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◇◆  The dream inside a dream ◇◆
「NEZ UMI MOUSEっ!」
「あ、ぐるっと回して、重ねて、開く、ハイハイハイハイ!」
 日焼けギャルと、腕を振り振り通路を闊歩して、テンション高く席に戻る。
「今、パラパラが鬼熱いっ! って、あれ?」
 けれど、相席の仕切り板が外されて、知った顔がお隣さんに、座っているから驚きだ。
「克っちゃんと石岡兄ではないか。何? いつの間に?」
 まさか、こいつらも、瞬間移動ができるのか。否、瞬間すり足かも。剣道部だけに。

 相変わらずの温和顔で、石岡兄が、どこまでもおっとりと挨拶を投げる。
「こんばんは。この間は、萩乃がお世話になりました」
 そこで、萩乃ちゃんの今を思い出し、返答がてら聞き返す。
「いえいえ、私は何も。あ、そうか、萩乃ちゃん今」
「はい、研修旅行に、出かけてます」
 何の目的かは知らないが、秀和は四月早々、研修旅行たる行事が執り行われるらしい。
 富士山を登る研修に、どんな意義があるのか知りたいけれど。

 石岡兄とのご挨拶を済ませ、ふと、隣を見れば、何時に無く、能面顔の我が兄が鎮座中。
 世の中も、本間の乳首も、春爛漫だというのに、未だ克っちゃんの周りだけは、凍てつく真冬だ。
「えっと、克っちゃん? 何その、ブリザードなエアー。感じ悪いよ?」
 だから、然りげ無く嫌味を吐けば、それを完全に無視した克っちゃんは、石岡兄に退席の旨を告げた。
「石岡、悪いが先に帰ってもいいか?」
「はい。そうおっしゃると思ってましたから」
 石岡兄が穏やかにそう答えると、克っちゃんの顔に笑みが浮かび、そのまま、すっくと立ち上がる。
 明らかに克っちゃんの様子が変だ。でも、それに気づいたところで、この秘密主義男は、何一つ教えてくれないから、聞いても無駄だけど。

 それでも、立ち上がった克っちゃんを見上げ、無意識に言葉が吐く。
「え? 克っちゃん帰っちゃうの?」
 すると克っちゃんは、私の頭に掌を置き、悠然と告げる。
「用事を思い出した。帰りは遅くなる」
 久しぶりの目配せを見た。克っちゃんはいつも、この仕草で朝帰りを宣言するのだけれど、最後にこの仕草を目にしたのは、何時だっけ。
 ところがそこで、克っちゃんが訳の解らぬ言葉を、七和に放つ。
「七和、美也を頼めるか? 今。は、平気なんだろ?」
「はい。それは約束します。ですが俺は……」
「解ってる。だから頼んでいるんだろ?」

 何が平気で、何が解っているのだろう。石岡兄まで肯いているところを見ると、これはもう、秀和暗号文だな。否、秀和業界用語かも。
 克っちゃんの背中を見送りながら、ぶつくさと呟いたところで、七和が感嘆の溜息を吐く。
「やっぱり、松本兄はどこまでもカッコイイよね……」
 七和の妄想が見えるようだ。だから、その妄想を壊してやろうと、真実を捻じ曲げ告げる。
「そう? あの男、歯磨きしながら、オエってしてたよ」
「げ、幻滅させるようなことを、言わないでくださいよっ」
 七和がそう言うことは解っていたけれど、この方のそれは、想定外でした。
「げ、幻滅です…あの先輩が、そんな親父クサイことを……」
 い、いや、石岡兄、これには深い訳があるんです……今更、言えないけど。

 こんな面白い話に、本間が全く食いつかない。不思議に思いながらも本間を見れば、克っちゃんさながらの、凍える空気を身に纏っている。
「あれ? なんだよ、本間まで、可笑しなエアーを放出中?」
 そこで我に返った本間は、石岡兄が居ることも忘れて、素のまま答えた。
「あんたほど、可笑しくないわよ」
「失敬なっ」

 本間が人前で、こういった態度をとるときは、頭がフル回転をしているときだ。
 確か、期末試験も、こんな顔をしていたはず。十年近く昔だけど。
 それでも、ふと不安になる。本間も克っちゃんに似て秘密主義なだけに、そんな似た者同士が同じ空気を纏うのは、良からぬ出来事が起きたに違いない。
「なんか遭ったの? 克っちゃんも変だったし……」
 戸惑いながら、ぼそと問えば、透かさず本間の否定が飛んだ。
「何もないわよ。七和は罰ゲーム決定だけど」
 そこで当然、がっくりと項垂れながらも、七和のツッコミが入る。
「そ、そうきたか……」

 何がきたのかは知らないが、罰ゲームと言われたら、黙っちゃいられない。
「じゃあさ、罰ゲームならパラパラだよね?」
「あんたも、そう行くか……」
 そんな七和の項垂れ加減とは裏腹に、胸をムギュっと抱いた本間が、瞳を輝かす。
「あら、テクパラを私に語らせろと?」
 そう言えばそうでした。ネズミー地元だけに、クラブネズミーへ通ってましたね。以前。
 けれどそれなら、私だって負けません。月曜十時は、テレビに釘付けでしたから。
「本間よ、やはりビギナーには、アレだね、アレ」
「ええ、そうね。ビギナーは、アレから始めるべきよ」

 ということで、鬼熱い女たちが、鬼熱くパラパラを伝授する、変な居酒屋。
「違うよナナワっ、右ガッツ、左ガッツ、くるりと回して、はい敬礼」
「あら違うわよ! クロスが先でしょ? クロスクロス、ふんふん、Y添えY添え」
 二拍をふんふん言うな。否、それよりも踊るな。胸が揺れるだろユサユサと。
「そうだよ、そこから胸に引いて、ガッツになるの。見てて? こうっ!」
「あ、なるほどっ、で、最後に」

「ナイっオブ、ファイヤぁ〜!」
「NIGHT OF FIRE!」

 なんだか、本間の発音の方が美しかった気もするが、それは聞かなかったことに。
 けれどそこで、予想外の人間が、予想外のいちゃもんをつけました。
「美也さん、敬礼の仕方が違います。いいですか、こうです。こう!」
「兄、お前……」
 この男も、鬼熱いのか。これで克っちゃんが、鬼熱かったら笑うしかない。多分。

 ギザ鬼熱く、パラパラを満喫した後の、心地良い疲労感。
 なんとも言えない、そんな気怠さに見舞われながら、午前様でベッドに潜りこんだ。
 ところが、またあの夢だ。三夜連続で見ると、流石にしんどい。こう、開局記念ドラマっぽく。

 珍しく訪れた克っちゃんの部屋で、気持ち悪いほど冷静に、問い詰められていた。
 けれど克っちゃんが、話を終わりにしようと、溜息交じりに吐き捨てるから、その言葉を聞いて、私が逆ギレするんだ――

「……もういい。美也と話すと疲れる」
「なっ、何それ? 克っちゃん感じ悪過ぎっ!」
 頭から蒸気を上げるほど腹が立つ。だけど頭に出口はないから、鼻の穴で我慢する。
 鼻から猛烈な息を吹き、ドアノブに手を掛けたつもりが、華麗なターンを決めての膝抱っこ。
「引っ張んな! 怒ってんだからっ」
 二十歳過ぎた兄妹が、膝抱っこで仲直りというのも可笑しいが、克っちゃんにこれをやられると、昔からどうにも怒る気を失くす。
 しかも、片足ずつカタカタなんて動かされちゃったりすると、完全にアウトだ。

 実母が死んで、父さんは仕事で、学校が終わると校内の学童保育に預けられたものの、三年生までしか預かってくれないそこで、私は克っちゃんと離れ離れになった。
 克っちゃんは完全下校時間まで校庭で遊んでいて、そんな克っちゃんを学童の窓から見ていた私は、いつも淋しくて不貞腐れていた。
 そこで克っちゃんは、家に帰るとほとんど毎日、こうやって私を膝に抱っこして、片足ずつ動かしながら私を揺らす。
『美也、アーって言って』
 克っちゃんに言われた通り声を出すと、自分の声がガタガタと震え、そんなくだらないことが可笑しくて、結局そこで私のご機嫌はすっかり治るんだ。

「美也、アーって言わないの?」
「言わないっ! 怒ってんのっ」
 片足を動かしながら、克っちゃんが暢気に問うから、怒りに任せて文句を吐いた。
 けれど克っちゃんは、私の背中に額を押し当て、深い溜息を零す。
「俺だって、腹は立つんだよ……」
 そんな克っちゃんの小さな呟きに、思わず後ろを振り返る。
 すると克っちゃんは、苦渋の表情を浮かべ、私の頬に手を添えた。
 自分が全て悪いと解っている。克っちゃんを巻き込んだことも、傷つけたことも、全部解っている。

 克っちゃんの友達と寝た。けれど、抱かれている最中に、他の男の名を呼んで捨てられた。
 林くんは腹癒せに、あることないこと盛り沢山を仲間内へ告げ、さらに、あんな妹の兄貴だと言うことで、克っちゃんとの距離を置く。
 こんな莫迦な妹の所為で、謂れ無い誹謗中傷を受け、仲間内から不当な扱いを受ける羽目になった克っちゃんに、どう謝ればいいのか解らない。
「か、克っちゃん、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ」
 漸く言えた、謝罪の言葉。それでも、謝ったところで、克っちゃんの傷が癒えるはずがない。
「ごめんねっ、ごめんね、ごめんね…ごめ……」
 だから只管、その言葉だけを泣き喚き、泣き疲れて事切れる。

「ん……っ」
 ずしりと身体に重みを感じ、指で耳を挟むように両頬を固定された後、ゆっくりと重ねられる唇。
 少し厚みのある渇いたその唇は、躊躇いを遺しながらも、確実に勢いを増す。
 けれど、何時まで経っても、舌は滑り込んでこない。ただ唇だけが、妖しく動いて私を翻弄する。
「ふぅんくっ…ふぁっ…んっ」
 堪らず声を漏らし、自ら舌を小さく差し出した。すると唇がそれを優しく包んで吸い上げる。
 何かが変だ。これは態と焦らしたキスではない。こういうキスをする人のキスだ。
 そこで漸く瞼を上げて、薄暗闇の中に浮かぶ相手を見つめた。
「か、克っちゃ…? ま、待って、これは夢だよね?」
「夢だよ。お前の夢だ」

 そうだ。私はまた、夢の中で夢を見ている。
 そして、夢の中でならば、抵抗する必要はないと安易に考え、克っちゃんのキスに溺れていく。
 夢で体験する克っちゃんのキスは、いつもゆったりとしていて、何処までも優しい。
 愛情はたっぷりと感じられるけれど、焦げるような激しさがないんだ。
 だから溺れる。癒しのキスに緊張が解れ、いつまでも、このままキスをしていたいと願う。
 比べるのは可笑しいけれど、亮のキスは、全くの正反対だ。
 苛烈な情熱を注ぎ込まれるから、身体が震え、もっと凄い快楽を、与えて欲しいと身体が疼く。

「克っちゃん…美也を置いて行かないで……」
 いつもと同じ、いつもの台詞。ついこの間、置いて行って良いと、現実で告げたばかりだと言うのに、夢の中の自分は勝手だと思う。
 ところが今日は、ここから先が、いつもと違った。
 いつもなら、克っちゃんの返答が、私を安心させてくれる。それなのに今日は、真逆だ。
「それは無理だ。これ以上、お前の傍には居られない……」
「な…なん、で?」
「もう、限界なんだ…限界なんだよ美也」
「や、やだ…だめだよ。克っちゃん行かないで」
「全く、お前はそうやって……」

 目の奥が痛い。泣きたくなるほどの、優しいキスが降り注ぐ。
 克っちゃんの、全てが伝わってくるようなキスは、急かすことなく、ゆっくりと心に染み渡る。
 片手で器用にパジャマのボタンを外しながら、克っちゃんの唇は顎を伝い、首筋を這う。
「克っちゃん、置いて行かないで……」
 声になるかならないかの同じ台詞を、何度も囁き、鼻を啜り上げた。
 それなのに、克っちゃんは答えてくれない。いつものように、大丈夫だと安心させてくれない。

 両脇に流れた胸の膨らみを、優しく中心に揉み寄せて、亮とは違う唇が、充血始めた隆起を包む。
 唾液に塗れた柔らかな舌が、とろんと唇の中で揺れ動く。
 感覚が違う。滑らかさも、固さも、蕩かし方も、乳房を包む手の大きさも指の太さも、何もかもが違う。
 厭だ、亮じゃない。夢でも、夢の中の夢でも、亮じゃなきゃ厭なんだ。
「くぅっ…ぁぁっ、や、だめっ、ゆ、夢でもだめっ」
 掌が髪を擦り、額を押して、与え続けられる刺激から、逃れようと闇雲に動く。
 けれど、そんな私の手首を捕まえた克っちゃんは、親愛の口づけを掌へ落とし、深く囁く。
「亮じゃなきゃ、駄目なんだろう? なら、何故お前は、俺を引き止める?」
 私の掌を自分の頬に宛がい、克っちゃんが悲しげに微笑んだ。

 そうだ。克っちゃんの言う通りだ。
 私は狡い。亮が好きなのに、克っちゃんを手放せないなんて、道理が通らない。
 それなのに、この掴み続けるシャツの袖を、放すのが怖い。
 でも放さなきゃ。どんなに怖くても、克っちゃんを引き止める権利など私にはない。
 私が掴んでいる限り、克っちゃんは幸せになれない。だから、厭でも放さなきゃ……
 震えながら、ゆっくりと、握り締めたその手を広げていく。
 放したくない。放さなきゃ。心の中で葛藤を繰り返し、最後の人差し指が、シャツから剥がれ落ちる。
 けれどその瞬間、克っちゃんの大きな手が、逆に私の手を握り締めた。

「ごめんな美也…手放せないのは俺の方だ……」
「克っちゃん――」

「美、也…美也……」
 唇が、いつの間にかいつもの感触に変わっていた。
 大好きなその唇は、言霊を放ちながら、額、瞼、頬に、そっと触れては音を立てる。
 そんな心地良い感覚に、重い瞼を持ち上げれば、ぼやけた視界が徐々に開かれて、大好きな顔が間近に映し出された。
「亮ちゃ、ん?」
 これも夢だろうか。否、現実か。それでも、どこまでが夢だったのかが、既にあやふやだ。
 私の夢に匂いは無い。それなのに、克っちゃんの匂いを感じていたような……

「どうしようか迷ったんだけど、夢見ながら、そんなに泣いてるから」
 起き抜けから妄想に走り、呆然と天井を睨み続ける私に、亮が囁いた。
「え? あ、あ、ごめん……」
 そっと指で髪を梳かれ、未だ濡れる頬に、唇が優しく触れる。
「悲しい夢を見たの?」
 そんな亮の言葉で夢の出来事を思い出し、慌ててガバっと起き上がり、叫ぶ。
「亮ちゃん、克っちゃん居た?」
「玄関に靴はあったけど…み、美也?」

 驚く亮を押し退け、部屋を飛び出した。廊下を横切り、ノックもしないで、真向かいのドアを開ける。
「克っちゃんっ!」
 夢と現実が入り混じり、自分でも可笑しいと思うけれど、妙な確信があった。
 克っちゃんは居ない。私を置いて、何処かに行ってしまったと。
 けれど珍しく厭な予感は外れ、いつも平坦なベッドの上掛けが、山になったまま、もぞと動く。
「なんだ騒々し……どうした、何があった」
 夢は夢だったのだと、安堵感に身体が震え、固く拳を握ってその場に立ち尽くす。
 そんな私を、怪訝に眺める克っちゃんは、戸惑いながらも、状況を説明しろと急かし始めた。
「美也? 何があったんだ」

「い、いや、克っちゃんが、どこか行ったかな、と思って」
 そこで漸く我に返り、しどろもどろな言い訳をしながら、この場から退散しようと後ずる。
「ね、寝てたよね。ごめん」
 けれど半歩下がったところで、むくっと起き上がった克っちゃんが、私の手首を掴んで引き止めた。
「なんの夢を見たんだ、全くお前は」
 手首から伝わる克っちゃんの温もりが、これは現実なのだと教えてくれるから、堪らなく嬉しい。
 それでも、夢の中での遣り取りを想い馳せ、ごちゃっと入り混じった感情は、訳のわからぬ言葉を吐く。
「だって、克っちゃんが……」

 態と声に出した溜息を、心行くまで吐き出した後、意外にも真顔で、克っちゃんが問う。
「……で、俺は何処に行けばいいの?」
 そう問われると、何やら困る。夢の中でも克っちゃんは、何処に行くとは言わなかった。
 否、それよりも、これは現実だ。私は克っちゃんを引き止めちゃ駄目なんだ。
「いや、えっと、行かなくても? あ、行かないでいい、かも」
 実に抽象的な、上手い返答だと思う。やっぱり、疑問符って便利だよね。多分。
 けれど克っちゃんが、なまはげみたいに顔を歪めるから、思わず本音がぽろっと零れた。
「何だそれ?」
「い、行かないでいいのっ!」

 その言葉で、克っちゃんがくつくつと笑い出し、掴んだままの腕を引き寄せ、私を抱き締め囁く。
「だったら、覚悟しろよ」
「え?」
 思わぬ展開に、あたふたとしながら見上げれば、開けっ放しのドアを見据えて、益々、抱き留める腕の力を強めながら、克っちゃんが断言する。
「俺の眠りを、邪魔した罪は重い」
 拙い。これはかなり拙い。今までの経験上、強いられる覚悟は……
「グエっっ」

 背骨が、ボキボキっと濁った声で鳴きました。これは紛れもなく、究極の克っちゃん整体です。
 多分、否、絶対に、この後私は、アクロバティックな体勢で、関節技を決められること受け合いです。
「か、克っちゃん、い、痛いっ、ギブっ! ギブ〜〜っ!」
 当然、こんな状況下で、背後に佇む人間を振り返れるはずもなく、微妙な視線を交わす兄弟たちのことなど、この私が知る由もない――
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