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◇◆ 四月のマツダン茶道部 〔橘 明仁 編〕 ◇◆
 日本の新学期に合わせ、俺が帰国したのは三月末。
 四月から高等部二学年の生徒として学院に通える様、一学年期末テストに類似した編入試験を受け、その結果から松組に編入することになった。

 元々、初等部に上がるまでこの学院に通っていたけれど、それでも松組のクラス名簿を拝んで、こんな俺でも驚いた。
「ぜ、全員、昔と同じメンツかよ……」

 幼等部のクラスは、学力というよりも家柄や経済力で編成されていたけれど、初等部以降は完全実力結果選抜となっているはずの面子が、幼等部時代の面子と全くもって変わっていないこの状況。
 理事長曰く、誰一人として成績を落とす者がいないと言うことだが、そんな話は俄かには信じられるはずがない。

 でもまぁ、それはそれで気が楽だ。
 昔馴染みばかりが集うクラスであれば、十年間のブランクもすぐに越え、打ち解けることができるはず。
 特に幼馴染である源譲仁(みなもと ゆずひと)が、学年首席として君臨してくれているから話は早い。
 あいつは昔から陽気で、脳が天気なお気楽ポジティブ男だったのだから。

 さらに松組の次席には、理事長の娘である條家の薫子が居て、その側には当然の如く菫子が居るはずだ。
 そしてそんな菫子の側には、徳川の康國くんが居るだろう。
 そんなことを考え始めたら、幼い頃の思い出が甦り、早く皆に逢いたい気持ちがこみ上げて、小さな失笑が俺の口元から零れ出た。

 ところがそんな懐かしい思い出は、完全に俺の期待を裏切る形で目の前に現れた。
 ちょっとポッチャリで、意味もなくニコニコと笑っていたあの譲仁が、太目のスクエアフレーム眼鏡を掛けた、微笑すらしない冷酷美男子に変身していたから大変だ。

 だから学院案内役を仰せ使った生徒が理事長室に現れた時、それが譲仁だなどと気がつく筈もなく
「初めまして。橘明仁(たちばな あきひと)です」
 などと、余所行きの笑顔で握手を求めた俺に、理事長には聴こえないほどの小さな声で、その男が嫌味を囁いた。
「可哀想に……どこまでも洞察力のない男なんだな」

 初対面の人間に、なぜそんなことを言われなければならないのかと呆気に取られ、開いた口が塞がらない俺を尻目に、少しもずれてなどいない眼鏡のフレームを正しながら、譲仁が理事長と話し出す。
「では理事長、これより私が橘くんをお預かり致します」
「頼んだよ源くん。君に任せておけば私も安心だ」

 ちょっと待て。今理事長は、この男を源と呼ばなかったか?
 いや、でも、源違いに決まっている。
 あの譲仁が、こんな譲仁に育つわけがないんだ……

 何がなんだか解らないまま、新クラスまでの道程を譲仁らしき男と共に歩む。
 理事長室を退室してからというもの、この馬鹿に長い廊下を、無言で歩くこと自体が昔の譲仁では有り得ない。
「やっぱりちょっと待て。どうしても信じられないんだが、お前は本当にあのジョージンなのか?」
 たまらずその場で立ち止まり、両手を広げて問い質せば、 眉間に皺を幾筋も寄せ、鼻から失笑を漏らしながらそいつが答える。
「お前は昔から『ミョー』だったが、今も尚、妙だな」

「いや、俺をミョーと呼ぶのは譲仁しかいないんだが、本当にお前は、あのスーちゃん激ラブゥな、飛んだり跳ねたり回ったり、おかしな言動には事欠かないジョーなのか?」
 自分でも滑稽だと思いつつ、派手なアクションをふんだんに交えて叫んだところで、背後から、低く甘いバリトンボイスが投げかけられた。
「そうだな。そいつは、スーちゃん激ラブゥな、飛んだり跳ねたり回ったり、おかしな言動には事欠かないジョーそのものだ」

 驚いて振り向けば、なぜか歌舞伎役者のように、颯爽と呉服を身に纏った巨大な男が二人……
 少し垂れ目の甘いマスクに、鼻にかかったような甘い声の持ち主と、 鋭い切れ長の目に、高い鼻が印象的な横顔の持ち主の二人組。
 記憶にある面影を、きっちりと残していてくれた二人に、戸惑いながらも喜びの声を張り上げた。
「も、もしかして、いや、もしかしなくても、将軍と康國くんだ!」

 平家の嫡男である、将軍こと将仁(まさひと)と、徳川家の嫡男である康國くんは、 一学年上に在籍する俺の幼馴染である。
 この二人は、全く正反対の性格と容姿だが、どちらも武道に長けた男たちで、数多く存在する武道種目を、 この二人が分け合って全国制覇を成し遂げていると言っても過言じゃないほどだ。
 ゆえに、将軍だとか、武将などと皆から呼ばれている。
 そんな二人が、なぜ呉服を着ているのかは知らないが、妙に似合うのだから文句はない。

 ところがそこで、やっぱり少しもずれてなどいない眼鏡のフレームを持ち上げながら、譲仁がボソボソと言い出した。
「なんで俺が解らないのに、先輩方のことは一目でわかるんだか……」
 どうやら生まれ変わった譲仁は、嫌味を吐くついでにフレームを正す癖があるらしい。
 いや、それ以前に、数十メートル先の蝿でも見つけられそうだった譲仁の視力が、 眼鏡をかけねばならぬほど弱ってしまったことの方が恐ろしい。
だから、もしかしてこの眼鏡は伊達なのではないかと、譲仁の顔を覗きこみながら言い返す。
「お前のその変わり果てた為りで、分かれと言うほうが可笑しいだろ?」

 すると、俺の視線を避けるように、顎を持ち上げ仰け反る譲仁が、シレっと言いだした。
「俺のどこが変わったというのかね?」
「全て? あっ、ま、まさかお前っ、プチ整……」
 どうみてもプチでは済まない変わり様だが、思わず閃いた考えを口にすれば、 最後まで言い切る前に、にこやかな笑顔を湛えて譲仁が物申す。
「何か、とてつもなく不愉快だなお前?」

 相変わらず横顔を向けたままの康國くんが、俺たちのやりとりを聞いて失笑を漏らす中、 話を打ち切るように、将軍がますます訳のわからないことを言い出した。
「そんなことよりも明仁、松組に編入してきたのなら茶道部に入部するのだろうな?」
「は? 茶道部? なんでそんなものを俺がやらなきゃ……」

「それは、美しい松組の男子だからだよ」
 巨大な二人組の後ろから、やっぱり和装の小さな三人組がヒョッコリと現れて、 その中の真ん中に立つチビッコが、髪を掻き揚げながら話の中に加わった。
「お前らは、肝心要!」
 肝心要と纏められるこの三人組は、俺の一学年下である三院家だ。
 龍神・風神・雷神を司る家紋を持ち、さらにその神名を各々苗字に掲げている。
 龍三院 冠、風三院 迅、雷三院 要。
 読み名は訓読みの、かぶき・はやて・かなめだが、三人合わされば肝心要だ。
 そして三人ともに、『院』が付くから『三院家』と略される。

 ちなみに俺も含めて、戸籍に登録されている全員の読み名は、肝心要と同じく訓読みだが、ここでの呼び名は音読みに変換される。
 俺はミョージン。譲仁はジョージン。こんな具合だ。
 なぜそんなややこしいことになったのかと言うと、それはこの常人じゃないジョージン殿下のお陰だ。

 昔から、二條家の菫子にデレデレだった譲仁は、菫子が康國くんのことを、音読みの『コウちゃん』と呼ぶことに羨ましさを感じ、 ある日突然、決定事項を皆に言い放った。
「僕のことも、これからは『ジョーくん』って呼んでね!」
 天下の源家嫡男に、そんなことを言われて逆らえる者など居ない。
 つまりこの台詞の後に、【呼ばなければどうなるか分かっているよね?】という脅迫文が、誰もに見える寸法だ。

「まぁ、皆さんご覧になって! 茶道部の方々が、お集まりになっていらっしゃるわ!」
 突然、女子たちの黄色い歓声が上がり始めた。
 一瞬その歓声に怯み、周りをキョロキョロと見回したけれど、女子の視線は紛れもなく、廊下に群がる和装軍団に向けられている。
 しかも、その歓声の対象が、俺にまで及んでいるから大変だ。
「あの方が、帰国なされた四姓方の橘様ですのね?」
「きっと橘様も、茶道部に入部なさるはずですわ!」
「それは当然ですわよ。橘様は、最後の四姓方ですもの!」

 どうやら女子たちの噂話から推測するに、茶道部とは、この学年違いの幼馴染たちが設立したクラブらしい。
 さらに、四姓方と呼ばれることは本当に久しぶりだが、こんな呼び方が健在している学院もまた、どこか懐かしい。

 四姓とは、源平藤橘(げんぺいとうきつ)のことで、この苗字を持つ者たちを総称して四姓方と呼ぶ。
 橘は俺と迅を。平は将軍と要を指し、源は譲仁と康國くんに、冠の三人を指す。
 徳川家や【肝心要】の三院家には、当然その四姓は使われていないのだが、結局のところ、 祖先を辿ればそこに行き当たるということなのだろう。
 ちなみに、藤とは藤原氏の略だが、これが現在の條家に当たる。

 しかしまたこいつらは、なぜ茶道部などを立ち上げたのだろう?
 その理由を考えあぐねているうちに、黄色い歓声とは種類の違う、女子の声が聴こえ始めた。
「あ。いたいた! 康ちゃん、今日は茶道部の方に出席するの?」
 両手を康國くんへ伸ばしながら、のんびり加減で話しかけてきたのは、譲仁が激ラヴゥしている菫子に違いない。
 そして菫子が伸ばした腕が自分の首に届くよう腰を屈め、 さらに左手で軽々と菫子を抱きかかえる康國くんは、記憶にあるよりも数倍低くなった声で、 けれど記憶通りの口調で菫子につぶやいた。
「あぁ。そのつもりだ」

 そんな二人の光景を、ホゥっとした溜息混じりに羨望しはじめる女子軍団。
「まぁ、お可愛らしい。まるで、お内裏様とお雛様ですわ」
「本当に、絵になるお二人ですわよね」
 どう見ても、バカップルのイチャつきにしか思えない二人の行動だけれど、誰もが不思議に思わないのが恐ろしい。
 というかブランクが大有りなこの俺ですら、何の違和感も感じなかったのだからこれは本物だ。
 何が本物かは分からないが、本物という言葉が似合うのだから本物だ。

 けれどそんな二人を、快く思っていない男が一人……

 自分の視界を閉ざすように、片手全体でフレームの位置を正す譲仁。
 目は口ほどに物を言うといわれるが、譲仁の場合はきっと、眼鏡が物を言うのだろう。
 そしてこれが、伊達眼鏡着用のきっかけになったのだと気がつくのは、五月に入ってからだった――
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photo by ©clef