神社・仏閣


お松権現社

お松大権現

場所:阿南市加茂町不ケ63
怪猫伝説で有名な猫神社で、江戸時代に奉行の不当な裁きを苦に自害した「お松」という女性の愛猫が、
奉行の家を代々祟り続けた。このお松を哀れみ、村人が祀ったのが始まりだと伝わる。境内にはおびただしい
招き猫が奉納されており、初めて訪れた人は驚くだろう。現在は勝負事や受験の願掛けで祈願に訪れる人が多い。
境内には猫が何匹かいるが、昔は猫を捨てに心無い人が訪れていて、かなり多くの猫がいた記憶がある。
また、地元では有名な話しで境内には人形があり、髪の毛が伸びているという噂があります。
これはまだお松様の怨念が残っているからだとか?


金長大明神

金長神社

場所:小松島市中田町脇谷
徳島県の銘菓「金長まんじゅう」でも知られる「金長」の名前は、地元に伝わる民話「阿波狸合戦」の
狸の名前「金長」に由来しており、この金長を祀る神社が小松島市にある。狸は人を化かすと云われているが、
この金長は悪い狸を退治して、人間の見方だったのだ。もともとは日の峰神社の境内社であったが、
昭和31年にこの地に里宮が建てられたという。拝殿には狸の置物が多く奉納されている。


朝立彦神社 朝立彦神社

朝立彦神社

場所:徳島市飯谷町小竹101
もと護王権現と称したが、明治四年朝立彦神社と改称する。境内に「お亀の池」と称する二尺余の岩穴があり、
年中水が涸れないいう。この地方の祈雨の神として霊験あらたかな社である。「阿波志」には「和多津見豊玉彦命を祭る。
飯谷村に在り、俗に権現と云う」と述べ「寛保改神社帳」には「飯谷村護王権現 別当飯谷村醍醐寺」と記している。(境内案内)

正直なところ、名前に惹かれて行った神社。私のおバカな頭では朝立ちしていた男が祀られているのかと思ってしまった。
勝浦川沿いには標識があり大体の場所までは行けるが、どこに車を停めるだとか、どこから神社に行くかとかは分かりにくい。
山道を入ると歴史を感じる参道、古い社殿が山頂付近にある。山頂には一枚岩や広場や展望台があり、山の隠れた場所に
このような場所があることに驚いた。それはいいとして、結局「朝立彦」の本当の由来は分からないままである。


阿波国一宮神社

一宮神社

場所:徳島市一宮町西丁237
阿波国一宮の由緒ある神社で、道路を挟んで神社の前には四国八十八箇所十三番札所の大日寺があり、
神仏習合の時代には「一宮大明神」として庶民信仰を集めた。本殿は国指定重要文化財に指定されており、
寛永七年(1630)建築の三間社流造で、正面に千鳥破風と向唐破風造の向拝を設ける点に特徴があり、
要所の彫刻に極彩色を施すなど華やかな意匠をもち、徳島県下で江戸時代前期まで建築年代が
遡る数少ない大型の神社本殿として貴重である。(※写真は拝殿です)


うしひこ神社

宇志比古神社

場所:鳴門市大麻町大谷字山田
創立、沿革については明確でないが、江戸時代には八幡宮と呼ばれ、明治以降、宇志比古神社を称している。
地元の氏子は八幡様と呼ぶことが多い。本殿は国指定重要文化財に指定されており、規模の大きい三間社流造、
銅板葺である。内外とも素木であるが、外陣内部内法長押に唐草文様を描き、内外陣境板扉には松を描く。
建立年代は、棟札,細部の様式及び技法から、慶長4年(1599)と考えられる。庇を板敷として両側面の切目縁に連ね、
縁に段差を付けるなど変化に富んだ特徴的な形式になる。装飾が少なく全体として簡素なつくりだが蟇股や手挟、
木鼻など彫刻の細部は洗練された意匠をもつ。徳島県下の神社建築本殿として最古例と考えられる重要な遺構である。


瑞麟山慈雲院丈六寺

丈六寺

場所:徳島市丈六町丈領32
徳島県内の神社仏閣の中では最も重要文化財が残り阿波の法隆寺とも呼ばれる寺院。
正式名称を「瑞麟山慈雲院丈六寺」といい曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来。観音堂に
安置されている聖観世音菩薩坐像が旧来からの本尊で、立てば一丈六尺(約4.8m)に
なることから丈六仏と呼ばれ、寺院名の由来となった。

国指定重要文化財の建造物に、三門、本堂(元方丈)、観音堂、経蔵(旧僧堂)がある。
境内には戦国時代の武将、江戸時代の蜂須賀家重臣の墓があり、歴代藩主から庇護されてきた。

特に「血天井伝説」が有名で、土佐の戦国大名・長宗我部元親が四国統一に向けて阿波国に攻め込んだ折、
この地を治める牛岐城(富岡城)主・新開入道道善(新開遠江守忠之)は勇猛で攻めあぐねた。
長宗我氏は新開氏に和議を申し入れ丈六寺に呼び出し、そこで騙まし討ちをして新開氏は殺害された。
この時の手形や足形の血痕は消えなかったと言われ、後に板は寺内徳雲院の天井板として用いられており、
手形・足形の血痕らしき赤い形が確認できる。


長安口ダムの神社

長安口ダムの神社

場所:那賀郡那賀町長安
那賀川水系最大にして、徳島県最大のダム「長安口ダム」の辺にある神社。大型建造物には常に多くの犠牲がともなう。
このダムの下にも水没した世帯が存在する。消えた村の鎮守か、それとも現在のダムを鎮守する神社なのであろうか?
難しいことは抜きにして、絵になる神社だったので掲載してみました。


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