東京銭湯

東京銭湯お遍路

辞書によると「銭湯」とは「料金をとって一般の人々を入浴させる浴場。ふろや。湯屋。公衆浴場。」とある。

東京都浴場組合の発行している「東京銭湯お遍路MAP」は、銭湯の最寄駅や地図が詳しく掲載されていて、
都内のどこに銭湯があるかが分かると共に、入浴する際にスタンプを押してもらい集めていくという企画である。
都内には900近い銭湯があるが、一応お遍路と銘打っているので88浴場を達成すると認定証が発行されている。
2009年1月では、88軒が524名、880軒が3名と、開始から1年あまりで、なかなかの好評を博している。

2009年4月には「風呂屋の富士山詣で」が始まり、10軒回ると山頂(10合目)に至るという企画や、
大田区限定でスタンプラリーが始まり、先着500名にはプレゼントが当たる期間限定企画なども
開催された。杉並区では銭湯キューピーを製作して販売するなど、区によってアイディアが見られる。
また、社団法人日本銭湯文化協会から、銭湯検定が作られ、先駆けて第4級が6月から10月に行われた。

銭湯企画


東京銭湯の特徴

子宝湯

唐破風(からはふ) 千鳥破風(ちどりはふ)

東京銭湯は、宮造り様式と呼ばれる寺社建築で造られた概観が大きな特徴で、
神社仏閣や城郭に似せた千鳥破風と唐破風の二段造りが一番多い造りです。
千鳥破風は末広がりの三角の形をした屋根で、唐破風はカーブのある屋根で、
その下に懸魚(げぎょ)が堂々とそびえ、透かし彫りにも高度な職人技が見てとれます。

もともと銭湯は町屋造りの様式が主流でしたが、関東大震災の復興期である
大正12年に、宮大工の津村亨右氏が墨田区に建築したのが、東京で主流となる
宮造り様式の始まりだと伝えられています。

子宝湯 大黒様 懸魚(げぎょ) 台東区・梅の湯・懸魚(げぎょ)

番台

番台とフロント式

玄関を入れば、暖簾をはじめ、下足箱の鍵、傘入れも縦式と横式があるなど、
こだわれば違いを数多く発見できる。正月に行くと正月用の暖簾に出合えたりもする。

そして、男女の分かれた入口から入れば、まず番台に座る"番台さん"に声をかけることになる。
番台の高さは日本人の身長が高くなってきたので、継ぎ足して高くしているところが多い。

銭湯の大きな特徴でもある番台ですが、現代は「番台」から「フロント式」に移行しており、
番台が脱衣所の方を向いているのに対して、フロント式は脱衣所とは別の場所に設けられている。

背景として、女性や若い層に敬遠されるのを解決するために時代と共に変わってきており、
東京の銭湯の八割近くはフロント式になっている。昭和レトロを求める人には物足りないが、
これが時代の流れだと思うしかない。フロント式の場合、フロントの前に男女が共に休憩できる
スペースが設けられているところが多く、ソファーがあり、テレビや本などが設置されていたりする。
施設により異なるが、入浴に必要な道具や石鹸などが販売されており、手ぶらでも来る事ができるところも多い。


格天井

脱衣所と格天井 折上げ式格天井

「格天井(ごうてんじょう)」は、格縁(ごうぶち)を格子に組んだ正方形の区画模様です。
寺院や城など書院建築の大広間に見られる造りです。

「折上げ式格天井」は、湾曲した格天井で、写真の天井が折上げ式天井にあたります。
格天井は東京型銭湯の造りを代表する建築方式です。

体重計(貫目表示) 体重計(貫目表示) 乱れ籠

脱衣場でレトロを感じさせる物としては「柱時計」「貫目表示の体重計」「乱れ籠」などが思い浮かぶ。
戦前の物が残っている銭湯もあるというから驚きだ。また、使い込まれた木製式の身長計やロッカーなどもある。

坪庭

坪庭 坪庭

脱衣場の縁側に坪庭があるのも典型的な東京型銭湯。日本風の植栽などが設けられており、
富士山の溶岩石や何かの石像等や、規模の大きな銭湯では鯉の飼われた池がある。


浴室

現在の銭湯の形は明治10年に遡り、東京神田で浴槽を床に沈めて湯をたっぷりと入れ、流し場の天井を高くし、
湯気抜き窓を設けたことにより、浴室内は非常に明るく開放的になった。改良風呂といわれる形式である。

二段式天井 二段式天井 カラン

浴室の天井は湯気がこもらないように、窓付きの二段式。平均で8-10mで開放感がある。

タイル絵 タイル絵

タイル絵

大型タイルに美しく豪華な上絵を描き、焼成したものをタイル絵という。図柄は主に「宝船」や「鯉の瀧昇り」、
「七福神」などおめでたく華美なものがほとんどを占める。もともと高級品でもあったため、設備資金にゆとりがあり、
集客の多い市街地の銭湯に多かったとのこと。美術工芸品並みの技巧を凝らし創られたタイルもある。

現代はタイル絵の代わりとしてモザイクタイルで描かれた風景画も多く見られ、特に欧州風が多いように感じる。


木椅子と木桶

椅子と桶

風呂を感じさせるものとして、木製の椅子や桶も候補に上がるかと思われますが、
現代の銭湯では木製を使っているところは皆無に近い。木製の桶は、昭和中期に
衛生上の理由と実用性等で、急速に姿を消していったと云われています。

現在の桶は「ケロリン桶」と呼ばれるケロリンと書かれた黄色い桶がほとんどを
占めています。また、銭湯名や地元の広告が桶に刻印されているのも多くあります。


浴槽

浴槽

浴槽は奥の壁際に設置されているのが一般的で、写真の浴槽は、3つに風呂が
仕切られているので三層式とよぶ。仕切られた浴槽により、深さが違うところも多い。

浴槽の種類は豊富で、バイブラ、ジェット、電気風呂や、薬湯、打たせ湯、露天風呂、
サウナや水風呂などのスーパー銭湯のような設備を備える銭湯もある。

また、東京の銭湯の湯は熱いのが特徴で、江戸時代からの伝統だと云われ、
熱い湯にサッと入り出るのが粋だという。現在は熱い銭湯は熱いが、
比較的適温の銭湯が多いように感じる。熱過ぎれば水で埋めることもできます。


ペンキ絵

ペンキ絵

浴室壁面のブリキ板などにペンキで描かれたペンキ絵は、題材は風景が多く、その中でも富士山の絵が最も多い。
浴槽手前に海や湖や川が描かれているのは、浴槽の水とペンキ絵の水を同化させて開放感を出すことにあるという。

ペンキ絵は、1912年(大正1年)、神田猿楽町の機械湯で浴室の壁が寂しいことを理由に、画家・川越広四郎に
描いてもらったことが始まりであるという。ペンキ絵は東京周辺で多いが、新潟県や岡山県にも見られるという。
平成21年現在で、東京でペンキ絵を描く職人は僅か2人(中島盛夫氏、丸山清人氏[50音訓順])しかいない。
もう一人の有名な絵師・早川利光氏は残念ながら2009年4月に亡くなられた。

また、銭湯の広告看板も大衆文化の特徴である。男湯と女湯の仕切り部分や、ペンキ絵の下の部分に
貼られていることが多く、銭湯の盛期は重要な広告媒体でした。近所の商店の広告が多いのが特徴です。


■このページを作成するにあたり、東京都小金井市にある「江戸東京たてもの園」の「子宝湯」で撮影した写真を掲載しています。
子宝湯は1929年(昭和4年)に足立区千住元町に建てられ、1993年(平成5年)に移築され、宮崎駿監督によるスタジオジブリの
長編アニメーション映画「千と千尋の神隠し」の湯屋のモチーフとして広く知られています。

子宝湯でも入浴できればと思うところですが、公園法などの問題があり、まず煙突が立てられないのと、ボイラーなども設備する
ことができないようです。足湯のイベントなどは開催されている時があるとのことです。

■また、銭湯研究の第一人者・町田忍監修の「東京銭湯DVD」も参考にさせていただいています。

■余談ですが、自転車で北海道一周をしていた時に、北海道でもスタンプラリーを発見。
旭川・上川・美瑛を対象にしており、押印期間が過ぎている平成22年にも配られていた。[写真はこちら]

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