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◇◆ Maikka?  1 ◇◆
「はぁ……」
 自宅近所の通学路。駅に向かって歩く大人の波と、学校へ向けて走る子どもの波が交差する。
 近頃、色取り取りのランドセルに目を奪われる。それでも、真紫色のそれを目にしたときは、不審者のごとく、その子の姿が消えるまで見つめちゃったけど。
 だからといって、こんな溜息が零れているわけではなく、女子高生の格子柄スカートが、短すぎるからってオッサンくさい溜息を溢しているわけでもなく……ま、いっか。

「どうした美也? 亮に宝物を奪われたときみたいな顔して」
 そうだった。珍しく兄と一緒に家を出て、至極久しぶりに、兄と駅までの道程を歩いているというのに、それをすっかり忘れて鬱に耽っていた。
 しかも、鬱の理由を的確に突かれて、胸が痛い。
「う、奪われてないよ! 奪われてなんかいないよ!」
「そんなムキになって否定しなくても……物の喩えで言っただけだろ?」

 闘争心を剥き出して威嚇を宣うけれど、冷静な兄はその甚だしさにも全く動じない。
 逆に私の言動パターンを読んで、然りげ無く言葉の退路を塞ぐ。
「何悩んでんだ。俺に言えないことか?」
 口の軽い私は、兄にこう問われると、黙っていることも、白を切り通すこともできなくなる。
 だから兄は、態とこの言葉を投げて、私の逃げ道を絶つ。

 それでも、今回ばかりは話すわけにいかない。どうやったら言えるんだ……
『いやさ、合意の下で、弟とヤっちゃったよ!』と、でも言えというのか!
 否、本当はそう言っちゃいたいんだけど、やっぱり流石にそれは、ねえ。
 遥か昔、嘘を吐く私は、瞬きが増えると明言されたことを思い出し、目をひん剥きながら断言する。
「何も悩んでないよ? 全然ノープロブレム!」

 切れ長な兄の目が、すっと細まり私を見据え始めた。
 拙い。かなり拙い。けれどあそこに、改札と言う名の銀河鉄道乗り場が見えている。
 あれにさえ、乗り込むことができれば……
「あ、やだ克っちゃん、あたし遅刻しちゃう! じゃ、じゃ、先行くね?」
「あの莫迦、逃げやがったな……」
 背中に突き刺さる、兄の小言は聞こえなかったことにしよう。

 満員電車に揺られ、身動きが取れない状況での着信音。
 マナーモードにするのを忘れたと、嘆いたところでもう遅い。
「やだ、誰? マナー悪っ」
 明らかに、自分の胸から鳴り響くそれを、他人の所為にしようと試み文句を垂れる。
 何十個もの同意の視線が車内をめぐり、程なく、つけ爪濃化粧のギャルへ一気に注がれた。
「やっ、あ、あたしじゃねぇーよ!」
 知ってます。けれど今日だけ、どうか身代わりに……

 満員電車から解放され、会社までの道程を只管歩く。
 そこでさっきの着信を思い出し、こんな朝っぱらから誰だと考えながら画面を開けば、至上最強の災いを齎す疫病神が、着信どころか送信まで手を広げ、暢気に文字を連ねていた。

【件名】 スーのお姉たまへ☆
【本文】 やほ♪ 仕事何時に終わんの? 兄貴紹介しろとは言わないから、飲みいこ☆

「こっ、かっ、…呪う。本間、てんめぇマジで呪う……」

 見慣れない都会的な駅に降り立ち、田舎者丸出して近代設備を眺め見る。
 有名なネズミやアヒルのキャラクターで埋め尽くされたその街は、突然私が歌い踊り始めても、誰も驚かなさそうな加減が妙に怖い。
 明らかに母と同年代な小母様が、大きな耳と、赤い水玉模様のリボンが付いたカチューシャを、恥ずかしげもなく頭に乗せている。
 けれどその小母様も、こいつよりは真面な神経の持ち主だ。
「あ、きたきた。みゃあ、こっちこっち!」
「な、なんて格好してんだお前……」

 真冬の大磯ロングビーチからお届けしちゃっているような、ポロッと見せブラ、ヘソ出しマイクロ、そして、動物愛護協会からクレームがきそうな毛皮のお出で立ち。
 今は、冬なの夏なのどっちなの! 否、冬だと解っているけどね。
「だってぇ、うちの会社は制服だから、通勤は自由だもん」
 本間はそう言うが、歩くたびにユサユサと、今にも零れ落ちそうな胸が、気になって仕方がない。
 鼻の下を伸ばし気味に谷間を覗き込み、小刻みに震えて嫌味を吐いた。
「だからって、お前それは……」
「相変わらず無礼な女だね。貧乳の僻みか? あ?」
 み、皆さん、これがこいつの正体です。

 色々な意味で浴びたくもない脚光を浴び、ようやく本間行き付けの、小洒落た居酒屋に辿り着く。
 三方が壁で区切られたボックス席を宛がわれ、座ると同時に、疲労困憊の波が押し寄せた。
 絶対に奢らせる。それじゃなければ、この仕打ちに対して割が合わない。
「しっかしさぁ、あたしがビビッタよ。新入社員のイケメン狩に初めて失敗したわな」
「何人食ったんだ。この狩猟民族め……」
 互いにメニューを見ながら、誰の視線も気にせず、演ずることのない素の会話に花が咲く。
「でもさ、弟くんは最初から、あたしとあんたが同級生だって知ってたよ」
「だからって、よくもまぁ、私のことをペラペラと……」
「だってホントのことじゃん。スーは嘘が吐けない体質だしぃ」

 生にするべきか、ハイにするべきか、散々迷った挙句に、カクテルを注文した無粋な私。
 ランドセルではないけれど、カラフルな色がいいよね。色が。
 信じられないと、語尾を伸ばして連呼する本間は、店員が去った途端、信じられない素に戻る。
「アパートの保証人をやってやる換わりに、家へ呼べって言ったのよ。みゃあにも逢いたかったし」
 この流し目は違う。絶対に私ではなく、兄に逢いたかったんだ。
「克っちゃんだっけ? カッコイイよねぇ。ねぇ、彼女いるの? あ、別に居ても構わないけど」
 やっぱりだ。しかも、彼女が居ても奪うのか。どんだけ性根が腐ってんだお前。

「知らない。克っちゃんの女関係は全く」
 野菜スティックが食べたいな。ちぢみにも多大なる魅力を感じるけれど。
「えぇ? なんで知らないの? アニコンバカなあんたが……」
 バカは余計だが、アニコンだからこそ追求しないのだと思いたい。
 彼女の顔を知ること。それは即ち、枝豆本日終了と、同じくらい腹が立つ。
「知ったらムカツクから。知らない方がマシ」

 乾杯も糞もなく、勝手に飲み始める、四捨五入三十路な女たち。
「みゃあ、あんたさ、昔っからそうだけど、ホントいい加減ヤバイよそれ?」
 お通しを啄みながら本間が言うから、一気飲みを半分で止めて言い返す。
「なにがヤバイと言うのかしら?」
「いや、だって、流石のあたしも、兄弟とはヤらないよ?」
 こいつにこう断言されると、このような禁忌を犯したものは、如何なる理由があれど、地獄行き決定な気分になるのは何故だろう。
 それでもとりあえず、グラス片手に店員を呼びつけ、御代わりを要求した。

「大体さ、あんた昔っから、モテル男にモテたじゃん。あたしより可愛くないのに。まぁ、数は少ないけど」
「失敬な」
「ほら、何だっけ? あのサッカー部のさ、あ、原田、原田!」
 田はいらないが、思い出したくない過去その壱だ。
「教壇からコクられて、あんた断れなくなってさ?」
 そうだ。クラス全員の前で告白をされて、どうにもこうにも断れない状況に追い込まれた。
 好きな人がいるのかとも問われたけれど、それが克っちゃんですなんて言えるわけがない。

「あたしに感謝してよ? あたしのお陰で、原田と別れられたんだから」
 相変わらず田はいらないが、確かにあれは本間のお陰で助かった。
 本間が原くんを寝取ってくれたから、原くんの浮気容疑で、私は悪者になることなく別れられた。
 それまで私は、本間と仲良くなんてなかったけれど、私を助けてくれた恩人なのに、パンコだのヤリマンだのと悪評を叩かれる本間に申し訳なくて、思わず感謝の意を込めてお礼の言葉を本間へ放った。
 本間は、何故お礼など言われるのかが解らず、目をおっぴろげで唖然としていたけれど、この一件からなぜか、本間と一緒に居ることが多くなった。

「だけど、あの、日改にゃ、参ったね」
「いやさ、ヒアラタメじゃなくて、ヒガイだから。日改くんね?」
「漢字で書けば、どっちでも同じじゃん」
 まあ確かにそうだが、思い出したくない過去その弐だ。しかも過去最大の。
 思い出したくない話は、酒で流すのが一番だ。
 ということで、又もやカクテル一気飲み。去る前の店員を捕まえ、唖然とされながらも再度の注文。
「一々面倒だし、同じもの三つ四つ、持ってきちゃってください」

「あんた大泣きでさ。あん時、誰か迎えに来てたけど、あれが克っちゃんだったのか……」
 惜しいことをした口調で言われても困るが、それも確かに本当だ。
 事もあろうか、保健室で日改くんに操を奪われて、克っちゃん克っちゃんと泣き喚いた私に、困り果てた養護の先生が、兄の大学へ電話を入れてくれた。
 慌てて私を学校へ迎えに来てくれた克っちゃんが、断片的な私の話を聴いて、日改くんをぶん殴ったという話は結構どころじゃなく有名だ。
 機転を利かせてくれた養護の先生のお陰で、互いに事なきを得たが、あの時の克っちゃんの顔を、私は一生忘れないだろう。

 洒落ではないけれど、空きっ腹に、ジンがじんじん効くんだこれが。
 心なしか、本間が異常に可愛く見える。私もあの服を着たら、ちょっとは可愛く見えるかな。
 パッドを五枚くらい突っ込めば、私だってユサユサできるかも。
「克っちゃんは、みゃあの騎士だったもんね。自慢げにまぁ、それは毎日毎日」
 それは当然だ。私が幼稚園の頃に実母が死んで、今の母が現れるまでの四年間、私は兄に育てられたと言っても過言ではない。
 二歳しか違わないけれど、何でも出きる兄は、いつも私の傍に居てくれた。
 何処に居ても、私が泣くと現れる、正義のスーパーヒーローだったんだ。

 これ以上カクテルを飲んだら、太りそうだ。そろそろウーロンハイにしよう。
 というよりも、ちぢみとカクテルが合わないんだよね……
「でも思うんだけどさ、男兄弟が二人居るのに、あんたは騎士役を弟にやらせなかったよね」
 それも当然だ。弟と私は六歳違う。私が高校生の頃など、弟はまだ小学生だ。
 さらに、克っちゃんは戦士といった感じの容姿だけれど、亮ちゃんは王子様だった。
 故に、騎士役どころか、私が率先して、王子様に仕える乳母役を買って出たくらいだ。
 だけどあの日、日改くんとの事件が遭ったあの日、弟は騎士役を志願していた気がする。

『ど、どうしたの美也! 何があったの? なんで泣いてるの? 美也、美也!』

 小学生の弟に言えるわけがない。
 それでも、何があったのかと問われてその行為が甦り、私はまた嗚咽した。
 弟は、私の名を呼びながら、理由を教えてくれと何度も何度も叫んでいた。
 だけれどそこに、騒ぎを聴きつけた兄が現れて、結局また私は、克っちゃん克っちゃん叫びながら、兄にしがみついて泣き寝入ったんだ。

 現実と過去が、頭の中でクルクル回る。本間の言葉が、何故か心に響いて遣る瀬無い。
「あんたさ、実際は弟を見上げて話してるのに、心では腰を屈めて話をしてるよね?」
「そ、そんなことないよ。亮ちゃんは男だよ!」
「ふ〜ん。そこまで辿り着けたんだ。この前見たときは、それすら解ってなかった気がしたけど」
 そういえば弟にも、同じような理由で怒鳴られた記憶がある。
 まだ弟が高校生の頃、私の朝帰りを見つけた弟は、酷く意地悪な言葉を私に投げつけた。
 それでも私は、いつものようにそれをやり過ごし、自分の部屋に入ろうとした。
 けれどその瞬間、弟が私の手首を痛いほど握り締め、聞いたこともない低い声で凄んだ。

『美也、言っておくけど、俺も男だから』

 弟の言う差別の原因が、そこにある気がしてならない。
 私は本間の言う通り、心では腰を屈めて話をしているのだろうか。
 否、それよりも何よりも、弟は兄弟だと思われることに嫌悪感を示していた。
 年頃だけに、家族自体が重荷で、ウザったくなってしまうのかも知れない。
「い、いけない事なのかな…弟を、弟だって思っちゃ……」
「弟を弟だと思うことはいいけど、弟を子どもだと思うのはいけないよね?」
「でも亮ちゃんは、弟と思われることすら嫌だって……」
「そりゃ、そうでしょ? だって弟くんは……い、いやぁん、お兄さんだぁ!」
「はっ?」

「あれ、み、美也?」
 本間の視線と聴きなれた声に、振り向かなくても誰だか……あれ、誰だっけ。
 考えても思い出せるはずがないから、とりあえずグラス片手に、声のする方を見上げて用を頼む。
「すみません、ウーロンハイください!」
 ところが、掲げたグラス越しには、大好きなスーパーヒーローが困惑気味に立っていた。
「か、克っちゃん! な、なんで此処に?」
「なんでって、俺が聴きたいよ。この方は確か……」
「本間澄子ですぅ〜」
「で、ですよね」

 そういえば、ネズミの街は、克っちゃんの職場付近だった記憶。
 けれど克っちゃんは、歌ったり踊ったり、大きな耳もつけたりしていない。
 それでも、あの赤いリボンの小母様より、克っちゃんの方が真面な神経を持ち合わせていないらしい。
「お兄さん、会社の同僚さんと飲み会ですかぁ? いいなぁ。スーも混ざりたいぃ」
 胸の谷間をぐっと寄せて、本間が兄におねだり交渉を開始する。
 兄ならば、きっと潔く断ってくれると思っていたのに、この返答。
「え? あ、あ、よろしければ、ご一緒に……」
 か、克っちゃんも、そのユサユサ胸に、やられちゃったのか!
 なんだよもう、男はみんなそうやって……ま、いっか?
 
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