 空を削り打ち上がる銀筒は、雲にほど近い場所まで昇ると白い閃光を発した。上空で花開いた銀色の光は無数の細線と化し降り注ぐ。光の雨を浴びた砂虫は、怯んだように動きを止めた。 
「あれは、……針か?」 
 遠ざかる風景に目を凝らしカインが呟く。衣糸より細いそれを捕らえた視力は、流石竜騎士というところか。 
「惜しい! ありゃ棘だ。」 
 立ちすくむ砂虫の体が頭部から徐々に崩れ始めた。目の錯覚などではない。 
「腐食性の毒に弱ェってのぁ分かってたんでな。ま、灯台下暗し、ってヤツ?」 
「……備えあれば愁いなし……か?」 
 金の地平に溶け沈む深血色の太陽を見送り、カインはようやく船内に視線を収めた。 
「隊長の武器って、やっぱ魔法よりスゲー! かっこいいし!」 
 パロムから脳天気な祝辞が述べられたを契機に、厳かな拍手が沸き立つ。両手ではたはたと空を仰ぎ拍手を収める様をもって始めて、エッジの王族らしさを垣間見たカインは、安堵と少々の疲労から来る微笑を足下に落とした。 
 
 夕暮れ雲を溶いた海面に傾いた太陽が輝きを落とす。降り掛かった火の粉を無事潜り抜けたホバーは、速度をそのまま浅瀬を渡る。深朱の飛沫が霞を掛けるその向こうに、ダムシアン王城のドームが見え始めた。 
 
 両の翼を広げ、夕闇を肺一杯に詰め込む。同じ船に乗り合わせた皆からの握手攻撃からようやく解放された一行の前に、橙一色に染まる町並みが拓けた。 
 火のクリスタルを守護に戴く産業大国ダムシアン。鋼鉄を精製、加工する技術の高さは世界随一を誇り、バロンの飛空艇もエンジン部や外装甲を全てこの国に頼っている。世界を循環する物流という名の動脈。それを打ち出す心臓の鼓動を目の当たりにした幼い双子は、ただ目を丸く見広げた。渡砂便停留所前から真っ直ぐに続くプロムナードは、振り仰げば貝殻のような天蓋を視界の限りに広げ、目を戻せば無数のざわめきを散りばめ、頭上にも足下にも星天を描く。 
「うひょ〜♪」 
 見張り兵よろしく掌の庇を作ったエッジの声が弾む。 
「凄いな……。」 
 陽炎のように揺らめく人々の声に、カインの呟きが消散した。かつてこの国を訪れたのはただ一度。鳥瞰しただけでは、閉じた貝の中身にこれほどの熱量が納まっているなど想像も付かない。夕刻を迎え暑さは若干なり和らいだにも関わらず、人工の灯りの元行き交う人々の生命がそれ以上に熱を放つ。 
※大店の立派な庇の下に身を寄せた、艶やかな衣装を纏った娘たちの視線が首辺りに纏わり付く。街をそぞろ歩く彼女らは、砂漠を渡る隊商を相手に、酒と、昼から一変して凍える夜の温もりを与えることを生業としている女性たちだ。彼女らの寄り付く店は、子連れで行くのに相応しい場所ではないだろう。(子供たちにちゃんとした食事を取らせるため、店を吟味する必要がある。うっかり砂漠の隊商相手の享楽設備が併設されている店など選んでしまった日には、文字通り目も当てられない。) 
「いやぁ、南国の女はいいねぇ、開放的でよ〜♪」 
 うなじに後れ毛を垂らした娘の行き先を目で追うエッジを、パロムの肘打ちが見舞った。 
「隊長、オンナのシリばっか追いかけてんなよな!」 
 恐らくは意味を正しく把握していないであろう子供の指摘に、エッジは唇をねじ曲げる。 
「うーるせぇ、見ろ! カインだって目で追ってるじゃねーか!」 
 声高に名を指されたカインは、幾路にも枝分かれる通りを巡らせていた瞳孔を眼窩の左端に固定した。 
「お前と一緒にするな。宿を探しているんだ。」 
 一点の曇りもない若者代表の真摯な瞳に、不名誉をすっぱりと突き返された男はたじろいだ。人知れず会話の成り行きを見守っていた少女も、ほっと胸を撫で下ろす。 
「なあ、先に飯食おうぜ。俺様腹減って倒れそう。」 
「あれだけ食べてまだ足りんのか!?」 
 色気の次は食い気と申し出るエッジの言葉に、カインは勢いカイポで買い出した食料の空袋を握りつぶした。 
「ほれほれ、ホバーで労働した分、きちんと腹に詰め直さにゃあ。」 
 熱気に混ざって流れる炒め物特有の香ばしい匂いに鼻を立て、男はからからと笑う。 
「そっ……、……全く、酒は飲むなよ。」 
「お前それっか言うことねーのか!」 
 脳裏で素早く算盤を弾いたカインは必要以上の出費を戒めると、鮮やかな看板の林に踏み入った。※食事にしろ宿にしろ、どのみち探さなければならないことに変わりない。相変わらず胸元に涼やかな赤裸の蝶を飾る女性達に目線を流しつつ、エッジも後に続く。 
「カインさんはお酒を嗜まれないんですか?」 
 保護者の足の影に半ば隠れるようにして、対流との衝突を避けるポロムが疑問を口にした。 
「そうだな……全く飲まないという訳じゃないがあまり好かないな。正常な判断力が鈍る。」 
「そうそう、コイツな、酔ってもまるで表情変わんねーのよ。ん〜でもってトンチキな真似しやがっから面白ぇのなんのって。台所から皿取ってくるっつってジャンプしやがった日にゃもう、俺様人生ここで終わるかと思ったね、笑い死に。」 
 意識のどこで聞いていたのか、遊蕩千鳥が横から口を挟む。幾度か彼と杯を重ねたのであろう事情通の目撃談にポロムはあんぐりと口を開けた。少女の瞼裏に、毅然とした表情そのままミシディア舞踊に興じるカインの姿が描かれる。特に第二小節の軽やかなステップなど目も当てられない。 
「あれはお前が無理矢理に薦めたからだろうが! せっかくの土産物を無碍にするのは礼に反すると思ってだな……!」 
 いらないところであらぬ不祥事を暴露されたカインは、せめても不可抗力を声高に主張する。エッジは素早く振り上がる拳の射程外へ逃れた。 
「まさに酒は飲んでも飲まれるなだね、ニィちゃん!」 
 使い古しの慣用句をどこで聞き覚えたのか、パロムが最もらしく頷いてみせる。思い出し笑いに腹を抱えるエッジと、何故か目を覆い距離を取るポロム、エッジの味方に回ることが明白なパロムに加え、往来で立ち止まった一行に注がれる視線の気配さえ感じたカインは、くるりと踵を返し鉄壁の背中を向けた。これは逃げではない。勇気ある撤退だ。目を向けた先に、目抜き通りに横顔を向け淑やかに佇んでいるような店の扉が見える 
「だから酒は好かない……。」 
 目線の位置に貼り付けられた営業中の文字にぶつぶつと恨みを込め、カインは取っ手を押し下げる。 
「まーまー、腹一杯ンなりゃ嫌なことなんざ吹き飛んじまうって。よしっ、食うぞー!」 
 肩にしなだれてきた腕を振り払い、歓迎の挨拶を浴びるカインに続き、ようやくミシディア舞踊の衝撃から立ち直ったポロムが店内に足を踏み入れる。振り払われたまま留まっていた腕をパロムの頭に収め、エッジは後ろ手に扉を閉めた。 
 昼は大衆向けの安価な食事を提供する店は、夕刻を過ぎた現在、メニューに酒を加えて訪れる客をもてなしている。出入り口を囲うように設けられたカウンターの前に立ち、カインはぐるりと視線を巡らせた。同様の業務形態で営まれる店は勿論バロンにもあるが、これほどの規模と収容客数を誇る店は初めて見る。座席数はおそらく二桁を越えるだろう。夜の繁忙時からは大分外れた時間であるにも関わらず、空席がほとんど見られない。平服の地元民が大半だが、少なからぬ兵士の姿も目立つ。子供たちにきちんとした食事を取らせてやれそうだ。 
 壁や天井のみならず卓にも据えられた燭台が宵闇を遠ざけ、人々の手元に昼と変わらぬ光をもたらしている。元は、それなりに裕福な階級の者が住んでいた邸宅だったのだろうか。大衆向けの飲食店には珍しい繊細な細工を施された燭台を見る。 
「いらっしゃいませ、旅のお方。」 
 店内の様子に注意を取られていたカインに、内装と同じく大衆店らしからぬ気取った言葉遣いの挨拶が掛けられる。振り返ると、※店名を刺繍した前掛け※を纏った褐髪の女給が穏やかに微笑んでいた。エッジは素早く仏頂面無愛想騎士を引き下げ、手渡された伝票に略式のサインを書き付ける。 
「できりゃあ窓際の席が良いんだがな、壁際でも全然構わねぇよ? 店ン中の別嬪さん見んのが忙しくて外に目ェ配ってるヒマなんざねぇや。」 
※「出たっ、隊長のエロオヤジ攻撃!」 
 伝票とペンに輝く白い歯を添えるエッジにパロムが野次を投げる。一撃離脱とゲンコツ圏内から飛び退く少年の背後で、女給は重ね指輪の手を唇端に添え微笑んだ。 
「ちょうど窓際の席がもうすぐ空きますから、ご案内いたします。少しお待ちに――」 
 案内に割り入る甲高い金属音に、女給の微笑が凍り付いた。 
「客の言うことが聞けねえってのかァ!」 
 野太い怒声が床に撒かれた皿の破片を踏みつける。壁に反響して蝋燭を揺らがせた威圧が、これまで店内を覆っていた明るい雰囲気を引き裂いた。 
 店内に居合わせた皆の視線が、カウンターに間近い卓の側で床に這い、割れた皿の破片を素手で必死にかき集める小柄な娘の姿を映す。エッジの前に居た女給は軽く頭を下げて踵を返し、同僚の下へ駆け寄った。 
「お客様、至らぬことがございましたか? 私からお詫び申し上げます!」 
 あどけなさの残る顔に亜麻色の髪を落とす同僚に手を貸して立たせて背越しに下げ、褐髪の女給が酔客と対峙する。それと同時に、卓にふんぞり返る男の理不尽な怒りに頭を染める様が、席から離れた場所に立つカインからも見て取れた。 
「うるせぇ、お高く止まりやがってこのアマ!」 
 僅かに浮いた皿の落ちる音が周囲に飛び跳ねる。 
「国を守るお偉い兵士サマが酌をしろって言ってんだよ! 喜んで席に着くのが筋じゃねえか!」 
 随分な因縁を口から迸らせる酔漢の脇に控える、腰に曲刀を提げた一際体格の良い男が、同僚を庇う女給の腕に指を食い込ませた。浅灼けた拳に握られ、苦痛と恐怖が女給の眉間に皹を入れる。しかし、女給は気丈にも無粋漢を睨み返した。 
「こ、この店がお気に召していただけなかったようで残念です。そういったことをお望みなら、他へどうぞ!」 
 こういった揉め事の類とまるで無縁な――むしろ、思い切り苦手そうな一般市民たちは、ただ成す術なくおろおろと遠巻きに様子を見ている。※庇われた女給が率いる厨房からの援軍は、料理長らしき老婆に、小間使いであろう痩せた少年と、その少年に輪をかけて幼い少女、少女に背負われたまだ首の座りも覚束ない赤子という、なんとも頼もしい一団だ。これでは話にならない。 
「おーおー、野暮ですねェ。」 
 歌うような呟きを彩る剣呑な気配を感じ、ポロムはエッジの裾を引いた。 
「喧嘩しちゃダメですわ……」 
 どうにか平和に場が納まるよう気を揉む少女は、一触即発な光景とエッジとを代わる代わる瞳に映す。エッジは笑い、戸惑うポロムの頭を撫でた。 
「大丈夫大丈夫、喧嘩ってぇかちょぉーっとお話してくるだけ――」 
 矢先、硝子の砕ける派手な音が酒場中に響きわたった。酔漢は女給から手を外し、衝撃に殴られた頭部に回す。髪に染み込んだ酒と硝子片が、手を伝い肘に流れ落ちた。 
「こ……このヤロウ!」 
 周りにいた男の連れが椅子を蹴って立ち上がり、背の高い旅人に掴みかかる。中身の詰まった背嚢を床に下ろした青年は、不躾な輩の手首を取った。 
「いい加減にしろ。見苦しいにも程がある。」 
「何だとォ?!」 
 威勢の良い買い言葉を吐き付けた直後、横腹を強烈に射抜かれた男は目を見開いた。服と肌と肉の後ろにある肝臓が歪む。喉に濁音を沸かし白目を剥いた体を床に叩き転がした青年は、女給達に店の奥を示し、返す眼で残る連中を睥睨した。 
「二度は言わん。失せろ。」 
 淡々と発される通りの良い声が無法者を一喝する。周囲の客から歓声が上がった。 
「て……テメェ、ふざけやがって! やっちまえ!!」 
 薄氷の視線に真っ直ぐ見据えられた酒も滴る無粋漢の号令一下、酒場に散っていた手下が立ち上がる。 
 背後を死角と見てか迂闊な大振りで殴りかかってきた先鋒を軽くいなし、足元に転がす。手近な椅子を得物と振り上げた次峰は、がら空きの腹に前蹴りを食わされ呆気なく倒れた。 
 諸国を回る行商人には事欠かぬ街であろうに、青年の徒手戦闘型を見知る声は上がらない。もし、青年の出自がバロンであることが知れたなら、また別の火の手が挙がったことだろう。 
※散々に浴びせ掛けられる威嚇に涼しい顔の青年は、迂闊に飛び出した考えなしの顎に拳を捻じ込む。正確な狙いは過たず、相手は、ただでも酔いに半分廻っていた目を完全に回した。 
 次いで青年は背に負った槍の柄を掴み、鋭く押し下げた。軸足の甲を石突きに射抜かれ悲鳴を上げる顎を、四割月を描いた石突きが天井へ跳ね上げる。 
 背中の武具帯に収まっているからと言って、その槍を無害と見なすのは間違いだ。竜騎士の槍はいかなる形にあっても、僅かな操縦で手足に等しく自在に動く。 
※彼我の境に人嚢を積んだカインは、体を後ろへ引き下げ死角に酒樽を背負った。酔いに熱された相手の士気は甚だ高く、片手で足りる程度を減らしただけでは収まりが付かないようだ。 
 一度解れた騒ぎは瞬く間に飛び火する。数の不利を場所と戦術の優位で補う青年、火の粉を浴びつつ熱狂する野次馬、正義に燃え助太刀に入る者、料理を抱えて逃げる者、とりあえず悲鳴を上げる女給などなど入り乱れ、酒場は大喧噪劇の舞台となった。 
「なあ、あいつ止めねーでいいの?」 
 すっかり中心から外れたエッジは、笑い混じりの台詞で硬直した少女をつつく。右足の一閃で二人を沈める冷静沈着な青年の勇姿に、ポロムはただただ瞬いた。 
「カ……カ……カインさん……」 
「ニィちゃんかっこいい! やれっ、いけーっ!」 
 ちゃっかり見物の特等席――カウンターの上に登ったパロムが、騒動の主役に脳天気な声援を送る。 
「ねねねっ隊長、助太刀はっ?」 
「ま、ありゃカインの敵じゃねえからな〜。俺達はほれ、善良な市民の皆様方が怪我しねぇように避難をお手伝いしましょうや。」 
 場の趨勢をざっと把握したエッジは物見を決め込む、もとい、逃げる人々の誘導へ回る心算を述べた。よほどの多勢に無勢でなければ、民兵相手に遅れを取るカインではないだろう。――しかし。 
「テメェもあいつの仲間か!」 
 物騒な叫びと共に飛んできた椅子を、エッジは肘で断ち払った。 
「よし来た正当防衛!」 
 否応なしを声高に宣言し、落下直前の椅子を蹴り付ける。宙を滑った椅子は元の所持者ともども床に転げた。 
「ったく、人が傍観しててやろうと思やぁ!」 
 存分に笑みを含めた声で遺憾の意を表したエッジは、手近な卓に左踵を落とし空に舞った大皿を手にする。そのまま袈裟に腕を振り放った大皿が、曲刀を抜き払わんとその柄にかかる男の手を潰した。次いで、腕の捻りをそのまま体に伝わせ、上弧旋に駆け昇る左の足甲で天井近く浮いた鍋を撃つ。天井間近に出現した空飛ぶ鉄鍋は、手を潰された男の後続に熱烈な体当たりを振る舞った。 
 ただ一度の宙返りで二人を地に這わせると、エッジはひらりカウンターを飛び越え騒動の最中へ躍り出る。 
「ちょっ、エッジさんまで! ああもうっ!」 
 止める間もなく遠ざかる後ろ姿にポロムは憤然と掌を翳した。少女とて酔客の度を過ぎた無礼に腹が立たなかったわけではない。だが、暴力を暴力で制すれば癒えない傷が増してゆくばかりだ。 
「ガキ!」 
 周りへの警戒が薄れていたポロムは、己が安全な観客席にいるわけではなかったことに気付くのが遅れた。抱え上げられてしまった後で藻掻いても、爪先と地面との距離はまるで縮まらない。羽交い締める太い腕に首根を圧され悲鳴が詰まる。 
「きゃぁ――」 
「ポロ!」 
 姉の危機を見たパロムはカウンターから飛び降りた。男の背後に回り込み、右拳で目線に真一文字を描く。 
「サンダー!!」 
 男の背に押し当てた左掌でバチンと音が弾ける。ちょこまか動く生意気な子供を追っていた瞳孔が瞼の裏へ跳ね上がった。窮屈な束縛帯を解かれたポロムが間合いを離れると同時に、男の体はゆっくりと前傾し四肢を床にばらける。どうと波打つ床に足を掬われ、双子は同時にころり転げた。 
「いて……だいじょぶかポロ!」 
 臀部の鈍痛を振り払い起き上がったパロムは、目前に横たわる大木を飛び越え姉に駆け寄る。 
「ポロ、下着丸見えだぞ!」 
 足音軽く駆けつけた騎士は真っ赤に染めた頬をそっぽ向け、覆布をはだけてひっくり返る姫君に手を差し伸べた。 
「パロッ……あ、りがとう……。」 
 素早く体裁を整えたポロムは、反射的に振り上げかけた拳をしずしずと弟の手に収める。 
「べ、別にど、どってことねーぜ。」 
 密着させた掌から直接魔力を送り込むという思い付き自体が成功するのは知っていたが、動く対象相手に実践したのは初めてだ。姉の謝辞に胸を張ったパロムは、今頃滲み出てきた恐怖を鼻水と一緒に啜り上げる。 
 窮地を乗り越えた子供達がカウンター下へ引き込む一方、舞台上でも役者の頭数が随分と減り、終幕が迫ってることを伺わせていた。悲鳴と怒号はいつしか鳴り止み、代わって怨嗟と呻声が主旋律を奏でている。 
 同じ酒樽を背負い互いの両翼を補う暴れん坊二人組は、三人の残存兵と相対した。手下二人を両脇に従え、騒動のテープカットを頭上で切られた男――曲刀の鞘に刻まれた紋章を見る限り、ダムシアン陸兵団の小隊長のようだ――は怒りの煮え滾った笑みを浮かべる。 
「よくも恥をかかせてくれたな……調子に乗りやがって、後悔させてやる!」 
「おいおい、『僕ちゃん、今、とっても後悔してます』の間違いだろ?」 
 電光石火の軽口に奥歯を軋り合わせた男は、抜き払った得物の切っ先に殺意を灯した。※たかが酒場の喧嘩を刃傷沙汰に及ばせるほど怒り心頭の様子だが、他の者のように迂闊に踏み込んではこない。カインとエッジの実力を正しく測っている証拠ではあるが、惜しむらくはその眼が酔いに曇り、普段の四分の一程度しか見えていないことだろうか。 
「よう、ザコはま――」 
 言いつつ流した視線に、バロンの軍靴が床を踏み応える。 
「……任せろーい。」 
※ 成り行きに掃除係を担ったエッジは、間合い外の二人のうち向かって右に見当を付け・担当区域にずかずか大股に近づいて行き 加速付け正面攻撃への警戒の隙間から顔面がし掴み、助走の勢いそのまま加算で思い切り椅子に座らせる。長丁場の喧嘩で疲れただろう相手への労い 相手は勢い余って椅子ごと引っくり返る 
※残る一人が我に返った時には既に、鋭い振り子に脹脛側の足首を蹴り払われた後だった。落下への急階段を駆け上がる 一切の防御を失った男の額に拳で下向きの加速を与える 床に敷かれた裏返しの飾り皿を頭で叩き割り、男は沈黙した。 
 伸びた二人の体を気取って脇に蹴り退け、出番を終えた役者は鮮やかな蜻蛉を切って観覧席に着く。 
 前哨戦の決着と入れ替わり、喧嘩の発端となった二人の因縁の対決が火蓋を切った。※幾度も刃を交えた跡が模様なす曲刀が鋭い切筋を描く。重心の移動で躱すカインは、策を求め視線を回す。 
※砂漠の猛兵が操る曲刀術 刀身と同じ鋭い三日月の軌跡 流石部隊の長を担うだけあり、至近へ踏み込み手加減を許すような腕前ではない。とは言え、身の丈の槍を振るう竜騎士の腕力で渾身の打撃を与えれば、最悪命を摘んでしまうだろう。 
 酒精に加え怒りで痛覚の鈍った相手を、致命に至らず戦闘続行不可能を悟らせるには、鋭い穂先を覆う安全装置――衝撃を拡散させる防具が必要だ。 
 避けに徹する優男の様を怯えと見誤った男は、泥酔眼に愚かな確信を彩った。口に上ったそれが最悪の一手であるなど考えもしなかっただろう。 
「どうした、背中の槍はお飾りかァ!?」 
「うわっ。」 
 耳入る挑発に、手持ち無沙汰をぶら下げていたエッジは相手の不幸を嘆く。一瞬不快を眉根に表したカインの腕が肩を跨いだ。 
「酒はつくづく判断力を鈍らせる――」 
 自ら描いた円を両断し、返される腕すら残像と従え石突きが腹にめり込む。背まで突き抜けるかのような一撃に、沸騰した赤湯が喉を溢れ、床に長く滴る。 
 男の体はクの字に畳まれ、突撃の威力を二歩の距離に代え宙を滑る。そして、かつての客席に尻餅を着いた姿勢のまま頭を垂れ崩した。 
 男が当分動かないことを視認したカインは、槍を回し背に差し収める。 
 それからややも遅れることなく、混声合唱の凱歌が鳴り響いた。大皿小皿を始め、帽子やら衣服やら果ては椅子まで、居合わせた皆が手にした物を投げ喜び合う中、青年は荷を置いた場所まで引き返す。 
「さすがニィちゃん! かっこいいー!」 
 歓声を上げて避難場所から飛び出したパロムは、次の瞬間、開いた扉に鼻面を殴られごろりと転げた。どたどたと床を踏む軍靴も勇ましく、ダムシアンの国章を染め抜いたマントが戸口に翻る。 
「何事ですか!?」 
 三人の近衛兵を従え、朝陽色の丸帽を斜に掛けた細身の男は、覇にこそ欠けるが耳触り良く通る声で警鐘を打ち付けた。それまでざわめき立っていた空気が一瞬にして鎮まる。 
「ギルバート様!」 
 店奥に避難していた女給の声が、店内に音を戻した。 
 飲まれていた我を戻したパロムポロムが、ギルバートと呼ばれた男に注視を向けるカインの足下に蟠る。頼って縋る小さな手二つに無意識でありながらもそれぞれ掌を被せるカインの目前で、女給が前掛け布を握り項垂れた。 
「……騒動の原因は一体何です?」 
 駆け寄ったもののぐずぐずと涙を落とすばかりの女給に緩やかな声を掛けつつ、近衛兵を下がらせたギルバートは店中に視線を巡らせる。 
 浅く舐める視線の一点に、覚えのある顔が留まった。 
「アタシ、アタシ怖くて、震えていたらカーチャねえさんが助けてくれて、それで、兵士さんが怒ってそれで、こちらの方がアタシ達を助けて下さったんです!」 
 経緯を述べた女給の指で以て再度金髪の男を示されたギルバートは、疑念の眼を確信の瞬きで覆った。 
「あなたは……――」 
 舌先まで現れた言葉を記憶の奔流が押し流す。一年前、ファブール城のクリスタルを収めた部屋。天臨にも等しき力の拠り所と、矢も盾もなく縋った戦士に向けられた忌まわしき殺意の宿り主―― 
 同じ混乱の最中に置かれたのだろう男を前に、ギルバートの立ち直りが勝った。 
「……勇敢なる旅の御方、兵の無礼を詫びさせて下さい。今宵は是非城へお泊まりを。」 
丁重な礼までも付け耳朶に滑り入る言葉にカインは目を剥く。 
「? な――」 
「おーっ良いねえ! 俺様腹減って死んじゃいそう!」 
 間を置かず両肩に乗った重みと声が躊躇いの舌先を奪った。咄嗟に調子を合わせた忍者の機転に微笑み、ギルバートは両腕を広げる。 
「皆さん、お騒がせしてすみません。どうぞ宴を続けて下さい。」 
※同行した兵士に店の修繕を命じる 
 観衆に向け夜の再来を歌うと、吟遊詩人の王は踵を返した。鼻を押さえて呻くパロムを荷物と共に抱え上げたエッジは、急展開に目を丸くしたままのカインをどつく。 
「うら、ぼさっとしてねぇでよ。」 
「……あ、ああ――」 
「大変、置いて行かれてしまいますわ!」 
 焦り声を上げるポロムに膝裏を押されて、ようやくカインは一歩を踏み出した。 



三章後編
 ダムシアン城――先の大戦では、有史上初めて飛空艇による爆撃に晒された建造物である。左右の前面奥面合わせて四本ずつ、中央部に主となる三本の塔を備えた城の外観は、多少形こそ崩したもののかつての偉容を損なってはいない。 
 城門をくぐったところで近衛兵らと別れたギルバートは、やや歩みを緩め後続に視線を返した。 
「強引にお誘いしてすみません。お話したいことがありまして……」 
 伏しがちの翠瞳とかち合い、パロムは慌てて未修繕箇所の指折りを止める。次いで、半端に指を立てた右手をさっと背中に隠した。 
「久しぶりだね、パロム君、ポロムちゃん。」 
 苦笑を微笑に塗り替えたギルバートは軽い会釈で顔見知りの双子に向き合う。 
「オッス、ナヨ兄ちゃん!」 
「こらパロム!」 
 直球玉な呼び名に少女の拳が振り上がった。その小さな拳骨に繊細な指先がふわりと乗る。 
 幼い教育係を宥めた吟遊詩人は、帽子の羽根を緩やかに揺らし腰を折った。 
「僕はギルバートって言うんだ。よろしくね。」 
 パロムと握手を交わし、傍らに立つ保護者その1に向き直る。大仰に肩を竦める仕草に、遠国の王にらしからぬ気さくな人柄が滲んだ。 
「セシル君の婚礼の時お会いした以来ですね、エドワード王。お目にかかれて光栄です。」 
「堅っ苦しいのは苦手でよ。エッジって呼んでくんな。」 
 丁重な礼を不要と払うエッジに了承を返したギルバートは、残る一人の前に立つ。酒場の乱闘を納めた功労者でありながら、手柄を誇るでもなくただ沈黙を通す者。頭髪に冠した金とのコントラストが映える切れ上がりの蒼眼は、反らされることなく気配に向いた。 
「カイン君、ですね? こうしてお会いするのは初めてですね……セシル君からお話は聞いていました。」 
 静かな微笑を交える言葉に、竜騎士の唇が躊躇う。 
「貴方が恋人を失ったことに対して……」 
 恐らくは、自分が酒場に現れた時から心に繰り返されたのだろう咎の糾明。審問官の言葉を自らの声で再現する男に、ギルバートは首を振ってみせた。 
「そうですね……憎くないと言えば嘘になります。」 
 目を閉じ、記憶を反芻する。目の前で消えていった愛しい命。嘲笑うように太陽を塗り込める忌まわしい船影。 
 しかし。どれほど永劫に闇が続くように思えても、目を開けば再び世界が光に充たされるように―― 
「けれど怒りはありません。今こうして貴方に会えて良かったと、僕は心からそう思います。……初めまして、カイン君。」 
 幾たびの朝を迎え光を浴びて、笑顔と歌声を曇らせた悲しみが晴れつつあるように。伸べた手は確かな温もりを掴む。 
「ダムシアンへようこそ!」 
 声高に歓迎を謳ったギルバートは、四人を大広間に案内した。急な来客であったにも関わらず、給仕たちは手際よく宴卓を皿で埋めていく。 
 
 ささやかながら趣を懲らした風土料理のもてなしを受けた一行は、寝所にと宛われた客室で旅装と緊張を解いた。 
 すっかりくつろぎムードに突入した面々は、着替えを済ませた順にぽんぽんぽんとベッドに身を投げていく。小さなお子様二名と、大きなお子様一匹が盛大に舞い上げた埃に顔をしかめつつ、カインは窓際の椅子に腰掛けた。 
 物憂げに沈んで映る仏頂面を透かして、開きかけた貝の中身が輝いているのが見える。格子窓の限られた枠から見下ろす町並みは、城の両翼に聳える三対の塔を引き幕と従える舞台のようだ。 
 慣れない砂漠に疲れた足から昇る疲れが、宵闇にぼんやり浮かぶ灯火を一つ一つと眠りに誘う。 
 いつの間にやら椅子に深く姿勢を崩していたカインは、肩を揺すられ飛び起きた。 
「よぅ、王様が部屋に来てくれってよ。」 
 袖無し薄着にズボンという軽装のエッジが、欠伸を噛み殺しなしな半開きの扉を指す。肘掛けに手を付き腰を浮かせたカインは、ふと灯りの落ちた部屋を見回した。 
「俺はどれくらい眠っていた?」 
「さぁ知らね。俺もうたた寝っちまったかんな……ま、とにかく行こうや。」 
 子供達の寝息を残して扉を閉める。燭台を手に提げたギルバートは、寝ぼけ眼の二人に頭を下げ詫びた。 
「お疲れのところすみません。」 
「いえ、こちらこそ申し訳ない。」 
 物腰穏やかに先手を打たれ、カインの頭から眠気がきれいに拭われる。呼びにきてもらわなければ、危うく朝まで呑気な客人気分を満喫してしまうところだった。 
 ギルバートの先導で、城の中央三塔を繋ぐ渡り廊下を経由し主塔最上階を占める王の部屋に通される。 
「どうぞ、そこの卓に――」 
 室内灯籠に燭台の火を移し夜闇を拭った主は、掌で示した先の惨状に声を奪われた。 
「うわぁっあの、今片付けますから!」 
 夜着の裾をばたばたと翻し、五人掛け円卓を埋め尽くす楽琴の部品を両腕に抱える。 
「いや、その、お構いなく……。」 
 机の上を片すという第一目標こそ果たせたものの、そこから先へさっぱり進めず途方に暮れる吟遊詩人を見かね、カインが声を掛けた。 
「す、すみません、手入れの途中で呼ばれたもので……」 
 消え入らんばかりに肩身を狭くしたギルバートは、腕の荷を元あった場所に戻す。占有領地の取り上げにあった楽琴は、ぴよんと間抜けた音を響かせた。 
「あ、では、どうぞ掛けて下さい。香茶を煎れますね、お好みは?」 
「俺はそのまま、こいつは砂糖抜きミルク入り〜。」 
 カインが謙遜する手間を省き、エッジはがたがたと椅子を引く。 
「足崩して構わねぇか?」 
 注文を承ったギルバートの背に声を投げた忍者は、答が返らぬ内から胡座を組んだ。 
「しかしお前ら、よくこんなん固ぇ場所に座ってられるよなあ。※ラグが懐かしいぜ〜」 
 目一杯傾げられた椅子の脚に踏まれ床板が鳴る。安楽椅子げた動きを自作する忍者を横目に、カインも椅子を引いた。浅く腰掛け、机縁に立て掛かったエッジの膝を注視する。 
「……一つ聞きたいんだが、お前のそういう態度は、お前の国の”礼儀”に相当するものなのか?」 
「あ? んな訳ねぇだろ――」 
 確認を取ったカインは、遠慮なくエッジの頭に拳を落とした。 
「いっ痛……何なんだよ!?」 
「本国流で構わんから礼儀正しくしろ。」 
「楽にして下さって構いませんよ」 
 にこやかに無礼講を述べ、ギルバートも席に着く。色の違う香茶をそれぞれの前に置き、改めて客人に向かった。 
「お会いできて光栄です。事前に通達していただければお迎えに上がったのに。」 
「いや、来るつもりではなかったので……」 
「内情を見られたくなかったってぇのが本音か? 随分と荒れてるようじゃねえ?」 
 相も変わらず安楽椅子の忍者は手にした茶碗に息を吹き込む。ギルバートは俯け顔に苦笑を塗った。 
「参ったな……。エッジ、さんが仰った、その通りです。皆疲れているんです……すみません、お客人にこんな愚痴をお聞かせするなんて。」 
「いや、続けてくれ。我々で何か力になれないだろうか?」 
 勢い体を乗り出すカインに、エッジの笑みが被った。 
「っとまぁ、回りくどい言い方してっと、この竜騎士様が気を揉んじまうワケだ。さくさく行こうや、本題へさ。」 
 香茶を一息に飲み干し会話の先を促す。無躾を咎めかけたカインは、喉に引っかかりを感じ言葉を呑んだ。 
「ありがとうございます。」 
 独壇場を作ってくれた男に微笑し、ギルバートは香茶を少量含んだ。喉を湿らせ、声の滑りを整える。 
「まず、こちらの内情からお話しさせて下さい。……お二人が乗り合わせた船で出逢った砂虫ですが、少し前から目撃情報と被害報告がありました。それで、幾度か討伐隊を派遣しているんですが、会えなかったり返り討ちにあったりと芳しくない結果ばかりで……。定期航路を通る船ばかりでなく、独自のルートを辿る商団の被害報告もあり、……」 
 整然淡々の口調が不自然に途切れた。失った民や兵への悼み、己の無力さに対する憤り、繊細な貌は幾つもの想いを見た目に読ませる。 
「……すみません。えぇと……流通の難化に加えて、国内の状況も明るくありません。バロンの国境封鎖による影響は大きいです。※市場の食料品価格高騰が深刻化して……城の備蓄を切り崩さなければならなくなるのも時間の問題でしょう」 
 両掌に抱えられた茶碗から最後の湯気が立ち上った。 
「※セシル君にはセシル君の、のっぴきならない事情があったのだろう※……そう納得してみようと思ってはみたものの、※ですが、砂虫の凶暴化とバロンの国境封鎖、あまりに時期が近すぎる。教えて下さい。今、この星で何が起こっているんでしょう。そして、僕に何か出来ませんか?」 
 自国から出ることの叶わぬ吟遊詩人の真摯な瞳に、旅人二人は目線を交わした。 
「つーか、……俺らもそれを調査中、なんだよな? 確か。」 
「何故確信が無いんだお前は。」 
 あやふやな同意を求める相棒に溜め息を吐いたカインは、これまでの道中を簡単にかいつまみ話した。 
 ミシディアに訪れたバロンの飛空艇。その乗員に巣喰っていた魔物。長老の頼みを受け赴いたバロンで目の当たりにしたセシルの変貌。地下水路で魚に寄生していた魔物。渡砂船を襲った魔物――。 
 謎が謎を呼ぶばかりな感は否めないが、ともかく持てる情報の全てを明かし、カインは手つかずのまま冷めた香茶を胃に落とす。同じく冷めた香茶を啜るギルバートは、思案顔に柔握りの五指を当てた。 
「そうなんですか……では、船を襲う砂虫は……」 
「きちんと確認したわけじゃねぇし、出来ればしたくもねぇが、ステュクスの成体に間違いねぇだろな。」 
 椅子を床に落ち着けたエッジが、昼の記憶を脳裏で反芻する。太陽をすら呑む程に巨大な赤い体躯。その形状は、飛空艇の動力炉で出逢ったそれと酷似していた。 
「二千年前の生物…………ちょっと待って下さい、ステュクスの成体というのはサンドウォームに酷似しているんですね?」 
「ああ。体色が赤で、通常のサンドウォームより遙かに巨大だが。」 
 問いの答を得たギルバートは、何事かめまぐるしく回る思考をぶつぶつと掌に乗せる。 
「……もしかしたら、その、ステュクスに関しての情報をお知らせ出来るかもしれません。もしそうなら……。ああ、明日発たれる際には声を掛けて下さい、ホブス山の麓までお送りしますね。」 
 閃きが消えぬうちにと空き茶碗を片すギルバートに背を押され、エッジとカインは席を立つ。 
「お送りってぇ……ホバーだろ? お前さんが運転すんのかぁ?」 
「一応、王族ですから。」 
 エッジの怪訝な視線に晒されたギルバートは、頼りないのだか頼もしいのだか今ひとつ判別の付かない笑みを返した。 
 客間までの見送りを断り、渡り廊下を歩く二対の足に影が纏わる。砂の色をした月は、宵闇に冴えをいや増した。 
 
 水平線より現れた太陽が、砂の海に金色を振りまく。 
 皆の寝息を歌代わりに体操を終えたカインは、物音を立てぬようそっとベッドに腰掛けた。仮括りの紐を解き、髪を高く結わえ直す。 
 許される限り疲労回復に務めるつもりが、結局いつもの時刻に目を覚ましてしまった。かなりの強行軍で砂漠を渡ってきた上、山越えを控えた今日、他の皆まで起こすのは躊躇われる。厚布のカーテンが作る暖かい薄闇の中、カインは天井を仰いだ。 
 静寂に集中すると、恐ろしいほど正確な体内時計の秒針が動く音を錯覚する。行軍の指揮を担う男は今後の予定を瞼裏に描いた。出来れば、日の上がっている内に山を越え、夕刻にはファブールに着きたい。そこで今日を消化し、翌日に船を出してもらうことができれば、三日後の昼過ぎにはミシディアの土を踏める。 
 出発してから随分経ったように思うが、実際には月の一巡すらも見ていない。歩みを進めているときは見えない景色が、こうして足を止めた瞬間渦を巻いて押し寄せてくる。バロン城、地下水路、ミスト、カイポ、そしてここ、ダムシアン。 
 知らず、ため息が漏れた。向かいのベッドで眠る小さな二つの命に目を留める。彼らは、ミシディアから寄せられた信頼の証に他ならない。この肩に掛けられた想いを、二度と失ってはならない――。 
 木々の緑と空の色とに縁取られて流れる邂逅に、木製の堅い音が割り込んだ。考えの絡まり糸を座った跡に残し、カインは光の薄壁を横切る。押し開ける扉から溢れた光線が瞳を射抜いた。 
「おはようございます。」 
 翳した指の隙間から、穏やかな挨拶の声が通る。真白いショールに朝を纏ったギルバートは、慣れぬ目を瞬く男に弱笑を向けた。 
 右左と交互に瞼を下ろして余剰な光を削ぎ、カインは改めてノブを引く。半分開いた扉から放たれた光が、主を無くしたベッドの足下に伸びた。 
「昨夜は良くお休みになれましたか?」 
 一行の睡眠状況を気遣うギルバート自身、その目の下にしっかり寝不足の跡を描いている。あれから一睡もしていないのだと言葉より雄弁に語る風体の王は、銀の埃避けをわずか持ち上げ中身を示した。 
「朝食を持ってきましたから、ご一緒させて下さいね。」 
 つくづく世話回りな彼に面くらいつつ、扉に木を噛ませて保持したカインは、窓に寄りカーテンを開ける。四つ仕切の窓に、貝殻を抱く砂漠の景色が拓けた。 
 空に満ちて溢れる陽光が室内の暗がりを一掃する。眠る肩を強烈に揺らされ、パロムが飛び上がった。 
「うわーっ! 火事だっ!」 
「落ち着け、朝だ。」 
 瞼裏を走る血の色を炎と勘違ったか、毛布に絡まりベッドから転げる少年をカインが抱き留める。すっぽりと掛布を被った巨大枕はもぞもぞと蠢き、両手と頭を外へ突き出した。 
 巨大枕から巨大芋虫への変型を終えたパロムは、違和感にきょろりと視線を巡らせる。そこには果たして、未だ膨らんだままの二つのベッドがあった。 
「もしかしてもしかして、オイラが一番早起きした?」 
「……まぁ、そう、言えないこともなぃ痛っ」 
 腹を蹴られたカインは、暴れ芋虫をそっと床に転がす。シーツの繭を破り羽化したパロムは、足音を忍ばせ向かって左のベッドにそろそろと近付いた。 
「起きろポローっ!」 
 自然に目が覚めるまでは寝かせておいてやれ――と思う暇すらなく、電光石火の早業でポロムの毛布が引き剥がされる。 
「きゃーっ! 火事ですわーっ!」 
「へへんっ、ポロ、寝ぼけてやんのっ!」 
 得意顔で胸を張ったパロムは、いつものお返しとばかりに姉の頭をこづく。一撃で寝惚け眼を覚ましたポロムは、起き抜けに発した自らの第一声に赤面し、縮こまった。 
 双子の姉をまんまと餌食にかけた悪戯怪獣は、次なる獲物にそろそろと近付く――と、ベッドの脇まで寄ったところで毛布が独りでに跳ね上がった。 
「うるせぇぞパロムぅぅーーー!」 
「きゃあああーーーっ!!」 
 ベッドから降ってきた元祖悪戯大怪獣に押し潰され、パロムが悲鳴を上げる。 
「爽やかなお目覚めを邪魔しやってこの、くすぐったるァー!」 
「あひゃあはは、ご、めんなさひ、ごめっへへ、っんなさひっごめんなさいっ」 
 げひゃげひゃと断末魔の笑い声が室内にこだまする。悪戯怪獣はこのまま大怪獣に屈してしまうのか――頑張れ僕らの悪戯怪獣! 大逆転だ悪戯怪獣! 
 などと遠い空から聞こえる世迷い言を振り払い、茫然から立ち直ったカインは、骨肉の争いを繰り広げる二者間に割り入った。 
「オイこら止せ、泣くまでやる馬鹿があるか!」 
 諫めの言葉と共に笑いと涙でぐちゃぐちゃになった子供を救出する。保護者にしがみついたパロムはうぇうぇと本格的にぐずり始めた。 
「ひどいよひどいよ隊長、オイラごめんなさいしたのにひどいよ!」 
「う……お、悪い、もうしねぇから許してくんな、この通りっ!」 
 ベッドで土下座芸を披露するエッジに盛大な溜め息を浴びせ、カインは背後を振り仰ぐ。 
「……お騒がせして本当に申し訳ない。」 
「いえそんな! 旅の楽団に居た頃を思い出しました。賑やかなのは楽しいことです。」 
 いつの間にかしっかり安全圏に運ばれていたカートの傍らで、ギルバートがにっこりと笑う。 
「そう言って頂けると救われます……。」 
 何故か世界の広大さを肌で感じたカインは、ぐずるパロムをエッジに任せ朝食の場作りに取りかかった。 
 
 窓際のテーブルをベッドの中央に移動し、足りない椅子をベッドで補う。思い思いに腰掛けた一行は、それぞれの行儀に則った感謝を捧げて朝の糧にありついた。 
 普段はカインが座る位置に代わったギルバートが、主に二方向から寄せられる小皿の処理を担う。鶏肉と野菜の甘辛煮のお代わりを求め腕を突きだしたパロムは、大皿からの取り分け作業をじっと見つめた。 
「……ナヨ兄ちゃんて、王様だろ? 王様はさー、玉座でえっへんしてなきゃいけないんだぜー?」 
「うーん、本当はそうなのかもしれないけど、……やろうと思ったことをやらせてもらえなかったりすると何だか寂しくて。」 
 率直な意見に、ギルバートは言葉と裏腹の笑みを浮かべる。 
「さっすが、諸国漫遊王子様!」 
 取り分け処理の中断を見たエッジが、手前勝手に大皿へと手を伸ばした。 
「うわぁ、耳が痛いなあ。」 
「そぉ〜だろ、俺も言ってて耳痛ぇのよ。そんで、ステュクスの調べはついたのか?」 
 食事に口の大半を割り当てているにも関わらず、彼の喋りの流暢さが損なわれることはない。カインは妙な感心を覚えつつ、手を休めて話の行方に注意を向けた。盛り付け用の大型フォークを握りしめたギルバートは、エッジの問いに大きく頷く。 
「昨夜あれから調べて、確信に近いところへは辿り着けました。この国のサンドウォーム被害の歴史を纏めた書物に、『言霊の夜』を描いた叙事詩が引用されているんですが、そこにステュクスと思しき記述が頻出するんです。皆さんをお送りしたら、叙事詩の原典を当たろうと思うんですが……報告はどちらに?」 
「ミシディアの長老に宛てていただけると助かります。」 
 言って、カインは一口分のサラダを残した皿に目線を落とした。一国を預かる重責の身でありながら、これほどまで尽力してくれるギルバートに対し、自分は何を返せるだろう。少しでも早く前へ、と思う心ばかりが宙に浮き、肝心の足はぬかるみを掻き分けている。 
 めまぐるしく思考運動にいそしむカインを横目に、エッジは肩を竦めた。この様子では、手にした皿が空くのはいつのことになるやら……と、揶揄が喉元まで上がったところで、 
「カイン君、殴りましょうか?」 
「は?!」 
 余程驚いたのか、竜騎士の声がひっくり返った。 
「気持ちが沈んでいる時に効くんですよ。ただ……困ったな、人を殴るの初めてなんですよね。うまく行くかな……」 
 不安を口にしつつ、ギルバートは優拳を握りしめる。呆気にとられる男の脇腹をエッジの肘が鋭く突いた。衝撃で我に返ったカインは慌てて首を振る。 
「っあ、いや、いい、遠慮する!」 
「それは良かった。殴ってくれと言われたらどうしようかと思いました。」 
 胸を撫で下ろした吟遊詩人は、穏やかに口元を解いた。 
「落ち込んだ時は言って下さいね。いつでもセシル君直伝のパンチをお見舞いしますから。」 
「……セシル……」 
 固めた拳を上下させるギルバートの口から飛び出た親友の名。乾いた笑みを浮かべる以外の選択肢を無くしたカインは、皿に残った最後の一口を噛まずに飲み込んだ。 
 
 白陽を掲げた空に、黄砂が舞い上がる。ホバー独特の浮遊感に揺られながら、カインは遠ざかる砂漠の城に目を向けた。強烈な光と影のコントラストに彩られた円形ドームに、旅行案内書に見られる水彩絵のような趣はない。 
 烈光と真影の二色からなるインク画は、やがて頭上からするすると降りてきた日除けに遮られた。 
「すみません、眩しかったですよね。気が付かなくて……」 
「いや……気を使わせて申し訳ない。」 
 運転席からの気遣いに苦笑を返す。はしゃぐ子供たちを両脇に抱え直して車内に目を戻すと、助手席に座るエッジがこちらを振り向き肩を竦めてみせた。さすがの軽口大王も毒気を抜かれた風だ。 
 橙に染め抜かれた天布に、光輪を殺がれた太陽が揺れる。喧嘩防止として間に陣取ったのが意外なほどに功を奏したか、やんちゃ盛りの双子も今日は大人しい。たった一枚の布を隔てただけで穏やかな表情に変じた陽光に包まれ、二人の神妙な顔つきが転寝に変わるのにそう時間はかからないだろう。 
――そう、このまま、何事も起こらなければ。 
「……静かだな。」 
 カインが感じた予兆を代弁するかのように、エッジがぽつりと口を開いた。 
「退屈されましたか? ……じゃあ、歌でも一つ、如何でしょう?」 
 ハンドルの微動を押さえるために腕を固定し、砂漠の王が十八番の披露を持ちかける。 
「おっ、いいねぇ! 是非聞きてぇな、ゆっくり足伸ばせるとこで。」 
 朗らかに応じたエッジは、背もたれの括れに肘を付き、胸を張り出した。 
「折角の歌も中断されちゃっちゃ風情がねぇからな――で、この最短ルートでの遭遇確率はどンくらいよ?」 
 気休め無用と投げられた言葉に、ギルバートの表情が一瞬凍る。 
「すみません……隠していたわけではないんですが。」 
 身分を隠蔽し諸国を歩いた吟遊詩人の声から、虚偽の音色が聞こえることはない。 
「……現状、ファブールまでの輸送経路を確固たるものとすることができません。無事に辿り着ける可能性が半分では、あまりに危険な賭けですから……。ですが、」 
 万民の耳を傾けさせる魔力を秘めた声音の奏でる言楽は不意に途切れた。船を覆った天布をびりびりと震わせる余韻が、操縦を担う一対を除いた全ての視線を一所に集める。 
 天空より降り下る鮮血の奔流――船の真後ろに現れたそれは、今にもホバーを押し流してしまいそうだ。 
 カインとエッジの瞳に焼き付いた深紅は、真直に流れ落ちて近砂に畝を為す。畝から広がる波紋を見たカインは、思考の木霊裏に何故の答を見付けた。 
 ――肌理細かく汚れの無い砂の溜まりは、砂の海との異名通り、実際に水と同じなのだ。走る船は水面を波立て進む。波紋は同心円を描いて広まり、近くに餌の在る事を知らせてくれる。 
「……この前のものより」 
「更にでけぇな……」 
 後方に向かい二つ並んだ呆然顔が、座席の背もたれに揃って押し付けられた。 
「しっかり掴まっていて下さい。大丈夫です、この船なら振り切れます!」 
 確信を以て安全を請け負い、ギルバートはギヤを切り替えた。民間用とは違い、王家専用ホバーの最大速は時速三十キロメートルを超える。渡砂船での経験からして、紅砂蟲の追走速度は最大でもおよそ時速十五キロメートル。運転手の言う通り、振り切るのは容易い事だろう。 
――しかし。 
「アレを倒さなければダムシアンに戻れないだろう。」 
 このホバーは、王を玉座へ返さねばならないのだ。 
「子供達を頼む!」 
「カインさん!?」 
 縋る先を失くし、少女が悲鳴じみた声で名を叫ぶ。 
「合図すっから拾いに来てくんなー」 
「隊長っ!」 
 寸置かず、助手席からも気配が飛び失せた。 
 最高速で走る船の操縦に気を取られていた男は、声を上げる暇すら無かっただろう。視界の届かぬ場所へ矢よりも迅く飛び去るホバーを横目に、カインは笑みを浮かべる。 
 十分とは言えないかもしれないが、休息を得た子供達ならば、ホブス山を越えファブールへ辿り着くのは造作も無い筈だ。ファブールに着きさえすれば、ミシディアまで戻るのに苦は無い。また、吟遊詩人の王も、己が持てる最大の助力を惜しみはしないだろう。そして――えっちらおっちらといった風体で隣に着いたもう一人が背中を支えてくれる。今、自分は一人ではない――それだけの事実が、敗北の二文字を遠ざけてくれる。 
 この期に及んで他者を拠り所とする自分の弱さに溜息を吐く間も無く、カインは目の前に迫る現実に引き戻された。 
「……さて――」 
 目前まで潜行してきた砂蟲は、とりあえずと得物を構えた二人の前にその巨体を現した。 
「どーすんだこりゃあ……」 
 呆然と開いた口に舞い降りた砂粒が入り込む。こうして見下ろされてしまうと、一体どちらが『虫』なのやら。 
「来るぞ!」 
 警告を発すると同時に飛びすさる。ややもせず、砂地に残った靴の跡を、成人の胴回り程もある触手が深く貫いた。 
「喰らえ火遁!」 
 鞣皮よりも丈夫な表皮に包まれた砂蟲に、黒色火薬の炎は温さすら思わせはしないだろう。剥がれるようにかき消える炎を隠れ蓑と、カインは触手の僅かな瘤起を足がかりに駆け上がった。 
 まず狙うべきは一点。体躯による不利を補うためには、相手の索敵能力を削がねばならない。 
 柔軟な足場で直立を果たした竜騎士は、得物を振り大顎の付け根に並んだ複眼の一つを突いた。真銀の穂先が抉った傷から、苔生した煉瓦のような色をした体液が噴出する。返す刃で二つ目の複眼をと槍を担えたカインの目の端に、先ほど割った傷が跡形もなく癒着する様が映った。 
「再生……!?」 
 驚愕が声となり漏れる。 
「カイン、こいつにゃ再生能力がよ――」 
 竜騎士の呟きに知らず応じてか、霞むほど遙かに見える下界から相棒の暢気な声が飛んだ。 
「先に言っておいてくれ!」 
 表皮をくすぐる小虫を振り払わんと、触手が大きく波打った。砂漠の虫が持つ強いぬめりの表皮に傾斜が加われば、靴の滑り止めなど何の気休めにもならない。 
 考えるより早く腕が動き、槍穂を足下に突き立てた。塊突とした触手を縦一文字に切り開き、その抵抗で滑落の速度を殺す。 
「ちっとぁ弱れこの、雷迅!」 
 雲を掠めて蜻蛉を切った竜騎士の肩越しに、二条の雷光が閃く。痺撃を受け、どこから発声しているのか見当も付かない濁った咆哮を上げた砂蟲は、ずるずると砂中に体を埋め始めた。 
「お、逃げるか……?」 
楽天思考が口を付く――が。 
 全長のおよそ三分の二ほどを砂中に戻した砂蟲は、頭頂に空いた口腔部の、唇にあたる部分をべろりとめくり返した。表皮に比べ若干色深みを増した内皮が触手の根本を覆った様は、肉食花に似ている。 
「どうやら、逃げる気は毛頭無いようだな……。」 
 砂漠に咲いた醜い大華は、その茎にあたる体をぶぅんと捻った。巨大な触手がふわりと持ち上がり、鞭のように撓る。 
「飛空艇ではどう倒したんだ!」 
 踏んだ先から崩れる砂地は、思い通りの跳躍を許してはくれない。目前に薄した触手を、カインは穂先の広い面で掬うようにして軌道を逸らす。 
「動力炉の爆発で燃えてよ――火遁!」 
 のんびりと詠いつつ、深紅の巨壁に小火を起こしてみせたエッジの頭上を軟槌が薙ぎ払った。一瞬脳裏に描かれた相棒の無惨な姿に、ひやりと背中を伝った汗の乾く暇もなく、跳ねる踵下が浚われる。 
「そんな火力、ここには無いぞ!」 
 斜様に飛んできた触手を、上体反らしでやり過ごす。遠心力を伴って回る触手は、一本ならばまだ対処もできようが、兵学校時代に使った訓練道具 ――幾つもの枝を突き出した回転する鉄柱で、動体視力と反射神経を養うために用いる――のごとくこうも次々寄越されては堪らない。一本切り落とした次の瞬間には、頭を潰されるか、足を潰されるか、あるいは原型すら留めぬただの肉塊となって宙を舞うだろう。 
「お前、自爆してみねぇ?」 
 本体に近づくことさえ叶わず、命がけの縄跳びに甘んじる忍者の一言。カインは危うく己で描いた悲惨な想像通りになりかけた。 
「……ッ出来るかバカモノ!! お前には緊張感というものが――」 
 小言の中途で触手が視界を塞ぎ、エッジの体が消えた。 
 頭から爪先へと血液が逆流する。走って行ったのでは間に合わない――判断と同時に、カインの両足は砂地を離れ、真横に訪れた触手の表皮に乗った。爪先がめりこむような感触の後、頭から押し潰されるような圧力に弾かれる。 
 エッジの後方で派手に砂を削ったカインは、眩暈と戦う相棒の体をざっと眺めた。目立つ外傷はなく、おかしな具合に捻れた部位も無い。 
「お前には、緊張感というものが無いのか。」 
「おいおい、小言聞かせにカッ飛んで来たんかよ?」 
 自ら掘った砂丘を崩し、エッジは立ち上がる。敵との距離はおおよそ十メートル。随分と飛ばされたものだ。咄嗟に受け身を取ったとはいえ、下が砂でなければ確実に重度の擦過傷は免れなかっただろう。 
「……で、振り出しに戻る、ってか。」 
 二人の視線の先で、深紅の蟲が砂を巻き上げた。 
 
 一方その頃――。 
「君たちはここを動かないでね。僕は二人を助けに行って来る。」 
 かつてはアントリオンの巣と呼ばれた洞窟の入り口に子供を降ろし、ギルバートは再びホバーのハンドルを握った。 
「私たちも行きます!」 
 固い決意と共に、座席に飛び乗ろうと構える少女を止める間に、また別の声が上がる。 
「あんな芋虫、オイラ達の魔法でズバンとやっつけちゃうぜ!」 
 双方向から運転席に乗り込みをかける子供達を相手に、砂漠の王はただ笑みを浮かべた。 
「大丈夫、砂虫の退治法なら心当たりがあるんだ。」 
 柔和な容貌には不釣り合いな程の力強い言葉が、子供達の動きを止める。 
「ポロムちゃん、弓を借りるよ。」 
 助手席に積んだままの荷を目で示し、吟遊詩人の王は片目を瞑ってみせた。 
「ちょっ、待ってよナヨ兄ちゃん!」 
「……ギルバート、だよ。」 
 エンジンがひときわ高くうなりを上げ、その名を遠く運び去った。 
 
 砂の波紋様を描いて流れるさまを見ていると、幼い頃に父と出掛けたバロン東海岸の砂浜の様子が意識に被る。 
 それは、高波の悪戯であろう砂浜に打ち上げられた小さな魚の姿。幼かった自分にとって、丸い口を緩慢に動かし鰭をばたつかせるその姿はとても不思議な光景だった。魚は陸地で生きられない。なのになぜ、海へ戻らないのだろう。すぐそこにあるのに―― 
「このバカヤロウ様が!」 
 横からどつかれ、カインは見事に転倒した。さっきまで自分の立っていた場所に、捕食者の放った捕縛縄が横たわる。相棒の手になる斬撃により、いくばくかの苦痛を得たらしいそれは、解けるように砂を浚い元の場所へ戻っていった。元の場所――そう、砂蟲の頭部に深く開いた彼岸の入り口へと。 
 さきほど去来した幼い日の邂逅はまさか、走馬燈と呼ばれるものではあるまいか。 
 穂先を砂面に付く程深く構えを取り、カインは改めて今この場にある現実と真っ向から向き合う。 
 頭上から注ぐ灼熱線が大地のいのちを干上げ、灰と化した土が迷い込んだ者の希望を奪う、砂漠はまさに、人間の住める世界ではない。そう、この地理にあって、自分たちは陸地に打ち上げられた魚も同然だ。 
「……あの棘の筒はどうした。」 
 弾む呼吸の下に、問いかけを絞り出す。 
 むろん、答えは分かり切っているのだ。期に及んで有効な手段を出し惜しみするような男ではない。 
「んなモン、勿論品切れに決まってらぁな。」 
「役に立たん奴め……。」 
「なっ……お前考え無しに降りたんかよ?!」 
 賑やかにやり返してくる忍者の声に、自然口元が解れる。 
※バロン東海岸の光景 今と同じ、一面の砂 あの小さな魚にとって、砂浜はこの砂漠にも等しかったろう あの瑠璃の魚は、結局どうなったのだったか―― 
 悠然と獲物の死を待つ砂蟲の眼を見据えつ、カインは邂逅の続きを手繰ったその時。 
「お待たせしました! もう大丈夫です。」 
 一陣の砂煙にやおら視界を塞がれる。自然、腕を翳し訪れた闇の中に、澄んだ声が打ち響いた。 
「おい!? 何戻って……!」 
 同じく砂に煙られたのであろう忍者の声が、カインのそれを制して上がる。 
「昔、僕の先祖は砂漠に巣くう砂虫をこうして退治したそうです。」 
 後部座席に積んだままの荷から、彼は手早く弓を手に取った。凛とした美しい女性の横顔を、華奢な指がしっかりと握り込む。上下リブの延びて張りつめる音が、敏と空気を打った。 
――それは、静寂の大音声。 
 天空を射落とさんばかりの勇ましい姿勢で構えたギルバートを中心に、全ての音が薙ぎ払われる。 
 カインが目を向けた先に、エッジの見開かれた眼が映る。エッジもやはり驚いたのだろう――当然だ。おそらく、こんな音はかつて誰も耳にしたことはない。 
 音? 
 己の選択した語句に、カインは疑問を覚える。 
 耳で捉えることの出来ない現象を、音と定義することは果たして正しいのだろうか? 
 吟遊詩人の指は繊細に動き、緩み無く張られた弓弦を震わせる。しかし、そこから生じる旋律は、決して耳に届かない。 
 砂の流れる音、風の吹きすさぶ音、この空間に存在する全ての音を打ち消し響く、無の音色。聴覚のみならず、全ての感覚が失われたような不安を覚える。 
「口の中央に中枢神経があります!」 
 奇妙な闇の中に、ふと異なる振動が入り混じった。その意味を解することが出来なければ、それは、ただ不快なだけの雑音でしかないだろう。暗号のようなものだ。暗号は、送信受信双方の装置が揃わなければ意味が無い。 
「エッジ!」 
 考えるより先に口が廻った。聴覚に伴い、視覚や思考、様々な感覚のざわめきが五体に戻り充ちる。 
「おぅよ! こいつを使え!」 
 忍者から投げられたミスリル刀を手に、肺の奥底から一呼吸を絞り出す。砂を蹴り、次いで触手の表皮を蹴って、舞う空の下虚ろに開いた深淵。泡立ち煮えたぎる深紅の中央、虚ろに開いた闇の奥底から、数多の赤い筋に包まれた塊がせり上がってくる。 
 真っ直ぐに太陽の炎の流れ落ちるミスリルの刃は、数多の命の墓標足り得るだろうか? 
 カインの手を離れた鋭光は、狙い過たず塊を貫いた。 
 
 砂と同化し形を崩す丘陵に抱かれ、黄砂の間近に光を見る。 
 あの瑠璃の魚は、結局どうなったのだったか――砂の崩れる音がカインの脳裏に邂逅の続きを呼び起こす。傍らに歩み寄った父の声。 
――海へ戻してあげなさい 
 父の言いつけに従うために必要だったのは、ほんの小さな、労力とすら呼べないほどのものだった。砂をかき寄せ、小さな生き物の体を波へと押し出す。※海に戻った魚は、朝日に輝く波間に消える前、大きく一度跳ねた まるでありがとうと告げるかのように ささやかな英雄行為 とてもいい気分・嬉しかった 
「カイン!」 
※相棒の声が砂から自分を掘り出す 楕円の陰が嵩を成して目映さを削いだ。 
「大丈夫ですか? お二人とも。」 
 やや遅れ、おっとりとした声が降ってくる。差し出された手を取ると、滑りを帯びた暖かい感触を覚えた。 
※かつて砂蟲だった、今は砂丘に立ち上がったカインは、思い出の余韻を残した己の掌を見る。 
「ほれ、手ェ!」」 
 横から延びた手が、ギルバートの腕を掴んだ。 
「お前さん、ツラに似合わず度胸据わってやがんじゃねぇか。」 
 吟遊詩人の掌を裂いた幾条もの傷口を手早く覆い、エッジは改めて向き直る。 
「助かったぜ。……ありがとよ。」 
 おそらくはエブラーナ式の最上礼なのだろう。エッジは腿の前面上部に指を揃え、深々と頭を下げた。 
「あ、いえ、そんな、お礼なんて……」 
 おろおろと両手に言葉を惑わせた吟遊詩人は、しかし、強い日差しの元に胸を張った。 
「お礼なんていりませんよ。僕は、僕に出来ることをしただけです。」 
 面を上げたエッジに笑いかけ、自らの発した言葉を反芻する。 
 そう、自分に出来ることをする、ただそれだけなのだ。出来ない事をしようとするから足が竦んでしまう。 
 彼女が敵の凶刃に身を呈してくれたあの時――ただ、彼女の手を引いて、敵に背を向け、逃げれば良かったのだ。敵を倒す、そればかり考え、身が竦み、結果として、大切なものを失ってしまった。 
 剣でもって敵をうち倒すなど、自分には到底出来るはずもない。己の不可能と真摯に向き合い、その上で可能性をより広く持つために努めること。それが、勇気――輪廻の歩みを止めてまで、彼女はそれを自分に教えてくれた。 
「さあ、こんな場所に長居は無用です。パロム君もポロムちゃんも、きっと待ちくたびれてますよ?」 
 言って、ギルバートは後部座席の扉を開いた。一行は砂を払い、ホバーに乗り込む。 
 見事な蜻蛉返りで助手席に乗り込んだエッジと、不自由な利き手をハンドルに置き倦ねるギルバートの間に、カインは後部席から身を乗り出した。 
「王、その手で運転は――」 
「へっへ、俺様にお任せ!」 
 言い終わらぬ矢先の電光石火、座席を入れ替わったエッジは、踏み抜かんばかりの勢いでアクセルを蹴りつけた。 
「止せえぇぇえ!!」 
 カインの叫びが空しく砂塵に消える。 
 
 急ブレーキを掛けられたホバーが宙を華麗に舞った後、草地にその鼻面を突き刺し、どうにか岩への激突を免れた時ほど、カインが大いなる光の慈悲に感謝したことはない。 
「心配しましたわーーーっ!」 
 半泣きで飛びついて来たポロムを宥めつつ、ホバーを草地から解放する作業を手伝う。駆動系に異常こそ無かったものの、王家専用の美しい塗装は見るも無惨な有様だ。 
「まぁ、塗り直せば良いですし……。」 
 魂が半分くらいは留守になってしまったのではないかと思われるような風貌で、吟遊詩人は力無く笑う。 
「ホブス山の西登山口は、昼夜の温度差によって出来る氷の壁に覆われています。」 
「そんなの、オイラのファイアでぱぱっと溶かしちゃうぜ!」 
 荷の中から掘り出した飴を両頬いっぱいにほおばる少年は、えへんと胸を張った。ギルバートは穏やかな笑みで表情を飾る。 
「頼もしいなあ。お願いしますね、パロム君。……それと、もし定期船が無いようでしたら、この手紙をファブール王に渡して下さい。」 
「何から何まで本当に……すまない。」 
 王家の押印に封された書状を両手で受け取り、荷に仕舞う。 
「一年前、共に戦えたことは僕の誇りです。」 
 静かな、しかし、確かに響く明朗な声が、竜騎士の瞼と顔を押し上げた。 
「これからもずっと僕たちは仲間なのだと、僕はそう信じています。」 
 枯れ果てた砂の大地を潤し沸き立つ水と、力強く息吹く草の混ざり合う瞳が、鮮やかな空に交わり光を頌える。 
 張りつめた糸がするりと解けるように、カインは微笑を返した。 
「それでは、道中お気を付けて。」 
「お前さんもな、帰り気ィ付けろよ!」 
「ありがとうございます、ギルバート様!」 
 それぞれの旅路の無事を祈る声が交わされる。 
「じゃあね、ギルバート兄ちゃん!」 
 少年の小さな手が、力一杯に空を扇ぐ。 
 やがて凪いだ風が、吟遊詩人の残した砂塵を巻いて吹き払った。 



四章前編
「ファイア!」 
 少年の声が開いた氷壁の向こう、敷き詰められた白い化粧石が雲への道を真っ直ぐに示す。 
 明らかに心臓破りであろう前途を目の当たりにし、金と濃紫それぞれの前髪の下の眼がげんなりと伏せられた。 
「これを登って行くのか……」 
「あら、らしくもねぇ。するってぇと俺ァ、とっとと登れェつーて槍ブン回す役かい?」 
 などと景気良く返しはするが、エッジの足とて動く気配は全く見られない。 
 フードの作る僅かな影に視線を埋めたカインは、ふぅ、と気の抜けた声を足下に投げる。 
 足場のおぼつかない砂地での戦闘は、予想以上の疲労を体に残した。ギルバートと別れ、登山道入り口までの草地を歩む分に支障は僅かと思えたが、固い地面に立った途端、足首に鉄球を結わえ付けられた囚人の如しだ。 
 元より強行軍を覚悟はしていたが、いかんせん、これでは体が保たない。もっと行程に余裕を見ても良かったのではないか。無謀な拙速を強いた己の不手際を痛感する。 
 先へ先へと追い立てるのは焦りという名の魔物。追われるまま冷静さを失い、その顎に挑んだが最後、歴戦の勇士ですら一撃の元に葬り去るほどの力を秘めた、強大な魔物である。哀れその顎に沈んだ犠牲者の名は、歴史書の中に幾つも見つける事ができるだろう。 
 我が名をその名簿には連ねまい――カインは鼓動を鎮め、魔物の顎と慎重に距離を取った。 
 幸いにも、自分には肩を掴み押しとどめてくれる仲間がいる。こんな自分を旗頭として文句の一つ…… 二つ三つ四つ五つ、とにかく、共に歩んでくれる仲間の、なんと有り難く代え難いことか。この仲間を死地に導いてしまうような愚は断じて避けなければならない。 
 などと、深々自省に耽ってしまうほどに、今はとにかく動きたくないのだ――吹き下ろしの風に髪を梳かれ、カインは相棒の様子を窺う。直立姿勢を保ってはいるが、依然として歩き出す気配は無い。かといって、その場に座り込むような様子も無い。 
 かくなる上は根比べだ。カインは腹を据える。どちらか先に、動いた方が敗北者の三文字を―― 
「〜〜〜もーっ! 何してんだよニィちゃんたち!」 
 遂に堪りかねたパロムは声を上げた。 
 障壁を壊したにも関わらず、平地を名残惜しみ一向に動かない二対の棒を邪魔と押し退け、幼い姉弟はガシガシと山道を踏む。 
「うぉー待ってくれ〜、お前ら足早過ぎんぞ〜」 
 白い石畳に体重を刻んで歩く二つの背中に、保護者その1がようよう追いすがった。双子は足を止め、年寄り二人の遅々とした行進を見下ろす。 
「なー、パロ、すっげ言いづらいんだけどさ、荷物一コ持っ――」 
「やだ!」 
 食糧入りの小さな肩掛け鞄を突き出す腕に、膨れ面が叩き返された。いくら何でも子供に頼るな……カインの諫言が喉まで上がる暇さえも無く。 
「そんな事言わねぇでさぁパーロムぅ〜」 
「だって、なぁ? ポロ!」 
 へにゃりと眉を曲げるエッジを横目に、パロムは姉と目を合わせる。弟からの目配せを受け、ポロムはぐわっと胸を張った。 
「私たちをお荷物扱いした報い、ですわっっ!!」 
 少女の背から鮮やかに抜き払われた杖が五拍子を描く。すわお仕置きかと打撃に備えた青年二人の足から、重力の鎖が幾条か千切れて落ちた。靴底が地面を僅か離れ、同時に足裏をすっぽりと覆っていた疲労が鈍る。 
「今度オイラ達を追いてけぼりしたら、Wメテオだかんなっ!」 
「よーっく、覚えておいてくださいませ!」 
 ぷんぷんと似た顔二つそっぽ向けた双子の前で、魔導の慈悲を授かった青年二人は神妙に頷いた。 
 
 ホブス山。 
 ファブールモンクの修行場として有名なこの山は、この世界で最も空を近く望む場所である。 
 浮遊魔法によりもたらされた、毛足の長い絨毯を踏むにも似た感触を楽しみながら、カインは道傍を彩る植物に目を向けた。空の青と敷石の白の中間を取り持ち、種々多様な緑に身を包む命は、薄い大気と温もりの中で確かに根付き、生きている。 
 試練の山に居を構えるカインにとっていわば馴染みの環境であり、幼い白魔導師による補助をも授かった今、登攀速度に不安は無い。 
「エッジ。」 
 カインは、斜め後ろを歩む者に手を突き出した。 
「ぁによ?」 
「一つ貸せ、持とう。」 
 言って、緩やかに続く上り坂に辟易顔の前で指をひらつかせる。 
 手空きを分かり易く示された男は、珍しく無言で相棒の好意に甘んじた。 
「どう思う?」 
 食糧満載の鞄を一つ、体力に秀でた騎士に任せた忍者は、彼の言葉に視線を巡らせる。緑の映える瞳に、やや前を歩く二対の若草が両に伸ばした瑞々しい葉を靡かせた。 
「そーぉだなァ、行進曲でも歌ってやったらいいんじゃねぇ?」 
「そうじゃない……」 
 荷一つ分増えた重量をフードの陰に落とし、カインは半ば諦めがちな突っ込みを入れる。投げる会話に主語が無い旨を以前指摘されはしたが、かく言う彼に限って会話の主語を拾い損ねるような盆暗ではない。――つまり、言わんとする事を分かった上で、エッジは話を逸らしているのだ。 
「お荷物だよな、そりゃあな。」 
 会話を早々に諦め観光気分に戻りつつあったカインの意識を、不意の掛け糸が絡め取った。 
「小っせぇわ重てぇわ、ミシディアに戻ったらほっぽり出しちまうのが上策ってもんだ。」 
 上空を過ぎる駆け足雲のつま先が、エッジの声を浚ってゆく。 
「「一つの炎は燃える、恐れを燃やして、光灯し戦う暗い暗い闇の中♪」」 
 甘勾配とは言え確実に削られる呼吸の下、ミシディアに伝わる童歌を無邪気に歌う声。魔道の初歩である、リズムと魔法の関わりを学ぶための教育歌なのだそうだ。 
「しかしまァ、あの悪ガキ共が大人しく言うこと聞くたァ思えねぇな。」 
 二つの闇は隠す、灯りを隠して、涙かき消し流れる流れる水の中……子供達の旋律につられ口が動く。のどかな三重奏に拍子を合わせ、エッジは爪先を高らかに上げた。 
「なるようにしかならねぇさ。」 
 
 遙か目下に地平の広がる絶景を楽しむ一方、清浄に過ぎる高所の空気に少々肺を苦しめられながらも、一行は順調に合を重ねた。猛禽類や、その他山に居を構える獣との遭遇を予想していたのだが、肩透かしを食わされた気分だ。 
「にしても、ちーと静か過ぎらぁな。」 
 童歌も絶えた今、一行の供をするのは、頭上を吹きすぎる風の声と計四対の足音のみ。カインの頭にあった朧な懸念が、斜め後ろで現実の声となった。 
「……この山はモンク僧の修行地だ。敵性動物との棲み分けが完全なのかもしらん。」 
「登山道歩ってる限りは安全ってことかい?」 
 エッジはやや歩を早め、長身と肩を並べる。 
「折り返し地点を過ぎたんなら、そりゃまぁな。ご近所の庭掃除まで勝手にしちまうモンかねぇ?」 
「しないとも限らない。」 
 霞の空を写した瞳がちらりと隣に振れた。 
「ダムシアンとファブールは永年友好同盟を結んでいる。国境こそ頂上に設けられてはいるが、ダムシアン側からこの山に人員を派遣する気は無いだろう。」 
「だからったって、よそ様の庭に土足で上がりこんで良いってな理屈にゃならねぇだろ。」 
「それはそうだが……」 
 言葉の続きを頭に置き、ずれた荷を背負い直す。標高を増すにつれ丈の低くなる植物は、今や地に這いつくばり、黙々と前後運動を繰り返す旅人の靴底をじっと見上げているかのようだ。 
 深刻顔で黙り込む相棒の姿に、エッジから若干の苦みを含めた笑いが洩れた。 
「いやなに、頂上着いたら休憩しようぜって言いたかったワケだ。」 
「それならそうと言ってくれ、紛らわしい。」 
 疲れたのならば疲れたとはっきり口にすれば良いものを――額からフードを剥がし、カインは唇端を曲げる。回りくどい言い方をするものだから、てっきり彼独自の、『ニンジャー力』とでも呼ぶべき何かで以て、確かな災いの萌芽を捉えたのかと穿ってしまった。 
 しかし確かに、ここまでは幸運が背中を預かっていてくれたとはいえ、今後もそうとは限らない。頂上に長居をするつもりではなかったが、予定を後へずらすことになっても、可能な限り体力の回復をすべきだろう――そこまで考え、カインはハッと息を呑んだ。 
 今の会話は、自分の心の内にある焦りを気取ってのものだったのではないか? 
 もし、エッジがただ疲れを理由に休憩を提案していれば、自分はなんと答えていただろう? 「甘えるな」――そう斬り捨ててしまったのではないだろうか。登山道の入り口ではあれほど長々自省したにも拘わらず、日を越えぬ内からもう腰を掛ける暇すら惜しんでしまっていたとは。 
 ――やれやれ……。 
 覆布に込めた嘆息がほの白い指を頬に伸ばす。 
 自分は何故これほどまでに、先を先をと急いでしまうのか。故国の異変という心配の種を抱えていることに加え、元々急かし屋な気質を持っていたのかもしれない。 
 そう考えてみると、思い当たる節があった。子供の頃から、セシルやローザと外出すれば、決まって彼らに「待ってよカイン」を最低でも二回は言われていたような覚えがある――薄く滲んだ記憶の中に、息せき切らせ駆けてくる幼馴染み二人の姿が浮かぶ。年齢を経て気質が改善されたわけではなく、同音異口語をあまりに聞き慣れ過ぎたため、感覚が麻痺してしまっていたのだろう。 
 今日、改めて指摘され、自覚を新たにしたからには、以降気を入れて戒めねばならない――早速、カインは歩みを緩める。どれほど気が急いても、一度立ち止まり状況を冷静に把握できる者にこそ、統率と仰がれる資格があるのだ。 
「もうすぐ頂上だな。」 
 額に滲む汗を拭うがてら、エッジは庇を作り歩みの先を測った。真白く続く石の道は緩やかな円に収束し、昇り坂の終焉を示している。 
「てっぺんでご飯食べよ! オイラお腹ぺこぺこだよ!」 
 道中で空にした水筒を振り振り、パロムが提案する。カインはさっと一同の顔を回覧した。誰にも異存は無いようだ。 
「ああ、そうしよう。荷物も減らせるな。」 
「やったー! パロム様が一番乗りーっ!」 
 旅行程管理人からの許可を得た少年は喜び勇んで駆け出した。 
「あっ、こらパロム!」 
 目の前に好物をぶら下げられた獣よろしく駆けだした少年を、双子の姉の握り拳が追いかける。 
「おーお、元気元気〜」 
 ごく短い距離とはいえ、急な斜面を駆け切るほどの体力が、その小さな体のどこに残されていたのやら。 
 子供たちより遅れることしばらく、昇り坂の最後の一歩を踏み越えたカインの目前が急激に開けた。強烈な明度を伴う開放感は、地を蹴り空に四肢を放つ瞬間とよく似ている。背嚢を足下に下ろしたカインは、目前に輝く天の灯に胸を張った。肺を限界まで膨らませ、内部の空気をそっくり入れ換える。 
 頂上にたどり着いた旅人と肩を並べる里程標を越えれば、その先からはファブール領だ。踵を半歩前へとずらすだけでファブール入国を完全に果たしたカインは、空と大地の境に置かれた一点に立ち、周囲を遍く包む全天を見渡した。眩ゆい黄白から深い蒼へと落ち、また淡水の青に霞む見事な色階調の腕環が、陽射しを遮るため翳した手首を飾る。 
 真上から視線を戻したカインは、右踵を軸に景色を回転させ、これまで歩んで来た方向に定めた。麓の草地に縁取られ、日差しを受けて細波成す黄金の敷布、ダムシアン。その向こうに、ミスト山脈が寝椅子に寛ぐ淑女のたおやかな稜線を描き、その背後には――空がただ静かに白く霞んでいる。思えば、大変な速度で三つもの国を行き過ぎてきた。 
「ニィちゃん、ニィちゃん、オイラも!」 
 声に引かれ視線を落とすと、無邪気な笑顔がこちらを見上げ、その両手をぴょこぴょこと突き出していた。口端に滲む笑みを快く感じながら、カインは少年の脇に手を入れ軽い体を肩の高さまで持ち上げてやる。 
 視界の隅に映る自分の両足と、靴底の下に見える混雑とした大地の色までの壮大な距離感を全身で捉えた少年の口が、ぽかっと円く開かれた。 
「うひゃぁわぁぁーーー……」 
 空洞となった喉から、巨鳥のそれに似た鳴き声が辛うじて絞り出される。両脇を支える腕だけが自分と地上を繋ぐ全て。腋下にある手の温もりを意識した瞬間から、上身が強張り、下肢が面白いほど震え出す。 
「にににニィちゃんもういいよっ、もういいよーーー!」 
 地面との堅実な繋がりを求め、少年は悲鳴を上げた。危なげなく地面へと移送されたパロムは、全速力で岩棚の中央まで引き返す。 
「おーおー、怖かったなパロ〜? よしよし。」 
「ち、違うってば! ぜんぜん怖くなんかないぜ、で、でもっ、ちょっとすごく、うんと高かったぜ!」 
 うひゃひゃと朗笑う保護者の拡げた両腕に体を収め、パロムは人心地ついた。 
「食事にしようか。」 
 少年の後を追うように、眺望台から引き返したカインが昼食の開始を告げる。里程標を背に円座を組んだ一行は、それぞれ手にする食糧鞄の口を開けた。 
 
 干し肉と共に呑み込まれた雲が、舌を冷やして喉に沁みる。簡素な食事を皆に先んじて終えたカインは、空になった鞄を背嚢にしまい込んだ。 
「カインさん、果物はいかがですか?」 
 ポロムが膝に乗せていた小さな器を差し出す。風の流れに見立てた木目に散らされた花柄の上で、二切れの淡藤色が肩を寄せ合い揺れた。 
「もーらいっ!」 
「サンキュー!」 
 ありがとう、と伸ばした指先が空の器の底を摘む。果実の肌から落ちた水に指先を濡らされ、カインは浅く溜息を吐いた。 
 どうもパロムは、悪いところから優先的にエッジと似てきている。 
「カインさんの分でしたのに!!」 
 食後の甘味を堪能した泥棒二人が、少女の鉄拳制裁をひらりと避けた拍子に互いの頭をぶつけ呻く姿を横目に、カインは先ほど見ていた眺望台と正対なす縁へと寄った。 
 ファブール管理下の山相は、ダムシアン管理のそれと比べて遙かに人工的な様相を呈している。標準的な野営幕が二つは余裕を持って設えられる程の、広く平らな天面を備えた灰褐色岩と、白い化粧石敷きの登山道。それらが互い違いの模様をなして、遠く麓まで続いている。 
 頂から眺めるその光景は、自軍と敵軍に分かれて駒を進める模擬戦遊技の盤面を思い起こさせた。幼い頃、父と幾度か手合わせしてついぞ勝てなかったものだ。 
 そういえば、ミシディアに模擬戦遊技はあるのだろうか? 巨大な盤面を眺めるカインの頭を、ふとした思い付きが掠める。もしあるのならばミシディアの物を、無ければバロンから駒と盤面を取り寄せて、パロムやポロムに教えるのは良い考えかもしれない。普段魔導書に親しんでいる彼らならば、遊技の決め事を覚えるのは造作もないだろう。 
 晴れの日は外で遊ぶに忙しかろうが、雨の日などには良い暇つぶしになる――胸の奥を暖めた笑みに、我が事ながらカインは驚かされた。どうやら自分は、子ども達を重荷にばかり感じているわけではないようだ。 
「ねねね、何か見える? 高い?」 
 食前の一件で相当肝を冷やしたらしいパロムは、縁から充分な距離を保ち声を掛けてくる。 
「そうだな、随分高い……下りはゆっくり進もう。」 
 岩棚一段は、目算五メートル弱といったところか。麓から岩の階段を辿り上ってきたカインの目が、己の爪先を置く板の二段手前に吸い付けられた。 
「あれは……?」 
 疑問が口を突き言葉となる。張り出した岩に遮られ通らない視界に苛立ち、カインは縁に這い身を乗り出した。 
 やはり、目の錯覚ではない。頂上を数えて麓へ向かい三段目に当たる棚の上、幾つかの動く影が確かに見える。植物のものではないことは、その動きが風に沿っていないことから明らかだ。 
 鳥瞰する限りでは、岩縁間際に拳大の赤い沼、それを中心に散った水滴のような球体が六個。そして、その球体と対峙する――あれは人間だろうか。 
「違ぇねぇ、ファブールのモンク僧だ。」 
 軽身の忍者がもうやや身を乗り出し、人影の詳細を補う。 
「相手ァ赤くて丸っこい……分かるか?」 
「ボムとマザーボム……いや――」 
 まず口を突いたのは、この山に最も数多く棲息する敵性生物の名。だが、カインは自らそれを打ち消す。 
 こうして窺っている間にも、緋色の腰帯を靡かせた僧の一人が鮮やかな正拳突きを放ち、ボムの体の上半分ほども削り取った。中枢神経を潰されたボムは浮遊能力を失い、地面に落ちる。だが、僧は戦闘姿勢を解かない。しばらくもせず、削れたボムの体表が煮えたぎる湯のように泡立ち、元の球形を取り戻した。 
 そもそも普通のボムが相手ならば、日々の修行に鍛えられたモンク僧が苦戦を強いられなどすまい。カインは眼を絞り、より精密な敵の姿を脳に送る。 
 再び浮き上がったボムの腹に取り付く、卵胞様の忌まわしき赤い瘤。元より赤の体色を持つボムだが、それは橙に近く、今僧兵たちの目の前にいる個体の沈んだ紅とは似ても似つかない。新たなボムの種である可能性を考えるのはただの手間取りだ。取り憑いたものの体色を血の色に変え、同時に恐るべき再生能力を宿主に与える――最早すっかり目に馴染みとなってしまった『変異体』―― 
「……ステュクス。」 
「こいつらまでかよ……。」 
 うげぇ、とエッジが吐き捨てる。 
「拙いな。」 
 カインもまた眉を顰めた。寄生ボムは、格闘戦を得手とする僧兵にとって厄介極まる存在だろう。弾性に富んだ身体を持つボム類は、元より高い対衝撃耐性を備えている。そこに再生能力まで加わっては、今まさに眼下で展開されている通り、不利な持久戦を強いられるのが必定だ。 
 出来れば即座に戦線を収拾し、何らかの火器の支援が得られる場所まで撤退誘導するのが最良なのだが、この場所で会戦しているからにはその用意は無いと見るべきだ。伝令をこれから走らせる、あるいは既に走らせていたとしても、時間が掛かり過ぎる。 
「よう大将、加勢しにゃヤバイんじゃねえ?」 
「いや、もうしばらくは保つ。策を立てよう。」 
 言いつつ、カインの脳裏には既に明確な策が一つ形作られてはいた。 
 ステュクスの再生能力が、腐食性の毒に抗し得ないことは分かっている。だが、高い空間機動性を誇り、数でも勝る敵を相手に、黒魔導師一人で毒を回しきるのはあまりに非現実的だ。 
「しかし――」 
 不幸中の幸いと言えるだろうか。 
 ボム類はある特殊な性質を備えている。それは、彼らの種族名が爆発の擬音と同じ”ボム”たる所以――溶岩より生じたと言われるその体は、蝋燭と同じかそれより高い温度の火に触れると、強烈な化学反応を起こし爆発するのだ。変異しているとはいえボムである以上、その特性が失われてはいないだろう。彼らを一所に集め、自爆の連鎖反応を起こさせれば、再生能力は問題にならない。 
 ボムに関して持てる知識を掻い摘んだ後、カインはより迅速な思考の回転のために口を噤む。 
「よーするに、全部一気に爆発させちゃえばいいんだろっ?」 
「私がエアロガで壁を作りますわ!」 
 作戦参謀が言い淀んだ先を聡い双子が繋いだ。カインは唇を解かぬまま発言者の顔を眼に映す。 
 魔導師二人の言う通り、全てのボムを一所に集め誘爆させるのが、今の自分に持てる上策だ。 
 しかし、その作戦を採案するということはつまり、幼い彼らに大労を強いることになる。特に、盾を形成維持する白魔導師の負担は計り知れない。風の防壁を張ることが出来るのは、この面子に於いて彼女一人なのだ。 
 こうして黙っている僅かな間にも、杖を硬く握り任せてくれといわんばかりに力強く頷いてみせる彼女は、幼いが故の純粋さから許容を越える無理をその身に負いかねない。 
「ふたりがけしてエアロガすればへっちゃらだって!」 
 姉と無邪気な顔を寄せ合い、黒魔導師はえいっと拳を突き出してみせた。 
 そして、皆の覚悟が自分の元に集まる。カインは固く貼り付いていた上下唇を引き剥がした。 
「……いや、壁は二枚必要だ。」 
 拳を胸元に引き下げた少年の顔からあどけなさが褪せる。 
「聞いてくれ。」 
 一同の注目を指先に集めたカインは、地面に簡略な展開図を描き上げた。ボム群を示す凸とモンクを示す凹のちょうど中央に、一行の現在地である頂を示す曲線の内から線が引かれる。 
「まず、エッジがパロムをこの地点まで移送。パロムはここから狙える間近なボムにファイア、必要最低限の火力で良い。その後、この位置へ移動して待機。」 
 エッジとパロムを示す点が、さっと凹の直前に移動した。 
「パロム。俺が『やれ』と言ったら、ファイガでもフレアでも何でもいい、魔法をぶつけてボムを吹き飛ばすんだ。任せたぞ。」 
 点から魔法による爆発の方向を示す直線が伸び、凸の先端を潰して押し流す。務めて早口に言い切ったカインは、次に、作戦の要を担う少女に目を向けた。 
「ポロム、後にはパロムが控えている、大丈夫だ。魔力が保ちそうになかったら、切れる前に『駄目だ』と言ってくれ。言えなければ俺を蹴るんだ。いいな?」 
「「さくせん、了解っ!」」 
 大役を任された姉弟は、その重さを知ってか知らずか、それぞれに元気なポーズを見せる。 
 そして―― 
 最後に視線を投げた先で、元より承知とその目が笑う。ポロム、パロムの後に控える三枚目の壁は、言葉にするまでもない。 
「っしゃ、行くぜ! 気張れやパロム!」 
「がってーん!」 
 エッジの腕を腰掛けと据えた導火線が陽気な火花を噴く。相棒が少女を抱き上げたを機に、崖の縁に立ったエッジは肺に取り入れた呼気を鬨の声に変え放った。 
「助太刀するぜ!」 
 靴底がほぼ垂直に切り立った岩面を削る。 
「合図で子ボムをマザーに向けて放て! ファイアと同時に道へ退避!」 
 先行の立てた砂煙を竜騎士の言葉が払った。 
 明瞭な作戦指示に応え、モンク一行の統括らしき弁髪の男が素早く掌を打ち合わせる。陣形変更の合図なのだろう――Vの字に戦線を維持していたモンク僧は、徐々にその両翼の幅を狭め、方形に近い陣を構える。 
 同じくして、一段下の岩棚を駆け切ったエッジの後ろ背がその縁に消えた。心で指折りきっかり三拍、カインは身中に貯めた空気を音に変える。 
「今だ!」 
 作戦参謀が空に身を翻すと同時に、モンクの頭領から順繰りに波の打つごとく放たれた仰ぎの蹴りが、六体のボムを突き放した。 
 紅の残像が六本の線を描き、生み出されたものが母の胎内へと退いてゆく。 
 屈伸に滑落の速度を喰わせたエッジは、拓けた最前列へ躍り出る。 
「よっく狙え!」 
「おうっ!」 
 砲台に全身を預け、少年は意識を一点に集中させる。 
「ファイア!」 
 極小に絞られた火の魔力が、今まさに胎へ還らんとしていたボム一体の正中に吸われた。 
 火炎魔法の詠唱が完成する直前に中段を蹴ったカインが、エッジと入れ代わり舞台の中央に降り立つ。騎士に抱えられ舞い降りた少女の杖は、空に変拍子を叩き付けた。 
「エアロ――」 
 詠唱と共に杖の振りが凍る。束の間にさえ全身総毛立つ程の魔力の凝縮を感じ、その来るべき解放の時に備え、カインは地にしっかりと両足を張った。 
 それは、蕾の綻ぶ程の微かな破擦音。ボムの腹中に植えられた火種が芽吹き、全身に根を伸ばす。 
「――ガ!」 
 光熱の花が大輪と咲いた刹那、振り抜く杖の先に蟠っていた魔力が解放された。うっすらと白い靄を巻き、不可視の壁が聳え立つ。 
 摺り硝子めいて波打つ景色の中央で、音もなく虚赤の花火が弾けた。煮え爆ぜたボムから拡散した火は、見る間に周囲のボムへ飛び、マザーボムを取り囲む灼熱の帯を形成する。 
「おお……!」 
 モンクの誰かが発したのだろう、感嘆の声が背後で上がった。確かに、ここまでは計算通りだ――しかし。 
 ボムが弾けるたびに、腕にかかる圧力がじわりじわりと増す。カインは唇を噛み付けた。 
 ボム一体あたりの爆発時間が予想以上に長い。ステュクスの忌まわしき再生能力が、宿主の崩壊を阻んでいるのか。損壊部分を補うためになされる再生が更なる爆発を生み、爆風同士の干渉が最大出力の古代呪すらをも押し返す威力を生む。 
 しかも――現段階では未だマザーボムに引火していないのだ。 
 これから起こる爆発の規模を推測し、カインは祈りにも似た覚悟を決める。風の守護が去るその時、幼い命を抱いて地に伏せるという、たったそれだけが出来れば良い。 
 小さな体を支える両腕に力を込めたその瞬間、高熱に晒されてなお持ちこたえていた巨体の一部がついに弾けた。初段の爆風が竜騎士の両足をずるりと大きく下がらせる。 
「くっ……ぅ、」 
 風盾をその場に留めんと、持てる魔力の全てを注ぎ込む少女の唇から呻きが漏れた。前方にかざした杖を保持する両手がびりびりと震えている。体の各所で爆発を起こすマザーボムが完全にその形を失うまで、果たして保つだろうか。 
 地面を削り後退った距離を測り、見切りを付けたカインが最早と後続に指示を投げんとしたその矢先。 
「いかん!」 
 モンク僧を統べる男から鋭い叫びが上がった。 
「金剛壁陣!」 
「応!」 
 号令一下、モンクの大合声が轟く。 
「見よ、我ら鋼の肉体! 吩哈!」 
 異変に一瞬気を取られたカインは、同じく意を逸らされたポロムを胸に寄せ即座に踵を返した。術者の集中が途切れた瞬間に魔法壁が失われ、温い空気が背中を炙る。子供を抱え込み地面に伏したカインは、しかし、鼓膜を揺るがす爆音を裏切る五体の無事に、恐る恐る顔を上げた。 
 ――これは一体、如何に形容すべき光景だろうか。 
 背後で一列に並んだ肉体の壁が、ボムの炎上から巻き起こる猛烈な熱風を弾き返している。分厚く鍛え上げられた、文字通り鋼の胸板で―― 
 括りから外れた髪の一房が額を力無く撫でる。 
 すっかり脱力したカインの腕を抜け、その光景を目にした少女もまた、あんぐりと口を開けたまま固まった。 
「ちょっと待て……いくら鋼の肉体っつったってオイ……」 
 腕から呆面の少年を垂らしたエッジが唖然と立ち尽くす。呼吸を収めながら立ち上がったカインは、忍者の肩を静かに叩いた。 
「諦めろ。」 
「いや何を諦めんだよちょっと待てオイ、」 
 こんな不条理があるか――エッジの声は薄れゆく熱風と共に消散した。 



四章後編
 異形の生物が招いたざわめきが高山の風に舞う。 
 依然として棒立ちのエッジからパロムの回収を終えたカインは、改めてモンク集団の頭領と面峙した。ゆったりとしたフォルムの下履きが朱の裾に風を蓄え、黄橙の留帯と見事に編み込まれた弁髪が踊る。そして、記憶にあるよりも量の増え立派になった口髭が、曇りの無い微笑を頌えた。 
「カイン殿! いやはや、助かりました!」 
 ヤン・ファン・ライデン。先の戦に於いて、僅かな間ではあったが共に闘ったファブールの僧兵だ。現在はファブールの僧院を統括する大僧正、すなわち国王に就任したと聞く。 
「いや、助けられたのはこちらの方だ。凄いものを見せてもらった……」 
 しみじみとした感慨を込めてカインは礼を返した。その一言で笑いの発作を再発させたエッジは、竜騎士に食ってかかる。 
「カイン手前ェ、俺を笑い殺す気か!」 
「何がおかしいんだ。」 
 どつきあう青年二人を朗らかな呵々笑が包み込んだ。 
「驚かれるのも無理はありません、先の技は硬身勁というものです。」 
「コウシンケイ?」 
 エッジの腕をぶらぶらと揺らす遊びに執心していたパロムが、聞き慣れぬ単語に声を上げる。 
「其は呼気を断ちて五身流るる気の流れを集留し肉体を鉄壁と成す、我らモンクに伝わりし秘技の一つ。弐代目ファブール祭祀長が編み出し、ボムの大襲来より民を守り抜いたものと言われております。」 
「プロテスと似ていますわ!」 
 カインの隣からポロムが声を上げた。 
「ほう、気が付かれましたか! さよう、ミシディアが白魔導と我らモンクが継承する気勁の相似点に関しては、私も大変興味の赴くところ。」 
「だからポロはすぐオイラの頭叩くんだね!」 
 弟の推理の正しさを行動でもって示した姉は、海を隔てた異国に伝わる術の相似を研究する男の次なる言葉に真剣な眼差しを向ける。 
「白魔導が施しならば気勁は悟り、両者異なれど二面同一、其は人道の往生を顕す。我らファブールの民を眼下に見下ろせり巌城山、ミシディアの民を懐抱せり甍大海、二国それぞれに厳しき自然の相に峙たるは決して偶事にありますまい。」 
 拓智朗々と吟じていた僧は、ふと杖を抱いた聴講生の悶々顔に気付き、固く結んでいた腕を解いた。 
「そうですな、つまり……我ら人の巧力は、大いなる自然の前には小さなもの。なれど、座して死を迎えるのは愚行、自然の理に背くも愚行、然からば、我らには唯守るべきものが御座る。我らに与わる双具、肉体と心、これら鍛え鍛えに鍛鋼の如く磨き上げし時に自ずから、守りの力、すなわち、ファブールには気勁、ミシディアには白魔導が現れたと……ふぅむ、今お話出来るのはここまでですな。まだまだ、勉強せねばなりますまい。」 
「いいえ、素晴らしいです! えっとつまり、モンクの皆さまに手伝っていただければ、私も『こうしんけい』のような、すごいプロテスを掛けられるようになるということでしょうか!」 
 熱を帯びてはしゃぐポロムの言葉に、生まれも育ちも年齢も異なる男達の心は、今、一つになった。 
――それだけはやめてくれ! 
 はらはらと話の行く先を見守る計三対の視線の先で、ヤンは微笑を頌えた顔を静かに振る。 
「そう良いことばかりではありません。硬身勁は身を鉄壁と化す代わりに呼吸を奪う術。犠牲なかりせば巧力亦なかり。二面同一にして両者相容れず、白魔導こそ慈しみに在りて死を施すことなかれ。分かりますかな? ポロム殿。」 
「申し上げる!」 
 説法が始まっちゃったよ、あれ長いんだよなぁ――囁きの波を背にして、一人の若僧が一歩前へ進み出た。 
「ライデン大僧正、客人方は大層お疲れのご様子! 速やかに下山し、宿をお貸しすべきでは?」 
 部下からの進言を受けたヤンは、はっと表情を変え額に描かれた六星の入れ墨に掌を打ち付ける。 
「これはしたり! 恩人方に何という仕打ち、面目次第も無い……!」 
「ああいや、顔を上げてくれ、大変興味深く拝聴し――」 
「ファブールまで同行させてくれっと有り難ぇんだがどうだい?」 
 辻説法を再開させかねないカインを言葉ごとどつき飛ばし、エッジは僧たちの配慮を請うた。 
「おお、願ってもありませんぞ! 先の大戦にて共に力を合わせ戦った同胞をお迎えいたすに、如何な不都合がありますか!」 
 
 ヤンの快諾を得た一行は、晴れてモンク僧の隊列に加わることとなった。幸いステュクスと再遭遇することなく下山を終え、暮れ落ちる日が赤く染める草原で簡易宿営が円陣を組む。テントの設営や夕食の支度への助力を申し出るたび、有無を言わさぬ爽やかな口調で悉く断られたカインは、いよいよたき火番の末席に就いた。 
「お前ね、ちったぁ大人しく座ってろっての。」 
 薪を火へ投げ入れる係が笑う。 
「そうだよニィちゃん、お客さんはえっへんしてなきゃダメなんだぜ!」 
 薪を投げ入れる係に渡す係がしたり顔で言う。 
「でも、ただ座っているのはやっぱり申し訳ないですわ。」 
 薪を投げ入れる係に渡す係に渡す係がフォローを入れた。 
 積んである山から薪を取る係は、溜息一つで忙しく食事の支度に動くモンク達に目をやる。 
「お待たせしておりますな。もうすぐ出来ますぞ!」 
 もう支度に手は掛からないと判断したのだろう、ヤンが一行の向かいに腰を下ろした。 
「ああ、そうだ。大僧正、忘れない内にこれをお渡ししておかなければ。」 
 カインはギルバートから預かった書状を懐から取り出す。両手でしっかと受け取ったヤンは、封を開け書状を開いた。 
「城に到着次第、一番早い船を用意いたそう!」 
 橙灯の元、親書を読み終えたファブールの王はぐんと胸を張った。 
「他にも御用あらば遠慮はござらん、このヤン・ファン・ライデン、全力全霊を以て協力いたしますぞ!」 
「すまない……。」 
 力強い言葉を受け、カインは深く頭を下げる。書状を元通り畳み筒に収めたヤンは、一変懸念顔を爆ぜる火の粉に向けた。 
「しかし、ステュクスとはまた奇妙な……。あのボムらも、ステュクスに寄生されたものでしたか。」 
「これまでに見たことは?」 
 ヤンの態度からおよその見当は付くが、一応確認する。 
「ありませんぞ! 先週も山修行に入りましたが、その時には通常のボムが居ただけでしたな。」 
「そうか……」 
 やはり、思った通りだ。既知の敵であれば歴戦のモンクが遅れは取るまい。 
「きっと、おっちゃんたちがキンニクダルマだからステュクス逃げちゃったんだ!」 
「こら、パロム。」 
 これが真相だとばかりに声を上げる子供を窘めるカインに、ヤンの朗らかな笑い声が向けられた。 
「ふむ、そうかもしれませんな! 優れた肉体は精神より災いを遠ざける強靱な盾となります!」 
――これほど説得力のある言葉が他にあるだろうか。カインの脳裏で衝撃映像が再生される。あの光景を、自分は生涯忘れることはないだろう。 
「しっかし、何だって寄生しやがんのかねェ奴さんらは?」 
 持ち前の鋭感によって腹筋の危機を感じたか、たき火に薪を投げ入れがてらエッジは話題を変える。 
 これまで共に異変の原因を探るべく歩んできた朋友が発した素朴な疑問に、カインは腕を組んだ。確かに、ステュクスの行動原因が分からないままここまで来てしまっている。これまでの戦いを振り返るに、何者かに統率されている感はなく、こちらと敵対する明確な意志のようなものは感じられない。 
「仲間を増やしたいのかもしらんな……。」 
 飛空艇で戦った操舵士の体を離れ自分の足に伸びてきた触手の感触が蘇り、カインは足をさすった。火に炙られた皮靴の上からしっかりと足首を掴み、その形を確認する。 
「なか……っげぇ、怖いこと言うねお前。」 
「そうであっても、むざむざ仲間になるわけには参りませんな。」 
 ヤンの言葉に一同頷いた。 
「しかし、寄生ってより融合だよなモンクの場合は……」 
 ぼそりとエッジが呟く。確かに――と力強く同意しかけ、カインは慌てて頭を振った。 
 心臓から打ち出される血潮の色そのままに、赤く輝く大胸筋。夕映えに染まる雄峰の如き三角筋。紅蓮の火花と弾ける上腕二頭筋。再生能力を手に入れた今、地上に最早敵は無し。地上最強の生物爆誕、その名もファブールモンク僧――頭痛と引き替えにしても、次々と浮かぶ妙な煽句を振り払ってしまわなければ、示しが付かない。 
「エッジ! 失礼な事を言うんじゃない!」 
「お前だって思ったろ? そう思ったろ、なぁ?!」 
「っ、思っても言って良いことと悪いことがあるだろう。良いかエッジ、我々はミシディア長老の信任を受けてパロムポロムを預かっているんだ。常に子供達の手本たるべく、品行方正を旨とし公明正大を心がけ、」 
「うむ? 子等の教育を悩んでおいでですかな?」 
 ヤンの目がきらりと光った。 
「我らモンク僧、子の教育には秀でておると自負しております! 規則正しい生活を営めば、正しい心と強い肉体が自ずから身に備わりましょう!」 
 輝く瞳に射抜かれたパロムは竦み上がった。 
「お、オイラは忍者魔導師になるんだ、モンクはならないもん!」 
 少年の口から新たなジョブの名が飛び出す。華麗に戦う忍者の印象は、少年の中で魔法と同じく力を表す固有名詞の一種となってしまったようだ。 
「ふぅむ、それはまさしく偉業ですな。無論、無理にとは申しますまい。」 
 ターゲットから外れたパロムが胸をなで下ろしたのも束の間。 
「ポロム殿は?」 
「わ、私は、白魔法を極めなくては……」 
 そつなくかわすかと思いきや、ポロムの顔が思案の色に塗り変わった。 
「あ、でも、ちょっと習うだけならいいかもしれないですわ……。」 
「ポ、ポロがモンク魔導師なんかなったら、オイラの頭ぼこぼこになっちゃうよ!」 
 双子の姉のとんでもない決意に、パロムはひいっと声を上げる。 
「ニ、ニィちゃんっ、隊長っ、ポロを止めてよ!」 
 小さな握り拳を交互に突き出しやる気を見せる少女と、保護者の間を必死に逃げ回る少年が草地にせわしない影絵を描き、たき火の炎に笑い声が揺れる。 
 夕食の後、夜稽古を見つめるポロムの熱心な眼差しに、パロムが震え上がったことは言うまでもない。 
 
 簡素ながらしっかりとした造りの野営用寝具で、快適な睡眠を得た一行の頭上を、薄雲が過ぎていく。日中に整備の行き届いた街道を進む隊列の進行を阻む敵も無く、ホブス山麓からファブールまでの帰路は順調そのものだ。途中に幾度か小休止を挟みながら、平原の真中に見える城へ向かい歩みを進める。 
 空を駆ける太陽と歩を揃え歩んできた一行の前にようやく城の全容が現れた頃には、すっかり日の色が橙に変わっていた。城を十重に囲む壁と、そのファブールそのものを二十重に囲む雄大雲に夕陽が食われ落ちてゆく。 
 渋朱に偉容を浮かばせる城塞都市ファブール。一人の僧が枯枝で築いたあばら屋を中心に、僧の教えに下りその元へと身を寄せた民を収容すべく外へ外へと増築が繰り返され、まるで山のような相を誇るに至ったと言われる。隣国との国境線が近づくに従い、ファブール城の進化は緩まりやがては停まり、最外郭を強固な石壁で覆う現在の姿となったようだ。カインはそびえ立つ巨大な壁を見上げる。飛空挺により行われた水平爆撃にも耐え抜いた壁だ。 
 間近に見るファブール城はまさに偉容と呼ぶに相応しい。バロン戦役以前はバブイルの塔に譲っていたが、異世界の民の存在が明らかになった現在、世界最大の建築物という冠は正しくこの城のものとなった。 
 城下町をその広い懐にすっかり呑み込んだ城を持つファブールの民は、生活に関わる一切を屋根の下で行うことができる。内部を貫く廊下は幅広く、天井は高く、建物内部であることを忘れてしまいそうだ。全ての家は壁を経て並び、広場や市は広間ほどの廊下に開かれている。 
 一行を中央広場の一角にある喫茶店のテラス席へと案内したヤンは、拳を相の手のひらに押し付けるファブール式の礼をした。 
「只今、夕餉の用意を致しますのでな、しばしここでお待ちあれ。」 
「精進料理ってやつ? イイねぇ、トウフっての、あれ美味いんだよなぁ。」 
「ほほう! 流石エブラーナ王殿、よくご存知ですな!」 
 ヤンと共に、カインもエッジの博学に感心する。各地の名物に精通しているのはさすが国王の面目躍如というところだろうか。 
 ヤンと入れ替わりに訪れた店主が一行に茶を振る舞う。代金の受け取りを固辞する店主に、半ば執念でもって相応の硬貨を握らせることに成功したカインは、晴れ晴れしい気持ちで椅子に深く腰を下ろした。テラス席からは活気に溢れた往来がよく見える。 
「エッジさん、トウフってどんなものですの?」 
 お茶を吹き冷ましていたポロムが、ヤンとエッジの会話に出てきた単語の意味を机越しに問うた。 
「お、知らねぇか。トウフってなぁ、生成色でこういう形してんのよ。」 
 エッジの手が空中に立方体を描く。予想を裏切る形状に、実物未見の悩み眼が集まった。 
「木の枠でな、こういう形にすんのよ。こう、ぎゅーっと固めてな。」 
 茶碗から立ち上る湯気を吹き払う勢いで、エッジの手はせわしなく立方体を描く。 
「草をちぎって入れたやつも美味ぇんだわ、これが。」 
「……それは本当に食べ物なのか?」 
 遂に耐えきれず、カインは素直な感想を口にした。エッジが手で描くその形、そして木の枠を使って固めるという製法から思い浮かぶのが、どうしても一つしかない。 
「オイオイ何言い出しやがる、美味いんだって!」 
「煉瓦しか思いつかん……」 
 脳裏に描かれた鮮やかな想像の中、喜色満面のエッジがフォークで串刺した白煉瓦を頬張る。普通の人間では歯が立たないだろうが、モンクやニンジャーなら分からない。 
「待てオイ何で煉瓦食わなきゃいけねぇんだ、トウフと煉瓦を間違えるような奴ァな、それこそトウフの角に頭ぶつけて――」 
「人殺し!」 
 エッジがファブールの成句を言い切るより早く、鋭い少年の声が穏やかならぬ突っ込みを入れた。一同の視線を集めたパロムはきょとんと目を丸くする。 
「へ? な、なに?」 
「人殺し!」 
 再び少年の言葉が響く。と共に、カインの後ろ背に鈍い殴打が叩きつけられた。 
 立ち上がり振り向いたカインの目に映るそれは、殺気にも満たぬ幼い怒り。 
 パロムと同じ年頃くらいの少年は、その腕と同じく細い枝――恐らく店の軒先に積んであった薪だろう――を再び振り上げた。 
「マオ、よさないか!」 
 警句を発した店主がカウンターを飛び越え、背後から少年の腕を押さえる。騒ぎの気配が往来の流れを塞き止めた。 
 少年は自由にならない腕を力任せに振り上げ、棒の先で真っ直ぐカインを指す。 
「こいつは人殺しだ、こいつが魔物を連れて来たんだ、こいつのせいで父ちゃんは、父ちゃんは――!」 
 少年の言葉の意味するところ。それは――カインは首を絞められたかのような窒息感を覚える。 
 回した視線は、周囲を取り巻き動きを止めた人々、そして、少年を抱き止める店主の目にさえ浮かんだ、微かな恐れの色を見る。広場の真中にぽかりと口を開けた時の淀みで、その中央に立つカインの両手に双子がそれぞれぶら下がった。幼い直感で押し潰すような雰囲気を感じたのだろう彼らの小さな手を、せめてもとしっかり握り返し、だがカインの視線は自然と落ちる。 
――そうだ。 
 ヤンは旅を共にした仲だからこそ、辛く当たらなかっただけだ。この国は、かつて自分が侵攻し、陥落させた――。 
「あー、その通り! こいつは人殺しだ。」 
 空気を切り裂いて凛と響く声。いつしかテラス席を取り巻く群衆の最前に移動していたエッジは、大仰に身を屈め足下に転がる瓦礫片を拾った。 
「いくら王様の仲間だとは言え、到底許せるモンじゃねぇよな。そうだろ?」 
 固唾を呑んで事態の成り行きを見つめる人々の目の中で、黄褐色の瓦礫片が骨張った手のひらの上を舞う。 
「どうだい、一丁こうしてやろうぜ。」 
 エッジの腕が弧円を描いた次の瞬間、カインの額にがつんと衝撃が走った。咄嗟に首を反らしたが、額からなま暖かい流れが溢れ出る。眉毛の上で一度は受け止められた流れは、呆然と瞬く瞼の動きに揺られ目頭まで落ちてきた。 
 子供の悲鳴が二つ、押し黙り閉塞する空間に響く。 
「エッジさん、何てことを!」 
「ニィちゃん血が出ちゃったじゃないか!」 
「血が出たっくれぇ大したこっちゃねぇだろ、そいつは人殺しだぜ?」 
 なぁ?とエッジは観衆を振り返り、人々に余韻のざわめきを巻き起こす。 
「ほれ、みんなもやろうぜ。どうしたい?」 
 威勢良く煽っても、後に続く気配はない。エッジは再び瓦礫片を拾い上げ、今度は先ほどより大きく振りかぶった。 
 横手に投げ出された瓦礫片に呼吸を止められ、膝から力が抜ける。崩れるように膝を付き背中を曲げたカインの目の前に、手のひらの半分にも満たない大きさの瓦礫片が転がった。鳩尾から背中まで鋭く突き抜けた衝撃を、こんな小さなものがもたらしたとは俄に信じがたい。 
「やめろーーー!」 
 竜騎士が地に膝を付いた瞬間に、とうとうパロムが弾け飛んだ。腹に小さな拳の連打を受け、エッジはじりと一歩退く。 
「やめろやめろ、ニィちゃんに酷いことすんな! ニィちゃんはみんなを助けるために頑張ってるんだぞ、仲間なんだぞ、何で石ぶつけたりするんだ!」 
 隊長と慕う男の豹変に脳の処理が焼き付いたか、制御不可能となった激情がパロムの瞳から溢れ出る。わんわんと泣きながら、それでも殴打を止めない少年を右肩に軽々担ぎ上げると、エッジは再び瓦礫片を選んだ。暴れるパロムに胸板を蹴られるがまま踵を回し、喫茶店主の腕の中で唇を噛みしめる少年の前に立つ。手首を取り上げ手のひらに瓦礫片を落とすと、灼熱に触れたかのように少年の体が震えた。 
「ほれ、親父の仇だろ。その手でぶち殺してやんな。」 
 言い放つエッジの声に気圧されてか、少年を押さえていた男はその腕を解いて後退る。エッジの指が、支えを失い呆然と立ち尽くす少年に眼の正面を指した。 
「あの、人殺しをよ。」 
 手にした石とエッジを交互に見つめる瞳があからさまに揺れる。やがてよろよろとエッジを押し退けた少年は、蹲るカインの元へ歩み寄った。 
「やめて!」 
 萌葱の導衣が少年の行く手で大華と開く。蹲っていても優に二倍はあろう竜騎士の体を全て隠してしまおうと、少女は懸命に細い四肢を突っ張った。 
 潤んで燃える少女の瞳から逃れ足下へと顔を沈めた少年は、俯いたまま両手で石を振り上げる。衝撃に備え、ポロムはぐっと腹を据えた。どんな苦痛に襲われようと、ここから退いたりはしない。 
 覚悟を決めた少女の目の前で、カチンと氷の溶けて軋むような音が響く。 
「――出てけ!」 
 瓦礫片を脇へ落とした少年は目頭を拳で擦り、路地の向こうへ走り去った。 
 
 寄せる波の洗う砂が夜風に揺らぎ、ささやかな声を上げる。冴え渡る円月の刃紋を映す大海は凪ぎ、喫水線の下に現れた船小屋の窓に掛かる遮光布の模様さえ、はっきりと分かるほどだ。 
 都市の南端から林一つ分隔たる、港の脇に立つ小さな小屋。食堂と呼ぶにはあまりに質素な、船を待つ客のために設えられた一室で、二つの人影が一つの鍋を囲む。 
※滅相顔を対面に置いたまま糧に食らい付くのも気が引けるが、手を引き込めておくには目前の白豆腐はあまりに良い頃合すぎる。ふわふわと目の前を踊る湯気に、空腹は募るばかりだ。先んじる無礼の許可を得、エッジは鼻の先にぶらさがる好物に木匙をまっすぐ差し込んだ。 
「面目次第も無い……!」 
※頭いっぱいに打ち響いていた食の幸福を告げる大鐘が鳴り止む。ふと気付けば、臙脂の僧服が机の上にすっかり伏していた。痛烈な悔念を宿した顔に辮髪がちょろりと垂れる。 
「おいおい止してくんな、謝られる謂われはねぇよ?」 
 木匙を椀の縁にかけ、エッジは苦笑する。快適な寝屋と豪勢な夕餉を振る舞われ、その上なお頭まで下げられてはこちらの面目こそ立たない。 
「マオがあのような非礼な振る舞いを致すとは……!」 
「何の、大僧正にそこまで恐縮されちまっちゃあこっちの立つ背がねぇや。」 
 実際のところ、危険な試みではあった。一年という時間が、憎しみ全てを洗い流すに足りるとは思えず、血が大衆を奮い立たせない保証はない。しかし、ファブールが礼節を厳しく己に課する国だという事実は、賭けるに値するものだった。 
「で、そのマオはどうしたい?」 
「僧の元で坐禅を組ませております。」 
 大僧正の眉根を曇らせる溜息が、伏された瞼を静かに震わせた。 
「そりゃ厳しいな。」 
「荒れた心は眼を曇らせます。……曇りの無い眼になって初めて、カイン殿の心の在処が見えましょうぞ。」 
 すまないの一言で夕食を断った竜騎士は、今頃あの扉の向こうでどんな顔をしているのだろうか。 
 『一生口利いてやんない』というオマケ付きの絶交を声高に宣言し、ばたりと大きな音を立てて閉まったままの扉にちらりと目をやる。同じことを思ったらしいヤンもまた、扉へと目を向けた。 
「……今すぐにでも詫びさせたいところですが……。」 
 ヤンの深い溜息が鍋の上に漂う湯気を散らす。 
「誤った足跡は自ら見付けなければ意味がありません。我らに為せるはただ、此度マオが道を正しくする機会を得られのだと願うのみ……。」 
「ま、大丈夫だろ。」 
 木匙が湯の中で踊る白木綿を捕まえる。 
「ああ見えてアイツは案外、巧いことやるのさ。」 
 もしこの先、少年が許したいと願ったならば、その想いに応える行いが必ず示されているだろう。そう信じられるからこそ、自分は今こうして夕食を満喫していられるのだ。 
「ご馳走さん。」 
※湯豆腐の欠片まで残さず放り込んだエッジは、空になった鍋に向かい神妙に手を合わせた。 
 
 卓上に据えた燭台の灯火を頼りに、皮紙の上をペンが滑る。 
 はたして、今日の出来事を如何に書き留めたものか、思案に飽いたポロムがふと顔を上げると、真横にカインの顔があった。 
「あ、か、カインさん!」 
 ポロムは慌てて机に散った皮紙を回収する。 
 少女が流暢に文字を綴る様に感心していたカインは、誤綴を指摘するため伸ばし掛けていた指を体の横に戻した。 
「覗くつもりじゃなかったんだが……すまん。」 
「いいえ、お怪我は大丈夫ですか?」 
「ああ、怪我と呼ぶほど大袈裟なものじゃない。」 
 カインはすっかり癒着した額の小さな傷を撫でる。出血こそあったものの、実際の被害は破片の角に表皮を軽く撫でられただけだ。 
 男の無事な様子に、ポロムは胸をなで下ろした。 
「良かった……。」 
「怪我がなくったって、オイラ、隊長のこと絶対許してやんない!」 
 ポロムの言葉と入れ替わりに、書机後ろのベッドで大の字になっていたパロムがばたばたと埃を立てる。 
「絶対絶対ぜーったい! 許してやんないもんね!」 
「エッジが悪いわけじゃない、あの時は、ああするより他に仕方なかったんだ。」 
 カインの言葉に、一際勢いよく埃を巻き上げパロムは跳ね起きた。 
「しょーがなくなんかないやい! 仲間に石をぶつけるなんて、サイテーだっ!」 
 ぷんぷんと頭上で振り回された握り拳は、しかしぽとりと膝に落ちる。 
「隊長のこと、信じてたのに……」 
 幼い双子にとって、エッジの行動は自分との決定的な仲違いに見えてしまったのだろう。いつもなら弟をたしなめるはずのポロムも口を噤んでいる。 
 エッジが何故あんな行動を取ったのか――自分は理解しているが、さて、それをどうやってこの幼い二人に納得させたものか。 
 ――もし、セシルだったら。 
 人と人の心の間に生じる諍いごとを目の当たりにするたび、幾度となく浮かんできた言葉。もし、今この場にいるのが親友だったなら――人当たりが良く、人心の機微を捉える事に長じた彼だったら――もっと巧くやれただろうか? 
 もし今この場にいるのが自分ではなく、セシルであったならば、子供達は何の問題もなく楽しい夕食を囲んでいられたのかもしれない。 
 だが、それは考えても仕方のないことだ――己のつまらない想像に、カインはしっかりと終止符を刻む。 
 今こうして双子の前にいるのは、他の誰でもない、自分なのだ。そして、この幼い二人がこうして薄暗い部屋にいて、さぞ空腹だろうに――平地とは言え相当な距離を歩いたにも関わらず、彼らは軽い携行食とお茶しか口にしていない――夕食の席に付かないのは何故か。 
 彼らが、他の誰でもない自分を信じてくれているからだ。 
 カインは姿勢を正した。真っ直ぐな子供達の言葉を聞くのに、視線が縒れていてはいけない。しっかりと向かい合い、ぷっくりと頬を膨らませた少年の肩に手を置く。 
「なぁ、パロム。パロムはニンジャー魔導師になりたいんだろう?」 
 必要なのは、どんな返答にも揺らがない覚悟の力。双子が納得出来る言葉を、今の自分は持たないかもしれない。だからといって口を噤んでしまえば、永遠に正解に近づけない。正解の言葉は会話の中で模索していくべきものだ。誰もが何度も試行錯誤を繰り返し、少しずつ近付いていく。 
「忍者魔導師やめた! オイラ、ニィちゃんに竜騎士教わって竜魔導師になることにする!」 
 突拍子もない発想に出鼻を挫かれ、カインは早速言葉に詰まった。 
 とりあえず、竜魔導師とは具体的にいかなるジョブなのだろう。次の三つの中から選びなさい――脳裏に選択肢が表示される。 
 その1、竜に乗れる魔導師。その2、槍を使える魔導師。 
「びゅーんてジャンプしてスタッて降りて魔法使うんだぜ!」 
 正解、その他。 
 言った本人の頭には明確な青写真が浮かんでいるのだろうが、聞いている側はさっぱり要領を得ない。魔法を使う直前に垂直離着陸を行うことに一体何の意味があるのだろう。 
 竜騎士自らが思うアイデンティティと、世間一般から見た竜騎士イメージとの乖離にカインは苦笑を浮かべるしかない。 
「パロム、とても言いづらいことだが……竜騎士になると魔法を使えなくなるぞ?」 
 ひとまず、少年の初歩的な認識違いを指摘する。 
「え!? 何で?」 
 もすもすとベッドで跳ねる少年の肩を押さえ、ついでに腰を落としたカインは、なるべく分かり易いように論理の積み木を組み替えた。 
「幻獣召喚術と、それを扱う召喚士のことは知っているな? それと似たようなものなんだが……」 
「でもさ、ショーカンシのリディア姉ちゃんは黒魔法使えるぜ?」 
「ああ、普段はな。しかし、幻獣を呼びだしている間は、他の魔法を使えないだろう? 俺達竜騎士の、高くジャンプするための力や、飛んでいる間に姿勢を変えたりする力は、全部竜の力を借りている。つまり、竜騎士はずっと、竜を呼び出して戦っているのと同じなんだ。」 
 この説明で分かってくれただろうか。はたして、知恵の光をきらきらと宿す大きな瞳は、理解と引き替えに失望を浮かべた。 
「竜魔導師だめなのか……でも、やっぱり忍者魔導師はヤメ! もう隊長っても呼ばない!」 
 新しく考えついたジョブへの道は閉ざされたものの、やはり当初目指していた忍者魔導師の道へ戻るつもりはないようだ。 
 カインは少年の瞳を真っ直ぐ見た。 
「……パロム。セシルと初めて会ったときどう思った?」 
 口を付く親友の名。それが当然だと思えたことに自分でも少し驚く。 
「セシル兄ちゃん? えっとね……」 
 腕組みをしたパロムはしばらくうんうんと考え、それから顔を上げた。 
「えっとね、セシル兄ちゃんはいいやつだぜ! でも、最初の時はちょっとキライだったかも……だって暗黒騎士だし、ミシディアでひどいことしたんだ。でも、オイラはセシル兄ちゃんがいいやつだって分かったからいいよ!」 
 えへんと少年は胸を張る。カインは少年の頭をぽんぽんと撫でた。 
「そういうことさ。」 
「……って言われても、よく分かんないよ……。」 
 体よくあしらわれた風に話を切り上げられ、パロムはぐるぐると悩みを回す。その腹が、くぅと泣き声を上げて空腹を訴えた。 
「うー……」 
 腹の虫と疳の虫の一大決戦場となった腹を抱え、少年はごろりと横になる。 
「ほらパロム、絶交していたらエッジだって謝れないだろう?」 
 ベッドの傍らを離れ、部屋を横切ったカインはノブを回し押す。開いた扉の隙間から明かりと共に芳ばしい湯気が流れ込んできた。 
「ポロムも。腹を空かしたままだと船酔いするぞ?」 
 カインの言葉に双子は互いの顔を合わせる。無言の合議は小さな腹に居座る空腹派に押し切られる形で決着したらしい。二人ほぼ同時に、それぞれ暖めていた場所から立ち上がった。 
「カインさんは?」 
 弟と手を繋ぎ廊下に立ったポロムは、部屋の境界に立ったままのカインを振り返る。 
「少し海の様子を見てくる。俺の分は残さなくて良いと伝えてくれ。」 
 伝言を託したカインは、双子が廊下を曲がるまで見届け、自身は部屋から桟橋の方へ通じる扉を開けた。 
 
 橋桁に寄せてくる波が小さなしぶきを手の甲にまで打ち上げる。桟橋の縁に腰を降ろしたカインは、遠く漆黒の海を眺めた。 
 パロムはみんなを救うためだと言ってくれたが、本当にそうだろうか? もしバロンの異変ではなかったら、傍観を決め込まないまでもこんなに真剣ではなかったかもしれない。父親を失った少年の許しを請うべくもないが、せめて、自分を庇ってくれた子供たちの思う通りの姿でいたい。 
「うーっす。」 
 背後で木戸の開く音がし、軽く橋板を踏む音が近付いてきた。顔は向けず、手を上げて応じる。 
「本当に飯いらねぇんかよ? つっても全部食っちまったけどな。」 
「ああ、いい。携行食がまだある。」 
 ざぶざぶと橋桁を洗う波の音が響く。凪の彼方に耳を澄ませると、どこから吹き寄せるとも知れぬ風に乗って鳴き声が聞こえてきた。大笛のようなあの声は、首の長い海竜の口から発されるものだろう。 
「船旅ばっかりは順風満帆といきてぇところだな。」 
 同じ懸念を抱いたのだろう、エッジの呟きが風に流れる。 
「珍しいな、お前からそんな言葉を聞くとは。」 
「かー! お前の時化っ面が伝染っちまったぜ。早ぇトコ寝よ。」 
 大仰にうんざり声を発したエッジは、潮風に吹き晒しの相棒に手を差し伸べた。 
「ほれ、お前もな、こんなトコに座ってっと錆びちまうぞ。」 
「ああ。」 
 素直に手を借り立ち上がる。引き上げた腕をそのまま頭の後ろに組み、くるりと踵を返した痩背に、カインは声を掛けた。 
「エッジ。」 
 歩みが緩み、月の光が頬郭を白く闇に浮かばせる。 
「嫌な役をやらせたな。」 
 すまない、と続きかけた言葉を遮るように、エッジはひらひらと手を振った。 
「なに、この一連収めるにゃあまだまだお前さんの力が要る、それだけのこった。」 
 フッと笑みがこぼれる。彼はきっと、そう言うだろうと思った――括りから落ちた髪が海風に揺られる。昼の熱をすっかり失った湿気が、今は心地良い。 
 無人の桟橋に響く海竜の鳴き声は、やがて星の輝きと共に薄れた。 



五章前編
 ブラシで乱暴に擦りつけたような掠雲の下、真白い帆は風をはらみ、群青の中心を船が揚々と進む。 
「よぅ、お客人がた、乗り心地はどうだい!」 
 船縁に立つカインとポロムの元に、一際光るファブール徽章を襟に飾った大柄な男が一人、歩み寄ってきた。 
「結構、揺れますわ……」 
 ポロムが怖々と感想を述べる。優美な船姿とは正反対の無骨な船長は、右へ左へ揺られる少女の頭に無骨な掌を力強く被せた。 
「揺れるのはな、お嬢ちゃん、こいつがうんと早く走ってるからさ!」 
 半ば強引に持ち上げられたポロムの頬を、船の蹴立てる波飛沫が叩く。 
「どれくらい早いんですの?」 
「どれくらい、だってぇ? そうさなぁ〜……」 
 大仰に腕を引き上げ、短く刈られた顎髭を撫でる船長の態度は、待ってましたと今にも叫び出しかねんばかりだ。案の定、その表情はすぐさま不敵な笑みへと塗り替わり、風切り音を伴なって両腕が大きく広がった。 
「これまでの船がそよ風なら、こいつは大嵐だ! シードラゴンだって追いつけやしねえ、ファブール最新高速戦艦様たぁ、こいつの事よ!」 
 船長の大見得に気圧され逸り返る少女を抱き留め、カインは鼻先を湿らせる風を緩く吹いた。出航前にヤンから聞いた話では、クリスタル戦役時に起きたリヴァイアサンによる海難事故を受け、海上交通手段に掛ける予算を増額し、ファブールーミシディア間を結ぶ最長航路の更なる安全性向上が計られたのだという。且つ、戦後行われたバロンとの技術交流により、新型の高速戦艦建造さえ実現させるに至ったのだそうだ。 
 思い返せば先々週、ミシディア市街へ買い出しに出掛けた際に、ファブールの新型艦が外洋走行試験を無事終了した報は噂に聞いていたが、まさか自分がその船の処女航海に乗船できようとは思いもしなかった。 
「さあさあお客人がた、風さえ向けば明日の朝、いや、今日の夜、いやいや! 今すぐにでもミシディアに着いちまうぞ! 船旅を楽しむなら今の内だ!」 
 旅の安全を力強く請け負い、船長は高笑いと共に踵を返す。船長の自信を裏付けるだけの仕様を誇る船だと知りつつも、カインは懸念顔を波間から引き上げることが出来ない。 
 一方、甲板上を所狭しと走り回るパロムを肩車に捕まえたエッジは、縁からやや距離を取って心配性分の背中に声を掛けた。 
「夜通し鳴いてりゃさすがに寝てんだろ。ま、一頭きりてぇ保証はねぇが。」 
「ああ……。」 
 曖昧な音で答え、視線を海に泳がせる。船縁の格子に小さな両手をしっかりと固定したポロムは、潮風に晒される唇を結んだままのカインをじっと見上げた。 
「隊長、船の中! 船の中見に行こうぜ!」 
「へいへい了解しました、パロム様。」 
 専用の自走式展望台を手に入れたパロムは、船旅にすっかりはしゃいだ様子だ。一等席に陣取る客に景気良く頭を張られ、エッジは口を捻曲げる。仲直りと引き替えに一日何でも言うこと聞きます権を与えてしまったのは失策だった。 
「まずは食堂へトツゲキだー! お菓子をもらって、ニィちゃんたちの分ももらって、それからそれから――」 
「ってぇコラ暴れんな、海に落っことしちまうぞ!」 
 少年の暴れ足を押さえつけ、エッジはくるり方向転換する。 
「カインさん、私たちも中へ参りましょう。」 
 船室へ続く扉に向かう賑やかな肩車を見送ったポロムは、もう一人の保護者の手首にそっと触れた。 
「ここはちょっと寒過ぎますわ。」 
「ああ……そうだな。」 
 海風の時化を吸い冷えた少女の指先が控えめに袖口を引く。その手の微かな震えは、竜騎士が船出から握り続けた懸念の紙帯をようやく手放させた。 
 甲板上でどれだけ熱心に足踏みしたところで、船足が速まるわけではない。舵を預かる相手を信じ、快適な船旅を楽しむことこそ、客として尽くせる最高の礼儀ではないか――船室へと続く扉を指した爪先はしかし、波飛沫に混じり響く咆哮に押し止められた。 
「右舷前方、二時方向より未確認物体接近! 距離千三百!」 
 マストに登った見張りが、迫り来る危険を示す。その一声で、甲板上を流れる空気が一変した。増援の見張りが矢のように甲板を駆け抜け、マストに飛び付く。 
「そうは問屋が卸さねぇってか!」 
 慌ただしく行き交う船員たちの間を縫い、エッジはパロムともども船縁まで引き返した。右舷側船縁に集合した一行は、見張りの示す方向に視線を揃える。しかし、未だ水平の下に潜む敵は、甲板上からでは確認出来ない。 
「相手は何だ!」 
 荒い潮風に船長の緊と張りつめた声が抗う。 
「種別シードラゴン、一頭!」 
「巨大な個体です! 全長二十七……いや、三十メートル!」 
 新たに二人加え、計六つとなった眼が次々と情報を甲板に投げ降ろす。船縁の一行が荒くなり始めた波足に平衡を崩され姿勢を保つのがやっとでいる間にも、着々と本来この船のあるべき戦闘艦の体が成されていく。 
 熟練した船員達が見せる統制の行き届いた動きは、カインにバロンの精鋭・飛空艇部隊のそれを思い起こさせた。人の自由にならざる世界、海と空の違いはあれど、そこを進む『船』の術が似通うのは至極当然と言えようか。 
「こりゃあ出る幕ねぇかもなぁ。」 
 エッジの言葉は安心半分拍子抜け半分といった風だ。しかし、船上戦闘が発生する可能性が皆無となったわけではない。カインは荷から得物を抜いた。足場の揺れる船での戦闘には不慣れだが、船員達の手煩を幾つか減らすくらいならばこの槍でも叶うだろう。 
「船長ォ!!」 
 直後、見張りの絶叫が甲板に降り注いだ。 
「どうした!?」 
「サーペントです! ドラゴンじゃない、シーサーペントだ!」 
「背面に鋸歯状帆確認! 間違いありません!」 
 新たな情報が甲板にざわめきを巻き起こす。 
「シーサーペントだと!? まさかこんな場所で……!」 
「バカな、有り得ない!」 
 船員たちの動揺は、竜騎士である自分の比ではないだろう。兵学校陸兵科で掻い摘む程度の基本生物史でさえ、シーサーペントの住処は深海であり、海面にまで上ってくることはないことを常識として教える。大嵐の過ぎた後などのごく稀な条件下で、死んだ個体が漁網に掛かった例はあるが、生きた――しかも、熟練の見張りが、一見竜と見まがうほど巨大な――個体との遭遇となると、数多記された航海史をくまなく当たったところで前例を見付けることはまず不可能だろう。 
 それはつまり、この不幸な遭遇の起こりうる可能性が奇跡にも等しい確率であり、かつまた、奇跡の遭遇から生還した人間など一人もいないという事実を示している。 
 一人も? ――いいや。 
 カインの背筋を嫌な汗が伝う。巨大なシーサーペントとの海上遭遇――自分は、被害者が生還した奇跡を、たった一例知っている。だがそれは、船乗りの間で忌まわしき伝説と語り継がれた――恐らくは、同じ予感に行き着いたのであろう船長は、自身も懐から取り出した単眼鏡を伸ばし、水平線の向こうへレンズを向けた。 
「船長、逃げましょう! あいつにゃ……勝てっこねえ!」 
「バカ言うんじゃねえ、願ったり叶ったりの弔い合戦よ! 客人方にこいつの真価を見せてやれ!」 
 部下の泣き言を叱りとばし、船長は空き手で後方に控える航海長に合図する。航海長の指揮の元、数人で組みとなった船員達が、大広間に敷かれた絨毯よりも巨大な帆を見事な手際で折り畳んだ。 
「螺旋推進器、起動!」 
 航海長の号令に応じる船員たちの声が海風をなぎ倒し、次の瞬間には轟と響く重低音が甲板を揺るがした。 
 突然の速度変更に、エッジはあわやひっくり返されかけた姿勢を辛うじて柵に繋ぎ止める。 
「何事だぁ!?」 
 保護者の手を離れてしまった少年の首根を素早く捕まえたカインは、船の両側面に高く聳えた水壁より飛来する潮粒に目を細めた。 
「この船が最新鋭と呼ばれる所以だ……恐らく。」 
 カインの脳裏で、出航直前目にした船体図が鮮やかに広げられる。水面下深く貫く可動ブレードと、船尾間近に据えられた一対の末広筒。末端が大木ほどもあるその筒に収められた幾枚もの羽が回転し、信じられないほどの洋上高速機動を可能にする――これぞ、バロンの誇る飛空艇推進装置・多翼螺旋推進を船舶装備へと転用昇華させた代物だ。飛空艇と同じく可載燃料の都合により短時間に留まるとはいえ、平均帆走速度のおよそ二倍にも達する自由機動力は、特に戦闘のような局面では多大な優位性をもたらす。 
「面舵いっぱい!」 
 船長の号令を受け、操舵手が舵輪横に据えられたハンドルを回す。カインとエッジはそれぞれ子供をしっかりと抱き込み縁の格子に捕まった。急激な方向転換に、甲板が軋みながら大きく傾く。 
「海上戦闘準備!」 
「左舷砲、準備よし!」 
 潮風に紛れ、金属と火薬の匂いが立ち上った。砲門蓋を弾き飛ばす勢いで突き出された左舷船首側の三連砲台は、冷たい黒鉄の火を放つその瞬間を虎視眈々と待つ。 
「よぅポロ。」 
 徐々に肉薄する危難を前に、エッジは腰に差した剣の柄を鳴らした。 
「レビテトってなァ海の上でも効くもんかい?」 
 問われた少女は、緊張に高鳴る胸に一際強く杖を抱き込む。 
「はい。……ですが、水はとても不安定ですから、集中して魔法をかけ続けなければなりませんわ。」 
「お一人様限定ってこったな。いっちょ予約頼むぜ、」 
 エッジは顎をしゃくった。 
「そこのへっぽこ竜騎士によ。」 
 耳の隅に聞いていたやりとりの締め句に名指しされた男はしばし面食らった。確かに、船に乗り合わせた中で最も重く、かつ着脱の困難な装備である自分にとって、水中への落下は命取りに直結する。 
 しかし、せっかくの厚意だが、それが報われるような事態にはならないほうがいい――右旋回を終え航路をやや外れた船の左舷側、甲板に立つ者の目にも敵の姿が徐々に見え始めた。 
 青磁の波柱に入り混じる澄んだ水色の輝き。目を細め、波間に霞むその全容を補正する。 
 足底から頭の天辺まで一息に貫くような咆哮が、甲板上にある全てを揺るがした。白炎のように海が噴き上がり、大顎を開いた青い海蛇が空を舞う。尾から伸びる長い鰭が、上質な紗のように風を抱いて揺らめいた。 
「様子が変だな……。」 
 海蛇と共に喫水線から現れた違和感を、カインは口まで昇らせる。 
「そりゃあ、奴さんとてこんな場所くんだりまで出て来てぇわけじゃなかろうよ。」 
 空中でくしゃりと結ばれた蛇の体は、片端から引き解かれるようにするすると紺碧に吸われ、再び盛大な水柱を立てた。それはまるで子供が綾紐を繰るかのような、ある種の優雅ささえ備えて見える――しかし。 
「とっても苦しそう……泣いてるみたいですわ……。」 
 カインの胸中を占める感覚を、ポロムが素直な言葉に置き換えた。命の理を司る白魔導師の所感は恐らく正しい。問題は、果たしてそれを船長に具申して良いものか。 
 迷いを抱いたまま、蛇の舞踊をただ見つめる。今はまだ掌中に収まるその姿。だが実際は、尾の一振りで容易に船を転覆せしめるほど巨大な、海に於ける最大の脅威なのだ。 
 海は人の自由が利く世界ではない。最新鋭の高速戦艦とは言え、本質的には水面に浮かべただけの器同然――それは、たった一度の大波にさえ足を挫かれることのあるほど脆い――には変わりなく、また、螺旋推進装置をもってしても機動能力の差は比べるべくもない。大砲による攻撃射程の優位があって尚、或いはそれでも、打ち倒すには多少の犠牲を覚悟しなければならないだろう。 
 そんな状況で、先手を取れる機会を捨てさせるのは、非常に危険な賭けだ。 
 逡巡する間にも彼我の差は着実に狭まる。船の行動を決定するには、最早一刻の猶予すら無い――相手の懐と言える距離に入ってしまってからでは遅すぎるのだ。 
「後片付けなら手ぇ貸してやんぜ。」 
 視線を回した先で、相談の前に答が返った。 
「オイラの魔法でやっつけちゃうもんね!」 
「カインさん!」 
 ポロムがこっくりと頷く。もし最悪の結果となったとしても、始末を付けるために助力してくれる皆がいる――後押しを受け、カインの足は船長の元へと動いた。 
「船長、攻撃を中止してもらえないか?」 
 突拍子もない申し出に、単眼鏡から剥がれた眼が真円に見開かれる。大僧正より直々に特別の待遇を頼まれた客人の顔を、船長はじっと矯めた。 
「妙な事を言ってすまん。だが、あのサーペントはこちらを恐らく見ていない。針路を逸らせば回避できる。」 
「おい、自分が何言ってんのか分かってんのか? あいつは――」 
 船乗りの忌語であろうその名を口にすることは躊躇われたか、船長は捻曲げた唇の端に声を濁す。カインはもう一歩身を乗り出した。 
「無論承知の上だ。先手を取らなければ万に一つも勝機は無いだろう――だが、交戦せずに済むならそれに越したことは無い。違うか?」 
 真っ直ぐに前を見据えるカインの眼差しに吊られ、船長もまた船嘴の先へ顔を戻す。 
「間もなく射程! 距離四二○、三九○……三三○、」 
 遠望鏡を手にした航海長が、艦砲有効射程到達までのカウントダウンを始める。 
「バロンの竜騎士さんよ。」 
 刻々と迫る最終期限を目前に、船長は再びカインの顔を見据えた。 
「その判断、ここに居る全員の命を賭けられるってんだな?」 
「いいや。」 
 予想外の即答を受け、潮に灼けた眉間がぴくりと動く。 
「皆の命を預かったりはしない。不始末の責任は全て俺が取る!」 
 周囲に霧なす波飛沫を薄月に切り裂き、白氷の穂先が煌々と掲げられた。 
「責任って、あいつを相手に……その槍でか!」 
「そうだ。」 
 竜騎士の声は揺るぎない。真円眼を瞼で二度拭った船長は、やがて厳つい顔の隅々にまで豪笑を充たした。 
「さすがはライデン大僧正の朋友、いい度胸だ!」 
 さっと立てられた無骨な手が、航海長の読み上げを止める。船の風向き変更を察した航海長は、素早く待機を下令した。 
 呼吸さえも躊躇われるほどの緊張が、しばし船を支配する。およそ二百五十メートルの距離を保ち、海蛇と船が並ぶ。巨体の起こした波が船を煽り、膝を崩され甲板を滑った船長は、間一髪竜騎士の腕により確保された。 
 大きく盛り上がった左舷の向こう、メインマストの半ば以上にも達する海蛇の体が過ぎていく。体色と同じ青い光の膜に覆われた姿――その詳細を目にした全ての者から声が失われた。 
 優美な流線型を描く輪郭からは想像だにし得ない惨状。一体どんな悪意が働けば、この優麗な生物の体を拵えの悪い螺子回しでこれほど滅茶苦茶に穿てるものか。鱗は剥がれ落ち、黄白色の肉や、ところによっては骨さえ剥き出しになっている。 
 今もまた、苦毒に煮える体内から騰々と沸いた気泡が、僅かに残る鱗の数枚を非情にも捲り上げた。太管を力尽くに引き千切るような不快音が響き、幼い少女は遂に耐えきれず両手で顔を覆う。 
 生きながら蟲毒の海を泳がされるその姿――虚ろに開かれた顎に雪崩込んだ海水が、破れた喉から糸滝となり迸った。 
 甲板に居合わせた遍く視線を集め、青白い蛇はただ無心に滅びを舞う。 
「……最大船速!」 
 時の失われた幻のような光景を、戦域離脱の号令が打ち砕いた。速度を増した船尾と、燦々に鰭の抜け落ちる蛇の尾が、音もなくただすれ違う。 
 言葉を失くした一同の見守る船の後方、長い首の中途が段違いに折れ、命の燃え尽きた燈籠花のように頭が落ちる。先に沈んだ首を追い、ややもせず煌めく破片と霧散した体もまた波間に完没した。 
 
 丸窓を四つに区切る桟の向こうで水平線が揺れる。星夜の闇に裏張りされ鏡と化した厚硝子に、窓の張り出しに腰掛けた青年の姿が映る。壁付け二重ベッドの下段で寄り添い丸まった双子の寝息が響く室内に、一条の灯線と果実酒の匂いがもたらされた。 
「うお、暗っ!」 
 急激な明度差に目眩ましを食ったらしいエッジの口から驚きが漏れる。 
「声が大きいぞ、子供達が起きる。」 
「へいへい。」 
 戻った早々小言の歓迎を受け、宴酔気分を吹き飛ばされた男は肩を竦めた。 
「ったく、ちったぁ寛容になったかと思やァすぐこれだ。ほい、パス!」 
 銀水筒が鈍い光の放物線を描き、カインの手元に吸い込まれる。中身はエッジが食堂で胃に収めてきたものと同じだろう。水筒の頭を捻ったカインは、今度こそ小言に代わり通路の光を背に立つ男に土産を持つ手を軽く掲げ、略式の乾杯を示した。 
「明朝にゃ航路へ復帰できるとよ。」 
 軽く頭を傾け返礼を示したエッジは、空いた手を下衣ポケットに押し込み左肩を戸枠に預ける。 
「一緒に来なくて正解だぜ。あれが何かなんざ、お前こそ知りてぇわなぁ。」 
 船員たちに怪奇の解明を望まれ、口の立つ彼であればこそ巧く誤魔化したのだろう。カインは嘆息とも何とも付かない曖昧な呼気を鼻先に蟠らせる。 
「海竜の生態ならばまだともかく、幻獣ではな……。」 
 間近と言えるほどの距離で見て、確信を持つに至った。溶けゆく総身の苦痛に弄され、なおも揺るがぬ威相を鏃の如き鱗に纏ったあの海蛇は、群青の波を統べる海洋の王――リヴァイアサンの、恐らく眷属にあたる存在であることは間違いない。あるいは――考えるともなし、直感から浮かぶ推測が心を暗くする。幻獣王に比べはるかに小型な体と浅い体色――あのサーペントは、まだ幼生体だったのではないか。 
「ほい。」 
 エッジの手から再び放られた緩い球形がなだらかな放物線を描く。捕らえた掌でしゃらりと涼音を鳴らしたそれは、炒った木の実の詰め合わせだろう。 
「お前さんはもう当分の間お仕事してんだろ……ってぇオイ、ガキども固まって寝ちまったのかよ。」 
 ああでもないこうでもないと、昼の出来事を上下左右にひっくり返す相棒を煩わせる心算の無いことを早々に宣言し、ベッド下段を覗き込んだエッジは、そこに一塊の小さな丸まりを発見したようだ。 
「上を使え。」 
 ベッドを明け渡してしまえば、上級士官室とはいえ一般的な戦艦のそれよりはるかに狭い室内で、他に身を横たえられる場所は無い。だが、自分は幸い槍を支えに座して眠る事に慣れている。そして、そういえば彼には一つ貸しがあった――船上戦闘の発生に備えていた時、重装備の自分にレビテトの優先権を与えてくれた事だ。 
「おう。そんじゃ、礼としてこいつをくれてやら。」 
 これで貸し借り無し、と続けようとした矢先、枕が投げ寄越される。さすがに三度目ともなったら言うべきだろうか――投擲術を披露するのは戦闘時だけにしろと。 
 筒の半分を空ける頃、ようやく蝋燭の穏やかな明るさが視界に戻ってきた。爪先の向こう硝子を隔てた海面を見ながら、塩気を利かせた木の実を口に放る。 
「寄生されてたってぇわけじゃねぇよなぁ……。」 
 独り言じた声が仄宵の端にぽつりと置かれた。 
「ああ。そもそも、幻獣に寄生することなど不可能だ。」 
 舌の上に残る木の実片を酒で流し、会話に応じる。 
 幻界、いわば常夜の国に住まう幻獣は、この世に出る際の定まった体を持たない。召喚士の喚び出しを受けた幻獣は、境界を越えた瞬間に一種の魔力として仮定され、その後憑代を得て初めてこの世に確定する――とは、幻界で見た書物からの受け売りだ。 
 幻獣たちの怒りを恐れずに言うなれば、この世に出現する際の彼らは、試練の山に見られるレイスやスピリットのような残留思念体、生命の残像とでも呼ぶべき類に近しく思われる。つまり、ステュクスが寄生しようにも宿り先が無いというわけだ。 
「”避難”の理由はこれかねぇ?」 
「だろうな……。」 
 眠り星の災禍――自らも幻獣の血を引く召喚士の、預言めいた言葉が蘇る。既に狂ってしまった幻獣もいるのだと彼女は言った。だが、あれではまるで――カインの思考はそこでふつりと途切れた。あの壮絶な光景を形容するに足る言葉を自分は持たない。 
 そして、何よりも心を錨する問い――強大な力の具現たる幻獣にあのような惨状をもたらしたものの正体は、そして――それは、果たして自分たちに太刀打ちできるものか? 
「まぁ――」 
 衣の擦れるさやかな音が室内に響く。 
「避難したてぇなら原因はこっちの世界にあるってこったかんな。他人様の庭心配する前に、手前の庭掃除しにゃぁ。」 
 喉に逆らう言をよくぞ代弁してくれる。闇の向こうにある相棒の背に、カインは苦笑を向けた。彼こそ、幻獣に関わることを誰より案じているのだろうに――或いは、彼は真実、曰く手前の庭掃除を必ず終わらせることが出来るという自負を持つのか。 
「そうだな、お前の言う通りだ。」 
 空になった水筒と、口を結んだ木の実袋を並べて机に置く。上等な酒のもたらす心地よい怠気は、目を閉じさえすれば直ちに荒れる思考の波を均してくれるだろう。 
 枕を背に当て槍を支えに、胡座を組んで静寂に凭れる。衣擦れも絶え、残るのは波音と穏やかな揺らぎ。広大な海の中、元の岸も寄る辺も知らず、ただ波に揺られているわけではない。立ち止まって見えても足を止めないかぎり、きっと前進しているのだ――この船のように。 
 必ず岸へたどり着く、それを信じて、まず目の前の波を越えることだ。 
 
 ミシディア港。 
 波の穏やかな真昼の入り江に、細身の船が軽快な足取りで滑り込む。幻獣との遭遇以降は大事もなく、風にも恵まれ、ここにファブールとミシディアを結ぶ航路の最短記録を半日も繰り上げる偉業が成し遂げられた。 
 桟橋に横付けされた船は悠々と波の安楽椅子に腰掛け、幾つもの積み荷と旅人が無事水揚げされる様を見守る。 
「いちばんのりーっ!」 
 渡し板の最後のステップを一飛びに越えたパロムは、揺らぐことのない故郷の大地を思う存分踏みしめる。 
「こらパロム、一人で勝手に行かないの!」 
 弟の後を追い桟橋に降り立ったポロムは、駆け出そうとする服の裾を杖の先端で絡げる。 
 船長以下乗組員に篤く礼を言い別れた一行は、旅の間に増えた荷物を手にゆっくりとした足取りで町の中心、祈りの塔へと行き先を向けた。 
 久しぶりに見るミシディアの町並み。学識の都に相応しく、杓子定規に肩を並べる学者然とした白壁が、今は相好を崩して見える。石畳に温められた暖かな町の匂いに、カインは自然胸を膨らませた。 
「あーっ!」 
 突如上がった甲高い叫びが、肺一杯に充たした陸の空気を残らず叩き出す。勢い喉元まで迫り上がってきた咳をどうにか押し戻したカインは、おろおろと挙動不審な少年に声を掛けた。 
「ど……どうした?」 
「じっちゃんにおみやげ買うの、すっかり忘れてた!」 
 弟の言葉に、ポロムも小さく悲鳴を上げる。 
「ど、どうしましょうカインさん、港へ戻ってお買い物できますでしょうか?」 
 双子の焦燥ぶりに、カインは己の不手際を思い知った。バロンを出てよりこちら、故郷の異変で手一杯になり、現在世話になっている恩人の存在を失念したのは、言い訳の許されない失態だ。意図ではなかったとはいえ、結果的にこれほど遠出の旅路に大切な子供達を連れ回しておきながら、土産の一つも持たずに面会など叶うわけがない―― 
「待て待て落ち着け、わざわざ買いに行くことぁねぇって。」 
 元来た方向へ慌てて爪先を回す二対の平靴に、忍者の両腕がどっさりと覆い被さる。 
「エッジさん、長老様はバロンのお菓子が大好きなんですの!」 
「じっちゃん、きっとすっごく楽しみにしてるんだよぉ! どうしよう……」 
「エッジ、もしやお前、どこかで土産を買っておいてくれたのか? ああそうだ、カイポで渡砂船を待つ間に――」 
「まぁ、まぁ、まぁ。」 
 口々不安を言い募る三人にそれぞれ落ち着けポーズを示したエッジは、改めて双子の頭に掌帽を被せた。 
「爺様への土産ならちゃぁんとあんだろ、ここによ。」 
「? それはどういう――」 
 意図を掴みかねる相棒に向け、両手に収まる小さな頭を軽く揺らしてみせたエッジは、笑みを浮かべた顎をひょいと煽る。 
「ほれ、おいでなすった。」 
 いつの間にか丸く開けた広場の中央、真後ろに薄く作られた人垣が静かに割れ、夜闇の色に染められたローブが現れる。ミシディアをして最高位の魔導学者と認められた者のみに着用を許された名誉が着崩れるも構わず、付き従う白黒魔導師たちさえ置き去りに、ミンウの名を継ぐ老爺は一行の元へ真っ直ぐ駆け寄ってきた。 
「パロム! ポロム! おお……よくぞ無事に戻った!」 
 便りの絶えている間、どれほどの祈りがこの町の空に捧げられたことだろう。大いなる光の確かな慈悲を授かった長老は、旅装の双子を両の腕に固く抱きしめる。 
「ただいま戻りました、長老様!」 
「うわー! くすぐったいよじっちゃん!」 
 喜びに充ちた再会劇を目の当たりに、舞台袖で並ぶ相棒は無言で片目を瞑ってみせた。 
「土産、か……。なるほど。」 
 和気藹々と互いの無事を喜ぶ声に、口元が自然綻ぶ。道中ずっと背負ってきた大きな責務の一つが、確かに降りるのを感じた。 
――だが、まだこの肩にある全ての荷が降りたわけではない。 
 両手に子供達の手を提げた長老が立ち上がり、保護者二人へと向き直る。カインは一歩前へ進み出、深く頭を下げた。 
「老、長く沙汰を無くして申し訳ない。」 
「信じておらねば預けぬよ、大使殿。……して、バロンはどうじゃった?」 
 手ぶらを告げ難く、カインはただ首を振る。 
「そうか……こちらにも連絡なしじゃ。」 
 留守班もまた、生憎を告げ表情を曇らせる。 
「しかし、詳しい話は明日にしようかの。今日のところはゆっくり休むが良いて。」 
 長老に促され、その日は祈りの塔で旅の疲れを癒すこととなった。 



五章後編
 朝日を逃れた暗闇が揺蕩う小径の終点、木戸で仕切られた空間が、ほの揺らぐ人工の灯りによって充たされる。 
 ミシディア祈りの塔・地下蔵書室。書棚の林を抜け、遠征部隊四人が定位置に付いたところで、これから開かれる会議の長さを予想してだろう、長老は茶葉の缶に湯瓶も並べて机に据えた。 
「ったく、様子を探るも何もねぇや、着くなり牢屋へぶち込まれちまってよ。」 
 口火を切ったエッジは、無愛想極まるバロン城石牢の居心地を思い出したか、椅子に張られた緩衝材の座り具合を何度も確認する。 
「ふぅむ……、バロン王殿がよもやそのような強硬な態度を取ろうとは……。」 
 長老は意外を顕わに髭を撫でた。たった一年で、あの心優しい青年を変えてしまったのは一体何ものか――聖光に隠された闇の正体を見据えるかのように、知性を頌えた泉が細められる。 
 その隣で、顔の半分以上も机に埋もれた少女の髪がぴょこぴょこと跳ねた。 
「セシル様、絶対に何か知ってらっしゃるのですわ! それで、誰にも言えずに、お一人で悩んで……!」 
「ああ、そうだろうな。」 
 アイツは昔から――続く言葉が舌の根で凍り付く。故郷に背を向けていた自分が、友の人となりに関して何を言える立場ではない。 
「セシルが悩んでるってのぁ同意すんぜ。だからったって、それじゃあそっとしておきましょうってわけにゃいかねぇ事情だが……。」 
 言って、エッジは垂直に立てた皿を滑車のように回した。まだ少しも口を動かさない内から、彼の舌休めにと盛られた割り当て菓子が空になったことを示すために。 
 くるりくるりと優雅に回転する花模様を横目に、カインは腕を組む。朝食は一時間前に摂ったばかりだ。一体、隣に座った痩身のどこにそんな大容量食糧貯蔵庫が備わっているのか非常に気になるところだが、討論すべき問題を山と盛った皿の上に、そんな下らない興味を乗せる余地は無い。 
「バロン他、ダムシアン、ファブール領内に於いても、ステュクスが生物に寄生した例を目撃し、後二件に関しては、民の周知の問題となっていました。また、これは別件の可能性もありますが……幻獣界にも何らかの影響が及ぼされているようです。」 
 努めて簡潔に、赤く血の色に塗り替えられた地が既に複数あることを議長に告げる。心の揺れを受けてか、賢老の閉ざされた瞼が微かに震えた。 
「……このミシディアに関しては、大使殿らが早急に手を打ってくれたおかげで、市民は平静を取り戻しておる。この国の民は元来あまり他国の様子を気にせんからのう……じゃが、」 
 もしこの先、ステュクスの存在が公に認知されるような事になれば、国家の体をも揺るがすほどの大混乱を巻き起こしかねない。学究を極め魔道をのみ一心に歩む徒とは言え、人に寄生する怪物の存在を目の当たりにしては、その歩みを乱さずにいられないだろう――こと、それがバロンと因縁浅からぬと知れた日には。 
「大使殿、これはミシディアの長としてではなく、私的な頼みなのじゃが……今しばらくの間、ステュクスの調査を継続してはもらえんか?」 
「ねねね、それって、またニィちゃんたちと一緒にボウケンするってこと!?」 
 話の輪に加わろうと試みるたび姉の鉄拳を見舞われていたパロムが、満を持して声を上げた。 
「こらパロム、お話の邪魔をしないの! というわけで、カインさん、エッジさん、ふつつか者ですが、これからもよろしくお願いいたしますわ!」 
 弟を窘めつつ、ポロムはしっかり自己宣伝を忘れない。 
「おっと先に言っとくぜ、国へ帰れだぁ? 嫌なこった! 毒を喰らわば皿までよ!」 
 素早さを身上とする忍者もまた、先制攻撃を終え満足げに笑う。かくして、長老から指名を受けたリーダーが返答を選んでいる間に、すっかりと調査隊の再結成が完了してしまった。カインは茶器を燻らす温靄に小さな嘆息を吹きかける。 
「願ってもありません、老。むしろこちらから、調査継続の許可を願おうと思っていたところです。」 
 長老が頷くのを待ち、カインは継句を解放した。 
「……また、エッジ、パロム、ポロムの三名についても、共に調査に当たることをお許しいただきたい。」 
 現実に、依然として正体の掴めぬ敵との対峙が確実な旅となる以上、これまで得られた対ステュクス戦の経験は強力な武器となる。そして何より、この雰囲気の中で単独行を言い出せるような強情は、多分、持たなくて良いのだ。 
「それで、今度はどちらへ参りますのっ?」 
 少女の無邪気な問いに、大人三人は揃って深く唸った。 
「そいつを今から決めるとこなんだなぁ〜これが。」 
「闇雲に動き回っても埒があかんだろうからな。ひとまず、これまで得られたステュクスに関する情報を纏めよう。」 
「うむ、ここからが本題じゃな。」 
 記憶の薄れない内に、新たに遭遇した変異体の描き出しも行っておかなければならない。長老の手により無地の皮紙が机上に用意され、議論に先行してまずは楽しいお絵描きの時間となった。 
「いっちょ頼むぜ、巨匠!」 
 形容詞から詳細な写実画を描きあげることの出来る黄金の左腕に、エッジはうきうきと発破を掛ける。 
「分かった……が、お前も描け。互いの記憶で補完しよう。老、筆をもう一本貸していただけますか。」 
 長老の二つ返事を得たカインは、筆立てから取った青い柄を問答無用と突き出した。筆の尾で鋭く胸を刺されたエッジは、あからさまに顔を顰める。 
「マジかよ……。」 
「マジだ。描け。」 
 きっぱりと即答する仏頂面には異を挟む一分の隙さえ見えない。半ば投げやりに覚悟を決めたエッジは、渋々ながらペンを手に取った。 
 ざらつく皮紙の上を筆先で耕していると、嫌でも幼い頃の記憶が発掘される。あれは、まだ登城さえ許されなかった年の頃――きっかけが何だったかはもはや朧だが、当時親しくしていた同じ年頃の友達と一緒に、それぞれの保護者の顔を描いた時のことだ。 
 自信作を目の前で広げた際にじいやが見せた反応は、自分の絵心の程を伺い知るに充分なものだった。長い沈黙を経てようやく口にされた、「とても若君らしい絵……絵、ですかな?」という台詞。 
――無理に褒め言葉探すくらいなら、下手ってハッキリ言いやがれ! 
 改めて、力一杯そう思う。しかも多分――じいやは未だに、ご丁寧にも立派な額縁に入れて自室の壁に飾り付けたあの紙が、他ならぬ彼の肖像であるなど夢にも思っていまい。 
「おら!」 
 描き上がった絵を押し付けたエッジは、懐かしい思い出の再現を味わう羽目になった。一旦大きく見開かれた後、薮の向こうを探るように、見開かれたり絞られたりを繰り返す眼。生真面目な竜騎士は恐らく必死に見極めんとしているのだろう――その紙に描かれた何らかの正体を。 
「だぁーーーから苦手だって言ったじゃねぇかっつー……」 
 まさかこれほどまでとは――ぶつぶつと煮立つ不満の声を紙一重の向こうに聞きながら、カインは己の読み誤りをとくと思い知った。 
 エッジの手によって生み出された、あまりに斬新で先鋭的な芸術の世界。紙の中心部からほうぼうへ無作為に伸びる曲線と、陽炎に炙られた如き歪な円が織りなすこの図画は、好事家あたり喜んで篦棒な高値を付けるのではないか。 
 紙の中に取り込まれかける視覚をすんでのところで逸らすことに成功し、視線の流れるまま隣席の様子を窺う。大作を描き上げた男は不貞腐れきった表情を頬杖に乗せ、噛み潰した苦虫を茶で押し流していた。どうやら絵の才については本人重々自覚……どころか、相当気にしていたらしい。 
 掛けるべき言葉を失うカインの手から、不意に紙が消え失せる。机を横断してきたパロムは、手にした絵を燭台の光に高々と掲げた。 
「オイラこれ色塗りしていい? 隊長の描いた怪獣、すげーかっこいい!」 
 前衛芸術の魅力にすっかり囚われた大きな瞳がきらきらと輝く。この期に及んでよもや心からの賛辞を聞きつけ、エッジは小さな評論家を力強く抱きしめた。 
「お前っ見る目あんなぁ〜〜〜さすが天才黒魔道師!」 
 感激の抱擁を受け、早速座席へと舞い戻った少年は、一抱えして余りあるほどの絵具箱を音高らかに開き胸を張る。 
「えっとね、タデ食う虫もスキズキって言うんだぜ、隊長!」 
「何だとパロムてめぇ!」 
 持ち上げて落とすをまんまと喰わされたエッジが、スケッチの所有権を巡り少年とじゃれあう様を賑やかしに、カインは新たに三枚の図を描き上げた。 
 バロン地下水路の雷魚、ダムシアンの砂蟲、ファブールのボム――ここにバロン空挺団の兵士を加え、寄生症例は四件となる。初遭遇から以来、行く先々で悉くステュクスによる被害を目にした。このまま順調にいけば、既にバロン大陸東部を染めた鮮血が、瞬く間に各地へと滴り溢れることは想像に難くない。後手を打たざるを得ない状況でこれ以上の被害を食い止めるために今成すべきは、敵から可能な限り多くの未知を剥ぎ、真の姿により近付くことだ。 
 机上に広がる七枚のスケッチをとくと眺める。人間、雷魚、砂蟲、ボム――種族も棲息地もまるで異なる、これらに共通するものは何か。 
「ステュクスに寄生された生物……宿主の特徴として最大のものは、やはり肉体再生能力と凶暴性増加の二点だな――殊に、後者の理由としては、食欲に由来する可能性が高いように思う。」 
「ってぇと?」 
 結局は少年に前衛画の彩色を任せたエッジが相の手を入れる。 
「ステュクス自体の目的は仲間を増やす、つまり他の生物に寄生した時点で完結していると仮定して、俺達人間を初めとする他の生物を襲うのは副次的なものではないかと思うんだが。」 
「宿主となっても本来の食嗜好が残るってことだな? 雷魚と砂蟲は元々肉食、雷魚に関しちゃ実際に損壊死体も見てる、異論はねぇ。が、ボムに関しちゃ、ちと苦しいか? あいつらの餌ァ、地熱がどうたらだった気がすんな。」 
「ボムに限らず、肉体再生の異常な速度からみて、伴う飢餓感は相当なものであると予想できる。餌を多量に必要とするならば、当然縄張りは拡大する。結果として、食嗜好の如何に関わらず、我々の生活圏と抵触し会敵戦闘の発生機会が増える……と、ここまではいい……。」 
 カインは思案の顎に手を当てる。煮え切らない言葉の意図に応じ、エッジの指が操舵士のスケッチをつついた。 
「宿主ってぇ大枠での行動原理がブレちまうのはこいつの存在があるからなんだよなぁ……人間は雑食、強弁すりゃあ肉食と言えねぇこともねぇが、しかし、どんなに腹空かしてても同じ人間の、しかも頭カチ割って中身食おうたぁ思わねぇわな、フツー。」 
「飢餓感の増大という条件が有効ならば、寄生下で正常な判断力を有し得たとは考えられん……。」 
「頭がイカレちまって、食えそうなモンなら手当たり次第ってか? それなら尚のこと……何てぇんだ、もっと食うに易い部分がいくらでもあンだろうって話でよ。」 
 己の発した言葉に不快感を禁じ得ず、エッジは口をへしゃ曲げる。返す言葉を見付けられず、カインもまた押し黙った。 
 被寄生体の行動原理をごく原始的な生存本能、食欲に基づくと仮定する際、避けて通ることのできない二つの問題。エッジの指摘によるそれがまず一つ、そして、前段に強弁をこじつけたとしても残ってしまうもう一つ――船内のどこにも戦闘の形跡が見られなかった以上、各員声を上げる暇すら許されぬほど短時間の内に無力化されたと考えなければならない。操舵士たった一体でそんなことが可能だろうか? 答えは、考えるまでもない――否だ。 
 揃って推理の袋小路に立った青年二人は、長老の挙手に視線を上げた。 
「意見を良いかの? この屍が、補食された犠牲者ではないとしたらどうじゃろう。種子に寄生されて間もない状態であった可能性は考えられんかな?」 
 長老の手によって、船室の死体と操舵士が並べ置かれる。その上を、節くれ立った指が左から右へ横切った。 
「屍同様の状態から、時を経てこちら……操舵士の状態へと移行するとは考えられんじゃろうか。」 
「言われてみりゃあ、どっちも頭がぶっ飛んでらぁな。」 
 欠損部分の確かな類似を認めたエッジは唸る。机上の論に穴を成す個所を、いっそ論から切り分ける――単純だが、英明な解決だ。※つまり、頭蓋骨は外から割られたのではなく、内側から破裂したのだということに 
「時間の推移による状態変化……そうか、これも範疇ならば――」 
 眼下で静かに肩を並べる二枚の不気味なスケッチが、カインの脳裏に飛空艇で目にした光景を否が応にも呼び起こした。 
 頭蓋を無惨に両断された死体。その傍ら、器より零れて尚、生を渇望するかのように蠢く脳。パロムに石化を頼まなければ、ややもせず完全な変異を遂げ、空となった体へ舞い戻っていたのかもしれない。血の糸に操られた魂亡き骸――脳内で流れる記憶の再現が雷光のように閃いた。腐蝕毒による斬撃に器を壊された種子が最後に取った行動、それは宿主交換――脹脛から沸いた嫌悪が一気に項まで駆け上る。 
「とすると、他の宿主から種子の移動によって人間へ感染が!?」 
 勢い机上に身を乗り出すカインに、長老はその首を緩やかに振って応じた。 
「その点は恐らく大丈夫じゃ、大使殿。一度寄生した種子が再び根を下ろせるのは、元の宿主と同じ種族にのみではないかの。他の植物と同じく、一度根を張ったならば、同じ種類の土壌にしか植え替えは利かない理屈じゃ。」 
 静かな声がささくれだった気分を宥めてくれる。落ち着いて記憶を渡ってみれば、長老の推理に信憑性を与える事柄をカインは思い出すことが出来た。 
「確かに、種子の移動を見たのは飛空艇の操舵士戦だけか……。」 
「ダムシアンの被害報告にゃあ寄生された人間の情報も無かったしな。爺さんの推論に論拠有り、だ。」 
 当事者二人による確認を得、識者は更に推理を続ける。 
「話を聞く限り、ステュクス本来の、植物として備えておった性質そのものは変わっておらんように思うのじゃ。成体は種子を成し、種子は根を伸ばす。根を伸ばす先が大地ではなく、他の生命に変じてはおるが、営みそのものに違いは無いじゃろう?」 
「ってぇと、俺様とポロムの活躍で成体は倒しちまったし、ひとまず安心ってコトかねぇ。」 
 相棒の皿から摘み出した黍糖漬をしがみつつ、エッジが鼻を鳴らした。仲間の手柄を腐すつもりではないものの、カインは腕を組み替える。 
「……しかし、寄生ボムが出現した以上、」 
「他の成体がまだ確実にいるってぇわけだ。そいつを何とか……出来るにしろ出来ねぇにしろ、見付けねぇとな。」 
 いつになく真剣な眼差しの忍者は、操舵士の絵を肴に温まった茶を啜った。 
「成体を捜すにしても、移動能力を備えているとなると……やはり、ステュクス自体の情報が少なすぎるのが痛いな。」 
「うむ。大使殿らが留守の間に蔵書を調べてみたのじゃが、なかなか思うように調べが付かぬでのう……。」 
 溜息と共に肩を落とした長老が、細かい文字を書き付けた二枚の皮紙を机上に滑らせた。カインとエッジはそれぞれ手近のものを取り上げる。 
「ここにある蔵書から得られたのはそれだけじゃ。」 
 力の及ばぬ歯がゆさに、口元の髭がもふりと膨らむ。 
「老、ダムシアン君主より書簡の類が届いてはいませんか?」 
 カインの問いかけに対し、長老の首は横に振れた。 
「俺らよか早く手紙は来ねぇだろ、飛空艇やらデビルロードやら使わねぇ限り。」 
「それもそうか。」 
 当然至極の突っ込みを受け、カインは書類に目を戻す。手元にある内容は、飛空艇の事件が起こった翌日、長老が示した古文書”古植物図鑑”にあるステュクスに関する記述を抜粋したもののようだ。 
「何じゃこりゃ、ステュクスの煮付けだぁ?」 
 本文に目を落とした途端、隣で頓狂な声が上がる。とにかく見てみろと押し付けられたカインは、懇切丁寧な調理法の記述から形容しがたい気分を味わった。 
「それは、”凶作時の食糧危機対策”より抜粋したものじゃな。他に調理法を記したものが無いということは、……まぁ、推して知るべしじゃ。」 
 衝撃の献立をどうにか飲み下し、カインは白紙を二枚手元に引き寄せる。古植物図鑑の記述と挿絵、そして、調理法を記した書類の半分以上をも埋める下ごしらえ部分から、古代のステュクスの輪郭を掴むことが出来そうだ。現在のステュクスとの間に何らかの外見上の相違点があるならば、異変を解明する手がかりになるかもしれない。 
「お、描き起こしすんのか?」 
「大体の形だけだがな。どれだけ正確に近づけられるかは、ギルバート王の情報次第――」 
 カインが言い切る直前で、部屋にノックの音が響いた。入室を許可され、白魔導師のローブを身に着けた女性が書筒を手に一礼する。 
「長老、ダムシアン君主ギルバート様より書簡が参りました。」 
「おお、噂をすればじゃな!」 
 ありがとう、と受け取った長老は封を破り、広げた巻き紙の上下端に重りを乗せた。 
 砂漠の王の人柄そのままに柔らかい筆跡で綴られた手紙は、『言霊の夜』叙事詩原典からステュクスが著された部分を丁寧に抜き書きされている。本当ならば全てをお伝えしたいのですが、なにぶんとても長大な詩なので……と綴られた字面から、彼の申し訳なさそうな笑みが透けて見えるようだ。 
「うへぇ……こりゃ駄目だ。」 
 天地逆転した紙面を一単語ずつ追っていたエッジが、五行目にして早々に呻いた。 
「芸術的過ぎて頭に入って来ねぇや。じぃさん、要約頼まぁ。」 
「心得た。」 
 古文書解読を任された長老は片目を瞑ってみせる。一方、古文書の常である過飾記述に悩まされながらも、カインは二枚の輪郭図に各々それなりの描き込みを加え完成させた。うち一枚――古代のステュクス成体は、現在のステュクス成体と同様、砂蟲によく似た姿をしている。水瓶を逆さに被せたような頭部から、太さを変えずに伸びる波状の括れを持った長い胴。砂蟲との明らかな違いは、胴の中央、接地面となる個所に『人の指ほどの太さ』の触手が、『ほぼ無数に』生えていること――エッジ曰く、しょげしょげもばもばって感じ――だ。 
「わっ、じっちゃんみたいな髭が生えてる!」 
 塗り絵筆を転がして再び机を横断し、カインの手元を覗きに来たパロムが声を上げる。姉に足首を引かれずるずると下がっていく観客が散らした紙束の中から、カインは飛空挺内で遭遇した種子の絵を取り上げた。まだインクの乾かぬ新たなスケッチの二枚目、古代のステュクス種子を傍詩にあった記述から復元した図と並べて、やはりこちらも変化は見られない。四方に触手を伸ばした血膿――ステュクス種子は、ただ不気味な姿を白紙の中央に横たえる。 
「大使殿、よろしいかな?」 
 カインの手が止まった頃合いを見計らい、叙事詩の読解を終えた長老は声を掛けた。 
「叙事詩の大半は、赤き砂蟲……ステュクスに捧げる”鎮めの歌”を見付ける過程に割かれておるのう。して、鎮めの歌を吟遊詩人グレゴリー=ミューアが、動物の胸骨に弓弦を張った楽器、恐らくリュートの原型じゃろうかの、にて巧みにつま弾かば、砂蟲たちはみなその調べに魅入られ、動きを止めた……とある。」 
 鎮めの歌とは、砂蟲との戦いでダムシアン王が披露してくれたものだろう。卓越した吟遊詩人によって紡がれる完全なる無音。それは恐らく、人に聴くことが出来る範囲を越えた場所に在る旋律か。 
「そういやありゃあ、どういう理屈でステュクスに効くんだ?」 
「さすがにそこまでは……。」 
 エッジの素朴な好奇心に、カインはお手上げを示した。 
「推測じゃが、鎮めの歌とはこのようなものではなかろうかな。」 
 言って、長老は手近な白紙の隅に上弧と下弧を組み合わせるように描く。青年二人の視線の先に、子供がいたずらに描く魚を連ねたような形が現れた。 
「この世のかたち有るもの全て、そのもの固有の波、『脈』を持つのじゃ。ステュクスの持つ脈が上の線のような形であるとして、鎮めの歌の旋律は下の線のような形を成しておるのではなかろうかの。全く同じ弧を描く正反対の脈を当てると、それらは互いに打ち消しあうのじゃよ。」 
「スロウやストップといった、動作制御魔法の原理ですわ!」 
 脇からポロムが補足を試みてくれる。魔導理論の応用による説明を受け、門外漢二人は皆目顔を見合わせた。 
「飛空艇の操舵士が、酷い頭痛と目眩を引き起こす攻撃を仕掛けてきたんだが、それがその……脈、と、関係があるんだろうか?」 
「まさしくそれじゃよ、大使殿。」 
 控えめに手を挙げた生徒の理解を認め、長老は微笑む。 
「……とにかく、鎮めの歌ってなぁ俺達にゃ到底真似できねぇ芸当だってこったよな?」 
「残念ながらその通りじゃ、エブラーナ王殿。仮に楽譜を借り受けたとしても、奏でるにはダムシアン王殿と同じ技量が必要じゃろうからのう……。」 
 脱線魔法教室にエッジが締めを括る。笑み眉を一転引き締めた長老は、残る巻紙を手操った。 
「さて、言霊の夜じゃが、元となった実際の事件は、大量のステュクスによる水源の襲撃じゃな。脅威となったのは単にその数……倒すではなく鎮める、つまり、鎮めの歌によって退かせることで解決したようじゃ。」 
 長老の要約によって、叙事詩の主眼がステュクスに置かれていないことが明らかとなる。数の多さに手を焼いたという記述からは、まさに雲霞の如く大群を迎えたことの他に、或いは再生能力を示唆しているようにも思えるが、確証には至らない。 
「ステュクスこそは星の糧、全ての血に流れ受け継がれる――叙事詩の締めはそのような文句になっておるよ。存知の通り、ダムシアンは砂海化が最も早く現れた場所じゃ。星の糧たるステュクスが、その身を命の土壌とするため大量出現したとしても、おかしい道理ではないのう。」 
 総括を述べた長老は、手紙を元通り丁寧に巻き置く。 
「星の糧とは、どんな意味だろうな?」 
 謡言葉に纏わる疑問に、長老はふむと唸った。 
「須く動植物の食料であると示しておるのではないかな? 成体は朽ちて植物の養分に、種子は動物の生きた血肉となる。おおよそ全ての生物に等しく、ステュクスは決して害毒とはならんようじゃ。」 
「毒じゃあなくても酷ぇ味っと。」 
 エッジの手で調理法を記した紙がひらひらと踊る。 
「酷いというか、無味無臭だな……食感もともかく。」 
「その気であれば生食さえ可能なようじゃよ。」 
 新事実の露見に目を剥くカインの手元に、”凶作時の食糧危機対策”と題された古書が滑り込んできた。先ほどエッジが見ていた書類の出典元に挟まれた付箋を手繰り、頁を開く。紙面の半分すら埋められない程度の調理手順もさることながら、何より大使館料理長の目を引いたのは、食材名の真下に小さな文字で記された一列の文章だった。 
――あなたがこの生物を口にするのは、あなたの他に生あるものが最早存在しなくなった時です。 
 慎重に古書を返し、題名と奥付を確かめる。幾度見直したところで、題名が”凶作時の食糧危機対策”であり、歴とした行政刊行物である事実は揺らがない――ということはつまり、この文書は決して、糧を失った民の最後の希望を打ち砕くために著されたわけではない、筈だ。 
 丁重に古書を元の山に積み、空いた手に本来の議題を取り戻す。集められた資料はどれもがステュクスが元来無害な存在であると説いている。それを事実と裏付けるのは、決して多くない資料の数そのものだ。人間に対する脅威ではないが故に、植物図鑑や調理指南や叙事詩のような学芸書の僅かな記述の他には情報が残されていないのだろう。実際、爪や牙、あるいは外殻など、身を守る術の一切を持たないステュクスは、戦闘能力がほぼ皆無であるとさえ言える。 
 そんな生物を現在脅威たらしめているのは『寄生』と『再生』という二大要素だが、これらはある日から――特に、寄生能力は確実に――突然備わったものとみて間違いないだろう。 
「まるで反乱だな……。」 
 頭に浮かんだ感覚に、二文字の熟語が覆い被さる。 
「反乱たぁ言い得て妙、これまで狩られる一辺倒だった側が、一転狩る側を乗っ取りにかかったワケだ。」 
 ステュクス料理の真の恐ろしさを知らないエッジは、脳天気に膝を打ってみせた。 
 会話の一段落を迎え、三人は一糸乱れぬ同じ動きで茶碗を口元へ運ぶ。一息ついたカインは、ふと重大な不手際に気付いた。 
「しまった、これまでの会話を記録しておかなければ……」 
「はいっ!」 
 紙を得るため巡らせた視線に元気な両手が飛び込んできた。弟の絵の具に脅かされる陣地を守り抜いた少女は、高らかに一枚の皮紙を掲げる。 
「皆様のお話、私がちゃぁんと書き留めておりましてよ!」 
 角の丸まった愛らしい文字で半分ほども埋まった紙が、旗のように誇らしげに靡いた。 
「さぁっすがポロム、しっかりしてらぁ!」 
 エッジの手が机を越えて伸び、少女の頭をわしわしと撫でる。時折混じる幼い言い回しや、意味が取りきれなかったのであろう言葉の誤綴はあれど、ほぼ完全な議事録を前にカインは感嘆した。 
「こんなにきちんと纏めてくれていたとは……とても助かる、ありがとうポロム。」 
 深々と頭を下げる竜騎士に照れ笑いを返した少女は、新たな紙を手にきりりとペンを構える。思いがけない優秀な書記と、新しい茶菓子を揃え、議論再開の準備は万全に整った。 
「さてと、気合い入れて反乱軍のねぐらを炙り出すとしますかねぇ。井戸の水が悪くなったら水源を辿れ、ってな。」 
 いよいよ、これまで後手後手に甘んじていた状況をひっくり返す時だ。各地へ拡散した彼らの動きを河の下流と喩えるならば、その源、つまり発生場所で何らかの手がかりが得られる可能性が高い。また、ステュクスの足跡を突き詰めていく過程で、見落としに気付くなどの新たな閃きにも期待できる。性急に確定を下すことなく、自由に仮説を立てた上で消去法による選別を行うのだ。 
「あいつらが話せりゃ楽なんだがなぁ……と愚痴ってもしゃぁねぇ、植物図鑑の記述によると、バロンがステュクス目撃の最後の地となってるが、変異体の目撃時期では今のところダムシアンが一番早ぇのか? 同心円状にファブールやバロンに感染が広まったとしてその中心、砂漠の何処かってことになっかねぇ?」 
「しかし、ミストは感染空白地帯だろう。短期間の滞在だったが小さな村だからな、何か異変があれば宿の女将の話題に上っていた筈だ。」 
「ミスト山脈伝いに海岸到達、水路経由でバロン侵入ってなぁどうよ? 空はどうやら飛べねぇようだが、浅瀬くれぇなら渡れるんじゃねぇか。」 
「海側の水路出口は崖の中途にあり、警備が二人、三交代で常に付いている。海から水路への逆行は相当不自然だからな、否が応でも目に付くぞ。」 
「その不自然が起こって警備兵が被害に遭ったとかよ? そんで外からの攻撃を警戒して国境封鎖したてぇなら筋が通る。デビルロード侵入時の大袈裟な連行にもな。」 
「外からの攻撃を警戒しているとするなら、第一等整備士であるシドへのデッキ立入禁止は有り得ない。国家緊急時に飛空艇ほど有用なものはないからな。国境封鎖はやはり内から外への流出防止と……、」 
 右へ左へ推理の振り子を揺らす作業の途中で、錘を保ったままカインは一度会話を止める。 
「ああ、論の立ち位置を明確にしていなかったな。俺は、バロン領内に発生源があると見ている。論拠は、先にお前が言った通り、最後のステュクス目撃地だからだ。絶滅が確認されてはいない以上、どこか人目に付かない場所で生き延びていた可能性は捨てきれない。」 
「そりゃ考えたんだがよ、実際飛空艇がここまで飛んで中にステュクスがいたってこたぁ、バロン国内、どころか城内に侵入したのぁ明白なわけだ。他所から海渡って水路経由じゃねぇとすりゃ、お前……最悪、城ン中で生まれたことになっちまうぜ?」 
「接見時の態度からして、セシルはステュクスの存在を知っているが、国内に対して隠蔽しているのではないかと思う。何故なら、俺たちを即投獄しただろう、飛空艇の消息の情報源であるにも関わらず……だ。そして、ミシディアにも一切使者の類を送って来ない……」 
 乾いた唇から淡々と紡がれる言葉をどこか他人事のように聞きながら、カインは机に目を落とした。 
 自分は、今回の異変への親友の関与を疑っている。それは真に、状況から起こした推測だろうか? ――どれほど『論理的』に考えているのか怪しいものだ。様々な理屈を弄して、結局は親友の名誉を貶めたいだけなのではないか。 
※ 悪意からでなければ、現バロン王がよもやステュクスをミシディアに送り込もうとしたのではないかなどという疑念が浮かぶはずはない。自分はまだ、心のどこかでセシルを憎んでいるのか―― 
「オイオイ勘弁しろよ、城で飼うにゃあ趣味悪過ぎんぞこんなモン〜」 
 辟易に声を腐らせたエッジは、インクで描かれた禍々しい巨体に腹癒せの裏拳をくれる。 
「……そして、城の全兵士に箝口令を徹底できるわけもないしな……。統治がどんなに徹底していたとしても、騒ぎが起こらないわけがない。そして、バロンで騒ぎがあれば、当然、ミストやダムシアン辺りに噂が広まるだろう……。」 
 相棒が投げ出した錘を自ら取り上げて揺らし、カインは苦渋と共に茶碗を傾けた。 
「できたーっ!!」 
 直後、少年の歓声が祝砲のように鳴り響き、一口分の熱い香茶を全て気管に落とし込む。 
「パロム様の大傑作、完成! ニィちゃん、隊長、見て見て!」 
 彼岸の手前でようやく咳を鎮め、無事な生還を果たしたカインを、彩り鮮やかな絵の具の匂いが出迎えた。 
「あ……ああ、上手に塗れたな……。」 
 曰く、かっこいい怪獣の絵という名の前衛作品を恭しく受け取り、カインは無難な評を下す。続いて塗り絵を手にしたエッジは、さもさもしく腕を伸縮させ、矯めつ眇めつ顎を撫でた。 
「こいつぁ……どう贔屓目に見ても、エブラーナ国宝級ってトコだな。」 
「コクホウってなに?」 
「ものすげぇお宝ってこった。ヤベェな、こんな所で伝説級の名画が生まれちまうとは……。」 
 初めは子供の成した仕事を大袈裟に褒めてやっているのだと思ったが――カインはエッジの眼差しを確かめる。間違いない、本気だ。彼は本気で、自国の宝物庫にその絵を収蔵するつもりでいる。 
 後世のエブラーナの民は果たして、城の宝物庫で発見されたこの絵画をどう評価するだろうか。自由奔放をまさに絵に描いたインク線と、それに輪を掛けて自由に塗り付けられた、真っ赤な絵の具の合体作品――じっと見ていると紙面から赤い絵の具が溢れ出し、絵の中に引きずり込まれてしまいそうだ。 
 その瞬間、卓上に散らばっていた難解なパズルが、曖昧ながらも確かな完成形を見せたような気がした。 
「……赤。」 
「ん?」 
 呟きを聞き止め、エッジが注意を戻す。たった今見えたパズル完成図の青写真が消えない内に、カインは急ぎ一枚のスケッチを掬い上げた。 
「皆、聞いてくれ。」 
 カインの手により、飛空艇内で遭遇したステュクス成体の図がゆったりとその身を揺らす。 
「俺は、こいつが今まで見た中で最も早い時期に寄生された宿主だと思う。」 
「そりゃそう――いや、待てよ? そいつぁ宿主じゃなくて、ステュクス成体じゃねぇのか?」 
 つくづく、話術に長ける相棒は上手く喰い付いてくれるものだ。微かな笑みを返し、カインは早速切り込む。 
「発想の逆転だ。俺達はこれまで種子に寄生された生物しか見ていない。種子に寄生された段階では宿主の姿が色濃く残っているが、更に先の変化があるとは考えられないか? 実際に、先に長老が仰った、船室の死体から操舵士への変化、『成長』が起きた可能性は濃厚だ――では、もしこいつが、ステュクスそのものではなく、寄生された宿主が行き着く最後の姿……ステュクスに寄生された生物の完全成長体だとしたら?」 
 船室の死体と肩を並べた操舵士の横に、手にしたスケッチを着地させる。皆の注目を一巡し、カインはいよいよ本題を舌端に乗せた。 
「結論から言おう。俺は、この宿主こそがバロンの兵士ではないかと思っている。パロム、ポロム、主亡き玉座の間で話した事を覚えているか?」 
「あのつまんねぇ怪談話か?」 
 エッジの相槌が、記憶発掘の役割を巧妙に果たしてくれたらしい。冷気の滴る陰鬱な空間で起きた奇妙な事件の顛末を蘇らせた子供達は、揃って息を呑んだ。 
「あの時も言ったが、兵士の失踪は実際に起きた事なんだ。」 
 現場に居合わせなかった長老のために、話の概要を簡潔に繰り返す。クリスタル戦役の僅か前、巡回の兵士が『赤い腕』によって壁の中へ引き込まれ、消えた――誰かが徒に広めた空談ではなく、バロン城から一人の兵士が忽然と消失したという事実。 
「その日のうちに全軍を動員し、三昼夜に渡って領内くまなく捜索が行われたが、ついに兵士を見付けることは出来なかった……屍はおろか、鎧の一部すらもな。事態を重く見たカール陛下は、事故の再発を防ぐため、捜索の打ち切りと共に主亡き玉座の間の封鎖を命じられた。以来、あの場所は巡回経路から外され今日に至るわけだが――もし、兵士を連れ去った『赤い腕』が、ステュクスの種子だったとしたら?」 
「すまねぇ、一つ確認いいか?」 
 推理部分へ移行する直前で、エッジが挙手を示した。カインは頷き、相棒の問いを促す。 
「『赤い腕』が見張り兵を壁に引き込んだってぇ情報の出所は?」 
「当日、失踪した兵と対を務めていた者、唯一の目撃者の証言だ。いや待て、もう少し正確に思い出そう……突如壁から湧き出した赤い腕のようなものが、背後から兵の顔面を捕らえ、その体を引き倒した。敵襲を疑った対の兵は、すぐさま詰め所へ戻り応援を呼んだ――報告書の記載は、確かこうだ。」 
 情報が脳に送られていることを示すかのように、深緑の眼が重々しく瞬かれる。 
「……そうだな、当日の動きに関して、俺が覚えている限りも話しておこう。まず、事件が起きたのは夕刻だ。詰め所に巡回兵が駆け込んで異常を報せ、当番の者が総出で第一次捜索を行う。同時に、異常事態発生の報が司令部へと上げられ、全陸兵団員に召集がかけられた。陸兵団員が城内の捜索及び緊急警備網を敷く間に、次いで俺達を始めとする全団に召集令が下り、領内全域の捜索を開始する。俺達竜騎士団は、捜索範囲外縁である国境付近に派遣された。知っての通りバロンの国境線は平野部にあり、視界は極めて良好だ。加え、人間を凌ぐ鋭敏な五感を備えた竜も伴っていた以上、……バロン竜騎士団の旗に誓って言うが、行方不明となった兵士が、少なくとも陸路で国外へ逃れた可能性は無い。」 
「ンで、領内至るところ総兵動員かけて埃一つたりと見落とせる筈がねぇ、か。」 
「ああ。……だが、捜索網の穴は、あったんだ。一個所だけな――」 
 牢から脱出する際偶然にも発動した、玉座の間から旧水路へ降りる大仕掛け。それは、幼い頃から城に出入りしていた自分でさえ知らなかったものだ。 
 当時、現場である玉座の間は特に念入りな調査が行われた筈だが、捜索の目は主として床に向けられ、また、城の構造に通じているというバロンほぼ全兵に共通する自負が目隠しとなってしまったのだろう。 
「兵士が連れ去られた……正確には、倒れ込んで消えた先が、鉄扉のあったあの場所だとすれば謎が解ける。地下水路の捜索は当然行われたが、よもや玉座の間と旧水路を直接結ぶ経路があるとは思っていないからな……。」 
「しかし、玉座の間の地下だってなら、感染は雷魚の方が早ぇんじゃねぇか?」 
「雷魚の感染時期については、大まかだが絞り込める。これから説明するが――まず、旧水路が封鎖されたのは兵士失踪よりも更に遡る。従って、俺達が雷魚の異変の第一発見者となる……? 否、だ。雷魚の異変に、俺達より早く気付いていた者がいる。」 
 着々と論の絡操箱を展開していく薄氷の眼が、質問者の元に定まる。 
「お前の部下、投獄されたエブラーナのニンジャー。彼が変異した雷魚の犠牲となったのは確かだ。本来の雷魚はあれほどの凶暴性は持たないし、また、雷魚程度ならばニンジャーの実力で退けられないわけがない。……どうだ?」 
 エッジは頷きで肯定を示した。カインの推察通り、確かな実力の持ち主でなければ単身他国逗留を任されはしない。 
「ニンジャーが脱獄を試みたのは、死体の腐食状況からみて二巡週前後となるだろう。ということは、雷魚はその時点で既に寄生された状態だったということになる。そして、旧水路が封鎖されて以降、地下水路内に立ち入った者は、俺の知る限り八人しかいない。俺達、エブラーナのニンジャー、そしてもう一団――」 
 片手の指が全て開いたところで言葉を切るカインの双眸に、双子の姿がそれぞれ映り込む。注視に気付き、パロムはお絵かきの手を止めた。 
「ニィちゃん、なに?」 
 察しの悪い弟の頭をぽかりと鳴らし、ポロムは机に身を乗り出す。 
「もう、鈍いんだから! 旧水路に入ったのは、私たちですわ! セシルさんたちと一緒に!」 
「えー?! オイラあんなとこ行ってないぜ、あんな気持ち悪い魚、見たことないもん!」 
 パロムの証言を得、カインは再びエッジに目を戻す。エッジは大きく頷いた。 
「従って雷魚の感染時期は、クリスタル戦役後からおおよそ先月までの間となる。そして、この……エッジ曰く”しょげもば”宿主の感染時期は更に早い。時系列はこれで繋がったか? 怪談話の種明かしだ――バロン戦役の少し前、見張り兵はステュクス種子に寄生され、玉座の間の壁の中、つまり俺達が通ったあの場所へ引き込まれる。その後、クリスタル戦役期間中に完全成長体へと変化を遂げ、種子生成能力を獲得して旧水路の雷魚に種子を蒔いた。」 
 パズルの破片をそれぞれの位置まで誘導し終えたカインは、机に戻したスケッチに掌を重ねる。未だ浮いた状態にある破片を、型に押し込む最後の一手―― 
「そして……こんなものが、どうやって騒ぎを起こさずに飛空艇内へ侵入したか? 俺の推理通り発生源が旧水路ならば、可能な経路が一つある――俺達が脱出に使った経路だ。」 
 脱獄道中に通った広場が何であったか、ここにきてようやく思い出した。あれは、シドの為に設えられた城内試験船渠――旧水路から、恐らくは脱獄した忍者と入れ違いに城内へ昇ったステュクスの完全成長体は、見張りの無い玉座の間からダクトを伝って船渠へと到達し、運悪く入渠していた飛空艇内に潜伏したのだろう。エブラーナ囚の脱獄とシドの作業場立入禁止時期が近いことからも、そう的外れな推理ではない筈だ。 
「うぉ、城へ持ち込んじまったのは俺の部下かよ……」 
「あくまで仮説だ。それに、おかげで俺達が異変を察知することが出来たという見方も出来る。」 
 きっぱりと言い切るカインに片手で謝意を示し、エッジは傾げた椅子を漕ぐ。 
「しかし、その仮説が正しいとして、宿主が失踪兵士だとすりゃ、最悪バロン国内で既に他の感染者が出ちまってるか?」 
「かもしらん……だが、宿主が種子を生成できるまで成長するのには少なくとも一年以上掛かる筈だ。セシルが国境封鎖や、特に戒厳令を発布したのが、感染被害の拡大を警戒しての事ならば……。」 
 若き聖騎士王は、誰にも頼らずたった一人で問題に立ち向かおうとしているのか――それとも、何か目的があって、ステュクスの存在を隠蔽しているのか。 
 瞼裏に浮かぶ親友の表情が迷いをかき消す。セシルは――アイツは、昔からそうだ。一人で何でも抱え込み、手出し無用と笑ってみせる。そんな男がよもや悪しき企みを心に宿したというのなら、それがはっきりした時改めて問えばいい。 
 例え、自分にそんな資格は無いとしても――自嘲を茶碗の縁に含ませ、カインは議論に戻る。 
「勿論、宿主が他から侵入した全く別の生物である可能性や、そもそも宿主ではなく、純粋なステュクスの成体である可能性も決して小さくはない。出来ればそうあってほしいが……」 
「少なくとも、水棲生物でないことは確かじゃのう。バロン沿岸に寄せる海流は、ここ、ミシディアと繋がっておる。漁獲量に変化が見られんということは、海洋には未だステュクス感染が及んでおらんということじゃ。」 
「その他旧水路の生物だとしても鉄扉を開ける術が無ぇ、城へは到達出来ねぇと。それでも、行方不明の兵士が骨まで残さず食われちまった可能性は捨てきれねぇが、どのみち発生源が旧水路だとするお前さんの論への反証たり得ねぇ。ステュクス成体の飛空艇到達ってぇ最大の点を押さえなおかつ、バロンの内部事情を汲んだ最も整合性のある仮説がそれ……だな。」 
 書記の手に握られたペンの尾が、小さな円をくるくると描き連ねていく。紙とペン先から生み出される音を頼もしく聞きながら、カインは今後の指針決定へと段階を進めた。 
「本当に旧水路が発生源で、セシルが問題を認識しているとすれば、俺達にできることはあまりないかもしれんな……各国に対策を周知するくらいか?」 
「事態はそう単純じゃねぇかもしれねぇぜ。」 
 忍者の鋭い言葉が、締めに掛かっていた会議の延長を告げる。 
「どういうことだ?」 
 確実な疑念を抱き発された警句に、カインは真っ直ぐ向き合った。 
「いやな、そもそも、何だってステュクスが反乱、つまり生物に寄生なんぞするようになっちまったのかってとこなんだがよ。」 
「それは……ステュクスに変異を促した直接の原因までは量りかねる。誰か植物学に詳しい者を当たって――」 
「そう、元々いた奴の突然変異ってのが一つ。だがもう一つ、外から持ち込まれた全く別の生き物だって線はねぇか?」 
「持ち込む? 一体誰が……!」 
 思わぬ指摘に身を乗り出す。椅子を大きく一漕ぎしたエッジは、両足を床に据え姿勢を正した。 
「兵士の失踪はクリスタル戦役のチョイ前なんだよな。バロン王は何故事故現場から人払いをした? 俺なら逆に、失踪現場の警備は厳重に敷くがな。」 
 意図を測りかねてか口を噤む相棒に、エッジは問いを重ねる。 
「よぉ、カイン。玉座の間から人払いをしたバロン王は、『本物』か?」 
 忍者の言葉が暗に示すもの。それは、警備が万全なバロン城に、巡回の穴となる個所を作ることで、明確な利益を得た存在―― 
「そうか、ゴルベーザ……いや、ゼムス……!」 
 肩が揺れた拍子に手の甲とぶつかり、空皿が小さく音を立てる。新たな方向からの論軸を立てたエッジは、皿を跨がせた左肘をどかりと机上に預けた。 
「バロン王の暗殺時期は不明、遺骸がねぇと聞いたんだがよ、場所がな……ほれ、王様の残留思念体があの部屋に出たろ? 何でかって、あの場所で殺されたからってのぁ考えられねぇかね? 例えばだ――ステュクス種子を革袋にでも詰めちまえば、果実酒とでも偽って荷改めを誤魔化せやしねぇか。領内へ侵入しちまえば後は容易い、奴さんらにゃ転移魔法がある。城ン中に直接飛べはしなくとも、地下水路なら入り口の見張りをやり過ごせるだけの距離で構わねぇ。」 
 言葉の繋がりに空いた僅かな隙間に、干し果実を一片素早く口に放り込む。 
「ひかふいろにゃ大した敵はいねぇ、悠々城まで辿ってアルチルギ……あー、玉座の間にある仕掛け部分に種子を仕込み、巡回を待つ。首尾良く兵士を引っかけりゃあ、もうこっちのモンだ。城ン中で行方不明なんざおおごとだからな、捜索やら緊急配備やらに割かれる分、城内警備は必然薄くなる。捜索の連中が部屋から退きゃあ、後は王手を指すだけだぜ。近衛連中は厄介だろうが、腕は立っても数はいねぇ、増援呼ぶにもこの事情なら手間が掛からぁ。――城詰め連中の目が揃って外を向いてる間に王様の素首すげ替え、事故の再発防止と尤もらしい理由で以て現場を封鎖、証拠隠滅、かくして青き星全滅計画の橋頭堡一丁上がり、と。」 
 実際こんなに巧く行ったかは定かじゃねぇが、と付け足し、エッジは話を切り上げた。 
 警備の万全なバロン城で、何故王を人知れず入れ替えることが出来たのか。長く解決を見なかった疑問だったが、こんなところで解決の糸口を見るとは――カインは愕然と項垂れる。 
 事件、事故、脱走、様々な観点が錯綜し、あの日、城内の誰もが浮き足立っていた。混乱は冷静な判断を緩ませ、付け入られる隙を生む。王の身辺警護に当たっていたのは近衛の強兵揃いだが、その長たるベイガンが魔物に変えられていたことからしても、エッジの説はあまりに整然と筋が通ってみえる。 
「特に異論無しってこた、あたら山勘ってわけでもなさそうだな? ――で、お前さんが最初に言った、ステュクスの目的は寄生することだってぇアレな。奴さん……ゼムスの目的は、この星の生物全てを滅ぼすこったろ? さぞ都合良いんじゃねぇかね、餌は水と光だけ、手当たり次第何でも同化していくステュクスって奴ぁよ。この星の生き物が残らずステュクスになっちまやァ、弱点突いて一網打尽だ、手間も閑も掛からねえ。」 
 無言を肯定と受け、忍者の王は滔々と論拠を置いていく。 
「作戦てのぁ、二重三重の保険を掛けとくのが定石ってもんだ。バロンへの侵入口を作るだけのつまらねぇ道具として使わせ、その実それは時限式発破だった……なんてな。ゴルベーザが万一改心したとして、展開した作戦の子細を一々報告する義務もねぇし、こちとら使われた道具を一々吟味する暇もねぇ。そして――」 
 推論の終端に意味深く一呼吸置いたエッジは、二枚のスケッチを手元に引き寄せた。ステュクス成体の再現図と完全成長体の図が、よく似た姿を斜に繋ぎ合わせる。 
「こいつら、砂蟲に似てると思やァそう見える――が、月の館を訪ねる途中に、こんなの居なかったか?」 
 言って、エッジは掌を返した。蝋燭の火に透かし出された鏡像が凍り付いていた鐘を溶かし、ピンと澄んだ音を打つ。 
 深閑とした月の大地を貫く岩窟、そこに蠢く異形――高弾性を備えた半透明の皮膜は斬撃を撥ね付け、小さな傷ならば瞬く間に塞がり『再生』してしまう。特定の属性魔法のみでしか傷付かず、内部の核を潰した瞬間、砂像のように溶けた――プロカリョーテ、ユカリョーテ、月の民を統べる老がそう呼称したという異星の生物。 
 体色こそ違え、ステュクスと記憶の中のそれらが三面鏡を成す。 
「リディアの預言、眠り星は眠る民の星、即ち月を示すってなぁどうよ? まぁそりゃあこじつけすぎだとしても――」 
「月の民を尋ねる価値はある……か。」 
 衝撃醒めやらず、カインはただ息を吐き下ろした。 
「現時点でバロンに再度乗り込むわけにはいかねぇしな。何らかの有益な情報が得られる可能性は高ぇし、奴さんらにゃ関係ねぇってだけでもいい。寝てるじいさんら叩き起こすのァ忍びねぇが……」 
「しかし、……月へなど、どうやって?」 
 ようよう呻く青年の視線の先で長老が首を振る。唯一月へ渡ることの出来る船は再び海溝に沈み、深い静寂の眠りに就いた。現在この星にある技術の粋を集めたとしても、魔導船に匹敵するものを作り出せはしないだろう。 
「心当たりが無ぇこともねぇ。」 
「本当か!?」 
 最早この先、相棒の口からどんな酔狂が飛び出して来ようとも今以上に驚けまい。 
「んにゃ、これも山勘な。バブイルの塔、月から巨人を転送したろ? ああいうモンは大抵双方向なんじゃねぇかね、デビルロード然り。」 
「……つまり、」 
「こっちから月へ何か送ることも出来んじゃねぇか? 原理としては。」 
 エッジの提案に、一人ポロムは机下の両手を固く握り合わせた。目線を机上に這わせ、取り巻く大人たちを順に見てゆく。 
 ミシディアの長老――世の遍く叡智を羅し、豊かな経験を備える賢者。 
 エブラーナの君主――多彩に渉る才を有する、柔軟な機知に富む識者。 
 そんな彼らでさえ、バブイルの塔にある次元通路の動作方法は知らない――ポロムはとうとう、残る一人に視線を留める。燭台の光を背にする男の金糸は淡く輝き、その顔に冥い陰を落とした。 
「問題は二つある。第一に、バブイルの塔が今でも動くのかってトコだが……。」 
 少女の儚い願いを断ち切り、非情な議論は先へ進む。 
「……巨人降臨後も、ゴルベーザは塔の機能を停止させてはいなかった筈だ。ただ、エネルギー源となるクリスタル無しで、現在どれほどの機能を維持しているかは疑問だが……。」 
「動くなら早めにするに越したことぁねえってわけだ。で、残るは――」 
 思案顔を頬杖に沈ませるカインに、エッジは大仰な手の振りを示した。 
「俺ぁリーダーの決定に従うぜ。どうよ? カイン。」 
 どこか空々しく明るい声にちらり目を流したものの、腕を組み一同の注視を遮ったカインは細く長く息を吐く。 
 嫌だと、たった一言口にさえすれば、この状況を終えることは容易い。 
 会議は何事もなく代替策を模索する道へと進み、この場に座る誰一人として拒否した自分を責めはすまい。――例え、バブイルの塔最上階にある次元通路こそが、現在この星に唯一残された、月へ到る確実な道であっても――調査隊として名乗りを上げた誰もが、苦難の道をあえて歩くことを厭いはしないだろう。 
――だから逃げ続けるのか。俺はこうして、一生……? 
 これまでずっと、過ちの記憶をなるべく思い出さないように努めてきた。忘れることで、無かったことにしようとしていたのだ――そして実際に、記憶は風化しかけていた。強い忘却の風を必死に扇ぎかけ、平穏な日々に声を塞ぎ――だが。 
「カインさん……」 
 少女の頼りない声が、弱いながらも確かな光の在処を示してくれる。 
 どんなに悩んでみたところで、結局、この胸にある決意を揺らがせることなど出来はしない――カインは、机に埋もれてしまいそうな少女の眼差しにフッと笑みを向ける。 
 光から完全に背けるほど、自分はまだ強くない――そう思っていられる間は、光を目指して歩いて行ける。目指して歩いていくなら、いつか必ず到達できる。 
 山の頂で空に翻るバロン国旗を見たあの時、自然と拳を固く握らしめたこの心は、安寧に落ちるその時を迎えてはいない。 
「任せておけ。記憶力には自信がある。」 
 明瞭な言葉で告げる決断に、居合わせた皆の顔から曇りが払われるのが、確かに見えた。 
「っしゃ! 手始めにクリスタル集めだな。」 
 快哉を叫んだエッジが景気付けに拳を打ち鳴らす。 
「他国にステュクスの浸食が進んでいるかどうかも気になる。老、よろしいか?」 
「調べてくれと頼んだのはワシじゃよ、大使殿。どうか、よろしく頼みますぞ。」 
 カインの申し出に、長老は深々と頭を下げた。 
「ファブールとダムシアンへはワシから連絡するでの。大使殿らにはトロイアと地底をお願いしたい。」 
「了解しました。だが、地底か……」 
「地底へはエブラーナのバブイル経由で行きゃあ良い。とりあえずトロイアから廻ろーぜ。じぃさん、二国への書状は?」 
 移動の難を一閃に解決した忍者は、便宜を求め議長を仰ぐ。 
「うむ、今宵の内に用意しよう。トロイアへ赴くなら、ダムシアンへ戻る船に寄ってもらうが良かろうて。」 
 明朝の船出を約束し、会議はこれにてお開きとなった。 
 
 割り当ての客室に戻り、カインはすっかり縮こまった四肢を存分に伸ばす。一方、外套を羽織ったエッジは、この後の予定を休息で塗りつぶした相棒に明るい声を掛けた。 
「要りモンがあんなら小遣われてやんぜ。」 
「酒瓶一本と引き替えにか……そうだな、少し待ってくれ。」 
 交渉に応じ身を起こしたカインは、旅に必要な消耗品を書き出す。しばしの後手渡された目録の長さに、エッジは眉を顰めた。 
「遠慮ねぇなオイ、一回じゃ運び切れねぇぞ……金足りっかぁ?」 
 共有財布のギル硬貨を数えるエッジを横目に、ベッドの上で胡座を組んだカインは、何とは無し口を開いた。 
「……月の民は協力してくれるだろうか?」 
「五分五分ってとこだな。まぁ何とかなんだろ。」 
 一聴楽観に尽きる言葉だが、彼に限って確実に切れる手札があってのことだろう。 
「バロンのために……すまない。」 
「おいおい何だ止しねぇ、バロンのためじゃねえよ。」 
 とっぷりと顔を俯け肩を落とした生真面目竜騎士に、エッジは盛大な嘆息を聞かせる。 
「悪ぃが、俺はお前ほどセシルを信じられねぇんでな――裏で月の民と繋がってる可能性があるんじゃねぇかと思ってよ。」 
 驚きに顔を上げると同じくして、エッジの目が脇へ振れた。 
「洗脳がどういうモンか、お前さんよく知ってンだろう。ゴルベーザも然り……それに、そもそも月の民の爺さんからして完全にこっちの味方だとは言えねぇ。月の民は月の、青き星の民は青き星の、それぞれの道理で動くのが当然だ。異なる互いの道理が利害一致する方が稀だろうさ。」 
 月の民と完全対立する可能性をも示唆され、カインはしばし瞬きを忘れる。よもや相棒がそこまで計算していたとは思いもしなかった。 
「……俺達は、もしかしたらとんでもねぇモンに喧嘩を売ろうとしているのかもしれねぇ。だが、これが俺達の道理だ、貫くまでよ。」 
 濃紫の髪に立てられた五本指が、言い切りの余韻をがしがしと掻き散らす。 
 それじゃあ行ってくらと早口に残して相棒が部屋を去った後、カインは再びベッドに体を倒した。床に着いていた両足を引き揚げ、シーツの隅々まで四肢を伸ばす。 
 穏やかな日の差す窓から顔を背け、薄生成の壁に反射する柔光からも目を閉ざせば、それでも、温もりが見える。目の前から続き、遠くなるに従い薄れる、それは、真っ直ぐな一本の道だ――誰に強いられたわけではない。自ら選んで自分は今、この道の前に立っている。そして、エッジ――いや、彼だけではない。この旅に同行すると決めた幼い二人でさえ、一歩を踏み出すその刻を信じて待ってくれている。 
 ならばこの先に何があろうと、進んでゆくまで―― 
「……杞憂だな。」 
 引き戻した腕に頭を乗せたカインは、呟きを軽く吹き払う。生来決して勘が良いと言われたことのない自分が、今回も読み外しを願ったとて何ら可笑しいことはない。 
 平坦な道を散歩がてらに、ただ歩いていくだけだ。その路傍には何の心配もない――言い聞かせつつも結局、槍の穂先に映る研磨布を手にした自分の姿に苦笑を向ける。 
 直感の的中率には自信が持てない自分だが、予測となれば話は別だ。すなわち、部屋に戻ってきた相棒の第一声は―― 
『寝てねぇんなら手伝いやがれ!』 
 声調、抑揚、速度に至るまで、完璧に計算できる。この予測は決して外れるまい。 
 
 果たして一時間後、カインは自分の予測に絶対の信頼が置けることを確認した。 



第二間章
 議論の熱気が過ぎ去った蔵書室で、蝋燭は丸火の先に小さな二つの影を燻らせる。 
 筆立てにペンを戻したポロムは、完成した議事録を恭しく巻き上げた。言葉足りない個所の補足や、誤綴の訂正を終えた今、それは頼もしい重厚さを備えている。 
「完っ璧、ですわ。」 
 四隅を飾る花模様さえかつてない会心の出来だ。満足感を一呼吸に換えたポロムは、書類を結ぶに相応しいリボンを雑貨箱の中から迷わず選び取った。小遣いをはたいて買った舶来の藍織は、こういう時のための取って置きだ。 
「ポロ、出来たか? 早く行こうぜ!」 
「止しなさいパロム、焦りは禁物ですわ。」 
 椅子をがたつかせる弟の手を戒め、見事な四つ羽を結んだ少女は、姿勢を翻し床にひらり降り立つ。 
「いいですか? パロム。私たちは明日からまた、カインさん達と旅をすることになります。」 
「もーーー! そんな話どうでもいいよ!」 
「こら、ちゃんと最後まで聞きなさい!」 
 話し始めた矢先に腰を折られたポロムは、ばたばたと足を踏みならす駄々っ子の頭をぽかりと鳴らした。 
「知っての通り、カインさん達は、とっっっても大事なシメイを持って、旅をするんです。」 
 滔々と言い聞かせる少女の脳裏に、大人達の真摯な眼差しが呼び起こされる。 
 遥か彼方の地、『月』を目指すカイン達の肩に掛かった責任が、実際どれほど大きく重いものであるのか、俄には測り難い。 
 しかし、確実に分かることが一つある。 
 それは、自分たちに下された同行の許しが、持てる限りの全力を尽くさねばならない義務を伴うということだ――これまでの旅を通じて、魔道の力が彼らの助けとなることは知れた。だが悲しいかな、彼らから当て所を勝ち取るには、まだあと数歩足りないのが現状だ。ことあるごとに自分たちを安全な場所に置いておこうとする彼らから、真に仲間として頼りにされるようになるためには――そう、彼らの度肝を抜くような、高度な魔法の入手が絶対必要不可欠なのである。 
「私たちは、これまで以上にしっかりお手伝いしなければなりません。だから、新しい魔法は、自分のためではなく、カインさんたちのため、そして何より皆様のために――」 
「ポロムのばか!」 
 憤然と拳を振り上げる姉の腕を素早く掴んだパロムは、※続いて舌戦をも制すことに成功した 
「お説教なんかしてるから、じっちゃん戻ってきちゃったじゃないか! どうすんのさ!」 
 弟の言葉に、ポロムはハッと耳を澄ます。すると、旅の引率二人を部屋に案内し終え、まさにこの蔵書室へと戻る足音が確かに聞こえてきた。 
「し、仕方ないですわ、ごまかすしか……」 
「どうやって!」 
「そ、それは……、」 
 言い淀む間にも刻一刻と足音は階段を下る。進退窮まり視線を逃がした先に、雑然を山と積んだままの机が飛び込んできた。 
「ここは私たちがお片付けするって言えば、きっと!」 
「えぇー! オイラさっきやったのに……」 
 パロムは盛大に顔を顰める。この世で何が嫌いかといって、お片付けほど嫌いな作業はない――しかし。舌の根まで登ったヤダの二文字は、お絵描き道具を自主的に片付けた際と同じ動機によって速やかに押し戻された。 
 すごい新魔法で、ニィちゃんと隊長とポロムをカッコよく助ける天才黒魔導師・パロム様の勇姿――この輝かしき想像を現実とするために、今はワガママを言っている場合ではない。 
「お片付けするって言ったら、じっちゃんホントにどっか行ってくれる?」 
「もっちろんですわ! さあ、長老様が戻っていらっしゃいますわよ、笑顔でお片付け作戦開始ですわ!」 
「分かった!」 
 大人に怒られないことにかけては天才的な姉の頭脳を信じ、パロムは入り口に満面の笑顔を向ける。程なく最後の段を踏み切る音がし、扉が大きく開かれた。 
「……どうしたのじゃ? お前達。」 
 思いがけない大歓待を受けた長老は首を傾げる。あからさまな訝しみ眼に、双子は一層輝く白い歯を見せつけた。 
「何でもございませんわ、長老様!」 
「ねねね、じっちゃん、じっちゃんも疲れただろ! ここの後かたづけはオイラ達がするから、早くどっか行って!」 
 ポロムは即座に失言者の足を踏みつける。 
「ほ、おほほほほほっ、ちょ、長老様は、そうですわ、塔のお部屋にお戻りくださいませ! ここは私たちが、ピーッカピカにお片付けいたしましてよ!」 
 学都ミシディアをして長を務める賢老が、こんな取り繕いに誤魔化されてくれるだろうか? ――多分、駄目だ。首の後ろを冷たい汗がたらりと伝う。 
「お前たちの申し出、有り難く受けるとしようかのう。」 
 果たして、長老は髭を撫でながら目を細めた。ポロムがほっと胸をなで下ろしたのも束の間。 
「じゃが、掃除はひとまずさて置いて、与えねばならぬものがある。」 
 傍らの書棚から分厚い呪文書を抜き取る様を見、双子は慌ててその足に組み付いた。 
「じっちゃん、呪文の書き取りは帰ってきてからにして!」 
「お願いします長老様! 私たち、どうしても新しい魔法を――」 
 パロムは慌てて姉の口に手を被せる。長老は意味有に口元を寛げ、二人を手招いた。 
「こっちじゃよ、付いて来なさい。」 
 踵を返した長老の姿が書棚と書棚の隙間に音もなく消える。双子は顔を見合わせた。 
 
 一方その頃。 
 打ち合う剣と槍の徽章が、天火を写した深紅の中央で静かに揺らめく。その朧な旗影が踊る白煉瓦は、巨人の手になる模型然として微塵も動かない。だが、窓からか漏れる昼餉の仄香から、その内部には普段と変わらぬ生活が確かに宿っていることが知れる。 
 石畳を行き交う緩やかな雲足に紛れ、二対の靴が表通りを広場へ向かい下ってゆく。型を揃えて地面に抜かれた二つの影は、やがて二階建ての軒先で動きを止めた。扉に吊られた屋号の綴りに旗蜻蛉が踊る。ハンドルに手を掛け押すと、主同様愛想の無い質素な木戸は呆気なく口を開けた。 
「誰もいないな……。」 
 一目瞭然の事実を告げる声が閑古鳥を窓席へと押し退ける。 
「当たり前だろう。善良な市民はみーんな家に籠もってるさ。」 
 テーブル席の合間を縦に割り、男はカウンター裏の棚から酒瓶を一本手に取った。同僚の勝手な行動を咎めるでもなく、依然入り口に立つ男は一歩脇へ身を寄せる。その些細な動作に従って、床に描かれた光の四角形は急激に幅を狭め姿を消した。 
「それで戸締まりも必要ない、か。」 
「日頃の行いの賜だな。」 
 誇りを帯びた言葉がカウンターに立った筒硝子に映る。 
「違いない。都市生活法第三条一五項、他の私財を正当な理由なくして収奪した者、所蔵没収及び禁固三年以上の刑を科す!」 
 入隊時に嫌と言うほどたたき込まれた知識の暗誦で応じた男は、酒瓶二本分の値段を筒硝子の横に置いた。錠のない扉こそ、この町の治安に対する市民の信頼の証。その信頼の拠り所となっているのは、他ならぬ自分たちなのだ。 
「おい、掲杯は?」 
 ささやかな誉れを分かち合いもせず、自分の取り分を注いだなり杯を傾ける同僚に待ったを掛ける。 
「誰に?」 
「誰って、そりゃあ……バロンに。」 
 結局は常と変わらぬ献句に、二つの杯が重なった。 
「「バロンに!」」 
 乾杯を終えたカウンター席に、溜息が仲良く配膳される。半ば空になった器と互いの顔を窺い、仕方なく代杯を充たしそれさえ空にしてみたものの、一向にどちらの口からも声が発される気配は見えない。 
 逆腕側からがしがしと突き出される肘打ちの猛攻に屈した男は、空の杯をひとまず机上に据えた。 
「……なぁ、あの話、本当だと思うか?」 
「あの話?」 
 よもやの問い返しに、男は自然身を乗り出す。 
「まさか、知らないのか? ゴルベーザの呪いだよ! 死してなお恐ろしい邪悪な魔導師の呪いが――」 
 直後、凄まじい衝撃が兵士二人の脳天を含めカウンターに並ぶ全てを揺るがした。 
「こぉりゃ貴様ら、こんなところで何を油売っとるんじゃあ!」 
「「シドさん!」」 
 良く晴れた昼下がりの酒場に降臨した憤怒の雷神は、鉄腕を再装填する。 
「ジョン! フリック! 警備をサボって真っ昼間から酒など、言語道断甚だしいわい!」 
「「自分たちだって、居たくてここにいるわけじゃないです!」」 
 異口同音の悲痛な叫びが、シドの眉根をピクリと動かす。 
「登城するなり自宅待機を命じられたんですよ!」 
「俺達みたいな下っ端はお呼びじゃないんだそうです!」 
 陳情を受け、シドは唸りに喉を振るわせた。バロン全軍中、陸兵団に次いで多様な業務を担う海兵団の、下級とはいえ士官たちに、事前告知もなく暇を出すなど通例考えられない。記憶にある限り、王命による軍士官の緊急下城が行われたのは、三十余年前に起きた穀病害虫大量発生時のみだ。勿論、今年の気候は例年通り穏やかで、作付けを終えたばかりの穀倉地帯では早くも大豊作が期待されている。※しかも、ただでも現在は農繁期のため、また、先の戦役で消耗した労働力を補うため、通常よりもずっと城詰人数が減らされている。これ以上人員を減らしたら、警備網に穴が空いてしまう。 
 だが、彼らが言うことに偽りはないだろう――シドは青年二人の言い分を真と断じる。何故なら、かく言う自分こそ、こんな時間に町を散歩もとい巡回するに至った理由を彼らと同じくするからだ。 
「ぬぅ、お主たちまでもか……。」 
 こうして、城から一人、また一人と不自然に追われていく様は、まるであの時――一年前のバロンを彷彿とさせる。 
「お主たちまでも……って、シドさんは隠居したんでしょ? 自伝を書くんですよね――」 
「ワシゃ生涯現役じゃい! そんな年寄りじみた真似なぞせんわ!」 
 恐らくはセシルが吹聴元であろう猪口才な流言を蹴散らし、シドは再び鉄腕を回す。頭上への鉄槌再来を警戒して身を竦める兵士の合間を縫い、カウンターから酒瓶を一本引き上げた生涯現役技師は、手近なテーブル席から椅子を引き三角陣を形した。 
「……で、ゴルベーザの呪いとは何じゃ?」 
 酒瓶ごと献杯を行い、話の続きを掘り起こす。 
「知りませんか? 俺達の間じゃ有名な噂ですよ。」 
「ゴルベーザが陛下を恨んで、バロンに呪いをかけたって話です。バロンがおかしくなっちまったのはそのせいに決まってる!」 
 言って、杯に半分も残った酒を一気に呷った兵は拳を震わせた。 
 彼らの不安はよく分かる――返す刀を失ったシドの目は酒瓶の口に吸われる。旅路を共にした者であれば一笑に付せる他愛のない噂話。しかし、詳細を知らない彼らを始めとする大多数にとっては、深刻な懸念事項に違いない。 
「飛空挺が飛んだきり帰ってこないのは、国外へ逃亡したからに違いないぜ!」 
「そうだ! こんな時期外れに新兵の研修だなんて、絶対おかしいもんな!」 
「しかも、エブラーナの旅人とミシディアの使者を、問答無用で投獄しちまった!」 
「投獄された者たちの姿をその後見た者はいないとか……」 
「ローザ妃もトロイアへ行ったきりだし、もう何が何だか……!」 
 兵士達の苦渋を存分に和えた酒が喉を灼く。錆のような味の水をようよう飲み干したシドは、暗い呼吸を一塊吐き出した。 
「……お前達の言う通り、バロンにおかしなことが起こっとるのは確かじゃ。しかし、それは断じてゴルベーザの呪いなんぞではないわい!」 
力強く言い切り、瓶底でテーブルを叩く。 
「どうしてそう言えるんです? 部下のカイナッツォでさえ、強力な呪いで陛下やシドさんたちを苦しめたじゃないですか!」 
「そりゃあ……――」 
 言いかけ、シドは慌てて口に滑り止めを流し込んだ。 
 ゴルベーザがいまなお生を留め、あまつさえセシルの肉親であったことは、ごく限られた仲間だけが大いなる光の御許に召される日まで抱えてゆくべき秘密だ。実兄に大罪人の名を冠し、この星の歴史として残さざるをえなかったセシルの決断を、まさか無碍にするわけにはいかない。 
 中途半端に立ち止まった会話の最中で、喉に引っかかった酒気を咳払いで慎重に下す。 
「いいか、お前達。セシルはもうゴルベーザを倒しとるんじゃ。」 
「……だから何です?」 
「分からんか! 同じ敵が何度かかってこようが結果は同じじゃ、ゴルベーザなど最早セシルの敵ではないわい!」 
 鋭い指摘が兵士たちの疑念を錐と穿つ。だが、まだ突破口を開けたに過ぎない。彼らの表情を完全な納得へと至らせるにはあと一手、だめ押しが必要だ。 
「それに、これは極秘情報じゃが――」 
 態とらしくもったいぶってみせ、シドは身を乗り出す。 
「もしバロンに万一何かあれば、ワシを始めとして、先の戦役の英雄たちが即座に駆けつけてくれる筈じゃ。」 
 雷神の口から放たれた予言は今度こそ、兵士達の憂いを微塵に撃ち砕いた。 
「クリスタル戦役の英雄たちが!?」 
「シドさん、それ、本当ですか!!」 
「うむッ! みんなセシルを信じとるからなっ、協力は惜しまんわい!」 
 噛みつかんばかりの勢いをがっしりと受け止める。告げた言葉に嘘はない――自分はセシルを信じているし、牢獄で会ったカインやエッジ、双子たちの瞳にさえ、疑念の光の下に信じたい気持ちは決してかき消されてはいなかった。 
 快報に感極まった兵士はカウンターを軽々乗り越え、新たな酒瓶を手にする。遥か頭上から狙い過たず三つの杯を充たした琥珀金が、窓から差す光を反射し輝いた。 
「こりゃあ腐ってる場合じゃないぞ! 俺達だって、いつ陛下から協力を求められてもいいように準備しておかないと!」 
 そうだその通りと乗する賛同が場を囃す。 
「聖騎士王、万歳!」 
「バロンに栄光あれ!」 
 若き王からたった一言、助力を請う言葉の発されるその時の遠からぬ訪れを願い、シドの小銭袋が豪快に卓を叩いた。 
 
 一方その頃。 
目の前に広がる本の山。長い年月に灼かれた紙の匂いが鼻を付く。入り口に立てば広げた両腕に収めてしまえそうなほどの小部屋は、抱えきれないほどの知識の傍に訪問者たちの足を留めた。 
「儂の友人が昔使っていた部屋じゃよ。」 
 魔道に通ずる長老の言葉が、この部屋の時をしばし過去へと戻す。幼い双子の脳裏に鮮やかに浮かび上がる在りし日の光景。それは彼がミン・ウの名を継ぐ以前――祈りの塔に籍を置く一介の学徒であった頃の記憶。 
 無造作に古書を広げ、知識の深遠へと友を手招く快活な青年。築かれた一里塚の輝かしき披露目に破顔で応じる穏和な青年。長きに渡る使用に洗われた椅子はガタリと大きな音を立て、若き賢者のくまなく入墨に彩られた体を受け止める。机に腰を凭げた未来の長は、友人の講釈を時に促し時に諫める。朝な夕な繰り広げられた高度な魔術議論。 
 それは、思い出と塗り込めるにはあまりに鮮やかで、今なお薄れることはない。 
「テラ様のお部屋でしたのね……。」 
「秘密基地の方がかっこいいよね。」 
 場所の名称について同意を求める弟に、少女は静粛を仕草で促す。若き日の面影に深い年月と豊かな髭を蓄え、入り口の二人に振り返った元学徒は、机の下に隠された菓子の包み紙を摘み上げた。 
「もっとも、お前達が足を踏み入れるのは初めてではないようじゃの。」 
「へ、へへ……ごめんなさい……。」 
「も、申し訳ありません、長老様……。」 
 高度な錯視術によって隠されたこの部屋への入り口を知ったのは、全くの偶然だった。蔵書室で共に呪文の書き取りをしていた際、小突き合いから発展した喧嘩の最中に、ポロムの投げたインク瓶が壁に消えたのだ。 
 入り口さえ知れてしまえば、子供達の探求を阻むものは何もない。壁を抜けた先、時間から隔てられた空間の至る所に無造作に放置された帳面には、埃の下に彼らの好奇心を刺激して余りある叡智が書き留められていた。多くは難解な魔道理論の研究だったが、幾冊かは実践指南書であり、ポロムは風に働きかける術を、パロムは魔力を物体に直接送り込む術を、それぞれ持ち出したのだった。 
 この場所への出入りを長老は快く思わないだろう――魔道は常に心と共に歩めと教える長老が、知識のみ先駆けて修得することを何より嫌っていることは重々承知していた。故に、書を持ち出したことは元より、『秘密基地』への立ち入りそのものを内緒にしていたのだ。 
 落雷に備え、双子は固く身を籠める。だが、実際訪れたものは予想を裏切る言葉だった。 
「糧になっとるなら良いんじゃ。お前たちは、魔力の理を正しく使っておる……テラも喜ぶじゃろうて。」 
 親友の名に伴う一抹の寂しさが、半ば見えぬ眼に翳りを落とす。 
 才気に溢れ、メルトンやアルテマなど大津波が時の彼方へと押し流した理智の数々を、見るも鮮やかに復活させた友の眩しい姿。誰もが彼の栄光を信じ、その大成を疑いはしなかった。 
 そんな彼の人生に翳りが見えたのはいつだったろう。元々、危うさは感じていた。それが、自分には遠く及ばぬ才を備えた友人に対する嫉妬の変形であったのかさえ、最早定かとする術はない。 
 幾度となく発した諫言に耳を貸さず、未だ見えぬ道の先へ向かい真っ直ぐに走り続けていた友人はしかし、ある日突然、幼子の手を引いてミシディアを後にした。海を隔てた大陸の小さな町で静かに暮らしているという手紙を受け取った時は、安堵とも不安ともつかない漠然とした感情を覚えたものだ。このまま平穏に時が過ぎるとは思えない――抗う術などないことを知りながら、日々の祈りにかき消していた不吉な予感。 
 それから時を経て、彼は再びミシディアに現れた。まるで昔のままの瞳で――寄る年波に褪せたとはいえかつての偉才を疑いなく抱え、真っ直ぐに行く先を見据え――彼は魔道の闇に墜ちた。最後まで、一度も振り返ることなく。 
「継ぐ者が絶えし時、その心も共に絶える。友人として、これが最後の縁であるかもしらん。」 
 長老は書机の上に置かれた人の頭ほどもある塊石を軽々と手に取った。その手が淡い光を放ち、石に縦横無尽の幾何学模様を描く。無数の四角形が織りなす模様を枯枝の指が滑り、それに伴い石の上辺がするりと推移した。 
 石を再び机に戻した長老は、内部に収められていた小さな帳面を双子に手渡す。部屋に散乱する他と違い、時の流れから隔てられたそれは、双子の手の中で真新しい紙の香りを放った。 
「長老様、これは……!」 
「これ、オイラたち、良いの?!」 
 開いた紙面にさっと目を巡らせた双子は、ほぼ同時に声を上げる。 
「良いんじゃ。」 
 今や旧き標にその名を刻む存在――ミシディアをして大賢者の称号を得た友人の魂を、幼い子供にしっかりと託し、再度の生を与える。 
「でもじっちゃん、……オイラたちがもし、この魔法を悪いことに使ったりとかしたら、どうすんのさ!」 
 真横から放たれた警句に、ポロムははっと顔を上げる。魔法を悪いことに使う――考えたことさえなかった。意外な視点の在処を示した弟は、今ただ一心に眼の先を見据えている。 
「悪いことに、か。そうじゃな……。」 
 長老は未だ衰えぬ智の光を白い糸滝のような眉の下に埋めた。 
「迷いの心で用いる時、魔法はお前達の身を必ずや滅ぼし、魂までも食い尽くすじゃろう。」 
 賢者の予知は、幼い身を竦ませるには充分以上の禍々しさを持って響く。ゆっくりと腰を折った長老は、押し黙る二つの顔を両腕に抱き寄せた。 
「されど時はまだ、お前達を必要としている。良いか……先ずは、己が身を守ることじゃ。大使殿やエブラーナ王殿の助けとして力を尽くすことは無論じゃが、何よりも先ず、お前たちが無事でいなければならぬ。」 
 一音一語に祈りの籠もった魔法の言葉が耳を包む。心から祈り発されるとき、言葉は魔を帯びる――ポロムは目を閉じ、懐かしい香のローブに額を預けた。 
「パロム、ポロム、お前たちは強い子じゃ。信じる通りに、道を選んでゆきなさい。ワシは――いや、皆が、お前たちの選んだその道を信じとるよ。」 
 枯枝の指を掛けられた二の腕が徐々に軋む。不思議と、痛くは感じられない。 
「お前たちを信じとるよ。」 
 
 一方その頃。 
 淀んだ水を穿つ水滴が波紋を広げる音が響く。扉の合わせに重ねた掌を慎重に剥がすと、瞬く間に冷たさが表面を覆う。同時に左手にした結晶の輝きも失せた。 
 踵を返せば、深閑と静まりかえった薄闇が途方もなく広がる。男は二の腕を軽く摩った。無論、この行動に気休め以上の意味は無い――肌の粟立ちが実際の冷感ではなく、目と心の奥底から訪れたものであろうことは分かっている。 
 目が慣れるのを充分待って見回した空間は、足の形を朧に捉える程度には明るく、周囲の様子を見通すには足りない。男はベルトポーチから燐寸を取り出し、手にしたカンテラに火を移す。鎧戸を絞ると、直線光が滑らかな通路を描き出した。 
「……よし、出発だ。」 
 自らに進む意志を確かめ、男は行軍を開始する。その輝かしき第一歩は、爪先に跳ね返った金属質の響きによって水を差された。右手に柄を触れた姿勢を取り、蹴転がした方向へと灯りを向ける。輪郭を無くした円の端に、腐蝕した金属面がぼんやりと浮かび上がった。正体を見てなお慎重を期し、男は爪先でもう一回転それに加える。丸く鋳られた無機質な鉄塊は、がらんどうの音を立てて半歩先へ進んだ。 
 拾い上げ、光を直に当てる。鼻先を強く燻る錆をしばらく擦ってやると、見慣れた模様が現れた。旧式の陸兵団歩哨兜――庇の上部に刻まれた先代王家の紋。 
 持ち主の心当たりを確信に変えた男は、しかし、手にしたそれを後列に一度戻した。所有者に遺失物の預かりを告げることは出来ない。ならばせめて持ち帰るにしても、どのみち後の話だ。 
 改めて灯りを回し、道を行く。一定の歩幅を保ち歩くことおよそ四半刻ほどを経、男の行く手に再び扉が立ち塞がった。一番目の扉と同じ要領で、これも難なく開ける――瞬間の目眩ましから回復した男はまず、カンテラの火に息を吹きかけた。 
 ここはまだ照明が生きているようだ――あるいは、とうに死んだ光の亡霊か。壁を走る青白く光る静脈の流れが時間の見当を失わせる。唯一標となる風さえもここには届かない。ざっと見渡す室内は、非常に良好といえる状態を留めている。壁は磨かれた鏡のように男の姿を映し、床には足跡を刻む塵一つない――しかし、ここが既に放棄された場所であることを、男はよく知っていた。 
 この場所は恐らく、いわば通用口に当たるのだろう。推定される施設の規模からして、正面玄関は恐らくこの倍、もしくは更に倍なければ格好が付かない。 
――それでも、広い。 
 男の口を小さな溜息が叩く。見えるだけでも分岐は八つ、その先に広がる空間となると最早想像も付かない。一人でここを調べきるなど、あまりに途方もない話だ――が。 
 協力を頼むとしても、一体誰に? 
 忍び笑う男の脳裏に式典の光景が蘇る。それは、あの日彼らの眼差しの向こうに見えた、自分を仰ぐ皆の瞳。燦々と打ち寄せる尊敬の眼差し――仰ぐは白眩たる正義の英雄王。多大な戦債に打ちのめされた民にとって、その存在はどれほど癒しであるだろう――故に、成さなければならない。民を、臣を、友を、そして家族を救う。それはまるで些細な、ごく当たり前の務めだ。 
 そんな務めを当然と思う心さえ、つい最近まで失くしてしまっていた――男は小さく笑う。それは、自分が荷を背負うことで誰かの荷が減る、たったそれだけの、ごく単純なことだ。思い出してしまえば、何故そんなことを忘れていたのかと首を傾げるより他にない。 
 一頻り笑って、男はいざと唇端を締めた。もう迷いはしない。成すべき事を成す、自分には――自分だけが、それを成せる。いずれは皆の知るところだとしても、それは全てを滞り無く終わらせた後の話だ。そのためには、出来うる限り迅速に行動しなければならない。 
 そうと思えば、益々もって立ち止まっている時間が惜しくなる。早速、右手の壁に沿い進んだ男は、行先を閉ざす扉に水晶を翳した。この扉を開いた先にある道が正解か否かは知らない。だが、虱潰しの労を嫌うのはそれを試した後で良い。 
 音もなく開いた扉の向こうには、空洞が広がっていた。僅かな足場と、それを囲う手摺りの他に何もない――正確には、この部屋と同じく壁に光の走る模様が施されているのだが、空間の全容を照らすには圧倒的に光量不足だ。 
 半歩下がって背後の部屋から光を通してやると、巨大な円筒形が辛うじて視界に描き出される。上下層の移動に用いる小型の吊部屋を通す筒だろうか。どのみち、肝心の吊部屋を動かすことの出来ない今、それを確かめる術はない。 
 再び灯したカンテラの光は、上下共測り知れない奈落へ呆気なく吸い込まれた。天井と床の視認を潔く諦めた男は、続いて足下周りに炎を回す。縦横およそ三歩分の足場から、向かって左に昇る階段、右には下る階段が、質素な柵を伴い壁の緩いカーブに沿わせる形で設えられている。 
――どちらへ行くべきか。 
 しばし逡巡のち、男は決断した。設備の大まかな配置は、かの地に建つ塔とそう変わらないはずだ――人の手により造られたものは、人と同様、癖を持つ。従って、目指す物は下層にある可能性が高い。 
 ベルトポーチから小銭入れを引き出し、硬貨を一枚暗闇の底に向かって落とす。1ギルと引き換えに些細な願いを叶える幻獣が現れることはなく、ただ冷たく澄んだ音が返ってきた。幸運にも、底の在処は常識の範囲内に収まっているようだ。次いで、男は懐中時計を手繰る。盤面の針は、次の巡回までに下層の入り口を拝む程度の猶予があることを告げていた。 
 カンテラを掲げ、慎重に一段目を踏み出す。どれほど綺麗に見えても、短からぬ間維持を受けず放置されていた場所だ。段が抜けるなどの事故は高確率で起こり得るだろう。しかし、単なる杞憂であったことがすぐに判明した。思いの外しっかりとした接地感を得、男は苦笑する。この様子ならば、もう二、三人乗ったところでびくともすまい。むしろ、普段移動に用いる居塔の石段こそ余程危うく思えるほどだ。 
 一段一段と数えることなく闇の底へ降りる。男はふと火を下げ道程を振り返った。徐々に深まる暗闇の中、やや右上方に小さな星の煌めきが見える。行程の半分くらいは消化しただろうか。 
 降下作業の労を軽い吐息に変えたその瞬間、靴底が妙な感触を踏み込んだ。即座に足を引いた男は、手にした灯を差し向ける。その口から声は出ず、ただ喉の痙攣りが肺を打った。 
 朧明かりの中心で蠢く血溜まり。無理矢理既知の形状に当て嵌めるなら、軟質の赤い被膜に包まれた蜘蛛のようなとでも言おうか――一瞬たりとも形を確かにすることのない抽象物。その天辺に刻まれた滑り止めの跡は、見る見る薄くなり消えた。 
 男が声を忘れている間にも、目も鼻も口もないそれは触手を伸ばす。咄嗟の判断さえ閃く前に足が動き、それを奈落へと蹴り落とした。 
 落ちたものの顛末を確かめんと、手置柵を越えてカンテラを差し向けた男は、階下に待ち受ける光景に息を呑む。 
 下層の床に巨大な池を成す夥しい数のそれら。灯火に一瞬きらりと光った硬貨はしばしも経ず、緩く蠢く赤模様に取り込まれた。 
――あんな場所へ踏み込んだら、ひとたまりもない。 
 靴底を鳴らさぬよう交互の踵で五段計り、向きを変えて一気に駆け上る。窒息に伴う痛みが空の肺を打つに構わず、降ってきた全距離を回収した男は、目前に開けた光の中に迷わず飛び込んだ。 
 閉めた扉に凭れ、ゆっくりと上体を折り曲げる。存分に呼吸の循環を終えた後に、一つの言葉が吐き出されてきた。 
「一人……か。」 
 途方もない空間に単身挑む。だが、不安に思うことは何もない。何故なら、あの時もそうだった――今回も同じことだ。急ぐことなく着実に、前回よりも巧いやり方で、必ず乗り越えてみせる。 
 男は懐中時計を取り出した。今当てにすることが許される唯一の仲間――時間は、まだしばらく共に居ることを告げている。 
 鈍銀をポーチに戻した男は、次なる扉に向かい水晶を掲げた。 



六章前編
 ミシディア大陸を南から回り、連なる列島を小石づたいにちょうど十数えてから針路を東に取る。足の早い潮の流れを捉えた船は滞り無く行程を消化し、一行はいよいよトロイア上陸の日を迎えた。 
 自ら小舟の櫂を取り陸地まで送り届けてくれた船長に厚く礼を言い、踵を返した四人の前に広大な森が拓ける。僅かな草原の向こうには見渡す限り碧緑の世界だ。 
「すっげー!」 
 全員分の感想を、少年がまとめて代弁する。 
「すごいな……」 
 パロムの言葉を繰り返す形で、カインは胸を揺るがす感情を吐き出した。国土のおよそ八割もが森林に覆われ、世界の木材需要を一手に賄う――数値として知ってはいても、それが実際の光景となると正に圧巻の一語だ。 
 かつてこの国を訪れたのは二度。しかし、正確には上空であり地上に降りたことはなかった――雲の合間に僅か見えていた緑の溜池が、今は押し流さんばかりの洪水と化して眼前に迫る。 
 しばしの驚きから醒めた一行は、まず東に固まった低木群を抜け、河口へ下ることにした。一旦河と合流してから、流れに逆らう形で北へ向かえば城に到着出来る。遠回りにはなるが、深い木立に道を失わずに済む安全な進路だ。 
 川辺を進む隊列の傍らでせせらぎが徐々に急ぎを増してゆく。今や潮風はすっかりと吹き抜け、緑の息吹に肺までも染まるようだ。 
「いやァ、気分爽快〜♪」 
 それなりの距離を歩いたにも関わらず、エッジでさえ休憩を要求してこない。上質な絨毯に包まれ、その足運びはいつにも増して軽やかだ。晴れ渡る空に流れゆく雲が若葉を撫で、天気も良く景観は最高――たった一つ惜しむらくは、これが散策行でないことだろうか。 
「ポロム。」 
 意地の悪い風に枝から振り落とされたのだろう、路傍を飾る盛りを迎えた花の一房を拾い上げたカインは、前を歩く少女を呼んだ。 
「どうしました? カインさん。」 
 小走りに駆け寄った少女の髪に、淡黄の五片から成る釣鐘を下げる。遊び盛りの頃を大人の都合で犠牲にしてくれた彼女に対し、今はこんな物しかくれてやることの出来ない自分が歯がゆい。 
 耳の真上に花の連なりを揺らした少女は、川面に映る驚き眼を瞬いた。たった一房が飾られただけで、水面に映る姿は宴席に着飾った淑女の姿に勝るとも劣らない。 
「ポロばっかずるいぞー! オイラも欲しい!」 
 双子の姉への寄贈を目敏く見咎めた少年が声を上げた。 
「パロムもか……そうだな――」 
 確かに、片割れだけを贔屓するのは好ましくない。少年の襟元を飾ってやるため、カインは辺りを見回す。 
「えっとねー、オイラは花よりもっとカッコイイのがいいな!」 
 難解な注文を受け、草地の上を巡らせる視線が躓く。花という存在を語るにあたって、格好良い悪いという基準があることを初めて知った。花よりカッコイイ物とは何だろうか。草はどうか。樹そのものか。はたまた―― 
「ったく、生真面目騎士様はしょーがねぇなぁ〜。」 
 棒立ち竜騎士を脇へ押しやり、エッジは大仰に胸を張った。川辺から天辺のなだらかな小石を選び出し、少年の掌に乗せてやる。与えられた小石を矯めつ眇めつしたパロムは、不満に頬を膨らました。 
「こんなのちっともかっこよくない、ただの石じゃん!」 
「まぁ見てろって。」 
 少年を宥めたエッジは、自らも似た格好の小石を手に取り、緩やかな横手投げで川面に向け放つ。エッジの手を離れた小石は水面に五つの波紋を連ね、六度目の着水で冠を立てた。 
 翼を持たぬただの石礫が、水面すれすれを軽やかに飛ぶ魔法を目の当たりにした少年の口から、言葉にならぬ感嘆の音が漏れる。 
「どうやったの? 今のどうやったの!?」 
「まぁまぁ待ちねぇ、次はもっと上手く――」 
 忍者の言葉を水切り、竜騎士の手から放たれた石が七つの波紋を描いた。対岸に当たり静かに沈んだ石を見、カインはふふんと鼻を鳴らす。父より習い、セシルと共に競い磨いた技はまだ衰えていない。 
「っ手前ェ、上等じゃねぇか! そっちがその気なら本気で行くぜ!」 
 得意の投擲術を横取りされた形となったエッジは、勇んで次弾を手に取った。 
「フッ、受けて立とう。」 
 一方カインも、竜騎士の名に掛けて、負けるつもりの勝負など挑まない。 
「ねねね、オイラもやりたい、やりたい!」 
「あのっ、私も!」 
――かくして対岸に小石の堰を築いた後、四人は昼下がりのトロイア市街に足を踏み入れた。 
 
 森の拓けた場所にひっそりと息づく民の生活。浅茶の煉瓦と、水源より導かれる清廉を頌えた水路が、白い石造りの家々の間を縦横無尽に渡る。景勝地としても名高いトロイアに於いて、旅装束の他国人は珍しくない。行き交う町人の穏やかな歓迎を受けながら、一行は城門前に立った。 
 トロイア城。森に仕える八神官の住まう神聖な社でもある三階建ての宮殿は、円柱を基礎とした曲線美によって構成され、荘厳な静謐さに充ちている。 
 番を務める女官の誰何にミシディア長老よりの書状と用向きを託し、待つことしばし。 
「大神官様がお会いになるそうです。皆様、こちらへどうぞ。」 
 門が開かれ、城の奥へと招かれる。急な来客を受けてか、城内を行き交う者の足は総じて早い。 
「迷惑を掛けてしまったようだな……。」 
「さてどうかな、別件かもしれねぇぜ。」 
 彩り豊かな陶瓦で大輪の花を描いた通路は、やがて巨大な噴水を中央に据える内庭に突き当たった。降り注ぐ光吹雪を左手に回廊を逆順し、柱を六本数えたところで、番兵を両脇に従えた一際立派な扉が現れる。 
「ミシディアよりの使者が参られました。」 
 番兵の手により扉が内側へ押しやられると、翼状の階段を両側に備えた中規模の広間が開かれた。中央の壁際に設えられた長椅子の傍らに、薄碧地の法衣を纏った上品な年配の女性と、淡緋の被衣を着た侍女らしき女性が並んで立っている。門兵に託した書状を手に提げた年配女性の前に、一行は跪いた。 
「遠路遥々ようこそおいでくださいました。我ら森の民、水の都よりおいでの皆様を、心より歓迎いたします。どうぞ楽になさって。」 
 トロイアを統治する八神官の一人として名を連ねる女性は、年輪を刻んでなお整った顔に微笑を浮かべた。四人が立ち上がるのを待って、侍女が神官の傍らに恭しく書状を広げる。 
「早速、お返事を差し上げましょう。ミシディアへのクリスタル貸与について、事情は承知いたしました。ですが、輸送の準備に取りかかれるのは、早くても一週後になります……よろしいかしら?」 
「厄介ごとかい?」 
 エッジの問いに、神官は目を伏せた。 
「ええ……森に異常が起きまして、明後日には城兵の大半が出掛けなければならないのです。」 
 エッジとカインは顔を見合わせる。城内の慌ただしさは、目前に大規模作戦を控えてのことであったようだ。 
「……ご説明を?」 
 間の悪さを詫びるより先に、二人の怪訝を見止めた神官が伺う。 
「よろしければ、是非。」 
 催促を受け、神官は唇に憂いを紡いだ。 
「一巡月ほど前のことです――」 
 異変発生の報は、城下に住む薪取りの者よりもたらされた。異常成長した木々が恐ろしい勢いで水を吸い上げており、一帯の植物は枯れ果て、大地が干上がりひび割れているという。早速調査に派遣された城兵は、樹木が赤い瘤を成す奇病に冒されている様を目撃した。直ちに病瘤を焼き払い、事態は沈静化したかに見えたが、病瘤は日を跨がずに復活し、あまつさえ他の木々へ感染が拡がりつつある様子さえ見られるという。 
「――幸い、対応策は既に得ることが出来ました。大規模な作戦になりますから、今は皆その準備に追われておりますの。」 
 説明を終えた神官は、改めて視線を前に据えた。 
「ですので、申し訳ありませんが、皆様には明日昼までにお発ちいただけるようお願いいたします。クリスタルは、近く必ずミシディアへお届けいたしましょう。」 
「了解した……――」 
 語尾を曖昧に濁し、カインは視線を回す。今この状況で、他国の問題に首を突っ込むことを、皆が了承してくれるだろうか。しかし、皆の顔を見ればその意向は問うまでもない。 
「その作戦、我々の参加を認めてはいただけないだろうか?」 
 カインの申し出に、神官は緩く首を振った。 
「感謝いたしますが、お気持ちだけ。先をお急ぎになるのでしょう?」 
「確かに、猶予がどれだけあるのか分からないが……もしかしたら、我々が調べている案件と無関係ではないかもしれない。」 
 よもやの懸念を聞きつけ、エッジは大仰に顔を顰める。 
「おいおい……奴さんら、木にまで寄生しやがるかァ?」 
「むしろ木にこそ、とも考えられる。ステュクスは植物だ、他の生物よりも同属である樹木に対してこそ、より親和性が高いかもしれん。実際、既に成体とおぼしき状態になっているような様子もあるしな……。」 
 この場合、宿主となった樹木の餌に当たるのは水と光。即ち、水を大量に吸収する状態は異常食欲に相当する。 
「ってことぁ――」 
 エッジに頷きで返す。もし懸念が的を射ていれば、感染が広がる前に食い止めておかなければならない。 
「我々はこれまで、貴官の仰る奇病に似た事案を何件か目撃した。調査の一端として、貴国の事案に関わることをどうかお許しいただきたい。」 
「まぁ……あなた方のご厚意に心より感謝いたします。お言葉に甘えてよろしいかしら?」 
 四人の力強い頷きを返事とし、神官が両手を交差させて胸元に合わせる神式の礼を返した。 
「では、より詳しい状況をお伝えいたしましょう。皆様、お掛けになって。」 
 壁際の長椅子を示され、それぞれ腰掛ける。侍女に何事か囁き下がらせた神官は、自ら一行の向かいに椅子を引いた。 
「東南の森の守護樹が病の感染源であることは、調査によって既に判明しております。守護樹は森の母、その区画にある全ての樹木と繋がりを持っていますから、守護樹を浄化すれば、区画にある全てのトレントの浄化が共に叶うでしょう。」 
「浄化とはどのように?」 
「聖水にて行います。」 
「「「「聖水!?」」」」 
 神官の言葉に混じった爆弾発言に四人の声が揃う。 
「ええ、聖水です。特別な樹液を清めの水で溶いたものですのよ。」 
 大袈裟な反応に気圧されながらも、神官は笑顔を崩さない。 
「質問させてくれ、その……聖水の精製法は、一体どのようにして知ったのだろう?」 
 カインは重大事項を掬い上げる。 
「彼が訪ねてきたのです。」 
「彼?」 
 三人称を冠された存在とは、もしや月の民だろうか? ――核心に迫りつつある予感に、カインは自然と身を乗り出す。 
「ええ、彼……北東の森の守護樹です。」 
 神官は目を閉じ、回想を語り出した。 
 今からそう遠くないある夜のこと、寝室に吹き込む風に目を開けると、傍らに年老いた男が一人立っていた。彼と目が合った瞬間に、映像と感情が頭に次々浮かんできたのだという。 
 遠い場所に、老人と同じ年程の穏やかな表情をした美しい老女が座っている様が見える。ひどく懐かしい気持ちを呼び起こすその姿は、しかし、内側から急速に変わっていく。苦しみも痛みもなく、ただ止めどなく変化していく――途方もない悲しみに心を砕かれた神官は、彼女を救いたいと強く念じずにはおれなかった。すると、まるで心の声を読んだかのごとく、老人は静かに手を差し伸べてきたのだという。その手に触れられた瞬間、まるで五体に灼けた鉄を流されるかのような苦痛に襲われ、神官は堪えきれず床に崩れてしまった。そして再び目を上げた時には、既に老人の姿はすっかりとかき消えていたのだという―― 
 繋がる糸の全く見えない、謎に満ちた印象の羅列。神秘体験とはえてしてそういうものなのだろう――カインは解釈を放棄した。言葉による会話とは全く異なる、一対一のみ想定した意思の完全形を伝達する手法。現在ある言語体系は感覚に直接捉えた事象を瑕疵なく表せる域にまだない。例えば、自分が傍らに竜の羽ばたくあの感覚を説明した際、芳しい理解を得られた試しがないのと同じように――それは決して口下手なだけに起因するわけではないだろう。 
 つまるところ、この手合いの出来事に関しては、当事者が理解したと言うかぎり、それで充分なのだ。 
「予知夢のようなものか……。」 
「いいえ、我々はそのような不確かなものを信じません。」 
 呟きに近い感想を拾い、神官は笑いながら首を振った。 
「夢と思われるのも無理はありませんが、我ら八神官は確かな森の声を聞くことができるのです。どうぞ、ご覧になって。」 
 子供に諭し聞かせるように言って、預言者はするりと手袋を抜く。その痩せた手の甲には、腐蝕毒か何か、強烈な劇薬によってもたらされたと思しき重度の火傷痕があった。夢が夢ではない確かな証拠を見、一様に目を瞬く四人の顔を眺めた神官は、手袋を戻し話の続きを薄い唇に乗せた。 
「翌朝には調査隊を派遣し、『彼』から浄化に足る量の樹液を採取することができました。その他、浄化に必要となる仕掛けも既にほぼ揃っております。一部、仕掛けに白魔術が必要な物のみ必要数を充たしておらず、別室で今も作業をしておりますが、これも期日には確実に揃うでしょう。」 
「白魔術?」 
「ええ。根の浄化は、全て同時に行われなければなりません。エルメスの靴と蜘蛛の糸で吸水速度を調節するのです。」 
 話を聞き終えた一行は、改めて顔を見合わせ頷いた。聖水による浄化作戦――古木に寄生したものがステュクスであれば、その顛末を見届ける意義はあまりにも大きい。 
 一段落を迎えたところで、ちょうど侍女が戻って来た。神官に耳打ちをし、再び元の位置に控える。 
「お待たせいたしました。部屋の用意が整いましたから、明日の作戦会議のお時間までどうぞゆっくりなさって。」 
 神官の好意に礼を返し、一行は席を立った。 
「よし、そうと決まりゃあ……何しよっかねぇ?」 
「そうだな……」 
 部屋で寛ぐにはまだ日が高く、とはいえこれといってすべきことも思いつかない。カインは腕を組む。 
「城内をご覧になりますか? 案内させましょう。」 
「いや、そんなことに人手を割いていただいては申し訳ない。」 
「ねねね、オイラ水泳したい!」 
 ぴょこぴょこと跳ね上がるパロムが、空白の予定表に第一希望を書き付けた。 
「さっきでっかい噴水があったぜ、あそこで泳ぐ!」 
「ってお前、泳げんのかぁ?」 
「ううん、まだ。でも忍者は水の上歩けるんだろ? オイラにそれ教えてくれたらダイジョブだよ!」 
「歩けねぇよ誰に吹き込まれたそんなこと!」 
「歩けないのか?」 
 肩に担がれたパロムの歓声の横からカインが声を挟む。デマの発信源を見付けたエッジはがっくりと肩を落とした。 
「お前なぁー……忍者を何だと思ってやがる。」 
「泳ぎの練習をなさるのでしたら、浮板をお使いになりますか?」 
 楽しげな水泳教室開催に向け、神官が協力を申し出た。 
「浮板?」 
「ええ、ご存知ありませんか? 今お持ちいたしましょう。」 
 神官が手を上げると侍女が席を外し、しばらくして氷青色に塗られた三十センチメートル四方ほどの中厚板を抱えて戻った。侍女は一礼を挟み、胸に暖めた板をエッジに差し出す。 
「お持ちになってみて。」 
 神官に促され、エッジは空き手にそれを携えた。見た目から陶器の重みを想定していた分、羽根のような軽さに意表を突かれる。軽く叩いた反響からみて、材質は恐らく小型の船材にも用いられる非常に軽い材木――楠の仲間のようだ。これを胸に抱えれば、上半身を水から上げておくのに充分な浮力を得られる。 
「それ使ったらオイラ泳げる?」 
 エッジの肩上で体を捻ったパロムは、真剣にそれを見つめる。 
「かもな。こりゃ面白え、借りて構わねぇか?」 
 神官は笑みを刻んだ唇に二つ返事を乗せた。 
「すまない、それをもう一枚、この子の分も貸して――」 
「わ、私は遠慮いたしますわっ!」 
 ポロムは慌てて肩を抱く保護者の言葉を遮る。まさか水泳をする予定などなかったため、水着を持って来ていない。 
「そうか、では……どうする? 寝るまでかなり時間があるが。」 
 しばし考えた後、ポロムは自分の予定をカインに告げた。 
「あの、私、道具作りのお手伝いをしようと思います。白魔法が必要なら、きっとお役に立てますわ。」 
「それでいいのか? ポロムは偉いな……。」 
「どこかの誰かさんとは違いますもの!」 
 カインの感心を得、ポロムは大いに胸を張る。一方、引き合いに出されたパロムの剥れ頬からは不満が飛び出した。 
「ちぇっ、何だよ、良い子ぶっちゃってさ!」 
 拗ねる少年を宥めたカインは、一行それぞれの決定を神官に伝える。幼い少女からの助力申請に、神官は顔を綻ばせた。 
「まぁ、そちらの女性は白魔導師でしたのね! 助かります、是非お願いいたしますわ。」 
「はい、喜んで!」 
 思いがけない言葉にポロムの胸が一鐘脈打つ。女性――そんな称号で呼ばれたのは初めてだ。スカートの端を摘み女性らしくお辞儀をすると、耳の上に飾った花が軽やかに揺れた。 
「では、作業場へ案内いたしましょう、こちらへ――」 
「カイン! みんな!」 
 神官の手向けた先で、開いた扉から麗しやかな声が咲き零れる。 
 カインにとって忘れ難きその声――そういえば、シドから聞いた彼女の行方を、すっかり失念していた。 
 神官に略式の礼を交わす白金の裾がたおやかに翻る。 
「久しぶり! 会えて嬉しいわ!」 
 異口同音に再会の辞を述べる面々と挨拶を交わした彼女は、遂にカインの前に立つ。カインは重い視線をその顔までようやく引きずり上げた。 
「カイン、元気だった?」 
 言いたいことや、言わねばならないこともある。しかし、何も言葉が出てこない。 
「ローザ……妃殿下……」 
 差し出された手を取れず、ただその名をゆっくりと口にする。 
「やだ、そんな畏まらないで? 妃殿下なんて、柄じゃないわ!」 
 朗らかな笑みが、変わらない幼馴染みの顔を彩った。幼い頃から見慣れた筈のその表情に、消していた感情が蘇る。会ってしまえばこうなることは当然予測していた――故に、婚礼の儀への出席は辞退するしかなかった。 
 枝垂に咲き誇る花のように、間近で揺れる美しい笑顔。手を伸ばして手折る無礼は許されない。この花を手にすることが出来るのは、花が自ら枝を離れた時のみ―― 
「では、ローザ……」 
 苦笑を収め、改めてローザに向き直る。いざこの時を迎え、今の感情を表すならば、故郷の空を仰ぐような気持ちだ。恐れ続けた苦い感傷は、意外にもそれほど深刻ではない。何もかも昔のまま――無論、そう感じられるのは、彼女の努力に甘んじているのだという自戒から逃れることは出来ないとしても、だからこそ。 
「久しぶりだな、元気そうで何より――と言いたいところだが、先ほどお前が来る直前、とても気になる光景を見たんだが、俺の気のせいだと思うか?」 
「ん?」 
 言わんとするところを測りかねてか、ローザは首を傾げる。カインは階段の中程にある大窓を指した。 
「向こうの棟に、大きな出窓があるだろう。」 
 指の先に庭を挟んで隣接する棟の二階を示す。 
「ええ、あるわね?」 
「その手すりを軽々飛び越える若い娘の姿を見たような気がしてな。どう思う?」 
「……。」 
 凍り付いたローザの笑顔。剣呑な沈黙が流れる。 
「――ローザ。」 
「なぁに?」 
 童女を真似た笑みと仕草が、ローザの満面に頌えられた。他ならぬこの男に対して、それらが盾として働くことは決してないと彼女自身分かっていながらも。 
「いいかローザ……お前はバロン王妃、国母なんだ! お前の身に何かあれば、どれだけの人間が責任を負うか理解しているのか? ちょっとお転婆しちゃった程度では決して済まされないんだぞ! ああいう真似をするのは止めろ、たまにでも止めろ、いいか、絶対に止せ!」 
「ねぇ、ちょぉっっっと心配しすぎじゃないかしら?」 
「お前に限って、心配しすぎということはない!」 
 きっぱりと言い切られた娘は、憂いの頬に手を当て優雅に愁息した。 
「それが困ったところなのよねぇ……。」 
「お前のことだお前の! まったく、あんな真似を一体誰から――」 
「あらっ、あなたが教えてくれたのよ?」 
 晴れやかな返答に、一瞬呼吸が止まる。 
「……何だと?」 
「忘れた? ほら、士官学校に入るより前、閲兵式観覧の誘いに来てくれたことがあったじゃない? 私が玄関へ回ろうとしたら、あなた、『早く早く、窓から出て来ちゃえよ』って。」 
 満面笑顔を頌えたローザは滔々と思い出を語る。カインは額から血の気が引くのを確かに感じた。三人で閲兵式を観覧した遠い記憶が、朧な白黒から鮮やかな総彩色へと変化する。 
――あの時、彼女は家に居た。両耳の上に高く結い上げた豊かな金の髪に、花房を模した髪飾りを付けて。遅れがちな親友を急かし、我先にと彼女の部屋の窓に取り付くと、修身の稽古を言い付かっており、厳しい母親の目を盗んで玄関へ廻る術はないと断られた。それでもどうにか彼女を連れ出したくて――口にしてしまったのだ、頭に閃いた『名案』を。 
「……俺が……」 
「ええ、あなたが。」 
 確認するまでもなく分かっているのだが――一縷の望みに垂らした細糸は、快刀乱麻すっぱりと断ち切られる。 
「セシルは、『やめなよ、そんなの危ないよ』って言ったのね。そこであなたが、『大丈夫だって、上手なやり方があるんだ、教えてやるよ!』って……思い出した?」 
 そして彼女は窓から見事飛び降りるに至り、自分はといえば、彼女と親友の『カイン、すごーい』という無邪気な賞賛を勝ち得て鼻高々――あろうことか、仔細に思い出してしまった。自分とて昨日今日父から教わったばかりの技能を『教えてやる』とは偉そうに、あまつさえ『竜騎士の技なんだぜ!』などと胸を張るあのバカガキが今目の前にいたなら、頭の一つもひっぱたいてやりたいところだ。 
「……ところで、何故トロイアに?」 
 エッジ指揮による大合笑を空咳で払い、カインは半ば呻く。このまま墓穴を掘り続ければ、頭まで埋まるのにそう時間は掛からないだろう。今は悔念の泥沼に嵌り込んでいる場合ではない――と自分を納得させ、話題を前向きな方向へ修正する。 
 この時期にローザがトロイアに身を置いていることは、ステュクス事件との関連が当然疑われる。もしローザの状況にセシルの故意が介在しているのであれば、それは彼が事件の深部に関わっている可能性をより濃厚なものとするだろう。 
「本当はね、二人で来る予定だったの。」 
 答えるお転婆娘の顔が、一転、妃のそれに変わる。 
「すまない……!」 
「やだ、どうしてあなたが謝るの? コホン、『僕は国を離れるわけにはいかないけど、君は是非行っておいでよ、トロイアは素晴らしい国だから』……ね、似てるかしら?」 
 ローザは夫の仕草を真似、戯けてみせた。 
「それでね、用意していただいた以上、お断わりするのは失礼だし、お言葉に甘えちゃったっていうわけ。」 
 娘の顔には依然として華やかな笑みが留まる。しかし、その顔の曇りに気付けぬような付き合いの長さではない。 
 気付いたところで結局は、彼女の気分を晴らすための良い言葉を持てないのだが――自責をひとまず遠ざけ、カインは読み誤りの繙きに掛かった。ローザがバロンから離れたのは結果的な問題であったようだ。しかし、セシルが国に残った理由が分からない。この時期は特に王が国に居るべき行事は無い筈だ。当然、彼の自己申告通り通常業務が押していた可能性はあるが、ゴルベーザの傀儡政権となる以前の重鎮達ほぼ全員が元職に復帰したと聞く。前王の息子も同然であり、幼少時より臣民共に親しみ、かつ救世さえ成し遂げた新王に対する諸侯の感情は、決して悪くはないはずだ。 
 何らかの新たなしきたりを施行しようとしていた気配もなく、新王の手に余る負担ならばそもそも重鎮たちが通すとは考えられない。むしろ、就任間もない王に求められているのは象徴的な役割――他国、しかも先の大戦による直接利害関係に無いトロイアへの親善訪問は、まさにうってつけの筈だ。 
「……トロイア旅行の話が出たのは、婚礼の儀のすぐ後よ。」 
 ローザはすかさず追加情報を差し込む。勘の良い幼馴染みは故国で起きた異変を言下に察したようだ。 
「その後すぐ、トロイア側から正式なお誘いをいただいたの。だから予定を調整して、二巡月前にお返事を……その時は、とても楽しみにしていたの、釣りがしたい、って。」 
 ローザの手がドレスの裾を縒り合わせる。彼女が不安な時によくやる仕草だ。それでも尚、娘は明るい声を取り繕う。 
「……バロンへ、行ったのね?」 
 問われて答えを失う夫の親友。時に考えの行き過ぎる兄代わりの男に動揺を気取られまいと、健気に震えを押し殺す指がそっと肩当ての縁に添わされた。 
「久しぶりのバロンはどうだった?」 
 気丈に繕う晴声も空しく、榛を揺らす瞳がとうとう床に落ちる。雪崩れて顔を覆う金糸と、肩に添う手が痛々しくさざめいた。 
 もしその指に、妃である身分を示す指輪が無ければ――そして、恐らく彼女の唇から次に発されるであろう言葉が、彼女と対の指輪をした男の名で無ければ――彼女を抱き寄せることに何の躊躇いも無かっただろう。 
 寄る辺なく立ち尽くす娘は、その唇を震わせる。 
「セシルは……――」 
「やめて!」 
 突如、横から飛び出してきた小さな影が、肩当て越しに温もりを伝える白い指を引き剥がした。夢から覚めたような気持ちで、カインは目の前に立ちはだかった小さな影の名を口にする。 
「ポロム……?」 
「自分勝手ですわ!」 
 瞬くより早く、更なる糾弾の声が広間に木霊する。青年を庇うように仁王立ちした少女は、娘の驚き顔を睨み付けた。 
「ポロムちゃん?」 
 なぜそんなことを言われるのか分からないと如実に訴える娘の表情が、少女を更に苛立たせる。 
「ローザ様は自分勝手ですわ、カインさんがどんな気持ちでここに来たかも知らないくせに!」 
 一声放つごとに、飾ってもらった花の枝が一際冷たく心を氷らせるようだ。握る拳の非力さに、ポロムは唇を噛む。 
――カインは誰より辛い思いをしているのだ。未知の敵と戦い、辛い過去の痛みに耐え、みんなの為に頑張っている。それなのに、土埃などまるで無縁のきれいなドレスを着て、安全な場所でのうのうと過ごしている彼女が、何の権利があって彼に寂しそうな顔をさせるのか。 
「ポロ、どうしたんだよ!?」 
「触らないで!」 
 異常事態を止めようと伸ばした腕は猛然と振り払われる。姉の烈火に焼かれた手を押さえ、パロムは凍り付いた。 
「さっきから聞いていれば、バロンのこととか、セシルさんのこととか、ローザ様が言うのは自分のことばっかり!」 
 彼女がそれらを口にするたび、カインの瞳がどれほど悲しげな色へ沈んでいったか――あんなに近くにいたくせに、彼女は自分の足下ばかり見て、それを見ようともしなかった――彼はずっと彼女を見つめていたのに。 
「ローザ様なんて大っ嫌い! あなたなんか――」 
 その時、ローザの足がするりと前に踏み出された。白い裾がわずかな仕草を抱えてふわりと膨らむ。ポロムの目前に腰を落としたローザは、少女の両頬を軽く押さえるように叩いた。 
 ぱちんと小さな音が鳴った瞬間、自分の頬にまで走った電撃に、パロムは身を竦ませる。 
「気をお鎮めなさい。」 
 唇に険しさを刻むローザは、両手の中に少女の瞳をしっかりと捉えた。 
「それは、白魔導士が決して口にしてはいけない言葉よ?」 
 少女の両腕が闇雲に振り回され、ローザの手を振り払う。駆け出すポロムの髪から落ちた花が、床でぱさりと乾いた音を立てた。 
「――っあ、おい!」 
 一体何がどうしてこの状況を迎えたのか――掛けた声を扉に閉め出されたカインは、ローザの様子を窺う。少女の落とした花を拾い上げた娘は、こくりと頷きその背を押した。 
 パロムには、姉を追って広間を出て行く男の背をただ見送ることしか出来ない。時の刻みを忘れた体が、頭上から降りた枷に包まれた。 
「心配するようなこっちゃねぇよ。」 
 後ろ頭から響く声に鼻の奥を抓まれ、パロムは眉間に皺を寄せる。 
「……だって、だってさ、ポロはいつだってオトナで、良い子なのに……」 
 動揺は力無く滑り落ち、やがてすっかりと襟に埋もれた。 
 
 噴水の吹き上げる水が細かい飛沫となって頭から降り注ぐ。日が傾いた今、浴びる水は冷たいが、そんな寒さこそが自分にはまったく相応しいように思えた。 
 何故あんなことを言ってしまったのだろう――行き所の無い自問が胸を灼く。彼女に叩かれていなければ、長老に固く戒められた忌み言葉さえ口にしてしまうところだった。 
 ポロムは膝を強く引き寄せる。両腕に力を込めて体を固めていなければ、惨めに大声を上げて泣き出してしまいそうだ。ふと、こめかみを掠めた手の甲に直接皮膚が触れる。耳に指を添えると、そこにあった筈の物がない。 
 背筋を冷たい雫が滑り落ちる。必死にかき分ける手のひらには髪の毛しか触れてくれない。辺りを巡らせる視線の先に、今しがた出てきたばかりの扉が立ちはだかった――あの場所へは戻れない。 
 彼から貰った大切な花を、なくしてしまった――ポロムは慌てて唇を強く噛み付ける。嗚咽を一つでも漏らしてしまえば最後、決壊を止められないだろう。 
 運悪く、水音に混じり靴音が聞こえてきた。ゆっくりと規則正しく確かに地を踏むこの足音は、よく聞き慣れた――カインのものに間違いない。 
「ポロム……」 
 腕の隙間から男の声が浸みる。 
「……ごめんなさい……。」 
 ポロムは締まる喉から必死に声を絞り出した。 
「何故あんなことを?」 
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――!」 
 他に言うべき言葉がない。会話の邪魔をしたばかりか、激情に駆られるまま彼女を侮辱してしまった自分を、彼は許してくれないだろう。 
 前髪の隙間から男の顔を窺ってみれば、想像通り、途方に暮れたような表情がそこにある。どんなにバカな子供だと思われているか、実際彼に聞くまでもない。 
「……私、お手伝いに行ってきます!」 
 ようやくはっきりと口から出せたのは、沈黙が呆れの溜息に変わる前に逃げ出すための口実だった。 
 少女の姿を認め、女官が大扉を押し開く。内部に他の皆の姿はなく、唯一、書卓に向かう神官の後ろ背が見えた。彼女と出くわさなかった幸運に感謝しながら、書き物をしているらしき背中に歩みを寄せる。 
「あの、お仕事のお手伝いを……。」 
 小声に顔を上げた神官は、少女に微笑を向けた。 
「作業部屋は、階段を昇ってすぐ右の扉です。今、迎えの者を――」 
「いいえ、一人で行けます!」 
 微笑まれることさえ後ろめたく、一礼を残し足早に作業場へと向かう。広間を抱く階段を駆け上り、天頂に明星を飾る樹木の彫刻を施した扉を開くと、天井に釣られた二基の貯蓄樽が目に入ってきた。二抱えほどもある巨大な空容器には、一方に純水、もう一方に樹液と書いた札が貼り付けてある。その下の壁には、聖水を満たした六本の細長い容器が並べられていた。 
 真正面から左へ向かって視線をずらすと、彼女と数人の女官が机を囲んで作業をしている。祈り空しく、少女の存在に真っ先に気付いたのは彼女だった。 
「あっ、ポロムちゃん! いらっしゃい――」 
 丁寧に引かれた椅子を無言でやり過ごし、ちょうど彼女に背を向けられる机端の席に登る。 
「尖った部品があるから、怪我をしないように――」 
「分かってますわ。」 
 背中から掛かる気遣いさえ素直に受け取ることが出来ない。 
――この仕事を終えたら、振り向いて謝ろう。 
 女官の説明を聞きながら、ポロムは決意した。何より救いは、こなすべき仕事がまだ机の上に山と積まれていることだ。これだけの量を終えた頃にはきっと、いつもの――良い子の自分に戻れるに違いない。 
 
 噴水の吹き上げる水しぶきが一つの月明かりを無数に複写する。城の周囲を取り巻く木立が吹き寄せる清涼な風が、濡れた肌に温く纏わりついた。 
「夜の水泳ってのもなかなか風情があらぁなぁ。」 
 水風呂よろしく縁石に両腕を広げたエッジは、泉の中央に浮く小さな影に声を掛ける。 
「パ〜ロム〜、それじゃ泳いでんだか溺れてんだか分かりゃしねえぞ?」 
 エッジの両足が起こす細波が、浮き板に乗ったパロムの体をゆらりゆらりと揺らす。釣り竿の浮きと化した少年に見切りを付け、エッジはちょうど通りがかった女官へと矛先を変えた。 
「姉ちゃん、一緒にどうだい?」 
 淑笑にあっさりと受け流され、いよいよ溜息が口を付く。軽口も、突っ込み役がないと寂しいものだ。 
「ポロム、ずっと部屋から出てこないんだ。」 
 半分水に浸かった呟きがぷくぷくと泡を立てる。 
「そりゃあ、仕事任されて忙しいんだろ?」 
「だって、夕飯も食べに来なかったんだ。」 
「そりゃあ、部屋で食ったんだろ?」 
 これはなかなか重症なようだ。エッジは後ろ手に縁石を押し、パロムの足下を潜る。 
「ンーな、これまで四六時中ずっとくっついてた訳でもあるまいによ?」 
 立ち泳ぎで四つ半身を浮かせたエッジは、少年の頭に濡れ帽を被せる。それでもパロムは変わらず、ぷくぷくと泡を作った。 
「いつもくっついてたのはポロの方なんだぜ、オイラが悪戯したりするとすっ飛んできて、頭叩いたり文句言ったりしてさぁ……。」 
 弾けて消える水泡に、夕餉を告げるため呼びに行った時の様子が蘇る。顔を上げることもなく、素っ気ない断りを告げて、すぐに扉の向こうへ消えてしまった姉の姿。再びノックをしなかったのは、自分と姉とを閉ざした扉が、もう二度と開かない気がしたからだ。 
「……今のポロは、ちっとも知らない奴みたいだ。」 
 気泡がまた一つ、水面に儚く消える。 
「オイラが一番ポロのこと知ってるはずなのに、もう全然分からなくなっちゃった……。」 
「んなこたぁねぇよ。」 
 少年は初めて顔を上げた。その視線を拾い、エッジはにやりと目後を曲げる。 
「一緒にいようがいなかろうが、お前らが兄弟だってことにゃぁ変わりねえ。『知らねぇ奴みてぇなポロム』だって、今じゃもう知れたワケだろ? ンならやっぱり、お前が一番ポロムのことを知ってんのさ。」 
 禅問答のような言葉に、パロムはぐるぐると思考を回した。言われたことを反芻し、その論旨を噛み砕く。 
 確かにエッジの言うとおり、『知らない奴みたいなポロム』はさっき見た。つまり、今の『知らない奴みたいなポロム』は、もう知っている『知らない奴みたいなポロム』だ。ということは―― 
「……そっか、オイラ、知らない奴みたいなポロのこと、もう知ってるんだ。」 
 エッジは笑顔で力強く頷いてやる。気をよくした少年は、更に大きな水しぶきを上げた。 
「じゃ、やっぱり今でもオイラが一番ポロのこと知ってるんだ!」 
 エッジは親指を立て大正解を示してやる。少年は笑顔で胸を撫でおろした。 
「なーんだ。じゃあ、ぜんぜんダイジョブじゃん! オイラ、心配して損しちゃったよ。」 
「そーいうこった。……てことで、そろそろ出ようぜ、ふやけっちまわ。」 
「えー! まだ水の上歩くの教えてもらってないよ!」 
「歩けねぇっつってんだろうがまだ言うかこのォ!」 
 喧噪の起こした波が水面に輝く松明の火を千々に散らす。浮板ごと小脇に抱えられた少年の爪先を離れた水滴が、星砂の空に一回りの波紋を広げた。 



六章中編
 目を開けると、彩花を満面に浮かせた早暁が目に飛び込んできた。首を捩ると、薄布に踊る木漏れ日が見える。 
 二度の瞬きで己の所在地を呼び起こしたカインは、二度寝への誘いを布団から蹴り出した。そのまま床に足を下ろし、空気を細く吸い上げる。 
「一人……か。」 
 睡魔の名残と共に、そんな言葉が吐き出された。何の気もなく発されたそれは、頭が回転し出すにつれてどんどん可笑しみを帯びてくる。 
 これまで無数に繰り返した凡庸な状況を、わざわざ言葉にするようなことだろうか? 
 大小二人の寝坊を寝床から追い立てるという朝の重労働が免除されたことは喜ぶべきことだ――物足りなさを夜着と共に脱ぎ捨て、シャツを片手にベッドを後にする。 
 天蓋から垂れかかる薄布を払うと、淡肌色に統一された室内の光景が広がった。長期滞在客を見越し、あらゆる調度品を備えた客室は、ややもすれば生家のそれより広い。事前連絡のない状態で、これだけの設備を人数分即座に充てがってもらえるとは、流石一年を通じて賓客の多い景勝地だけある。 
 窓辺に立ちはだかる遮光布が巻き上がり、朝靄が煉瓦を燻す香りが窓枠を伝い桟に滴る。 
 目の前に広がる水源の森は、清々しい朝日の輝きに彩られていた。トロイア城の建物は水源を抱き込む形に展開しており、上空から見ると水球を捧げ持つ手のような形をしている。ここ迎賓館は、ちょうど親指の先に当たり、旅人の目を絶好の景観で癒してくれる。 
 和やかな保養地気分をシャツで遮ったカインは、襟から抜け出た目線を今度は近間に落とした。ほぼ真下から続く外庭は、体操を行うのにうってつけと見える。麗しい気候の中、今日の体操は格別なものとなるだろう。靴紐を堅く結びつけ、扉を開ける。 
「おぅ、はよ。」 
 衝立となった扉の向こうから、辛うじて挨拶らしき体裁の大欠伸が聞こえた。 
「珍しいな。」 
「長寝するにゃ床があんまり上等過ぎらぁ。」 
 枕に整形された斬新な髪型を頭に乗せたエッジは、首を回しな再び欠伸をしてみせた。つい昨日まで自分と交代で使い回していた船室のベッドに比べ、貴賓室のベッドはややもすれば心もとなくさえ感じられてしまったのは事実だ。それにしても、王族らしからぬ言い様ではないか。 
「ンで、そちらさんはどちらへお出かけ?」 
「すぐそこだ。」 
 腕を交差させる体操の初動を見せ、毎朝恒例行事の消化を示す。頷くエッジの背後に、向かいの部屋の扉が開いた。静かな廊下に、扉の半分にも満たない小さな影が描かれる。 
「ポロム、おはよう。」 
 呼び掛けると、意識を半ば夢に置いたままのあどけない顔が上がった。 
「うーすポロ、よく眠れたか?」 
「おはようございますエッジさん、……カインさん。」 
 夜着の襟元を縒り合わせた少女は、普段と比べ物怖じしているように見える。原因は、この髪だろうか――カインは項を蒸す後ろ髪だけでもせめてと掴み束ねた。髪を下ろしていると強面三割増しとは、幼馴染のお墨付きだ。 
「良ければ一緒に体操をしないか? 目が覚めるぞ。」 
「っいいえ、仕事がありますから!」 
 一瞬で寝惑いを拭った少女は、ぱたぱたと気忙しい足音を立て廊下の果てへ消える。 
 取り残されたカインは溜息をついた。保養地気分に浮ついていた自分を恥じる。 
 元より真面目な少女だったが、仕事の手伝いを任った今、正に水を得た魚のごとしだ。昨日作業場を尋ねた際の、黙々と動く小さな手が目に蘇る。少女の様子は、呑気な見学者が迂闊な声を掛けて許される雰囲気では到底なかった――もしローザが気付いて声を掛けてくれなければ、危うく廊下をうろつく不審者となってしまうところだった。 
 少女が鬼気さえ迫る様子でいる一方、ローザの調子は普段通り、いや、普段より少しはしゃいだ感じでいたが、彼女とて別に暇を持て余していたわけではない。仕事をしているのは当然として、その後にも何か企みがあるらしく、ポロムについて幾つか聞かれた。今回の計画は応援を要する大掛かりなものではないようで、果たして何をするつもりかは教えてもらえなかったが――女性は得てして秘密ごとが好きなものだ。 
「駄ァ目だ、梃子でも動かねぇぞありゃ。」 
 回想している間に、エッジは唯一まだ開かない部屋から聞こえる高鼾の主の世話を焼きに行っていたらしい。 
「いいさ、ゆっくり寝かせておいてやろう。」 
 パロムをそのまま残すよう伝え、カインは踵を返した。 
 
 日常の中にぽっかりと空いた手ぶら時間は、作戦会議への招集を受け、ようやく終了を迎えた。 
 翼状階段を登って二階、突き当たりの大部屋。作戦会議室として設えられた部屋の内部は、よく見慣れたバロン城のそれを呼び起こした。壁に据えられた巨大な黒板と中央に置かれた樫の大卓。黒板の前では、事務官と思しき二人の女官がてきぱきと準備を整えている。 
 壁際の傍聴席を割り当てられたカインは、会議に参加する面子の把握にざっと視線を巡らせた。大卓を囲む席に着くのは二十人ほどの、当然ながら女性ばかりだ。構成年齢にばらつきは無く、平均して自分よりやや上といったところか。それぞれ襟に士官の身分を示す青樹冠徽章を飾っている。 
 ほどなく控え室の間仕切戸が開き、一際立派な枝振りの徽章を襟に結わえた年配の女性が現れた。議長席が埋まり、室内の空気が一変する。 
「これより、守護樹浄化作戦の最終確認を行う。」 
 来客二人の出席を確認し、議長が見目通りの凛々しい声で会議の開始を告げた。 
「まず、各隊の行動を模型にて確認する。」 
 事務官の手により、大卓上にトロイア城周辺を含めた大森林の平面模型が展開される。議長の指示に従い、トロイア城を示す積み木の門から、部隊を示す掌大の木箱を四つ出発した。色分けされた木箱はそれぞれ所定の場所へ配置される。守護樹の動脈である巨大な根が、地表付近に現れる場所を示した旗は計六本。守護樹の場所を掌として指を広げて伏せた手のような形に伸びている。北を零時とみて、第一隊が四時、第二隊が五時、第三隊が六時へ展開し、それぞれが動脈根二本ずつを受け持つようだ。 
「本隊は三時方向にある守護樹の元へ向かい、信号弾による指示を行う。」 
 議論の段階は既に終えているが、参加者は皆一言たりと聞き漏らすまいと真剣そのものだ。その表情は、彼女らが精鋭であることを雄弁に物語る。少なく見積もっても出席者の半数は中隊長格であるとして、この作戦に充てられた戦力はおおよそ一個師団にも相当する。精鋭の大部隊をもって当たる今作戦の重大さから、トロイアの民が守護樹に寄せる気持ちの大きさが窺い知れる。 
「守護樹は森の母、ひいては我らトロイアが民の母も同然だ。皆、気を引き締めてかかるように!」 
 喝を放った女性武官は、続いて、伸ばした掌の先に壁の二人を据えた。 
「なお、今作戦には、ミシディアよりの使者が二名、監査人として随伴することとなった。」 
 女性武官の言葉で、兵士達の眼差しが二人に集まる。 
「カイン・ハイウィンドだ。世話になる。」 
「エッジ・ジェラルダイン。よろしくな、淑女がた。」 
 二本指で庇を叩く気取った挨拶に、幾人かの唇から武人らしからぬ華やかな笑いが忍び漏れた。咳払いで場を引き締めた議長は、改めて二人に面と向かった。 
「お二人は作戦完遂義務を負わない。ご自身の安全を最優先に考慮し行動していただけるよう、お願いする。」 
「了解した。そちらもどうか我々の安全は気にしないでほしい、自分の身は自分で守れる。」 
 カインの返答に、議長は微かな笑みを浮かべる。 
「お二人は本隊に同行していただく。よろしいか?」 
「りょーかい。」 
 明快に応じるエッジに並び、カインも頷きで異存なしを示す。 
 滞りなく会議を終え、解散する士官たちの足の間を縫って、パロムが部屋に飛び込んで来た。 
「何で起こしてくんないんだよ! オイラもカイギ出たかったのに!」 
「安心しろィ、お前の分までちゃんと聞いといてやったからよ。」 
 エッジがすかさずパロムの握り拳を肩車に捕まえる。エッジの肩上はすっかりパロムの定位置だ。エッジも心得たもので、両腕を遊ばせたまま苦もなくバランスを保っている。絶妙な調和の取れたその姿は、もはや肩装備パロム――いっそ、こういう形の生き物だと紹介されれば、うっかり信じてしまいそうな程の一体感を放っている。その名も、二身一体妖怪・ニンジャマドウシ。人々の家に入り込み悪戯をする、寝坊で大食らいの妖怪だ! 
「くだらん……。」 
 森林模型内に木箱を暴走させる遊びに興じる妖怪の横で、あまりに子供じみた想像をしたカインは目眩を起こす。 
「ミシディアの客人方、助力に感謝する。」 
 声の出処に振り返ると、議長を務めていた女性武官の頭が深々と下がっていた。カインは空咳一つで頭を切り替える。 
「いや、礼には及ばない。ところで、あなたは森に詳しいか?」 
「無論。我ら森の民、身も心も常に森と共にある。」 
 はっきりと言い切る彼女の声は揺るぎない誇りを帯びている。 
「もし良ければ、守護樹について何点か聞きたいんだが……」 
「何なりと。」 
 快い承諾を得、カインは会議中しまっておいた初歩的な疑問の類を引き出した。 
「樹齢はどれくらいなのだろう?」 
「確かな歳月は数えられないが、人がこの地に訪れるより古いことは疑いない。」 
「ってぇと?」 
 暴走木箱を空き地に休ませ、エッジも会話に加わる。 
「トロイアの建国が確か三百年前……とはいえ、国家としての体を成したのがそれだから、入植自体は更に数十年遡る筈だ。」 
 カインは諸国の歴史を説く教本の記述を記憶に起こす。エッジは目を丸くした。 
「守護樹が母ってぇなそういうことか……なるほど、トロイア大森林最古の樹ってわけだ?」 
 武官は子に接する母のような微笑を浮かべ、言葉を選ぶような素振りを見せる。 
「最古の樹は二本ある。母なる守護樹と、もう一本は北東の森、聖水をもたらした守護樹だ。彼と彼女は同じ土に寄り添い芽吹いた。」 
「それって、もしかして双子ってこと?」 
 エッジの肩装備が声を上げる。少年に優しい頷きを返しながらも、先に続く話があまり明るいものではないのだろう、武官は微笑を樟ませた。 
「此度の異変の発端は北東の守護樹……彼がダークエルフの呪いに冒されてしまったことに端を発するのだ。東南の守護樹が北東の守護樹を癒すために力を割いたその隙に、病が入り込んだのだろう。」 
「ダークエルフのノロイって?」 
 少年の無邪気な質問に、武官は憂いを頬に含む。 
「クリスタルを巡る争いが起こるより以前の話だ。ある夜、地を揺らし、海を血の光に満たし、ダークエルフが現れた。」 
 魔物の存在自体は知っていたが、出現時の様子は初めて聞く。その悪名に相応しい、随分と派手なお出ましだったようだ。 
「ダークエルフはクリスタルを奪い、磁力の呪いを撒き散らした。かの黒き甲冑さえ手を拱くほどの強力な呪いだ。」 
「ダークエルフってゴルベーザより強いんだ!」 
 武官の言葉に少年は目を丸くする。打って響いた言葉にカインは腕を組んだ。 
「そうだな……当時ゴルベーザの手勢には、自身を除きダークエルフに対抗しうる高位の魔導師がいなかった。多正面戦争の態を敷いてしまった以上、各拠点に貼り付けた上級将官は動かせない。そこで、ゴルベーザはセシルを利用し――」 
 それを立案したのは、他ならぬ自分――胸を炙る悔念を小息に吐き出す。 
「ふーん。じゃあさ、じゃあさ、それと樹とどういう関係があるんだろ?」 
 分かったのだか分からないのだか、少年は矢継ぎ早に問いを重ねる。カインに代わり、武官が再び回答役を引き継いだ。 
「ダークエルフの呪いは、磁力と共に土の穢れをもたらしたのだ。北東の守護樹は森を守るため、穢れを一身に集めた。代償としてその身は爛れ、体内を流れる樹液は毒に――大神官の手をご覧に?」 
 神官の手の甲を侵す赤い火傷痕がまざまざと目に蘇る。肌に炎症をもたらす類の草木は何種か知っているが、あれほどの外傷をもたらすものは記憶にない。 
「そっかー、まさに毒をもって毒を制すだね。」 
 どこで聞き覚えたやら、故事成語を口にしたパロムは尤もらしく頷く。 
「寄り添い芽吹いた永遠なる絆、二樹の結び付きは決して断たれない。彼は彼女の危機に瀕し、最後の力を振り絞って助けようとしている。彼の心を、彼女に必ず届けなければ……」 
 話のために時間を割いてくれた武官に礼を述べ、一行は会議室を後にした。 
「監査人と気取って暇してるわけにゃいかねぇな。」 
「ああ。」 
 作戦に掛けられた心意気を知れば、当然士気も違ってくる。聖水の効果を確認するという第一の目的はもちろんだが、成功率を少しでも上げられるなら、全力を惜しまず協力したい。 
「オイラ、シュゴジュの気持ちよく分かるなぁ。」 
 エッジの肩上で、神妙な面持ちのパロムが重々しく語り出す。常になく熱心に話を聞いていた少年は、何やら大いに思うところがあったようだ。 
「樹齢ン百年の気持ちが分かるたぁ豪儀じゃねぇか。」 
「だって、オイラもポロが困ってたら助けてやらなきゃって思うもんね。きっと毒の樹だって同なじなんだよ。」 
 比喩が功を奏したか、パロムはすっかりと守護樹に共感したようだ。 
「オイラ、明日はぜったい寝坊しないぞ!」 
 したり顔で早起きを宣誓する少年の肩を叩き、カインは窓の外に目を向けた。昼食の素材だろう果物や青菜を盛った籠を抱えた女官たちが、中庭を足早に過ぎていく。 
 
 一方その頃。 
 備品製作班のために、作業場の向かいの部屋に設けられた簡易食堂。一段落着いた者から順に席を立ち、暖かい食事で息抜きをする。 
 祈りの塔で親しんだ取り分け式の食事に戸惑うことはない。弟の野次に煩わされることなく、好物の木苺パイを心ゆくまで堪能したポロムは、香茶のお代わりと、木苺パイの残りを確認するため立ち上がった。 
「ポロムちゃん、もう食べ終わっちゃった?」 
 頭上から降る声に肩が竦む。目だけを上げると、彩り豊かな温野菜をふんだんに盛り付けたトレイの上に、穏やかな微笑が見えた。 
「席、空いてます。」 
 慌てて顔を下げたポロムは、パイのソースが斑模様を描く空皿を隠し、足早にすれ違う。 
「あ、ねぇ――」 
「妃殿下。」 
 背中に追い縋ろうとした声を、別の声が引き止めた。肩越しに様子を伺うと、陣中見舞いに訪れたのであろう大神官が膝を屈め、彼女と互いに挨拶を交わしている。 
「妃殿下にお手伝いさせてしまって……」 
「ずっとお世話になってしまっているのですもの、私でお役に立てるなら――」 
 彼女が足止めを食っている隙に、ポロムは食器の返却口へと急いだ。 
「お代わりはいかが?」 
「ありがとうございます、もうお腹いっぱいです。とってもおいしかったですわ。」 
 予定変更を決め、トレイを給仕に返してしまう。追加の銀皿に光り輝く焼き立ての木苺パイに後ろ髪を引かれつつ、ポロムは作業部屋に駆け込んだ。 
 開け放しの扉から、彼女に侍る賑やかさが漏れ聞こえてくる。人の大部分が食堂に移動している今、もうしばらくの間は作業の手を止めていても許されるだろう。ポロムは作業場の壁に向かい、聖水を溜めた大瓶の前に立った。 
 内部に充たされた清廉な水の色が、燭灯を反射しきらきらと輝く。陶器越しにさえ力強い命を感じるそれに半ば引き寄せられるように、水面に伸ばした手首が緩く掴まれた。 
「素手で触れるべきではありません。弱めてあるとはいえ、無害ではありませんから。」 
 手首を枷する手袋の甲に、火傷の跡が透けて見える。ポロムは慌てて手を引っ込めた。 
「……聖水は、ここにある分だけなのでしょうか?」 
 周囲に他の者がいないことを確認してから、ポロムは大神官と向き合った。大神官は裾に戻した手を縒り合わせ、静かに頷く。 
「彼が森のために遺した最後の力です。」 
 大神官の瞼に伏されたイメージが、少女の感覚に触れた。森に分け入り、しばらく先に見える、かつて豊かだった大樹の畔。生命溢れる光の景色は、一枚、また一枚と煉瓦が壊れ落ちるように、静かな死の風景へと入れ替わる。 
「北の守護樹さんは、死んでしまったんですか?」 
「いいえ、まだ辛うじて……しかし、そう長くは保たないでしょう。」 
 大神官の眼差しが、悲しい予感に揺らぐ。 
「助けてあげないんですか?」 
「叶うものならば。」 
 少女の素直な提案に、神官は穏やかながらきっぱりと首を振った。 
「滅びもまた森の循環の一部です。循環を一時緩やかにすることは出来ても、止めるほどの力を我々は持ちません。癒しの力を持つ貴女は、きっとお分かりでしょう。」 
 理解を促され、ポロムは項垂れた。 
 人に与えられた癒しの力は万能ではなく、ただ、進もうとする意志を後押しするだけに過ぎない。生きようとする体を後押しすれば癒しとなるが、朽ちた体を後押しすれば、滅びの方向へ――癒術の習いに添えられた文句が耳に蘇る。 
「浄化は病を枯らすでしょう。場合によっては同時に彼女の命をも……旧いものが去り、しかし新たな生がまた歩むのです。」 
 少女の髪を撫でると、大神官は軽く膝を折り暇を告げた。入れ替わりに昼食を終えた作業員たちが戻り、仕事を再開する。 
 今回必要である魔導具”エルメスの靴”は、手工芸の刺繍とよく似た要領で製作される。まず、着色された生糸に魔法文字を結い付け、次に魔力の揮発留めとなる貴石のビーズを通す――この段階で作業を止めれば、正反対の効果を持つ魔道具”蜘蛛の糸”となる――最後に、その糸を用い、玉繭から紡いだ正方形の清布に”反転”を表す魔導図柄を刺せば完成だ。 
 席に就いたポロムは、糸束と棒針を手にした。担当の青糸はもう僅かを残すばかりだ。通し順を違わぬよう、慎重に棒針を動かす。一本の糸に結べる魔力はおよそ二十目、直接詠唱に換算すると約一呼吸分となる。 
 新しい糸を引き出し、織り込んでゆく結び目に、先の神官との会話が纏わり付く。 
 大神官の言葉が正しいことは分かる。だが、釈然としない。滅びを無情に感じてしまうのは人の業だと、長老からも教わった。しかし――。 
 考え事に意識を半分取られているうちに、手元がぼやけてくる。ポロムは懸命に目を瞬いた。目を開けたままでいようと意識するほど瞼の重みが増す。まるでパイからジャムが染み出すように、手足の先からぽかぽかとした温もりが体全体に広がってくる。 
 ポロムは苛立たしく鼻を鳴らした。睡魔ときたら、昨夜は大きなベッドに恐れをなして寄り付きもしなかったくせに、今頃になって――三つの扉を何度か順に訪問したがどれも開けるに至らず、終いには荷袋を抱きしめてベッドに転がったものの、目を閉じたのは朝鳴き鳥の囀りを聞いた後だった。 
 降りかかる瞼を必死に巻き上げる努力も空回り、しまいには編み目と棒針が流し模様を描いて回り出す。そうこうしているうちに、頭上から降りた白く柔らかい光が、道具を指先からそっと剥がしてしまった。 
「少し休みましょ。」 
 ね、と同意を求める声に、顎が勝手に落ちてしまう。椅子から易々持ち上げられ、暖かい絹に包まれる。額にかかる髪を優しく払う指先が周囲の音を連れ去り、眠りはあまりにも素早く横たわった体を包んだ。 
 
 目を閉じていたのは、蝶の羽ばたきにも満たない時間――の筈だった。 
 肩を揺られ、はっと呼吸が詰まる。見開いた目に飛び込んでくるフードの下で、見覚えのある口元が微笑を浮かべた。 
「着替えたら中庭に集合よ!」 
 口早に湿した布を手渡される。礼を言う前に、大弓を結わえ付けた靭やかな背は廊下に消えた。 
 目元に蟠る睡魔を拭い、しっかり開いた目を室内に一周させる。あれほど作業員で賑わっていた部屋が、いまや人影どころか気配さえすっかり消え去ってしまった。 
 寝過ごしを悔いる暇もない。長椅子に設えられた簡易寝台から飛び降り、杖を引っつかみ、覆衣のボタンを留めながら廊下を走る。飛び出した内庭では、既に隊列を組んだ兵士の人数点呼が始まっていた。ポロムは林立する足の間に見慣れた姿を探す。しかし、思うように視線が通らない。合流を諦めかけたその時、ようやく聞き覚えのある声を捕まえた。 
「随分な大荷物だな。」 
 城門前広場の中央に完成した機材が積まれている。声はその向こうから聞こえてきているようだ。回り込んでみると、部品の傍らに歩み寄ってくるカインと、居眠りパロムをいつものように肩に乗せたエッジの姿があった。 
「エルメスの靴っても、靴の形してるワケじゃねぇのな。」 
「古代、これら魔法道具の製造は靴職人が手がけていたらしい。その名残だろう。」 
 カインさん――呼びかける声を遮るように、カインは背を向けた。 
「ローザ!」 
 大股に隊列に歩み寄ったカインは、隊列の最後尾に並んだ女官の傍らに仁王立つ。 
「何してる?」 
 抑揚を抑え付けた声に、浅緑の布下で澄ました唇がそっぽ向く。溜息と共にカインの手が閃き、フードをぱっと払い除けた。咄嗟に白い腕を翳すも空しく、高く結わえた豊かな金髪が背中に零れる。隊列の最後尾にひっそりと加わっていた女官の素顔に、周囲がざわめく。 
「……やっぱり、ダメ?」 
 成りすまし女官はそろりと世話係の機嫌を窺う。上目遣いの触れた男のこめかみがピクリと引きつった。落雷に備え、娘は素早く肩を縮こめる。 
「当たり前だ! 変装なんぞしやがって全く、何を考えているんだ……」 
 口火を切った直後から急激に気勢を失ったカインは、雪崩れ落ちんばかりの額を手で支える。腹を抱えて爆笑に噎せるエッジを横目に、深い溜息が漏れた。 
「装備を返して来い。」 
「分かったわよぅ。」 
 憤怒の彫像と化した男に、ローザの膨れ頬からぷしゅーと空気が抜ける。 
「いいか……前にも言ったが、お前はバロン王妃、国母なんだ。報恩を考えた結果だとは思うが、まず何よりも、お前には安全無事でいる義務があるんだぞ。お前に何かあれば、バロンのみならずトロイアも面目を失……おい、堂々と欠伸するな。別に謝らなくていい。あまり寝てないんだろう、着替えた後でゆっくり休め。とにかく、ローザ、くれぐれも、ここで、大人しく――」 
「集合!」 
 兵垣の向こうから留守の心得を諭す時間切れを告げる声が上がった。 
「カインさん!」 
 男の目が娘から逸れた隙に、ポロムは必死にその足下に駆け寄る。 
「ポロム、すまんがローザを頼む。目を離すと何しでかすか分からん。」 
 頭に被された掌と、何よりその言葉が少女を中庭に縫い止めた。 
 もう、彼の心に自分が入れる場所はないのだ――隊列が去った広場に、少女は一人立ち尽くす。 
 
 町を後にした隊列は、予定通り三手に分かれ森へと踏み入った。道を分かれて遠ざかっていく別動隊の列が、木立の合間に見え隠れる。振り仰げば、陽の光を受け輝く緑天井に透ける葉脈。生い茂る葉と葉の間に青く澄んだ空。耳を澄ませば、鳥や獣の声が風に入り交じる生命の響き。 
「森はいいねぇ〜。」 
 エッジの言葉に異論は無い。 
 木立を伝う目に、計画植樹用の目印札が映る。森の民を自負する民の存在とその手があってこそ、この森は現在の美しい姿で存在する。大森林の存在は、この星に於ける、人と自然の最も美しい調和の形なのかもしれない。土のクリスタルの守護があるとはいえ、これだけの大森林を育て上げ、保っているのは自然の力ばかりではない。トレントの一生に、トロイアの民は何代にも渉って寄り添うのだという。 
 だが、その調和にべったりと染み着き、浸し、塗りつぶそうとするものがある――ステュクスだ。 
「あれ、ポロは?」 
 欠伸混じりの呑気な声が、カインの思考を遮った。寝ぼけ眼を拭ったパロムは、居並ぶ兜の下に片割れの姿を探す。 
「ポロなら城……うぉお!」 
 答えたエッジは、声の出所に気付き驚愕した。 
「お前どっから沸いて出やがった!?」 
「オイラずっとここにいたじゃん!」 
 妖怪ニンジャマドウシの内輪揉めを横目に、カインは唖然を飲み下す。てっきりパロムはまだ部屋で寝ているのだとばかり思っていた。百歩、いや千歩譲って、少年を肩に乗せた張本人が気付かなかったことは仕方ないとしよう。しかし、傍から見ていた自分までもが、少年の存在に気付かなかった事実は納得できない。 
「オイラ、今日は寝坊しないって言ったじゃん! シュゴジュの心を届けてやんなきゃ!」 
 えへんと胸を張って意気込む少年の処遇は、肩装備のままと定まった。追い返せる距離はとうに過ぎたし、何より、少年の気持ちに水を差すのは可哀想だ。 
「客人方。」 
 両腰に戦斧を差した武官が、先頭を副官に任せ歩みを緩めて一行と並ぶ。兜に髪が隠れているため分からなかったが、庇の下の顔を見れば、作戦説明をしていた武官のそれだ。 
「このような物々しい行軍の随伴としてではなく、穏やかな遊行としてこの森を楽しんでほしかった。この森は良い森だ。」 
 カインは頷いて同意を示す。いずれ機会に恵まれ再びこの森を訪れる時は、瑞々しい景色をゆっくり楽しみたい。 
 昼食を挟んで歩くことまだ暫く。森の地理を今ひとつ把握しきれていない一行にも、行軍が終点に近付いていることが感じ取れた。周囲の様子の明らかな変化――根付いた身を、僅かでも”それ”から離そうと、奇妙に捩れた姿と化した一群の木立。 
 枯れた葉や幹にべっとりと返り血を浴びたような赤班を浮かせたトレントたち。視線交わしに了承を得たカインは、間近な一本に近づき、幹をノックする。感触は枯れた幹のそれだが、内部の反響は生き腐れたそれのもの。見上げた枯れ葉は、苦悶に歪んだ人の表情をすら思わせる。 
「トレントってよりブラッドツリーってカンジだな……。」 
 エッジが声を潜め呟く。周囲に生き物の気配はない。まるで砂漠のような静けさだ。かつて緑が覆っていたであろう地面も、今は喪の灰を帯びている。 
 エッジ命名・ブラッドツリーの木立を抜けた先にあったものは、より奇妙で不気味な光景だった。 
 それが樹であることを予め知っていなければ、それが樹であるなど到底思い至らないだろう。樹頂から溶けた赤蝋を浴びたように、無数の病瘤に埋め尽くされた、醜悪な巨像。 
 部隊の面々が一様に息を呑む。かつての面影を胸に宿している分、変わり果てた姿は正視に耐え難いだろう。 
 部隊に陣形を指示した武官は懐中時計の盤面を確認する。カインの目算が正しければほぼ予定通りのはず。果たして、武官は確かに頷き時計をしまった。 
 静寂の空に、部隊の展開完了を知らせる花火が咲く。三部隊全てからの花火を確認。信号手が作戦開始の花火を上げると、ローブ姿の女性――神官が隊列を離れ、守護樹の根本に傅いた。 
「近付いて大丈夫なのか?」 
「ええ。守護樹は病に冒されてより、昏睡状態にあると。」 
 一行の興味の視線の先で、神官は手にした銀の音叉を振るい、根を叩く。すると、穏やかな低音が打ち響いた。 
「ああして、トレントの生命の流れを測るのだ。」 
 武官が説明を重ねる。 
 銀叉を耳の遠く近く手鐘のように打ち振るう様は、死の森にあって神聖をいや増して見える。門外漢に出せる手はなく、鳴り続く不思議な音色にただ耳を傾ける。 
 神官が前奏を終えた頃に、武官は懐中時計を再び見やった。三回目のエルメスの靴の発動が掛かった頃合だ。これで全ての聖水が予定通り注入されたことになる。 
 最初の兆候はすぐさま現れた。垂れ下がっていた瘤がかさかさと乾き、みるみる内に人の頭大から拳大にまで縮む。やがて乾いた表面に罅が走り、実が割れるように内側から裂けた。 
 一つ割れたを機に、病瘤は次々と裂果する。 
「こりゃあ……――」 
 予想以上の効果を目の当たりにし、エッジは口笛を吹いた。量産さえ叶えば即座に対ステュクス用決戦兵器となりうる威力を目の当たりにし、カインは息を呑む。武官は満足げに頷き、部隊の方々で喜びの声が上がった。 
 病瘤は今や無害な細片と化し、さらさらと花片のように降り積もる。砂時計を思わせるその音に紛れ――始めは木立のざわめきかと思った。だが、感覚が異常を鋭く警告する。頬に触れる風がないのに、葉が音を立てるほど擦れるはずはない。明らかに、聞き流して良い自然の環境音ではない。 
 囲まれている気配に、相棒と互いの背中をカバーする陣形を緩く形作る。トロイア部隊も同様に、近い者同士死角をカバーする陣形に構えた。 
 殺意のような確かな形を持たない不気味な予感。僅かな異変すら見逃すまいと目を配る。 
 地面を突き破り根が飛び出した。カインは素早くパロムを担ぎ上げ、足下から突き出す根を避ける。飛び出した根が凶爪と化し、地を切り裂きながら守護樹へ向かう。 
「拙い!」 
 即座に駆け出し、両側から根を挟んで回り込んだ二人が、異常事態に立ち尽くす神官を背に立ちはだかる。二人が振り向くのに一瞬先んじ、 
「凍えろブリザド!」 
 少年の腕に咲いた氷環が、大爪を霜柱に変えた。カインの槍、エッジの二刀と、遅れて駆けつけた武官の斧が霜柱を砕き、逃走経路を開く。 
 離れた場所に神官を連れ出し、振り返る。そこには惨状が広がっていた。 
 周囲から次々と守護樹めがけ押し寄せる根の大群。大地に根ざす支えを失い、幹や枝は成す術なく悲鳴を上げて倒れ伏す。獰猛に地面を掴み猛進する根に引きずられ、幹は傷付き枝は葉を散らす。 
 不運にも進行方向に居合わせてしまった者が下敷きになる。現場一帯は瞬く間に阿鼻叫喚の様相を呈する。矢を射掛けても斧で払っても怯まぬばかりかすぐに再生してしまう。 
 カインは舌打ちした。拙い状況だ。盾となり鎧となり、トロイア兵らを守る森。それが牙を剥いた。枝葉に溶け、木立を縫い、的確に敵を射抜く彼女らの弓も、森そのものが相手では力を失う。 
 襲い来る根を殴り振り払い、指揮官の元に駆け寄る。一瞬の決断をカインは躊躇わず口にした。 
「皆に渡河を命じてくれ!」 
「総員、対岸へ!」 
 息子ほども年の離れた青年の言葉に迷わず従う。今は学都ミシディアの使者だが、以前はバロンの伝統ある部隊を率いていたと聞く。そして何より、この未知の化け物との戦闘経験を持っている。戦況判断は確かだ。 
 撤退命令を受けた兵達は速やかに対岸に集合する。自力で渡れる者は負傷者に手を貸す。撤収に合わせ、前線を下げる。残存戦力と共に形成できるのは薄い防衛ライン。 
 最後まで前線に踏みとどまり、撤退する兵の後方を守っていたカインは、ようやく根の下から掘り出した負傷者を抱きかかえ、河を一跳びに越える。背後に迫る暴走根。だが、根は踵を掠めそのまま川面に落ちた。水を吸い上げている。河に撒き餌と同じ効果を予想し見事的中した。 
 しかし――カインは背後の状況を顧みる。大半が怪我を負い、満足に立っている兵は半数もいない。対岸ではトレントキメラ樹木がどんどん巨大に育っていく。数多のブラッドツリーで形成された異形の大樹。まるで森の骸で出来た巨大な墓標だ。 
「どうなってんだこりゃあ……」 
 苦々しく呟くエッジの横で、失意の表情の武官は首を振った。 
「浄化は確かに行われました。」 
 武官の後ろ、疲れきった兵たちの中から悲痛な声がした。 
「守護樹は子らを癒そうと……しかし、子らはあまりに変わりすぎてしまった。このままでは全て食い尽くされてしまいます。」 
 言って、神官は天を仰ぐ。 
「ってことぁ……要するに?」 
 エッジが肩越しに神託の共通語訳を求める。 
「守護樹の治癒能力で対処するには、寄生の段階が進みすぎていたんだろう。宿主ではなく、そのものとなってしまうのも時間の問題か……。」 
 カインは自分が理解した通りを伝える。目の前の河の水位が徐々に下がり、対岸はすっかり一面根のようなものに覆われて地面が見えない。 
「……一帯を焼き払うしかない。」 
 考え付ける最良にして最悪の手段。強固な反対を予想したが、実際に武官と神官の口から漏れたものは短い驟息ただ一つだった。 
 
 河の水を上流で塞き止めたり燃料用意して運んできたり準備をしなければならない。森に展開している部隊に引き上げを指示する花火を上げる。応答はすぐに返った。他部隊の担当区域では異変が見られないようだ。 
「伝令!」 
 城へ状況の詳細と要準備を伝えるため、火急に口切られる指示をカインが横から留める。 
「差し支えなければ、俺達に任せてもらえるか?」 
 地理不詳で川沿いの迂回路を走る不利を差し引いても、今この場にいる中で最俊足は自分たちだろう。伝令票を預かる。 
「エッジ!」 
「合点!」 
 揚げた手に荷物を投げ渡し、伝令票一つの身軽になった忍者が音もなく木立に溶ける。カインはパロムを背負い、後に続いた。 



六章後編
 日がややその色を増し、時計の短針は夕闇のニ段上で静かな昼下がりに寝そべる。 
 湖畔を渡る風が城の回廊をめぐり中庭に吹き溜まる。湖の清浄な水の香りが、ベンチに並んで腰掛けた旅装の少女と娘の間に座る。 
「あ! 今の見えた?」 
 雲の端に小さく咲いた花火を見留め、ローザは声を上げた。外の様子が少女の関心を引けるものではないと悟った娘は、すかさず話を切り替える。 
「ね、ポロムちゃん、お茶にしましょう?」 
「お一人でどうぞ。」 
 少女の言葉はひどく冷たい。今この場にこうして自分と座っていることが、少女にとってどれほど不本意なことかは想像に難くない――彼らの出発を見送った後、朝食もろくに喉を通らない様子だった。――だから、きっとお腹が空いているだろう。お腹が空くと悪いことばかり考えて、必要もなく悲しい気分になってしまう。 
 ローザはそっとベンチを立った。テラスへ続く階段を登る途中、少女の方を振り返る。フワフワとした栗色の愛らしい髪に埋もれた少女の顔は見えない。 
 中庭を吹き浚った風がテラスに差し掛かる枝を揺らす。ドレスの背に髪を下ろし、靴を履き替える。常日灯の光が陽光と混じり、ドレスの白い裾に影模様を描く。衣装ダンスの姿見に映された娘は、慣れた手つきで借り物服を畳むと、その横に置いた本の表紙に手を添えた。 
 肩で揃えた栗色の髪の愛らしい少女が、白いドレスの裾に色とりどりの花を広げ、トレントの腕に座っている表紙。蔵書室で一目見た瞬間、迷わず手にした一冊だ。トロイアに古くから伝わる民話――トレントと会話が出来る少女の逸話を、ふんだんな挿絵と易しい文章で書き下した、隅から隅まで可愛らしさに満ちた絵本。少女に読み聞かせるのに、これほど相応しい書は他にない。 
「はぁ……。」 
 目を上げた先の鏡に映る唇が、もどかしさにへの字を結ぶ。 
 少女は口を利くどころか、目も合わせてくれない。絵本の助力を借りても、少女の心を解きほぐすことはできそうにない。 
 少女の態度は頑なだ。まるで石のように――バロン城の廊下で会った時の姿と同じ、声をかけても届かない、答えてくれない。空の城から帰還した際、セシルが面通ししてくれた彫像。幼い献身と無邪気な残酷の結実――石化解除の魔力を頑として弾き返した冷たい石。 
 ポロムの怒りはよく分かる。顔を叩かれて、さぞ傷付いたろう。白魔導師の禁句を止めようとしたのだが、実際のところ、真っ直ぐな言葉で自己中心性を謗られたことに対する苛立ちが全くなかったとは言えない。 
「カインの気持ち……か。」 
 実の兄にも等しい男の名が口を突く。 
 久しぶりに見えた彼の姿が鮮やかに思い浮かぶ。エッジ、パロム、ポロムという馴染みの面々を伴い、ミシディアの使者という責任を背負った彼の瞳は、頼もしく誇り高い騎士の――自慢の幼馴染のそれだった。 
 自分はこの時の訪れを信じ、故に彼のいない故郷の土に涙を落とすことはしなかったのだと、はしゃぐ心を抑えられなかった。まるで昔の、暢気だった子供の頃のように――彼は大役を背負ってこの国を訪れたことを感じていながら。 
 大神官から伝え聞いたところによれば、彼はミシディア長老の名代として、ここトロイアの地に起きた災いをしてほんの一端とする大異変の真相を明らかにするため、この星の各地を回るのだという。その調査対象には、バロンの王――このところずっと様子がおかしかったセシルも含まれている。 
 幼馴染の旅がどれほど困難な道程か、想像して余りある。少女はそんな彼の支えを努めようと一生懸命だ。きっと、かつてクリスタル戦役の時の自分のように――深呼吸一つで気分を改め、ローザは手元の装備に目を遣った。可愛過ぎず質素過ぎずの揃え柄ティーカップが一式。ガラスポットの中は優雅に咲き踊る花茶。銀皿に散りばめられた、色も形もとりどりの焼き菓子。小皿には、整肌作用があると専ら噂の果実を干した菓子が澄ました顔をしている。そしてその傍らに横たわる、古くから親しまれ読み継がれてきた絵本。淑女が二人、水入らずで素敵な午後を楽しむために、これ以上の最強装備は無いだろう。 
 さらに抜かりなく、実は秘密兵器も用意してあるのだ――会話の着火剤となってくれるであろうそれを懐に忍ばせ、仲直りに向けて出陣の時だ。仕上げの星砂糖を盆に積み込んだローザは、いざと顔を上げた。 
「……ポロムちゃん?」 
 柵向こうの景色の異変に目を瞬く。ベンチに少女の姿がない。半ば取り落とした茶盆が卓にぶつかり派手な音を立てる。バルコニーから身を乗り出し、中庭を一望するが、木の幹の影にも草の陰にもその服の裾さえ捕らえることが出来ない・どこにも姿が見あたらない。 
「ポロムちゃん!」 
 思い詰めた少女がどれほどの無謀を厭わないものか、自分はよく知っている――戦慄に背を押され勢いバルコニーに手を付いたローザは、素早く裾を絡げ持った。口中で幼馴染への侘びを呟き、中空へ身を躍らせる。 
 中庭に降り立ったローザは、感覚を研ぎ澄ました。既に少女の気配は遠く掠れている。これ以上遠ざかれば見失ってしまうだろう――裾を括る一手間さえまどろっこしく、ローザは駆け出した。 
「ローザ様、どちらへ!?」 
 中庭を抜けたところで、門番の慌てふためく声が追いすがった。 
「あなた、ポロムちゃんを見た!?」 
「は、はい! ポロム様でしたら、周辺の散策に行かれると――」 
「じゃあ、私もお散歩!」 
 用向きを誂えたローザは全力を疾走に傾ける。 
「あの、お、お気を付けて……!」 
 走り去る娘の背から女官の声が振り落とされた。 
 
 燭台に火を入れる時刻を目前に控え、長針が宵の入り口を刺す。城門へ近づく人影に向けられた鏃の先に、伝令票が翳された。 
「取り次ぎ頼まぁ、緊急だ!」 
 神官との面会の間に通されたエッジがもたらした凶報に、水面の静寂を湛えていた城が一転波立つ。 
「ああ……何ということ!」 
「神官様!」 
 動揺のあまり姿勢の安定を失う神官を侍女がすかさず支える。 
「兵を中庭に集めなさい。」 
 閉じていた瞼を開いた大神官から発された凛とした声が動揺を打ち据えた。 
 城がにわかに慌しくなる。演台代わりに噴水の縁に立ったエッジは、整然と並んだ残留兵に状況を伝えた。さざめく広場に、次いでこれからの指針を投げる。 
「状況は悪いが、逆を返せば全ての病瘤が一箇所に集った好機と捉えることもできる。今、火を掛ければ、病を根絶やしにすることが可能だ――しかし。貴国トロイアの象徴である守護樹を害する旨、強いることはできない。故に、決断してくれ。俺たちはそれに従う。また、次善策があれば、遠慮なく言ってほしい。」 
 カインの作戦と意向を口調も準じて伝え、反応を待つ。兵士たちの頭が動揺のままに揺れ動く。ざわめきは遂に意見の形を成すことはなく、感情を伏せた瞳の奥に封じた大神官は重々しく命じる。 
「やむを得ません。あるだけの薪と火油を用意し、守護樹の元へ向かうのです。」 
 大神官の下した決定は、辺りを悲しい沈黙で満たした。延焼防止のための枝払い用に手斧を装備した一隊には忍び泣く兵の姿がちらほら見える。 
 火壇が焚かれ、松明に次々と火が移される。錯綜する兵士達の合間を見渡したエッジは異変に気付いた。『あの二人』がいない。これだけ城が大騒ぎになっている中、真っ先に出て来そうなものだ。 
「姉ちゃんらの姿が見えねえな?」 
 エッジの言葉に、女官の一人が鋭い悲鳴を上げた。 
「お二人とも、先ほど森へ……!」 
「おいおいマジかよ!」 
「エッジ!」 
 名を呼ぶ声が群衆を凛と裂く。エッジは二者間を塞ぐ兵らの頭上を蜻蛉一つで飛び越えた。 
「大問題発生だぜ!」 
 荷物と引き換えに報告を受け、カインの頭の芯を氷の針が突き抜けた。繕う冷静に凍る腕で慎重に背からパロムを下ろす。 
「今すぐ捜索隊を出します!」 
「いや、ステュクスの始末を優先してくれ。二人を連れて必ず戻る。」 
 伝言を託された女官は、怯んだように歩を下げた。 
 矢も楯もたまらず駆け出したい気持ちを殺し、けたたましく全身を駆け巡る大鐘音のような二人の名を鎮める――二人はただの娘ではない。共に優れた癒し手であり、また、ローザは熟練の弓兵でさえある――しかし、安心材料を幾つ並べてみても鼓動は落ち着かない。 
「ったく、困ったお転婆嬢ちゃん達だぜ!」 
※柄を鳴らしたエッジはお転婆娘の保護者を振り返る。が、そこにあるはずのうんざり顔が無い。女官たちの合間を早足に縫う男を慌てて引き留める。 
「カイン、待て待て待て!」 
 ※無策のまま飛び出そうとするのは珍しい 冷静沈着を身上とする男だが、やはり冷静ではいられないのだろう。 
「森は広いぞ、見当を付けねぇと――」 
「ニィちゃん、隊長、こっち!」 
 二人の足が止まった間をパロムが走り抜けた。 
「分かんないけど、オイラ分かるんだ!!」 
 行くべき方向を腕の伸ばせる限りに力強く指し示す。水先案内の少年を肩に乗せたエッジはカインを振り返り、先導する旨を目配せする。 
 深呼吸一つで槍の穂先を下げたカインは、既に遥か先を駆ける心を追い、走り出した。 
 
 夕暮れの残り火が葉の縁に燃え残り、群青の空に不吉な斑を描いて見える。複雑に編み込まれた枝々に繁る葉は幾層にも重なって頭上に覆い被さっている。緑豊かといえるミシディアにさえ、これほど深く、古い森はない。 
 草を踏む音に警戒したのであろう遠い獣の唸りが、少女の肩をびくりと揺らした。※周囲に注意を払う しばらく待って、大丈夫そう 再び歩き始める。心の底で望む方向と真反対に足を向ける。今すぐに、踵を返して逃げてしまいたい。だが、そうするわけにはいかない。辛うじて感じられる乏しい気配の方角へ向けて、ポロムは両足を追い立てる。 
※誰かに見られてる・後ろに誰かいるような気がする 怖い 畏れより生じた魔物の、先程まで野兎ほどだった体は、視界の隅に蟠る曖昧な暗がりを餌に瞬く間に見上げんばかりの巨躯と化し、鋭い角牙に覆われた恐ろしい形相を木陰にじっと潜めている。そして甘く囁く。 
※しかし、後戻りするわけにはいかない ポロムは歩みを早めた。※今この胸にあるのは二つとない名案だ 聖水の樹の様子をちょっと見に行って、もし可能なら枝を一振りでも取って来れれば大手柄 見に行くのは大した手間ではない 大神官のイメージから得られた情報では、そう遠い場所ではなかった 
※ちょうど彼女がお茶を持ちに席を外してくれたのは正に好都合だった。遠ざかる足音を充分に聞いてから城を後にした。彼女は自分がいなくなったことに全く気付かなかっただろう。もし彼女にどこに行くのか問われていたら、うまく誤魔化せる自信がなかった。行き先を告げたら、きっと彼女は付いてこようとしたに違いない。 
 人の気配に散らされた鳥の羽音が少女の運動を止めた。音の正体が空へ高く飛び去る影を確かめ、ほっと胸をなで下ろす。 
 しかし、次の瞬間――真の恐怖が胸を揺らす時、出せる声などないことを少女は思い知った。 
「ポロムちゃん!」 
 呼ばれた名が、掴まれた手首と胸に脈を戻す。 
 振り返す眼に映る、息を切らしたローザの姿。編み上げ靴は泥にまみれ、ドレスの裾には幾つものかぎ裂きが出来ている。 
「すっかり暗くなっちゃったわね。そろそろお城へ戻りましょう?」 
 ぷいっと顔を背けた少女は、そのまま顔をふるふる振って戻る意志のないことを示す。彼女には分からないのだ――彼らがどれだけそれを必要としているのか。 
「……そう。」 
 素っ気ない返事が彼女の口を付く。度重なる非礼に、いかな彼女とていよいよ気を悪くしたのだろう――前髪の下からそっとその顔を窺う。 
「じゃあ、私は少しお散歩しようかな! どうぞ、先に行って?」 
 ね、と軽やかに言葉を切り上げたローザは、優しい笑みをその顔に頌えた。 
 ポロムは無言で背を向け、歩き出す。ローザが後ろを付いてくることが、淑やかに草地を踏む足音で分かる。 
「あら、素敵な弓! ポロムちゃんも弓を使うの?」 
 ローザの声に慌てて背中の荷物を腹に回して抱えて隠す。花を無くしてしまった今、この弓だけが唯一彼から貰ったものだ。取り上げられてしまうような気がした――自分は贈り物を持つのに相応しくないからだ 
 ※後ろちらっ振り向きローザの様子伺い 汚れた格好をしていても、彼女の美しさは変わらない 彼女が足を進めるたび、長くて豊かで綺麗な金髪が滑らかに揺れる。彼女のそれと引き換え、自分の髪は悲しいほど煤けた茶色で、肩で切りそろえた髪型はあまりにも幼稚だ 
※白魔導の使い手で、弓も使えて――美しい大人の女性。連れて行くなら、誰もが彼女を選ぶに決まっている。 
※そう――彼が彼女を選ぶのは当然のことだ。 
※カインの様子を思い出す 彼女は現れた瞬間から彼をすっかり独り占めにしてしまった 作業場に来た時、二人で楽しそうに談笑していて、自分の入る場所なんかどこにもなかった そして出発前、彼はもう自分を見てさえくれなかった 自分は到底彼女に叶わない 思う気持ちなら、きっと彼女に勝てるのに 
※ローザ様なんか、いなくなっちゃえばいいのに――背中を見守ってくれる彼女の存在が、森の様子を全く変えたと分かっているのに、そんな嫌なことを考えてしまう。 
 根拠の無い苛立ちから逃れるように、ポロムはさらに足を早めた。彼女を妬ましく思うたび、自分の顔が醜く変わっていく気がする。青年が髪に花を挿してくれた愛らしい少女は、水面の奥底に沈んでしまった。今ここにいるのは、ゴブリンみたいに醜い子供だ――。 
 
 深い木立の狭間を、大神官との会話中に得られたイメージに従い縫ってゆく。やがて森が拓け、明るい満月の白い月光に照らされた空間が拓けた。中央にぽつんと取り残されたような古木。一体どれほど腕を伸ばせば、その幹を抱えることが出来るだろうか。雷に打たれたように根本だけ焼け残ったような形だ。 
 ポロムはがっかりと肩を落とした。生命力のほとんどが失われた瀕死の樹精には、最早語りかける力さえ残っていない。一縷の望みを賭けて、周囲をぐるりと巡ってみる。幸いにも根本の方に枯れかけてはいるが葉を付けた枝を見付けた。ポロムは根本に跪き、マントを外す。 
「ごめんなさい。どうしても、必要なんです。」 
 少女の祈りに応え、それはただ僅かに枝を下げた。ぺこりとお辞儀を返した少女は、マントを枝に巻き付け折り取る。 
 瞬間、地面が物凄い勢いでぶつかってきた。とっさに枝を抱きしめ、為す術なく地面をごろごろと転がる。一体なにごとか――肩越しに振り返り見た光景に、草地ですりむいた頬の痛みが吹き飛んだ。 
 視界を遮るローザの背中――ドレスの布地と紛うほど白く華奢なその背中が、ピリピリとした険気に包まれている。 
「ローザさま――」 
「走って!」 
 追い立てられ振り返る眼差しに、踵から靴を抜いて手に握りしめる動作が映る 
「早く!!」 
 白いドレスが閉ざした向こうに感じる気配 
 早く行かなきゃ言うとおりにしなきゃ、心臓どきどき足が鉛のように動かない 目の前の出来事がまるでスローモーション ローザの腕が撓り、飛び掛ってきた獣をヒールハンマーでぶん殴り倒す しかし、茂みから飛び出してきたもう一体がローザを突き倒す 突き倒されてなお、ローザは抵抗を諦めない 開いた獣の大口にヒールごと腕突っ込み 
「最後の食事、よく味わって!」 
牙の食い込んだ白い腕から流れ散る血が、ドレスにも草地にも赤い小花を咲かせる 
靴を食わされた獣が奇妙な唸りを喉から発する ブラスターでローザの腕が文字通り弾け飛ぶ 
同時に、ポロムの硬直が解けた 
杖振りかざし魔力を紡ぐための最初の一振り。魔力が白熱し、しゅっと音を散らす 瞬間、ローザと目が合う 
「――エアロガ!!」 
少女の声と共に、杖の先端に集った魔力が開放された。風が威力を増し、少女の決意そのままに渦巻く。逆巻く風の轟音が「逃げて」というローザの叫びを吹き散らす 
豪風に弾き飛ばされた獣はしかし、木の幹を巧みに蹴って地面に降りた。新たに現れた獲物に向かい、姿勢低く荒れ狂う風に逆らい突進してくる。 
護風を裂く獣の咆哮が頬を叩く。猛吠が背筋を凍らせる。だが、それを上回る悔念が少女の両足を地面に焼き付ける。 
 
彼女などいなくなってしまえばいい――そう思った。その言葉が示すことの意味が、今ここにある。”いなくなってしまう”というのがどういうことなのか? なぜ、白魔道の誓いがそれを戒めるのか? その答えが今目の前にある。 
――私のせいだ 
 ぐったりとしたローザの体 徐々に血の気を失っていく 
 激情に駆られた自分が禁忌を犯さぬよう戒めてくれた。謝れない自分を気遣い、いつも笑顔で話しかけてくれた。 
 彼女はとても優しかった。 
――私のせいで…… 
 ぼろぼろになった綺麗な靴、綺麗な腕 もしもあの時、愚かな意地を通したりせず、その手に弓を渡していれば、彼女は容易に獣を退けられたかもしれない。彼女は弓の名手だと聞く。こんな怪我を負うこともなかっただろう。 
 自分を凶牙から救うため、彼女は迷い無く自分自身を番え放った。だから、今度は自分がそれをする番だ。 
※旋巻く風の壁を切り裂いた長く鋭い爪が鼻先を掠る。ケットシーの身体は細く、風壁をすり抜けてしまう。 
エアロガではだめだ――決定打にならない。エアロより威力の高い攻撃手段といえばホーリーだが、発動に時間がかかる。動きの早い相手は詠唱完了を待ってくれまい。――何れにせよ、いつまでも魔力は続かない。 
※獣は、魔力が無尽蔵でないことを知っているのか、立ち去ろうとしない 
※ならば、力尽きるまで彼女を守る 
 
 瞬間、上空に雷が閃き、風を切り裂いた。力強い腕が体を包む。驚き顔を上げた先に、澄んだ力を宿した雪解けに霞む青空が映る。※逆巻く風を切り裂き降り立つ蒼雷 
「凍て付けっ、ブリザガ!」 
耳に馴染んだ少年の声が肩越しに白い防護壁を立て、飛びかかる獣を弾く 
※風の防護壁逃れた一体がカインに向かい 彼は槍を抜かなかった 獣の横面を篭手でぶん殴り倒す どぅと地に落ちた獣 エッジがすかさず蜘蛛糸で絡め取る。だが、地を掻きあがく獣の執念が、体を絡める何本かの蜘蛛糸を千切り飛ばした。 
「しつこい奴ァ嫌われんぞ――」 
 忍者が舌打ち一つで次の策を懐に探るより早く、頭上が動く。 
「グラビデ!」 
 少年の手から放たれた重力波は、生き物のように獣の体を覆い地面に貼り付けた。 
「行け!」 
 殿の号令に頷き、カインは草地に崩折れたローザの体を抱き上げる。 
「ポロム、走れるか?」 
「ハイ!」 
 ポロムの手を引き駆け出すカイン。 
 
 水の絶えた支流の河面を生木を燻すような匂いが流れる。※ローザをそっと草地に下ろす。 
「ローザ様!」 
 癒しの術に長けた少女は、息を整えるより早く負傷者の傍らに駆け寄った。やわらかい草地に横たわったローザは完全に気を失っており、呻き声一つ上げることもない。※ポロムの癒術により出血は止まり、ある程度は回復した 安静にしている分には問題ない だが、ブラスターで深く損傷した筋肉組織の再形成や、とりわけ骨の再結合には時間が必要で、腕が完全に機能を取り戻すには更に時間が必要だろう。当分の間お転婆は打ち止めだ。 
※青い顔で横たわるローザ なぜか手にヒールを握っている 歩きづらくて大嫌いだといつも言ってた踵の高い靴 彼女はこの粗末な鈍器で最後まで戦うつもりだったのか 
「無茶しやがって……。」 
 運よく城へ引き返す兵士に会い、簡易担架にローザを乗せる。 
「様子はどうよ?」 
背後から掛けられた声に背筋が冷えた。いつの間にか背後に歩みを寄せていたエッジの姿を認める。 
「出血は止まった。だが、神経麻痺の治癒には時間がかかる。」 
 カインは女官の手により慎重に運ばれていく担架と、それに付き添うポロムを見送る。 
「行かねぇでいいのか?」 
「俺がいたところで何の役にも立たん。」 
 言って、カインは踵を返す。 
「守護樹の様子が気になる。行こう。」 
 異存を曲げた唇に宿したままのエッジは、留帯に空き手をぶら下げ後に付く。 
「ローザ姉ちゃんの方がすっごく気になってるくせに、変なの。」 
「聞こえてるぞ、パロム。」 
「聞こえるように言ったんだい!」 
 パロムは憤然と組んだ腕をエッジの頭に乗せ、青年を見下ろす。肩車の上下間で交わされる陰口を牽制するつもりが、藪をつつく結果になったカインはしかし、出てきた蛇に背を向けそのまま放置を決め込む。 
 他に会話もなく木立を抜ける。現場では、既に後かたづけが始まっていた。女官達が忙しなく動き、伐採した生木を片づけている。 
「ミシディアの!」 
 手伝うために腕まくり上げたと同時に声が掛かった。傍らの副官に現場任せた指揮官は、二者間に横たわった木の枝をひらり飛び越えた。 
「首尾は?」 
「問題ない。貴方の指示のお陰だ。」 
 変異し牙を剥いたといえ、かつて愛する森であったものに火を放つのが断腸の思いであったことは想像に難くない。感謝を口にする指揮官の煤頬には、拭い切れない悔恨がくすんでいる。視線の向こうに元は守護樹だったものが立っている。静かに燃え崩れるモンスターツリーを光源として、宵の空を不気味な橙が照らしている。生木の燃えくすぶる匂い。 
「……とても礼を言ってもらえるような状態じゃない。」 
 カインは目を伏せた。聖水による浄化はうまく機能していたはずだ。そこから先の展開を読み切れなかった事を、仕方がないと片付けてしまうには惜しい。もしもっと早期の段階から作戦に関わることができていれば、違う対応を考えることができたはずだ。 
 結局、守護樹を救うという主目的は潰えてしまった。自分の策が招いたのは、焼けただれた酷い有様の森の姿。カインはふぅと溜息を吐く。落ち込む青年に、武官はその顔に穏やかな笑みを刻んだ。 
「森は慈悲であると共に脅威でもある。我々は時に森と戦わなければならない。自分たちを守るために。」 
 武官は表情をくすませていた煤を拭う。 
「あなたがたは我々に命を守る術を与えてくれた。どうか胸を張って感謝を受けてほしい――助力をありがとう。」 
「オイラたち、心を届けてあげれたかなあ……」 
パロムが心配顔を覗かせる。 
「ええ、無論。」 
 武官はにっこりと力強く応じる。満足のいく回答を得、パロムは胸を張った。 
 
 旅立ち前の大神官と謁見。守護樹木は失ったが、 
「彼女の灰は新たな命が芽吹く床となる。そうやって森の大いなるサイクルは回る。ここは森の国だから。」 
 侍女戻って来て 
「チョコボの手配が終えました。用意が出来ましたら中庭へどうぞ。」 
 侍女は一礼して控える。旅立ちを目前にした一行に、大神官は立ち上がり深く礼をした。 
「皆様が木立の息吹と共にあらんことを。」 
大神官に礼を返して退室した一行は、ポロムを呼びにローザの病室へと足を向けた。貴賓室の扉を開けるとポロムがベッドの脇にいる 
 カインが覗き込む気配に応じてか、ローザの瞼がうっすらと開く。その目がくるりと回って室内にいる一同の顔を確認する。ベッド脇のポロムを確認してぱっと安堵の笑顔を浮かべる。その唇が少女の名を紡ぎ、シーツの山がもぞりと動いた瞬間。 
「痛った――たたたた……」 
「ローザ様!」 
 ローザの盛大な叫びにポロムは慌ててシーツの足下に取り付く。 
お転婆娘を放っておけば無理に矢理を立てかねない。カインはローザを介助して、その上体を縦に起こしてやる。もっふり枕に背中を預けたローザはふぅと満足を吹いた。カインの口から地の底まで潜り込まんばかりの深い溜息が出る。今回は十分以上に痛い目を見ただろうから言わずにおこうと思ったが、もう一言二言釘を刺しておくべきかもしれない。 
「安静にしていろ頼むから。なぜお前は大人しく待っていられない――」 
「ごめんなさい!」 
予想外の方向からの謝罪がカインの説教を止めた。 
「私がいけないんです! ローザ様ごめんなさい、ひどいことを言ってしまってごめんなさい、嫌な態度を取ってしまってごめんなさい、私のせいで、本当にごめんなさい……!」 
布団に伏したポロム。長い間胸にわだかまっていた迷いをやっと吐き出せた少女の、ぐすっと洟を啜る音と、包帯の上に滴る嗚咽。 
ローザの噛んだ朱唇から細く息が抜ける。 
「……私もね、ずっと考えてたの。」 
 言ってローザは、少女の手の甲にそっと温もりを重ねた。 
「自分勝手、ほんとにそう! 私、自分のことばっかりだわ。カインの気持ちも考えずに……。」 
ローザの申し訳なさ気な視線を浴びても、カインはただ首を傾げるしかない。 
「ごめんなさい、カイン。」 
改まった謝罪を突然述べられても、とりあえず小言を続けられる雰囲気ではないことの他に何も分からない。そもそも、何故その話の流れでローザの口から自分の名前が出されたのか皆目見当が付かない――戸惑いをそのまま曖昧な音にして返したカインは、傾ぐ首を立て直す。 
「叩いたりして、痛かったわよね。本当にごめんなさい、ポロム。」 
ローザはカインから少女へと視線を移した。 
「無事で良かった……!」 
 悲しいほどに力のない腕が、暖かい胸にポロムを抱き寄せる。 
「……そうそう、カインに渡したい物があるのよね?」 
 浮かんだ涙の一滴をそっと白い指先に移したローザが少女を促す。ポロムはおずおずとローザの元を離れると、鞄の蓋をまくり上げ、中から筒型の小箱を取り出した。 
「カインさん、これを……。」 
ポロムから手渡された小箱の中身を改めたカイン。美しい細工の施された硝子の筒に入った青白い液体。余剰分はない筈だったのだが。 
「これは……!」 
事情通らしい二人の顔を交互に眺める。ローザはただにこにこしている。無言に誘導される形で、カインは少女に視線を止めた。 
「貰ってしまっていいのか?」 
「はい。ミシディアにも一瓶送っていただけるそうです。」 
カインは恭しく聖水を小箱に戻す まさか、少女らはこれを取りにわざわざ危険を承知で森へ出掛けたのか。 
――何てことだ…… 
身勝手だとばかり思っていた彼女らの行動の真意を知り、ため息しか出てこない。 
「ありがとう、ローザ、ポロム。」 
片膝を付いて姿勢を落としたカインは、少女の肩に手を置きまっすぐその顔を見据える。 
「しかし、頼むから今後こんなことはよしてくれ。寿命が縮んだ。」 
 険しささえ滲ませた青年の表情に、ポロムは肩を震わせた。 
「で、ですが、それがあれば、ステュクスをやっつけられるでしょう? わ、私、お役に立ちたくて……」 
 手放しで喜んでもらえるものとばかり思っていた――少女の顔が如実にそう告げる。そんな少女を、カインはよく諭す。 
「無論助かる。だが、お前と引き替えにしてまで欲しいものなど、何も無いぞ。」 
青年の嘘偽りない真摯な眼差しが、少女に呼吸を忘れさせる。二度三度大きく瞬き、はっと我に返ったポロムはぺこりとお辞儀を取って付けた。 
「は……はい! ごめんなさい、……もうしません、絶対!」 
 反省しきりなのだろう、耳まで真っ赤に染め、神妙に胸を押さえて俯く生真面目な少女の頭を撫でやったカインは、視界の端で起きつつある異常に姿勢を直した。ふっと腹筋に呼吸を入れ、凭れた姿勢を立て起こそうと画策する娘の腕をそっと押さえる。もうため息も涸れた。 
「何をする気だ?」 
「何って……出発するんでしょう?」 
 行動を妨害された娘はしかし、目敏い世話役にここぞと会心の無邪気顔を見舞った。 
 不意を突かれ、咄嗟に言い返す言葉を失う。背後の中庭に羽ばたく黒い翼の音が降りた。 
「見送りもせずここで寝ていろなんて、そぉっっっんな酷いこと、まさか言わないわよね、カイン……?」 
 清らかな乙女を絵に描いたような表情。その円らな榛に光がうるうると潤む。カインが顧みる先で、仲間の顔が次々と明後日の方向へ逸れていく。よもやまさかの孤立無援――常なら援護してくれるはずのポロムでさえ、ローザの傍らから自分の顔を見つめて何か言いたげでいるようでは、勝負を降りるしかない。 
「……好きにしろ。」 
「はーいっ♪」 
まんまと許可を取り付けたローザは、サイドデスクから手に取った絵本を胸に両足揃えて床に下ろす。ポロム肩貸し中庭へ 
 中庭で黒チョコボ三匹どうどう。育成官一人同行。 
エッジとパロム同乗。エッジ育成官に手綱の捌き方教わり 
ポロムを抱き上げて先に乗せたカイン 
「カイン。」 
 ローザが一歩近寄り。 
「あの子達を置いていかないでね、絶対に。」 
 ※子供の頃から「待ってよカイン」と言われ続けてきた 自分のせっかちをよく知るローザからの忠言に、カインは苦笑する 
「せっかちなのは自覚した。もちろん、なるべく子供達の足に合わせて歩くように――」 
「そういう意味じゃなくて……もうっ!」 
 さっきまで殊勝な顔をしていたかと思えば、今は憤然としてふくれている。その様子は、いつまで見ていても飽きない――カインは手綱を取る。許されるならばずっとこうして、彼女のくるくると変わるその表情を見ていたい。だが今、それは叶わない。 
 三歩下がり緩く手を振るローザ。案の定、はっと表情を変えた。 
「ちょっと待って!」 
 焦り駆け寄るローザに、カインは慌てて手綱を引きチョコボの頭を上げる。 
「どうした?」 
「ポロムちゃんにこれ……これ、これっ!」 
焦りに焦った娘は抱えていた本を押し付けてくる。カインがポロムに絵本を渡そうとすると 
「あぁっ違うのそれじゃなくて――」 
 青年の手を書見台の形に設えたローザは、絵本のページをばらばらと必死にめくる。挿絵が高速で過ぎ去っていき、やがて森の様子を詠んだページの真ん中に、小さな栞がぽつんと現れた。 
 一瞥して、その手工芸品が娘の作であることが知れる。※留めリボンが弓兵独特の結び方 長期の使用に耐えうる作りの良い品 
「きれいに出来てるな。」 
 カインからの高評価を得、ローザは胸を張って、手工芸品を少女に差し出す。 
 差し出された栞に押された花を見、ポロムはあっと声を上げた。あの日カインに髪に挿してもらった花が、ローザの手によって永遠に枯れることのない姿になって戻ってきた。背負い鞄を回し、呪文書の間に大事に挟み込む。 
「ありがとうございます!」 
「気を付けてね。」 
 優しく繋ぎ合った手が離れ、チョコボの翼がふわりと浮き上がる。 
「旅の無事と幸運を!」 
 傷痛に負けじと張り上げる祈りの声。森の木立を吹き抜けた風が、寝着の裾を白く可憐な花と咲かせる。 
「ローザ様ぁー!」 
 やがて、草原に咲いた黄金の一滴の輝きが見えなくなるまで、ポロムはその手を振り続けた。 



七章前編
 白く聳える異形の塔を旋回し、黒チョコボの羽音が痩せた地に降りる。潤沢なトロイアの森を見た直後だけに、櫛葉を頭冠に頂いた真っ直ぐな幹の並びが寂しく見える。足元には背が低く腰の強い草が据わる堅い地面。海風の潮は山脈に阻まれて届かない。山脈から常に吹き下ろす風は乾燥している。山から海の方へ吹き抜ける風向きのせいで、海に充分近いのに潮の匂いがしない。 
 景色が全体的に灰靄がかった、荒涼に感じる風景。しかし、先頭を歩く男にとってかけがえのない故郷の大地だ。 
※チョコボを返す 帰ったら腹いっぱい食えよ!と見送ったエッジは、満面の笑顔で一行を振り返った。 
「さてと! お前らにも美味い飯たらふく食わせてやっからな、楽しみにしとけよ!」 
「エブラーナ料理か……どんなものだ?」 
「おっ、知らねぇか? 博識なカイン様ともあろう御方が、エブラーナ料理を知らねぇとァ……ってこたぁまさか、お前らもか〜?」 
 エッジは大仰な身振りで子ども達を顧みる。双子は果たして興味を宿した瞳で首を振った。 
 それは、期待にこの上なく添う反応だったのだろう。エッジは先にも増してニヤニヤと上機嫌な笑みを浮かべた。 
「あーらららぁ〜勿体ねえ! 俺に言わせりゃ、エブラーナ料理を食ったことが無ぇ奴ぁ、少なく見積もって人生のざっと三分の五以上損してんぜぇ。」 
 このしたり顔の講釈師に、計算が合わないなどと目論見通りの食い付きを口にした日には、すぐさま景気よく背中を張り飛ばされるのだろう。カインは慎重に相槌を控える。 
「まっ、知らねぇのも無理はねえか。エブラーナ料理は何せ、材料からして特別の格別、他の国じゃあ手に入らねぇ逸品ばかりだかんな〜。よしっ! ここはオレ様の面子に掛けて、エブラーナ料理の真の随まで堪能させてやんねぇと!」 
 鼻高々のエッジを前に、とてつもない不安が頭をよぎる。 
 ※いま、材料が違うっつったぞ 普通に考えれば、それは地産品とか、何らかの事情でその土地でしか手に入らない食材であることを予想させるものだ、が。 
※エッジの食に対する勇猛果敢さには、日頃から着目していたところだ。 悪食ではないが、とかくエッジは何でも口にすることを恐れない 食に対する飽くなき探究心 もしその姿勢がエッジという個人の性格に依るものではなく、エブラーナの国民性として通ずるものであったとしたら――? (常日頃から、エッジは見慣れない物でも平気で口にするなーと関心してたが、もしそういう好奇心というか挑戦心がエッジという個人の性格に依るものではなくエブラーナ人の”国民性”に由来するもんだったとしたら、もしかしなくてもエブラーナの食卓ってカオスになってるんじゃね?) 
「――てわけで、エブラーナ料理を一言で表すならズバリ、混沌建築! これよ!」 
 できれば講釈全部聞き流したかったが、そんな日和見をたった一語の衝撃が許さない。きれいに均された脳裏に、無数の疑問符が押し寄せる。 
「まずは何を置いても『串刺し』を食わにゃ話が始まらねえ。でけぇ旋盤で木っ端微塵挽きにした肉を箱に滅法詰め込んでこう、長ぇ柵に重ねて刺してよ、ああ、これが『串刺し』の由来な、ンで、草の芽と実と枝を合わせ挽きにした粉まぶして、四方八方から熱した煉瓦でジュージューやっつけちまうワケだ! 良い具合に中まで火が通ったら、瓜をぶちこんだ発酵乳を隙間無くたっぷり塗ったくってよ、かぶりついた日にゃあお前、これが美味ぇの何のって――」 
 脳裏一杯埋め尽くした疑問符を薙ぎ倒し、更に衝撃の説明がなだれ込んで来る。一体エッジは食卓に何を召還するつもりなのだ。 
「勿の論、ガキ共の好きそうな甘味もお任せってなモンよ! 『強練り』つってな、黍糖と卵の黄身を除いた残りと、炒って割った木の実をゴッタゴタのギッタギタによっく混ぜ合わせてな、花から絞った製油を一差し、練りに練りを加えて練り上げてやるワケだ。これがまた美味いの何の、あーでも気をつけて食わねぇと歯が抜けっちまうかんな。」 
※歯が抜けるだとう!? 
※「おっ、そういやカイン、トーフ食ってねえんだよな? 似たやつがあるんだがよ、『こうごり』つってな、ファブールのやつよりちぃと固ぇが、味は――」 
「ありがとうよく分かったもういい。」 
 思い浮かんだ数々の台詞のうち、愛想のある順に三つ読み上げる。これ以上不安が増大する前に説明を止めておいた方が無難だ。願わくば、彼が楽しみにしている故郷の味が人類に消化可能な代物でありますように――百聞は一口に如かずとかなんとか舌好調、故郷の味談義に一人花咲くエッジを横目に、カインは子供達を振り返る。 
「パロム、ポロム、俺が安全を確認するまで食事に手を付けるなよ。もし志半ばで倒れたら、長老に遺憾を伝えてくれ。」 
「う、うん。」 
 異国の食卓に挑む覚悟を決めた男の哀愁漂う孤高の背中に、双子は神妙に頷く。 
 ルンルンと軽やかな旋律を頭のてっぺんから吹き出しそうなほど上機嫌なエッジの先導で、森から山際の細い道を通って城を目指す。景色にとけ込むようにしてひっそりと山際に立つ城が視界に見えた。 
「殿下のお成り!」 
 野を歩く一行の姿を認め、見張り台から号令が下る。門が開くと鮮やかな黄土の内庭が開けた 日差し避けの白いゆったりとしたクロークを頭から膝下までの長さ 腰ですぼめた 格好の兵の整列が中庭を彩る。 
「殿下!」 
「殿下、お帰りなさい!」 
 居並んだ兵が口々に述べる歓迎が城壁に反射し轟音を奏でる。凱旋した王に向けられる親愛の眼差し。そこに緊張はあっても、その緊張は畏怖から来るものではない。 
「皆、変わりねぇか?」 
 ちゃらんぽらんとした足取りを改めることなく、飄々と兵の中心に歩を進めるエッジは、慣れた様子で兵の顔一つ一つに目を配っていく。決して気取らないながら威厳を備えた仕草。 
 殿として門をくぐった足がふと止まる。兵垣の向こう、真正面に見える本丸の砦は大きく欠けたまま、未だ復興は半ばにさえ達していないことを物語っている。むべなるかな、この城は、※入江?の入り口を塞ぐような形 海水の浸食によって出来た天然の地下洞を利用した広大な地下城 地上施設はほぼ飾り 
 故に城落としの際は、飛空挺による上空からの爆撃に加え、上級大将直々の指揮の元、大規模な焦土攻撃という徹底した強行策が取られた。それでもなお、国民皆兵のエブラーナは手強く、兵力投入は三次にも渉った。熾烈を極めたエブラーナ城開放戦は、クリスタル戦役を通じて人口比最多の犠牲者を出した。 
 民の歓迎に手を振り応える男の背を見る。その背は、多くの民の拠り所――紛れも無く、王の背中だ。 
「よぅ?」 
 欠けた足音に気付き、エッジが振り返り大きく手を振り招く。 
「おいおい、馳走を目前にためらうのは大阿呆だぜ、早く来いよ!」 
「ああ……。」 
 苦笑して覚悟を決め、一歩を踏み出す。自分の入国を急かす彼の胸中に実際は何が埋まっていようと、彼の胸先三寸だ。そして――虫の良い話であることは重々承知だが、※せめて、「今件を解決するには力が必要だ」と言ってくれたその言葉通り、今件が収束するまででも生かしておいてくれる寛大さを望みたい。 
 一行はホールに通され、中庭で名残惜しむ足音が徐々に薄れる。 
「さてお出ましだぜ、口煩ぇのが――」 
 エッジの眼差した先に、各自持ち場へと戻る人垣の流れに棹差す人影。腰に巻かれた三重のサッシュを眼差したエッジは、おや、と目を瞬いた。 
「殿下、ご無事で何より! ご連絡の件滞り無く。宴の支度も整っております!」 
 ※エブラーナ式の深礼をした際、クロークの背に染め抜かれた階級章が見えた。※彼はバロン軍でいえば師団長に相当する位にあるようだ。 
「よぅ、爺はどうしたい?」 
「はッ! 家長殿は上忍三名を伴い、露払いに行かれました!」 
「あー……年寄りが冷や水浴びやがって。」 
 エッジは後ろ頭をがりがりと掻き付けた。さも呆れたというように肩を竦め、一行に振り返る。 
「お前らはゆっくりしててくれ、何なら城中どこ見てくれても構わねぇ。よぅ、こいつらをいっとう上等な部屋に案内してやってくんな。」 
 返す刀で師団長に世話を頼んだエッジは、一人踵を返す。 
「エッジ、何処へ?」 
「爺さん迎えに行ってくらぁ。あンの世話焼き爺、バブイルを偵察しに出掛けちまったみてぇでよ。」 
 エッジの曰くじいやと言えば、彼を我が子も同然にも目に掛けている老翁だ。当然といえば当然だが、エッジは事前に帰国の旨とその内実を連絡していたのだろう。とすればなるほど、翁がエッジの少しでも役に立つため動いたのも無理はない。 
「俺も行こう。」 
 カインは同行を申し出た。エッジに面倒を負わせた張本人である自分が、安穏と城で寛いでいるわけにはいかない。 
「オイラも!」 
「私も参ります!」 
 双子もすかさず手を挙げ、じいや出迎え隊は総勢四人の大部隊となった。 
「……そんじゃ、皆様お誘いあわせの上で参りますかねぇ。」 
 特にメンバーの同行を止める理由はない。出向き損の部下に来賓のための祝宴準備を念押したエッジは、風向きを測り、懐から煙玉を取り出した。 
「あらよっと!」 
 威勢良く立ち上がる煙が一行を風に乗せ野を駆ける。煙が晴れた後に、岩肌に溶け込む洞窟の入り口が現れた。 
「じいー! 殿下様がご帰国なさってやったぜー!」 
 岩庇に両手を吊り下げたエッジは、内部に向かって大声を張り上げる。エッジに続き、三人もそれぞれに暗闇へ向けて呼びかけた。 
「隊長のじっちゃーん!」 
「じいや様ーっ!」 
「翁、引き上げだ! 戻ってくれ!」 
 とりどりの声音が複雑に反射し、木霊しながら奥へ響いていく。無造作に見える岩肌に工具の振るわれた僅かな痕跡を認め、カインは感心した。この集音効果は自然の産物ではなく、計算されて施されたものらしい。前回訪れた際は知る機会が無かったが、面白い作りだ。 
「ったくこんな狭ぇ洞窟ン中でよ……おい、じい! とっとと帰ぇってきやがれ!」 
 子供達の喉を休ませた後も、しばらく二人で交互に声を掛けてみる。しかし、待てど暮らせど一向に応答の気配が無い。 
 エッジの言う通り、それほど広くはなかった筈だ。最深部から歩いて戻っても、いい加減に姿が見えても良いだけの時間は経っている。エッジの身を案じる一心で、自ら兵を率いバブイル最上階まで追いかけて来たほどの忠臣が、君主の呼びかけに一向応じないわけがない。 
「進んでみよう。」 
 カインはサックから取り出した簡易ランプに火を灯す。ランプの光を複雑な凹凸で光を削ぐ切り出しの岩面に向ける。長く火を灯されていない燭台が岩肌に不気味な影を落とす。 
 地表からバブイル地下一階まで、およそ四階相当の高さを、数箇所の階段に加え全体として緩やかに登っていく洞窟を道なりにしばらく歩く。かつて難民がキャンプを張っていた今は無人の広間を過ぎ、角を曲がったところで、先頭を行くエッジの歩みが止まった。 
「どうした?」 
 問われたエッジは無言で靴先を退ける。カインが光を注すと、床にまだ新しい血痕が浮き上がった。 
 流れてまだ間もない血の色が、一行の気分を臨戦態勢へ塗り替える。双子は素早くそれぞれ保護者の間近に着く。頭に手を被されたパロムは、驚いて保護者を見上げた。常に無い振る舞いをした『隊長』の顔は、薄闇に紛れて見えない。 
 
 血痕を辿り道を引き返す。血痕は壁沿いに旧難民キャンプ(居住エリア)へと一行を導いた。エリアに足を踏み入れた瞬間、何ともいえない雰囲気が一行を包み込む。張り詰めた空気の中、カインは灯りを引き絞る。真っ直ぐな光線は、血痕の行く末を左壁に連なる二つ目の扉へと描いた。 
※諜報に長けたエッジが皆を蝶番側へ下がらせ ハンドサインでランタンを渡してもらい エッジはランタンを扉の正面に置いた。ランタンの鎧戸を開けてから、つま先で扉をそっと蹴る。 灯りを注しても、室内で動く気配はない。エッジは苦無を抜き、磨かれた表面に室内の様子を映す。慎重に代理鏡を返すエッジ 彼に諜報を任せたのは失策だったとカインが気付いた時には既にエッジの足が地を離れていた。扉を音高く蹴り開けるエッジ 
「鬼さん、こちら!」 
 無謀な単騎行を阻むべく伸ばしたカインの腕は、開く扉に阻まれた。 
「じいを頼むぜ!」 
 置き台詞に異を唱える間もなく、三体の影を引き連れたエッジの後ろ背が通路の闇に消える。 
「バカ野郎が!」 
相棒の短絡を戸枠に叩いたカイン。起きてしまったことは仕方ない・もう後の祭り 室内に飛び込み、倒れてるじいや回収 
 椅子の傍ら、壁に凭れた人影。手向けた灯火が夥しい血に塗れた顔を照らし出す。双子は揃って最悪の事態を予測し息を呑んだ。カインが生死確認を取る カインはじいやを素早く肩に担ぎ上げる 動かせば出血は免れないが、治療を行うにも外へ出た方がいい 
「行くぞ、先導頼む!」 
「「りょうかいっ!」」 
 ポロムがランプを持ち、パロムは勇ましく短剣を構え、エッジの後を追って駆け出す。 
 
後続を振り切らないぎりぎりの距離で洞窟を抜け、海岸から十分距離を開けた拓けた場所に誘導したエッジは、足を止めた。両腕に余る人数を相手に遮蔽物の無い場所では不利なのは承知の上だ。その上更に、もう一つの不利が重なる。自覚している自分の中の迷い――彼らを敵と見なすか、被害者と見なすか、依然として判断の決定打が見つからない。計算と心情の両面から後者の道を選びたいが、しかし。 
――面倒は本職に任せるか 
 頭脳労働担当が現場に到着するのにそう長くは掛かるまい。ひとまずは現状維持とし、帯から鞘ごと引き抜く。 
「で、追っかけて来たってことァ――」 
 大人しく助けられるつもりは毛頭無いのだろう。エッジの言は一瞬先を正確に予見した。両方向から挟みかかる刃を、足底で軽く弾き束ねて鞘に流し落とす。 
「ったく、ジッとしてやがれ!」 
 出鱈目に寄越される剣筋を鞘と足で易々捌く。動きはまだ人間のものだが、その刃に意思はない。恐らくは身体に残る修練の記憶のみに支えられた、影法師のような動き――まるで忍者を見様見真似た出来損ないだ。 
 包囲を嫌い戦線を時計軸に回す足が、腰を屈めた椰子の幹に躓く 移動の一瞬止まったところへ襲いかかる斬撃 一撃目を払い薙ぎ、受け流しによって力の逃げた肩を蹴やって後続にぶつける 攻撃者らの姿勢を崩したことで、射程範囲の穴となったその頭上を越え、広い場所に出て仕切りなおすため、幹を蹴って体を跳ばす 全く自然な流れの動き 故に、跳躍が悪手であったと気付いた時には既に体は宙にあった 制動の利かない空中に投げ出された体に向け、残る一人の口が開いた。発される声は最早人のそれではない――奇妙な伸びが空気を揺らがせる。 
「ファイア!」 
 『波』の発生に先んじ、黒魔導師の起こした爆発が棒立ちの的を突き飛ばした。すかさず、竜騎士の振るう長柄が崩れた足を掬い前倒させる。為す術無く地を舐めた敵の口元の土が『波』に混ざり舞い上がった。 
 到着した騎兵隊の間近に着地したエッジは、剣翼の手羽で追水紋を描いて向き直り、パロムを中央に据えた鏃陣の空席を埋め完成させる。 
「じいは?」 
「ポロムが治療を。様子はどうだ?」 
「芳しいとは言えねぇな。」 
ゆるゆると新たな局面を認識しつつある感染者の顔を順に嘗める。 
※ゆらゆらと揺れるそれらは、一様に顔の上半分が異常なほど膨れ上がっている。※いちご舌 日の光が、それらの口で蠢くものの正体を浮かび上がらせる。 この『症状』には見覚えがある――カインとパロムは実際に、エッジとポロムは後に描かれたスケッチによってだ。飛空挺で遭遇した操舵士とよく似ている。頭蓋が分割していない状態だから、まだ”軽度”と言えるだろうか。口からはみ出した触手が闇に不気味な模様を描くように蠢く様は生理的嫌悪を催させる。 
 日の光の下に見る顔は、無残に壊れた中にもかつての名残を多く留めている分、より惨い。 
「形だけでも人である内に葬ってやるのがせめても情けか――」 
 鞘を帯に戻し鯉口を切るその手を、カインに肘で押し止められる。 
「治療法は必ず見つかる、石化させよう。」 
「そうかい……ンじゃ、そうしますか!」 
 慈悲深い決定にエッジは口元を解く。到着を待っていた甲斐があったというものだ。 
「パロ、カインの動きを追え!」 
「りょうかいっ!」 
指示を受けたパロムが拳を突き出し、両手首合わせて三輪の魔力環を装う。石化の魔力で編まれた銀に光る腕輪は、緩やかに回りながら秘めた効果の解放を待つ。 
「影縛り!」 
返す刀に捕物開始の狼煙を上げるエッジの手から、影から削りだしたような色の鉤針が飛ぶ。 
影縛り――鋼線で結ばれた二本一対の鉤針を用いる忍術。人差し指と中指で一方を挟み、もう一方を親指で弾き回転を加えて投げ付け、敵の四肢を絡め取り動きを妨げる。バロンでも使われる狩猟具の重石付投縄に似ているが、小型である分、取り扱いに熟練を要する。 
 熟練者の手から放たれたそれは、危なげなくその真価を発揮した。踝を周回し、しっかりと鋼線に絡めた鉤針は、影の落ちる地面に深く刺さり自由な移動を許さない。穂先の接合部を提げ突出したカインは、敵の寸前で宙を折り込みその頭上を越えた。目前より消えたことにも気付かぬ内に、背に軽い蹴りを加え反動で後ろに振れた腕を素早く槍の柄で掬い羽交い絞める。 
「ブレイク!」 
少年の手首に巻き付いていた魔力環の一輪が解放される。威力充分、狙い過たず、腕にあった敵が見事な石造りと化す。まずは一体。 
「次ィ!」 
いち早く影縛りを抜けた一人をエッジの体当たりが場より引き離す。入れ替わり場に戻ったカインは、未だ影に縫い止められた一人の手首を掬い、脇を支点に柄を回してもう片方の腕も絡げ取る。 
 少年の魔力が結んだ石像を、先と同じく慎重に草地に倒す。風切り音と共に間合いに飛び込んできた”何か”が肩を揺らした。 
「ッとぉ、――」 
エッジの声に気を取られた瞬間、肩当てに再び衝撃を覚える。咄嗟に地を突いた槍を支点とし振り上げた左足底に、肉を蹴る重い感触が来た。気配を遠ざけたのも束の間、再び目前に差し迫った刃を屈んで避ける。 
 早い――思わず漏れた言葉。あのエッジをして動きのコントロールを一瞬とはいえ奪われるとは。 
 矢のように間合いを射抜いたエッジの裏拳が眼を覆うグロテスクな浮腫を叩き剥がす。鮮血に塗れた面立ちはまだ若い――エッジと同じくらいだ。 
※とかく、相手の間合いは手の内をよく知るエッジに任せ、自分は迂闊に踏み込まず中距離を保って支援に回るのが効率的だろう。つまり、普段とは逆の役割をそれぞれ担う。エッジが前衛、カインが後方支援 
※後ろから見ていると普段は見えないエッジの剣術スタイルがよく見える。両利き手のそれぞれに刃とその鞘を携えた変則二刀型。鞘を巧く盾に矛にと使い捌くのも見事だが、目を引くのはやはりその太刀筋。 
 刃先に反りの加えられた浅曲刀で、有効射程内を隙なく無数の刃紋で埋め尽くす――普段多彩な手数に紛れて見えない、これがエブラーナに於ける基本的な剣術なのだろう。目的に応じ、多種多様な武具を使いこなす忍者。刀もまた然り、数多ある道具の一つに過ぎず、その目的は――血を流させることだ。斜めに寝かせた鋭利な刃を滑り込ませるように斬りつけ、広範囲の肉を削ぎ切る。狩りや戦に用いる剣術とはまるで違う、純粋に対象を殺傷するために構築された術。 
――パロムに剣術を教えたがらなかった理由はこれか 
 意識の隅に合点を得る。こんな術を手に付ければ、いずれ誤りの内に人を殺めてしまいかねない・取り返しの付かない事態を招きかねない。 
※エッジの深慮への感心はひとまず、まずはこの局面を終わらせることだ。恐るべき殺人剣術だが、鋭利さ故に脆い。緩い曲線を持つ薄く研がれた刃先は、形状と厚みの両面に於いて壊れやすく、薄鋼を断つ硬度を持たない。加えて、相手はエッジに比べればその腕は鈍く、さらに本調子ではない。動きを封じるのが目的という足枷があっても、人数でも技量でもこちらに分がある。 
 前面のエッジが捌いた太刀流れの隙から臑への命中打を入れ、勝手違いに気付く。苦痛に対する防御反応を計算して組み上げられた拿捕術は、今回のように痛覚を遮断・極端に鈍された相手には通用しない。無傷での捕獲を捨てたカインは、骨を折るに十分な長さに槍を持ち替える。狙うは彼ら最大の武器――その両腕。 
大振りを斜の刃面に流し込まれ伸び切る肘に、外からの打撃を加える。さすが腐っても忍者か、敵は外から加わる力に逆らわず体を回転させることで打撃を散らしてしまう。敵がこちらに掌を向ける。その手から見えない気配が放たれた 槍風車を回して音を断つ (槍回して空中で叩き落とし) 風切羽にかしゃんかしゃんと脆い音が弾けた 光砂のような細かい破片が革篭手の甲に当たる この音は硝子か? 
カインが飛び道具を引き受けた格好となった隙に懐へ切迫したエッジが相手の忍刀の柄を叩き上げて弾き飛ばした。すかさず、浮いた忍刀を槍の穂先で更に遠くへ打ち飛ばす。弾数制限の無い武器を失い、続くは消耗戦、矢弾の雨はそう長く降るまい――返す石突きで空き手側から横薙ぎを入れる。槍の回転に合わせる形で後ろへ飛び打撃を避けた敵が懐を手繰る。詰め過ぎた距離を退く爪先を掠めて、掴み出された綾紐から燃え上がる業火が視界を寸断した。 
赤幕の垣間に揺らぎ見えた敵の袖から覗く一対の銀振り子――エッジが砂漠で使用した、広範囲に毒針を降らせる道具だ。カインは水平ジャンプで炎を突っ切りタックルで地面に引き倒す。だが間に合わない。 
エッジが咄嗟にその手のミスリル刀を投げ、回転する刀が雨筒の軌道を変えた。 
上空の丁々発止から海に落ちた雨筒に視線を取られた一瞬、喉元に突きつけられた黒鉄に慌てて上体を跳ね逸らす。天地逆転した視界にエッジの姿。その手に懐刀が閃くのが見える。 
「エッジ止せ!」 
「パロム!」 
 掌に刺した切っ先を地まで踏み抜き、敵の動きを縫い止める。 
「ブレイク!」 
 少年の手首に長く留まっていた魔力がこの瞬間に解放される。 
「しょげしょげもばもばに比べりゃ、掌に穴空くくらいどってことねーだろ。」 
それでもやや申し訳なさを帯びた声が、石になった刀の柄を足の爪先でとんとんと叩いた。 
 
 石像郡は、二人がかりで目印となる木の傍へ移動させる。城への回収は後ほど改めて人員を派遣すればいいだろう。石と化しているから、露天に寝かせておいたところで獣等に食われる心配はない。 
「調子はどうよ?」 
エッジじいやの様子伺い ポロムはしょんぼりと頭を垂れる 
「どうした?」 
 ポロムは両手に咲いた深紅葉を愕然と広げて示す。 
「ケアルが効かないんです……すみません、私の力では……。」 
※けなげに介抱につとめる少女のハンカチは、すっかり濡れきって用をなさない。エッジは懐から取り出した新しいハンカチを代わりに持たせる。 申し訳なさげに俯く少女の傍らに腰を落としたエッジは、小さな癒し手の肩を抱いて労う。 
 木に凭れ掛かった老爺の顔に葉の陰が落ち、固化した血と斑をなす。老爺の呼吸は浅く長い。意識混濁状態のようだ。顔に張り付いたものを無理に引き剥がした跡に被せたガーゼみたいなものに染みる血は、依然としてじわりじわりとその領土を広げ続けている。 
「いくら爺たって、如何せん癒りが遅ぇわな。」 
 暗い予感がエッジの声を曇らせる。体内に侵入したステュクスが人為的な治癒促進を無効化しているのか――老爺の枯れた身体の中で、ステュクス寄生が着実に進行を広げているのだろうか。 
 依然続く老爺の出血がポロムの手に負えるものでない以上、ここに居続ける意味はない。しかし―― 
「仮に感染しているとしても、今のところ怪我が再生する気配はないようだ。出来れば城へ戻って詳しく診たいが……。」 
カインは城主の意向を窺う。ややあって注視にようやく気付いたエッジは、思案顔を傾けた。 
「城へ入れていいモンかね?」 
「それを判断してくれ。」 
 言われ、あぁと呻いたエッジは頭をがしがしやる。常に二手は先を読んでいるこの男らしからぬ余分な問答。 
 辛いのだろう――恐らくは、傍から見えるその表情から窺えるよりもはるかに。飄々とした掴み所のない男だが、その情の篤さは戦闘姿勢からも十分に伺えて余りある。戦闘が終わって初めてその働きに気付くことがままあるほど支援能力に長けているのは、気の配りの実に細やかな証だ。 
「よし、爺連れて引き上げだ。危険な兆候が見えたらすぐに石化させるってことで。」 
「それがいい。」 
エッジと合わせて四本の腕材を担架に組み立てる。気色を失い乾いた老爺の体は軽い。まだなお滲み出る血が城への道を黒く染めた。 



七章後編
 帰城の挨拶もそこそこに、道すがら打ち合わせた通り、爺を王家所蔵庫へ運び込む。かつてはそれなりに宝物の類を収めていたのだが、襲撃の際に中身が綺麗さっぱり持ち去られ、壊れた壁の修繕も程ほどに空いていた部屋だ。居住区から離れているから万一が予想される今回は都合が良い。驚き覚めやらぬ部下に命じてベッドを運び込ませ、空き部屋を即席の救急処置室と成す。 
 壁の燭代全点灯して尚拭えぬ暗さが部屋を重く閉ざす。実際に光量が抑えめであるのだが、普段こういった暗い雰囲気を誰より嫌い、率先して賑やかしを勤めるエッジが無口でいることが、部屋を実際より暗く思わせる。 
「爺やさん、大丈夫ですよね?」 
 少女の問いに、カインは成す術なく口を閉じる。現状明確な答を返すことができない。対忍者戦の際は治せると請け負ったが、確かな保証があっての言葉ではなかった。 
「きっと治す方法あるよ!」 
 大人の深刻顔を交互に見ながら、パロムが精一杯明るい声で言う。せっかくの励ましを半ば黙殺する形になってしまうことを申し訳なく感じつつ、カインは思考運動を支える右手の内に目を伏せる。 
 出血に関してだけは血液凝固剤の使用で止めたが、できたのはそこまでだ。その先のステュクス感染に関しては、打つ手なしを認めるしかない。そもそも、治療に取り掛かろうにも、どのように対処すべきか全てが五里霧中にある。分かっているのは、このまま手をこまねいていれば、先刻の忍者達と同じ状態から、飛空艇で遭遇した船員達と同じ状態を経て、およそ一年の後には完全なステュクスへと変じるだろうことのみだ。 
 賑やかしを買って出たものの、思ったような効果を上げられなかったパロムはしょんぼりと肩を落とす。そんな少年をぽんぽんと慰め、エッジは顔を上げた。思いつきに過ぎない案だが、沈黙を通すよりはるかにマシだろう。 
「なぁ、トロイアで貰った聖水、人間に使えねぇもんかな?」 
頭の中で朧に形を成しつつあった考えを相棒の口から聞いたカインは、一度頷いた。少女の献身が早速役立つかもしれない。ポロムはぱっと嬉しげに明るい顔を上げる。カインは貰ったアンプルを取り出した。蝋燭の光を反射して水面がきらきらと輝く。 
「とはいえ、そいつをそのまま体内に入れるのは多分やばいよな?」 
薄まっているとはいえ、神官の皮膚を酷く爛れさせたものが原液だ。カインは頷く。 
「エッジ、ミシディアへ連絡を出せるか? 聖水を治療薬として転用可能かどうか、調べてほしいと。」 
 当座の指針をようやく決定できたところで、第五の気配にさっと緊張が走った。 
「じい!」 
 寝床から浮いた手をエッジがすかさず捕まえる。 
『おお、殿下!』 
じいやの口は確かに音の形を刻んだ しかし、実際にその口から出てきたのは大量喀血と呼吸音 ※老爺の呼吸を遮り口から溢れる粘性の高い血を、少女のハンケチが受け止める。 
「落ち着け、城だよ。」 
 読唇したエッジがじいやを落ち着かせる カインの脳内に矢継ぎ早芽吹く質問の数々は、咲いた端から潰れていく。翁が質疑応答可能な状態でないことは、光量の限られた中、傍目に見ても明らかだ。 
 エッジに何事か伝えようと、じいやは口を動かす 蝋燭の明かりの中に見える口の動きを拾う 申し訳ない、申し訳ない――何度も繰り返し形作られていたのはその一言  
「黙って寝てろい耄碌爺!」 
 じいやの頭を布団に押し付けたエッジは、諦めのため息一つで席を立った。扉の向こうから聞こえる騒音がいよいよ無視して会話を続けるわけにいかないレベルに達している。かちゃりと扉を開けた途端、 
「イルウードの爺めを叩き起こせ!」 
 開いた扉から怒声が飛び込んできた。それを契機にざわめきが溢れる。予想を超える人数が廊下に集まっていたようだ。カインは薄く見える扉の意外な防音性能に驚く。 
「うるせっつの。病室の前だ、静かにしてくんな。」 
エッジが外野に声を掛ける。カインは背を伸ばし声の先を覗く。 細身の衝立越しに、先の怒声の主と思しき者が衛兵を掻き分け進み出てくる様が見えた。年はじいやとそう変わらず、体躯は全盛期よりも縮み、年齢によるものか歩行介助の杖を付いているが、それでも十分にがっしりとした体格の矍鑠とした老爺だ。 
「ジェラルダインの……貴様、エディックをよくもあのような!」 
「そう怒りなさんな、腱は切っちゃいねぇ。」 
怒りを突きつけられたエッジは肩を竦める。 
「ああ、豪族の頭でな、家族想いの良いオヤジなんだ。ただまぁちっと、声がでけえのが玉に瑕。」 
室内で気を揉む部外者に、エッジが小声で人物紹介を入れる。 
「一体今度はどこで何の油を売っているのか、今この場ではっきりさせよ!」 
「応、説明すっから場所変えようぜ。」 
「吾は、今この場で、と云ったのだ!」 
 エッジの提案に対し、豪族は頑として逃げ水の一滴たりと洩らさぬ構えだ。 
「……分かった。じゃあ、手短にな。」 
皆も聞いてくれ、とエッジは手を打ち人を集める。 
「イルウード達を襲ったのはステュクスってぇ化け物だ。俺は、ここにいるミシディアの者らの調査に協力してる。」 
 豪族はふんと居丈高に鼻を鳴らした。 
「郷を放って他国の小間使いか。」 
「天下の学術都市に恩を売って損は無ぇ。」 
だろ?とエッジは顎を向け同意を促す。淀みない応答に豪族の頭苦虫噛みつぶし顔。孫息子に怪我を負わせた若き君主にあやを付けてやりたいが、肝心の付け入る隙が無いといった風情だ。 
「解決にはいましばらく時間を要するが、何とか耐えてくれ。あいつらにゃぁ蟲毒が覿面、仕留めた後ァ瓦斯燐で必ず灰にしろ。後は……よぅカイン、他に――」 
エッジの口から滑り出た名が、聴衆の面を緊張に塗り替えた。迂闊を悔いるエッジを押し退け、豪族はカインの前に立ちはだかる。 
「貴様、バロンのカイン・ハイウィンドか……ミシディアの遣使だなどと偽りおって、化生の手下が!」 
 何と言われても仕方ない――カインは項垂れる。憤怒の相となった老爺の掌中で歩行杖がぎりりと鳴った。 
「かような下司を、誰がこの郷に招いた!!」 
「俺の連れを下司呼ばわりたぁ恐れ入った。」 
扉の脇から放たれた城主の一声が、杖を振り上げる腕の動きを止める。 
「病室ではご静粛に願いますってんだ。悪ィな、続き頼む。」 
エッジの用意した静寂の水面に新たな波風を立たせぬよう、カインはゆっくりと歩み出た。見渡す顔には様々な感情が浮かんでいる。カインは慎重に口を開く。 
「ステュクスは、幼生体はプリン類、成体はサンドワームに似た姿をしている。体色は特徴的な赤で、容易に判別が付く。発見した場合は確実な処理を期してくれ。一体たりと所在不明とするのは危険だ。万一、犠牲が出た場合は……――」 
しばし声を切った眼に触れ、双子が頷き後押す。 
「ミシディアより魔導師の派遣を約束する。直ちに石化させてくれ。」 
ミシディアの民の動揺を考えると、被害国への魔導師派遣は現状難しいかもしれない。必ず治療方法を確立しなければならない。 
「さ、備えだ。――ガラハルド侯!」 
拍手を打ち人散らしを命じたエッジは、去り足の豪族をふと呼び止める。 
「よろしく頼む。」 
両腕を脇腹に引いたエッジは深々と頭を下げる。豪族はウグッと喉を詰まらせた。 
※「……さっさと帰って来い、郷がどうなっても知らんぞ!」 
豪族は盛大に鼻を鳴らし、踵を返す。 
「吾に太刀を振るう以外の仕事をさせるな!……数字の並んだ帖面を見ると目眩がするのだ!」 
内政は苦手!と大きく苦顔に貼りつけた豪族は、文句を並べながら出ていく。 
 
足音が遠ざかり、ようやく病室に相応しい静寂が戻った。 
カインは緊迫した空気を吐き出し、エッジの窺い顔に応える。 
「ああ、考え事をな……エブラーナに種子が辿り着いた経路なんだが。」 
そのことか、とエッジは表情を緩めた。 
「海から来たんじゃねぇかね?」 
「如何せん遠すぎるだろう。」 
 答えつつ、カインは呟きを足元に落とす。 
「海か……。」 
 陸上を制し空さえも越え、遥か彼方月までも行ったが、足下の海に未踏破の領域を広く残している状態だ。 
「もし異変の根元が海ン中にあったとしたら、ややもすりゃ月へ行くより厄介だな……。」 
同じ懸念に至ったらしいエッジが口を曲げる。 
「だが、逆も然りだ。こちらから出向く困難は、あちらからしても同様だろう。」 
エッジの指がご名答!って感じでピッとこちらを指す  
騒ぎの一段落にふぅと置かれた溜息が蝋燭を揺らす。首を捻ったエッジはじいを見た。※じい寝てるように見える 
「とりあえず、こっちはミシディアの結果待ちだな。起きたら石化させて時間稼ぎ――」 
「あのう、エッジさん……」 
目まぐるしく展開する諸事の一段落に、おずおずと差し込まれた小さな声 
「とっても申し上げにくいのですが、その……あの、……お腹が空いて……」 
ポロムが消え入りそうな声で申し出る。その隣では、少年が空腹を抱えてつんのめっている。 
「うぉお!? すまねぇ、すぐ飯持ってくら。カイン、手ぇ貸してくれ!」 
「ああ!」 
カインは腰を上げた。 
 
 保護者二人が去った病室に、空腹虫の鳴き声がこだまする。ベッドに突っ伏したパロムは、盛んに髪を触れる手を振り除けた。 
「ううー……ポロだってお腹空いてんだろー……」 
「えっ?」 
 想定外の方向から聞こえた姉の声に、パロムは顔を上げる。 
頭を優しく撫でる腕を辿るとじいやに行き着く  
「じっちゃん! ダイジョブか?」 
パロム慌ててじいやの口元に耳を寄せる このじっちゃんはステュクスと戦ってて、今は声が出せない 
『このジジイは、駄目なジジイ』 
唇の動きはそう読めた パロム目ぱちくりじいやの顔見 じいや苦笑  
『ごめんね』 
さっきエッジに謝っていたのと同じ口の動きをする 双子顔見合わせ こんな時、カインかエッジがいれば、上手く説明できるのに じっちゃんが謝る必要なんか無いことをちゃんと説明できるのに 
『このジジイを石にするとき、若にあいさつしたい』 
そう頼まれても、行動の決定権を持つ二人がいない 悩むポロムの横で、パロム強く頷き 姉の手をつついて目を合わせる 
「オイラが石化させるんだもん、オイラが決めていいよね?」 
ポロムこっくり頷き、弟の決定を支持 パロム、じいやと真正面から顔合わせ 
「じっちゃん、分かった。石にするのは、隊ちょ……エッジ兄ちゃんが、一緒にいる時にする。約束な!」 
パロム、じいやの手をぎゅっと握る じいや笑い 
『このジジイは、魔物になる』 
じいや、ふーっ長く息つき 
『その前に、石にして壊す』 
じいや、つないだ手を揺らし パロムをじっと見る 
『石にして壊す、おねがい』 
「魔物になんかならない!」 
パロム、ベッドの端をばんと叩き声荒げ 
「じっちゃんは絶対治る!」 
「そうですわ、きっと治ります!」 
 ポロムもすかさず弟に続く 
「私では力が足りませんけれど、もしかして長老様なら……! それに――」 
ポロム、じいやが寝入ったことに気付き声顰め言葉切り上げ パロム、じいやの手外し毛布にそっとしまい 
「ニイちゃんたちに、ホウコクしなきゃ……。」 
パロムぽつり呟き ポロム、うん、頷き 
 
ポロム部屋飛出 たら、二人が廊下でケンカ中 
「――少しでも利口だと思った俺がバカだった!」 
カインの怒鳴り声 ポロム目ぱちぱち 目の前の光景が急激に薄らいで現実感を失う まるで夢の中のよう 取っ組み合って殴りあうエッジとカイン 普段の二人はもっと大人なのに、今の二人はまるで自分とパロムと大差ない 
普段の洗練された戦いの動きからは想像も付かない。純粋な暴力で互いを傷付けあう姿 これは本当に、現実の光景なのか? 
「結局、貴様はいつまで経っても甘ちゃん王子というわけだ!」 
「言えた義理かよ、尻尾巻いて山へ逃げたヘッポコ竜騎士が!」 
双方兵士に抑えつけられて尚口喧嘩を止めない。 
「のヤロウ、口利けねぇようにしてやる!」 
「あのバカを黙らせる!」 
「やめろーーーーー!!」 
背後からパロム渾身の叫び声。場の空気が一瞬でしんと沈む。 
「隊長っ、喧嘩なんかしてる場合じゃないだろ!」 
カインを睨み付けるエッジ。パロムと警備兵を押しのけ背を向ける。 
エッジを睨み付けるカイン。警備兵払いのけエッジと反対方向に歩き出す。 
「ニィちゃんも! らしくないぜ!」 
パロム、カインの後を追いかける。 
病室の扉乱暴に半ば蹴り開け、荷袋を引っ掴み、荷造り始めるカイン ポロムびっくり 
「カインさん……?」 
「すぐに城を出る。準備しろ。」 
双子にも荷袋を投げ渡す。 
「ニィちゃん……?」 
「出発って、エッジさんは……?」 
カインは答えない。 
「置いて行くおつもりですか!?」 
「喧嘩したからって仕返しかよ!」 
「喧嘩をしていなくてもだ。」 
双子の声をきっぱりと切り捨てる ポロムが信じられないと言いたげに首を振る 
「カインさん、どうして……!」 
「お前達もここに残りたいなら、それでも構わんぞ。」 
荷造りを進めながら淡々と答える 双子揃って息を呑む 
「……ニィちゃんは、ホントはオイラたちも置いてけぼりしたいんだよね。」 
パロムのいつになく暗い声。カインの手が止まった。五体に満ちていた怒りが薄れるのを感じる。 
「すまない、言葉が過ぎた。本当にお前達を置いていくつもりでは――」 
「分かってます。私たちが邪魔とか嫌いとかではなくて……でも――」 
「――ニィちゃんは、一人がいいって思ってるんだ。」 
弟の言葉がカインの動きを完全に止める。 
※ポロムは拳を握りしめた 弟の言葉に続けて言いたいのに、うまい言葉が出てこない 思考だけがぐるぐる廻る カインは大人だから一人で何でもできる 何でも一人でできると思ってる でも、大人だって一人じゃできないことがたくさんあるのに 
パロムがちらっとこっちを見る そして一歩前へ進み出る 
「オイラ、じっちゃんと約束したんだ。じっちゃんを石にするのは、隊長が一緒の時にするって。……だからニィちゃん、ほんとに出発したいなら、隊長連れてきてくれよ!」 
腕組みをしたパロム 約束を果たすまで梃子でも動かないという不動の構え 
カインはやれやれと顔に貼り付け、荷袋を手放した 
「……戻るまでに、準備を済ませておけよ。」 
カイン渋々エッジ連れに行き 
 
カイン道すがら考える 子供たちときたら事情も知らずに勝手なことを言う エッジに懐いていたパロムの反発は当然予想していたが、ポロムまであんな強硬な態度を取るとは予想外だった 
大体、喧嘩の意趣返しに置いていくのではなく、置いていくと言ったら喧嘩になった、が正しい因果関係だ。生意気双子といい、エッジといい、全くどいつもこいつも人の言うこと聞きゃしない 
 溜息一つ 廊下を通りかかった女官つかまえてエッジの行方聞き  
「すまない、エッ……ドワード殿下の所在を、ご存知ないか?」 
「エッジでよろしゅうございますよ、カイン殿。」 
女官から水に浸した布をどうぞ、と差し出される。カイン、自分が今どういう顔をしているのか把握 そういえば頬が随分腫れてる感覚がある 好意に甘えて頬に布を当てる 
 遠慮なしにぶん殴りやがってエッジあんにゃろ 歯の芯をじくじくと炙るような鈍痛 モンスターとの戦闘で食らう傷とはまるで異なる、人の拳によってもたらされた痛み 
「殿下はご自分のお部屋におられます。翠の燭台を辿ってゆかれませ。」 
女官、手早く氷嚢作り差し出し。 
「これを殿下に。」 
「……どうも。」 
にこりと穏やかに一礼して女官はそのまま行き過ぎる。さっきまで殿下と大喧嘩してた相手を咎めたりとかしないのか? 城主を殴り付けた自分に対し、敵愾心はない様子 良き王と敬愛していればこその、穏和で寛容な気質を感じられる 
やはり、エブラーナの若き主君は、想像以上に権威ある存在として仰がれているようだ・国の権力構造はほぼ一枚岩と思って差し支えないようだ。豪族のエッジに対する口調は激しかったが、完全にやり込めるような気配は無かった。その言い分は、体裁こそ苦言のそれだが、内容は「王が国にいてくれなければ困る(国に居て内政をやってくれ)」という陳情。(豪族に僅かでも背信があるなら、国に居着かない王は好都合だ。そして、不審に思われるような行動例えばまさに、衆人環視の元真っ向から王に楯突いたりはすまい) 
 ずっと気に掛ける振りをしつつ、エッジの目眩ましに甘んじ逃れていた懸念が目の前に立ち塞がる。 
そもそもが、クリスタル戦役時あれほどの戦災に遭いながら、エブラーナの人々の瞳から希望が失せなかったのは、王の権威を正統に受け継ぐエッジの存在が大きい。※エッジの両腕は民をしっかり抱え、纏めている。エッジは良き王だ。良き王は柱だ――つまり、彼が自分たちの仲間として共に歩んでいる間、この国は主柱が抜かれた状態にある。 
 父親の死にまつわる記憶が被る。規模こそ違えど、王と同じく集団の統率だった父の突然の死と、その系統を継ぐ者――自分だ――がまだ幼く、一族の纏まる力を欠いたことにより招かれた竜騎士団の衰退。※父の埋葬を終えた日の光景 配下を率い去っていく大叔父の背中 机に伏して声無く嘆く母の姿 大叔父言葉「我々は山へ戻る そもそも里に下りたことが間違いだった」 大叔父は以前から、軍行動に組み込まれたこと・飛行管制によるストレスが、竜の繁殖の困難化の主因ではないかと疑っており、バロンから離れる旨を望んでいた。 
  
※※何の前触れもない、あまりに突然の死。少なからぬ動揺を温床として生じた流言・まことしやかにささやかれた暗殺陰謀説。名高い勇士がほんの些細なミスで命を落としたとは誰も信じたくなかったからだろう。 
※そして、この暗殺陰謀論が大叔父に連なる一派の背を大きく押す形になってしまった。王に忠誠を誓い臣下として生きることを望んでいた父を、暗殺という許されざる不誠実で報いた疑いのある国に、これ以上残ることはできない、と。 
※まやかしの陰謀論に惑わされバロン軍の結束に皹が入ることこそ、父が最も避けたかったことだったろう。あの時、自分には引き止める言葉も力もなかった。幼い自分の訴えに、大叔父は耳を貸してくれなかった。唯一信じてくれた母も、程なく心労に臥してしまった。そして訪れた竜騎士団・ハイウィンド一族の大分裂――自分がもっと大人であれば、避けられたかもしれない。抜けない刺のように今でも忘れられない。 
 柱を失えば結束はあまりに脆い。同じ家名を持つ者たちでさえそうだった。異なる血を引く者ならば尚のこと。 
 エッジをこの国に残すというのは正しい判断 俺は正しいことをした 確かに先にぶん殴ったのは悪かったが、それはエッジがあんな心にもないこと――「ただでさえ棺に両足突っ込んでるようなジジイだ、どうせそう長くないから気にしない」などと――を言うからだ 
 
エッジの部屋遠い あーもうめんどくせえ、適当な嘘ついて誤魔化しちまうか――いや、それはダメだ。嘘をついても、あの賢しい子供たちはすぐ見抜く。信頼を失えば、彼らはついてきてくれない 
懸念を鼻で笑い飛ばす 子供たちがついてきてくれないから何だっていうんだ? 一人で行ける 何も問題ない 
ニィちゃんは一人がいいって思ってる――パロムの言葉がよみがえる ああその通り、自分は一人で大丈夫だ しかし、勇ましい思考とは裏腹に、心もとなく廊下に響く一つきりの足音 
喧嘩の発端となった怒りは、冷めてしまうと頗るバツが悪いことこの上ない。どんなに奮い立たせてみても、あのイライラは戻ってこない 
 いい加減、潮時か――溜息一つで覚悟を決め、心の奥底に空いた奈落を覗き込む 
 この先一人で旅するとか笑えない冗談すぎる 無理だ 
 自分は皆を当てにしている 口ではなんだかんだいいつつ、これまで彼らが本当に帰ってしまうことなど思いもしなかったし、だから頻りに帰れ帰れと軽口を叩いていられた 無意識のうちに、自分は仲間たちに頼り切っていた――って、あれ??? 目を背けていた心の裏側にはとんでもない悪しき邪念が潜んでいるとばかり思っていたのに、いざ引き上げてみたら全然大したことない 奈落に思えた心の暗がりは、実際に足を踏み入れてみれば納屋の片隅程度でしかなかった そこに潜んでいたのは牙を剥いた魔物などではなく、舌出してあかんべーしてる意地っ張りな子供だった。 
※一生後悔を背負うことに比べたら、言を翻す恥が何ほどのものだろう。 改めてエッジの部屋へ向かう 謝って、もし許してもらえるならまた旅に同行してくれるよう頼むために 
 
自室に着くと扉開きっぱなし 窓の桟に腰掛けてぼんやりと部屋の暗闇を見ている様子のエッジ ノックをすると漸くこちらに気付いた様子 
いざとなると改まった言葉が出てこない ※そういえば自分は話下手だった このところすっかり忘れていた 
「明朝、ここを発つ」 
「そうかよ」 
素っ気ない返答 沈黙が会話の先を塞ぐ だが、乗り越えられない距離ではない。 
「「なぁ」」 
二人同時に どちらも先に言えと促す 仕方なし、カインは口を開く 
「この先も一緒に来てくれ」 
「置いてくなんて言うなよ」 
またほぼ同時 お互い顔を見合わせる 耐え切れず吹き出す がしっと握手組んで肩に寄せる エッジ笑いながらカインの頭がしっ抱えヘッドロック 
「まっ、俺様がいねぇと始まんねぇってこったな!」 
「抜かせ。見張っておかんと禄な事をせんからだ。」 
一頻り笑い合い ふと、何か大事なことを忘れてるような…… 二人同時にハッと気付き 
「おい、ガキどもにメシ!」 
「しまった!」 
慌てて駆け出す 
「目ぇ回しちまってんじゃねえか!?」 
「急ごう!」 
心配させた上に飢えさせるとは、何と酷い仕打ちがあったものだろう 大急ぎで食堂へ超特急 
 
翌朝 じいやを石化させる 
「先行っててくれ、すぐ行く」 
仲間を先に行かせ 石像と向き合う 石像に語りかけるエッジ 
※「……残った方がいいのは、百も承知だ。」 
 成人と共に継いだエッジの名と、先王の逝去によって継承が前倒しになった首長の座 当然、身の自由を保ったまま背負い切れるものではない。カインに甘ちゃんだと言われても仕方がないことは自覚している 実際に、本来成すべき、主に首長として成すべき務めの一部を長く放り出している状態 それでもこれまでこうしていられたのは、自分に代わり国の鎮を果たしてくれる内政手腕に秀でたじいやがいたからこそ そのじいやが動けない状態となった今、旅に同行する選択肢を取れる大義は、無い。 
※今回は前回・クリスタル戦役の時のような身内ばかりの面子ではない 戦力面も自分が抜けても不備は特にないだろう 全ての環境条件が残ることが正しい選択だと告げている 分かってはいるが…… 
※「付いて行きたいのは本当に単なる我儘・彼らを気に入っているから力を貸したいというそれだけ 許してくんな。」 
こちらこそ、そんなことは百も承知――呵々笑うじいやの声が聞こえた気がした。 
「じゃ、行ってくらぁ。」 
 
部屋の外で一行待機 
「待たせたな、行こうぜ。」 
皆に見送られて城を発つ。 
「留守を頼むぜ!」 
「ご武運を!」 
振り返りはしない。 



八章前編
 バブイル。雲さえ貫き立ちはだかる白亜の怪塔。海路で来ると、エブラーナの陸地より先にこの塔が見える。現代のもののみならず、古い時代の海図にさえ目印として描かれている。 
 間近に立って見上げる。この巨大さがそのまま月の民という存在の大きさを示しているかのようだ。もし敵対することになったら、勝てるんだろうか――勝算は無いに等しい。鎧の隙から入り込んだ海風が、知らず唇を噛ませる。 
 正直を言えば、怖い。 
敵として立ちはだかる月の民の強大さ その恐怖の裏にあるのは、この塔にいた当時の記憶 
――もし、また…… 
※洗脳時の記憶はある。誰に洗脳されたかも分かっている。 
 しかし、肝心の『そもそもいつ、どうやって洗脳されたのか』が分からない 気が付いた時にはゴルベーザに従うことが「当然の正義」となっていた・自分が「変わった」自覚など全くない、その覚えもない だから、もしかしたらまた洗脳されてしまうかもしれない そもそも、今だって、本当に洗脳されてないと言えるか? 自信がない。 
「おーい、カンテラ頼まぁ。」 
 エッジの声にはっと我に返る。※カイン頭を振り、ぐっと肝を据える。ここまで来て怖気づくなど カインは前を行く仲間たちの背中を見る。今は余計なことは考えず、目の前にある目的をしっかり見据える。 
 
 塔の腹中に侵入する前に、洞窟を踏破しなければならない。種子が潜んでいる可能性がある。遭遇した場合は確実に処理しなければ。明かりを隅々まで回し、一行は周囲の影の中に至るまで十分目を配り警戒しつつ洞窟を進む。 
 通路が直角に折れた先で、足元に黒ずんだ血の後が見つかった。翁率いる斥候隊は、ここで種子と遭遇したようだ。 
「あの時、お前がルビカンテと戦っていたのもこの辺りだったな。」 
 さらに奥へと続く細い通路の手前、見覚えのある景色に些細な疑問が浮かんでくる。 
「あの慎重なルビカンテをどうやってこんな場所におびき寄せた?」 
「ん? そりゃあ……まぁ、そうか、流石に知らねぇわな。」 
 足元の土を軽く散らしたエッジは、歩みを緩めず首だけ振り向けた。 
「この洞窟は元々、エブラーナを襲った地上部隊が拵えた路でよ。」 
「なるほど、敢えて敵の懐に……というわけか。」 
 カインの口を感心が突く。鬼手ではあるが、それなりの手勢が残った状態なら、平野がほとんどを占める国土内を闇雲逃げ回るより良策かもしれない。一見危険な敵の懐だが、逆に出撃準備が整う前なら少数の兵力でも充分叩ける。加えて、洞窟内という地理条件も少数側に有利に働く。 
「で、あン時ゃちょうど地上の様子見に来たルビカンテを、運良くとっ捕まえたトコだったってぇわけよ。」 
「運良く? 俺達が来なければどうなっていたことか。」 
 上級大将の座を預かるルビカンテに単身挑んだ無謀者の、案の定ずたぼろになった姿を思い出す。熱伝導の極端に低いミスリル編みの帷子さえ焦がすほどの炎から、よくも生還出来たものだ。 
「隊長、そのるびかんてって奴に負けちゃったの?」 
「当然だ。そもそも無謀過ぎる。奴がもし……――」 
 少年の無邪気な問いに軽く応じたカインは、しかし、自ら発した言葉の違和に口を噤む。奴がもし退かなければ、確実に命はなかった――いや、違う。その逆を問うべきなのだ。 
 ルビカンテはなぜ退いた? 
 伺い聞いたところでは、必要以上の殺生を厭う気質ではあった。しかし、目前に綻んだ復讐の芽を、摘まずに捨て置くなどという甘い判断はしない筈だ。 
 実力に奢り、他愛もない相手と見くびったか? ※考えられない エッジの身のこなし、そして通常火炎遣いの弱点である引火性の高さを狙った戦術判断といい、一見して分かる手練のそれだった筈だ 
 では、余裕は単なる虚仮脅しに過ぎず、実際は即座に退却せざるを得ない状態にあったのだろうか? ならばなおさら、残りたった一押しの余力を出し惜しむまい。 
 一度解れた疑いは、蔓を引き抜くように波及する。ルビカンテが退却したことと、エッジが命を永らえたこと、この二点は揺らぎようのない事実。だが、この二点が不自然なく成立する推移こそが考えられない。※まさに、これまでの考え通り、偶然・幸運によってしか両立しえない二つの事実。その、他の可能性の考えられ無さが却って怪しい。 
「隊長かっこわりー!」 
「うるせ。……しかし、ま、ルビカンテ直々のお出ましは多分、聖騎士様ご一行のエブラーナ上陸を受けてじゃねぇかな。」 
 疑念を先読んだかのような、飄々としたエッジの口ぶりが勘ぐりを更に深める。まるで自分たちと合流することさえ計算尽くだったようにすら思える。もしかしたら実際にそうなのかもしれない――たとえば、あの逼迫した状況になければ、彼の仲間入りは円滑にいっただろうか? 
 とりあえず、彼がかつても今もこうして仲間として同じ側に立つことを選んでくれたのは幸運と言えるだろう。相変わらず肩にパロムを装備した後姿を見る。 
 そして、その幸運はこの道中の味方もしてくれるようだ――種子を始め、敵性生物との遭遇無く、一行は洞窟と塔を隔てる壁面に相対した。壁抜けで内部へ。さすがに塔の壁を抜けてはステュクス入ってこれないだろう。ふぅと息吐く一安心が緊張を解す。 
深閑とした塔内を充たす薄灯りがカンテラの火を滲ませる。照明がぼんやり付いているということは、まだ辛うじて塔は生きている。人間で言うならば、完全な眠りには落ちず、微睡んでいるような状態だ。 
「ここからどうやって地底へ?」 
「そりゃお前、クリスタルルームの落とし穴でよ――」 
「ドックへ行っても飛空艇はもうないぞ。そこで行き止まりだ。」 
 瞬間、エッジが僅かに浮かべた計算違いの表情を、残念ながら見逃すことが出来なかった。 
「……おい。」 
 催促を食ったエッジはお手上げをそのまま動作にして示す。カインはやれやれと肩を落とした。この男は計算高いのか考え無しなのか、全く得体が知れない――とはいえ、彼の見込みを当て込んで鵜呑みにしたまま確認を怠ったのは自分の手落ちだ。 
 というわけで、正攻法を当たることになった。 
 地上部と地底部は実質別々の建物、隣り合った別棟となっている。これを繋ぐ連絡通路がある。 
「ひとまず、管制室へ行ってみよう。」 
 カインは提案する。連絡通路が生きているかどうか確認するためと、また、塔全体の状態も把握するために塔の全機能を司る管制室へ行く。管制室は地上三階にある ※カインを除いたメンバーにとっては未踏階となる 
 北のエリアへ抜ければ管制室のある棟へ直通のポータルリフトがあるはずだ。ここからそう遠くはない。 
 カインの先導で通路を進む。活動停止した機械類を横目に、北区画を抜け、管制室行きポータルのある小部屋の扉に到着する。扉の前に立っても開かない。カインは目の高さにあるボックスに手を伸ばす。 
「パロム、この四角い部分に弱めの雷撃魔法を当ててみてくれ。」 
 光の失せた箱の外装を外し、まさに何らかの動力源を埋め込むために開いているのだと言わんばかりの空きを指差す。電撃魔法によって、ドアを開く程度の一時的な電力供給ならば可能であるかもしれない。 
「りょーかい! ちょっとだけサンダー!」 
元気良く答える少年の指先を踊った電光がボックスに吸い込まれる。目算通り、ドアはするりと開け、薄暗い縦空洞が愛想も無く立ちはだかった。入り口の扉の電源が落ちている以上、ポータルリフトの使用に至っては望むべくも無い。 
「仕方ないな……。」 
 カインはホール内に顔を差し込み、壁に沿って視線を巡らせる。入り口すぐ脇の壁面に登攀に利用出来そうな手がかりが見つかる。わずか一握りばかりの粗末な取っ手が、前腕長ほどの間隔で縦に並んでいるだけの簡素なものだ。リフトの機能維持・調整用作業足場として完成させるために梯子か何かを掛けるためのフックとして取り付けられた金具だろう。 
 取っ手を掴み、引っ張り強度を確かめる。見た目の細さに依らず頑丈な手応えを感じた。ちょっとやそっとの荷重ではびくともしなさそうだ。 
「よし、行けるな。」 
「距離は?」 
「およそ十五メートル程度になるか……三層上だ。」 
 背嚢から野営に用いるロープを取り出し、背負紐に用いて子供達を背中に固定する。先頭を行くカインが即席電源供給係のパロムを、後に続くエッジがポロムを背負う。子供と荷物と自重が足された重さが、掌に取っ手を深く握り込ませる。 
「下を見るなよ。」 
「へっちゃらだい!」 
即座に返される元気な声が微笑を誘う。高いところが苦手ならしいパロムだが、答える声に怯えはない。光量の薄さが丁度良い目隠しの役目を果たしているのだろう。 
カインもエッジも揺らぎのない確実な登攀で目的階を目指す。登攀開始より十数分。二つの扉を数え、腕にやや疲労が来た頃、目的階の扉が頭上から降りてきた。 
「ここだ。」 
扉上部のプレートの数字を認め、カインはドアのロックを示す。通路側と違って、ホール内部は電源部がほぼ剥き出しとなっている。 
「サンダー!」 
パロムは片手でカインに掴まり、もう片手で目の前に一文字描く。サンダーの電光が四角い部品の表面に青白い電光を起こす。あんぐりと口を開いた扉からポータルホール内部に立つ。小さな電光がエネルギーを供給し、道を塞ぐ扉板を巻き上げる。先に続く真っ直ぐな廊下 
歩きつつ記憶を手繰り寄せる。皮肉なものだ。ずっと忘れようと、目を向けないようにしていた記憶なのに、今は一個所たりと見落としのないよう※目を皿にして見渡している。 
 陶器に似た表面の金属タイルに覆われた壁面。壁に手を触れ、手を触れた感触を足がかりにバブイルの塔の構造を脳裏に呼び起こす。 
 通路。あの時は何の感情も意志も持たず、まるで運ばれていくような気持ちで通り過ぎていた場所だ。 
 内部構造の記憶と共に、あの当時の気持ちまでもがどうしても一緒に蘇ってくる。不気味な高揚感。優越感。こちら側に与そうとしないセシルたちを愚かと見なし、その反抗に哀れみさえ感じていた。親友の愚考を改めさせ、それが叶わぬほどに愚かならばいっそ愚行をこれ以上重ねる前に生の枷から解き放ってやるのがせめての情けと、本気で思い込んでいた。悪いことをしているなどとは微塵も思わず、ただ全て良かれと、全てこの世界のためと、たとえ親友を殺めてしまうことになってしまってもそれは善なのだと、本気で心から信じていた。恐ろしいことだ。 
 考えてみれば、現在も状況自体にそう大差はない。だが少なくとも、今この場所にいるのは自分の意志で、自分の望みに従っている。今ここにいるのは、自己満足のためだ。親友や祖国のためなどと思い上がっているわけではない。そう自分に言い聞かせ、自覚をしっかりと刻み込む。 
 カインは、立ち止まろうとする自らの意志に従い歩みを止めた。 
「ここだ。」 
カインの指示によりパロムのサンダーが開いた扉の先は、何とも奇妙な広間だった。 
 天井から紐カーテンのようにぶら下がるメタリックな色の管。高さも大きさもばらばらの塀のようなものが、入り口を抱く形で緩い曲線を描いている。 作業途中で放棄された晶石の石切場のようだ。薄い銀色一色の視界は、実際の気温よりずっと寒く感じさせる。 
「ここが管制室だ。」 
言って、確かこんな風に操作していたはずと、塀の一つに取り付いて手を翳してみる。しかし、緩やかに揺れて見えるパネル上の微かな光は、何の変化も起こさない。 
カインは腕を組む。クリスタルが揃っていない状態でも動いていた筈だが、目論見が外れた。休止状態の塔を生き返らせるために、必要な手順があるのだとすれば、次元通路を動かす以前の問題が発生していることになる。 
※塔の全機能を把握しているわけではないが、操作を見る・調べる機会はいくらでもあった。 カイン、己の迂闊さに苛々 バロンの生活とはあまりに異なる様々な仕掛け――得体の知れない仕組みの機械らしき物(分かっていることは、エネルギーが流れると動く仕掛けで、エネルギー体に相当するのがクリスタルらしいという程度) 少しでもまともな頭があれば、どういう仕組みで動くのかとか疑問を持って調べただろう 当たり前のように使うだけで、なぜ調べなかったんだ自分 これでは、ただ目が開いていたというだけ・何も見てなかったのと一緒だ。 
 苛立ちカイン、思わずパネルばんっ叩き 
「カインさん……」 
ポロムおろおろ 
 室内を一周させたエッジは思案顔でうーんと唸った。 
「蔵書保管庫のような場所はねぇか? 俺の読みが外れてなけりゃぁ多分、手引書みてぇなモンが有るんじゃねぇかと思うんだが。」 
「名案だ。」 
 相棒の漕ぎ出してくれた助け舟に乗り、カインは早速踵を返した。ポータルリフトへ通じる方とは別の扉から出る。やっぱり廊下。今度は両側に扉並び。同じ階の別の部屋。パロのサンダーで扉開き。書棚ではなくロッカーが整然と林を成している。一つに近づいてみるが、取っ手も何も見あたらない。四角い区切り模様の描かれたただの柱にしか見えない。 
「うおー何だこりゃー……」 
「文書を保管しておくための棚らしい。」 
 無駄だとは思いつつ、ゴルベーザがやってたように手翳し。電力来てないからやっぱ開かない。カイン仕方無し小刀抜いてどうにか一個こじ開け。中身は空。 
「外れか……。」 
「ンな事で幸運使っちまってもつまらねぇ、地道に行きましょうや。」 
 ひらひらと舞わせる手の上で、工具代わりとなる苦無が踊る。 
「ねねねニィちゃん、このぺたんこのドアも、サンダーしたら開くやつ?」 
パロムの掌が棚の扉をぺんぺんと鳴らす。 
「ああ、そうだ。しかし、これだけの数となると――」 
 魔力の消耗を案ずる顔の下で、双子はうんと頷きあった。 
「ニィちゃん、隊長、ちょっとどいてて!」 
「一気に行きますわ!」 
威勢よく名乗り上げた双子は鏡対象の舞を舞う。繋ぎ合わせた小さな手から眩い雷撃束が迸った。ばーんとシンバルのような大音声とともに、全ロッカーの扉が威勢良く開く。聴衆の喝采を受けた名奏者は揃ってえっへんと胸を張った。 
文書漁り開始。ロッカーによって時間の流れからさえ隔てられた内容物は、そのほとんどが紙でさえない何に使うのかも不明な品々。 
「見込みが外れたか……。」 
がらくたと同等の価値でしかない品々をもてあましたカインが一言。僅かな紙類には目を通し終えた。どれも目的のものではないようだ。 
「いーや、当たりだ。」 
がらくたの山に埋もれた相棒に一言。エッジロッカーの前でニヤリ。自信たっぷりに持ち上げられた手には一際古い書類。他のものと明らかに違うそれは、透明な硝子板に挟み込まれている。 
「これは……!」 
書を挟み込んだ硝子板の一つを受け取ったカインは目を見開いた。文字こそ長い年月に掠れているが、図解が豊富に入っている。塔の各部を解説した板書。記憶と合わせれば何とか出来そうだ。 
「こいつはエブラーナ城の宝物庫にあった代物さ。……いやまぁ、元を辿りゃ先祖方がここから拝借してきたんだろうけどよ、古文書の類だけ綺麗さっぱり持ち去られてたんでな。」 
何せ敷地内、庭のど真ん中にぶち建ってるモンを放っておいたワケがない――エッジの言 エッジの先祖が調べ、いくつかの品を持ち出し、エブラーナ城内に保管していた この古文書――塔の取り扱い説明書――回収がエブラーナの襲撃理由か 
「まさかお前さんの記憶一辺倒で塔を完全に動かせるとは思っちゃいねぇさ。」 
「人が悪いな、そんな大事なことを黙っているとは……」 
ほっとしつつも悪態が口を突く。先に言っておいてくれれば、重荷を背負わずに済んだものを。 
「――だな、すまねぇ。」 
裏を掻く彼ならではの判断。しかし、今の謝罪はきっと本心からだろう。 
「八つ当たりだ、忘れてくれ。」 
 カインは軽口を詫びる。 
 言えなかった理由は分かる。※国家元首として国の財宝に纏わる情報をおいそれと明かせないだろうし、何より友人として――もし説明書があると始めから知っていれば、洗脳時の記憶と向き合う覚悟をせずに、仕方なくで塔に来ていただろう・どのみち結局は公の益のために仕方なしなし崩しに行き着く前に、自らの意思で洗脳時記憶と向き合う決意を固める機会をくれた・選択を尊重してくれた 
 今はまず地底へ行くことが優先だが、後のことも考えるとこの取説を捨て置く選択肢はありえない 手分けをして文書の複写を作成することにする 
「こんなもんかねぇ〜?」 
一字一句違えれば意味をなさないかもしれない、自然と根詰まる転写筆記作業の分担を終え、エッジはのびのびと腕を伸ばす。 
「元文書は暫くこの書庫に保管しておきたいんだが、構わんか?」 
次いで、図版を中心に分担していたカインも作業を終える。現所有者に伺いを立てる。 
「おうよ。結局ここが一番安全だろうかんな。」 
快く同意したエッジは、全員のメモを手早く頁順に纂めてザックに突っ込み、携帯食を取り出す。 
 資料を読むことによって、操られていた当時目にした光景の数々に理屈が裏付けされていく。その理屈を完全に理解できたとは言えないが、塔内至る所に存在する、魔法さえ及ばない不可思議な仕掛けの数々――それがいまや、明快な原理の掌中にある。 
 例えば――押したり引いたりせずとも勝手に開く扉。上部から見えない光のカーテンが吊られており、それを遮ることによって人の存在を感知し、壁の中に取り付けられた複数の滑車のようなものにエネルギーが注がれ回って開く仕掛け。 
 例えば――懸架具の一切を使わずに上下移動する小部屋(リフト)。小部屋の外壁とそれを通す筒の内壁が磁石のようなもので出来ており、反発と吸着を繰り返すことによって移動する仕掛けだ。また、このポータルリフトの外壁の磁石は、リフトと通路を繋ぐ扉へ電力を賄う機能も持っているらしい。リフトと扉と別々に電池を用意しなくていい合理的な仕掛けだ。 
 理屈さえ知れてしまえば、何れの種明かしも単純といえる仕組みだ。全く同一物をというと無理だが、幾つかに関しては、部品を既存のもので代用すれば同じ仕掛けの物を作り出すことさえ出来そうだ。 
※ 高度な魔法によるものだと思っていたものは全て機械仕掛けだった。塔内部の仕掛けに魔法を使ったものが見当たらない。塔内部の仕掛けの動力は全てクリスタルに完全に依存しており、故に、クリスタルなき現在、塔の全機能はほぼ死んだも同然の状態になっているというわけだ。 
 塔の仕様が判明していくにつれ、操られていた時の記憶を思い起こすたび覚えていた恐怖が、僅かずつだが確実に薄れていくのを感じる。月の民は、決して太刀打ちできない運命の具現ではない。恐るべきはその技術――しかしそれは、対抗できる。 
「手応え充分て顔になったじゃねぇか?」 
エッジが笑いながら声を掛けてくる。この塔へ足を踏み入れたとき、自分がどれほど思い詰めた顔をしていたか想像に難くない。カインは苦笑する。 
「しかし、驚かされるな。魔法を用いずにこれだけのものを作り出せるとは……」 
 油断を戒め、カインは慎重に息を吐く 
「……魔法ねぇ。」 
 エッジが意味深く間を持たせる 
「どうした?」 
「いや、もしかして奴さんら魔法はあまり得手じゃねえのかもな。」 
「それはありえないだろう、フースーヤ老は優れた高位の魔導師だ。」 
「本当にそう思うか? こいつらよりも?」 
 言って、エッジは天才双子魔導師を指す。そう問い返されてしまうと言葉に詰まる。双子を見る。ポロムはそこらにあった箱を組み合わせた簡単な書卓を設え、パロムは床にべったりと座り込み、それぞれ腹ごしらえに勤しんでいる。 
「そう言われると難しいな……分からん。」 
「確かに、俺も専門家じゃねぇから何だが、身内の贔屓目承知で、爺さんの魔力にリディアや姉ちゃんの魔力、ガキどものそれが劣るとは思えねぇんだがどうよ?」 
 返答は主観で良かったらしい。カインは慎重に頷く。 
「……まぁな。しかし、ゼムスの最終決戦時の熾烈な攻撃は……――」 
最終決戦の地で浴びた猛攻 ビッグバーンやブラックホール 
「ありゃ、魔法なんか?」 
「魔法だろう。※黒魔法にメテオを返してきた。」 
 それだ、とエッジは人差し指を立てる。続いて、エッジは後ろ髪を結わえている紐をもたげた。 
「こいつ、咬煌ってんだが覚えてっか? エネルギー吸収材なんだが、ルビカンテの野郎のマントを見る限り、連中が似た理屈のモンを持ってんのは確かだ。奴さん、変身する前に爺さんら煽ってやたら魔法使わせてたろう。」 
つくづく、相棒は思ってもみない視点からものを見てみせる。 
「ところで前提をまず確認しておきてぇんだが、ゼムスは月の民ン中じゃあ相当、ややもすりゃあ爺さんより強力な魔力の持ち主、ってぇ認識で合ってるよな? でなきゃあ封印すんのは容易かったろうし、封印された後で念波を通す綻穴も作れねぇ。つまり、ゼムスは月の連中が総力かけても完全に封じ切れなかったほど強力な魔導師ってわけだ。ここまでは?」 
「異議なしだ。」 
 カインは頷く。するとエッジは、よしきたとばかりに膝を打った。 
「なら、ゼムスの魔力の具合を検証すりゃあ、月の民魔法苦手論を実証できるよな? で、奴さんの魔力の分かり易い指針として・表すものとして、洗脳・念波を検証することにする。」 
「ああ、それでいい。」 
「よし、じゃあ最初に結論だ。ゼムスの念波は、青き星の民にとっちゃ無視することができる程度のものでしかねぇ。」 
「まさか。」 
いきなり突拍子もない結論だ。カインは半ば呆れる。予想通りの反応に、エッジはにやりと笑った。 
「じゃあ聞くぜ。この星の全員の中から、なぜゴルベーザだけが洗脳された?」 
 エッジの質問に、カインは為す術なく首を傾げる。 
「爺さんが白状してんだよ、『ゼムスの念波を月の民の血が増幅した』ってな。普通、魔力が高い即ち魔法抵抗力も高ぇんじゃねぇ? 青き星の民が魔力で月の民に劣るなら、爺さんの言うことァは筋が通らねえ。ガキの目の前でわざわざ偽りでっち上げてまで親父を貶すこともあるめえし。」 
「ふむ……」 
カインは唸り、反論を探す 
「……老は『悪しき心あれば誰にでも付け入られる隙はある』とも言っていた。ゴルベーザが悪しき心を持っていたからでは?」 
「おうそれそれ。その爺さんの言葉、俺も引っかかってたんだが、当時ゴルベーザはまだガキだったろ? たかだか十やそこらの子供が持つ悪しき心なんざお前、たかが知れてらぁ。悪しき心がゼムスの念波を吸着するってぇ理屈でいくなら、この星に数多いる成人の悪党どもなんざ、よほどゼムスの影響を受け易かった筈じゃねぇか?」 
「その通り、他にも被洗脳者が居たのかもしらん。ただ、計画を成就させられなかっただけで……すまん、話にならんな。」 
 カインは横槍を早々に引き下げた。存在する証拠を示せない以上、少なくとも論上に於いてそれは存在しないと同義を成す。 
「……では、同じ月の血を引くセシルが洗脳を逃れた理由は?」 
「そこまでは分からねぇが、赤子だったからで済むんじゃねぇかな。もしかすりゃあ一緒にゼムスの声を聞いていたのかもしれねぇが、言葉の意味が理解できねぇだろ。よしんば、首の据わってねえ赤子が凶暴になったつったって、あらあら今日はご機嫌斜めなのねーってなもんだ。」 
「では、封印によって本来の魔力を発揮できなかったのでは? そして月とこの星との距離の問題もある。」 
 いよいよ興が乗ったか、エッジは食事の皿を床に置いた。尤も、それは既に空になっていたが。 
「封印の問題だが、鍋の底に空いた穴に気付かなかったか、継ぎ当てられなかったか何れにしろ、奴さんを凌ぐ魔力の持ち主が月の連中の中にゃいねえってことで、こりゃゼムスは月の民の中で最強の魔導師説、つまり前提の補強として機能する。」 
※エッジは更に言葉を重ねる 
「次に距離を片付けるぜ。月と青き星間での念波のやりとりなんだがな、同じことを成し遂げた者が青き星にもいるんだよな。ミシディアの長老だ。」 
 あの日、ゼロムスの猛攻に晒され絶命の危機を迎えた自分たちに、ミシディア長老が成し遂げた奇跡 自分たちの無事を祈る人々の想いを月まで届けた 確かに聞こえ、立ち上がる力をもたらしてくれた皆の祈り 
「よしんば、あれが長老の力によるものでなかったとしても、だ。声を届けてきた中で本職魔導師といったら……だぜ? 貶めるつもりじゃねえが極論を言えば、ゼムスと同じことが、あの飛空艇オヤジでさえ出来ちまったわけだ。」 
 魔法はよく分からん!がもっぱら口癖の技師の顔が頭に浮かぶ。 
「もう少し行ってみっかね。何ともお誂え向きに、月の民と青き星の民が同じ洗脳術を掛けたらどうなるかってぇ直接の比較対象として、ゴルベーザが――」 
 立板の水がふと途切れた。自分を気遣っているのか。 
「続けてくれ。」 
 カインは先を促した。当事者では持ち得ない客観視点を是非聞いておきたい。 
 軽く苦笑いのような表情を浮かべ、エッジは先を続ける。 
「ゴルベーザが受けた洗脳と、お前がゴルベーザに受けた洗脳、強力さで言や後者の勝ちじゃねぇかね。そりゃあ、お前に悪い心がねぇとは言わねぇが、そもそも奴さんの洗脳を受けたのはお前だけじゃねぇ。近衛の兄ちゃんの親父を始めとして、幾人ものバロン兵……俺の親父とお袋も或いは勘定に入るかもしれねぇ、そして、ヤンだ。」 
 力強く発した二文字の名に被せ、エッジはぽんと膝を打つ。 
「バロンの連中や俺の二親に心昏い部分がなかったかどうかは定かならねえが、ヤンに関しちゃあ奴さんは高位のファブール僧、心の清さはお墨付だろ。ってぇこた、悪しき心云々は戒めの箴言に過ぎず、であると同時に、これだけの人数をして抗いかねたゴルベーザの洗脳を強力と呼べねえ道理はねぇだろう……ゼムスのそれよりもな。」 
 ご静聴どうも、とエッジは話を切り上げる。 
 講義は終わった しかし、カインはその先を考える。 
※「……しかし、そんな洗脳の魔法が存在するものか? 人の心を操るような……パロム、ポロム。」 
 突然話を振られた双子はびっくり顔 ポロムがおずおずと口を開く 
「あの……白魔法にそういう術があると聞いたことがありますわ。コンフュと対を成す術だとか。」 
少女の気遣い目線が顎の辺りに触れる カイン頷き促し 
「大丈夫だ、ポロムがそんな魔法を使うとは思っていない。」 
少女ほっとした顔 
「コンフュは全てを嘘にします。……その魔法は、全てを真実にしてしまうのだそうです。でも、心にもない行動をさせられるような魔法ではありません。ですから、カインさんに掛けられたのは、別の魔法だと思いますわ。」 
少女は、自分がセシルに剣を向けたことを考慮して付け加えたのだろう。しかし、自分が受けた洗脳は十中八九それの可能性が高い――心当たりは、ゴルベーザが行った赤い翼隊長就任演説の場 否応にも衆人の耳目が集められる、まさに洗脳魔法をかけるにはうってつけの場 演説の内容自体は、後から思えば論拠などまるで存在しない空論・大嘘もいいところ しかし、自分は疑いなく信じた――”正義”に背を向けた親友に対し、剣を向けることを何ら躊躇わぬほどに 
 
腹ごしらえを終えた一行は管制室へ戻った。いよいよ地底への道――可動通路を動かすための仕組み作りに取りかかる。クリスタルが無い状態では塔の全てのシステムの完全稼動は出来ない。必要最低限の場所へ、エネルギーを効率的に回す必要がある。 
※取説から得られた情報 クリスタルが無い状態でも機械類を動かすための、いわば緊急電力みたいなものが存在すること その施設は管制室に隣接している 管制室へ戻って隣の部屋へ通じる扉を開く 
 室内には、碇をひっくり返したような形のオブジェが等間隔で並んでいる 資料に示されていた記号の付いた場所を目当てに、オブジェの蓋を開ける 蓋で平衡を保っていた宝石のような小石の山が、からからと音を立てて崩れるた 
「何だこりゃ、白硝鉱か?」 
「ああ、言われてみれば確かに似ているな。充電石といって、クリスタルのエネルギーを石の形に結晶させたものらしい。」 
 内部から石をかき集める。掌にすっぽり収まるサイズのバームクーヘン型の物が七個積みあがった。 
「全ての石を抜いて集めてくれ。」 
 カイン、他のオブジェを指さし作業指示する。集まったのはちょうど二十個。 
「足りっかな?」 
「足りるようにするさ。」 
※乾電池持って管制室へ戻る 
 取説の塔内マップを見ながら、地底までの最短経路を作るパズルを埋める。制御装置そのものの稼動に八個、地底側入り口扉の開閉用に二個(地上への橋形成も含)、可動通路の維持に四個で残り三個、これならリフトも動かせそうだ。八層分の下り時間の短縮になる。地上地底のリフトに二個ずつ計四個使って、一個余る計算だ。 
 早速、塔内設備制御装置の動力パネルを外す。クリスタルから動力を引くためのプラグを外し(PCモニタのように、ソケットに爪を差し込むのではなく脇に付いてる金具?で固定)、ソケットにちょうどぴったり嵌るサイズの充電池を詰め込む。ソケット穴は充電池八個分の深さ。盤面にべったりと両腕を付けて見学しているエッジ カインが蓋を閉めた瞬間、警報が鳴り響いた。仰天して飛びのくエッジと入れ代わり、盤面に並んだスイッチのうちオンに切り替わっていたものを見つけて切り替える。 
「何だ何だ?」 
「生命探知システムだな。」 
 盤面上で先ほどまでオンラインで表示されていた上から二列目の文字を読む 
「タンチシステム付けておいたら、ステュクスが来たらすぐ分かるかも!」 
傍らに駆け寄ってきたパロムが名案とばかりに声を上げる。 
「回すエネルギーが惜しい。この石はあくまで予備だから、あまりエネルギーは蓄えられていない。それに、塔にとっては俺達も侵入者だ。現在は防衛システムが働いていないから実害といえるものはないが、俺達が塔内にいる間はアラームが鳴り続けるようになる。各機能のオンオフだけならば俺たちにも出来るが、各機能の設定そのものを変更するためには、ゴルベーザの手が必要らしい。」 
「手ですか?」 
 弟の逆側にポロムも歩み寄ってくる。双子を両脇に侍らせたカイン 説明するより実際やってみせるのが早い。盤面の横に据えられた、いかにも手を置いてくれといわんばかりの板に手を乗せるが何の反応もない。静脈認証されれば青いスキャン光が走るはずだ。 
※「ちょっと待てよ、ゴルベーザの手がなくても次元通路は動かせるのか?」エッジ、当然の疑問 「それは大丈夫だと思う スイッチを切り替えて指定の場所に明かりを点けることは誰でもできるが、配電盤の中を弄ってスイッチの接続先を変えるには、専門の職人が必要という道理 専門の職人というのがゴルベーザの手にあたる」 
「ま、何から何までというわけにゃいかねぇか。」 
「所詮俺たちが作ったものではないからな。必要な機能が扱えるだけでも御の字だ。」 
 可動通路制御システムをスイッチ一つで起動させる。ナビ代わりに、順路にのみ非常灯を付けておく。 
 準備が整い、いよいよ地底へ 扉横のボックスに制御装置と同じ要領で充電池を設置する。そうするとちゃんとリフト動く。(クリスタル設置時はレジューム機能利く・停めたところに停まったまま。充電池使用時は一定時間目的階が押されない場合充電池のあるフロアへ戻る)リフトで地上一階へ降り、渡り廊下制御室目指して歩き。たいした距離ではない。 
渡り廊下制御室・地底との接続部にたどり着き。ボックスに充電池設置してパネルを操作。機械音がしてシャッターが上がるように扉が開き、手前から奥へ向かって上から柔く光る丸い輪が降りてきて、長い通路を形成する。雰囲気抜群の演出に、エッジは手を叩いた。 
「おおー!」 
 長い通路を抜けて再びリフト乗り階下へ降り(ゲームマップ地底1F)。暗い廊下に、幾何学模様を走る光がぼんやり照らし出される。 
 エッジが襟元に指を入れて風を入れる仕草を取る。幻想的で無機質な空間と、ひんやりとした光景に反してじわりじわりと肌を蒸す暑さを増してくる空気 そのギャップが何とも言えぬ不快感を思わせる 
「出口だ。」 
充電池を嵌め込みエントランスのブリッジを作成 光輪が回転して一枚一枚浮き出てきて橋を形成する 
 
 ブリッジを渡りきると溶岩熱が一気に押し寄せてきた。少広間ほどの距離を隔てているにも関わらず、ごぼごぼと音を立てて溶岩が吹き上がるたび、相当の熱を肌に感じる。高位ドラゴンのブレスにも匹敵する灼熱の海は、鋼さえ溶けきるのに数分を要さない。 
 地表とは真逆転した色彩の中、熱に揺らぐジオット城のシルエットを目指す。しばらく歩いた一行は、早々に無益な忍耐を投げ捨てた。必要最低限文明的と言える着衣を残し、増えた荷をマントに包んで頭に乗せる。 
「ジオットの領地はどうなっているだろう?」 
 片手で自分の頭上を押さえる傍ら、空き手を少女の荷運びの介助に添えたカインは、一行の耳目を顧みる。 
「地底の事情はよく分かんねぇからな……。」 
「分からないのか?」 
残念な答えに納得しきれず、カインは怪訝を顔に出す。 
「何だよその意外そうな顔は。」 
「本当は知ってて隠してるんじゃないのか?」 
「違ぇって……またぞろパロムに妙なこと吹き込まれちゃ堪んねぇからな、種明かししてやらぁ。」 
エッジは懐のポーチを探り、栞のような札を取り出す。透明な膜の内部に丸い白花の房を付けた草がパッケージングされている。 
「これは?」 
「山彦草の仲間だ。乾燥した山肌が好きでな、ダムシアンの一部にも似たようなのが生えるらしい。で、この草を持ってるモン同士簡単な信号を送ることができる。とはいえ、あまり離れると使えねぇから、この草を持たせた部下を世界中に散らして連絡網を形成してる。その連絡網を担う者を、俺らは”草”と呼んでるわけだが――」 
「そのままだな。」 
「うるせぇ言うんじゃねぇそんなとこでカッコつけたって仕方ねぇだろが! ……とまぁ、いくら何でも地底までは草を送れねえかんな。」 
国家機密だぜと釘を刺してエッジは話を切り上げる。口外無用を請け負ったカインは、改めて地底の大地を見据えた。情報のない状態で未知にも等しい世界に臨む。不安が半分、好奇心が半分。 
 
 ジオット城。溶岩の赤光に照らし出されたその姿は威風堂々、偉容、圧巻だ。 
「王様、地上からのお客さんが来たラリ〜!」 
 人身丈の半分に辛うじて兜の角部分を届かせるほどしかないドワーフ達の歓迎を受け、城を歩く。各施設を上に積まず、地下地上一階の建物内に並べた平方面積の広い城だ。だが、全体として低い天井が実際の面積より肩身を狭く思わせる 
踊るような足取りで先導するドワーフが謁見の間の扉を開ける。赤絨毯の終着点に据えられた玉座の主は、一行を見るなり椅子の上に立ち上がった。 
「おお、そなたらは!」 
椅子の上でぴょんぴょんと跳ね飛ぶ王の目前に一行は膝を折る。 
「ジオット王、お目通りに預かり光栄に思う。我々は――」 
「覚えておるぞ、セシル殿の仲間じゃな! 久しいのう、元気でおったか?」 
遂には王は椅子から飛び降り、一行の堅苦しい礼儀を払って回る。未知の世界に、こちらの顔を見知った者がいてくれることのなんと心強いことか。 
「ジオット王、此度は頼みがあって参じた。貴国所有のクリスタルを、何卒お貸しいただきたい。」 
「良いぞ!」 
「実は――……は?」 
 電光石火の快諾に、カインの声がすっぽ抜ける。 
「何に使うのかは……?」 
「聞かん! そなたらは信用できる!」 
 一行が顔を見合わせる暇すらなく、きっぱりはっきり言い切ったジオット王は、性格そのままの豪儀な笑いを響かせた。 
「そなたらに渡せば良いんかの?」 
カインが戸惑いがちに頷くを見るや否やクリスタルルームの扉がばーんと開かれる。 
「よし、では持って行くが良い! なに、遠慮は要らん!」 
開け放たれたクリスタルルームの前で、王が大きく腕を広げる。 
「ただ、封印の洞窟にある分は少しばかり待ってもらわねばならん。そなたらは先に、城の分を持って戻るが良い。残りはジオットの名にかけて必ずそなたらの元へ届けよう。どこへ運べば良いんじゃな?」 
「差し支えなければ、封印の洞窟へは我々が。」 
 話の切れた隙にカインはどうにか意向を差し挟む。クリスタル貸与の申し出に好意で応じてくれたドワーフ達をそこまで頼り切るわけにはいかない。 
「ふむ。差し支えなどないが、そなたら、今回は”ヒクウテイ”とやらを持って来んかったようではないか? あの空飛ぶ船が無くば、溶岩の海を越えられんじゃろう。」 
 落ちかけた顎を辛うじて押さえる。屈強なドワーフ達といえど、溶岩を生身で越えられないという条件は同じだ。しかし王はクリスタルの回収を請け負った。つまり、彼らは空を飛ぶ他に封印の洞窟へ行く術を持っているということだ。 
「他に封印の洞窟へ行く術は?」 
「”眠り”を待たねばならん。」 
「眠り?」 
「うむ。溶岩の熱が鎮まる時のことじゃ。」 
「運良くそろそろその日だったり?」 
「その反対で、ついこの前じゃ。次回の眠りは二巡週と少し先になる。」 
「まぁそう巧くはいかねぇか……。」 
「弱ったな。」 
二週間ちょい。充電池の残量が案じられる。任せてしまうべきか。 
※溶岩の距離はどれくらいだろうか? 何とか越えられないものか――心当たりとして真っ先に、鮮やかに思い浮かんだのは、ミシディア長老が嬉々として撫でていた大砲。選りに選ってそれを真っ先に思い浮かべた自分の無謀に頭痛を禁じ得無い。大体、あの大砲は着地点が不確かだ。失敗したら目も当てられない。 
「じゃあさじゃあさ、ニィちゃんがジャンプでビューンって――」 
「無茶を言うな!」 
 エキセントリックな順に述べられる案。カインはすかさず少年の無謀論に蓋をする。少年は頬を膨らませた。 
「なーんだぁ――」 
「悪かったな大したことのない竜騎士で。」 
パロの頭ぽふん掌被せぐりぐり。こういう行動が自然に出てきた。昔シドにされていたようなことを、今は自分が少年にしている。フッ笑い。 
「だが、策はある。上手くいくかどうかは分からんが……。」 
 ちょうど自分がまだパロムくらいの年の頃、シドが面白い実験をしてみせてくれたことがある。たき火の上で紙袋を浮かせてみせてくれた。熱された空気は軽くなる。軽くなった空気を詰めた袋は、浮力を持つ――シドの飛空挺の浮遊体の理論の基礎だ。シドの飛空挺を作るには、もっと高度な姿勢制御部の理論についてそれこそシドに匹敵する専門知識が必要だが、浮いて進むだけの単純なものならば、今手持ちの知識だけでも作れるかもしれない。 
「溶岩を越える道具を作りたい。すまないが、手助けをしてはもらえないか?」 
「おお! 無論じゃ、遠慮は要らん! おっと、ここでは何じゃな。」 
王はパブラリホーに一行を招く。パブへ行き着くまでに見物にドワーフたちは集まって来て大部隊となった。 
辻画家のような見物人に囲まれた中で、カインは道すがら練った簡単な案を図に描く。浮遊体を上部に据えた、ちょうど飛空挺をひっくり返したような構造だ。パラアンカー様の風受け推進装置付き。 
※「俺たちが四人、ちょうど飛空艇乗員の半数となる。とすると……確か……――」 
カインは飛空艇のスペックを元に連立式を起こす。 
「単純に半分なら、おおよそ2300立方メートル。ま、大は小を兼ねらぁな。」 
エッジが素早く頭の算盤を弾く 
「耐熱に優れた布と縄とバスケットが必要」 
必要な物頼み 
「布はミスリルメッシュを使うラリ!」 
「縄は鋼線でいいラリ?」 
「熱に強くて軽い籠ならば、戦車の砲塔が使えるラリ!」 
簡単な数値と略図を記した草案をドワーフに渡す。双眼鏡のような眼鏡を掛けた白髪交じりの年配ドワーフは、略図を瞬く間に詳細な設計図へと描き変える。 
※「気球の制御だが、長く燃える熱源と風が必要」 
「長く燃える熱なら、マグマの石があるラリ!」 
※「オイラだって出来るぜ!」 
「風なら、戦車用の換気扇が使えるラリー!」 
「私のエアロもきっとお役に立てますわ!」 
制御機構は機械と魔法の二段構えで※ 
「よぅし皆のもの、早速作業にかかれい!」 
「ラーリホー!!」 
ドワーフたちは勇んでパブを後にする。 
「手伝おう。」 
後に続こうとした一行を王を引き留める。 
「その前に、そなたらには大事な仕事がある! 残った者は歓迎の宴の用意じゃ!」 
 
 ほとんど城を上げての盛大な宴から二日経過 来賓としてごろごろするのには半日で音を上げた 
 というわけで、”特別作業監督”の冠をありがたく頂戴してドワーフたちの作業見学に ドワーフ達働き者 24時間を作業員を入れ替えながら休み無く城地下の工場フル稼働 
 休み無く回る機械の排熱のため、天井に三基の大型ファンを回して外気循環していても尚暑い ドワーフですら袖無し衣服を選ぶ室温なのだから、地上の人間などなおさら軽装でなければ追いつかない。しかし、軽装を通り越して短パン一丁にサンダルエッジ どこの海水浴客だお前は 
「もう少し格好を取り繕え。」 
解体作業を後回しにされた戦車の前面張り出し部分・ボンネットに座ったエッジ、悪びれもせず言い返す 
「丈が違うだけじゃねーか。」 
膝下数センチの差が生み出す文明感の差を主張してやろうかと思ったがやめた カインは額を蒸らした汗の分だけ冷却水代わりのエールを口に含む 作業監督とは名ばかり、設計にしても組み立てにしてもドワーフに一日の長がある。ほぼ任せきりで、呑気な工場見学観光状態だ。 
 しかしすごい工業力 揃った部品の組み立て作業見ながらつくづく感心 頭の中の朧なイメージが着々と現実の姿を備えていく行程 紙の上の数値が持つ意味を実際目の当たりにすると、その巨大さに驚かざるを得ない。 
 そして、そんな巨大な代物をいとも易々と作り上げていく体の小さなドワーフたち 
「敵に回したかねぇなぁ……」 
とっくりと作業に見入るエッジ。小気味よく働き回るドワーフ達の様子を肴に冷たいエールをあおる。 
「ジオットは、青き星の全国家中唯一ゴルベーザ率いる赤い翼と正面から対峙し、撃退まで叶えた国だからな。」 
 カインは相棒に同意する。バロン主力の全部隊を投入したとしても勝負になるか怪しい。ドワーフは友好的で穏和な種族。この種族と戦火を交えなければならなくなるような事は起こらないと思うが、もしそうなってしまったら全面戦争は全力で避けなければなるまい。 
ちょうど、気球制御の補助を行う役割のパロポロ用の椅子の取り付け作業が完了したようだ。これも戦車の部品を流用している。運転席の椅子だそうだ。ドワーフの背丈に合わせた椅子が双子の背丈ぴったり。揺れたりして落ちないように簡易ハーネス付き ルカから借りたサマードレス姿のポロムと、エッジと同じ短パンパロム ハーネスの調節を終え、枠に半固定されたそれをブランコのように揺らして遊んでいる姿が見える。 



八章後編
 忍者自慢の腹中時計が地上時間にしておおよそ三日の経過を告げた後、いよいよ気球の組み立てが完了した。巨大なエンベロープは、限られたスペースに広げるため、仮の骨組み・支骨を入れることで所要面積を削っている。戦車のエンジンと排気筒改造した即席巨大扇風機が唸りを上げ、猛烈な風を包球に吹き込む。徐々に膨らんでいく気球。ドワーフたちは自らの作り上げた未知の道具の完成図に興味津々といった様子だ。 
「これで空が飛べるラリー?」 
「すごいラリー!」 
 また一つ仮骨を除かれた包球の表面が漣打つ。 
「地上の人たちは空を飛ぶ方法をいろいろ知ってるのね!」 
ローザから貰った人形を抱いたルカちゃん 
「でも私はやっぱりお船がいいなぁ。」 
「船の方が快適だしなー。」 
 愛想よく応じるエッジの顔はしかし、未知のモービルによる未知の旅路への大きな期待を窺わせる。 
 いよいよ巨大な風船が地面を離れる頃、午前の仕事を済ませたジオット王が様子を見に来た。 
「ふむ、上出来なようじゃの!」 
 満足げに頷くジオット王に、一行揃って頭を下げる。 
「ところで――」 
 カインはジオット王に向き直った。人々の噂にも聞かないことと、ある一つの仮説から答えの見当は付いているが、念のため聞いておく。 
「ステュクスによる事件の話は出ていませんか?」 
「何じゃそれは?」 
 カインは掻い摘んで説明をする。話を聞き終えたジオット王は、改めて知らないと言を重ねた。地底にはまだステュクスの感染が及んでいないようだ。これは朗報だ。 
「奴さんらも如何せん地面潜っちゃ来ねぇわな。」 
「ああ。それに、例え到達したとしても溶岩に囲まれたこの地形だ。感染を広げることはできないだろう。」 
ステュクスは熱に弱い 
 いよいよ気球が満杯に膨らんだ。出発の時。 
「……ステュクスとやらは聞かぬが、変わったことと言えば、封印の洞窟で幻獣を見たという話があるのじゃ。まさかとは思うが、用心を怠らんようにの。」 
「幻獣か……。」 
 思いがけぬ脅威を示唆され、カインは喉を鳴らす。しかしいまさら出発を遅らせるわけにはいかない。 
 
 気球でわずかな時間の空の旅。最後に積み込まれた幻獣の話題によって塞がれていた一行の気分も、安定した飛行によって徐々に晴れてくる。 
砲塔バスケットなかなか居心地いい パロム火力調整 ポロム風調整 強い自然風(突風の類)は無いから制御はそう難しくない 
「飛ぶモンだなぁ〜。」 
簡素な作りながら快適な空の旅にエッジ素直に感動 バスケットから顔を出し、代わり映えのないオレンジ一色の景色を飽きずに眺める。 
「巧くいくものだな。」 
カインも感心。包球の下に吊られた火鉢の上で踊る陽炎を眺める。カインの口ぶりに、エッジはバスケット内に顔を戻し、頭を掠めた推測を言葉にする。 
「……もしかして、こいつで飛んだのァ――」 
「俺達が世界初、だ。」 
カインは重々しく頷く。エッジひぇー。 
「お前、案外思い切った博打しやがんのな……。」 
「世界初だって、すっげー!」 
バスケット内備え付けのチャイルドシートで会話を聞いていた世界初の補助火力調節係がはしゃいだ声を上げる。 
「この気球の名前、天才パロム号に決まりね!」 
「ああ、別に構わんが……」 
「天才パロム号、ぜんそくぜんしーん!」 
パロム調子乗ってファイアを放ち火力アップ 
急激な加熱に気球は上昇し、天井の岩にぼうん包球ぶつかり ポロムきゃあっ悲鳴上げ 固定していなかった軽い荷物がふわり浮きバスケットの外へ カインが咄嗟に手を伸ばすが、間一髪間に合わない。エッジがカインの腕をはっしと捕まえカインの体をバスケットに引き戻す。 
「あーっっっ! オイラのおやつ……」 
パロムのおやつは溶岩にあっという間に平らげられた 
「自業自得ですわ!」 
揺れる椅子にしがみついたポロムぷんすか パロムしゅーん 
「そうしょげるな、また買ってやるから……だが、悪ふざけはもう無しだぞ。」 
「うう、ごめんなさい……。」 
しおらしく瀞火を燃やすパロム 溶岩と天井の中間温度層をゆったりと流れる気球は、やがて洞窟を眼下に据える盆地の平野上空で停止した。高度を落とし、頃合いを計って碇を岩山斜面にフックする。 
 エッジが先に降り 途中まで籠上げ下ろし、途中から岩直接投げ上げてバスケットに積み、高度を落とす 
頭上すれすれまでバスケットが降りたところで、予備のフックを下ろして完全に固定したことを確かめる。うへー疲れた。重労働を終えたエッジカインは元より、双子の魔力消費も激しい。 
「少し休もう。」 
洞窟傍らで休憩。 
「前回来てから時間経ってるが、内部はどうだろう?」 
長年封印によって外界から隔てられていた洞窟内の生態系 封印無き今とて、結局は溶岩海によって隔てられている場所であることに変わりはなく、内部の様子が激変するとは考えづらい。 
「問題は――」 
「幻獣だな……。」 
かつて、セシルと二人・今より劣る戦力で幻獣を討伐したことはあるが、それは事前に特性など敵の情報を得ていたから成せたことだ。今回、詳しい事前情報を望むべくもない以上――目撃者は、一目見るなり一目散に逃げたそうだ。むべなるかな、賢明な判断といえる――勝敗可能性に関わらず、正面対決は是非とも避けたい。幽霊の正体が枯れ尾花であることを願うばかりだ。 
双子飲み終えたエーテル瓶しまい さて体力魔力共にかなり回復したし封印の洞窟突入だ。王女から借りた首飾りで扉の封印を解く。首飾りのヘッド部分を、全体が組石錠となっている扉の欠けに合わせるため、手を伸ばす。 
瞬間、直感が警鐘を鳴らした。何かおかしい。カイン咄嗟に手引っ込めもう片方の手で槍抜き。扉の模様ぐにょり動き中からずぼっとキメラの首現れ牙向き。 
「アサルトドア!?」 
驚愕と警告を同時に済ませたカインは、鋭く迫ったキメラの牙を穂先で弾いた。 
 アサルトドア――地底独自の洞窟棲生物だ。地表でも見られるスライム類から独自の進化を遂げた亜種だといわれている。空中を漂う塵ほどのスライムが、ごく初期の鍾乳洞柱・小突起を基礎・下地として取り付いて芽を作り、鍾乳洞の水を吸収して成長し壁様の成体となる。成体となったスライムは食性が変わり、餌として動物性蛋白を必要とするようになる。土中から吸収した動物の死骸の匂いか何かで肉食の獣を引き寄せ、餌兼護衛として内部に取り込む。内部に取り込まれた動物は麻酔のようなものをされて半仮死状態となり、利用される。※内部に取り込まれた獣は麻酔により半仮死状態となり、蛋白質?を分解して何らかを生み出す装置として利用される。(消化器官を外部装置として利用される)岩が取り込んだなんかの栄養素を獣に供給→獣が分解吸収→岩が栄養回収、のサイクル 
 この生物が人間にとって脅威なのは、殺人扉という名の通り、遠目にあたかも装飾扉のように見えることだ。スライムによって体表をコーティングされ同化した獣が、図らずも擬態として機能する。それは、薄暗い洞窟に不釣り合いなほど緻密で精巧な彫刻の施された扉のように見える――あたかも、その奥には財宝が眠っているのだと言わんばかりの。 
 だがそれ故に、予め存在が知れてしまえば脅威ではない。避けることは容易だ。多くの待ち伏せ罠と同じく、迂闊に近づいた者のみが痛い目を見る。内部の獣の種類にも拠るが、概ねは固定型で近接攻撃のみだ。 
 今回は避けられないが、対峙するのは初めてではない。倒し方を知っているという絶対的な優位性がある。天井の接合部にある芽を潰すとスライムは死に、解放された獣が飛び出してくる。※あるいは、中の獣の方を先にどうにかすれば、エンプティ状態に陥り行動不可、楽に倒せる エンジン(との接合部)を叩くか燃料タンクを叩くかの二択 
「エッジ、ドア本体を任せていいか。キメラの始末は俺がやろう。」 
「おぅ、ちゃちゃっと片付けますか。」 
 エッジは親指ほどの円錐礫を一握り、横一斉投射して天井のスライム芽潰し 珠簾みたいに流れ落ちて崩れるスライム カイン、飛び出してきたキメラの牙に槍噛ませぐるり大車輪で地面に引き倒し 素早く猿ぐつわにした槍踏みつけて動き封じ心臓に補助小剣突き立て あっという間に処理完了 
「前途多難だなこりゃ。」 
「ああ……だが、進むしかあるまい。」 
開かれた入り口くぐり抜けがてら、エッジは腰を折り、投げた礫を拾い上げる。 
 
封印の洞窟。岩に付着した水蒸気が冷やされ地下水脈となり、気の遠くなるほどの時間をかけて穿たれた深い洞窟。封印の洞窟との名の通り、その底はどこまで続いているのか見当も付かない。何かを投げ落とせば永遠に封印してしまえるだろう。 
歩道は十分広いが、下層階へ降りるロープを伝う際には子供をおぶい紐で固定し下る。暗がりから人の気配に眠りを妨げられたコウモリが飛び出してくる 
見覚えのある場所をたどりながら、順調に三層数え、階段窟から降りてきたフロア 前後を扉二枚に挟まれた小部屋 これまで常に正解の扉を当ててきた竜騎士の記憶だが、最も簡単な二択で詰まってしまった エッジを見るが、彼も覚えていないようだ。 
「大分戦力温存できてる 両方掃除しちまおうや」 
五個の礫を片手で器用にお手玉しながらエッジが言う。 
「よし、順に処理しよう。」 
 慎重論で行こうとするカインの裾を小さな手が引く 
「オイラたちの力、もっと信じてよ!」 
 子供たちの申し出にカインふむう考える。内部の獣は弱っている。麻酔によってゾンビ状態であるためだ。万一があってもカバー出来る 
「よし、では分担して当たろう。左を頼む。」 
「「りょうかいっ!」」 
 右担当カイン、左担当双子で 
 エッジ礫を双腕斉射で獣解放 カイン右手から飛び出した獣を入り口と同じ手順で倒し 双子もまた 
「スロウ!」 
ポロムの魔法が突進速度を緩める 
「ブリザド!」 
パロムの魔法が獣を凍り付かせ 
「へへーんっ、どんなもんだい!」 
「おーすげえすげえ」 
 エッジ、パロムの頭ぐりぐり撫でくり褒めてやり 
 双子の開いた扉が正解 くぐったフロアから橋を渡り、輪っか状のフロアの真ん中に垂らされた最長のロープを伝い降り 階段下りて扉抜けぐるっと壁沿いに半周していよいよクリスタルルームのあるフロアへと降りる最後の階段 
 長い階段を降り切った瞬間嫌な雰囲気。 
「前回はクリスタルを手に入れた後だったが――」 
「今回は近付くことすら許さねぇってか。」 
通路が一変に様相を塗り変える。 
橋の両脇の壁にまで腕を広げた呪いの壁が死の眠りより目覚める。 表面を覆う埃が剥がれ、忌まわしき真の姿が露に 前回と比べより生々しい魔物の姿 ところどころ肉が残っている感じ 額に大きな瘤のある鼠に似た巨大な頭蓋骨と剥き出しの乱杭歯、骨の体 禍々しい彫像 
デモンズウォール――アサルトドアの屍が長い年月を経て化石化したものだと言われている。アサルトドアが生物の肉体を取り込むとすれば、デモンズウォールが取り込むものは魂だという。 
クリスタルを目の前に立ちはだかる障害 相当の強敵だが、やはり前回の経験がある。全く無知の状態で戦った前回とは違う。 
敵の攻撃のうち、脅威となるものは二種ある。 
認識した時点から徐々に距離を詰めクラッシュダウン 
次元ホールを開き、魂を吸い込むナインディメンション 
 どちらも一撃でも食ってしまえば一気に状況が悪化する強力な攻撃だが、幸いどちらもディレイが長く、予兆が分かりやすい。 
 エンジンとガソリンタンクの関係 デモンズウォールはドアと違ってエンジン接合部が露出していない また、ガソリンタンク単体(いろんなモンスターの複合体=悪魔)の戦闘力も、ややもすればエンジンより厄介 エンジン=岩に対して前衛陣の得物は相性が悪い 滑らかな固化した壁表面に、斬撃の威力は大幅に削られる。よって、エンジンはそのまま、ガソリンタンクを魔法で叩く 魔法が頼りだ 
「パロム、ポロム。」 
 油断無く壁の様子を警戒しつつ、視界の端に頼みの綱を映す。ざっと簡単に作戦説明 
※「俺たちが攻撃を引き付ける、その間に本体を蒸し焼きにしてやれ。」 
 カインの要請に双子は大きく頷いた。特にパロムは、頼られた喜びを隠さない。へへんとこすり上げる鼻はどこまでも伸びてしまいそうだ。 
「天才魔導師パロム様に任せとけ!」 
「よし。遠慮はいらない、派手に行け!」 
指示を残して前衛へ駆け出る。動きまわって敵の目を引く 
「汝らに守護と雷速を、プロテス、ヘイスト!」 
 二人の背中にポロムの支援魔法が飛び、続けてパロムがキャストに入る。 
「爆ぜろ、フレア!」 
 炎が集い大渦を成す 岩の表面コートを溶かすには十分過ぎる威力 
 パロムに任せきりではバツが悪い 炎渦の後を追い、大きく踏み込む 溶けた岩表面に一撃くれてやろうと、遠慮なしに振りかぶる 
 その瞬間、下頬の両横を鋭い熱気が駆け抜けた。 
 一瞬の出来事に、少女が悲鳴をあげる暇もない。高温と爆風が青年二人の体を易々持ち上げ、それぞれを壁に投げ飛ばす。壁に設えられていた燭台が割れる どんっという重い音が、二人の体に掛かった負荷を表す 
「魔法……反射……!」 
ポロムが愕然と呟く。 
 魔法防護壁もらってなかった上に全く構えていなかったためダメージ軽減行動の一切が取れなかった。高熱に炙られた器官の溶けた細胞が咳と同時に、燭台の破片の上にぼたぼたと滴り落ちる。 
 ぐらぐらと揺れる視界 目を見開く少女の顔が見え、その横に少年の激しい動揺が見えた 立ち尽くしているパロムのほとんど蒼白となった顔色が洞窟の薄闇に浮き出ている 
「平気だ、気にするな……」 
溶けた口内が擦れ、強がりと血の併せ酒を味わう。目論見は外したが、穴に落ちなかったことは幸運だ。 
「へッ、背中の煤けたイイ男ってな……」 
エッジもまた軽口と喀血を吐き捨てる。背中側肋骨の隙間に刺さった燭台抜き捨て 軽装が祟った 
「っな、汝らに癒しを! ケアルラ――」 
 ポロム回復魔法キャスト しかし癒しの代わりに訪れたのは更なる重圧 
※デモンズウォールの捕食行動 クラッシュダウン・鍾乳柱を形成し降らせる+追加で石化に似た効果 クラッシュダウンで動き封じ、肉体を鍾乳岩同化・琥珀化して、9ディメンションで魂吸い取る 
※魔法ダメージを残した体が逃げ足を許さなかった 何とか体を捩って致命傷は避けたが、幾つか地面に刺さった鍾乳柱に肉を押し千切られた 刺さったままだから出血も少ないが、これでは動けない 
「ニィちゃん!」 
「エッジさん!」 
双子の悲鳴が聞こえ、エッジカイン共に互いの動きが封じられた絶望的状況を知る 
カイン歯がみ――滅多に遭遇しない希少な敵だ、魔法反射などという特徴的な能力があれば忘れるはずがない こいつは、前回とは異なる亜種か何かか? いずれにせよ、痛恨の判断ミスだ 前回の経験に奢って敵の正体をよく見定めなかった 慢心が生んだ絶体絶命 
※ポロム、恐怖と動揺で小震え 二人の怪我を早く治さなきゃ 早く治さなきゃ 治しきれるだろうか? いや、その前に敵をなんとかしなきゃ 動揺で指が冷たい 全身がくがく震えが治まらない 
「……っこのやろーーー!」 
 パロムの吶喊の叫びが震えを止める 弟、短剣抜いて威勢良く突進 
「パロ――ホールド!」 
少女が放った枷が弟の足を縛る パロムべたーん転び その手から短剣が離れ床を滑る 薄く頼りない刃が洞窟の岩を滑る 
「そんなのじゃ倒せませんわ!」 
「だってこのままじゃ!!」 
「パロム!」 
ポロム半ば悲鳴に近い声で弟の肩がしっ掴み 弟の目の中に迫り来る悪魔の壁が映る 目に映る絶望の壁 迫り来る死の恐怖 はっと閃き 
「大丈夫! 私たちには出来ることがありますわ!!」 
肩を掴んでいた枷が解ける。姉の示す光に、パロムはぱっと表情を明るくした。ポロムはやっぱり頭がいい。 
立ち上がり、姉の手を取る 意志に応じて既に掌に集い始める確かな魔力 そうだ、自分たちには出来ることがある 
「ニィちゃん、隊長、一緒にボウケンできて楽しかったぜ!」 
「お二人なら、きっとステュクスをやっつけられるって、信じてますわ!」 
手を繋いだまま振り返り笑いかける その直後 
「「パロム! ポロム!」」 
どれほど非道を行えば、彼らからこんな怒声を搾り取れるのか。煮え湯を浴びた子供たちは肩を震わせ硬直した。岩に飲まれる体を擡げるために渾身の力で握り締められた拳は、今にも頭めがけて飛んで来そうだ。 
「バカな真似するんじゃねえ!」 
「で、でもっ――」 
「うろたえんな、これも作戦の内よ!」 
エッジが動揺する小舟に素早く舫縄を結びつける。 
「作戦!? 本当に?」 
「なぁ、そうだよな、カイン!」 
エッジが渾身の力で投げ寄越した舫縄。カインは大きく頷いてみせ、舫縄を手繰って引き寄せる。この縄を早く係柱に結びつけなければ――小舟が動揺の波に持ち攫われてしまう前に・子供たちが自らを犠牲にしてしまう前に 
 口の先へ何とか浮かび上がろうとする打開策 しかし凍てつく寒さが水面を氷で閉ざしてしまう 自分たちがこのような状態にある以上、子供たちに起死回生を負わせることはできない 体が冷たくなっていく 
 せめて、子供たちを逃がさなくては―― 
「一度退くんだ!」 
声と共に振り絞る息が白く眼前を閉ざす 曇った向こうに泣きそうな顔で嫌々をする子供たちが見える 
「おら聞こえただろ、早く行け!」 
エッジの吐いた気炎が白く見える  
出血のせいか 寒い 周囲の温度が下がっていくのを感じる 手足が凍り付くようだ もうだめか? 
――いや違う、鼻先を掠める冷気 きらきらと輝きを発する微塵 これは霧だ 寒さによる目の濁りではなく 
 揺らぐ視界の中心に凍てつく翡翠が輝く 肌を刺す冷気に全身を優しく包まれる 
――大丈夫、もう動けるわ! 
聞き覚えのあるりりしい声。青白い冷炎が体を捉えていた呪縛の岩を凍り付かせ砕く 視界が収束し、華奢な肢体を中心に結ぶ 
「リディア!」 
リディアうんって力強く頷き ポロムはっ我に返り二人の回復に 
「来たれ――ドラゴン!」 
 回復に走るポロムの背にリディアが呼び出した白霧竜がたおやかな翼を広げる。優美な外見にそぐわぬ苛烈な冷気が、先と違って今度は牙を向き呪いの壁を凍りつかせる 
 しばしの時間稼ぎ リディア振り向き、同時に回復を受けたカインも顔上げ 
「お願い、手を貸してほしいの!」 
「頼む、手を貸してくれ!」 
言葉同時に カイン、リディアの話促し 
「取り込まれているのは幻獣なの!」 
「あれが……!?」 
「カーバンクル、魔法反射の能力を持つ子よ。」 
リディア振り向き、痛々しい姿に泣きそうに目を歪める 
そうか、目撃証言の幻獣はこれか――まさかこういう形で出てくるとは 
「手を貸そう。どうすればいい?」 
「契約の儀が完了するまでの間、壁を止めていてほしいの!」 
やはりそうきたか。あわよくば召喚獣の援護を期待したが、この事情では望めない。となると、二つ返事で請け負えるほど簡単ではないが、 
「分かった、やってみよう。」 
今は他に術はない。 
「大将、策は?」 
「無論。」 
カイン、自信を持ってエッジに応える。クラッシュダウン食らって寝てる間に既に考えていた 召還魔法の他に魔法反射壁を抜けられる魔法攻撃といえば――温かさを取り戻した血が巡り、先に浮かんでいた策が解凍される バルバリシア配下の女性モンスター姉妹が使っていた技・デルタアタック 
「さすが竜騎士様、転んでもただじゃ起きねえ」 
エッジ感心 カイン、槍を構える 
「汝らに――」 
「いや、待て。」 
すかさず支援に入るポロムを止め 
「ポロム、俺達にリフレクを。」 
続いて、策の要となる攻撃魔法の使い手に目を向ける 彼はショックから立ち直っているだろうか? 悪戯好きだが、心根のとても優しい少年 自慢の魔法で招いた同士討ちの衝撃は、さぞ大きい爪あとを心に残してしまったことだろう 
「……パロム、リフレクで魔法を跳ね返すんだ。出来るか?」 
膝をつき目線を合わせ、肩に手を置いて真っ直ぐ見つめる。パロムはっとした後ぎゅっと眉結び 
「オイラ、やる!」 
力強くこくり頷き 
「よし、頼むぞ!」 
「倍返ししてやれ!」 
エッジカイン、橋挟んで両脇に展開し 魔法の射線通すために跪いた姿勢で武器床に刺して体固定し 
「汝らに防護を、リフレク!」 
ポロム魔法反射陣貼り ややもせず遂に守護の霧が去る。 
「今だ!」 
カインに応えてパロム 
「降れ、コメット!」 
少年の声に応じ、隕石雨降り注ぎ 
「うひょーっ!」 
エッジの呑気な歓声に突っ込みを入れる気にもならない 魔法反射壁が虹色に光り放ちきらきら 炎放つ岩が無数に降り注ぎ虹の天蓋に描かれる流星雨 壮絶な光景 
 パロム、コメットをカーバンクルを避けて上手に壁に当て前進を押し留める そればかりでなく、じりじりと押し返している 凄まじい集中力 
「パロム……!」 
ポロム喘ぎじりり パロムが全魔力掛けてる リフレク維持が大変 もし魔法反射壁が破れでもすれば、この魔力が全て二人に襲いかかる 
 そうなれば、二人は無論、パロムも大きく傷つく――あるいは再起不能になってしまうかもしれない 自分が皆を守りきらなければ 
「出で来たれ、カーバンクル!」 
リディアの声が契約完了を告げる 壁の剥がれた部分から緑の光溢れ 解き放たれた獣が光の百矢となりリディアへと一直線に向かう 
 風圧に弾かれエッジとカイン姿勢崩し 慌てて屈んだ双子の手前で急激に上へ歪曲する光 リディアの口から緑の光る煙立ち上り幻獣を捉える 幻獣完全に壁から分離し、壁の亀裂広がり分断された部分それぞれがさらさら玉簾のように崩れ 
 幻獣が抜けた穴塞ごうとウォールぼこぼこ カイン、手の槍を姿勢低く大きく振りかぶり投擲 穴が塞がるのを阻止 エッジがすかさず姿勢を立て直す動きから投擲を繋いで断面に火薬玉投げ付け 連続炸裂した発破が再生しかけの破片を微塵の砂礫に変える 
 勝利の静寂 それを破ったのはエッジの声 くるっと振り向き鼻高々子供たちに向き直る 
「――ほーらな! どうよ、この作戦! 完璧だろ?」 
リディア、はてな顔 
「作戦って?」 
エッジ胸張りドヤ顔 
「オレ様はなにせ色男だかんな! ピンチとありゃあ、こうして必ず、誰かさんが駆けつけるって寸法よ!」 
「ちょっ……!? もうっ、調子いいの!」 
 まるで自分が招いた手柄かのようなエッジの言い様に、緊張の解けたリディアが朗らかに笑う 
カイン、双子に向き直り 
「よく頑張ってくれた。お前たちのおかげで勝てた。」 
双子、俯いてやけに神妙に聞いている いつもならこれだけ褒められれば有頂天モード絶好調のはずなのに エッジ、常になくおとなしいパロムの頭をぐりぐり撫でながら顔覗きこむ。 
「おーい? どうした――」 
「うぅうぇぇえぇええぇ……」 
パロム、ぐちゃぐちゃの顔上げ 
「おいおいおい!?」 
パロムミサイルぼすっエッジに着弾 わんわん大泣きの声がこだまする 
「だ、たいぢょ、ど、にぃぢゃ、んが、しんじゃうが、ど、おぼっ、で、おい、オイラ、の、まほの、せ、で……う゛ぇぇぇ……――」 
 ポロムも大きな涙を目一杯に浮かべる 杖に大粒の涙ぽとぽと落としながらも 
「パッ、パロムっ! なっ、泣くっ、んじゃ、ないの!」 
「ボっ、ポっ、ボロムこそぉっ……!」 
エッジ肩竦め、大泣きパロムよしよし カイン、溢れる涙を盛んに拭いながら強がる少女抱き寄せよしよし リディア貰い泣きぐすっ 
「り、っリディ姉ちゃん、助けてくれてありがと!」 
「リディア様が、来てくださらなかったら、きっと、私たち……」 
「俺からも礼を言わせてくれ。本当に助かった。」 
「今回ばかりは素直に言わせてもらうぜ、ありがとよ。」 
 口々に感謝 突然改まった謝辞を受け召喚士の娘真っ赤になって照れ 両手しぱしぱ忙しなく振り 
「み、みんな、そんなっ、違うのよ! 助けてもらったのは、あたしもなの……みんながここに来てくれなければ、カーバンクルを助けられなかったんだよ?」 
照れ過ぎリディア、遂には蹲る 
「しかし、本当に良いタイミングで来てくれた。」 
「あの子を助けたくて……アスラ様に無理を言って、ここに来ることを許してもらったの。……ファブールの子は助けられなかったから……」 
カーバンクルが助かった理由 デモンズウォールが取り込んでいたことで、奇しくもデモンズウォールが仮の依代として機能したため、ファブールの幻獣の二の轍を踏まず(溶けきらずに)こちらの世界に辛うじて留まることができたらしい。正規の依代であるリディアが契約して(依代替えで)救おうと思ったが、一人ではデモンズウォールから引き離すことができなかった 
「みんな、ほんとにありがとう。」 
リディアぺこり改めてお辞儀。 
リディアは幻獣救出成功、こちらはクリスタルまでの障害排除成功でウィンウィン、結果オーライってことで早速クリスタルルームへ入ろうとすると、足音が一つ欠ける 
「リディア……?」 
振り向くとリディアの姿徐々に薄れ ミストの村で別れたあの時のように 彼女との別れの時が来た 
 明るく朗らかな少女の顔に翳る悲しみの影 
「そんな暗ぇ顔しなさんな、どうせまた会えんだろ。」 
リディア俯き 
「クリスタル戦役によって、眠り星は今目覚めを迎えようとしている……。目覚めてしまった世界では、幻獣は存在できないって……」 
リディアがカーバンクル救出に焦ったのはそのため 依代があってさえ現世に存在できないほどの状態にもうすぐなってしまうらしいとのこと 
「……ステュクスと幻獣の異変はやはり関係があるんだな?」 
カインの問に、リディアこっくり頷き 
「アスラ様が言うには、※幻獣は古から続く夢の結晶 眠り星が目覚めてしまうから、夢は溶けて消えてしまう 目覚めは暗い淵の向こうから、異なる眠りをもたらした者によってもたらされる」 
カイン、いつものお仕事考え事 リディアの言葉の解釈はとりあえず後回し、全文頭に暗記メモしとく リディア顔を上げ笑う 
「……あのね! エッジ、カイン、パロム君、ポロムちゃん……みんなに会えて、嬉しかった!」 
「ああ、こちらもだ――」 
元気な姿を見て安心した、と答えようとしたら リディアの肩と唇震え 最後まで笑顔を繕おうとした緑の瞳から涙一粒ぽろり リディア、頬を濡らした雫をごしごし拭る 
「行かなきゃ……協力できなくてごめんなさい。」 
「そいつを言うなら、俺らも同じさ。」 
エッジが言う 
「またな!」 
エッジに向かい笑う少女の姿が揺らいで消える パロム、エッジの袖引き 
「リディア姉ちゃんが幻獣界に行っちゃって、寂しい?」 
「なに、同じ星の上だ、お月さんよか遠かねぇ。」 
 軽く笑って応じるエッジ 
 さていざクリスタルルームへ カイン台座のクリスタルに手を伸ばすと指先が微かに震える 意識の奥底から沸き上がった躊躇 皆をちらり振り返り 
「どうしました?」 
みんなはてな顔 
「……いや。」 
カイン苦笑 薄々感じていたが、今確信した――自分をこの世で最も信用していないのは他の誰でもない自分自身なのかもしれない 
 手を伸ばし、がっちりとクリスタルを掴む 
掌からあの時の記憶が強烈に蘇る クリスタルから聞こえてきた囁き――裏切り者の汚名を着たままで良いのか? これが最後のクリスタルだ、もう後が無い。このクリスタルを手渡す時を逃せば、ゴルベーザにこの手で引導を渡し、汚名返上するチャンスは永遠に失われる…… 
 そんな囁きは、褪せた過去として、瞬き一つで簡単に消せる。 
 目に映る掌中のクリスタル。全く同じ物なのに、魅入られるような輝きはもはや感じない。ただ美しいと心から素直に思える。慎重に布巻いて大事に懐にしまいこみ 



九章前編
クリスタルを手に入れた一行は、ジオット城に別れを告げ再びバブイルの塔へ足を向けた。目指すは地上。 
前回来た道を戻るだけ リフトに乗って地上部へ連絡する可動通路へ 
 長い通路を歩いてる途中で、元々明滅する壁面だが、なんか不規則に暗くなったり明るくなったり まるで忌際の呼吸のように 息も絶え絶えという形容が当てはまる 
「ヤバげじゃねえ?」 
 嫌な予感が自然と一行の足を早める カインは春先の嵐のように不安定な壁に懸念顔を映す。多分、設置した充電池のエネルギーが終わりかけているのだろう 緊急措置だったとはいえ、もう少し保ってくれるという見込みは甘かったようだ エッジがパロムを、カインがポロムをそれぞれ抱き上げ 
「オーケー、オレ様が勝ったら一杯奢れよ。」 
「フッ、早駆けはお前だけのものじゃない。」 
言って、子ども抱えての約五十メートルの直線レース用意ドン 駆け出してしばらくも経たぬ内に、彼らの不安は的中した。 背後のモノリスが一つ一つ消えていく 消える時に発されるヒューンて音が踵を追いかけてくる スライディングで間一髪通路抜け 背後で最後のモノリス消え、何もない壁となる 
カインは床に擦った肩なでなでしいしい、息を整える。 
「同着だな。」 
 間一髪。まぁ今はクリスタル全部揃ったし、設置すれば電池クリスタルはいらなくなる。 
 上下動のリフトでエネルギー切れのリスクを冒すべきではない。地上一階最寄の地上出口からとっとと外へ出てしまう。出た先は山のてっぺん。 
 
 下山の手間を煙玉でショートカットし、挨拶も早々にエブラーナ城の裏庭のデビルロードへ直行する。城でも足を止めることなく、デビルロードでミシディア試練の山へ直行直帰。 
 暗い道を抜けた先に橙の空が見える 懐かしさを感じる山の景色がテレピン油をぶちまけられた油彩画のように溶けて降り注いでくる カイン野晒し大使館の軒下まで身を下げ この季節には珍しくかなりの降りだ 
「きゃ!」 
「わっ!」 
 次いで、雨粒の出迎えを受けた双子の悲鳴を屋根の下へ手招く。 
「うぉ!」 
殿のエッジも揃い、四人軒下に顔揃え 
「上がりそうにねぇなぁ……」 
 晴れなければ煙玉も使えない、煙が雨に散らされてしまう。ここまで来て夜雨の中強行軍して子供達の体調崩させたら元も子もない。 
「過ぎるのを待とう。」 
 カインの決定に従い、一行は野晒し大使館内へ向かった。濡れた衣を着替え、茶で体を暖める。 
 日が稜線を駆け下った後も、足を止めたままの雨雲 
「泊まりだな。」 
「ああ。」 
 明朝には天候がどうでも出発を決定する。日中になれば、例え雨でも体力の消耗は少ないだろう。 
貯蔵食糧を使った携帯食と変わらないメニューの夕食だが、熱を入れて皿に盛れば見違える。 
 食休みの後、風呂で本格的に体を温め 
 体力を取り戻した双子はカインの室内服を借りて寝着代わり 色違いお揃いワンピース姿を思い思いの格好に呪文書読み 冷たい雨は子供達を本の前に閉じ込める ベッドに寝転がっていたパロム、読んでいた呪文書鞄にぼふっ突っ込み 
「退屈だー!」 
 ごろごろと頻繁に姿勢を変えていたパロムが遂に耐えきれなくなった ベッドに広げた手足をばたつかせ 
「こら、パロム!」 
 ベッドをめちゃくちゃにする弟の足をポロムが押さえ付ける 
「退屈なら呪文の書き取りでもなさい!」 
「えー、ヤダっ」 
「いついかなる時でも精進を忘れてはいけないと、長老様がいつも仰っているでしょう!」 
「パロム、ポロム。」 
半ば乾いた髪に緩くタオル巻いたカイン 部屋に戻ってきてみれば、案の定パロムが暴れ出していたようだ。 
「あっ、か、カインさん、今静かにさせますから!」 
ポロムは慌ててパロムの口をぎゅーぎゅー押さえる。 鼻まで塞がれたパロムは息苦しさに抗議の声を上げることも出来ずばたばたもがいた。 
「ああいや、もし手が空いているなら、しばらく相手をしてくれないか?」 
言って、抱えていたものを子供たちの目によく見えるよう掲げる。 
 昔、父とよく遊んだボードゲーム エッジの持ち込み荷物に埋もれた倉庫から引っ張り出してきた 両陣に別れて展開した駒を各決まりに従って盤上を移動させ敵将を追いつめる戦略性の高いゲームだ。バロンでは割とポピュラーで、子どものみならず大人にも人気が高い 
 白黒格子に色分けされた盤上に、箱から取り出した硝子製の人形が付いた駒をばらばらと広げる。 
「わっ、何だこれ!」 
パロムが目をきらきらさせながら、駒の一つを取り上げる。 
「針に気を付けろよ。」 
駒は押しピン式でコルクボードに刺す形式・旅などの際に携行する用 
 双子は興味津々で駒を手にして眺めている。この反応を見たところ、彼らはこのゲームを知らないようだ。カインは一際立派な駒・帝を手に取り振ってみせる。 
「交互に一つずつ駒を動かしていき、この駒を取られた方が負けだ。それぞれの駒には動き方の決まりがあって――」 
「お、戦陣盤か?」 
倉庫で埋もれた荷物からボードを探し出す間に風呂を終えたらしい烏の行水ッジ、水気をふんだんに含んだ濡れ髪がしがしして盤の上に外の雨を持ち込む 
「バロンではケッズと呼んでいる。」 
カインが布巾を滑らせた後に、エッジ慣れた手つきで駒並べ エッジの完成させた初期布陣を見るとどうやらルールも同じっぽい 
保護者二人が分かるなら、子供と大人の対で2チームに別れた方がいいか 
「平野戦ルールは分かるか? 上級大将を外して砦を大砲に変えるんだが。」 
「”ぶっかり”な、りょーぅかい。」 
 簡易ルールも通じるようだ カインはポロムと、エッジがパロムと組む。 
「うっし、手加減しねぇぞ〜? なっ、パロム!」 
「おーっ!」 
「フッ、こちらのセリフだ。なぁ、ポロム?」 
「はいっ!」 
カイン、エッジチームにペンと皮紙渡し 参謀が司令官に説明する用兼チーム内で作戦会議する用 
先攻後攻じゃんけんで決めてゲーム開始 子供の意見を聞きながら進めていく形 合議の末に大砲を南へ一マス動かし、パロム軍に行動権が移ったところで、ポロム司令官が血相を変えて卓の上に身を乗り出した 
「待って! 今の無し、無しにしてくださいませ!」 
 盤上に覆い被さってうーんうーん考え 歩兵を手にしたパロム司令官にやにや 
「へっへー! ”待った”一回したら、おやつ一個ね!」 
「い、いいですわよ。カインさんっ、作戦変更です!」 
「ああ。」 
意外にもポロムが一番熱くなっているようだ。カインは大砲を元の位置に戻し 
 結局勝負は千日手に 帰って来たら続きをやろうってことで眠った子供達に毛布掛け 
 
 カイン旅の準備終え その後貯蔵棚から酒瓶を取る 氷室の氷砕き杯に放り込み 
「エッジ。」 
木戸の向こうの雨音を見ていた忍者に酒瓶と対の杯を掲げてみせる。 
「お、珍しい。こりゃ当分上がらねぇな。」 
「そうか要らんか、悪かったな。」 
踵を返した瞬間、脇を駆け抜けた一陣の疾風が酒瓶を確保した。 
飾り気の無いグラスに純度の高い酒を汲む 二人無言で掲杯交わし 
「子供達どうしよう?」 
きしんで杯の壁を叩く氷の音 双子の穏やかな寝息 
「置いて行くと言って聞くとは思えない 確実に月へ行きたがる」 
氷の表面に砕け水面に溶ける部屋の灯火 
「月は安全か? 月の民の真意は?」 
「どこまでいっても五分五分 しかし、信じられる余地が五分もありゃ充分かも」 
エッジお代わり注ぎ 瓶片手にラベル見てる 
「美味ぇなこれ。」 
「気に入ったか?」 
バロンの大衆酒 王族の舌には親しまぬだろうと思ったが バロンで広く親しまれている食中酒 原料である麦の採れた畑の名(地名)と製造年号だけが書かれた簡素なラベル 
 故郷に起きた異変を解決するため、今や月へまで向かおうとしている 本当に解決に近づいているのか? 
「本当に俺達は正しい道を歩いているんだろうか?」 
「どういう意味だ?」 
当然の問い返し カイン俯き 
「迷ったままここまで来てしまった 本当にこれでいいのか」 
「いいかどうかは分からない いいか悪いかはこれからの話」 
相棒は軽く応じる  
「迷いを抱いた心で本当に事を成し遂げられるのか」 
「おう、好きなだけいくらでも、大いに迷いねぇ。迷うのはいいこった、迷わねぇよりずっとな。」 
エッジの答えは揺るぎない 
「そんなものか……。」 
確かに、洗脳下にある時は”迷い”が全くなかった 
 
翌朝快晴に恵まれ。岩肌の纏う雨上がりの晴れやかな香り。昨夜の雨は、旅立つ者らに最高の顔を向けんとした大地の入念な洗顔だったか 
風向きも良好 煙玉で祈りの塔へ戻り長老と再会。 
「皆、よくぞ無事に戻った!」 
クリスタルは全て揃った。これで月へ行ける ということでやっぱり図書室会議 
 議題に入るよりまず先に、目下最大の懸念事項を確認 聖水アンプルの件 
「人間に使えそう?」 
「トロイアと協力体制が整った。今しばし時間が必要じゃが、大丈夫じゃ!」 
エッジの顔に安堵の色が浮かんだのが見える。また、長老にとっても大朗報 万一ステュクスに寄生されても元に戻る方法が確立されていれば、情報隠蔽が解けた時に民を恐怖に怯えさせずに済む 混乱が避けられる 
※対処法の確立によって祈りの塔の箝口令が一部解かれた 上級職員はワクチン揃うまで一時しのぎの石化要員として必要国へ派遣が可能  
後顧の憂いも減っていよいよ月への表敬訪問 詳細な手順を確認する段階に来た 
「問題の、次元通路の使用方法だが……。」 
資料の写しを卓上に広げる。 
「操作自体は、すまないが、資料と首っぴきで実際やってみなければ分からないとしか言えない。」 
 ひどくまだらで、時系列がばらばらになった記憶。任せておけと宣言したあの日より、おのおののシーンの概形こそ何とか欠けを埋めてきたものの、それぞれを時系列順にうまく繋げられている保証が持てない。 
 旅の合間に読み進めた取説の、次元通路の動作に関して書かれた一枚を手に取る 
「問題は、照準合わせだな……。」 
照準に関しては簡素な記述のみしかない。操作自体は簡単なようだ。目標となる月を探してくれる機能があるらしい。 
だが、問題は算出までに掛かる時間だ。前回使用時は目的地である月が目視できる場所にあった。今回は、最悪全周天をしらみつぶしに探さなければならなくなる。そうなったら、一体どれだけ時間が掛かるのか。 
「月の現在の方向に見当が付けられればな……」 
ここまで来て、やはり難関が待っていた。しかし長老は穏やかな笑みを崩さない。 
「実は、次元通路の起動にあたって、協力を申し出た者がおるのじゃ。」 
「一体誰が?」 
「私の知識がお役に立てれば良いのですが。」 
こつんノックと共に入室してきた声 
「コリオ教授!」 
 地底に通じる井戸の村アガルトに居た天文学者 月を望遠鏡で追いかけていた教授だ 強力な助っ人に一同の顔が晴れる 
 挨拶も早々に、早速席に就いて机に積まれた資料を黙読する教授 さすが普段から書に親しんでるだけあって速読 既読枚数が増えるごとに教授の顔がまるで見えない光に照らされているかのように輝いていく 一行の期待が膨らむ 
「凄いぞ! 思っていたよりずっとお役に立てそうです!」 
読み終わりに紙面を軽く叩いた教授 
※「なんとこの次元転送装置は、奇しくも、”コリオ式自在拡大鏡”と同じ構造なのです!」 
「ジザイカク……ダイキョウ?」 
耳慣れない単語に、カインは首を捻る。教授の研究室にそんなもんあったっけ? 一際目を惹くでかい天体望遠鏡を始めとして、雑多な品が溢れる部屋 一体どれだろう? 机にあった一輪挿しの花瓶みたいな形の模型のことか? 
「はい! この次元転送装置は、友人から依頼を受けて作っている最中の機械と正に同じ作りなのです。お恥ずかしながらずっと頓挫していたのですが、いやはや、劇的な解決方法ですよ! ここを見てください!」 
瞬間、教授の目が猛禽類のそれの光を宿した。 教授、身を乗り出し書類を突きつける 
「全くもって素晴らしい! ※対象物のより精細な像を得るためには、どうしてもレンズの距離を近付けなければなりません。しかしそうしますと、レンズに入る光の量が減り、像を捉えることが出来なくなってしまうのです。ああ、大いなるジレンマ! この問題をいかにして解決したものか……それが、何とここに! ここにその術があったのです! 細いガラス瓶にうまく水を注ごうとしたら、一体どうしますか。そう、漏斗、漏斗を使うのです! ええもちろん、そこまでは私も考えた! しかし! 既成概念に囚われ、柔軟な発想が出来なくなっていたのです! 漏斗で水を集める、その前の段階に着目すれば良かったのです……! なぜ漏斗は水を集めることが出来るのか? そもそも、漏斗とは何か、どういう働きを行う道具であるのか。分かりますか? そうです! 漏斗の曲面は、自由自在に溢れんとする水の流れを変えて整える働きをしているのですね! そう、流れを変える、屈折の向きを変えれば……こうしてはいられない! 精油工房に手配しなければ……あっ、この資料、後で写しをいただけます?」 
堰を切り丸太をも押し流す怒涛の勢いで喋り出した教授に長老がのけぞる。半ば以上目にもとまらぬ速さで駆け抜けた演説は、どうも盛大に脱線したらしい事だけは辛うじて分かった。 
 皆の呆気顔に気付いた教授は赤面し、コホンと咳払いで喉の調子を整える。気まずい雰囲気の中、エッジは頭にわしわしと空気を入れ替えた。 
「あーっと……そんでよ、その……こっちから向こうに品を送るこたぁできるもんかね?」 
「あ、いいえ、あ、はい、すみません。大丈夫ですよ! この次元転送装置では、クリスタルのエネルギーを……えぇ、これはどう訳せば良いのかな? えー……磁力魔法のようなもので枠を作り、その内部にクリスタルのエネルギーを閉じ込めることによって、望遠鏡のレンズに相当する部品を動的に形成しますから……そうですね、つまり、向きをくるっと反対にしてしまうことも簡単なんです。」 
教授は望遠鏡に見立てた筆を手に取り、くるりと実際回してみせる。 
簡単にできるって 良かった 学者による理論の後ろ盾が付くとやはり心強い 安堵が腑に落ちる。 
「えー、それで、照準合わせについてですが、月が去った方向は観測結果から大体割り出して来ました。」 
コリオ教授による解説。普段学徒を抱えているだけあって、手慣れた様子で解説を始める。 
「現在は望遠鏡でその姿を捉えることは出来ませんが、少し前までは見えていましたから、軌道を変えていないことを祈りましょう。」 
コリオ教授持ってきた数式見せ 月が去った方向を計算して出したやつ アガルトから見上げた、カインの目には馴染みのない星図だ。一方、エッジにとってはややずれているが、見慣れた星空となる。 
「最も有力な候補はここです。」 
 扇座の一等星に傘を掛けるように三つの点打たれ 三つの点の正確な中心に×印を濃く刻み 
「とても運が良かったと言えます。月の去った方向が日の光の裏側へ回ってしまっていたら、次の季節を待たなければなりませんでした。」 
「失敗の種類と可能性は?」 
エッジが合いの手 ※ソクラテスの剃刀 机の上で片付けられるものは全て片付けておく 
 
※月の現在値の見当が間違っていた場合は? 
その場合はしらみつぶしとなり時間が掛かる 目安一巡週で正しい位置を見付けられる ただし、可能性は非常に低いものの、現在恒星の裏側となる宙域だった場合、次の季節(一年後)を待たなければならない 
 
※月ではない別の場所に繋がってしまう可能性は? 
同種の装置間でしか接続されない こちらから望遠鏡で覗いた時、あちらも望遠鏡の反対側から覗いて初めて転送できる 同じ望遠鏡の筒の両端 
 
※転送の回数制限は? ※立て続けに使用できないのは分かっている。 
「理論的には何度でも。現実的には、多分厳しいでしょうね……詳しくはもっと調べなければなりませんが、クリスタルは環境からエネルギーを得ているようです。転送機を動かせるエネルギーのチャージにどれだけ時間がかかるかが不明で……送る物にもよるようですが」 
「巨人降臨の際、次元通路起動にかかったクリスタルのエネルギーチャージ時間は一巡週だ。」 
カイン思い出し 一週間ならそう待ちきれない期間でもない  
 
理論はほぼ構築完了。机の上にあったものは大方片付いた。後は実地での実践あるのみ。 
子供達はここまで根気よく付き合っていたが脱落 うつらうつらしてる双子に部屋で休むよう言い聞かせる 
「パロム、ポロム、部屋へ上がって休め。」 
「うー……ヤダ、ニィちゃんたちと一緒にいるー……」 
「皆様と一緒に起きてられますわ……」 
「おう、だから俺様たちと一緒に寝ようぜってこった。」 
エッジカインそれぞれ双子抱き上げ 会議もお開きに 
 机の上の一枚の書類 月の位置を示した天体図 月への切符だ 
 
たっぷり寝て英気を養った一行とコリオ教授、朝食を済ませ準備を整えていざ出発。試練の山デビルロードでまずエブラーナへ。デビルロードの使用が初めてである教授に念のため魔法補助を施し、全員問題なくエブラーナの地を踏む。 
「しかし便利なものだな。」 
白靄を湛えるデビルロードの前に立ったカイン エブラーナのデビルロードは、四方のみに煉瓦を積み風を避けるだけで天井の無い、小屋とさえ呼べないほど簡素なものだ。屋根が設けなかった理由は、エッジの部屋の窓の真下(裏庭)窓から飛び降りればそのまま飛び込めるようにだそうだ それを聞いた時から、もう塞がせることは諦めた  
「まさかエブラーナから試練の山間のデビルロードも計算の内?」 
「いーや、こればっかりは全くの偶然! マジでバロンに通るはずだったんだぜ。」 
「何故だろうな……。」 
「お前が何か妙な呪いでも掛けたんじゃねえの?」 
 エッジは呪い師を真似、ちょいちょいと指先で招く仕草をする。 
「俺にそんな力があるわけがない。あるとすれば試練の山自体にだろう。」 
「セシルさんがパラディンになった場所ですものね。」 
「何かあるんかねぇ?」 
ふーむ? 月の民について、知り得るとも思えなかったことが大分分かってきた デビルロードは月の民の技術 きっとこの怪も、そのうち明快な答えを得られるだろう。いずれ訪れるその日を楽しみに待つのも悪くない。 
前回と反対の門から城へ入り、前回と同じ歓迎が一行のお喋りを止める。 
「ジェラルダインの!」 
杖を付いた剛髭の豪族がのっしのっしと歩み寄る。 
「首尾はどうだ?」 
エッジの問い掛けに豪族はふんと鼻を鳴らした。 
「造作もないわ! あのような化生に遅れを取るなど……エディックの未熟者め、鍛え直してくれる!」 
「まぁそう言ってやるねい。」 
懸念された通り、あれから幾度か少数のステュクス種子出現があったようだ。しかし今のところばっちり撃退成功しているらしい 
そんな事情を聞きながら エッジが使う特殊消耗品の幾つかを補充し  
「出発前にじいやの顔見てっていいか?」 
もちろんと快諾 そして石像じいやに出立を告げるため置き場所に見に行くと 
「まぁ、石頭拝んだところでうぉおう!?」 
じいやと他三人がかさこ地蔵状態になって祀られてる 武運長久とか書いたよだれかけとかかけられて 四体の石像を取り巻く供物の山 
 確かに顔見知りの精巧な石像を放置しておけない気持ちは分かるが、これは何というか明らかにいろいろとやり過ぎだ ※かなり初期の段階で目的を違え、引き返せなくなってしまったようだ。 
「何事だこりゃあ……」 
「確かに、つい手を合わせたくなる気持ちにはなるが……」 
じいやの石像とかいかにも霊験灼かっぽそう 子供が走り来て夕飯に好物が出るようお祈りしていく エッジが子供呼び止め 「じいやさんが何でもお願いかなえてくれるんだって!」って子供答え 
「……俺たちも願っておくか」 
「何でだよ!?」 
双子さっそく手組み合わせなむなむ 
「エッジさんが丁寧な言葉遣いになりますように!」 
「隊長が意地悪しなくなりますように!」 
カインも手合わせなむなむ 
「エッジが真面目になりますように。」 
「止めろお前ら爺の小言のネタ増やすんじゃねえ!!」 
エッジに追い立てられ城を後にする 
 
 昼食を挟んでバブイルの塔入り口への到着を果たした一行は、まず塔の機能回復に取りかかった。カインとエッジがリフトホールを登攀し、地下五階のクリスタルルームにクリスタルを設置する。 
規定の場所に心臓を据えた塔は、照明を一際明るく輝かせ、塔の機能が全回復したことを知らせる。もう電池切れの心配はない。リフトで登ってコリオ教授と双子迎える。 
管制室にてシステム起動。最上階(地上十三階相当だが、地上三階〜十二階はポータルのみ)の次元転送装置へ。 
書面上の文字の羅列でしかなかった学者刺激成分を目の当たりにしたコリオ教授は感激ひとしお 全力タックルの勢いでコンソールに飛びつき、パネル上を指先がはしゃぎ回る。 
機械の設定は教授に任せて、あとは結果を待つばかり と息を付いた直後 
「何てことだ!!」 
教授の叫びが一行の体を金縛った。カインの額にすっと冷たい血が流れる。 
「どうした!?」 
「現在の月の位置が表示されています!」 
コリオ教授は落胆した様子はなく、コンソールと顔を突き合わせている 何と親切設計 起動と同時に勝手に接続先を探してくれたらしい 
「さすがは月の民……といったところか。」 
「至れり尽くせりだねぇ。」 
送信受信設定も画面に表示される指示に従ってボタン一つ いざ次元通路起動 足下が震動したような感覚の後、光の柱が立つ 
「成功です!」 
コリオ教授、手続き完了を高らかに宣言する 次元通路接続確立 
「コリオ教授、留守中危険が迫ったらすぐに逃げてくれ。」 
「ご心配なく。これを持ってきましたから!」 
コリオ教授、ばばーんと書類入れ・バインダーを翳し 金属の留め金で四隅を補強した分厚いバインダー 鈍器としてかなりの威力を誇りそうだ そんな重いもの持ち歩いてたのか教授 学者の一念岩をも軽々 
とにもかくにも、一行互いの顔見合わせ覚悟完了 
「……行こう。」 
深呼吸一つ この星の空気を肺いっぱい詰め込む 四人揃って光の柱の中に足踏み入れ 四人が横一列に並んでも一回り余るくらいの大きさ 
 ポロムが伸ばした手をカイン繋ぎ。きらきら光の粒子が体を包み 光の壁の向こうでコリオ教授が旅の無事を願うサイン 
 ずぅん降下感と共に視界真っ暗になり 
 
 ぱっと光に包まれたかと思えばまた真っ暗 
徐々に目が慣れてくる 見慣れぬ場所 雰囲気はバブイルの塔とそっくり 
薄闇の中に人影がある 
「お前達の来るのを待っていた。」 
声が一歩前に進み。朧灯りがその人物の輪郭を浮かび上がらせる。黒いヴェールを肩に纏った深い樹木の幹の色の髪をした男。 
「ゴルベーザ……!」 
カイン声上げ ポロムじーっ凝視 兜の下の素顔は初めて見る バロン戦役を起こした張本人で、セシルの兄 
「探す手間が省けていいや。」 
エッジ腰帯に手を添える。その利き手の指は柄に添えられている。カイン一歩前へ踏み出す。 
「聞きたいことがあって来た。」 
「ああ、知っている。」 
ゴルベーザの答えが暗い覚悟を強いる 出来ればその答えは聞きたくなかった 
「ならば、知っていることを全て教えてもらおう。」 
ゴルベーザ眉顰め 
「私からお前たちに話せることは何もない」 
「……そうか。」 
力づくで聞き出すしかないようだ 戦闘態勢 剣と槍を向けられゴルベーザきょとん 
「何の真似だ?」 
「そいつも知ってんだろ?」 
ゴルベーザ唸り 
「違う……と言っても、信じる気はなさそうだな。」 
「証明できるのならばな」 
「いいだろう……。そちらがその気なら、身に振り掛かる火の粉は払うまで。」 
 ゴルベーザの周囲に黒い靄渦巻き竜を象る 
「下がれ黒竜。彼らの誤解を解くのにお前の力を借りるまでもない。」 
 しかし、忠実な幻獣は退く気ないようだ 二対二でちょうどいい 双方相手の出方伺い 
そこへ髭の気配。 
――双方、剣を収めよ! 
 重々しい声が響き、気配に振り向く間もなく、双子がしゅるんと白い輝きに包み込まれた。 
「ヒゲ怪獣だー!!」 
「きゃああああ!!」 
相次いで響くいたいけな悲鳴 
「伯父上、子供達に!」 
「パロム! 待ってろ!」 
「ポロム! 今助ける!」 
三人一斉に髭に向けて武器構え 
「……何故そうなるのかね。」 
髭、やれやれと肩を落とす 



九章後編
「本当に申し訳ない……」 
「警戒するのも無理からん。分かってくれたなら何より」 
誤解による非礼を再三詫びた一行は、月の民二人に前後を挟まれる形で月の館の長い廊下を歩く 低く腹の底に響く振り子時計のような音が聞こえるような気がする 音もなく足下を流れては消える光線 外は永遠の夜 この塔は永遠の朝の光を頌えている 
「改めて……青き星の幼き者らよ、そなたらとは初見だな。私はフースーヤ、月の民の眠りを守る努めを預かる者だ。」 
先導するフースーヤ後ろに瞳振り向け 真後ろのパロポロ負けじとかフースーヤじっ観察 怖そうなじっちゃん。 
「月面ヒゲ怪獣……。」 
パロムそーっと髭触りぼそっ。ポロムぽけっはたき弟の手引っ込めさせ。 
「セシルは息災か?」 
最後尾のゴルベーザ、やや斜め前を歩くエッジに?カインに?どちらにともなく 
「おう。ってもしばらく見ちゃいねぇが、多分な。」 
カインが返答如何に迷う手間を省き、エッジは後ろ頭に腕を組む。 
「そうか……。」 
 森閑とした廊下に息を潜める行列の足音。二度突き当たりを曲がり、まだ続く白い通路。 
「月って何もないや。」 
 代わり映えのない風景に飽いたパロムが後ろ頭に腕を組む。 
「とても寂しい感じですわ……。」 
少女も寒そうに言う。初訪問の子供たちの感慨が今一熱を帯びたものにならない理由は、次元通路によって瞬間に距離を飛び越えたせいだろう。また、自分と恐らくはエッジも、二回目の訪問であるということを差し引いても、やはり感慨に欠けるのは、前回よりも月の民に詳しくなったせいもあるだろうか。やや歩を早めて親友の伯父と並ぶ。背かさが自分と同じくらいの痩せた老人。長い年月を生きたと言っていた。老人の視線が触れ、穏やかな笑みが口髭に含まれる。肩越しに視線をやると、かつて恐怖の象徴だった存在が視線を合わせ、やや首を傾げてみせる。 
自分たちと変わらない、普通の人間の仕草だ。 
 行進は最後の扉に行き当たった。バブイルの塔と同じ仕掛けが扉横に見える。管理者が壁のボックスに枯れた手を翳すと扉が開く。壁の裏側の見えないエネルギーと仕事の流れを目で追うカイン 
中央に演説台を備えた講堂のような場所 士官学校のそれと同じく、両脇に長机と椅子 フースーヤの後に付いて演説台の間近まで歩きそこで停止 フースーヤが演台に手を翳すと青白いスクリーンが立ち上がり 一行の顔を青白い光が照らす 
「改めて……永の旅路をよくぞ参った、青き星の民よ。我々の知識は、青き星で起こっている神秘に対して、より明細な輪郭を与えることができるだろう。」 
スクリーンにステュクス映され まるで今にも動き出しそうな鮮明な映像 
「ステュクス!」 
「さよう。そなたらの言葉でステュクスと呼ばれる生物は、我らの星に生きるプロカリョーテと同じ系統に属する。これは、惑星の最も原始的な生命の直系だ。」 
スクリーン変わって生命の系統樹映し ステュクスを幹として無数の枝が広がる 枝を随分上の方まで遡ってみても、見知った生物の姿が無い 途方もないスケールを突きつけられ一行呆然 
「伯父上、彼らは――」 
「分かっている。生物学の講義を行うつもりではない。」 
ゴルベーザの進言にフースーヤ頷き、一行に向き直り 
「そなたらは、今、青き星に起こっている異変の真実を求め、ここへ参ったのだな?」 
一行頷き 
「それを説明するためには、少々長い話が必要となる。掛けなさい。セオドール、客人にもてなしを。」 
ゴルベーザ、一礼して下がり 
「今回の異変は、先のクリスタル戦役に端を発している。」 
老爺の一言がこれであることは、ゴルベーザを下がらせたことから何となく察しは付いていた 
「では、やはりゼムスが!」 
 老爺は髭に手を添え、勢いづく言葉と距離を取る。その表情は、否とも応とも答えあぐねている様子だ。 
「……事情は複雑だ。あれは、人の手から作り出されたものではなく、そなたらの星の特異な環境より生み出されしもの……。」 
 言葉の終わりに思慮深い唸りを置いた老人は、改めて一行に面と向かう。 
「例えばこう考えたことはないか――星もまた一個の生物であると。」 
 突拍子もない仮定に、得体の掴めぬ顔をするしかない一同を見渡し 
「大地が肉体、大地に宿り様々に変化するそなたらのような生命の活動が心。先のクリスタル戦役により、惑星に暮らす多くの生命が失われた。それは即ち、星という生物において、心が深く傷ついた状態に陥ったといえる。」 
「それとステュクスとどう関係するってんだ?」 
エッジ焦れ 
「心が傷ついた時、人は癒しを試みる。星もまた然り――今そなたらの星で起きている異変は、まさしくその癒しなのだ。」 
フースーヤ、机の上にやや乗りだし手組み 
「大いなる光――そなたらの星ではそう呼ばれているな。それこそ、そなたらの星の”魂”だ。大いなる光は、そなたらの星に於ける魔法という類い希なる技術の発達を助け、のみならず、多種多形態の生命――本来不可能な筈の亜空間生命、幻獣との共存までも実現した。その魂が、今、目覚めようとしている。クリスタル戦役によって急激に失われた生命たち……すなわち、深く傷ついた心を癒すために。」 
「つまり……」 
「復元(再構築)が行われようとしている。具体的には、星の状態を最も安定していた時期まで戻して、つまり深く傷ついた記憶を忘れて、『やり直す』のだ。」 
やり直し 思いもよらない言葉に一行の表情が止まる。 
「やり直すったって……一体何をどうしようってんだ?」 
「容易ではない。複雑な手順をもって段階を経て行われる。第一段階は変換――※ステュクスは最も単純な生命の形態。(厳密には、今そなたらの星に出現している変異ステュクスは、かつて存在した植物のステュクスと全く同一のものではないが、同一とみなすに足る条件を備えている。)先に示した通り、生物の進化は系統樹を成しており、最も初めの分化が現れた直前にステュクスが存在する。現在の異変は、進化を逆さまに辿っているのだと言える。生まれ落ちた時さえ越えて遡り、遙かな過去へと」 
「人間も?」 
「否。※人間を始めとして数種の生物は、ステュクスへ直接変換できない。※ステュクスによる変換は、糾った縄を解き結いなおすのに似ている ”魔力”は複雑に糾われており、解くのが難しい そこで、ステュクスの種子を用いて、霊的特質を宿す脳・知性を初めに解体する。※病のようなもの ステュクスからより多く進化を経て隔たった生物ほどステュクス変換への抵抗力が高い」 
 老の推測は正しい――実際に、バロンの飛空挺でもエブラーナでもステュクスは人間の脳に寄生していた。推測の正しさは、つまりこの老人が遠く離れた星に起こっている出来事を正確に把握している証拠になる。ということはつまり、推測の裏付けとなった知識も嘘ではないということだ。 
「捨て置けば再構築は着実に進行し、ほどなくそなたらの星に生きるもの全てステュクスに変じるだろう。」 
老人が簡潔に描いた未来の地獄絵図が一同を押し黙らせた。 
他の生命体が全てステュクスになった環境 どれほど抗おうと最早無意味 確実に無数の種子に呑み込まれる 
「これまでのこと全て無かったことにしちまおうってか……冗談じゃねぇな。」 
エッジが一行の意見代表 
「眠り星の災禍……」 
 リディアの預言が蘇る。眠り星とは青き星、眠っていたのはその魂である大いなる光のことか? そして、災禍とは大いなる光の目覚め=リセットのことなのか。故に予定されていた必然と 
「その、再構築とやらを止める方法はあるのだろうか?」 
「ある。一部の旧きもののみに影響が留まっていることから、まだ再構築の取り掛かりにあると推測される。よって今ならば、そなたらのみの行動――少数による工作で対処可能だ。再構築は一筋縄ではいかないとても複雑な処理。何でもそうだが、新しいことに着手する際が最も労力を要する。現在は、大いなる光に従って星の全てが再構築に手一杯な状態、つまり、星そのものに大きな負荷が掛かっている状態だ。そこを突く。」 
老人の目は鋭い 安穏と暮らす楽隠居のそれではない 
「星に更なる負荷を掛けてやるのだ。※大いなる光は車輪を回そうとする 無理に車輪を止めようとしても駄目 そこで、逆に車輪の加速を早めてやる 大いなる光は車輪を回すのを自らやめる」 
「例えばどのように?」 
「我ら月の民がそなたらの星に残しし施設を利用するのだ。クリスタルは星のリソースを大量に消費する。全施設のフル稼働を行えばシステムビジーを招くことが出来る」 
老爺は瞑目する。 
「しかしフル稼働続けると星のリソースあっという間に使い潰してしまう ※我らが母なる星はそれで滅びてしまった」 
今は亡き星の最後の輝きが老の言葉を一度止める。 
「従って、リストア中断後は施設を壊さねば」 
「リストアを止めるということは大いなる光を消すということか?」 
「消す?いいや消えない。大いなる光自体は変わらず存在し続ける。再構築が止まった後は、いわば通常運転に戻るだけ」 
 質問を満たした後に、老人は続ける。 
「先には比喩を用いたが、星はいかなる意味に於いても、我々のように生きているわけではない。意志は存在しない。再構築は大いなる光の『望み』によって引き起こされるわけではない。」 
「問題はないということか……」 
 やらないべき理由は見つからない ただ一つ、月の民を信用するかどうかだけ 
「これが唯一我らに出せる案。後はそなたらの決定次第だ。」 
銀の茶盆に茶瓶と椀携えてゴルベーザ戻って来 それぞれの前に椀を置いてやや慣れない手付きで茶を注ぐ かつて大悪として星に君臨した人間の給仕姿とはなかなか見るに壮絶な 目の前に置かれた丸いグラスから立ち上る匂いにカインは馴染みを感じる 
「その香茶はバロンのものだ。」 
とゴルベーザ 皆の手が一向に伸びないのを見て、間近なエッジの椀に手を伸ばし、一息に呷って空にした底を示す。 
「この通り無毒だ。安心するがいい。」 
新しい椀に新しく注ぎ直しエッジの前に置く。 
「ああいや、そういう訳じゃないんだ。」 
星を越えて故郷の味に出会うとは 茶を口に含んで考える しかし考えるまでもなく、一人で結論を出せるような問題ではない。 
「しばらく時間をくれ」 
「無論、構わない 我々は席を外そう」 
「合議に達したら呼んでくれ」 
フースやから呼び鈴?アラームを渡され 部屋には一行だけが残された 
さてどうするか なんかえらいでかい話に 
パロムがはいはいって両手上げ 
「最初に、オイラたちの意見いい?」 
「ああ、聞かせてくれ。」 
議長の快い返事を受け、双子はうんと頷きあう。 
「オイラたち、ニィちゃんと隊長に付いてくよ!」 
「お二人が決めたことなら、きっと間違いありませんわ!」 
彼らは自分たちが正しい道を選択することを信じてくれている。カインフッ笑い。 
「……ありがとう。」 
双子にっこり笑顔並べ 決意表明を終え、それぞれ書き物を出して会議に備える 
「お前さんは?」 
論点の整理をしようとした矢先、エッジがそのままの流れで議論をすっとばしていきなり決議に入る 
「すまない、保留とさせてくれ。お前はどう思う?」 
「俺ァどこまでいっても五分五分だ。信じるでも信じねぇでも。」 
体よく決断から逃げたのか、それとも既にその心は決まっているのか。 
さて、逆転プロセスで既に結論は、多数決によって出てはいるが 論点整理・検証のターン 
「月の民の言うことは信じられるか?」 
この部屋での会話が彼らに聞こえていないという保証はない。こんなことを言えば気を悪くさせるかもしれないが、こちらの疑念は織り込み済みだろう。 
この場合、信憑性を勘案すべきは二点 異変のからくりと、リストアのからくり。 
※異変のからくりに関して ステュクスに寄生能力を与える――それが、どれほどの労力を払えば成せるかを考え、現状と照らし合わせてみれば、逆説的に答えが出ているようなものだ 黒幕(?)は星そのもの、途轍もない話だが納得はいく 
※次に、リストアのからくり 
「……リストアを引き起こしたものが大いなる光、自然であるなら、それは起こるべくして起こった、つまりは正にリディアの言葉にあった『予定されていた必然』、自然の摂理とも言える。自然の摂理に反するのは、あまりに人間の身勝手ではないか?」 
先程保留した自分の意見 やる、と即答できなかった内訳 
「たかが人間の身勝手ごとき、自然の摂理の内なんじゃねえかな?」 
諦めの結論に落ち着きたくない気持ちを察してか 
「といっても、星と喧嘩がどうこうの是非はさすがに語れねぇ。だから原点回帰しようぜ。そもそも、俺達は何をしに一体ここまで来たんだっけな? 俺達は調査隊、つまり、しょげもばの正体を調べ、被害を食い止める方法を見つけるためにここへ来たんだ。で、爺さんらから推理・情報を得られたわけだろ。となりゃ、検証しにゃならねえよな。巧くいったなら爺さんらの説が正しいって証明になる。ダメならその逆、調査を続けなきゃならねえってこったろ、単純な話。」 
空椀の底を呷ったエッジは、ばつ悪そうに椀を机に戻す。言葉こそ軽調だが、深慮――茶を飲み干したことさえ忘れるほど――から生じたものだと分かる 
「これまでお前さんをリーダーと仰いできたが、今回ばかりは、もし意見を異にしたなら俺一人でもやるぜ。」 
「そうか……。」 
カイン瞑目 後は自分の意見だけだ 
目を開き、居並ぶ顔を見据える。最後にエッジの顔で目を止める。 
「お前を止められるとは思わん。俺も乗る。」 
「いいのか?」 
「消極的選択ですまん。ただ……自然の摂理が絶対ならば、俺たちが何をしたところで無駄だろう。それなら、やれることは全てやっておいて損はない。」 
あまりすっきりした結論には至らなかったものの、アラームを押す 
「心は決まったか?」 
「ああ。策を授けてほしい。」 
「月の民の施設を起動させるっつったな。バブイルと祠?」 
「祠はクルーヤが個人で作ったものでクリスタルシステムは使っていない。弟は星を疲弊させるクリスタルシステムを嫌っていた。」 
ただ淡々と事実を伝えるその言葉からは、亡き肉親に対する感情は測れない。フースーヤがスクリーン切り替え青き星映し出し 
「ゾット無き今、バブイルだけでは充分な負荷を掛けられるか難しい。そこで、だ……月の民の祖がそなたらの惑星に建造した塔は三つあるのだ。空のゾット、陸のバブイル、そして――」 
「海、か?」 
「その通り。」 
 若き君主の明察に老爺は重々しく頷く。 一発で正解を引き当てたエッジにカインは驚く 
「そんなことまで知っていたのか……!」 
「まさか。俺らに知れてねえ場所ったらそう多かねぇだろ?」 
 エッジは笑い、単なる推測であることを明かす 
「海のどこに?」 
「海底遺跡ウル――バロン領海に存在する。」 
スクリーン上に光が集まり、バロン沖を示す 
「※手順説明 まずは月からバブイルをハッキングして起動 バブイルのシステムからウルのシステムへ接続し、ウルの管理権限をハッキングして開放(バブイルの方が新しい施設のため、ウルの管理システム(古いリビジョン)の脆弱性を突ける) その後、施設間ワープゲートを使ってウルへ赴き、フル稼働と破壊までを操作する(ウルは海水に阻まれて月から直接操作できない フル稼働はともかく、破壊の方は現地操作必要)バブイルの破壊はウルと連動させる。」 
「ワープゲートの他に入口はないだろうか?」 
未知の場所のいきなり最深部へ飛び込むのは危険に思える。自分がどこにいるか・位置情報を確保しておきたい 
「地下搬出口からバロンの陸地まで抜ける通路がある。」 
ワイヤフレームで描かれた施設の図解。四方に伸びる腕のような通路のうち、向かって左の一つが拡大され、その上に陸地を示す線が重なる。 
「もう少し地形情報を出してもらうことは可能か? 出来れば正確な尺度も。」 
「心得た。」 
等高線が砂浜など地形情報と縮尺が示される。それらは脳裏でレンダリングされ、目に馴染んだバロンの鳥瞰図を描く。カインは頭の中でスクリーン上の線図と現在のバロン地図を重ねる。 
「間違いない。入り口はバロン城、主亡き玉座の間付近だ。」 
「※バブイルをフル起動すると巨人も同時に起動する ※巨人には前回のワークジョブが残っている状態(ゾンビ)だが、害のないようこちらで制御する 巨人のハッキングは、メイン制御システムがもう無いからそう時間は掛からない ※作戦開始時間は……準備の時間が必要だろう、猶予はどのくらい必要か?」 
問われ バロンへの移動自体はさほど時間を要さないが、念のため猶予を多めに取る 
「……半日。」 
「ではそのように。」 
老爺は重々しく頷く 施設破壊の操作手順と地図を、紙に写し書きしてもらい 
「物の序でだ、保険を貰っておきてえな。万一失敗した場合のプランBは?」 
「クリスタルと同じく星そのものに働きかける力・魔法と幻獣 中断ではなく、同時進行でデータを上書きしていく形の策 力技 幻獣との協力必須」 
「幻獣界は避難している」 
エッジ複雑な表情 
「避難というか、実際は現世との接続を拒絶されつつある もし同時進行でデータ上書き手段だと、良くて半数、最悪全ての幻獣の存在が代償となる その方法は恐らく高位の幻獣が知っている」 
もう一つ保険 カイン思い立ち 
「中断を中止する手順は?」 
「炎 そちらの子供は黒魔道師では?」 
「天才黒魔道師パロム様だぜ!」 
ポロムせわしくメモを取る手を休めてぽかっ! 
「制御室で炎使用すれば中止 制御室は火気厳禁 三十秒以上継続して二千度以上の炎燃焼を感知すると、強制的にセフティモードへ移行しロックが掛かる 月の民は発熱・燃焼装置を動力として用いないため」 
二千度というと飛空挺の炉と同じくらいか 
「恐らくは――」 
フースーヤ立ち上がり 
「非常に困難な行程となるだろう。今事態の発端は、我らが同胞ゼムスの犯した過ち。力を貸そう。」 
「いいえ、これだけ協力してもらえれば十分過ぎるほどです。」 
フースーヤに礼をするカイン エッジにやり 
「手前の未来は、手前の手で勝ち取らぁ。」 
フースーヤ瞑目 エッジの放った傲慢な言葉に呆れているのか 豊かな髭に隠された心はよく見えない 
「セオドール、彼らを転送ポートへ。」 
ゴルベーザ、伯父に肩寄せ耳打ち 
「青き星への降下を許可していただけますか。」 
今回の件の重責は自分にある。クリスタル戦役を企図したのはゼムスだが、その手足となり直接手を下したのは自分 今に至り青き星の民を苦しめる混乱は全て自分が招いたにも等しい 
「彼らの言葉を?」 
 伯父に問われ、ゴルベーザ口噤み 
「彼らの未来は、彼らのものだ。」 
フースーヤ、一行の背中頼もしげに見つつ 
「我らにも彼らほどの覚悟があれば、母なる星を失わずに済んだやもしらんな……」 
 
めぼしいものを片端からというか、欠け落ちたタイルすら懐に入れようとするエッジの世話に辟易しているカイン 
ゴルベーザが静かに一歩分歩み出る 
「……さらばだ。」 
「世話になった。」 
略式敬礼を返す 
「待ってくれー、まだ物色してねぇ〜!」 
「馬鹿者、置いてくぞ!」 
ゴルベーザ、少し離れた次元通路コンソールに移動しパネルを操作する 次元通路起動し光の柱立ち 眩い光の柱に向かって歩きながら 
「いいか、俺達は協力を得に来たわけであって、物乞いに来たわけでは断じてない!」 
お説教を右から左でエッジが懐から取り出した月の石 
「どうよ、月の石ころ! 好事家がどんな値付けるか賭けようぜ!」 
月の石で夢広がりんぐ 
王族とは到底思えぬ商魂?逞しさにカイン最早ギヴアップ がっくりすると同時に光に包まれ転送 
四人の姿転送されてきてバブイルの塔 がっくりと肩を落としたカインを見て 
「うまくいきませんでしたか……?」 
コリオ教授おろおろ 
 
一方その頃 バロン 
まだ蝋燭が必要な時刻 薄闇の中 しかしこれから光が昇る 
セシル机の上整理終え、鎧装備 これを着るのは久しぶりだ 願わくばこの鎧に戦傷が増えなければいいのだが 
「失礼します。」 
呼ばれて飛び出て若き近衛兵 セシルの格好に怪訝顔 
「朝早くにすまない、ちょっと出掛けてくるよ」 
「どちらへ?」 
 質問には答えずセシル薄く笑い 自嘲と決意の現れた口元 
「詮索は近衛兵の務めじゃないはずだ。」 
書類託され ケルヴィン一読してやや目丸くし  
国民の総退避 城および城下町の完全閉鎖 期限は翌々朝まで 相当無茶で、前例のない命令 
「難しい役目だが、きっと遂行してくれると信じて命じるよ。もし、期限を過ぎても僕が戻らなければ――」 
「陛下!」 
言葉を止められた王は苦笑する。 
「……皆に、何も心配ないと伝えてくれ。」 
 緋色のマントが翻り セシル去る 
為す術無く爆弾発言を記した書類に目を落とす。この書類がもたらす波紋を考えると気が重い 
新王と諸侯の関係は就任期間から考えれば相当に良好といえるが、当然その信頼はまだ鉄壁に遠く及ばない。新政権樹立直後は接着の甘い状態の壁。そこに叩きと修復を幾度も繰り返していくことで、国家を盤石なものとする。 
セシルを新王とするにあたって選帝議会の半数は懸念の声を上げたが、玉座を長く空とすることによる権威霧散に対する不安が勝った 戦後の混乱期であることも一刻も早い新王就任を求める心に拍車を掛けた 新王は彼を於いて他になく、就任は今を於いて他にない 
しかし、情勢は新政権の慎重な足固めを許してくれない 一ヶ月前の国境封鎖政策。 
諸侯に半ば懇願により通された、新王体制となって初となる大規模な対外政策 先の戦が残した国内経済へのダメージを回復する目的での完全鎖国――人と物両方の輸出入を収穫期後まで凍結 苦渋の決断の末にぎりぎりまで妥協を重ねたものではあるが、非常に危険な政策 
 
※バロンは油砂や鉄鋼加工品をダムシアンから輸入し、ダムシアンは食糧(小麦)をバロンから輸入している(食糧と工業製品のトレード) 燃料である油砂はともかく(今のところ自国生産の綿実油が庶民の使用する主な燃料)、鉄鋼やその加工品は輸入しないでも当面何とかなるが、食糧は死活問題 
 バロンの輸出入全面停止は、戦後の立ち上がりに努めるダムシアンの主要産業のみならず、市井の生活にまで重い足枷を嵌めることとなる 
 そもそも、前王の時代以前より、自国領土に農耕に適した土地を持たず常に食料自給率の低さに悩むダムシアンと、肥沃な農地を自国領土の大半と有するバロンは緊張状態にあった 両国の境界となるミスト山脈が陸上の兵站線こそ塞いでいるが、ダムシアンは海軍国ファブールと永年友好条約を結んでおり、また、バロンは飛空艇の開発により、ダムシアンの北部砂漠地帯で採れる油砂を燃料として大量に必要とするようになった・大規模需要 ただでさえ何かあれば戦火が容易に燃えかねない情勢の中で起こってしまった、赤い翼によるダムシアン城強襲 クリスタル戦役を終えて後も大規模な戦争への引き金となりかねなかった危機的状況 これを平和裏に治めることが出来たのは、新王となったセシルと、これまた新たに就任したダムシアン現王の友情だった 
 
 国境封鎖が強いたのは、友人と国民という、どちらも裏切れない過酷な天秤 どちらの皿に重石を載せるかの決断が、新王の心を大きく削ったことは想像に難くない それは、政策を挙げてきた諸侯に対する反感のような感情となって、信頼の壁に皹を入れたのだろうか――会談の席で、輸出入停止宣言を受け、白い顔で静かに去りゆくダムシアン王を見送り、言葉もなく項垂れていた姿が忘れられない 
 そして運悪く起こった飛空艇の失踪 王から直接下された戒厳令によって不信を突きつけられる形となった諸侯、特に陸侯は忠誠心を直に疑われる形に 更に続いた相談なしの仕官の大規模一時解任 そして―― 
※聖騎士王という信用担保は果たして立て続く疑惑行動・不満を埋め合わせできるほど残っているだろうか 
 あまつさえ、伝令は他ならぬ自分――嫌でも考えてしまう一年前の事件との不吉な符号 
ケルヴィン廊下うろうろ 
――あれは本当に本物の陛下なのか? 
――自分もまさか父のように既に人知れず魔物に? 
 端から端まで何往復したところで、答えが落ちているはずもない。 
――陛下に疑いを持つなど言語道断 しかし、一体どうしたら 
「何じゃ、こんな時間にこんな場所で何しとる?」 
声を掛けられ始めて、どすんどすんと地を揺らす彼の接近にまるで気付かなかったことに気付く。ケルヴィンは狐につままれたような顔でシドを見た。 
「技師長こそ、どうしました?」 
「セシルに話があるんじゃい。」 
ケルヴィン迷いながらも通せんぼ 
「なぜ邪魔するんじゃ、どかんか!」 
「陛下は……――」 
まだお休みです、繕いを結びきれず黙り込む。 
「セシルはおらんのか?」 
ケルヴィン無言で目伏せ 
「こんな時間に供も連れず、一体どこへ行ったんじゃ?」 
問いただされても答えられない シド、ケルヴィンの手から書類ばっと奪い一読 読み進むごとにどんどん口端をひん曲げたシドは、遂には般若の面付きになり書類をどすっと突き返し ぐるりと踵を返すシドの背にケルヴィンは慌てて追いすがる。 
「技師長、どちらへ?」 
「ミシディアじゃ! カイン達を連れて来る!」 
「ハイウィンド卿一行は脱獄の罪に問われているんですよ? みすみす――」 
「みすみす、何じゃ? 奴らをまた牢にぶちこむか!」 
ケルヴィン気迫に押され口を閉じることも忘れ 
「いっそワシも牢にぶちこむか! そうやって、この国を案じ、異を唱える者たちを全て牢に繋いでしまうがいい、この国の民が全て牢に消えるまでな!」 
シド、ずいっと詰め寄り 
「ケルヴィン・ベイガン、貴様は近衛兵の仕事を何と心得る! それが分からんならとっとと辞めてしまえ!」 
シド自身、そんなに近衛兵のことを知っているわけではない だが、あの時――完成間近のエンタープライズの図面を盾に城へ単身突撃して来た平民を、決して歓迎しないまでも無碍に追い返すこともせず、前王と直接話す無礼を見逃した前近衛兵長。その険しい顔には、自らの信念に基づき国に忠誠を尽くす兵としての誇りがあった。 
 その名と面影を受け継ぐ青年は開け放していた口を閉じる。その足が後退り、進路を空ける。 
 やがて明け方近く、一隻の飛空挺がバロンより飛び立った――クリスタル戦役の幕を開けたミシディア遠征と、正に同じ日、同じ時刻に。 
 
 



十章前編
 故郷の空気をゆっくり体に馴染ませている時間もない。一刻も早くバロンへ向かわなければならない。エブラーナ城へ向かい、デビルロードを乗り継ぐのが最も早足だろう。 
 一行の帰りを待つ間に教授が設えた簡易書斎を手早く片付け、塔からの引き上げ・撤収にかかる。 
「巨人が動くっつってたな、城へ一言言っておきたい。念のため連中を地下へ逃がす」 
「それがいい。教授、ミシディアへ戻るがよろしいか。長老に伝令をお願いしたい。」 
「はい、構いません。お安い御用ですよ。」 
 万一失敗した時の案も纏めたポロムの報告書を教授に預ける。教授は受け取ったそれを護身用バインダーにしっかりと挟み込んだ。 
白い壁に覆われた制御室に気忙しい足音がばらばらと散らばる。その時、一行の足を大きな震動が絡げた。散らばっていた足音が一斉にバランスを失い途絶える。カインは転げたパロムを押さえがてら姿勢低く片膝を付き、揺れが収まるのを待つ。 
 フル稼働開始かと思ったが、揺れの様子はどうも外からの衝撃が加わったことを感じさせる 外の様子を見るためベランダへ出てみる 
柵の下から沸き出てきたものに、カインは声を失った。 
※意志を持たない虚ろな眼光。体中を走る血管のような青白い光に象られた巨大な人影 バブイルの巨人 
 巨人の体がぐらりと揺らぎ、塔に右肩タックル 
「きゃあっ!」 
 先程より大きな衝撃に襲われ、ポロムが堪らず悲鳴を上げる。 
カインの脳裏を無数の答えの無い同じ疑問が埋め尽くす。何だこれは 何でもう巨人が動き出すんだ 
「おぉい、気が早過ぎだぜ爺さん!」 
 エッジが頭を抱える 
 巨人の胸甲を囲むモールドに光が走った。 
「伏せろ!」 
カインは叫び、双子の上に覆い被さって伏せる 間一髪、叫び声が消えない内に、でたらめ熱線びー 爆発音に続き、不気味な振動 顔を上げて着弾地点を確認する。沿岸の大地に酷い焼け焦げが ちょうど洞窟入り口 
「やい巨人! 迷惑掛けないって言ったじゃんか、嘘つき!!」 
 勇ましく立ち上がったパロムが約束違いを咎めて吠える。 
「フースーヤ様、嘘をついたのでしょうか……?」 
 ポロムは堅く握りしめた杖に不安を預け、カインを見上げる。 
「いや、騙すつもりならば、注意を促したりしないだろう。」 
※ 故意も事故も除外してしまえば、残るのは※犯人が別にいる可能性、つまり誰かが自分たちと同じことをやろうとしてるのか? 月施設多重起動のシステムビジー しかし、騙された論と同じくらいあり得るとは言い難い可能性だ。 
※月の民に騙すメリットはないが、しかし、彼らの他に遺跡を動かせる人間は――いる、たった一人、この星に。 
「こ、これが、バブイルの巨人……!」 
コリオ教授、息も切れ切れの振動する体を支えていた両膝がついに力を失う。へたり込んだ教授の介抱を双子に任せたカインは、しかし為す術無く欄干を掴む。 
 どうする――どうすればいい。 
 ウルで犯人捜しをするにも、まず現状目の前で起きている事態の解決が先だ。巨人をこのままにはしておけない。 
 解決の糸口を求めて見つめる眼差しの先では、巨人が我が物顔で大地を踏み荒らす。まるで五里夢中を手探りするかのような動きだ。 出鱈目で予測が付かない 制御された動きでは到底ありえない。 
「そんなにエブラーナが嫌いかこの野郎!」 
国王をして、国土を蹂躙する無法客に罵倒を浴びせる他に打つ手がない 
現在の巨人は人間で言うならば生前の記憶に従って動いているゾンビのようなもの 拙いことに、巨人に残っている最後の『生前の記憶』は青き星の生命の駆除――明確な意志なき現在、相当に無駄は多いが、どのみちこれだけのサイズの物が動き回れば早晩目的は達成されてしまう。 
塔を揺らして巨人の腕が覆い被さる。欄干を掴んで振動に耐えたカインの目前に、腕をくぐり抜け現れた飛空艇 
「シド!?」 
飛空艇のデッキで舵取るシドが大声張り上げ。 
「バロンに来てくれい! セシルが大変じゃ!」 
シド舵切って巨人の動きと動きの隙に強引に船体をねじ込み 塔に接近を試みる 
 船尾に掲げられた旗の模様が見える位置まで近づいたその瞬間、巨人の胸から再び光が溢れ 熱線が上空へ向かって真っ直ぐ伸び 咄嗟に翳した腕を高熱が炙る 
 瞳孔に焼き付いた光の残滓 蛍光緑に浸された視界に必死に飛空艇を探す。巨人の背後に無事に飛んでる 良かった安心 呼吸を取り戻すも、その船首が再びこちらに振り返り接近を試みている 
「離れていてくれ!」 
一定距離へ近付くと巨人の自動迎撃が反応する カイン、バルコニーに立って手振り合図するも、巨人が衝立となって邪魔で連絡が通らない この距離では無論音声も届いていないだろう。 
シドの飛空艇が再び接近して二度目のビーム シド、巨人の迎撃システムを把握したよう 距離を取って旋回 まず懸念が一つ減ったが、しかし 
――何とかしなければ…… 
 胸を灼く焦りに促され、巨人との距離を測る。近くはないが、飛べる。 
「カインさん?」 
「内部から停止させる!」 
カイン欄干踏み 瞬間、腕ぐい掴まれ 
「よく見ろ! あれが一人でどうにか出来る代物か!?」 
 相棒の指の先に宿る巨大な影を見据える。カインは呼吸を吐き下ろす。 
 制止されて見れば、自分が越えようとしたものの正体に気付く。欄干の先にあるのは焦りという名の魔獣の口だ。危うくまんまとその中に飛び込むところだった。 
「……すまん。」 
「お前だけにカッコイイ真似させるかよ。」 
 とエッジにやり、一転表情を引き締め 
「この塔、何か武器ァねぇのか? そのものでなくとも、転用出来そうなモンは……」 
 エッジはベランダから身を乗り出し、塔上部を仰ぐ。 
「地底部にならば、長距離砲がある。」 
発射管制装置は使えなくなったが、砲部分は無傷で残っているはずだ。しかも発砲間際だったため弾丸の装填も済んでいる状態だ。マニュアルで発射できる。 
「大分マシなモンが出てきたじゃねぇか! よし、考えようぜ。」 
拳を打ち合わせる軽快な音を横目にカインは腕を組む。 
 地下九階にある巨大砲 もし砲撃可能なのであれば、既に一案頭にある。砲自体を地上まで持ち上げることはできない 仰角を最大に取って地底の天井――地表の地盤を破壊し、巨人の足下を崩すのだ。砲の口径から考えて、十中八九穴に嵌めることが出来るだろう。胸まで嵌るだろうから、胸部の発射レンズを塞げる・ビームを封じることが出来る。移動とビームを封じてしまえば乗り込んで停止させるのは容易だ しかし、この案を採れば、地底――こちらは幸い、着弾地点直下及びは人里からかなり離れているが――は元より、エブラーナの国土が被る被害は甚大なものとなる。場合によっては、巨人が暴れまわるより被害が大きい。エッジは、それでも構わないと言うだろう――故に躊躇われる。 
「何しろ地底ってのが難点だな、どうかして引っ張り上げにゃあ。」 
「ああ……」 
 察しの良い相棒に気取られぬよう、沈慮の素振りに答えを濁す。シドの飛空艇眺め シドの飛空艇とていつまで飛べるものではない。燃料もそうだが、これ以上日が落ちたら視界が利かなくなる。 
それは無論、当のシドこそが他の誰より承知しているだろう。見事な操舵で飛空艇を操り巨人の動きの隙を縫う。迎撃の来ない距離を測り、何とか塔に寄せようとしているようだ 
そんな時突然、大砲の爆撃音 何故? 飛空艇の搭乗者はシド一人で操縦してるから火砲は使えない。一体誰がどこから――惑う視線の中、再び火線が斜め下より走った。 
 欄干から上体を投げたカインの眼が下界を捉える。 遙か塔の足下で、黒点の連なりがどんどん伸びる。前後車輪を取り巻く鋼板帯の奏でる独特の音が塔を螺旋に駆け上り、一行の耳に届く。 
「地上の友胞よ、ジオット戦車団が参上したからにはもう安心じゃ!」 
黒点の中央から挨拶代わりの空砲が上がる。 
「ジオット王!?」 
思いがけない援軍の到着。バブイルの塔を背に、戦車団が展開する。バルコニーからは豆粒をばらまいたように見える 
※「バブイルの塔が光ったから来てみれば、案の定じゃな!」 
風に割れた伝声管越しのジオット王の声が響く。巨人起動の兆候を見て駆けつけてくれたようだ 
「巨人よ、覚悟せい! 今度は好きにさせんぞ!」 
 威勢の良い宣戦布告が響く。とはいえ、 
「来てくれたのァ有り難ぇが……いかんせん勝てるとは思えねぇ――」 
「我がジオット戦車団に敗北は無ァい!!」 
エッジの懸念に図らずも答える形で王の勇ましい声。 
上から戦車団の動きを見る。カインの視力を以ってしても、個々の戦車の動きを見るのは無理だ。整然と隊列を組んでなお余りある、黒点集合体と巨人との圧倒的な大きさの差。一体ドワーフ達はどうするつもりなのか。 
「『揺りかご』作戦、開始じゃあ!」 
 王の指示に従い、四分割正方形の前二部が前進する。後続と小指の爪ほどの隙間を空けた部隊の射角自在砲が火を噴いた。巨人の左肩で無数の火花が上がる。一糸乱れぬガトリング連続掃射 砲に装填されているのは飛空艇をも退けた徹甲弾 砲煙が薄れ揺らぐ巨人の姿が見える。その装甲には穴一つ開いていない。 
「可愛げのねぇ……!」 
 欄干に苛立ちを叩いたエッジは、傷一つ付かない巨人の姿を憎々しげに見上げる。 
 着弾の安定しない回転筒砲による射撃という観点からならば驚異の集弾能力だが、重装甲を打ち破るだけの貫通力を得るにはより高度な精密射撃が必要だ。 
 後続の第三第四隊が続いて砲撃を行う。今度は右肩に火花上がり。巨人の姿勢が大きく揺らぐが、やはり装甲にダメージは与えられない。 
※航空支援を望めない以上、火力で押し切るのは無理 
「いや……違う?」 
 カインの目の先で、弾丸の再装填を終えた第一第二隊の砲が再び火を噴く。先ほどと同じく右肩に火花が咲く。後ろに残した足を上げかけていたところを再び押され、巨人はよろけた。 
「そうか!」 
 同じく王の狙いに確証を得たのだろうエッジの口笛に乗せ、カインは快哉を叫ぶ。 
 右左陣交互に行われる波状砲火が巨人の肩をこづく。こづかれるたび、巨人面白いように千鳥足で塔から離れ 砲撃はまるで操り糸のように巨人の動きを操る 
「あいつ、酔っぱらいみたいにヘロヘロになってる!」 
ベランダでパロム 説明しよう!カイン 
「人間と同じ姿勢制御 高機能バラストが直立姿勢を保とうとするが、制御する者がいない 目を閉じた状態でこづかれているのと同じ」 
 必要なのは火力(装甲に対する貫通力)ではなく純衝撃。塔側からの砲撃が巨人をどんどん海に追い込んでいく。 
「今じゃ、乗れい!」 
充分に巨人が遠ざかったところで、ベランダぎりぎりに寄った飛空艇 甲板からシドが投げた縄ばしごを受け取り、フックを欄干に固定する。教授、双子の順に縄梯子渡り エッジが全員分の荷物抱えて一気に綱渡り 殿のカイン、欄干からフックを外し、縄梯子抱えてジャンプしこれで甲板に全て回収完了 
「教授、バロンへ向かうが良いか?」 
「はい! おお、これが飛空艇……飛んでいますよ、すごいですねぇ!」 
「しっかり掴まっとれい!」 
一路バロンへ 飛空艇のエンジンが唸りを上げ、見事な操舵が空に感謝とチアアップの航跡を描く。 
綺麗に集中する火線がついに砂浜へはまり込んだ巨人の上半身に一斉掃射を加える。仰向けに倒れる巨人の胸から最後に放たれた熱線が雲を貫き。水柱の後で雲が散って月が照る。 
 
一方その頃 バロン 
退避命令で町から追い出された人々が門の前に人だかり成し 私服に腕章を付けた兵で構成されたバロン軍陸海兵団が民衆の避難指示 
「バロン聖騎士王より直々の命である! 速やかにミスト山脈付近へ避難せよ!」 
兵士が町人を門から下がらせ 
騒ぎは一度収束したかに見えた。直後、城を包む結界発動 人工の光が人々の不安を明からかと照らし出す 兵士たちも動揺を隠せない 
かつて前例のない異常事態 大騒ぎざわざわ。城で何が? 赤い妙な生物について噂する声ざわざわ。 
疲弊は混乱と不安を育てる温床となる 
「バロンはもうお終いだ……!」 
そんな言葉が誰の口からともなく この国はもうだめだ、船で国外脱出をなどと言い出す声さえ聞こえる。 
人々の不安に揺らぐ燈火を抱きこむように大きな影が差す 
「あれは……?」 
見上げる人々の眼差しの先 薪の炎を受けて輝き翻るバロン国旗と軍団旗 
「赤い翼だ――!!」 
エンブレムを彩る炎の色が凍える人々の心に温もりを注ぎ込む 
 
 眼下からの大歓声 飛空艇を乗り付けると駆け寄ってくる兵士たち 袖に徽章をくくり付け帯刀した青年が二人、船の完全な停止を待たず、プロペラの生み出す強い下向きの風に逆らい人混みから飛び出して来る 徽章を見るかぎり、二人は海兵団の三等士官のようだ。 
「き、来た! 本当に来たぞ!」 
「クリスタル戦役の英雄達だ!」 
最早勝ったも同然な勢いで、抱き合い飛びはね狂喜する兵士 タラップを一段踏むごとに沸き起こる大喝采 
「何つーか……またえらい歓迎のされようじゃねえか?」 
愛想よく手を振り返しながらもエッジを始め不思議顔の一行 その後ろで 
「どうじゃあ、ワシの言った通りじゃろう!」 
 シド、ガハハ笑いでどすどすと梯子を揺らし降り立つ 
件の下士官二人組にコリオ教授を避難所まで案内してくれるよう頼む。 状況はどうなってる?――問うまでもなく答えが目の前にあった。海岸辺りを中心点とした、虹色に輝く半円形バリアにすっぽり包まれてるバロン城 
「これは一体……!」 
「セシルが突然バロンを閉鎖すると言い出してな、挙げ句が――」 
シド振り返りバリアをしげしげ見つめる 留守の間に起こった予想外のおおごとに驚いているようだ 
「――このザマじゃ!」 
「技師長!」 
 ケルヴィン走り寄って来る 一行に剣の刀身を下に向け肩にナックルガードを当てる近衛式の最敬礼 カイン、槍身を肩に当て石突きで地を二度叩く竜騎士団式の敬礼返し 
「一体バロンに何が? ……セシルはどこに?」 
矢継ぎ早事情を尋ねるカインに、ケルヴィンは緩く首を振って見せた。 
「それはお教えできません、陛下より内密にと命令され――」 
「この期に及んでまだそんなことを抜かすか! 知っとることをあらいざらい白状せんかぁ!」 
シド掴みかかり砂袋みたくがくんがくん揺さぶり ケルヴィンあわわわ目を白黒 
「ぎ、技師長っやめてください、喋れませんっ!」 
「シド、事情があるようだ、話させてやってくれ。」 
カイン止めに入り ケルヴィンげほごほ息整え シド憤然と仁王立ち 
「ハイウィンド卿、感謝します……ですが、先にお伝えしたように、陛下より内密にと仰せつかっています、もし喋れば軍紀に背くことになります。」 
「貴様という奴は――」 
「シド。」 
この期に及んで、青年は自己保身のような言葉を並べる。怒り心頭のシドを、カインは素早く止めた。だが、追求を諦めたわけではない。槍すらり抜き払い、その穂先にケルヴィンの心臓を捉える。 
「ベイガン卿。軍規に於いて王命は至上だが、バロン憲法に於いては生命身体の安全尊重が謡われている。憲法の拘束力は軍規に勝ると思ったが。」 
ケルヴィンごくり息のみ その槍は瞬きをするより早く胸から背中まで風穴を開けることなど造作もないことを、バロンの民ならば子供でさえ知っている。 
「脅迫……ですか。」 
「いいや。……頼む。」 
ケルヴィン槍に触れおそるおそる静かに下げ 
「陛下は国民に避難を指示し、ご自身は単身何処かへ赴かれました。行き先は恐らく、主亡き玉座の間と思われます……ここのところ、陛下は時折そちらに行かれているようでしたから。」 
 どんどんっと地面を踏みならすシドに、ケルヴィンの肩が飛び跳ねる。 
「団旗に誓って真実です! 私が知る限りは全てお話しました……今度はこちらから質問しても? 一体何が起ころうとしているんです?」 
 カイン、槍をスイングして納め この事態に際して保身を図るのはらしくないと思ったが、やはり、考えあってのことだったようだ。さしずめ、今は問答に費やしている時間はない、かくかくしかじかで〜てな具合に、こちらから問題を告げるのを期待?したのだろう 本人に駆け引きをしたつもりはないだろうが、常に王の壁として前線から一歩引く、何とも近衛兵らしいといえばらしいやり方だ。理解はするがむかつく、が、今それを言っても仕方ない 
「……詳しくは長くなるが、俺たちはこれからバロン沖へ向かう。恐らく、セシルもそこにいるだろう。」 
 カインはバリアを見る。バロン城を包むバリアはバブイルの塔を包んだものとよく似ている。ということは、月の民の施設の関与は濃厚。そして、セシルが主亡き玉座の間に行った直後に現れたのならほぼ確定と言える。 
移動避難命令の拡散徹底のため走る兵士たち。前例のない異常事態を前にしてもバロン兵の士気に衰えはまるで見えない。避難はきっとスムーズにいくだろう。 
 現場を任せた一行とシドはその場を離れるため踵を返す。 
「お待ちください!」 
 ケルヴィンが一行を呼び止めた。 
「どうか、私も同行させてください!」 
「何で付いて来たがるんじゃ、軍紀違反じゃぞ!」 
すっかり臍を曲げたシドは、軍紀違反の四音にたっぷりの皮肉を効かせてそっぽを向く。 
「軍紀違反と言うなら、技師長を止めなかった時点で既に手遅れです。この上処分が増えたところで構いません、お願いします!」 
 ケルヴィンは深々頭を下げる。シドの髭が逆立った。 
「近衛兵はどいつもこいつも、言うことが回りくどいんじゃあ!」 
「す、すみませんっ!」 
 ケルヴィンは縮みあがる。大人たちの間で何らかの結論が出たらしきことを感じた双子は、はてなと首を傾げた。 
「つまり……どゆこと?」 
 エッジは肩を竦め、ファンファーレを口笛で吹いた。 
「つまり、あの兄ちゃんは俺らの仲間になったみてえよ。」 
「えっ! それって――」 
 パロムは既のところで言葉を止め、慌ててポロムを振り返る。顔を見合わせた瞬間に弟の察知を共有したポロムは、囁きを寄せた。 
「あの時と同じですわね……。」 
 機転の利く双子は、ケルヴィンをしげしげと油断無く上から下まで観察する。魔物の匂いは感じられないが、より高度な擬態を使う魔物は存在する。 
「怪しいぜ……!」 
「しっかり見張っておきましょう!」 
 双子、うんって頷きあい 
「それでどうするんじゃ?」 
シド、カインに顔を向け 
「主亡き玉座の間へ行かないと」 
しかし結界で城はもとより町へすら入れん どうしたら? 
「二度手間じゃあるが、バブイルに戻って施設間転送装置とやらを使うか?」 
「先客がいるとなれば尚更、懐に飛び込むのは危険だ。後追いにはなるが、退路を確保した上で進んだ方が良い。」 
「結局、あれをどうにかしなきゃいけねぇってこったな……。」 
バリアこと反射防壁(リフレクター) かつてバブイルの塔でその性質は調べた 外から加わった圧力をそのまま反射する(物理反射) ゆっくり押せば押し返す力は弱いがどこまでも伸びて決して割れない。助走を付けて突き破ろうとした場合に関しては、飛び込んだ勢いそのままに弾かれたエッジが危うく溶岩浴を味わうところだった。 
※「ドーム状、空からも入れない」 
「地面の下までは及んでいないはずだが……」 
 半円形を保っているのはシャボン玉と同じ理屈 接地していなければ半円形にならない。 
「土遁の術の出番だな。」 
エッジが颯爽と万能忍者サックに手を入れ おお、さすがエッジ!と顔を向けた先に輝く小型の折り畳み式スコップ カイン静かにスコップを奪い取り、見事なピッチングフォームで大遠投 スコップ、ケルヴィンの脇をびゅんっすり抜け木に突き刺さりクリティカルヒット スコンと快音が響く 
「面白い冗句だ。」 
「ンな怖え顔すんなよ。」 
「飛空艇で掘り進むには改造せねばならん……急いでも一日は掛かるが、まぁ、手で掘るよりは早いじゃろう。」 
シド腕組み ケルヴィンうーん悩み 
「地下水路も城内へは入れませんし……」 
ん?地下水路? エッジカイン同時にミスト山脈の方へ顔向け 
「「旧水路だ!」」 
第二章で使ったとこ。 
「※東の橋の付近旧水路への入口がある。岩で即席に塞いだだけだから退けるのは簡単だ。」 
※「道理でお会いできなかったわけですね……」 ケルヴィンの呟きにカインはてな顔 「陛下から皆さんの国外脱走の手引きをするよう仰せつかり、地下水路出口でお待ちしていたんです」(セシルが想定したのはドックから堀へ出てそこから旧水路を伝い町へ出るという脱獄ルート(カイナッツォ戦時のバロン城侵入ルート)) 
「旧水路にゃちと厄介な魔物がいるが、この戦力なら余裕だな」 
エッジが請け負う シドびしゃり両頬叩き気合い入れ 
「よし、先に飛空艇に乗り込んどれ! 燃料の補給をせねばならん!」 
「手伝います!」 
 行き先は決まった。シドとケルヴィン避難キャンプへ燃料分けてもらいに走り 先に乗ってろと言われ飛空艇間近まで歩いた四人 タラップ前でカインエッジ双子振り返り 
「パロム、ポロム。」 
「「はいっ!!」」 
呼ばれて元気に返事をした双子、 
「準備ばんたんだぜ!」 
「急いで参りましょう!」 
勇んで両手振り上げ意気込み示し カインに軽く突き放されきょとん 
「キャンプの場所は分かるな?」 
「すぐ戻ってくっからよ。」 
保護者の意図を察し子供達口ぱくぱく ポロムようやく声を取り戻し 
「――なにを仰ってるんですか!」 
「聞いた通りだ。さぁ、行け!」 
ポロム、カインの腕に組み付き 全身でしっかりと腕を抱え込み、引き剥がそうとしても頑として離れない 
「やだやだやだ絶ーーーッッッ対、ヤダ!! おいてけぼりしたらWメテオだって言っただろ!」 
「パロムおいコラ、大人しく留守番してやがれ!」 
 捕縛縄を悉く逃れ、縦横無尽にエッジの足元を逃げ回るパロム 忍者をして手を焼かせるほどの機動力 
※その時、舞い降りる羽音が堂々巡りの様相を呈する場に一時停止を掛ける 漆黒の翼から白く輝くような姿が降り立ち、こちらに歩み寄ってくる 
「ローザ様!」 
「ローザ姉ちゃん!」 
双子同時に名前呼び 黒チョコボを休ませさっそうと歩くローザの姿 
ローザ怪我まだ治っていないだろうに 歩く震動に少し顔歪めながらもしっかりした足取り 榛の瞳がバロン城のバリア、始動準備を進める飛空艇、そして四人の順に確認 
「ローザ姉ちゃんからも言ってよ! ニィちゃんたち、オイラたちをおいてけぼりしようとするんだぜ!」 
「そうですわそうですわ! 私たちを置いて行くなんてWメテオですって、ローザ様からもきつーく言ってやってくださいませ!」 
ローザ、双子を従え二人の目の前に立ち カイン渋面 
「ローザ……無茶をする!」 
「もう一生分安静しちゃったもの!」 
「お前はそう――」 
ついと上がった白い掌と微笑がカインの説教を遮る 
「この子たちを置き去りにしないで。約束したじゃない。」 
「事情も知らずに口を挟むな。それとこれとは話が別だ。」 
「約束反故にすんのぁいただけねぇが、今回ばかりはな。何があるかも分からねぇ、危険過ぎる。」 
エッジ横から助け船 
「本当に、そうかしら?」 
ローザ、保護者二人をじっと眼の先に据え 顔は笑っているが瞳は真剣 ローザの手が双子の肩にふわりと乗る 
「この子達にとって一番安全な場所は、あなたたちの傍よ。」 
 ローザ再び手をさっ挙げ 口を開きかける男二人を遮り 
「最後まで言わせて。カイン、エッジ――あなたたちの隣にいる時、この子たちは、ただの子供じゃない。ずっと一緒に旅をしてきた仲間……そうでしょう?」 
 カインぐっと声を詰まらせる。確かに、辛戦が予想されるこの状況で高レベルキャスター二人を欠くのはきつい。二人の実力はよく分かっている。彼らに匹敵するほどの魔導師をすぐに揃えるのは無理だ。しかも、ステュクスとの実戦経験という条件まで付いてしまうと、代替えの見付かる確率は天文学的数字分の一となるだろう。そして、旅の間に育んだ高度な連携がなくなれば戦力大幅減 
 ローザ、カインの悩み顔をじっと見上げ 
「でも、心配なのはよく分かるわ……そうよね、やっぱり私も一緒に行――」 
「ローーーーーザ!! お前は大人しくここにいろ!」 
カインの半ば悲鳴 ローザくりくり目で異存は?とエッジ覗き込み エッジかーって髪がしがし。 
「将射落とされちまったら仕方ねぇだろ……。」 
つつがなく同行許可取り付け ローザと双子いぇーい!ブイサインを3つ揃え 
「……あの人、あそこにいるのね。」 
 ローザ、万葉に色を変えるバリアを榛に映し カイン頷き彼女の不安の肩に手を添える ローザ、頷きぐっと固めた拳でガッツポーズ 
「みんな、セシルをお願い!」 
「任せておけ。」 
カイン、ガッツポーズに軽く拳当てて返しフッ笑い 
※彼女の傍にアイツを戻さなければ。 自分でも意外だが――いつの日か帰る美しい故郷の空には、太陽が必要だ――そう、自然に思えた 
「良い子でお留守番しててくんな!」 
「行ってまいります、ローザ様!」 
「へへーっ。『まかせておけ!』」 
 無事の願いを交わしてゆく中、パロムのませ口に一頻り笑ったローザは、一転きりりと強かな笑みを浮かべた。 
「じゃあ、私はキャンプへ行くわね! 皆を手伝わなくちゃ。」 
 言って素早く背を向ける。 
 満足に弓を引ける状態ではない今、付いて行っても彼らの心労や負担を徒に増やすだけだ。これは正しい選択――頭でどれほど理解していても、立ち去る彼らの背中を見てしまえば、死地であるかもしれない場所へ子供たちさえも同行させてしまったこと・子供達のワガママを通させてしまったこと(言葉に嘘はない、双子の気持ちはよく分かる クリスタル戦役時、セシルの隣はこの世の何処よりも自分が強くあれる場所だった 誰かを守りたいという想いは、己が身も守る強力な盾となる) そして、彼らをむざむざ見送るしかない自分の無力 きっと己を呪う言葉を吐かずにいられまい 
 白魔導師としてこの唇から紡ぐことを許されるのは祈りと祝福だけ。今は祈りを、そして皆が無事に戻った時に祝福を。 
 背中の声が遠ざかる。プロペラの音が鳴り響く その轟音すらどんどん遠ざかり、彼女を残して空高く消えていく。 
 
 橋に程近い川沿いの空き地に飛空艇を停留する。 
 大人四人で掛かれば岩を退かすのは造作も無い。飛空艇から縄梯子を持ち出し、朽ちた手摺と反対の壁に降ろす。双子の首に障気避けの守護を施し、まずカインが降りて周囲の安全を確認した。縄梯子を足場へフックしたのを合図に、ケルヴィン、シド、双子、エッジの順で水路へ降り集合する。 
 薄暗い地下水路だが、カンテラの油は温存しておく。光源となる光苔は、目さえ慣れれば周囲の確認程度なら十分だ。 
 飛空艇内での打ち合わせ通り、身体機能的に水路を飛び越えるのが容易なケルヴィンがカインと共にパロムを伴い通路の対岸に展開する。二人並ぶのさえ不可能な狭い道幅に全員で固まるのは、正面戦力の減少にしかならない。一度に戦える人数が減る上、列が無駄に長くなるだけだ。思い切って戦力を二分し、案内兼前衛キャスターの一列縦隊で構成する戦力群を二部作った方が、火力が上がり、早く駆け抜けられるだろうというのが合議の結果だ。たかが通路、途中経路に手間取ってはいられない。 
 カインはパロムを素早く肩に乗せ上げる。同じく、ポロムを双子の弟の指定席に着かせたエッジは、向かう先に不敵な笑みを向けた。 
「そら、おいでなすった。」 
 壁に張り付いた苔から滲み出す僅かな視界の中、生き物の気配に寄ってくる一匹の寄生雷魚のシルエットが見える。以前見た時より感染が進んだか、そのシルエットは二回り以上太っている。随分形が変わった。魚というより随分ステュに寄って、陸上も移動可能になったようだ。かつて鰭だったらしき今は触手と化している。そして幸いなことだが、動きが鈍っている。 
「何じゃあこいつは!?」 
「バロンの地下にこんなものが!?」 
 初見の二人は驚愕に目を瞬く。話に聞いて覚悟はしていたが、実際目の当たりにするまでは実感が沸かないものだ。 
「目的地まで足を止めるな!」 
 竜槍の咆哮一閃。駆け出す一薙ぎが行く手を塞ぐ雷魚を両断する。 
「汝らに雷速を、ヘイスト!」 
 少女の声が全員の足に翼を与える。※道が分かってるから魔法補助ヘイストを出し惜しみする必要ない 
「轟け、サンダラ!」 
 少年の声が付近の敵を感電させながら水面を滑り、行先を青白く照らす。 
「滑り落ちんなよジジイ!」 
「誰がジジイじゃ青二才!」 
 エッジの刀が三枚に下ろした雷魚を、砲丸投げの要領で一回りした槌が壁に熨す。 
「手は貸せん、気を付けろ!」 
「お手間は取らせませんよ!」 
 カインの槍がスイングで打ち上げた雷魚をレイピアが串刺し水路に投げ込む。止めに拘らず、寄ってくる敵だけ蹴散らし先を急ぐ。※目的が確かな今、悪路はさしたる苦ではない。 
「ここだ!」 
 対岸に一馬身先んじていたカインが水路を飛んでゴールを示す。主亡き玉座直下、開いたままの鉄扉 
 全員揃ったところで、鉄扉を一度閉ざす。前回蹴り開けたせいで留め具が壊れているため、完全には閉まらない状態だ。それでもしばらくの間、ステュクスの進入を防ぐ役には立つ。 
 部屋に目を向け 息を就く間もなく息を呑む。真っ先に目に飛び込んできた前回からの大きな変化 土砂で塞がれていたはずの場所から、土砂が跡形も無く消えており、代わりに燐光を放つ扉が堂々と立っている。表面に施されているのは曲線を複雑に絡め合わせた幾何学装飾 青き星のどの国の文化にも無い(強いて言えば正方形を複雑に組み合わせるバロンの装飾と、体系としては似てる?) 
「この扉、試練の山の祠と同じだ!」 
 パロムが扉に駆け寄り ポロムが後追い 双子が押すと簡単に扉開き 
 背後の閉ざされた扉越しに水音が聞こえる。別の水路から雷魚が寄ってきているのだろう。 
「急げ!」 
 振り返った先でシドの槌とケルヴィンの剣が不破の鉄門――それはまさにバロンの国旗に描かれた模様と同じ――を示す。 
「皆さん、行ってください!」 
「出迎えがこいつらじゃウンザリじゃろう!」 
シド豪快に笑い。カインは踵を翻す。そうだ。彼らはその為に――自分たちの背後を守るために付いてきてくれたのだ。 
「……行くぞ!」 
 カインの号令がきっぱりと響く。パロムはふとポロムの顔を伺った。ポロムの頭がこくりと軽く振れる。 
「ちょっと待って! おっちゃんたち、武器下ろして!」 
パロムてててっと駆け寄り 剣と槌にそれぞれ触れ 
「宿れ、――バイオ!」 
二人の武器に魔法付与 両腕に宿った魔力環が刃にそれぞれ魔道の輝きを塗り込める。テラの呪文書で新たに得た魔法 物体に魔力を宿らせ且つ魔法効果を継続させる 
「おお、こりゃあカッチョイイのう!」 
武器を振るとエフェクトがふわんふわん光り シドはしゃぎ レイピアを回し、同じくエフェクトを確認したケルヴィンも満足げに頷き 
「ありがとう、パロム君!」 
「ううん、疑ってごめん!」 
パロムぺこん謝り ケルヴィンはてな顔 
扉内突入、殿のカイン、背後を一度振り返り 
「……死ぬなよ。」 
二人の背中に呟きかけたカインは、重い扉を閉ざした。 



十章中編
遺跡への道 外郭透明なガラス張りの海底トンネル 
 初めて見る海の中 真っ暗 遠くにぼんやり見える青い光がトンネル出口か? カンテラ灯し 
 灯した瞬間視界がフラッシュ まさか、カンテラに目を眩ませるほどの光量は無い 急激な明度差に頭痛にも似た目眩 
「わっ!」 
子供の声と、金属製の何かががらんがらんと派手に転がる音 
「大丈夫か!?」 
掌で眩暈を拭い、子供達の肩を捕まえる 
「先客の落とし物……ってわけじゃあなさそうだな」 
エッジが、パロムの靴に蹴飛ばされた物体の方を拾い上げる 手渡された掌にざらりとした錆びの感触 錆びた鉄兜 
 まさか、セシルのものか? いいや、それは無い 鉄兜を覆う錆は、これがここに置かれてから長い年月が経過したことを表している 
「ひとまず置いて、先へ進もう。」 
鉄兜を端に避けて置き 所有者探しは後回し、先へ進む 
 
 暗闇の廊下は遂にほどなく門扉に行き着いた ウル遺跡入口 
 白い鎧に身を包んだ彫刻然とした姿の門番・ガーディアンが待ち構えている 
駆け寄る足音に、その手が肩を跨いでバトルアクスの柄に添わる。鎧の白い輝きを映すその顔が、一行を目にして驚愕の表情を浮かべた。 
「カイン……まさかお前が!?」 
「セシル……やはりお前か。」 
予期された親友との再会。バロン城を訪ねて以来、前回は玉座の上で王として、今回は同じ目線で 
「信じたくなかったよ……。」 
 弱弱しい声音と裏腹に、バトルアクスの刃が音高く弧月を描く。 
「崩壊はもう止まらない。このまま帰るならそれで良し、そうでないなら――」 
 白刃が決意を宿してまっすぐにこちらを指す。 
「お前達を、倒す。」 
 カイン、セシルの顔をじっと見据える ※自分は信じられる セシルがしようとしていることが正しいことかどうかではなく、セシルは正しいことをしようとする男だということが分かっている 
 後続にカンテラを預けて下がらせ、カインは一歩前へ進む。セシルの眉間に深い皺が寄った。 
「……引き返すつもりはなさそうだね。」 
「ああ。苦労して辿り着いたばかりだからな。」 
セシルは自分のような”迷い”とは無縁だと思っていたが、考えてみればそんなわけなかった セシルも自分と同じ。自分がこの事件の当初セシルを信じたいが疑っていた時と全く同じことなだけなんだ 友を信じたい、だが疑いを捨てきれない 更に一歩前へ進む。セシルの手にする斧が振り子を描いた。 
「邪魔をさせるわけにはいかない!」 
険しい表情で地を蹴る聖騎士 カインは反射的に槍へと動きかける腕を止める。初太刀を受ける覚悟――正しい道を求めれば人は必ず迷う。迷いがあれば、その刃は鈍い――それに賭ける。 
「あんちゃん!」 
「セシル様!」 
飛び出そうとする双子をエッジが押さえる 
刃が床を抉る音 大きく逸れた刃が床を割る 
「……次は本気だ。」 
斧を引き抜き、セシルは言い放つ 
「この星に月の民の遺跡は必要ない。……ここも、バブイルも、破壊する。」 
カイン頷き 辿った道のりは違えど、やはり目的は同じだった。 
「ああ、分かっている。やはりお前もステュクスの件で来たんだな?」 
「ステュクス?」 
まるで耳触りの無い言葉を聞いたかのようなセシルの表情 思わぬ鸚鵡返しに話を遮られる 親友の真摯な瞳 セシルがこの期に及んで嘘をつくとは思えない 
「知らないか? プリン類か或いはサンドワームに似た、赤い体色の――」 
「あの魔物が何か……?」 
 一向に噛み合わない会話 一行は顔を見合わせる。 
 セシルは斧を背に戻した。もうそれを振るうような雰囲気ではない。 
「お前たちはあの魔物を追ってここまで? 一体どうするつもりなんだ?」 
「お前と同じだ、この遺跡を破壊しに来た。」 
「そうだったのか……分かった、僕に任せてくれ。」 
確認のような一人ごとのような宣言を残し、セシルは踵を返す 扉に手を掛け引き 開かない 引いた腕ががくん止まり、あれっ?という顔で扉見 両手かけ直し引っ張り やはり開かない 
「おかしいな、この前は……」 
セシルぶつぶつ呟き きっと、予定では扉はすんなり開く筈で、一行を閉め出せるつもりだったのだろう――詰めが甘いのは相変わらずだ カイン、フッ笑い歩み寄り 近づく気配にセシルちょっとバツが悪そうな表情 一転切り替え 
「みんなはバロンに――」 
「戻る時はお前も一緒だ。」 
カインきっぱり そして手を貸し 
「ここは僕一人で――」 
「手を出すな、なんて言わせないぜ!」 
「これは私たちみんなの戦いですもの!」 
双子も力貸し 
「君たちを巻き込むわけには――」 
「おう、積もる話は後でしようや。」 
エッジにやり 五人がかりで扉を押してようやく開き 鍵の類はかかっていないようだ 内部から光が溢れる 一行は両脇に並び王へ進路を示す 皆の覚悟に根負け、セシルふぅため息一つ 
 ウル内部 カンテラを片付ける 広いホールの隅々まで光が満ちている 長く無人であったとは思えないほどだ そのあまりの整然さに、言い知れない不気味さを感じる 
「月の民の建造物とは思えんな……。」 
ゾットやバブイル、月の民の館とは異なり、なぜか生物的な感じを受ける 壁を走る静脈のような青白い光 ややもすると脈打って見える 
入り口をくぐって正面にある扉 バブイルの設置されているものより多人数乗り――大型のリフト 扉の大きさを見ただけでも、この遺跡の全容がおぼろげに分かる とてつもなく広大 
「みんな、こっちだ。」 
セシルが先導 月の民の館で見た地図では、まさに目指す管制塔へ直通リフトに向かう 目指すは制御室 
 
リフトを降りた目の前がシステム制御室 
※「少し待っていてくれ」 
 部屋に明かりが付く まず目を惹くのは巨大な金属球――制御システム 慣れた様子で制御システムのコンソールに向かうセシル 
 明るくなった室内の様子 小綺麗な施設の中で、ようやくこの部屋は廃墟に相応しい雑然さを備えている――カインは奥歯に小さな苦虫を噛み潰す。入り口や廊下はどんなに汚くてもいいが、施設の肝である制御室だけはきれいであってほしかった 
 荒廃した光景の中で最も懸念されるのは、かつて浸水に見舞われたらしいことだ。※この水の出所は恐らく、クリスタルルームだろう カイン眉顰め クリスタルルームは浸水を起こしやすい条件にある 脳裏に内部地図思い起こし 施設が異変に見舞われた際、(1)クリスタルの回収を容易に行えるよう、外からの侵入が容易な位置にあり(2)また、隔壁を下ろして海水(冷却水・熱による暴走を阻止)を満たし、クリスタルルームそのものを施設から切り離せるようになっている クリスタルルームの天井に設置された、いくつものスプリンクラー スプリンクラーの導菅は貯水槽底から八方向へ伸びており、ちょうど八重咲花を伏せた形によく似ている 貯水槽へと続く水道管は煙突のように緩い逆漏斗形となっており、真っ直ぐ上方へ登って可動外壁に突き当たる その上には、幾層も重ねられた異物侵入防止格子 迅速且つ安全に水を引き込む(可動外壁は、注水時に中心から内側へ割れる仕組み) 
 高い水圧を引き受ける可動外壁は、特に頑丈に作られているとはいえ、それは正常に維持が行われていればの話だ 浸水が現在進行形でないことは救いだが、水たまりは床のかなりの広範囲に及んでいる 月の民の道具は、錆びを退ける・不変の魔力を備えたウーツ鋼と呼ばれる金属で出来ているそうだが、海水による影響が全くないわけではないらしいことは、床に転がった(浮遊してない)、制御システムが如実に表している 
「そんな!?」 
コンソールを叩いていたセシルが慌てた声を上げた。カイン冷や汗 
「どうした?」 
「分からない、バブイルの塔との接続が……何者かが外部からの操作を遮断してるようだ、再接続出来ない。」 
そういえば、ちょうど半日経ったか 
「そちらは恐らく問題ない。この遺跡の破壊だけに専念してくれ。」 
「しかし、遺跡破壊時には高エネルギー流が発生するんだ。海中で放出すると大変なことになる……バブイルの塔経由で地上と地底へ分散して逃がさなければ。」 
「ならば、この方法はどうだ?」 
カイン、フースーヤからもらった破壊操作手順のメモ渡し セシル一読 
「なるほど、全エネルギーを光に変換して……参ったな、どうやらいろいろ知ってるんだね。」 
セシル苦笑して再びコンソールに向かい 操作終え 
「頼む……!」 
パネル抱えるように祈り 
「どうだ?」 
カイン達様子見 あまり芳しくないようだ 
「システムの一部が反応しない。リカバーを呼び出してみたんだが、巧くいくかどうか……」 
祈るようにブルースクリーンを見つめるセシル  
※ただ時間だけが無情に過ぎる こうなったらクリスタル制御装置を直接破壊する他に手がない しかしそれだと退避時間が取れない 海中へ脱出することを考える 
「クリスタルルームに注水すれば海中へ出られる」 
「海面までの距離は」 
「おおよそ二十メートル程」 
「ガキどもが保たねえ」 
潜水距離 大人は何とか可能だが子供には無理 
「スリプルで仮死状態になれば」 
ポロム案 
「よし、それで!」 
皆を急かすセシル 
「しかし、ステュクスに追ってこられたら厄介だ。水中では戦えない」 
カインが懸念を口にする 
「それなら心配ない、皆が脱出したらちゃんと――」 
セシル、あっしまった!の顔 カイン、話にならないと首を振る 
「他の方法を考える。皆で脱出するんだ。」 
「カイン、揉めている時間はない!それに、」 
セシル一呼吸 
「安心してくれ、ステュクスは僕を襲っては来ない」 
「だから何だ。さぁ、もっとマシな手を考えろ!」 
しかし、捨て身の自爆案を潰しただけで後手がない状況に変りない セシルの拍子抜け顔をよそに頭を巡らせるカイン 
エッジ、スクリーンを覗き込み 画面を埋め尽くす文字のうち、生傷のような赤字箇所が、エラーの生じている箇所を示しているのだろう 正に満身創痍の状態だ 
「機械はケアルじゃ治らねぇしな……」 
ん?回復? カイン、ピンと閃き 
「回復……回復か!」 
 そうだ、この部屋には何か足りないと感じていた 巨人制御システムとそっくりなウルの制御システム ということは 
「どこかに防衛システムがあるんじゃないか? 防衛システムの機能で制御システムのリカバーを補助できるはず」 
※セシルすかさずコンソール叩き 
「ダメだ、応答がない……電源が切れているのかも」 
「それなら」とカインこんなこともあろうかと充電池取り出し「※電源トラブルなら、パネルを外してこれを設置すれば」 
で、肝心の回復システムはどこに? 部屋内に見当たらない 
 パーティ二手に分かれて 
機械操作一通り覚えてるカインと、万一の際に作戦中断できる手段持ちの双子・お留守番組@制御室で操作 
電池の取り付け方知ってるエッジと施設内部の構造に詳しいセシル・お出かけ組@防衛システム再起動 
防衛システム作動に成功して破壊をタスクしたら、両者の中間地点且つ帰路の途中にあるメインリフトで合流を約束 
 
一方その頃 地下水路入り口 
「ちびっ子さまさまじゃのう!」 
 魔法付与バイオ効果抜群 鋼に宿る魔力が敵を瞬く間に毒で冒す。この魔力付与が単なる応援・置き土産以上の意味を持っていたことはすぐに知れた。厄介な再生能力に煩わされずに済む 
「まっ、ワシらの力あってこそじゃがな!」 
 青年の死角に居た敵をスレッジハンマーで叩き潰す 実父の死を受けて復帰するまで軍を離れていた青年は大分厳しそうだ 青年は、セシルやカインなどが持つ実戦で培われた良い意味での手抜きを知らない 加えて、青年が使うのは、高い威力の代償として高い技巧を必要とする特殊な剣術 
 近衛頭・ベイガン家に代々伝わる二刀細剣術。細剣のしなやかさを活かし歪曲軌道ジグザグ痕を高速で敵に刻むそれは、斬撃というより鞭打にむしろ近い 国の体を備えるまでに起こった数多の戦乱から、建国王の血筋を守り抜いた剣術であり、ベイガン一族の誇り。敵の体に残った傷が蛇の鱗のように見えるところから『双頭蛇』と綽名され恐れられた――今となっては皮肉な名称 
 シドは十分温まった呼吸の下でにやりと笑う。 
「ここはワシ一人で充分じゃぞ。二人がかりでは弱いもの苛めじゃわい!」 
 青年に戦線を離れることを促す。元より決死隊のつもりではないが、実直は無謀を招き、無謀はときに命を落とす危険を招く。 
 応じる声はなく、ただ床に踏み込むブーツの音 シドの軽口にやや唇を引き結び、笑みの出来損ないを作る程度にしか返せなくとも、その踏み込みはまだ鋭さを失っていない。浮いた敵を鞭様にしなり飛ぶ斬撃が一掃。敵の体が比喩ではなく実際に破裂する。 
※ケルヴィンの来歴 戦役後に入国規制が解けるまで、トロイアの美術工房に弟子入りして雑用していたらしい 近衛頭の親子の間に何があったかは知らない それなりに長く城にいる自分だが、近衛兵長に息子がいることを知らなかった 近衛頭ベイガン家の跡継ぎに関しては、自分が城に入った時にはすでに暗黙の了解があったような感じ 
 どちらかと言えば苦手な類に属する前近衛兵長だったが、決して性根の悪い男ではなかった。何より、彼にはエンタープライズの件で借りがある――息子の初陣に白星を飾ってやり、借りを精算するのも悪くない しかし 
「自分は、近衛兵としてここに来ました!」 
 レイピアが閃き、ステュクスと共に退避勧告を切り捨てる 
 言わんとすることを察してか、それとも無謀に呆れ果てたか、シドはそれ以上何も言わずただ肩を竦める 
 気合いと裏腹に、腕は疲労に痺れる。いつ尽きるとも知れず襲い来る敵。 
 あの日の父もこんな風に戦ったのだろうか――いつも偉そうにしていた父。間違ったことなど決してしなかった父。旧来の伝統に縛られ、自分のやることなすこと悉く反対する、大嫌いな父だった。――それでも、あんな貶めを受ける謂われはなかった筈だ。 
 二目と見られぬ醜悪な異形と化した亡骸。王を裏切った者に相応しい末路だと石を投げられた。進んで王を売ったとまで流言された。 
父の名誉を完全に回復しようなどとは思わない。ただその忠誠を、そのたった一つだけを、自らの行動で以って証明したい。誰より自分自身に対してだ。 
近衛兵第一の心得は、王の背後にある限り不退転。きっと、あの日の父がそうしたように――家族をすら顧みず、ただ一心に忠誠に生きていた父は、息絶えてなお、王に迫り国に仇なす敵の前に立ちはだかっていたはずだ。 
 緩んだ拳を堅く締め直す。その口から、知らず雄叫びが迸る。両足を踏みしめ、刀身の先まで捻りを伝え敵を切り払う。何万回と血に刻まれた護国の剣術。 
 前線へ赴いた兵達の、そして王の帰路を、父から受け継いだ剣で自分が守る。碑銘を刻むことさえ許されなかった墓に、たった一人追悼を供えてくれた、生涯忠誠を誓うに値する白眩の王のために。 
 
 
一方その頃 セシル&エッジチーム@ストレージ 
防衛システムに電池セット 低い起動音と共に外殻のモールドが光を取り戻した 穏やかな呼吸のように明滅し、防衛システムの正常な作動を知らせる。 
 ほっと一息付く間もなくアラームが鳴り響き 部屋の隅で赤い目が瞬き 
「あーらら、余計なモンまで息吹き返しやがったな……。」 
毒づくエッジ 
※防衛システムが迎撃システムも回復してしまう 沈黙させないと制御システムに充分なリソースが回らない 
※対迎撃システム 迎撃システムから先制ビーム セシル咄嗟に盾で反射して逸らし 鏡のように磨かれた盾は第一撃を反射させたものの、熱量は放射しきれず受けた部分が真っ黒焦げに 鎧越しの熱に呻くセシル 
 再度ビーム用のエネルギー装填 エッジ、甲鋼虫で迎撃システム掴まえ、分銅のように振り回し 
「エッジ!」 
セシル慌てて叫び 
「分ぁってら!」 
エッジ、ひとまず壁に叩きつけ 迎撃システムには迂闊に手を出せない 迎撃システムの回復なんかで防衛システム酷使したら充電池がすぐ終わってしまう 迎撃システムを一気に無力化するか、あるいは持久戦 制御システムが回復するまでの辛抱 
その時館内放送からカインの声 
「セシル、聞こえるか? 巧くいったぞ――」 
 
一方その頃 カイン&双子チーム 
果たして期待通り、自己回復プログラム走った スクリーンが光り、制御システムの完全起動を知らせる コンソール操作 
「設定完了だ、行こう!」 
全てのエネルギーを光に変換するということは、この施設を海中で維持するためのエネルギーも失われるということだ。※脱出のために残された時間は三十分 余裕といえば余裕だが、道中何があるか分からない 急ぐに越したことはない※※  
「セシル、聞こえるか? 巧くいったぞ! 崩壊まで残り三十分だ。」 
「そうか、良かった!」 
答える声の背後から金属のぶつかる音が聞こえる 
「どうした?」 
「ちと取り込み中でな!」 
エッジの言葉を最後に通信切れ 
「セシル! エッジ!」 
 応答なし 双子おろおろ 
「カインさん……!」 
「助けに行こう!」 
合流地点のメインリフトへ急行 
リフトの扉を開けると真っ暗 廊下から差し込む光で、壁に沿って設置された螺旋階段がわずかに見える 嫌な予感 
「パロム、灯りを頼む。」 
「が、がってん!」 
 小声の依頼を受け、少年が照明弾を放つ。単身入り口を抜けて灯ったファイラ リフト内を目にした全員の表情が凍る 
リフトの代わりに巨大なステュクスが鎮座 
※このリフトの最下層はプラント工場 この巨大ステュクスは、施設内でもひときわ餌である光と水の豊富なプラント工場に育てられたのか? 
※そして大問題 上へ行くには、金属製の階段を使わざるをえない ステュクスは、ゼリー系生物と同じく、表皮全体で僅かな音や振動を捕らえる 三章で会った砂虫 大海の一礫に等しい渡砂船のごく小さな波紋をさえ嗅ぎつける程の高機能センサー 砂よりも振動を吸収しない金属板の階段を全く音を立てず上るのは、エッジでさえ無理だろう 
※こんな巨大なステュクスを形成した原材料の量に思いを馳せる 最早元が何だか全く分からない 海中施設にいるからには海洋生物なのだろうが、もっとも、原型生物とて既知ではない可能性が高い 
「ここまで来て……!」 
※絶望的としか思えない光景 だが、これは逆に好都合かも 巨大とはいえ相手は一体だけ しかも、対ステュクスの必勝策がある 今こそ聖水の使い時 カイン、懐からガラス瓶取り出し 
「奴の動きを止めてくれ。一気に片を付ける!」 
※パロムは利き腕に魔力環を重ねる。今こそ”かっこよく活躍する天才黒魔道士”の見せ場だ。だが、最も得意とする魔法の矛先は敵ではない。 
 四元素の力はただ正面から敵を打ち倒すのみに非ず、その最大の真価は支援にこそある――老いた大賢者の書き残した教えの意味が今こそよく分かる 一枚板で成形されたこの壁は、魔力を容易に伝達する。 
「壁から離れて!」 
片手に姉の手を携え、壁に残る片手を押し当てる。 
「凍てつけ、ブリザラ!」 
※必要最小限の魔法で最大の効果を  
 壁が霜を吹き瞬く間に息が凍る 壁を埋め尽くす冷気の葉脈模様 ステュクス、凍結壁に貼り付き 
 見事大役をこなした双子、後ろへ下がろうと 靴の踵が床に貼り付き一瞬動きが遅れる 
 視界の隅から赤い触手が伸びてくるのが見え カイン考えるより早く身体が動き、双子の足下を槍で薙ぎ払い廊下の端へ子供たちをホームラン そこまでは良かった 
 体勢を立て直そうと踏み込んだ足が凍った床で滑る 咄嗟に突いた手が触手にめり込む 失態を悔いる声ごと体を持って行かれる せめて聖水を渡さなければ 
「カインさん!!」 
 少女の悲鳴が聞こえる。伸ばした手に掴みかけた光明は、あえなく闇に断たれた。 



十章後編
渾然一体の暗闇がゆっくりと回り出し、やがて闇と光に分かれる 
 今やはっきりと別れた白と黒の明滅 段々明滅する速度が早くなる 回転するプロペラの生み出す影 
 長い夢を見ていたようだ はっと我に返る 
 甲板で出撃準備の様子を見る 空は一足先に血の色に染まっている 夕暮れ 太陽を背に進む 足の前に長く黒い影 
甲板には暗い顔の兵士たち 雲行きが良くない 
 攻城戦はただでも防衛側有利 攻勢の不利を飛空挺が補えるはずだったが、どうも今ひとつ巧くいっていない感じ 
※新しく就任した隊長の作戦 飛空挺を投石機的に使用 飛空挺からの砲撃で門を開くまで壁の守備を引き付ける・どこか一箇所でも壁を壊せれば上々 後は物量作戦で押し潰す 
 ところが、正規空軍の地上部隊は、先のダムシアン戦で疲弊 代わりの地上部隊の兵士達は練度が低い 戦力不足を補うためにモンスター入れて混成軍になったが統率バラバラでなお悪い 
 頼みの主力・海兵団は、今作戦の最重要拠点である港湾施設の制圧に当たっている 制圧が終わり次第援軍に来てくれる予定だが、それを当て込むわけにはいかない・そもそも、援軍到着までにそれなりの形になっていないと意味が無い ※作戦は、まず港湾施設制圧 基本、ファブールは海からの攻撃を想定してる(山越えがきついから) 今回山越えて兵力送るわけだが、港湾警備と挟み撃ちされると困る&クリスタル持って海に逃げられたら困るからと、海軍に取り返しに来られたら困るし ついでに、本来の城攻めのデコイ的にも 
 
戦闘開始 闇雲な爆撃で壁の守備を叩き手一杯にしている間に地上部隊第一陣投下 半ば艇から放り落とされる形で城壁内部へ降下したゴブリンが、情けない叫びを上げモンク僧から逃げまどい門へ殺到 門を開く 
異形の兵士がもんどり打つように飛空挺から垂らしたロープを伝ってラペリングを試みるが、ロープから振り落とされる者が少なくない 無駄な犠牲 整然としたバロン軍の行動とまるで違う醜さ 同じ艇に乗り合わせた人間の士官(航海士)が溜息を吐き目を背ける。 
※新隊長は有能だが、用兵に難があると言わざるをえない 魔物で手っ取り早く増員するのはいいが、それによって出来上がるのは意思疎通が図れない混成軍 言葉は悪いが、こんなものは軍ではなくただの寄せ集め、烏合の衆にも等しい こんな戦いは、従事する人間の兵の心を削り、士気が著しく落ちる。そこらへん進言しておくべきだろう 崇高なる目的を遂行するために、バロン軍は正しく用いてほしい 
※新隊長の説明 バロン王の肝入りで赤い翼新隊長に就任した男 その男のもたらした大儀に、バロン王をはじめ皆が甚く感銘を覚えた 素晴らしい就任演説が耳に蘇る――クリスタルは本来一所にあるのが正当であり、所有諸国は星に生きる全ての民の宝と言うべきクリスタルを不当に分断し、独占している。聡明なるバロン全民は国という枠に捉われることなく、全ての生きとし生ける命のため速やかに行動すべき――これこそ真の大儀。あまつさえ、就任式を終えたその足で、男は軍の再編に着手 
 素晴らしい手腕と賞賛するより他ない バロン軍は元来、守りの戦に強い軍隊 典型的な陸軍国 飛空挺の登場でやや変わったが、完全ではなかった 分散していた指揮系統を彼の一手に集中・陸海団の指揮権を統合する大英断により、より高機動にそして外征向きになった 
 話を戻して 眼下に見えるファブール攻城戦の様子 最悪は免れているが良くはない 入り組んだ内部構造を熟知した相手に翻弄され、犠牲が多い 入り口の混乱を片づけるだけで既に三分の二を費やした 損耗が早すぎる 
カインを始めとして、上級将官たちの懸念 港湾施設の制圧を終え、合流した海兵隊と地上部隊の連携が巧く取れるのか? ちょうど海兵団が到着 中央の陥落待ち 予定通り地上部隊の第二陣を投下し、待っていれば勝てるだろう しかし―― 
 
※カインは下を見る。第二陣降下のために高度が下がっている今なら、風を乗り換えて城内へ降りられる 
 今回竜騎士に与えられた役目は対地レーダー+爆撃照準だが、この目が必要な段階はもう過ぎた 少し留守をしても許されるだろう 
 カイン決断 スタンドプレイ・移動にかなり自由の効く自分が単独降下して、クリスタルだけでも先に奪取 本丸(正面)落としの手間を省く これ以上自軍の犠牲を増やして何かいいことがあるとは思えない 新隊長は「屍でクリスタルまでの道を作る たとえその屍が自軍兵のものでも構わない」とか勇ましいこと言ってたが、まさかっちゃ本当にそれをやるつもりじゃなかろうし 
 指揮を取る士官に歩み寄る 
「意見を構わないか?」 
「どうぞ!」 
 士官は敬礼でカインに応じる 本来階級は自分の方がずっと上だ 
「第二陣は降下後しばらく待機 二時間経って戻らなければ、当初の作戦通り正面突破を実行」 
「作戦外行動を?」 
「そうだ。巧く誤魔化しておいてくれ。」 
 第二陣投下のために用意されていた懸垂降下用のロープを利用させてもらう 高飛び込みの要領で略式敬礼投げて甲板の縁から身を躍らせる 一気に船体下部まで降下 海から吹き上げる風を捕まえたところでロープを離す 山から吹き下ろす風に乗り換え、落下速度・余剰な位置エネルギーを殺す 目算過たず、尖塔の屋根に着地 塔の張り出し部分を跳び伝い中庭に下りる 
 海兵団の到着と第二陣降下で城入り口の防御に目が向いている この隙に窓から城内侵入 こんな盗賊のような真似をするなんて、父が見たら何と言うか やれやれ 
 横目に見る戦闘跡 広場の床にも壁にも夥しい血痕が残っている 崩れた瓦礫の下に呻き声 ふと気になるものを見た・あるものが目を引いた ゴブリンを押し潰している瓦礫に残った火薬跡 砲撃のものじゃない、爆薬とも違う 
――あいつがいるのか…… 
彼は祖国に対する慈悲を捨てたようだ 柔和な顔をしているが決断は冷静で頑固な暗黒騎士 
※暗黒騎士・暗黒剣 ダムシアンの装甲ホバー船に対抗するために開発された 弓と大砲のいいとこどり・中距離射程高威力 個人兵装の中では現状最も高火力を誇る まともに食えば、その牙は重装兵の盾をもたやすく砕けることだろう その開発には暴発事故により何人もの犠牲者が出た 幾人もの血を吸った力 その破壊力も相まって、いつしか闇の剣――暗黒剣と称されるようになった※※味方はおろか、扱う当の暗黒騎士さえも恐れる闇の力 実戦投入された暗黒剣実験部隊の隊長をして、戦果を目の当たりにしてすっかり恐れおののき脱走してしまったのは有名な話※※ 改善が重ねられてきたが、未だに扱い至難のため、使える人間(暗黒騎士)はごく少数 
広場から奥へ続く狭い通路 この先がクリスタルルーム 神経がぴりぴりと張り詰める 僅か数歩で歩き切れる通路が長く感じられる 扉を開く 
「久しぶりだな。」 
 喉元に突きつけられた歓迎の剣を押し下げる。馴染みの顔から警戒が薄まった。 
「カイン! 無事だったのか!」 
 この通り、と示して見せる。セシルはほっと息をつく。 
「一緒に戦ってくれるか?」 
「ああ、無論。だが――」 
 単身乗り込んできたことが大分功を奏したか 確かに、このままでは三対一だ 勝ち目は無い しかし。 
「一騎打ちだ、セシル!」 
声高に宣言する セシルには受諾せざるを得ない事情がある 国の後ろ盾が無い今、セシルの信用担保はその人間性のみに依存していると言える 一騎打ちを断れば信頼に翳りが生じる 
 そして、決闘を設えることで、二人の共闘者を単なる見学者へと変え、数の不利を片付ける。後は、騒ぎを聞きつけた援軍が到着する前に終わらせればいい。 
「何故だ、カイン!?」 
「問答無用!」 
 セシルの考えを改めさせることができれば、崇高な目的達成の大いなる手助けとなるだろう――だが今は説明している時間が無い。そしてこの一騎打ちを派手な見世物として仕立て上げなければならない。派手に打ち倒すことで抵抗は無駄だと諦めさせる。 
戦闘 遅い 暗黒の牙がこちらを捉えることは出来まい そして連射も利かない 一撃で片を付ける 風を切る中で金属部品の噛みあう音が耳朶を掠めて頭の後ろへ飛び去り 
 ふと既視感覚え 奇妙な感覚が背筋を凍らせる 
――前にもこんなことがあったような……? 
咄嗟に突進の威力を殺ぐため床を突こうとした足が宙を空回る 床が無い 肩ごと目標にぶつかる 槍の穂先から伝う鈍い貫通 カランと床に剣が落ちる音 独特な形をした暗黒剣が床を滑る 
 間近に鮮明に見えるセシルの顔 信じられないとその瞳が瞬く 
「カイン、何故……」 
違う――言いかけた舌先が凍る 手にした重い衝撃ごと槍を手放す 
よろよろと後退り 違う、もう終わったはずだ、こんな―― 
闇の鎧を纏ったセシルの体が床に崩れ落ちる 床に落ちた体からみるみる血が流れ床に広がる 右手に返り血 火を掴んでいるように熱い 
「てめえ!」 
エッジの声 鼓膜にぶつけられた怒りは耳鳴りを伴って頭痛を引き起こす 投げられた苦無を弾く 咄嗟に翳した腕に鋭い痛みが走る。弾かれた苦無が床に跳ねる。はっと我に返る。 
封印の洞窟入り口 左手に闇のクリスタル 冷ややかな感触 
――いや違う待ってくれ 何かがおかしい――何かではない、何もかもだ。 
 気をしっかり持って何とかしなければ 落ち着いて冷静に考えろ 
違う、終わったはずだ、こんなことはもう―― 
 動機が激しくなり視点が定まらない 倒れたセシルの体から血が流れ床に広がる 床に広がった血が爪先に迫る 思わず足を引く 一度床を離れた足はどんどん体を後退らせる リディアが悲鳴の形に口を大きく開く エッジは剣の柄に手をかけたまま次の行動を決めかねている ローザの涙に濡れた目 その唇は白く微かな笑みにも見える呆然を浮かべている 
 皆の声が聞こえない 誰の声も聞こえない 何も聞こえない 
 闇のクリスタルと返り血 腕を振って振り払う 
――もうたくさんだ! 
 暗闇を走る 何も見えない ひたすら走る 
 漆黒の闇の中 どんな夜とも違う、途方もなく広大で、同時に押しつぶされそうなほど窮屈な闇 ここには何もない 
 足がもつれ倒れる 膝が痛い 全身痛い 
「俺のせいじゃない……そんなつもりじゃなかった……」 
弱々しい言葉が口をつく 
 いっそ全て夢であってくれればどんなにか良かったのに だがこの痛みは夢じゃない 
そうだ、これは夢じゃない―― 
 
 ゆっくりと体を起こす 顔を上げると砂浜が見える 砂を払って立ち上がる 
まるで長い夢を見ていたようだ 
一体どれくらい気を失ってた? 長いようで短いような 
気付けば一人砂浜にいる ここは何処の砂浜だ? 見覚えがあるような 砂浜の向こうに丘が見える バロンの東海岸に似ている 首を捻り、場所を特定するためのランドマークを探す 海を背にした右手に岩礁、左手にバロン城の尖塔がうっすら見える 間違いない、ここはバロンの東海岸だ 
 流されて打ち上げられたのか みんなは一体どうなったんだ? 
 世界は静かで何も変わらない 何も分からない 
 もうとっくに全て終わった? いや、終わったのならここに自分が放置されていたりしないだろう 
 皆を探さなければ―― 
嫌な考えを振り払い歩き出す 途方もなく広がる砂浜 一人歩く距離にめげかける心を励ますためになるべく楽しいことを考える 東海岸にまつわる記憶 父とよく散歩した 前を歩く父の背が鮮やかに蘇る 
「行こう、カイン」 
手を引く父の姿や、その声さえ聞こえるよう あの時自分は5才くらいだった 今はもう父と背が並ぶはずなのに、今でも父の背中は見上げるほど大きい 
 自分は永遠に父を追い越せない 今の自分を父が見たら何と言うだろう 
 ふと足元を見たら瑠璃色の魚がいた 砂浜に打ち上げられた魚 助けてやるため手を伸ばしかけ、ためらう 
 俺に何ができる? 
 自分の手には何もない 空の両手を空虚な風がすり抜ける 全てなくしてしまった 
 父が残してくれた誇りも 
 少女たちが命がけで手に入れてくれた希望も 
 伸ばした手の先で閉ざされる扉、中に消えるヤンの姿 伸ばした手の先に落ちていくシドの姿 あの時も、あの時も、自分は彼らを助けられなかった いつでもこの手は届かなかった 自分には何も救えない―― 
「逃げるのか?」 
すぐ耳元で声がした 背筋ぞっ悪寒走り 辺りを見回すが誰もいない この砂浜には自分と魚だけ まさかこの魚が?そんなわけがない 魚は口をぱくぱくさせている 死にゆく魚の死にゆく目 絶望を宿した目 自分が裏切った時のローザやセシルの目 
 堪らず顔を背ける 
「だから逃げ続けるのか?」 
再び響く魚の声 魚の?違う この声には聞き覚えがある 
「海へ還してあげなさい」 
次いで、力強い声が頭上から降ってくる 
 魚を助けた後、父と手繋いで帰り道 魚の感触が残る自分の手を翳し、矯めつ眇めつ不思議な気分 父が笑いながら言った 
「拳を握ってごらん、何がある?」 
「何もないよ」 
「いいや、握った拳には勇気が宿る。決して手放すことのできない武器だ」 
――その手には何でも叶える力がある。手を伸ばすことを恐れるな 
父の言葉が腕を掴み、魚へ向かって手を伸ばさせる 逆らわず、魚の体に触れる 意を決して魚の目を見据える 自分を信じる眼差し 仲間が自分に向ける眼差し 
 自分はこれまで一体彼らの何を見ていたのか? 自分を見る皆の眼差しはこんなに暖かいのに 
 見えなかったわけでも、隠されていたわけでもない 砂浜に置き去られたこの瑠璃の魚のように、いつでもそれは同じ場所にあった 目を向けようとしなかっただけだ 
 見ようとしなければ眼を閉じているのと変りない 自分は犯した過ちの影を恐れるあまり、見ることを避けていた ずっと背を向けていた 
 魚の体を波へ向かって押す 重い 微塵も動かない 両手を添えて押す まだ重い だが、確かに魚の体は動いている もう少しだ 
 渾身の力を込めて腕を伸ばした瞬間、赤い海の中に投げ出された 
 掌に暖かな脈拍が触れる その小さな温もりは確かな強さを備え、手を掴み返してくる 
 
「カインさん!!」 
 少女の声が、目の前を覆う赤い海を切り裂いた。彼女の腕に篭る力が渾身のものである証拠に、その幼い顔は紅潮している。 
ポロムの方へ動こうとして動けない 辺りを見回す 今やこの目を覆うものは何もない 望むだけ何でも見える 
 自分の置かれた状況を把握する 右半身の肩から下がステュクスに埋まっている 
「カイン!」 
セシル、斧を振るい触手を退ける エッジも触手処理に奮闘 セシルが斧を振りかぶり触手を切り裂くが、再生早い 
「ニィちゃん頑張って! こいつバイオ効かないんだ!」 
ポロムを保持するパロムの悲鳴 
ポロム、カインを引っ張り出そうと必死に腕を引っ張っている 頑固な彼女は、決して手を離すつもりはないだろう 
 カイン、ふとガラス瓶の冷たさを右掌の中に確かめる 満足に身動きすることはできないが、手に力を込めるだけなら出来る 指を丸くし、瓶をしっかり握る 
※「セシル、頼みがある!」 
※セシル厳しい顔 
※「今、右手に瓶を持ってる。合図をしたら、俺の手ごと瓶を叩き切ってくれ!」 
※「信じていいんだな!?」 
※セシルの真摯な問い 胸を張って答えられる 
※「ああ、当てにしてくれ!」 
 カイン、ガラス瓶を割るため握力強め 長柄武器を扱う握力を以ってすればガラス瓶を握りつぶせるはず 
 同時に、まるでこちらの意図を知り、そうはさせじと阻もうとしているかのようにとてつもない力で腕を締め上げられる 骨が砕け、千切れ飛びそうだ ※セシルは万一のために斧を構えている 痛い思いをするのはもちろん嫌だが、彼らの元へ戻れるなら、腕の一本失ったところで惜しくない  
 渾身の力を拳に込める 掌中で砕ける感覚 清廉で冷ややかな炎に掌を炙られる 指の隙間から赤青入り混じった炎が滲み溢れる 
 内部に直接聖水を打ち込む形 脳の神経が弾け飛ぶような、耳をつんざく激痛が走る しかし長くは続かない 
 拘束が緩んだ隙に、ポロムとパロムがすかさずカインを確保して引っ張り上げる 聖水による破壊と再生が拮抗 触手ボコボコ茹だり、形を崩しながらも壁に触手伸ばし悪あがき セシル、咄嗟に壁へ走りパネルばんっ叩き 
※「下へ参ります!」 
 上から半ば滑り落ちるようにして降りてきたリフトが壁を拭う 最下層からドスンとステュクス付きリフトの到着音 
「カインさん!」 
 胸に飛びこんできた少女を抱きとめる 
「ニィちゃん!」 
「冷や冷やさせてくれやがるぜ!」 
「どうなることかと思ったよ……」 
 勝利の余韻を味わう間もなく、足元を震動が掬う 頭上から水がぽたぽた垂れてき 水滴はややもせず細い水柱になり、壁面に細かい罅入り始め 全エネルギーの光への変換により、いよいよ構造維持バリアが停止したらしい 塔が水圧に耐えられなくなる。 
「急いで脱出――」 
「あっ!!」 
パロム突然叫び、辺り見回し 
「どうした?」 
「ニィちゃんの槍がない!」 
ポロムもきゃあっ悲鳴上げ 
「お父様の形見ですのに!」 
何だそんなことか――カイン双子をしっかり抱き寄せ 
「いいんだ。」 
「「でもっ――」」 
双子が顔上げた先にカインの笑顔 
「いいんだ。」 
 武器の無いカインは双子の運搬担当 二人の背中から腕を回して抱き上げる 
「準備完了だ!」 
「いっちょ凱旋行進と洒落込みますか!」 
「よし、派手に行こう!」 
セシルとエッジ、それぞれの得物を抜き払い、両腕の塞がったカインの前に立つ 
リフト壁の螺旋階段駆け下り 搬出口ホールへ出ると、至るところで動きを止め形を崩しつつあるステュクス種子がうようよ プラントからでも涌いて出てきたか? 赤い斑に埋め尽くされた床を見敵必滅の刃が掃き退ける 
 カインの両手装備・双子も強力。 
「凍て付け、ブリザド!」 
 無数の氷礫を浮かばせ 
「エアロ!」 
 少女の三拍子に踊る巻風が氷礫を散弾雨の壁に変える。一つ一つは小指の先ほどの礫でも、高速を伴うとなれば話は別だ。出現した局地的暴風圏は、領域内に入り込んだ敵を粉砕する 双子の協力魔法アイスストーム 
 搬出口の扉駆け抜け 崩壊は海中通路にまで及びつつある 余力を考える必要は無い 全力を疾走に代え、家路をひたすら駆け抜ける 
 壊れた天井の光る破片が降り注ぐ カイン、背を丸めて双子を破片から庇い 
復路にして初めて気付いた緩やかな登り傾斜 ほんの僅か爪先を持ち上げる甘勾配が呼吸を削る 
 錆びた鉄兜が目の端にちらり映り 
「もうすぐだ!」 
 言った矢先 急速回転する脳が光景をスローモーションにする 水圧によって握りつぶされる生還への道 音の消えた世界に一気になだれ込む奔流 呆気なく天地を失い、壁に押し付けられる 
程なく、全身を壁に押し付けていた力が薄れた 急流が流れ去り、温い暗闇に包まれる 重石となる鎧を外すため、双子を手放す 
 しかし次の瞬間、まるで見えない巨大な手のひらに掬い上げられるかのような勢いで海面へ引き上げられた。 
 
眼前一面に広がる星空の元、胸の周囲を光る波の輪が取り巻いている。周囲を見渡すと、光に全身を包まれた仲間たちが、一様に驚きの表情で海面に浮いているのが見える。 
「これは一体……?」 
「あっ!」 
 パロム、胸元に吊っていたお守り小瓶を取り上げる 空になっている 双子、顔見合わせ 
 体にまとわりついた光が徐々に薄れてゆく 光の減少と共に体が徐々に沈んでいく 波が段々荒くなり顔に飛沫がぶつかる 
「まずい!」 
光が浮力を保っているうちに浜へ避難しなければ うっすらと見える浜辺へ向かい、慌てて水を掻く 
 砂浜へ引き上げた体を高い波飛沫が叩く 肺に滲みる外気の冷たさと潮の辛さに咳き込む 
「皆、大丈夫か?」 
エッジぜえぜえ 砂地に疲れた足を投げてへたり込む セシルもカインもぜえぜえ体折り休み 双子も座り込み 
 姿勢を正すカイン 意識の隅に音も無く飛んできた白い塊を右手で受ける 
「相変わらず神経切れてやがんな。」 
掴んだそれは掌に萎れ、見る間に赤が染みて広がる 
「ああ、全くだ。」 
苦笑して答える 掌一面に傷 棘果を鷲掴みにしたような刺突傷 砕いたガラス瓶の破片が食い込んでいる ※傷を押して破片を取り出す 異物さえ取り除けば傷自体はたいしたことない 聖水による皮膚のかぶれはごく軽度だ 貰った布を手早く巻きつける 
 簡易処置を終えたところでカイン海の方を振り返り 海と空共に全体が柔く光っている まるで夜明けのようだ 
呼吸整えながら見とれていると 沖で光の柱が立ち、夜空の漆黒切り裂くようにへ伸び 同時に恐らくエブラーナの方向からも これが終末の光でなければ良いが 
 双子それぞれ保護者にひっつき、光が消えるまで見届け 
「巧くいったかね?」 
「……分からん。だが――」 
光が収まり暗闇が戻る いや、完全な暗闇ではない 明星が薄明かりに溶ける 日が登る 



終章
エブラーナ 
「殿下!」 
じいや点滴がらがら引いてエッジの元へ歩み寄り 
「おうっ、調子はどうよ?」 
エッジ、書類を丸めて置く 各地に散らした”草”からの報告書 ダムシアン、ファブール、トロイア、そしてミシディア ステュクスが活動停止した旨が記されている 
また、トロイア・ミシディアの共同開発ワクチン完成 治験第一号じいや 経過は順調 程なく他三人の治療に移れる 
「心配には及びませぬ! それより、殿下。」 
うぇっ、この話の流れは…… エッジじりじり後ずさり、くるっ背を向け歩き出し 
「どちらへ行かれます、殿下。」 
「あー、ちっと気分転換に山の空気でも……」 
「それは結構ですな。では手短に参りましょう。」 
じいやのターン 
「爺はつくづく思ったのです。いつまた此度のような事故に見舞われ、動けなくなるやもしれませぬ。ですから、殿下におかれましては、より丁寧な言葉遣いに改め、意地悪をしたりせず、真面目になっていただきたい。」 
「はいはい……」 
 徐々に歩を早めるが、老人の健脚は振り切られる気配を見せない。 
「そして、早急に跡継ぎをですな――」 
「分ーってる分ーってるって!」 
 いよいよエッジは駆け出した。 
「分かっておられたら、毎日娘どもを悪戯に追い回すばかりでなく、迅く妃をお決めくだされ!」 
老人に見合わぬ健脚じいや 点滴がらがら鳴らして追いすがってくる 
「病人は大人しく寝てろっつーんだ!」 
「生憎病ではございませんので、お気遣いには及びませぬ。殿下、まだ話の途中ですぞ、お待ちくだされ、殿下!」 
待てといわれて待つ馬鹿はいない。エッジは開いた窓に向かい一目散に逃げ出す 
 
ミシディア 
「その時だぜ! オイラが得意のブリザドで――」 
ぽかっ!の代わりに、頭を撫でる長老の手が被さる 
「また一回り、大きくなったのぅ。」 
「あったりまえだろ! コドモはあっという間にセイチョウするもんだぜ!」 
後背にパロムの自慢話 目の前に、千日手のままのケッズ盤 駒を手遊びながら、ポロムは空の向こうを見つめる 
世界は再び平穏を取り戻した。あの旅は決して懐かしく思い返して良いような呑気なものではなかった。なのに、過ぎた時間はいつでも愛おしい。 
「ポロ!」 
「うん、分かってる。」 
 旅を終え、皆がそれぞれ居るべき場所へ戻った。自分たちはミシディアに。エッジはエブラーナに。 
 そして、彼はバロンに―― 
 自分たちと一緒に、ミシディアへ戻る船に乗るのだとばかり思っていた しかし、タラップを渡って振り返ると、船着場に残る彼の姿があった。「長老によろしく」そう言伝て、手を振る彼の姿は、波の向こうに呆気なく見えなくなった 
※パロム、手すりに背を凭れ掛ける 
※「……あーあ。ほんっと、やんなっちゃうよ! オイラ書き取りで忙しいってのに、バロンへ行かなきゃいけないんだぜ?」 
※ポロムはてな顔 パロム、少女の様子をちらちら伺いながら、大仰にため息をついてみせる 
※「ヒクーテイに乗せてくれるって約束したのにさあ、ニィちゃんきっと忘れてるんだ! とっちめてやんなきゃ。」 
※パロム鼻の下を擦り上げ 
※「……もし、どうしてもって言うなら……特別に、ポロも乗せてあげてもいいんだけどなぁ〜? ……一緒にバロン行く?」 
「パロム……」 
※ポロムくすくす 弟はいつのまにこんな気遣いが出来るようになったのか 
 姉と頬をくっつけたパロムは、姉の眼差す雲の彼方を指さした。 
※「デビルロードでひとっ飛び、すぐ行けるもんね!」 
「うん!」 
会いたければいつでも行ける 同じ空の下、隔てる距離は遠くない 弟の指さす空に、少女は笑いかけた 
 
バロン 
ローザ、トロイアに宛てて手紙書き中 ペン置いて重石の位置替え 「今度は二人で参ります」って綴り 
ばーんっ扉開く音が響き 
「おぅっ、いかん!」 
ばーんっ扉閉まり こんこんっとしゃっちょこばったノックの音 ローザくすくす 
「どうぞ、入って。」 
ばーんっ再び扉開き 
「邪魔するぞい!」 
「シド、自伝の執筆、進んでる?」 
ローザの先制攻撃 シドはうっと呻いた 
「それなんじゃが……どうしても書かなきゃいかんか? ワシゃ書き物が苦手なんじゃ……。」 
「これから先の未来を生きる人たちに、シドの技術をシドの言葉で正しく伝えてほしいの。お願い。」 
シド唸り そう言われると悪い気はしないが、やっぱり書き物は苦手 シド咳払い 
「……それで、奴らはどこじゃ?」 
ローザふふっ笑い 
「二人だけで会議ですって。やぁね、男の子は秘密主義で。」 
懐かしい景色を思い起こすかのように、娘は笑窪を刻む頬に手杖を当てた。 
 
バロン城廊下 
 若き王の表情は、問う前から存分に委細を知らせる。カインは苦笑し、疲れきった顔に労いの言葉を送った。 
「お疲れさん。」 
「一生分の小言を聞かされて来たよ……」 
親友は深い溜息で長椅子の隣に腰掛ける 
 陸侯たちに散々絞られたセシル、再度深いため息 会議の内容は、先の緊急避難指示に伴う市民への補填について 独断専行をセシルが謝ったら、陸侯が「恐れながら陛下」ときて 「謝らんで結構。率直に申し上げて、昨今の陛下は素直過ぎて気味が悪い! 戴冠よりこちら、かつての生意気さはどこへ消え失せてしまったやら。何か悪い物でも食べたのか、それとも別人になってしまったのかと皆案じておったのです!」とキッパリハッキリ 鳩鉄砲顔するしかないセシル 居合わせた諸侯ははは大笑い 
「シドといい陸侯といい、別人別人て……僕が大人しいのはそんなに変なのか……!?」 
セシル頭抱え カイン笑い 諸侯もシドも、先帝の時代からそんなもんだ 
「ところで、今回の件の報告だが――」 
「それなんだけど……どう書いたものか、見当が付かないんだ。」 
肩を落とすセシルに、手にした紙束を振って示す 
「だろうと思ってな、目を通してくれ。」 
カインから手渡された書類にざっと目を通したセシルは眉を顰める ページを繰る音の締めに不満げな溜息 
「これじゃあまるで、全て僕の手柄みたいじゃないか……。」 
「ああ、それでいい。」 
「しかし――」 
「これが、俺達の総意だ。」 
セシルの反駁を遮り、カインはフッと笑う 
「もっとも、それ以上に説得力のある報告を作れるというなら、話は別だがな?」 
 そもそも作文が苦手なセシル 論文の得意なカインが全ての情報を得て仕上げた報告書に太刀打ちできるわけがない 
筋書きはこうだ――地下水路に封じられていた古代の魔物の復活をいち早く察知し、見事討ち果たした英雄王セシル。難しいのは”古代の魔物”の実在証明だが、もちろん、シドとケルヴィンが証言を惜しまない 
各地で散発していた怪異を結ぶ糸の重要な結び目は全てカイン達の手にある 結び目をどんな形に解いてみせるかはカイン達次第 そして、カイン達の結論として、絡まった糸の解き方はこの形が一番 セシルならきっと巧くやれる 
「でも、よく分かったね? ウルのこと。一体どうやって?」 
カイン肩竦め 開いた手で宙に描いた世界を一撫でする。 
「大変だったぞ。世界中回って、月まで行った。」 
「そうか……。」 
セシルははは。軽い笑いで頭の後ろに両手を組んだセシルは冗談めかして。 
「いいなぁ、僕も一緒に行けばよかったよ。」 
「そうとも。」 
カインはっきりときっぱりと一言答え。セシル笑ったまま俯き。 
「――そうだね。」 
皆を信じれば良かった 
 誰かに頼ってはいけないと思ってしまっていた 信じることができなかった 独善に陥っていたせいで、危うくこの星に酷い災難を招いてしまうところだった 
※「お前こそ、ウルの遺跡の存在をどこで知った?」 
セシルの苦笑い 
「力を受け継いだ時、父の記憶が少し見えたんだ。」 
苦笑を崩さない幼なじみ いつもそうやって心を隠す ”少し”ではない、恐らく記憶の多くを見たのだろう。 
突如明かされた己の出自 確かに両足を付いていたはずの地面から突然投げ出されたに等しい 長年疑いすらしなかったアイデンティティが揺らぐ恐怖 クリスタル戦役時、最終ボス戦後に月の民と別れ、「僕らの星に帰ろう」と言った時のセシルの表情を印象深く覚えている 穏やかに笑って滅多に自分の感情を見せない親友の、心から安堵したような横顔 
「僕は冷たいのかもしれない。」 
帰路へ向け操縦桿を手にしたセシルが、不意に浮かべた自嘲の笑み なぜそう思うのかを問うと 
「月の民が去ると聞いて本当に安心したんだ。実の兄と伯父なのに、彼らと会えなくなることより、僕まで月に残れと言われるかもしれないことが恐かった。」 
※あの時と同じように、静かに語り出すセシル 
「自分は王の器ではない 英雄という輝きがいつまでも続くわけがない 大体、あの戦いは僕一人ではなく、皆の協力を得られたからこそ戦い抜けた」 
誰かに聞かせるというより独り言 自分と対峙するためには時として味方・耳が必要 カインはあえて相槌を打たない 
「試験飛行に飛んだ飛空艇が帰ってこなかったから戒厳令を敷いた そこへ運悪くミシディアから使者が来たと聞いて、それがお前たちだと知って、しかし王命を真っ先に王自身が破るわけにはいかない 牢獄へ送らないわけにはいかない ……もうだめだ、耐えられないと思った」 
※今件の発端となったミシディア飛空艇事件 バロンでも当初遭難事故として調べ始めたが、ほとんど燃料を積んでいない機体だったため、計画的な国外逃亡に扱いが切り替わった 少し考えれば分かる道理 なまじステュクスの存在を知っていたがために、飛空艇失踪と戒厳令発令の因果関係をごっちゃにしてしまっていた 自分も、ありもしない陰謀論に足を掬われ、親友を疑ってしまった かつての大叔父のように 
「王の位は僕には重過ぎる 月の民としての精算を全て終えたら退位しようと、そう決めたんだ」 
木漏れ日の中に長い影が引かれる 
「それがまさか、そんな大事件と繋がっていたなんてね……。」 
「ああ。”主亡き玉座の間に現れた赤い腕”の謎もやっと解決だ。」 
「赤い……あの場所で何か見たのか?」 
セシルがびっくりするからカインもびっくり 
「覚えていないか? クリスタル戦役の一年前に起きた兵士の失踪事件だ。壁から赤い腕が伸びて――」 
「壁から腕……赤い?」 
セシルきょとん 赤い腕、赤い腕としばらく呟き繰り返した後、宙に文字を二段に分けて綴る 
「……もしかして、片腕の『隻腕』を、赤い『赤腕』と勘違いしてるかい?」 
「片……セキ腕?」 
 音の響きのよく似た言葉 まさかセシルがこんなことで自分を騙して何の得があるとは思えない 報告書を再確認するかというセシルの好意を断ったカインは頭を抱える 報告書はあの時ちゃんと見た筈だ 綴りを見れば間違えようがないはず 一体どこで、いつ、伝言ゲーム状態を起こしてしまったのか 
 らしからぬ勘違いにセシルふふっ笑い そこにノックの音が響く 
「お話中失礼します、陛下。※皆、陛下と会うのを楽しみに城の前に集まっています」 
「分かった、すぐ行くよ。」 
返事をするセシル。王の返事を賜った若き近衛兵、セシルとカインそれぞれに敬礼して去る 
カインフッ笑い 新調した竜槍の石突きで床を軽くとんとん具合確かめ 
「ああ、そろそろ――」 
 親友の旅立ちの時間が訪れたことを知ったセシル、振り返ってカインの笑みに気付く 
「どうかしたかい?」 
「お前に、皆の前で退位を言い出す勇気が、果たしてあるかと思ってな。」 
セシル口をへの字に曲げ しかし一転、その顔は晴れ晴れとした笑みに塗り換わる 
「もう当分、頑張ってみるよ。」 
 君主の宣誓を受けたカインは気取って立ち上がり、竜騎士団式の最敬礼を王に捧げる 竜槍を一回して肩に立て掛け、石突きで床を一度突く  
敬礼を納め、足下に纏めた荷物を肩に負うカインに、セシル座ったまま声を掛ける 
「またミシディアに戻るのかい?」 
「ああ。痛感したよ、力不足をな。」 
自分にもっと力があれば、回避できた筈の危険がたくさんあった――肩を竦める 
「修行のやり直しだ。」 
「そうか……。」 
セシル眩しげにカイン見 あの日並んで旅立った門から、今一人旅立つ友人に手を向ける 
「また会おう、カイン!」 
「ああ、また会おう!」 
親友と交わす挨拶 成されるとも知れぬ確かな約束を胸に、カインはバロンを後にする。 
 
 背に遠く、王を迎える人々の晴れやかな歓声が聞こえる。健やかなる故郷。快い笑みが口元を解く。それは暖かな日差しのように、前へ進む気持ちを力強く後押してくれる。 
 この一歩へと繋がり、この一歩から続く道を歩いていく。故郷を過ぎ、目前にどこまでも大きく広がる世界。その空を仰ぐ竜騎士の瞳に、深淵の青が照り返った。 
 
 
 
   ・THE END・