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◇◆ The sixth story ◇◆
「さぁ、どうぞ召し上がれ。」
 私たちが座る前のテーブルに、コトンと置かれた綺麗なガラスの器。
ピンク色のジェラートに、添えられた真っ赤な苺と真っ白な生クリーム。
見るからにおいしそうで、いつもなら絶対に飛びついて食べるけれど 今はそれどころじゃない境遇……
意外にも純日本邸宅のだだっ広いお屋敷に、冬なのに小気味良い音を奏でながら石を打つ【ししおどし】の音と
藍色の紬の着物を普段着の様に着こなす、優しそうな年配の女性。
そして しつこいけれど冬なのに、微妙に汗ばんでいる私……

 「E' molto buono」
突然イタリア語で叫ぶ新月の声に飛び上がりそうになって、首を動かさずに目だけで左を見れば、
既に大半を食べ終えて、軽くなったガラスの器を振りながら 満面の笑顔で着物の女性に言っている。
 この状況で、よく食べられるよね。。
そんな私の感情を読み取った様に、着物の女性がやんわりと言う。
「満月さん?遠慮なさらずに食べてしまわないと、溶けてしまいますよ?」
丸まっていた背中が、ギブスをはめられたかのごとくシャキッと伸びて 【は】を何回も繰り返した後、ようやく【い】を言えた。
「は、は、はは はい!」
握り拳を鼻にあてながら体を震わせて笑う 浅海さんが居て
片肘をついて頭を支えながら寝転ぶ武頼くんが居て
全員の顔を見回してから、ようやくガラスの器を手に取った。
 色からして、絶対に苺のジェラートだと思っていたから 一口食べて、その味に驚いた。
これは苺じゃなくて、、えっと、、なんだっけこの味。。

「Ciliegia」
さっきからずっと同じ体勢で寝転んでいる武頼くんが、やはり突然イタリア語でつぶやいた。
その言葉にハッとして
「あっ! そうそう!! さくらんぼだ!」
口から出した銀色のスプーンを、手首だけで勢いよく上下に動かして そのスプーンでヒントをくれた武頼くんを指し示す。
寝転んだままなのに、またいつもの眼鏡の真ん中を持ち上げる仕草をしながら
そんなこともわからなかったのか?と言わんばかりの顔で私を見る彼。
 スプーンの先に少しだけ残っていたジェラートが、振り回したおかげで飛び散って、運悪く武頼くんの眼鏡を直撃し
恐ろしい速さで体を起こした彼は、口をわなわな震えさせ
「この バカ満月っ!!」
そう怒鳴りながら 顔から眼鏡を外すと、
細かで複雑な模様が彫られた 小豆色の箪笥の引き出しの中から眼鏡ふきを取り出し
眼鏡が腐るとばかりに、念入りに力を込めて拭きだした。
 眼鏡のレンズに邪魔をされていて、ずっと見ることが出来なかった武頼くんの瞳の色が
髪の色と同じ こげ茶色だったことに気が付いて、なぜか妙に落ち込む私。

 浅海さんはもう、拳だけでは笑いを抑えきれなくなったらしく 壁に手を突っ張って笑っていて
新月は、全てのパーツの位置がいつもと違うほどに顔を歪ませて、それはそれはゆっくりと その顔のまま首を横に振っている。
さっきあれほど新月のことを、はしたないだなんて思ったくせに 結果はいつも自分のほうが惨事を招いてしまう。
私はこの人たちといると、なぜいつもより余計に失態を繰り返してしまうのだろう。

「昔を思い出すわ。本当に昔から満月ちゃんは変なところで運が悪いのよね」
目を細めて微笑みながら、優しくゆっくりと話す着物の女性。
この人こそが、武頼くんのおばあちゃまで、浅海さんのおばあちゃまでもあって……
新月を武頼くんのお嫁さんに欲しいと言った【高遠】さんで……
そう。この石庭の素晴らしい日本家屋は、武頼くんの家。
そして、浅海さんのお母様の実家に当たる家。

 今日は日曜日。
やっと人生最悪の厄日だと思った昨日を乗り越えられたのに、人生最悪の厄日第2ラウンドのゴングが鳴り響いた気がした。。
なんでこんな場違いなところに私が居るのかというと、それは昨日の続きからはじまる――



 浅海さんが荷物を取りに一旦車へ戻り、私は仕方なくリビングの扉を開けた。
リビングに足を踏み入れると、大声で怒鳴りあっていた二人の会話がいきなり途切れ
左右は違うけれど 同じ様な顔で、同じタイミングで私へと振り返る二人。
それでも 入ってきた邪魔者が私だと悟ると、何事もなかった様に 彼らの【一時停止ボタン】は解除された。
 相変わらず続く、意味不明な会話のケンカ。さっきからずっと、二人が二人して
「だから私は、紅茶を飲んだのっ!」
「俺だって 紅茶を飲んだんだよっ!」
こんな具合に、なぜだか【紅茶】のことで怒鳴りあっている。
でもそれが ただの紅茶の話ではなく、あのおまじないの紅茶の話だということに、新月の次の言葉で気が付いた。
「男のくせに、おまじないなんてやったんだ? 気持ち悪い!!」
絶対に、彼はものすごい勢いで怒鳴り返すだろうと思った。
けれど予想に反して、彼は何一つ言い返さなかった。
体は怒りで震えているのに、口はその言葉を聞いた瞬間から固く閉ざされたまま動かない。
きっと私と同じく、怒鳴り返されると予測していたのだろう。
急に口を閉ざした彼に戸惑って、新月の瞳があちこちにさまよい、不自然な仕草で髪を耳に何度も掛けなおす。
「俺はただ……」
足元を見つめながら 彼がそうつぶやき始めたとき、玄関からガヤガヤと人の話し声が聞こえ始めた。
 彼は長い息を吐き出すとともに肩の力も抜いて、そのまますぐ後ろにあるソファーにドッと腰を下ろす。
そんな彼の行動を見て、一時休戦だと悟った新月もまた 反対側のソファーに同じく腰を下ろした。

 笑いながらリビングに入ってきたのは、えらく上機嫌のママと浅海さんで
初めて会ったはずなのに、ママが浅海さんのことを【寛ちゃん】と、馴れ馴れしく呼んでいたことに違和感を抱いた。
それでもそんなママの笑顔も、リビングに居た突然の訪問者 武頼くんの存在に気が付くと、驚きのあまりに一瞬消え去った。

「はじめまして。高遠と申します。夜分に失礼してすみません。」
さっきまで新月と怒鳴りあっていた人と同一人物なのかと疑いたくなるほど穏やかに、そして歯切れよく挨拶をし始めた彼を見て
新月と私の開いた口は塞がらない。。
彼が何者なのかを理解したママは、少女の様に胸の前で手を合わせて
「あ、じゃあ あなたが高遠さんのお孫さんだったのね♪」
普段より、軽く1オクターブは高いだろう声で彼に言い返した。
 そこからは、ママがその場を取り仕切り、
「寛ちゃんも武頼くんも座って♪」
「あら満月?何をやっているの? 早く着替えてきちゃいなさい! 」
「新月! なんでコーヒーもお出ししていないの? これだからあなたはまったく……」
慌しく動き回りながら それぞれに指示を出し始めた。

 武頼くんは、あのとき何を言いかけたのだろう?
話の続きが気になりながらも、ママに言われた通りリビングを出て、自分の部屋に着替えに戻る。
淡いピンクのモールのセーターをかぶり、ジーンズを穿いて、
おでこに残ったベレー帽の跡をさすりながらリビングに戻ると、楽しげに話す浅海さんと新月が目に入った。
いつものことながら、初対面でも物怖じしない新月を羨ましく思った。
そんな二人をよそに、マガジンラックに置かれていた パパのイタリア雑誌をパラパラとめくる武頼くん。
 周りを見渡して、ソファーの席順を確かめて、どこに座ればいいかと迷っていると
私が帰ってきたことに気が付いた武頼くんが、また眼鏡の真ん中を持ち上げてから
すごく仕方がなさそうに、ちょっとだけ左側に腰をずらした。
 いや、あなたの隣だけは勘弁してください。
心の中でそうつぶやいてみたけれど、ママが座るだろう席を抜かせば空いている場所はそこしかない。
 渋々 彼がどけてくれた場所に腰を下ろすと、ようやく私に気が付いた新月が
彼の隣に座った私の行動を見て 意味有り気なニヤケ顔を向けてきた。
 や、やめてよ? 勘違いしないでね?
そう叫びたいのをこらえて、私は恥ずかしさの余りうつむいた。

「ねぇ? ずっと何かの勘違いであって欲しいと思っていたのだけど、ミラノのヴィラに住んでいた日本人のタトーさんって……
高遠さんのことだったのかしら?」
キッチンで、コーヒー豆を手動のミルで挽きながら、ママが気まずそうに武頼くんに向かって言い出した。
「えぇ、そうです。発音しづらい苗字だった様で、周りからそう呼ばれていました。
僕はそのヴィラで、庭の花を摘んでいた新月さんと出会ったんです。どこでどうやって、中に入ったのかは知りませんが」
完璧な優等生スマイルでママへと答えてはいるけれど、きっちり嫌味は忘れない。
そんな彼の答えに、ママの眉毛がピクッと動き、貼り付けた笑顔で新月を見る。
「そうだったんですか。ごめんなさいね」
笑ってそう言っているけれど、後で確実にカミナリが落ちるだろう。
そんなママの様子を知ってか知らずか、彼は尚も続ける。
「たまたまイタリアに来ていた祖母も、そこで新月さんに会ったらしくて。大きくなった新月さんにまた会いたいとずっと言っているんです」



――そしてそれが今。
あの後、彼らが帰ってから 予想通りにママのカミナリが落ち
「明日すぐに、お詫びがてら高遠さん宅に伺いなさいっ!! 当然 満月も一緒にねっ!!」
こうやって私も巻き込まれたわけで……
でも色々と 新月や武頼くんに聞きたいこともあったことだし、良いきっかけだと無理やり自分自身を納得させて訪れてみたけれど
門を見た途端に、敷居が高すぎると気後れしたまま今に至る。
それなのに、
スプーンを持ったまま固まる私と
必死で声を殺しながら笑う浅海さんと
ジェラートのおかわりを平然と要求する新月に
何度も息を吹きかけ、眼鏡を吹き続ける武頼くん……
怒るママの顔が浮かび続ける
誕生日11日前の日曜日(ママ、ごめんなさい。。√|○)
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photo by © Lovepop