『夢より素敵なこの一瞬』 (SAKU-HAPI ver.)

Written by 紗月(Satsuki) 

 どうやら私は、愛しの姫君の機嫌を損ねてしまったらしい。

 「悠剛さまは、ずるいです」
車の助手席に座る紀穂が、珍しくふくれっつらをしてつぶやく。
「何がずるいんだい?」
言いたいことはなんとなくわかっていたが、そ知らぬ顔をして聞き返す。

 「私が…断れないこと知っててあんなこと言うんですものっ!」
子供みたいにすねた顔。これも、見たことのない顔。稽古場と、時々祖父の別邸で会う時には見せた事のない表情。

 「でも、誘いに乗ったのは紀穂だろう??」
信号が赤に変わった隙に、すい、と手を伸ばし、真正面を見据えたままの紀穂の顔を私の方へ向けさせ、頑として私を目を合わせないようにする、彼女の瞳を覗き込むように顔を近づける。

 「…もうっ、知りません!!」
ぷい、っと顔を背けた彼女の両頬は、目の前の信号と同じ位、真っ赤に染まっていた。

 ある街からの依頼で鷹月流の公演をすることとなり、その打ち合わせも兼ねて主催者側から招待されたのは、離れのある格調高き温泉宿。そこにひとりで泊まるくらいなら……と思い、私は紀穂を同伴することにした。
 ただ、遠慮深い彼女のことだ、事前に言えば何のかんのと理由をつけて断るだろう。だから、私が電話したのはその日の朝だった。

 「おはようございます、悠剛さま。朝からどうなさったのですか?」

 「紀穂。ちょっと今外に出てこられるかな??」
 当日の朝、車を止めたのは彼女のマンションが見える路地。彼女の部屋の玄関を見上げながら電話を掛けると、ほどなく、出勤準備を整えた、スーツ姿の彼女が部屋から出てくる。
 彼女を助手席に座らせ、何がなんだかわからない、と言いたげな視線を無視して、一方的に告げる。
「紀穂、今からあるところに行くから、旅の支度をしておいで」
「はい?」
今なんと?といわんばかりの彼女に、もう一度同じことを告げる。
「20分待つ。一泊できるように、支度をしておいで」
「で、でも私仕事が……」
ますますわけがわからない、という顔のままつぶやく紀穂。
「休みなさい」
「…そんなのって!」
無理だ、といおうとしたのを接吻で封じる。

 「…じゃあわかった、とりあえず部屋に行こう」
 無言になった紀穂を一旦部屋に返し、私もそのあとを追う。
 朝食を終え、出勤する支度がすでに整っていたのか、部屋には食事の気配も、部屋着を脱ぎ捨てた気配もなく、すっきりと片付けられていた。

 テーブルの上に、紀穂の携帯。
 すかさず取り上げ、アドレスから彼女の職場の番号を探し出し、家の電話から職場に電話する。
「おはようございます、野坂紀穂の父親ですが、娘がいつもお世話になっております。娘は今日体調を崩しまして、大事をとって休ませることに致しますがよろしいでしょうか??」

 わざと声色を変えて父親を装い、電話の相手に一方的に告げる。紀穂が、何をしでかしたのか、と傍らで焦った表情を見せている。
「紀穂、先方がお前に換わってほしいそうだ」
平然と彼女に受話器を差し出す。
「はい、係長申し訳ありません…どうしても起きる事が出来ずに父が電話を致しまして…
はい、来週月曜日には出社できると思いますので、何かありましたら立花さんに確認していただければと…」
私の策略で病人にされてしまった紀穂、必死で具合の悪そうな声を装って相手と語っている。

 電話を切った瞬間、きっ、と私をにらみつける紀穂に、何も言わせまい、とばかりににっこりと笑って即座にこう告げる。
「じゃあ紀穂、さっき言ったように20分待つ。旅の支度をしなさい」
紀穂はもうそれ以上、逆らう言葉をはかなかった…。

 出発してすでに半時間経とうか、それでもまだ紀穂は無言のままだ。
「紀穂、いい加減機嫌を直しなさい」
私は運転席から手を伸ばし、彼女の髪を、頬を、そっと撫でる。

 「……なんか、こういうのって新鮮ですね」
数分後、ずっと無言だった紀穂が、ようやく口を開いた。
「何がだい??」
「昼間にこうして、悠剛さまと一緒にいられることと、悠剛さまが運転なさってること、です」
「…ああ、そんなことか」

 確かに、私たちが会うのは大概夜だ。
 稽古場以外で会う時は、私でなく使いのものが紀穂を連れてくる。
 紀穂は会社勤めをしているから、私たちが平日の昼間に会ったことは一度もなかった。

 車は市街地を抜け、やがて、山道に差し掛かる。ある場所が見えてきたのでわき道に車を止め、車を降りる。
「紀穂、降りて周りを見てごらん」

 「…うわぁ、綺麗…」
 ため息混じりのつぶやきに、私は満足する。
 目の前に広がるのは、山肌を朱や橙に染める色とりどりの木々。
 街中では見られない、今の時期だからこその、手付かずの自然が織り成す彩錦。
 以前、この景色に目を奪われてからというもの、この絶景を彼女に見せたかったのだ。

 「悠剛さま、素敵な場所を知っていらっしゃるんですね…」
「一度紀穂と一緒にここを訪ねたかったんだ。平日ならそんなに人がいないからね。…来て、良かっただろう??」
「…はい…」
はにかんだように笑う彼女の姿が、沿道の紅葉に映えて、それはそれは美しかった……。

 今すぐ彼女を抱きしめたい衝動をぐっとこらえ、私たちは目的地に向けて出発する。
 ほどなく、宿に到着し、私たちは離れに通された。
 本館から離れたこの場所は、旅館というよりは一軒の小さな民家そのもので、一度案内されれば出発するまで、食事や床の支度をしてくれる宿の人が来る以外は、誰にも邪魔されない二人だけの空間になる。

 「私…こんなお宿に来たの初めてです…」
 紀穂は珍しそうに建物の中を見て廻る。
 彼女は、こういったら失礼かもしれないが、両家の子女として蝶よ花よと育てられ、社会に揉まれることなく人妻になった佳子や、同じような経歴の他の友人たちに比べても落ち着きがあり、社会人としてきちんと自立している経験やその立居振舞いが、年齢だけでない「大人の女」を感じさせるのだが、今の彼女の行動はあどけない少女のようでなんだか微笑ましい。

 「……さ、紀穂。せっかく来たんだから、一緒に湯でも浸かろうか」
「……今から、ですか?」
「もちろん。せっかく貸切の風呂があるんだから、一度だけじゃもったいないだろう??」
さっ、と顔を赤らめた彼女の手を引き、風呂場へ。

 「…紀穂、もっと近くに来なさい」
一緒に湯に浸かったはいいけれど、紀穂はそそくさと風呂の端っこに浸かってしまい、こちらに近づこうともしない。
 
 何度も肌を重ねているはずなのに、何を今さら照れくさがるのか…私はそっと近づき、彼女を後から抱きしめる。
 湯のせいなのか、はたまた恥ずかしがっているのか、彼女の白い肌はほんのりと薄紅色に色づき、私の欲情をさらに掻き立てる。
 頭上には雲ひとつなく澄んだ高い青い秋空、白濁した湯にひらりと舞い降りる紅葉、そしてそばには愛しい女性……これで平然としていろ、というのが無理な話だ。

 「……それにしても、残念だな」
身動きひとつしない彼女を抱きしめ、うなじに口付けながらつぶやく。
「この濁ったお湯じゃ、紀穂の身体をちゃんと見られないじゃないか」
「もう、悠剛さまったら!!」

 ああ、このまま時間が止まってしまえば良い。
 誰にも邪魔されることなく、永遠に二人きりでいたいのに、けれどそれはかなうことのない話で。

 だからこそ、明日の朝ここを発つまでは紀穂を、二人だけの時間を心行くまで堪能したい。
 まずは、そばにいるこの女(ひと)を、日頃の、短い逢瀬の時間では見たことのなかった、そのときその時によって変化を見せるこの愛しい女を、隅から隅まで愛でることにしよう。
 すっかり上気して、歩くのもままならない紀穂を抱きかかえて風呂場を出た。



 お楽しみは、これからだ。
From Satsuki
『月華』のファン一号様、櫻さんのサイトに置いてもらうべくこの話を書きました。
裏タイトルは『ユーゴーとキホのだまし討ちお忍び温泉旅行大作戦♡』(アンタ台無しや)

今回はこのシリーズ初の濡れ場なし!でお送りしております。
この話をきっかけに『月華』が気になったと言うあなた!
ぜひとも私めの駄文サイトにお越しいただけるとうれしゅうございます。

『夢より素敵なこの一瞬』紀穂バージョンはこちら

櫻さん、このようなスペースを設けていただいて、ただひたすら感謝!です。
サイトのお目汚しにならないといいけども・・・。


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