放物線上のアリア

右、左、右、左
ペダルを漕いで坂道を上る、上る上る。
自転車はゆっくりと、しかし確実に進んでいく。
右、左、右、左
バランスを失わない様に進んでいけばいい。

昼。教室。窓際の一番前。と、その隣。
黙って昼食を食べる僕と、その隣人。
教室内は冬だって言うのに蒸し暑くて、教室の後ろの方からは見た目も中身も似たような女子達の笑い声と喋り声と、あといろんな家のお弁当のにおいがもうそれはそれはうざったいくらいにしてくる。
僕は窓際の一番前の席で、その隣はクラスの女子全員から無視されている西脇とかいう女子の席だ。ひきだしの中になにか入れておいてもいいことなんてひとつもないから、ひきだしの中は常に空っぽですごく軽そうな机だなと僕はいつも思う。
西脇は黒髪に眼鏡かつノーメイクというもう目立たなさ過ぎて逆に目立つと言った感じの女子だった。目立たなさ過ぎて逆に目立つからか、単に人間的に合わないからか、クラスのお前ら双子なのか?いや三つ子なのか?それとも四つ子か?というような個性がありすぎて逆に個性がない女子達からは完全にはぶかれていた。というか、実際の所西脇が距離を置いているようにすら見えた。よって、更に目立った。
僕はこのクラス唯一の男子で、他のクラスの唯一の男子諸君らとはこれと言って仲良くもないのでいつもこうして一人でもさもさ購買のパンを食べている。ぱさぱさでまずいが、それは致し方ない。
この学校は去年まで女子高だったらしく、男子は片手で数えたら無理だけど両手なら数え切れるかも、という程度しかいない。ちなみに、教師を含めてそれである。一応男子トイレは教師用だけなら、ある。それしかないから生徒が使っても怒られないが、気まずいだけだった。
偏差値は極めて低い。中学で全く勉強しなかった僕はここの高校ならお前でも入れるからと言われて、「じゃあそこで」とファストフードでポテトのサイズを訊かれて「じゃあLで」みたいな感じで決めてしまった。
パンを食べ終えた僕は、パンが入っていたビニールの袋をしばってまるめてゴミ箱に向かって投げた。サッカーならフレームに弾かれた!と実況の人に言われそうな見事な弾かれっぷり。おしい。
落ちたビニールの袋を拾ってゴミ箱に捨てていたら、西脇もご飯を食べ終えたらしくお弁当箱を入れ子式にしまっていた。ん?と言った感じでこっちを見た西脇と目が合った。慌てて目を逸らした。
なにも言わないうちに西脇はカバンを持って何処かへ消えた。

暇になった僕は屋上へ上がった。冬だからか誰もいない。制服を通り越して寒さが僕の皮膚を突き刺す。
ぼーっとこれと言って栄えてもいない景色を眺めた。結構遠くに煙突がにょっきりと空に突き出るかのように立っていて、煙がもくもくと出ていた。それ以外は特にこれと言って特徴的な建物は見えず、ただただ住宅地が広がるばかりだった。
どこまでも青い空をカラスが横切って、そして視界から消えた。
見える限りの一番遠くの道をどんどん辿って行ったら、最後はこの高校の前の心臓破りの坂に辿り着いた。道が続いている限り、何処へでも行けるのだろうななんてわけのわからないことを思ったところで、キンコンカンコンと陽気にチャイムが鳴ったので退散することにした。

午後の授業は寝て過ごす。これ、鉄則。
というか、寝てても起きてても誰も授業なんか聞いちゃいないので同じことだ。
当てられることもなければ、怒られることもない。
平和だ。
しかしなんの変化もない。

坂道を下る。自転車で下る。ノンブレーキで下る。まるで羽根が生えたみたいだとまたもやわけのわからないことを思って、ひとりで笑う。
風がマフラーと首の隙間に容赦なく入ってくるが気にせず進む。
右、左、右、左
ペダルを漕いで更に加速。
羽根が生えたみたいだ。
僕は何処へでも行ける。
またもやわけがわからない。

僕の日常は常に同じ。ぐるぐる回ってまた朝が来る。
朝自転車を漕いで心臓破りの坂をなんとか生きて上って、夕方それをノンブレーキで下る。それで寝て起きてまた同じことの繰り返しだ。
永遠に続かない。それは知っている。だとしても坂を下る一瞬から考えたら上るときは永遠みたいに長く感じられる様に、今日一日から考えたら三年間なんて永遠と同じだった。その永遠をまた何度も繰り返す一生なんてどれだけ長いのだろうと、少しだけ途方に暮れていた。

その日は昼食を摂った後、しばらくしても西脇が何処かへ消えなかった。
僕はからっぽのパックのいちごミルクのストローをくわえたままぼーっとしていた。午後の授業は数学と日本史かーとかいうことを考えていたのだと思う。
相変わらず教室内の気温も湿度も高い。
ちら、と隣人に目をやったら目が合った。
ん?と言った感じで見返したら目を逸らされた。
なにも言わないうちに担任がやってきて、黒板に自習と書いて去って行った。
ビニール袋をしばってまるめてゴミ箱に投げたら、入った。心の中で小さくガッツポーズをした。隣人はあ、と言った顔でゴミ箱を見ていた。

坂道を下って家へ帰った。
しばらくソファに横になって寝ていたら電話の音で目が覚めた。面倒だったので放って置いたら留守電に切り替わって、それから若い女の声がした。
「1-Cの小笠原ですけど、連絡網ってことで電話したんですけどいないみたいなんで用件だけ伝えておきます。なんか事件が起きたらしいので明日の朝全校集会があるので朝8時に学校に集まってください。あと、マスコミの人とかになにか聞かれても何も答えないようにって。次の人には回しておきまーす。」
がちゃ。
クラスの女子らしき人物からだった。小笠原という人間が、どれなのか僕にはわからない。
なにがあったのか知らないがマスコミまでやってくるなんて相当なんかあったんだろうなと当たり前のことを思った。

朝。
学校の前には多くの報道陣が駆けつけ、それはもうパシャパシャと写真を撮りまくったり、グレーのスーツを着たアナウンサーが生徒を追いかけ回したりしていた。
自転車を駐輪していたら、案の定こっちにもやってきたので無視して歩いた。
「あなた何年生?飛び降り自殺した子のことなんでもいいから教えてくれない?」
自殺か。物騒な事件じゃなくて良かった。それにしても流行なのだろうか。自殺。
「すいません、急いでるんで」
いや、別に急いでなんかいないけれど。面倒なことには関わりたくない。
「なんでもいいんだけど。例えばいじめられていたとか、そういうのない?」
そういうのない?とか言われても誰が死んだかも知らないのにそんなこと言われてもこっちが訊きたいくらいなのだ。
「急いでるんで」
僕は小走りで校舎内に逃げ込んだ。

教室に行くと、僕の隣の席に花瓶が置いてあった。それも菊の花入りで。どんだけ趣味の悪い悪戯なのだとクラスの人間を一瞥してみたが、全員暗い顔をしている。いや、化粧が濃すぎていまいち表情がわからないが、恐らくあれが彼女たちの暗い顔というやつなのだろう。全員同じ顔をしていた。
まさか。西脇が?
僕はもう一度隣の席を見た。真っ白な菊が目に痛い。本当に西脇が死んでしまったのだろうか?

集会は、寒さなんかお構いなしで体育館で行われた。
校長は特に誰が死んだとは言わなかったが、とにかく命は大事にとわかりやすい言葉を繰り返して、そして消えた。

午前中の授業は全部潰れた。
全部ロングホームルームになって、担任ではなく副担任がやってきてそしてやっぱり命は大事にと言って去って行った。
去り際、ちらっと西脇の机を見て苦々しそうな顔をしたのを僕は見逃さなかった。
やはり、西脇は死んだらしい。

昼食は摂らなかった。
午後の授業は寝ずに過ごした。
坂道はブレーキをかけて安全走行してみた。
僕に羽根なんかなくて、どうも何処へも行けなさそうな感じがした。

それでも朝はやってきて、やっぱり僕は坂道を上る。
途中で上りきれなくなって自転車を降りた。
報道陣は減っているものの勢力は衰えず、西脇が死んだことしかわからない僕はやっぱり急いでいるフリしか出来なかった。知らないフリをするのとどちらがいいか考えたが、やっぱり知らないフリなんて出来なかった。
午前の授業はやっぱり退屈だったが、いつもより静かだった。
昼休みはやっぱりやってきて、でも少しだけいつもとは違う。少しだけ室温が下がったような感じだ。
パンが入っていたビニール袋をしばってまるめてゴミ箱に投げたら西脇のことを思い出して、隣の席を見てしまった。そこに彼女がいる訳もなく、菊の花とこんにちはしただけだった。
「あ」
腑抜けた声が出た。それもビニール袋を投げれようとしているポーズのままだから相当意味不明に違いない。
そんなことはどうでもいい。
見つけてしまった。ゴミ箱のまわりに、一個、丸めた紙が落ちている。真っ白で、プリントではないことがここからでもわかる。
ビニール袋を捨てるフリをして、それを拾った。
広げて見てみたら、それはどうやら西脇の字のようだった。ルーズリーフ。Bより細いやつで、あまり売ってないタイプのものだ。前に一度、古典の時間に別にいいのに丸眼鏡の教師が「隣の席の人見せてもらいなさい」というから仕方なく見せてもらった時に見た字に似ている。というか、このクラスでこんな達筆な字を書けるのは恐らく西脇ぐらしかいないだろうと僕は推測する。
内容は読まずに僕はその紙を持って教室を出た。

『浅川くんへ』
屋上。冷え込みはいっそう厳しい。遠くの煙突から煙は出ていない。
『とうとうゴールしましたね。おめでとうございます。最後にゴール出来たところに立ち会えたのはとても嬉しかったです。』
やはり見ていたのか。しかも喜んでいたのか。
変な感じだなと僕は思った。西脇はもういないのに、今ここにいるみたいだと思ったからだ。
『私はたぶん死にます。いえ、人はみんな死ぬのだから、当たり前のことですね。』
それはもうぐちゃぐちゃに丸められていたから、ところどころ掠れてしまっていて読みづらい。それとも、僕の目がおかしいのだろうか。うまく読めなかった。
『私はもう生きて行きたくありません。何故なら何処へも行けないからです。なにかあったからではなく、なにもないから生きていけないのです。そんな私にとって、あのビニール袋がうまく入るか入らないかは、非常に大きな問題だったのですよ。』
そんなこと知らなかった。僕にとっては何気ないことだったのに、西脇はそんな風に思っていたなんて。
『浅川くんに、最後にお礼が言いたくてここまで書きましたが、たぶん私も浅川くんみたいにゴールしてみたくて、丸めて捨ててしまうと思います。でも、ありがとう。楽しかったです。』
西脇、と締められた手紙のそこから先はなにもなくて、ルーズリーフの規則正しい罫線が下まで続くばかりだった。
キンコンカンコンと陽気にチャイムが鳴る。

ホームルームの時間に、担任が明日は西脇の告別式に参列するから早めに学校に来るようにと言って去って行った。目の下には隈が出来ていた。西脇の事件の所為で、日夜対応に追われているらしい。

帰り道。
一度でいいから西脇を自転車の後ろに乗せてやればよかったと思った。坂道を下って何処まででも行けるような気分に浸ればよかった。というか、せめてまともに会話くらいしておけばよかった。
今日はノンブレーキで下る。
右、左、右、左
羽根が生えたみたいだ。

右、左、右、左
ペダルを漕いで坂道を上る、上る上る。
自転車はゆっくりと、しかし確実に進んでいく。
右、左、右、左
坂道はどこまでも続く。
僕は言われた通りの時間に学校に行かなかった。僕と西脇以外のクラス全員が告別式に参列しているころ、僕は学校の屋上にいた。
結構遠くに煙突が建っていて、しばらく待っているともくもくと煙を吐き出しはじめた。
西脇、そこから見えるか。
この世界に道はどこまでも続いていて、僕らは何処へでも行けるんだ。
永遠じゃないからこそね。
僕は煙突に向けて西脇の手紙を投げた。