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■ Pain(Sherlock S/J)2021. 1.15

S4以降の話そのC。ラストです。
R18要素はぬるめです。
初めてで痛みしか感じられないけれど愛しく思うゆえに受け入れる助手と、痛みを与えてまで抱きたいわけじゃないと止めようとする探偵。

***

 ベッドに腰を下ろしたジョンは、半乾きの髪にタオルをあてた。両手を動かす最中、視界には空っぽのベビーベッド。今頃、彼の愛娘はハドソン夫人に読み聞かせてもらっている真っ只中か、夢の世界で飛び回っているだろう。眠る娘の小さな額に、お休みのキスを贈ることができないジョンは、寂しさを感じてしまう。
 ただ、それも致し方ないことだと分かっている。ロザムンドが一緒にいたら、できるはずもないのだから。ジョンはベッドサイドにタオルを置いた手で、並んでいたボトルを取り上げる。封は切られ、中身の液体は僅かばかり減っていた。目の前で何度か揺らした後、緊張した面持ちのジョンは落ち着くために深呼吸を数回繰り返す。
 ロザムンドを夜間だけ預かってくれるのは残り数日。約束の日にちが近づいているということだ。
「……よし」
 小さな声とともに決心すると、揺らいでしまう前にジョンはバスローブの腰紐を解いた。



 疑似がとれて恋人になった夜のこと。シャワーを浴び終え、迷いながらもパジャマを身につけたジョンは、居間からシャーロックの姿が消えていることを確認しちょっと笑うと、彼の寝室のドアをノックする。
「シャーロック? 入るよ」
 中からの応答を聞かずにジョンはドアを開けた。
 真夜中を過ぎているのに煌々と明るい寝室のベッドの上。室内着に着替えたシャーロックが子どものように膝を抱えて座り込んでいた。音に反応し向けられた眼差しは苛立ちを帯びながらも少し不安げで、ジョンは再度笑ってしまう。
「……君は余裕だな、ジョン」
 断りなくベッドに乗り上げたジョンは、シャーロックの正面に向かい合うように座った。
「まあ場数は踏んでるしね。君は僕のことを思って調べてくれて知識も準備もしてあるんだろう? なのにどうしてそんなに不安げなんだ」
「勿論だ、今までの君の彼女暦を考えプレイ内容も考慮に入れている。今すぐには無理だが、アブノーマルプレイでも対応は可能になる予定だ。それに僕は不安というより……自分で制御できない衝動があることが不快なだけだ」
 前半の主張に関してはこの場は聞かなかったことにして、ジョンは眉を顰めたシャーロックに尋ねる。
「その衝動ってのはどんなものなんだ」
「さっきも言った、君に触れたい、君に口付けたいと言う願望だ」
「その願望を実現させるのは今なんだけど、その衝動に身を委ねるのは嫌なのかな」
 首を傾げて問うジョンから逃げるようにシャーロックは顔を伏せると、立てた膝に額を擦り付けた。
「……僕は常に理性的であることを望む。今すぐには無理だが、時間をかければ性欲だって理性で制御できるはずだ。だから今日は部屋に戻ってくれジョン。もう少し時間が欲しい」
 ジョンに対して生まれた性欲は、彼を待つ間に冷静になったシャーロックによって押さえつけられようとしていた。燃え上がりかけていた炎は、シャーロック自身によって消火されてしまったようだ。衝動に流されることを良しとしない、シャーロックらしい判断だ。
 冷静に考える暇を与えずになだれこむべきだったのか、反省しつつもジョンはシャーロックににじり寄る。体温が感じられるまで近寄ったジョンは、もじゃもじゃの間から覘く耳に唇を寄せた。
「でもね、シャーロック。僕は君に触って欲しいよ、そのために準備してきたんだから。このまま部屋に帰れない」
「!」
 弾かれたように顔を上げたシャーロックの頬が、微かに赤みを帯びていることをジョンは見逃さなかった。どうやら消えていたと思っていた炎は、まだシャーロックの中でちゃんと燃えていたらしい。酸素を送り込んでやれば、もっと鮮やかに燃え上がるだろう。
 ジョンは意図して焚きつけることにした。
「君はさっき僕は余裕だって言ったよね、そりゃ僕の方が経験者だから当然だ。……でも、ほら」
 ジョンは未だに膝を抱えているシャーロックの片腕をやんわり掴むと、己が胸に誘導して服越しに触れさせた。丁度、ジョンの心臓の真上に。
 シャーロックの瞳が驚愕に見開かれ、触れている大きな手のひらがびくっと震えた。ジョンはシャーロックの反応に、困り顔を見せる。
「だからと言って緊張していないわけじゃないんだ、身体洗ってる時からこんなだよ、僕の心臓。今まで性的な場面で誰かに身体を委ねたことはないし、触れさせることもあんまりなかった。こっちから触れることは多かったけどね。でも君に触れたいと、キスされたいと言われて、もう馬鹿みたいに緊張してるんだ。相手は君だし、恋人になったばかりだし、今まで経験したことのないようなものになるのは間違いないんだ。だから、ここで何もせずに部屋を追い出されるなんて、ものすごく不本意なんだ」
 どくどく激しく波打つジョンの心臓。シャーロックは、気恥しそうにしながら己が思いを口にするジョンから眼が離せない。
「ただ、君が本当に今は嫌だと言うのならば、これ以上強制はしないよ。あくまでも僕は君が望むならば応えるをスタンスにするつもりだから。今は最終確認だ。ただ、今君が逃げようとしているのが僕のためだったら、許さないけどね」
 にやりと笑ったジョンは、シャーロックの手を解放すると、そのまま顔を寄せて触れるだけのキスをする。柔らかく触れた熱がゆっくりと離れる、しかしそれも一瞬のことで再び唇は重なっていた。ジョンが引いた分の距離をシャーロックが自分から詰めて、口付けたのだ。熱い舌が抵抗のない唇を割り、咥内に滑り込む。伸びてきた両手がジョンの頭を鷲掴んだ。
 先ほどまでの様子が嘘だったように、シャーロックの口付けは荒々しく貪るようだった。虚をつかれたジョンだったが、舌を強く吸われた途端、自分からも積極的にキスに応え始めた。
「……、意外とキスが上手いな」
 唇が離れた時、ジョンはベッドに仰向けに横たわり、シャーロックはそんな彼に覆い被さっていた。
 お互い深く絡めるキスに夢中になっていたはずなのに、シャーロックはジョンが気付かないうちに彼の身体を押し倒していたのだ。気持ちよかったのは火照る唇が教えてくれる。自分の方が経験値も豊富だと思っていたジョンはシャーロックの手際に、少しだけプライドを傷つけられたように感じてしまい、憎まれ口を叩いてしまう。
 シャーロックは何も言わずに荒い呼吸を繰り返した。今は誰が見ても分かるほど赤らんだ頬を一滴の汗が伝い、ジョンを見下ろす双眸にははっきりとした炎火が見えた。滑らかな首筋に浮かぶ喉仏が上下に動く様が、見上げるジョンにはよく分かった。
「ジョン、君にもっと触れたい。衣類を取り払い、皮膚に触れ、君の体温を直に感じたい。そして」
 再びシャーロックの喉が動く。瞳が切なげに細められた。
「君が許してくれるのであれば、君を抱きたい」
 性行為で言葉を濁し、今までずっと明言を避けていたところだった。ただジョンは逃げていたわけではない、キスをして触れ合っていけば辿りつく可能性は高いと踏んでいた。男同士であり、シャーロックは男としての性的欲求を初めて感じたばかり、行きつくであろう先はなんとなく理解していた。
 ジョンは己を求めるシャーロックに対して頷いて見せる。
「君が望むのであれば僕は応えるって言っただろ? ただ少しでいい時間をくれ、準備期間が欲しいんだ心身ともにね」
 食い入るようにジョンを見ていたシャーロックの瞳が、不意にその熱量を落として不思議そうに瞬く。シャーロックとしては無自覚にも勢いのままに一線を越える雰囲気を感じていたのだろう。
 両想いになった恋人同士、ベッドの上で重なる二人の身体、なんて王道のシチュエーションだ。
「なにしろ抱かれるのは初めてなんだ、正直恐怖心がある。無茶をするとか痛みに対してとかじゃなくて、漠然とした不安が。それに経験がない以上、肉体の負担がどの程度になるのか分からない。明日は出勤日だから避けたほうがいい、万が一体調を崩して周りに迷惑をかけたくないし。なにより必要なものが何もない、君は勿論持ってないだろうし、僕は戻ってくる際に全部処分したからね。ただ時間が欲しいじゃ漠然としてるだろうから……一週間後でどうかな。丁度僕の休みと重なるし」
 ただし事件が飛び込めば予定は狂うだろうけれど、どうかな。唇の端を上げたジョンの提案に真顔になったシャーロックは深く頷いた。
「すまないジョン、君の負担を失念していた。それに君は元々ノーマルだから、自分が同性に抱かれるとの事実を受け入れるまでに時間が必要なのも理解できる。約束しよう、君が大丈夫だと言うまで僕は待つ」
 漂わせていた興奮を一気にそぎ落としたシャーロックは、身体を起こしてジョンの上から退いた。同時にジョンも身体を起こすと、二人は再度向き合って座る。
「ありがとう、シャーロック。ところで、僕に触れたいってのはどうする?」
 そのために身体はきれいに洗ってきたんだけどね、パジャマの襟を持ち上げて問いかけると、シャーロックは硬い表情で首を振る。
「いや、今日は止めておこう。先ほどのキスでつくづく実感した、僕は君に触れると否応無しに高ぶり歯止めが利かなくなる可能性が高い。今は君の話を聞き冷静に戻れたが、まだ触れたことのない肌に触れ、冷静なままでいられる自信はない。君の負担も考えれば、触れる時はきちんと準備を行い君を抱く時だとしたい」
 ジョンに触れて冷静でいられる自信がない。同時に理性で抑え込めない可能性が高い。最初にジョンを拒絶した理由なのだろう。欲望のままにジョンに触れたくないのだ、シャーロックは。
 とても大事にされているのだと実感したジョンの心を温かな幸福感が満たす。愛しさが込み上げてきたジョンは、これくらいの接触は許されるだろうとシャーロックの頬にキスをした。



 準備してあったタオルをベッドの上に敷き、伏せで下半身だけを上げた状態になったジョンは手の中に出したローションを温めながら数日前のことを思い返していた。
 あの時シャーロックはジョンの希望を聞き入れて引いてくれたけれど、下半身は緩く反応していたことに、ジョンは気付いていた。シャーロック本人は意図して無視していたようだが。
 キスに煽られたのだろうと理解したジョンだったが、何も言わずにそのまま部屋を後にしてしまった。蛇の生殺し状態、自分で抜いたりしないであろうシャーロックに何かしてやった方が良かったのかもしれなかったが、ジョンにはまだ向き合う勇気がなかった。
 今でこそようやく自分が抱かれるのだとの覚悟を固め始めたジョンだったが、あの時はシャーロックの性器が正直怖かった。同居中に不本意だが目にしたことはあるが、自分の尻に挿入されると分かってしまった以上、怖さは拭い去れない。軍医とし戦場にも出た男が、命のやり取りでもないことを恐れるなんて馬鹿げている。ジョン自身も思うのだが、病院でくらいしか触れられない繊細な部分を暴かれ、尚且つ自分にもある性器を挿入されて揺さぶられるのだ。シャーロックに全てを委ねて。ジョンはシャーロックを心から信頼して愛しているが、相手に委ね自分の自由にならないことに、どうしても恐怖が付きまとう。
 勿論、抱きたいと求められたことが嫌なわけではない、シャーロックの性欲が自分に向けられている事実はジョンの心を駆り立てる。だから衝動に怯え、戸惑うシャーロックを大丈夫だと促したのだ。ただつい先日まで性対象はノーマルであったのだ、そこに突如としてシャーロックが加えられ、しかも抱かれる立場になると分かったのはほんの数分前だった。男同士の性行為を知識として知っているが、そこに自分を当てはめて考えを変えるなんて、すぐには無理だ。頭も体も追いつかない。
 そして準備するためにと与えられた一週間。ジョンは自分の身体を慣らすことに決めた。シャーロックの高ぶりを無視してしまった罪悪感と、当日少しでもスムーズに身体を開けて受け入れられるようにと考えて。だって、最高の夜をプレゼントできていない。
 ただそれも、ハドソン夫人がロザムンドを夜の間預かるわと申し出てくれたからだ。大方シャーロックから報告を受けたのだろう、一週間で足りなかったら相談してねなんて、期待に満ちてキラキラした笑顔で言われてしまったのだ。頬には少し赤みがあった。シャーロックの報告がどういったものだったのかジョンは怖くて聞けなかったが、想像にはたやすい。ジョンは恥ずかしさに頬が熱くなるのを感じながら、お願いしますとその場で頭を下げた。流石に娘が眠る横で準備に励めない。
「ふう……」
 ローションが体温に近くなったことを確認したジョンは、意を決したように指先で一掬いした。



 約束の日までシャーロックのもとにはいくつかの事件と、レストレードからの連絡が何度か入った。どれもが手のかかるものではなかったようで、シャーロックの姿は221B から離れることはなかった。
 仕事を終え帰宅した際にレストレードと丁度出くわした。困惑気味の表情で、シャーロックはどうして機嫌が良いんだと首をひねっていた。どうやらいつもならば足蹴にする事件も快く引き受け、特に嫌味も言わずにスピード解決したらしい。しかもロザムンドをあやしながら。ジョンが戻って来てからなおのこと丸くなったシャーロックだが、今の彼はあまりにも不気味に映るようだ。
 ジョン自身も気づいていたが、シャーロックの浮かれっぷりには驚かされた。思いを自覚して数年は経ち一度はあきらめた恋心が実ったばかりなのだ。いくらシャーロックといえども喜びは隠しきれないようだ。これで一緒に現場やヤードに行くことになったらどうなるのか、そこは流石に通常の探偵として振る舞うのか。まあ今は考える必要はない、その時に対処すればいいやとジョンは思う。
 そもそも、ジョン自身にシャーロックとの関係の変化を隠す気はない。逆にわざわざ触れ回る気もないのだ。
 レストレードに関してもそうだ。後で人づてに知られる方が何だか嫌だったので、ジョンは掻い摘んだ説明をした。簡単にいえば恋人になったのだと。
 さらりと伝えたジョンにしばし言葉を失ったレストレードだったが、”そうか、いや良かった”と感慨深げに言って目元を和らげた。その後、就寝前にモバイルを確認したジョンはマイクロフトから”素晴らしい報告をありがとう、弟をよろしく”とのテキストが届いているのを見て、溜息をつくとふて寝した。



「ってテキストが僕に来たけど、君にもお兄さんから何か来てるんじゃないかな?」
 不意に思い出したジョンが首を傾げて尋ねると、シャーロックはくしゃりと顔を歪ませる。
「……そんなもの即刻消しているに決まっている。読む価値などない。なにより、この体勢であいつのことを思いださせるようなことを話すなんて、君は何を思っているんだジョン! 場違いにもほどがある!」
 不機嫌を隠す気のない轟く低音でシャーロックは喚いた。子供のようにへの字に曲がった唇がつやっと濡れているのは、直前までジョンのそれと深く触れあっていたからだ。
 約束の日、シャーロックの喜ぶ事件は飛び込んでこなかった。朝からそわそわしていたシャーロックにジョンは苦笑して出勤したものの、どうやらそわそわが感染していたようで退勤するまで何だか落ち着かなかった。診察の合間も座っていられず、診察室をウロウロしていた。アナイスは目ざとく気づいたらしく、今日もデートですかなんて聞いてきたくらいだ。
 お互いに余裕を欠いたまま迎えた夜。一週間前の夜と同じようにベッドで向きあって、口付けを交わした。少しぎこちなさもありながら、相手を求めて。
 そんなタイミングでの、ジョンの発言である。シャーロックが不機嫌になるのも当然だった。
「はは、ごめんシャーロック、ちょっと気になってさ。大方グレッグが話したんだろうけど……明日にでもヤードに行けば、皆からお祝いされるかもな」
「ジョン!」
 怒りが滲み始めたシャーロックの声に、ジョンは笑いを残したまま彼に抱きついた。
「……緊張、少しはとれたかな?」
 ジョンの囁きにシャーロックは目を見開き固まった。
 前回の己の行動を思い返し、あまりの情けなさに歯噛みしたシャーロックは上手くエスコートできるように何度もシミュレートした。ジョンの恐怖を解消するには、委ねても大丈夫との安心感が必要であり、そのためにはシャーロックが余裕を持ってセックスに挑まなければいけない。
 昨日までは完璧だった、シャーロックは万全を期していた。けれど今朝になると一気にポンコツになってしまい、ジョンを目の前にして完全に駄目になった。頭は真っ白になって身体は強張り上手く動かない。察したジョンに口付けられれば、沸き起こる肉体的欲望に抗えず、獣のように喰らいついてしまう。
 最中にジョンが投げた会話は、シャーロックを不機嫌にさせたものの緊張をほぐしてくれた。間違いなく、ジョンは意図していた。
 またジョンに手を引いてもらう結果になった。こんなはずではなかったのに、不甲斐なさに歯噛みしたシャーロックだったが、密着しているジョンから感じる鼓動が、前回のように早いものであることに気づいた。ジョンも緊張しているのだ、気づいたシャーロックは瞬時に理性を取り戻し、同時にジョンを抱き返した。


 ベッド脇に散らかる二人分の衣類。枕元には半分ほど中身を減らしたローションのボトルと、開封済みで中身のないスキンのパッケージ。
 じっとりと汗ばんだ身体をシーツに預けたジョンは、自分の中を探りながら解す指先にとうとう根を上げた。ジョンは自分で慣らしていた事実を、シャーロックが触れる段階で伝えていた。勿論、お互いの負担を軽減するためだと付け加えて。そう、大半の夜は自分で触れていたのだ、だから大丈夫だと思っていたジョンの思惑は、綺麗に崩れ去った。自分の指は思い通りに動くが、他人の指先はそういかない。ジョンは身をもって実感した。
 ジョンとしては自分でも十分と思えるほど、身体を慣らしてきたつもりだった。自分の指はぎちぎちになるが三本は入るし、医者として無理のない範囲だと思っている。そこまで説明し、ジョンはシャーロックに身体を委ねた。
 しかし、シャーロックは十分ではないと考えているようだった。ジョンのそこはシャーロックの指を受け入れて、だいぶ時間が経っている。ジョンが自身で慣らしていた時よりも長い。広げられる違和感はとうに薄れ、ジンジンとした疼きが下半身に広がってる。感覚が麻痺し始めてるようだ。ジョンの身体は汗でびっしょりしている。
「シャーロック、もう良いからッ」
 ジョンはシャーロックの手を掴むと、強引に中から指先を抜き去った。
「しかし、ジョン。十分に拡張しないと君の身体を傷つけることになりかねない」
「僕が良いって言うんだから、良いんだよ! それに君だって、我慢して辛いだろう?」
 互いの下半身に視線をやり高ぶりを指摘してやれば、図星を刺されたシャーロックは唸って視線を逸らす。シャーロックからの気遣いを十分感じているが、それにしても限度がある。初めてだから加減が分からないのだろう、ならばジョンが判断し導く必要があった。
 シャーロックはスキンを装着すると、受け入れるために足を開いたジョンにそのまま覆いかぶさる。額に優しいキスを落とすと慣らしたそこへ熱の先端を押し付けた。ジョンの視線の先でシャーロックの喉が動く。まるで獲物を前にした獣のように。
「う……」
 ぐぐっとシャーロックの腰が動くとともに、ジョンの体内へ指よりも太く熱いモノがゆっくりと押し込まれてく。シャーロックは窮屈なジョンの中に目を細めながら、それでも彼の様子をつぶさに見詰めていた。
 咄嗟にジョンは両手で自分の顔を隠す。表情を見つめられることが恥ずかしいわけではない、苦痛に歪む顔をシャーロックに見せたくなかったのだ。耐えようとしたって駄目だった、どうしてもジョンの顔は痛みに歪んでしまう。
 ジョンが感じているのは、体内を抉じ開けられる鈍い痛みと圧迫感だけだった。初めて受け入れるのだからと覚悟していたとはいえ、痛いものは痛く、快楽の一かけらだってない。男同士でも快楽を得られる箇所はあるけれど、慣らすことに集中していたシャーロックの脳裏からは消え去っていたし、初めて同士で最初から互いに気持ちよくなり上手くいくなんて、期待していなかった。
 シャーロックの思いやりは痛いほど感じていた。ジョンを傷つけたくない、苦しめたくないのだ。ただ、じれったい程にゆっくりとではなく、せめて一息に挿入してくれれば、じわじわと広がる鈍い痛みも短くてすむのではないか。そう思ったジョンが一息に入れてくれと提案する前に、シャーロックの動きが止まる。
「ジョン、僕は君を苦しめてまで抱きたいわけじゃない」
 シャーロックは熱い息をはいた。
 反応をつぶさに見詰めていた名探偵にはジョンの隠しごとなど手に取るようにわかる。特に、そのせいでジョンが苦しんでいるのであれば尚更だ。優しくもしっかりとした手でジョンの腕を外させたシャーロックは、浅い呼吸で強張るジョンの頬を掌で覆う。安堵感を与えてくれる温かく大きい手に触れられ、ジョンの眦からぽろりと涙が零れ落ちた。
 指先で雫をぬぐったシャーロックは切ない表情を見せると、重なり始めていた身体を引き離そうとする。ああ、くそ! ジョンは自分自身に内心で悪態をつくと、両足をシャーロックの腰に絡めて離れていくことを阻止した。同時にぐっと引き寄せたせいで、ぐぷっと先ほどより深いところまで受け入れることになりジョンは喉の奥で唸る。
「ジョン!」
「僕を、見くびるなよシャーロック。痛いのなんて最初から分かっていたことだし、僕は理解して君を受け入れたいと、覚悟を決めたんだ」
 荒い呼吸を整えながら、ジョンはきっぱり言い切った。シャーロックは食い入るような眼差しで、苦痛を滲ませるジョンを見つめた。少しでもその痛みが取り除ければいいと言うように、優しい指先はゆるくジョンの頬を撫でている。
「それでも君は止めるというのか、僕の覚悟を踏みにじる気なのか君は」
「……でも、君は泣いている。滅多に零れ落ちることのない君の涙は、僕を狼狽させるんだ、ジョン」
 唇を噛み締めたシャーロックは、指先を滑らせると涙の滲んでいた眦を撫でる。自分のせいでジョンを泣かせたと感じているのだろうシャーロックの面に、謝意と後悔の思いが色濃く浮かんだ。
 シャーロックの言葉に見開かれたジョンの瞳は潤み、風を受ける水面のように揺れていた。一度瞬くと一滴分溢れてちょうど触れていたシャーロックの手を濡らす。シャーロックの表情に悲しみが濃くなる。
 君は勘違いしている、ジョンはシャーロックの言葉を否定するため首を振った。
「違うよシャーロック。痛いのはそうだけど泣くほどじゃない、肩に銃弾を食らった時を思いだせば、十分に受け入れられる痛みなんだ。……僕は嬉しいんだ、君を受け入れられて。それに君が優しすぎてね。どうしたんだよシャーロック・ホームズ。君はもっと傍若無人で、僕を振り回す天才だったはずだろ? なんでそんなに優しんだよ……ッ」
 ボロボロと涙が零れ落ちていく。泣き顔を見られるのが嫌で隠そうとするのを見透かしていたシャーロックは、ジョンの目じりに何度も優しいキスをした。
 繰り返されるキスに顔を隠すことを諦めたジョンは、受け入れている箇所の痛みが少しだけ和らいでいることに気づいた。もしくは開かれた形に慣れてしまったのかもしれない。
 体内で波打つシャーロックは、時間は経過しているが大きさを変えていない。ジョンは、そろりと両手をシャーロックの首に回し彼が逃れられないようにすると、腰に回している足をさらに引き寄せた。
 慌てるシャーロックをがっちりホールドしたジョンは、泣き声混じりに笑う。
「ずっと勃起したままで萎えないくせに! ここまで来て放り投げるなんて許さないからな!……僕を愛しているのであれば、最後まで抱いて欲しい」
 最後は声のトーンを落とし、シャーロックの耳に囁きかける。シャーロックの抵抗がぴたりと止み、ジョンを伺いながら腰を少しだけ押し付けた。どちらの指でも届かなかった奥が抉じ開けられて新たな痛みが生まれる。
「まだ全部じゃない。もっと奥にまではいって、君にさらなる痛みを与えることになるんだ。ジョン、君はそれでも」
 これ以上シャーロックが吐く言葉を聞く気のなかったジョンは、唇を自分のそれで塞いでしまう。自分でこれ以上取り込むのは些か不安だったため、受け入れている部位を刺激しようと意図して下半身に力を入れた。シャーロックの喉の奥で生まれた唸り声までも、ジョンは腹の中に飲み込む。
 ようやく観念したのだろうシャーロックは、それでも気を使いながら残りをジョンの身体に挿入していく。か細く間延びした声がジョンの喉を震わせた。根元まで入れて止まると、気づいたジョンは腕を解いた。同時に腰に絡んでいた両足が力を失い落ちていく。
 両肘をついて上半身を起こしたシャーロックの下で、ジョンは瞳を伏せて浅い呼吸を繰り返していた。両手はだらりとシーツに投げ出され、下肢は受け入れた衝撃にぴくぴく震えている。睫毛が震え瞼の下から濡れた瞳があらわれると、にやとした笑みが浮かぶ。
「君の凄いね。なんだかここまではいってる気がする」
 物憂げに利き手を上げたジョンは、臍の下あたりに手をのせた。不可能ではあるが、それくらい深くまで受け入れているのだと感じていたのだ。
 無論、シャーロックを煽ることになるだろうとジョンは承知しての言動だった。
「ジョン……」
 吐息混じりのシャーロックの声に、ぞくりとした何かがジョンの背中を駆けていく。常には澄んでいる瞳の奥にドロリとした熱をはらみ、ジョンをこのまま貪りたいのだと訴えていた。ジョンの奥まで暴きたて、力一杯に揺さぶり突き上げたいのだと。ただ、ジョンを大切に思うシャーロックの心が、苦しめるな傷つけるなと、凶暴な欲求をぎりぎりの所で押さえつけているのだ。
 なんて頑固なんだと思いながら、それだけ愛されているのだと思い知らされジョンの胸はシャーロックへの愛しさで一杯になる。ジョンはシャーロックへ両手を伸ばし、汗を帯びて興奮により赤く染まった頬に添えた。ゆっくりと引き寄せて互いの額をこつんと合わせる。
「当然痛いよ、本当にすごい奥まで入ってくれてるからさ。でもこれは、初めて君を受け入れるからなんだよシャーロック。これから積み重ねていけばきっと消えていく。後で思い返せば、愛しい痛みになるんだよ、君と初めてつながった時の痛みとしてね。そして君には僕の身体で気持ち良くなって欲しい。さあシャーロック動くんだ、セックスは入れて終わりじゃない、そうだろう? 僕の中で、気持ち良くなってくれ」
 最後はたっぷりの愛しさを込めて耳に囁いて頬から手を離すと、ジョンはにっこりと笑いかける、瞬間呆けた表情を見せたシャーロックは、すぐに苦しそうに顔を歪めてジョンの首筋に顔を埋めた。火傷しそうなほど熱い吐息が、ジョンの肌をあぶりとかす。
「……ああっ」
 熱が一気に引き抜かれ、ジョンの背筋に震えが走る。深呼吸したジョンは、けれどこれが終わりではないことを察していた。
 両足を抱え込まれ、濡れた尻がシーツから浮く。見下ろすシャーロックの瞳は紛れもない欲に濡れていた。ああ、喰われる。覆いかぶさるこの男に余すところなく喰われるのだ。シャーロックに対する恐れではなく、彼の瞳の美しさにジョンが息を飲んだ瞬間。
「あぁッ!!」
 今度は気遣いなど一切なく、一気に奥まで貫かれた。多分、勢いがついていた分、先ほどよりも奥まで抉られている。ジョンは全身を襲った衝撃に仰け反り、叫んだ。上手く呼吸ができず震える首筋にシャーロックの舌が這わされ、喉仏に歯を立てられる。まるで肉食獣が捕らえた獲物の息の根を絶つように。
 喉の奥からジョンが悲鳴を絞り出すと同時に、シャーロックの腰が激しく動き始めた。随分長い時間放って置かれた一度も達していないシャーロックの熱は、制御を振り切りジョンを強引に抉っていく。
 やはり感じるのは痛みだけで快楽の欠片もなかった。ともすれば痛みに意識が飛んでしまいそうになるが、ジョンはそれでも必死に受け入れる。身体は引き裂かれ苦しいが、シャーロックを受け入れられた事実にジョンの心は満たされていた。だから、今は痛みがあろうとジョンは受け入れる。
「ジョン……っ」
 快楽を得て熱に浮かされたシャーロックは、何度も愛する者の名前を呼び続ける。時折混じる愛しているの言葉に、僕もだよと返事をしたかったものの揺れ続けるジョンには意味ある言葉を発することが困難だった。口から出るのは精々意味のない単音だけだ。
 だからジョンは朦朧としてきた意識がふつりと途切れるまで、自分を一心に求め蕩けてしまうような愛を刻み付ける男を見つめ続けた。その口元に小さな笑みを浮かべながら。