EDGE


 怒号と悲鳴に覆われた大地を風が洗う。
 灰び死んだ地に、ややもすれば同化しそうな一つの影。視界の限りに於いて唯一生命を備えたそれ――頭の先から足下まで覆う褪紫のマントに身体の輪郭線を包む男は、20代半ば過ぎであろうその顔に言い知れぬ諦観の褪せた影を映した。赤焦げた煉瓦に立ち、刻み付けられた災禍の傷跡を一望する。そこかしこで未だ燻る破壊の残り火は、音も立てず景色を歪ませる。
「酷ぇ有様だね……」
 男の胸には何の感慨も沸いてこない。血と煙に覆われた故郷の姿も、かつて美しかった風景を描く己も、全てが遠い世界の出来事のようだ。
 男はわずか残った障壁跡から飛び降りた。今の自分には感傷に浸る暇も許されてはいない。ここに居続けても眼底が渇くばかりだ。
「は、対岸の火事なら笑って済ませてやったがなぁ……。」
 海の向こうで起こった戦乱が、よもやこんな辺境にまで飛び火するとは――この国の民の大多数がそう思っていただろう。そう、ただ一人を除いては。
 半ば砂と化した瓦礫を爪先に散らし、一歩二歩と地表を探る。児戯の如大地に線引く織金靴は、城壁と門柱を結ぶ――かつて結んでいた瓦礫の下で、明らかに砂とは異質の感触を蹴った。幾度か踏み、それが筒状であることを確かめた男は、爪先で片端を掛け中空に弾く。
 目の先に落ちてきたそれを掌高く鳴らして掴むと、男は左肩越しに視線を遣った。次いで、
「若ァ!」
 渋枯声と共に、かつて城門の一部であった柱の影から気配が躍り出る。男は筒を懐中に忍ばせ、口元を解ろいだ。灰のローブと煤の汚れを被った細身の姿は一見して亡霊の有様だ。
「じいや! 元気そうじゃねぇか~何より何より」
 走り寄る老爺に片手を挙げ応じる。年齢に見合わぬ達脚で間近に立った老爺は、男を見上げ、目鼻口全てを皺に埋めた。今や一筋の線となった両瞳からつると涙が垂れる。
「申し訳御座いませぬ……! 若が御留守の間に……、国を、……エブラーナをッ……」
「今見て来たよ。」
 男は、惜念を指白むほどに固く握る老爺の肩に触れかけた右手を、しかし自らの腰に収めた。
「……オヤジとお袋も駄目か?」
「陛下も御母堂もご立派に……したが、御二方ともども郎党どもの手に堕ちました……」
 堅牢なる老爺の肩が細かく震える。暗炎を吐き出すにも似た言葉に、男は瞑目した。
「成る――悪ぃ事したな。」
 ややもすれば悪びれもせず聞こえるだろうか。だが、老爺は男の口振りを咎めない。
「残るは御身ただ一つ。どうか、どうか、どうか…………」
「心配すんねぇ、爺。んな事ァな、」
 軽く受け、伏せ顔に笑いを滲ませる。親指を腰の掛け具に呑ませた男は、老爺の脇を悠然とすり抜けた。
「野暮用ってんだ。」


 燻色の木立を横目に、露出した地肌の凹凸など無きが如くに勾配を滑り登った男は、尾根に立ち遙か眼下を臨んだ。
 爪先の一寸先から不自然に切り取られた稜線。崖の終点は男が如何に目を凝らせど見えぬほど涯に口を開けている。気もなく動かした足の先に当たり蹴転がった小石は、瞬きの程も無く静寂に呑まれ消え失せた。
「前世紀の遺物ねぇ。……どっこまでも俺らを呪いやがってくれら、なぁ。」
 冥き淵を隔てた対面にそそり立つ異形の塔、その壁面に、嘲笑めいた狼煙を掲げる。不規則に並べられた丸窓には明滅する蒼い炎を灯し、その合間を縫う緻密な白線までもが刻一万華鏡のように模様を変える様は、まるで生きているのだと言わんばかりだ。
 竦めた肩とともに虚仮を落とし胸を反った男は、覆布の合間から左腕を突き出した。甲虫の腹に似せたか幾重にも黒鋼を重ね、中指に突出した形で下腕から拳骨にかけ喰らい付く籠手。反動に備え腕から肩まで真直に構えた男は、掌に右手を添え頸動脈部に据え付けられた引き金を絞る。
 乾いた破裂音と共に中空を滑る鏃は、しかし、塔の壁面に呆気なく弾かれ飼鎖を引き闇に落ちた。
「……ぁりゃあ~。」
 空気が抜ける如嘆息する。引き金を逆に絞り鎖を巻き取ると、男は改めて呼気を吐き出した。
「はぁ、こりゃ難物…………っクク……」
 今更ながら落胆した己に気付き、乾いた笑いを投げ遣る。
 見込み違いと責めるべきは己の覚悟。それすらに気付けぬ程、実のところ動揺していたのではないか――屍とまで変わり果てた故郷の姿に。
「さて~と、どーしたもんかな……」
 意識の背後といえど、気付きさえすれば切り替えるのは造作も無い。波巻く負の感情を心に埋めることなく刃と化かしめ――実の名より近しく意識に刻まれた言葉が、時に際し機に臨み男の視線をただ一点に導く。
 剣鼠が憤怒する相を模したような尖髪にガシガシと風を入れ気を締めた男は、改めて前方の塔を見据えた。
 とにもかくにも侵入できないことには話にならない。今までは待ちに徹することも出来たし、実際にそうしていた訳だがその結果が故郷の有様だ。焼き払われ枯れた国。誰の目を留める事もない――慈しみ子等にまでも去られた、価値のない大地。
「刮目、して貰おうじゃねぇか、……――汝らが業、我らが…………ッチ、」
 唇より滲み出た呪謳を舌打ちと共に飲み下し、男は腰帯から飛具を抜いた。玻璃蟲針(はりむし)と呼ばれる無色硝子製のそれは、男の祖国で使われる箸という棒状食器と同じ形をしており、強度こそ鉄には劣るものの、手を離れれば景色に溶ける不可視の特質を備えた武具である。鋭刃を甲に向け、計三本を指の合間に装填した男は蔑笑を風に放った。
「恨みだ辛みだやれのやれ、背負うんはこれぎりにしようや~……なあ!」
 今し方草を踏み現れた人影を硝子の切っ先に据える。男に無防備な懐を空け立っていたそれは、飛び石のごとく一歩二歩と弾ね退った。ほの白みを帯びた頬の上で二玉の赤眼が瞬く。身の丈は目算六尺強、頭頂から後頭部にかけて駆け下る炎のような頭髪も相まり、その姿は立ち上る陽炎とでも形容するが相応しい。年の頃は一見して測るに能わぬが、外見だけで判じるならば、今年二十と半を数えた自分とそう違わぬだろう。顎の真下までせり上がった襟を持つ、着皺がまるで見あたらぬ奇妙な衣装のせいもあってか、全体として硬い印象を受ける。
――石造りの竈。
 頭から足下までを余さず眺めた男の頭に、ふとそんな単語が浮かんだ。
「貴様……?!」
 驚きの鯉口を切って敵意を鞘走らせ、肩に掛けた覆布を翻す。灰の積もる空に紅蓮が立ち上った。
「……莫迦な……、この国の民は皆」
「焼いた筈、か? 舐めんなや、忍は隠ぶが本分だぜ。」
 男は薄笑い、爪先の草をしと踏みつけた。
「なぁに、痛めつけようなんざ思っちゃいねぇ。ちィとばかし質問に答えてくれりゃ、――」
 相手との間合いはおおよそ二間。針を握った拳を胸元に引き付ける。
「命だけぁ勘弁してやらァ!」
 言葉が鼓膜に届くとほぼ瞬を違えず、肩に穿たれる――筈であった針はしかし、敵に触れる直前、水に溶かした朱墨の如く細い波形を描いてかき消えた。微かな白煙が二本、紅蓮を垂らした肩を掠めて昇る。
 男は二度しばたき吃驚を払った。何故を追求するのはこの場を収めてからで良い。
「魔法使いた厄介ッ」
 両拳に苦無を番え、姿勢低く二間の距離を呼吸一つで縮める。相手の腹を寸前と見たその瞬間、業と開いた炎が視界の一面を染めた。
「っ!?」
 手甲を翳し辛うじて熱から逃れた男は、踵で地を撥ね間合いを戻す。空中に咲いた炎は、熱と光とその大きさを保ったまま主の周囲にかさを成した。
「折角拾い永らえた命を……愚かな。」
 勝ち誇るでない冷ややかに断ずる声が敵の確信の深さを示す。
 ようやく熱の余韻から逃れた男は、今度こそ驚愕に囚われた。詠唱なく発動し、長きに渡り効果を留める炎魔法なぞ、誰が想像し得ただろう。
「……こりゃ~…………マジィやね。」
 右半身に構えを取る男のこめかみを、冷暖入り交じりの汗と呻きが伝い落ちた。強張る頬に口元が攣られ、言葉と裏腹の表情を形作る。
 相手に積極交戦の意志が固まっていない今ならば、目を眩ませ逃げることが出来るだろう。だが、適当な目星で引いた籤に大当たりを見た以上、その一手を指す気が起こらなかった。たとい不可思議を従えようとも、培ってきた戦術全てが無に帰すとは思えない。対面と向かえる相手ならば、男の最も得意とする戦術はやはり有効だろう。
「エブラーナの。身の程は存分に知ったろう……このまま去るなら追い手は掛けん。」
 敵が忠言宣うよりも僅かに早く迷いを抜けた男は、左腕に括った帯から苦無――菱形錐の刃に輪状の持ち手を取り付けた投擲武器――を抜いた。
「生憎物解りが悪くてよ!」
 情けと減らず口を叩き返し、右手の飛び具を矢継ぎ早三射する。先の奇跡を材質に因るものとした男の読みは的を射た。黒鉄の飛具は溶かされることなく炎輪を掠める。攻撃自体は避けられたが、これで確証を得られた。
「見逃す慈悲は持ち居たものを……」
 煩いの呟きと同時に、男の右掌で烈火が弾ける。手首を舐める強熱を覆布の裾で握り潰した男は、右踵に重心を預け体を回した。敵に背が向くのはただ一瞬。大弧を描いた左拳骨を敵の額に突きつける。間合いは一間半、十分な効果射程だ。
 鋭い射出音が腕に取り付く甲虫の首を刎ねる。鉄鎖を引く鏃は敵の眉間を目前に捉えた。
 首を逸らして凶刃を避けた敵は、手持ちの武器を失った男を薄く睨める。瞬きに降りた瞼が上がり、その目に殺意を彩るそれはほんの一秒にも満たない間。手首の捻りから伝わる反動が敵の首に鎖を巻き付けるにはそれで充分だ。
 呼吸の乱れからか、炎輪が薄まり消える。首が締まるのを防ぐため鎖と喉の間に指を噛ませた敵は、歩みまでも止め男を凝視した。
「鎖武器見んのァ初めてかい――? 下手したなァ。」
 相手が避けずに弾いた場合を想定し、鎖の支点と備えていた苦無を指に男は笑う。
「さて、交渉開始と行こうや。なぁに、聞きてぇな簡単な事さ。」
 三指に掛けた苦無が触れ合い鳴子のような音を立てた。念のため、間合いはそのまま開いて保つ。
「大人しく従えば良し、鎖を解いておサラバだ。但し、目ン玉潰させてもらうがな。……従わねぇならこのまま鎖を引かせてもらうぜ。どうする……――」
 異常を見た男は言葉を止めた。囚人の表情にかかった髪の隙間から覗く強い光。敵は、まるで力を込めた風もなくいとも容易に鎖を割った。いや、割るという表現は正しくない。重なっていた掌の端を剥がすに添い、飴細工のように鎖が溶けたのだ。
 獲物を手放した鎖が撓み、うち捨てられた蛇の抜け殻のような有様を地面に晒す。
「喋りが過ぎたな、エブラーナの。」
 敵の声は今度こそ、紛う事なき殺意を孕んで響く。
「……そう、みてぇだな……」
 先ほど潰すと宣言したその瞳が魔力を帯びて灼熱した。真っ直ぐにこちらを差した指先から炎が迸る。蛇行して延び来る炎は踵を返す間もなく、男の肩をがしと捉まえた。
「――ッづぁ……」
 両肩に食らい付く炎獣の牙に押し殺した苦痛が漏れる。首を舐め頬まで這い上がる熱気に燻され、汗がしゅうと音を立てた。人知の及ばぬ光を頌えた紅玉が、こちらに向け広げた指の合間に瞬く。男を縫い止める炎が勢を増し、遂にはその体を中空へ抱え上げた。
「しがなき人の身で私に挑んだ勇は認めよう。……さらばだ。」
「……ッ、冗談…………っ」
 焦れども爪先が藻掻くばかりで、肩から拡がる熱を留めることは叶わない。
 赤舌が睫毛を弾く。最早開いているのだか閉じているのだか判別の無いほど狭まった意識の底に、一流の清水が滲みた。
――……ああ、これは、
 男が自ら瞼を下ろそうとした、その刹那。
 耳元でちっ、と微かな音が散った。半ばまで降り掛けた意識の幕が再び上がる。紙が縮れる如き微かな異音は、程なくちり、ちり、と連続して響き出し、炎熱で歪む視界の先にこの季節にはあるはずのないものが現れた。
 雪。やや赤みを帯びた釦大の結晶は、空から降るでなく街の灯火の如空中に次々開く。と、蕾と芽吹いた紅雪が中心より綻び、一転乱れ吹雪と化した。
「若に災為すは罷り成らん!」
 雪の源より発せられた怒号が、霞みかけた視覚と意識を一所に集める。
「じぃッ――?!」
 マントを翳し氷牙を逃れた敵の虚に、炎の拘束が一瞬解けた。老爺はすかさず男の首根をむんずと捉まえる。法外な力で襟を引かれた男は、咳き込む暇もなく尻餅を付いた。
「っげほぇ……ごほッ、何で着いてく」
「退きますぞ!!」
 矢継ぎ早に言葉を番える老爺は、空き手で宙に文字を切った。
「なぁー――!」
 異を唱える男の声がかき消される。渦を巻き吠える吹雪が視界を全き白に閉ざした。


 城の残跡。かつては門であったその傍らに、男と老爺は姿を結ぶ。凛気を解き瓦礫にどっかと腰を据えた男の前に畏まると、老爺は深々頭を垂れた。
「無礼は承知! 詮のない節介爺とお叱り下され……したが、単身挑むには相手が悪ぅ御座います。」
 諸身を剥き両肩に包帯を巻き付ける男は、何につけても大仰な老爺に靨を刻んだ。
「もちっとで彼岸見るトコだったかんな~……助けてもらっちまってよ、すまねぇ。」
 対脚の重みに踏み土がじゃれる。四の字に足を広げた男は、掌に膝を掴み顔を伏せた。
「若?! おお、何ということを、顔をお上げ下さい!」
「あら勿体ねぇ、俺が謝るなんざ十年に一度あるか無ぇかなんだがな~。」
 泡を食う老爺に苦笑し、男は包帯の端をくわえた。
「相手が悪ぃ、か、確かにな。あろ炎、あら一体何ら? 魔法らねぇ、機術とも違う……」
 瞬きに過ぎぬ程といえ、男に確かな恐怖を植えた未知の技。瞼を下ろすまでもなく、その強烈な灼光は瞳孔にまざと溢れる。
 顔皮に険しさを戻した老爺は、驟息を吐いた。
「彼奴こそ、エブラーナの上忍をも赤子が如くに捻り潰せし魔物で御座います。人の姿は空蝉にして、本性は五体燃え盛る憤怒の魔人。我らの練鍛鉄では、傷付けるなど疎か触れることすらままなりません。」
「はっはァ、アレでま~だ本気じゃねぇってワケ……」
 男は首に手を当てた。熱が未だ喉元を過ぎずに蟠まっている。
「……なあ、その、本性だか本体だかやら、”描け”っか?」
 からりと爪先の石を刎ねた男は、包帯の余剰を懐に立ち上がった。
「忘れようとも忘れ得ませんぞ。……したが何故に?」
 空の裾を風に流したまま歩む男の背を追い、老爺も瓦礫を後にする。
「ミシディアで面白ぇ話拾って来てな。世界を救うパラディン様御一行ときたもんだ。バロンをひっくり返すわ、ゾットを叩き落とすわ、いやぁ頼もしいねぇ~」
 行く先々で耳に留めた武勇を謳い上げ、男は陽を仰いだ。青の天蓋を掠め振り返す瞳に、高く聳える前世紀の産物。
「先祖方にゃ悪ぃが、手持ち札を切るぜ。芝居を打ってでもな。」
「若……! よもや他国人を信用しておいでですか!!」
 色を失い声を荒げる老爺の胸に拳がひたと当てられる。皺の面が緑の上弦眼に歪んだ。
「信用はしねぇ。が、役に立つ。頼んだぜ。」


月が巡り、朝が回る。幾度目かの僥倖を経た後に、彼らは訪れた。

「こんな綺麗な姉ちゃんに泣かれたんじゃ仕方ねぇな……」
 今なお衰えぬ老爺の幻炎に焼かれた身を起こし、男はざっと一行を撫で仰ぐ。魔導師二人、戦士二人、それぞれの得物は槍、剣、杖、弓。不足は中・遠距離間を担う遊撃手か。
 人の好さを描く騎士の面立ちに心中秘め笑った男は、白魔導師の癒術を浴びた左手を突き出した。
「ここは一発手を組もうじゃねえか。よろしくな――俺の名は、」


//了//