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■ タカさんと一緒C乾2014. 2.17

 日直の当番だった乾がHR後、担当業務を終えて部室に向かうと、誰も居ない。皆コートに行ってしまっているのだろう、そちらから勇ましい声が聞こえてくる。

 自分のロッカーに学生カバンを押し込み、テニスバックは中央のベンチに置く。
 詰襟の止め具を外し、ボタンを一つ一つ外して学ランを。
 同じようにカッターシャツのボタンを外し上半身裸になった乾は、ロッカーに伸ばした手をぴたりと止めた。
 指先は触れ慣れた、掴み慣れた物を求めたけれど、乾は手を戻すとテニスバックと共に置いた袋に行く先を変えた。
 苦笑いが浮かぶ。

「っし! ……あ、乾」
 乾が着替えている中、現れたのは河村だった。
 勢い良くドアを開けた河村は、傍目から見てとても嬉しいのだろうと分かるほど、笑顔全開だった。

 大事そうに、大きなビニール袋を腕に抱え込んで。

 しかしその笑顔は河村が乾を見て認識すると共に、なぜか消えていく。
 そしてそのまま、入り口に立ち尽くす。
 別に乾が部室に入るのを阻んでいるわけでもないのに。


 手に取った体育着の上を、メガネを掛けたまま頭から被った乾は、頭と手を出して上半身の着替えを終える。
 下も着替えようとして、流石にドアが開いたままで着替えられないことに気づき、乾は河村に声を掛ける。
「河村、ドア閉めてくれないか?」
「あ……ああ、ごめん」
 言われて河村は慌てて謝ると、ドアは閉めたがやはりそこから動かない。
 ぎゅっと腕の中の袋を強く抱きしめるだけだ。
 緑色のジャージに着替え終えた乾は、ちらりと河村に一瞥くれた後、ため息をつく。
「別に気を使う必要は無い、河村。それ、竜崎先生から渡された、レギュラージャージなんだろう?」
 指差したのは河村が抱えるビニールの袋。
 見えないようにと腕で隠されている部分は多いが、透明な袋のせいかどうしたって鮮やかな青は見えてしまう。

 言い当てられた河村は、叱られた子供のようにびくっ肩を跳ねさせた後、のろのろとした動作で袋をベンチの開いているスペースに置いた。
 それは見まごう無き青学テニス部レギュラージャージ、乾自身、数日前までは毎日のように袖を通していたものだった。
 今の自分には、身につける資格は無いのだけれども。

「さっきも言ったが気を使う必要は無いよ、それは河村が実力で勝ち取った証だから」
 感情の起伏を感じさせない声で言ったせいか、河村は申し訳ないと言いたげな顔で、所在なさげに立ち尽くすだけだ。
 また乾はため息をつく。

 今回のレギュラー決定戦で、河村が勝ち残り、レギュラーの座についたことはテニス部の皆が知っていることだ。
 そして乾が越前、海堂に破れ、レギュラーの座から落ちたことも同じく、皆が知っている事実。

 レギュラーの座から落ちたことは、当然悔しかった。
 しかしそれは自分の実力による当然の結果で、越前や海堂と当たったことが不運だったと思う気は毛頭無い。
 他のブロックに居れば、彼らとあたらなければ、そんなこと考えても意味も無いことだし、乾は気にもしなかった。
 それどころか自分を打ち負かした下級生の能力を、頼もしいと思ったくらいだ。

 そう、負けた本人は全く気にしていないというのに、他のブロックではあるが勝ち取った河村の方が気を使いすぎているのである。
 青学メンバーに聞けば、大半は河村らしいと言うであろうその優しさ。
 本当は心から喜んで、その真新しいジャージに早く腕を通したくて堪らないのであろう。
 先ほど、部室のドアを開けた勢いと浮ついた声、それに笑顔が如実に物語っていた。

 乾を含め、青学男子テニス部三年皆が知っていることだが、河村は今まで一度もレギュラーになったことは無かった。
 彼と同期の、手塚や不二、大石や菊丸、そして乾は、早くて一年の終わり遅くて二年の中ごろからレギュラーの座についていた。
 同じ練習に耐え、何かと仲良くなった六人の中、河村は一人悩んでいる事も多かったみたいだった。

 乾は直接話を聞いたことは無いけれど、仲間内で自分だけレギュラーになれないという現実に焦っている、そんな風に感じたこともあった。
 時々、不二と話しながら困ったような、悔しそうな表情を浮かべているのを、乾は視界の端に入れたことがあったからだ。
 そんな河村が、晴れてレギュラーになったのだ。彼と仲の良い不二やプレイスタイルの近い桃城は祝いの言葉を投げかけていたし、河村自身も嬉しくて嬉しくて、堪らないはずだった。

 もし、これが桃城や菊丸だったら良いだろ〜と見せびらかすだろうし、手塚や海堂ならば何も言わず黙って着替え、不二や大石は乾も頑張れよとエールをかける、そんな所だろう。
 しかし河村はどこにも属さない、不二や大石が見せるであろう反応に近いと思われるものの、それよりも優しく相手を気遣う。
 気遣ってしまう。
 自分が喜んで目の前で着替えたら、レギュラー落ちした乾が嫌な気持ちになるかもしれない、そんなの申し訳ない。
 そんな所だろう。

 河村の優しさは・人の良さは彼にとっての美点だと思うけれど、時々それが気弱な部分と合わさってしまう。
 それが今の河村なのである。気にしなくても良いと言っても、その姿勢を崩せない。
 それは乾にとってあまり好ましくない河村の優しさだった。
「……俺のレギュラージャージも少し古くなっていたからな、河村が着ないならば俺が貰っておこうか?」
「え」
「俺はすぐにレギュラーに舞い戻る予定だから、すぐに必要になるだろうし貰っておいてもいいだろう」
 俺と河村ならば身長にそう差は無いからな、大丈夫だ。
 そう言って乾がレギュラージャージにゆっくりと手を伸ばすと、慌てて河村が袋を手に取り抱え込む。

「そ、それは駄目だよ、困るよ!」

 そう言う河村の瞳には、先ほどまでなかった力強さ、意志の強さが現れていた。
 乾は口元を緩め、軽い笑みを浮かべると、伸ばしていた手で河村の二の腕をぱんっと叩く。
「そうそう、それは河村のレギュラージャージだ。俺が着るべきものじゃない……けど、いいかげん大事に抱え込まずに開けて着替えた方がいいぞ? 俺が部室に来て既に17分、ここにこうやって居れば居るほど、練習時間は減るが?」
 最後はからかいの口調で締めくくると、乾はデータノートとラケットを手にし、慌てて着替えだした河村を置いて部室を後にする。

 あのジャージを今の自分が着る事ができないのは悔しいけれど、すぐに俺の手に戻ってくる。
 それにあの真新しいレギュラージャージは河村にきっと似合うだろう、そんなことを思いながら、乾は騒がしいコートに向かった。

***

タカさんと青学メンバーのSSSそのC
乾編。
普通にこう言った事があってそうだなーと。