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◇◆  Impossible! 1 ◇◆
 本日、木曜レディースデーではなく、明日は休みだ金曜日。
 曲がり始めた肌回復のため、早く寝ておくか、それとも、明日は休みなんだから、夜更かししちゃうか、ちょっと悩むうら若き乙女に、堂々と連絡を寄越した暇男。
 携帯の番号もアドレスも、教えていなかったとはいえ、家に電話を寄越すところが曲者だ。
 しかもその電話に、母が出ちゃったから最悪だ。私にも漸く春が来たと、赤飯を炊く勢いで喜ばれ、受話器の傍から離れない。
「朝まで、ドアチェーン掛けちゃうから、家に入れないわよ」
 だなんて、朝帰りを強要され、送り出されたファミリーレストラン。
 一体私は、朝までどれだけの、お飲み物を腹に収めれば良いのでしょう。四リットルくらい?

 待ち合わせ場所に、トレードマーク化している青色ポロシャツで陣取る男。
 私を見つけると、窓越しに両手を振り振り、自分は此処だと主張して、目が合った途端、意味のない、猿真似ジェスチャーを繰り広げるその男。
 改めて思う。この男は、私と同じ空気を持っている。しかも、かなり濃度な。
「春キャン優待券?」
 いつものことだが、ドリンクバーだけを頼むことに、損と言う抵抗を感じる私。
 それでも、人間と言うものは、失敗を繰り返し、成長するものだ。
 ということで、今回はデザートではなく、ちゃんと料理を頼みました。お腹は空いてないけれど。
「はい。バイト先のキャンペーンで、チケットが二枚手に入りました」

「バイトって、ビデオ屋の?」
「そうです。ほら、春の学生キャンペーンですよ」
 ビデオ屋に訪れた者ならば、誰でも知っているだろうなどと、七和は発言しておりますが、学生ではないので、そのような告知に目が及びません。
 それでも、知らないなどと言おうものなら、嫌味を十個以上吐き出されそうなので、此処は一つ、知ったかぶりで通そうと思います。
「あっ、あれかぁ!」
 けれど、先日から緑色に変わった七和の伊達眼鏡は、色が変わっても、威力は変わらない。
「嘘吐けっ。知らなかったくせに」
 では聴くな。だったら聴くな。しかも、クセ言うな。

 空のグラスを七和に押し付け、御代わりを持って来いと無言で要求する。
 小言を吐きながら、ドリンクバーまで動く七和と入れ違いで、店員さんが料理片手に私へ微笑む。
「こちら、青豆とベーコンの温サラダになります」
 こんなもの頼んだかと思いつつ、その小さな姿に妙な好奇心を惹かれ、スプーンに手を伸ばす。
 上に乗っかる半熟タマゴを、ぐちゃぐちゃに潰したい。四国、九州地方のみんな、ごめん。この店舗、そっちには無いんだって。だからみんなの代わりに、私がこれを潰す。代表で。
 覚悟が決まったところで、タマゴにメスを入れる。すると、黄色いキミが、とろとろと溢れ出した。
「くぅぅ。たまんねぇっ」
 感無量で至福のときを楽しめば、ドリンクバーから戻った七和の興奮戯言。
「ああっ! お、俺の半熟タマゴがぁっ! なんてことするんだ、あんたっ」
 莫迦言え。やったもん勝ちだ。その場に居なかったお前が悪い。多分。

 結局、どうしても半熟タマゴを潰したいらしい七和は、新たなそれを追加で注文し、こちらは私の物になりました。蕩けるタマゴを絡め、一口食べると、これが結構いけます。奥さん。
「で、幾らで私に買い取れと?」
 話をチケットに戻し、二口目を口に運ぶ。青豆がプチっと弾けるこの食感。旨いよコレ。
 そこで、新たなそれが運ばれてきて、恍惚な表情でタマゴを潰す七和が、嬉しそうに文句を垂れた。
「松本さん、失礼ですよ。俺だってそこまで苦学生じゃないですから」
「え、何? じゃ、タダでくれるの?」
「えぇ。二枚あるんで、是非一緒に」
「やったぁ! 萩乃ちゃんと一緒に行こうっと!」

 私たちのスプーンは凶器になる。互いにスプーンの背を相手へ向け、言葉の威嚇が開始。
「違いますよ。松本さんには、一枚しかあげません」
「なんだって? お前、ケチくさいやっちゃな」
「やっちゃなってあんた…普通、気づくでしょ?」
 いつも思うのですが、普通って何? 普通に可愛い。普通に美味しい。普通に嬉しい。
 超やギザの方が、これよりもっと解り易い気がします。語尾が伸びるのは馴染めないけれど。
「何がだよ? ナナワがケチだって?」
「こっ、この超弩級鈍感女っ」
 うん。ほら、こっちの方が解り易いでしょ。しかも、弩級まで付いてるし。

 運ばれてきた七和の料理は、私がセレクトしたものより、美味しそうに見える。
 ほうれん草がホワイトソースに塗れて、上にチーズが掛かってるんだよ。しかも、フィレンツェ風なんて、優雅なサイドネーミングが最高だ。
 それでも、私だって負けてはいない。だから七和が、私の料理を恨めしげに覗き込んで呟いた。
「うわやべぇ、カタツムリだよっ。旨そう……」
 カタツムリ言うな、カタツムリと。食べる気が失せるだろ。でも食べるけど。
 優越感に浸り、キミもまだまだだな口調で、話を本題に戻す。
「嘘だよ。ちゃんと解ってるよ。これは、ミヤさんのものなんでしょ?」

 七和は鈍感だと言うが、私は敏感だ。七和がこのチケットを使い、ミヤさんとの親睦を深めようとしていることが、直ぐに解った。
 私とミヤさんの接点は多い。それを知った七和が、こうして遠回りな誘いをしているのだと言う事もだ。
 そして案の定、七和がそれを肯定する言葉を放つ。
「何か、微妙に厭な予感がしますが、まぁ、そうです。美也さんのものです」
 厭な予感など、感じる必要は何処にも無い。とりあえず、直ぐにでもそんな予感を拭ってあげよう。
 とすれば、誰よりも一番早く、ミヤさんに、このチケットを届けられるのは……
「オッケ。じゃ、亮ちゃんに頼んでおくから、安心し」
「やっぱりかっ! 何故そこで、亮が出てくるかねっ」

 ドラマーのように、スプーンを指でくるくると回し、ビシっと握り止めたそれで私を指す。
 そんな七和の仕草に尊敬の念を抱き、直ぐに自分も真似したけれど、無残な結果に終わる。
 シャーペンは、上手いこと回せたけれど、スプーンは両端の重さが違うから難しいんだな。
「ナナワ、お前ってリアクションキングだね」
 しょんぼりと肩を落として呟けば、得意気に、フォークまで回す七和が言い切った。
「誰の所為だと思ってるんですかっ」
 私の所為ではないだろう。私ではないことを、きっと皆さんだけは知っている。多分。
 というよりも、私のスプーンが、皿に当たって床に落ちたのは、紛れもなく七和の所為だ。

「とにかく俺は、松本さんをデートに誘っているんです」
 同時に、床へ落ちたスプーンに手を伸ばし、互いにテーブル下へ身体を屈めたところで掛かる声。
「七和、そんなに俺が好きなの?」
 見慣れた靴と、色々な意味でよく知っている指が視界に入り、その指がスプーンを拾い上げる。
 悩ましく折れ曲がる指の動きに、ちょっとだけ、ときめいたことは内緒だ。恥ずかしい。
「あら亮ちゃん。噂をすればだわね」
 ご近所さん口調で奇遇を吐き出せば、私の隣に腰を下ろした亮が、暢気に答える。
「何? 俺の噂をしてたの?」
「うんそう。ナナワがミヤさんに、チケットを渡してもらいたいらしくてね?」

「ミヤって、俺の美也じゃなく、七和のミヤさんね?」
 勝手に私のフォークを握り、勝手に私のエスカルゴを食べ始めた亮が、ミヤミヤと語る。
 俺のミヤは知らないが、七和のミヤさんは、あのミヤさんだ。
「そうそう。あの、薔薇のような娘さんだよ。ほら、耶馬台国のミヤさん」
「耶馬台国は知らないけど、秋葉さんでしょ? うちの会社の」
 そうだ、秋葉だ。秋葉だよ。扁桃腺に刺さった魚の骨が、つっぷり取れた気分だね。
 けれど反対に、七和の喉には、背骨クラスの骨が刺さったらしい。
「はいそこ、兄妹で勝手に話を進めないでね? 大体、何? 俺とかお前のミヤって」

 七和の言い分も解る。ミヤはミヤであり、私もそうだが、誰のものでもなく、自分のものだ。
 けれど亮は、平等が大切だとばかりに、俺のお前のと、ミヤを分配する。
「え? だから、俺の美也。お前のは、あのミヤさんでしょ? 高校時代から好きだったじゃん」
 ところが七和は、その分配が気に入らないらしい。何やら亮よりも熱く、ミヤを語り始めた。
「それは高校時代の話であって、今の俺のミヤは、美也さんだろうに」
 そこで亮の動きが、ひたと止まる。そして、スプーンよりも危険なフォークを凶器に七和を脅す。
「七和お前、俺に喧嘩売ってんの? 俺の美也に手を出したら」
 全く持って、厄介だ。ミヤという発音は、七和と違って複雑ではない。
 だから、どれがどのミヤなのか、段々と混乱する。こうなると、本間の呼ぶみゃあが、美しく聴こえるのは何故だろう。

「ちょっと待った。先程から、ミヤミヤおっしゃっていますが、それは、どちらのミヤさん?」
 二人の間に割り込んで、紛らわしい会話の通訳を求めるけれど、亮はその言葉で怒り出す。
 狡猾マフィア顔を、間近で放ちながら、いつもの口癖をゆっくりと吐く。
「美也? また同じ勘違いをしたら、ぶっ飛ばすよ? チュッ」
 当然、最後の言葉は、ネズミの鳴き真似をしたわけではなく、私の唇に音を立ててキスをしたまでであり、出し抜けでそんなことをされて、驚いたのは七和です。
「くわっ お、お前、い、今っ!」
 ならば、私は驚かなかったのかと問われると、それは、心外と申しますか、困ると申しますか……
「ま、松本さん、あんたも、何赤くなってるんですかっ」
 こういった感情の方が、先に立ったということで。恥ずかしい。

 ところがそこで、萌えボイスが聴こえ始めた。この着信ボイスは、我が妹からのメールだ。
 羞恥や驚きなど、どうでもいい。萌えだ。何よりも大切なのは、萌えなんだ。
 未だ、何かを喚く七和の言葉はBGMと相成り、そそくさと携帯に手を伸ばして、新着メールを開く。

【件名】 ネズミーランド☆
【本文】 ビデオ屋さんの、春キャンに当たっちゃいました! 萩乃とデートしてください☆

「くぅぅっ。行くっ。この身が朽ち果てようと、私は絶対に貴女の下へっ!」
 嬉しさを、宝塚風に表現すれば、隣から携帯を覗き込んでいた亮が、七和に断言する。
「七和、どうやらそのチケットは、俺がいただくことになりそうだ」
「やっぱりか。俺も、そんな気がしてた……」

 またまたやって来ましたネズミの街。けれど本日は、確実に踊っても大丈夫です。
 なぜならば、私の隣にネズミ着ぐるみさんが立っているからです。しかも、私の肩を抱いて。
 というか、何時も此処へ来て思うのだけれど、この着ぐるみの中に入っていらっしゃる方のおみ足は、異様に細いよね。
 なので、お写真を撮って下さるのは有難いのですが、是非、上半身までに留めてください。
 比較対象物は、排除の方向でお願いします。
「松本さん、バッチリ撮れましたよ。ほら、見て」
 デジカメの液晶を覗き込めば、アップでもなく、全身でもない、素晴らしいアングル。
「ナナワ、相変わらず、君は最高な男だね」
 着ぐるみの頭はでかい。故にこの場合は、比較対象物込みの方向が光栄です。
 でも、アップはいけません。アップに喜ぶのは、二十代前半までです。萩乃ちゃんみたいな。

「あ、あの、アップで撮っていただけますか? その、待ち受けにしたいんです……」
 怖づと、躊躇い勝ちに七和へ申告する、萩乃ちゃんの照れ具合が堪らない。
 まぁ、何と言うか、抽象的に堪らない。こう、色々堪らないんだ。色々。
「了解しました。ドアップでいっちゃいますよ。松本さんとは違って」
 私と違うことを強調する、七和の嫌味具合が腹立たしい。こちらも、色々。
 さらに、何やら大人しいと思っていた亮は、その芳顔に優しさを帯びた笑顔で、携帯を操作中。
 そこで、沸々と込み上げる邪悪な感情。その感情の正体は知らないが、勝手に動き出した身体は、何気なさを装い、亮の携帯を覗き込む。
 ところが、私に気づいた亮は、素早い動きで携帯を閉じる。確実に怪しい。何かムカツク。

 それでも萩乃ちゃんが、ネズミーの元から戻れば、そんな感情よりも萌えが勝つ。
「お姉ちゃん、萩乃、あれに乗ったことがないの。宗ちゃん、コースター系が苦手だから」
 萩乃ちゃんの指差す方向を見れば、大きな岩山の周りを、鉱山列車が猛スピードで走って行く。
 其処でふと考える。そう言えば克っちゃんも、コースター系が苦手だ。
 剣道を遂行した方々は皆、この手の乗り物が苦手なんだな。隙を見せたくないが故。
「じゃ、じゃ、一緒に乗ろう? 当然、お隣で」
「やったぁ! はい。当然、お隣で」
 けれど、勝手に並び始めた私たちとは正反対な、がっくり項垂れ加減の男性陣会話。
「何でビッグなサンダーに、俺がお前と乗らねばならんのよっ」
「それは俺も同じだろっ」

 アトラクションを制覇しながら、世界の市場たる、ショップやレストランが連なる場所へ舞い戻る。
 そこで、お腹が空いたと七和が言い出し、市場の端っこに在る、カウンターサービスのカフェに入って、パンやペイストリーを各々選び出す。
 ネズミー型に焼き上げられた真ん中に、色取り取りのフルーツが埋め込まれているデニッシュ。
 ダークチェリーも捨て難いが、やっぱり此処は、桃だよね。桃。
 ところが其処で、桃よりも興味を惹かれる大好物名を、七和が叫ぶ。
「うわやっべ。ヨーグルトマフィンだって」

 ヨーグルトと聴いて、黙ってはいられない。
「なにっ? どれ? どこ? イタッ」
 トレーとトングを手に七和の元へ行こうとすれば、隣に居た亮が痛みを齎しながら、それを止めた。
「美也? ドコじゃなくて、俺はココ」
 ちんぷんかんな亮の言葉に、痛みの走る額を、手の甲で擦りながら文句を叫ぶ。
「はぁ? なんでデコピンすんのっ。変な亮ちゃん!」
 けれど亮は、当然の報いだとばかりに、低く凄みのある声で囁いた。
「美也、次やったら覚えてろよ?」
 頭突きだ。頭突きに違いない。何となくだが記憶がある。亮の頭突きは痛い。確か。

 全員が、トレー片手にテラス席へ腰を下ろし、パークを眺めながらの一休み。
 各々買った飲み物を啜り、一息ついたところで、萩乃ちゃんの右隣であり、私の真向かいに座る七和が、先輩風を吹かせて、萩乃ちゃんへ声を掛けた。
「石岡さんも、今期から秀和大?」
「あ、はい。でも、七和先輩は卒業ですよね?」
「いや、俺は院に進んだから、まだ学生。これからよろしくね」
 どんだけ学生をやる気だお前。いい加減、社会に出ろよ。あ、出てはいるのか。バイトだけど。

 七和の学歴を、僻んだところで始まらない。それよりも、重大な問題があるから仕方もない。
「萩乃ちゃん、発音が違うよ? ナナワだから」
 さらに、相槌を打つ亮が、萩乃ちゃんへ教育的指導を施した。
「石岡さん、こいつを、先輩なんて呼ばなくていいから。呼び捨てしなきゃ」
 となれば此処で、純粋無垢な我が妹の、天然虚仮発言が放たれる。
「はい、解りました。では、ナナワ? どうぞよろしくお願いします」
「揃いも揃って、勝手に何を言ってんだお前ら……」

 相変わらずのリアクションで憤懣を表す七和が、自分のトレーに手を伸ばし、デニッシュを齧る。
 その瞬間、キングらしい表現力で、私の好物名を歓喜に叫ぶ。しかもダブルを。
「まじ? 嘘? これ、桃ヨーグルトだっ!」
 思わず身を乗り出して、匂いを嗅がせろと、七和に手を伸ばしたところで、傾く身体。
「嘘っ? どれ? 匂い嗅がせ…っ」
 勢いよく引っ張られ、右側へ倒れかけたと同時に、唇を塞がれた。
「ふぐっ」
 流石に舌は入ってきませんでしたが、これはもう、チュではありません。ムチュ〜です。
 理性が消える前に、慌てて亮を押し退け憤慨すれば、とても平然と、言い返されました。
「ひ、人様の前で、なんてことをっ!」
「覚えてろって言ったじゃん」

 だからって、こんなことをされては困る。しかも、愛する妹の目の前で。
 ところがそこで、毒気に当てられてしまった萩乃ちゃんが、いきなり笑い出す。
「ぷぐっ、くっくっく」
「は、萩乃ちゃん?」
 何事かと驚き、萩乃ちゃんの手を握って顔を覗き込めば、笑いを噛み締めながら語られた。
「す、すみません。伝説を目の当たりにしてしまい、興奮しちゃって」
 興奮すると、人は笑うものなのだね。良く解ったよ。可愛いから許すけど。
 そこでまた、七和が呆れたように言い出し、現役秀和たちの、可笑しな会話が展開される。
「確かにこれは強烈だよね。なんで俺、勘違いしてたんだろ」

「え? 勘違いって、ナナワは、何を勘違いしていたんですか?」
「いや、ミヤコンのミヤを、秋葉さんだと思ってたの。ていうか、ナナワ言うな?」
「ぁ秋葉? 秋葉って、あの秋葉先輩のことですか?」
 七和のつっこみはどうでも良いとして、ミヤさんの名を呼ぶ、萩乃ちゃんの第一声が、濁点に塗れた感がしたのですが、何故でしょう。
 ミヤさんが、本間を呼んだ声調と、似ているのが気になります。うぇっぽく。
 というか、この間も感じたのですが、萩乃ちゃんは、ミヤさんを不得意としているよね。多分。

 ミヤを語られると、参戦せずには居られないらしい亮が、嘲笑い序に、七和へ嫌味を吐く。
「何でそんな莫迦な勘違いをするんだろうね? 俺の美也は美也だけなのに」
 そこで七和が、呆れたように、尤もな言葉を返す。
「亮、言ってて恥ずかしくない?」
 ところが亮は、完全に素の状態で、厚かましい台詞を堂々と言い放った。
「え、何で? 全然。ストレートに言わなきゃ、美也は解らないでしょ」
 失敬な。変化球でも、消える魔球でも、どんとこいですよ。来る分には。

 光り輝くパレードを、見終える前に、お買い物へ勤しむべきだと思う。
 見終えた後で、買い物しようなどと思ったら、通勤電車よりもごった返す店内を、立ち往生しなければならないからだけれど、正直、地元民はこちらでお買い物に励みません。はい。
 否、地元なので、こちらに陳列された商品を土産として買っても、誰も喜んでくれないからです。
 特に克っちゃんなど、こちらの街で働いているため、八百屋に果物をプレゼントするようなものです。
 あ、魚屋に干物をプレゼントするでも、表現的にはオッケーだと思われます。

 さらに、また直ぐ来られるといった考えがあるため、パレードを態と見逃し、その隙にめちゃくちゃ混むアトラクションの、制覇に向かいます。
 ということで、二時間待ちが当たり前の人気アトラクションを、三十分待ちで制覇し、萩乃ちゃんの希望により、ここで突然、別行動となりました。
 萩乃ちゃんには、何やら目的があるらしい。
 けれどその目的を、私に悟られたくないと、何故か亮を連れ立ち、二人で何処かに消えました。
 兄妹を二人も失い、仲間外れにされた気分で、お姉ちゃんはショックです。

 ゲート前で、そんな二人を待つ間、七和が何時になく真顔で切り出した。
「松本さん、俺ね次男なんです」
 そう言われれば、何となく解る。七和はどうも、克っちゃんや石岡さん、さらに本間のような、第一子的な要素が見当たらない。要素とは何だと問われても困るけど。
「だから、ただ待ってるだけじゃ、全部兄貴に持っていかれちゃう」
 多分これは、財産的な話だろう。七和の家は、お金持ちなだけに、骨肉の争いがありそうで怖い。

「どうしても欲しいものは、強引にでも奪いにいかなきゃならなくて」
 会社とか家だとか、桁の違う物が欲しいのかと肯けば、七和は、物ではなく、者が欲しかったらしい。
「でも、心のあるものは、難しいですよね。相手に心があるから、奪い切れない」
 余りにも悲しそうな顔で、七和がそう呟くから、お兄さん相手に、女性を奪い合ったのだと推測した。
 しかも、この口調からして、最後の最後で、相手に捨てられたっぽい。
「ナ、ナナワ? 家を出たのは、それが原因?」
 聴いて良いものかと迷ったけれど、七和がこんな話を切り出した真意が解らない。
 だから、立ち入った場所まで足を入れ、その真意を遠回しに問えば、軽く肯いた後、七和が言った。
「ミヤって言うんです。兄貴の彼女。だから俺も、俺のミヤが欲しかった」

 胸がきゅんとした。いつも明るい七和が、韓国のレモンを味わっていたのかと思うと、口の中に、甘酸っぱく辛い味が広がって行く。これはもう、レモンではなく、キムチだ。大人の味なの。
「この間はすみません。身代わりにしてたのは、俺なんです」
 辛味を知った大人の顔で、七和がしんみりと謝罪を告げる。
 さらに、どうして私を此処に誘おうとしたのかを、言い辛そうに述べた。
「だけど亮と松本さん、兄妹だし、そういうの止めなきゃって思って……」
 それはそうだ。私も七和と同じ行動を、石岡兄妹にやらかした。
 自分の行動を、正当化するつもりはないけれど、禁忌の領域は互いが辛い。
 ハッピーエンドを想像することが出来ないからこそ、気づいた者は躍起に止める。

「だけど今日、亮から聴きました。二人は、血の繋がりが無いんですね。道理で亮が、松本さんのことを、絶対に姉と呼ばないはずだ」
 突然、朗らかに語られ、どう返答して良いものか、戸惑い過ぎて口篭る。
「え? あ……」
 けれど七和は、本場のキムチだけに、ぴりっと辛味を効かせて明言した。
「松本さんも気づいていたでしょ? どんなときでも、亮は姉という言葉を使わないって」
 そうだ。七和の言う通りだ。私はずっと前から、それに気がついていた。
 だから石岡さんが、萩乃ちゃんを妹と呼ばないことに、不安を覚えたのだから。
「そして松本さんも、亮が好き。でしょ?」

 何もかも見透かされて、限りなく恥ずかしい。七和の伊達眼鏡とキムチは最強だ。
 とりあえず、恥ずかしいので黙秘権を行使します。顔色でお察しください。
「それよりも、あっちのほうが、ヤバそうですよね」
 そこで、不意に七和が話を切り替え、あっちとはどっちだと、釣られて私も振り返る。
 すると、あっちには、小さなお土産ビニールを手にした、萩乃ちゃんの姿。
 七和の言いたいことは、良く解る。あっちは確かにヤバい。かなり。
「流石、お前の眼鏡は伊達じゃないね」
「いや、伊達ですけどね?」

「ずっと考えていたんですけど、石岡さんのお兄さんは、石岡宗一郎ですよね?」
 流石、秀和繋がりだ。石岡さんは私よりも年上だから、七和と学年が重複することはない。
 それでも知っていると言うことは、何かしら、自分に関連があるのだろう。
 けれど正直言って、それが石岡さん本人を指すのか解らない。
「宗ちゃんとは聴くけど、フルネームはちょっと……」
 さすれば当然、リアクションキングの、猛烈なつっこみが入る。
「松本さん、それでよく、石岡さんと結婚するって断言しましたよね?」
 そう言えば、そうですね。けれどそれは、無かったことに……

「そ、それで、その眼鏡は何を見た?」
 七和の眼鏡を指差し、話の進展を試みる。けれど七和は、余計な言葉が多い。
「家政婦じゃないんですから、覗き見してるみたいな言い掛かりは止めてください」
「うっさいやっちゃな…この、ツッコミキングっ」
「やっちゃ言うなやっちゃ。しかもあんた、昨日はリアクションキング言っただろっ」
 あぁ煩い。やっぱり、私とこの男は絶対に似ていない。なんて言うか、無理っ!
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