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■ 覚悟(テニプリ)2014.11.30

四天宝寺前の亜久津とタカさん


***


 制服姿の亜久津は、急ぐでもない足取りで公園を横切っていた。
 別に公園に用があるわけではない、ただの通り道だ。

 時間は19時をまわっていたが、初夏のためか辺りはまだ明るい。街灯はついてはいたが、その存在感はまだあまりないようだ。
 公園の通路沿いに等間隔で設置されているベンチには、カップルと思われる男女が数組座っており、それぞれが密な空間をつくりだしている。二人だけの世界を、周囲に見せ付けるようにいるカップルたちに亜久津は苛立ちを隠すことなく舌打ちをする。
 するとそれが聞えたのだろう一番近くのベンチに座るカップルが、亜久津のことをチラッと覗った後、慌てて立ち上がり早足で去っていった。勝手に恐れ戦き去って行った彼らを気にも留めず開いたベンチの前を横切った亜久津は、視界の先に気になるものを見つけ、一直線に足を向ける。
 それはカップルの座るベンチから少し離れた、子供地たちの遊具の傍らに設置されたベンチ。昼間だったら子供を見守る母親なんかが座っているであろうベンチ、その眼前に来ると、亜久津は足を止めた。
 相手は、亜久津が目の前にいると言うのに項垂れているためだろう、全く気づかない。
「おい」
「!?」
 過剰と言えるほど身体を震わせて驚きを表した相手は、亜久津が知る人物の一人。
「何やってんだ、河村」

「あ、亜久津。久しぶりだね、大会以来かな。今帰りなのかい?」
 些か早口でそう言うと河村は人の良い笑みを浮かべた。
 夏服の学生服を身にまといベンチに腰掛ける彼の、横には大きなスポーツバック。一目見て部活終わりだと分かる。
「こんなところで、何やってんだ」
 河村の言葉に返事をせず、亜久津は先ほどの言葉に付け足して言う。周囲を見回すような、そんなジェスチャーを伴いながら。
 すると河村は亜久津の動きにつられる様、顔を周囲に動かして。カップルで埋め尽くされているベンチに目を留めると、あっと小さな声を上げた。
 どうやら周囲が眼中に入っていなかったらしい河村は、視線を戻すと困った顔で亜久津のことを見上げた。多分、亜久津が目の前に立っていなければ、即刻逃げ出している、そんな雰囲気だった。
「おい、詰めろ」
「え、あくつ」
 すると亜久津は、河村の前から退くどころか彼の身体をベンチの端に追いやり、開いたスペースに我が物顔で座ったのだ。河村の困った表情は続いたまま、いや先程よりずっとその色は濃くなっているかもしれない。


「……」
 河村を押しやり座ったにもかかわらず、亜久津は何も言わず口を閉ざす。河村に一瞥もくれない。ただ真正面を向いているだけだ。
 そんな亜久津の事を、河村はちらちらと横目で覗う。その唇は、何か言いたそうに震えるものの、しかし開くのを戸惑っているようにきゅっと引き結ばれてしまう。そして視線をさ迷わせながら、俯くと身体を縮こませる。
 それは、さながら叱られてどうすればいいか分からず親の顔色を覗う子供のようだった。
「勝ち残ってんだってな」
「え、あ、うんっ。次は準決勝で、相手は」
 弾かれたように顔を上げた河村に、しかし亜久津はやはり視線を向けず。ただ横顔を見せるだけだ。
「大阪の学校だろ」
「ああ、四天宝寺ってところ」
 そう言う河村の口調からは、どうして知ってるんだろうと言う全うな思いが見え隠れしていた。だって、亜久津は越前に負けた後、大会はおろかテニスから遠ざかっていたのだから。

 答えはごく簡単なものだ。亜久津を慕う壇が、寄って来ては一方的に喋っていくのだ。特に彼が憧れとライバル心を燃やしている越前の、所属する青学の現状を事細かく詳しく。最初こそうるさいと、俺はもう関係ないと追い払っていたものの、めげもせず寄って来る壇に根負けし、好きにさせるようになっていた。
 青学が氷帝を下し準決勝に駒を進めた事、対戦相手が大阪四天宝寺中という事も勿論、壇は亜久津に話していた。しかも四天宝寺中の選手データまでもである。
 正直、亜久津には青学が勝ち進んでいようが負けていようがどうでも良かった。まあ、越前が負けたなどと聞いたら、少し苛立ちを覚えるかもしれないがその程度。
 だから、いつもだったら壇の言葉など軽く聞き流し、記憶になど残さなかったし、青学が準決勝でどこと戦うかなんて興味も無かった。
 しかし、壇が伝えた情報の中に、亜久津の気を引くものがあった。だから亜久津は青学の準決勝戦、壇の情報を元にし、その中でもたらされるであろう試合を頭の隅に留めておいたのだ。
 そう、それは他でもない、今、会話を交えている河村。

「怖いんだろ」
「!」
 ちらりと亜久津が視線を向けると、河村は瞳を見開いて硬直していた。息を呑む、そんな言葉がぴったり合うような様子に、自分の想像は当たっていたのだと亜久津は思う。
 まあ正直、先程の項垂れていた河村を見たときから、ああそうなんだろうなと予感はしていたのではあるが、決定打となったのは、その表情だった。ぱっと上がった顔、そこに驚きがのる一瞬前に浮かべられていたのは、苦悩と恐れの表情だった。
「石田って奴と、試合すんのが怖いんだろ」
 すると河村は顔を歪め俯いた。
「……不動峰との試合を見たとき、彼が試合に出るなら絶対に俺が戦いたいって思った。でも、そう思うと同時に戦いたくないって思う自分もいた。だって、彼の強さを目の前でリアルで見ちゃったから。……彼は強い、俺なんて完膚なきまでに叩きのめされるんじゃないかって。俺の今まで築き上げてきた何かが、壊されるんじゃないかって」
「で、ここでずっと頭抱えてたわけか」
「……」
 言うと河村は唇を噛み締め。両膝に乗せていた拳にぐっと力が入った。それは彼の中の葛藤を如実に表していた。

 きっと、部活が終わってからずっと、このベンチで考え込んでいたのだろう。周りの風景など気にかけられないほどに。
「そんなに悩むようなもんなら、やめちまえ。それだけ悩むってことは、裏返せばそれだけ自信が無いってことだ。そんな状態で試合しても、負けるぞ」
 突き放す手厳しい亜久津の言葉を受け、びくっと河村の肩が震える。垂れた頭はそのままで、亜久津を見ようとしない。
「それか優しいお仲間に相談すりゃいいじゃねぇか。優しく」
「それはできないよ」
 亜久津の言葉を遮るよう言った河村の口調は、先程までの弱さと打って変わって凛とした強い響きを持っていた。
「皆、準決勝に向けて今まで以上にがんばってる。そこに俺の弱音なんかで、水を差したくない」
 だから俺は、自分で乗り越えなくちゃいけないんだ。そう自身に言い聞かせるように言った河村は、ゆっくりと顔を上げた。
 その表情は、未だ冴えない暗いものだったが、その瞳は確かな強い意志を宿している。
「結局、俺がどれだけ悩んでも結果はどうなるか分からない。……今の俺に必要なのは覚悟、なんだね。試合に立ち向かう」
 やっぱり自分に言い聞かせるように河村は言う。

 亜久津は立ち上がった。
「亜久津! 話聞いてくれてありがとう」
 そう言う河村の表情は、先程までの暗いものではない。彼の言葉の通り、覚悟を決めた男の顔だ。
 そんな河村に一瞥くれた後、亜久津は振り返ることなく立ち去ったのだった。