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■ タカさんと一緒A海堂2014. 2. 9

 何も考えずひたすら走る。部活を終えて疲れているはずの身体は確かに重く感じるけれど、海堂はそれに逆らうよう、夕闇に覆われる河川敷を走り続ける。

 コースは決まっている。基本は川沿いを進み折り返し地点は隣町の小学校、休憩も同じく隣町の大きな公園だ。
 調子がいい時は休憩を取らずに走り終えるが、今日は部活もあったことで休憩を挟まないと少し辛かった。
 そのため海堂は休憩をとることにした。
 通う学校の敷地ほどある公園は、日中は子供連れの母親やペットの散歩をしている高齢者の姿が見られるが、時間は既に六時を過ぎているため、人影は全く無い。

 崩れた砂の山を残す砂場の前を横切り、園内の端、ジャングルジムの前にあるベンチに腰を下ろした。
 横に立つ街灯が、海堂一人を照らす。
 頬を流れ落ちる汗を、はずしたバンダナで無造作に拭く。
 汗をたっぷり含んだそれで頭を覆う気の無くなった海堂は、几帳面に折りたたむとジャージのポケットに突っ込んだ。
 頭を垂れ、肩とは言わず全身を使い深い呼吸を繰り返す。それがいつもより激しいことに、海堂は気づいていた。
 身体も異様に熱を持っているように感じられる。
 それは常よりペースを速めてしまったせいだ。自分の体力を考えない無茶な走り。いつもはもう少し考えて、今日のように我武者羅に走ったりはしない。

 今の海堂を突き動かすもの、それは焦燥感。

 地区・都大会を勝ちあがり、青学は順調に関東大会に駒を進めた。
 その初戦となった氷帝戦は、チームとしての勝利は得たけれど、海堂個人としては納得しきれない試合だった。
 それに目の前に繰り広げられる他の仲間、特に手塚や越前の試合は、賞賛の思いとともにどうしようもない焦りも感じていた。

 今まで、それこそ誰かに言ったことはないけれど人の何倍も練習をしてきたつもりだった。
 それでも彼らの実力に遠く及ばないのではないかと、思えてならなかった。
 そう思えば思うほど、じっとしてはいられない、立ち止まってはいられない。

 練習量は更に増やした、今日だってペースを普段以上に上げている。
 強くなりたい、ただ純粋に、ひたすら純粋に海堂はそう思った。

「……海堂?」
 伺うような声で名前を呼ばれ、そこで初めて他者の気配に気づいた海堂は、慌てて顔を上げる。
 その声に聞き覚えがあった。
「お疲れ、ランニングの最中かい?」
 海堂の前、彼の顔を覗き込むようにし屈んで立っていたのは柔和な笑みを浮かべる河村だった。
 その姿に、思わず目を眇めてしまったのは、彼が全身真っ白の服を着ていたから。
 照らす街灯の光を反射し、海堂の目を眩ます。
 それは以前寿司をご馳走になったとき河村が着ていた板前が着るような職人着。
 そして彼がその手に岡持ちを提げていると言うことは、きっと家業の手伝い中なのだろうと、海堂は瞬時に察した。
 その白い服は、河村にしっくりなじんでいた。
「っス……先輩は」
「出前から帰るところ。公園の中通り抜けようとしたら、なんだか見たことある人が座ってるなーって」
 凄いね海堂、こんな遠いところまでランニングに来てるんだ。
 そう感心したように言う河村に、海堂は何か言葉を返そうとしたものの、上手い言い回しが思いつかず、結局は口を閉じて視線を逸らす。


 苦手というわけではない、反対に好感の持てる先輩だ。
 自分と同じように努力型で、勝ち取ったレギュラーの座に何とかして喰らいついている。
 時々弱腰になる所は気になるけれど、それは相手に恐れているというより優しすぎる性格の所為だということは分かっていた。
 そんな河村は、海堂にとって身近に感じられる、いい先輩だった。
 ただ、そうはいっても元々海堂は然程口数が多くはないし、桃城のように明るい性格でもないから、なかなか喋る事が見つからない。
 だから、部活中も会話は然程無い。
顔を合わせたら挨拶を交わす、打ち合いが終わったら礼を言うその程度だ。
 そんな自分の性格を直すつもりは毛頭無いけれど、こんな時は困るなと、海堂は内心思う。
 何を話せばいいのか分からない。


 海堂が口を閉ざしたことにより、沈黙が横たわる。
 このまま立ち上がって挨拶して帰ってもいいけれど、できれば河村に先に帰ってもらいたい。
 そう思いながら逸らした視線を自分の足元に落とすと、横の開いているスペースにコトンッと何かが置かれる音。

 なんだろうと思い目をやると、それは河村が持っていた岡持ちだった。
 えっと思った海堂が顔を上げると、先ほどまで目の前に居た河村の、駆けていく背中が見える。
 どうやら公園の外に出て行ってしまったようだ。
 岡持ちを置いているということは帰るわけではないようだけど、いったいどこに向かっているのだろうか。
 今のうちに帰ったほうがいいのか、でも戻ってくるのならば待っていたほうが良いだろう。


 そんなことを思っていると、時間にして数十秒、河村が同じくらいのスピードで戻ってくる。
 その手に何かを持って。
「ほら海堂っ。水分補給しろよ」
 海堂の向かいに戻ってきた河村は、そう言いながら右手を差し出す。
 それは巷でよく見かけるスポーツ飲料、きっと公園の横にある自動販売機で買ってきたのだろう、冷やされたそれは、うっすらと水滴をまとっていた。
 予想しなかったことにぽかんとした顔で、声を出すことも動こうともしない海堂の手に、河村は冷たい缶を押し付ける。
「じゃ、また明日な? お疲れ海堂」
 ひょいっと岡持ちを手に持った河村は、海堂の肩をポンッと叩くと、その手をひらひらと振る。
 反射的に手を振り返す海堂に、河村は目を細めると先ほどと同じように駆けて行った。
 白い背中が、視界からふっと消えていく。

 海堂は手の中、冷たい缶に視線を落とす。
 高まった体温に気持ちのいい冷たさに、プルタブを空ける前に頬にひたっと当てる。
しばらく頬に当てたままぼんやりとし、触れている面が生暖かく感じられるようになった頃、渇いた喉を潤すように一気に呷る。
 飲み終えた缶を、専用のゴミ箱に投げ入れた海堂はだいぶ休憩に時間を費やしてしまったことに気づき、舌打ちしそうになって、しかし止める。

 そして河村に礼の言葉を言いそびれていたことを思い出し、明日の朝練の時にでも言おう、そう思いながら少し軽くなった身体で一歩踏み出した。

***

タカさんと青学メンバーのSSSそのA
海堂編。
原作であまり言葉を交わしていた記憶が無い二人なので。
でも努力形って共通点はあるので、お互い好意は抱いているだろうなと。