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◇◆ Toys 1 ◇◆
 クローン。一口にそう呼ばれるその作出には、大まかに二種類の技術がある。
 一つは、世間一般に認知されている、核移植による一卵性仔の作出。
 細胞分裂を始める前の受精卵を組み換え、謂わば、人工的に一卵性双生児を作り上げる技術だ。
 けれど、クローンが持つ本来の意味は、是と違う。
 髪の毛一本、爪の先、そんなものから、全く同じ人間を生み出す技術。それが本物のクローンだ。
 これに近い技術での作出成功例が、十年ほど前にイギリスで発表された。
 クローン羊と言えば、何となく記憶にある者も多いだろう。

 けれど、そのクローン羊よりも数十年早く、密かに研究し、霊長類での成功を収めた者が居た。
 当然、どの国の法律でも、それに該当する項目はなく、逆に認められてもいない。
 否、結局それは立前論だ。国が遣らせていた。が、正しいと思う。
 でなければ、こんなにも厳戒な隠蔽を遣り果せるはずがない。

 そして俺はある日、この忌まわしい計画の当事者だと気がついた。
 さらに、俺の作出過程は、このどちらの技術にも属さないとも知った。
 それからというもの、感情在る人間なのに、人間で有る気がしない。
 いつかこの心も、消えてなくなってしまうような、恐怖に囚われ怯える。
 まるで俺は玩具だ。人間ではないものが、道楽で作った玩具だ――

               ◆◇◆◇◆◇◆

 俺は、極一般的な家庭の、極普通な長男として生まれた。否、そう思っていた。
 けれど、小学校高学年辺りから、この並外れた体格と運動能力で、一目置かれるようになって行く。
 勉強はしなくても出来た。授業を聞かず、教科書を開かずとも、手に取るように答えが解る。
 誰も彼もに持て囃され、両親もそんな俺を謙遜することなく、褒めちぎった。
 だからもしかして、俺は天才なのかもしれないなどと自惚れ、高飛車になっていたと思う。

 ところが、変声期を迎えた頃だっただろうか、俺の身体に異変が起き始めた。
 鉛筆が、どうやっても持てない。何故か、軽く握るだけで折れてしまう。
 それは、鉛筆に限ったことではなく、壊れ易い物全てに於いて言えた。
 触れるだけで壊してしまう。そんな自分の力を、制御することができない。
 当然、病院へも通った。整形、外科、神経科と、多々の科をたらい回しにされても、この馬鹿力の原因を突き止めることは出来なかった。
 そして気づけば、俺の周りには誰一人、近づく者が居なくなっていた。

 そんなある日、疾うに還暦を過ぎたであろう爺さんが、俺の前に現れた。
 こんな爺さんに、俺の何が解るのだと訝しむけれど、爺さんは事も無げにさらりと言い放つ。
「もの凄い馬鹿力だの。無くて七癖、有って四十八癖と、昔から言うもんだ」
 これは、癖という言葉で片付けられるものではない。それでも、そんな爺さんの言葉に救われた。
 親ですら気味悪がる俺を、簡単に受け入れてくれたことが、嬉しかったんだ。

 それからの月日、爺さんのボロイ診療所に通い、お喋りと言う名の診療を受け続けた。
 爺さんはよく、若行という変な名の男の話を、嬉しそうに語った。
 そいつは、爺さんの孫だと思ったけれど、爺さんは子どもどころか、かみさんも居ない。
 だから、甥っ子などの親戚なのだと決め付けた。
 そしてその話を聴く度、いつかそいつに、会ってみたいと思うようになって行く。

 そんな折、そいつが、陸上自衛隊の少年工科学校へ入校すると爺さんから聞き、堪らず俺も、その門を叩こうとした。
 一度も会ったことのない男だけれど、そいつとなら、腹を割って話せるような気がしたんだ。
 けれど、そんな俺を爺さんが止めた。
「お前さんには、未だ遣り残したことがあるだろう?」
 そうやって、未だ、制御することのできない俺の腕を指差し、爺さんは穏やかに微笑んだ。
 そうだ。今の俺では、自衛官など務まらない。自衛どころか、破壊しか出来ないのだから。
「いつかさ、その若行に逢えるかな?」
「逢えるさ。きっと逢える。お前さんたちは、磁石のように引き合う運命さ」

 それ以来、俺は爺さんに一度も会っていない。正確には、逢えなくなったと言うべきか。
 中学卒業の日、学校へ現れた一台の車に拠って、俺は訳の解らぬ施設に連れ立たれた。
 だだっ広いその施設には、俺の他に三人の男が、各々好き勝手に暮らしていた。
 誰もが皆、俺と同い年ほどで、誰もが皆、普通とは何かが違う、特殊な雰囲気を醸し出す。
 なんとも気分の悪い場所だ。きっと此処は、どこぞの更生施設に違いない。
 そして此処に俺を送り込んだのは、紛れも無く、我が両親だと悟ってもいた。
 泣く母の肩に触れ、その骨を折ってしまった日、階下で嘆く、母の小さな声が耳に届く。
「あんな子、産むんじゃなかった……」

 もう、馬鹿力だけでは、済まなくなっていた俺の身体。
 爺さんの言葉ではないけれど、俺の癖は四十八以上有りそうだ。
 視力は、猛禽類とあだ名される程優れ、耳は、可聴域を超えた、超音波、低周波も拾い集める。
 嗅覚に至っては、通常ならば、胎児期に退化するはずの神経が残り、鋤鼻器が機能しているらしい。
 とにかく、全ての受容細胞が、人という枠を大幅に超えていた。
 そこで初めて俺は、天才ではなく、普通や凡人という言葉に憧れた。

 施設での暮らしは、別段何をする訳でもなく、ただダラダラと過ぎて行く。
 偶に全員が一部屋に集められ、他三人の顔を拝むことがあった。
 二人の男は、容姿こそ異なるものの、性質は良く似ていて、いつも何かの機材や機械を片手に、薄気味悪いほど静かに、それを分解しては組み立てる作業を繰り返す。
 どちらも言葉が通じないのか、話しかけても返答はなく、まるで取り憑かれたように、無心に何かを作り出していた。

 けれど、もう一人の男は違う。感覚の全てが俺に訴えかける。
 こいつは、俺と同じ人種だ。そして敵もそれに感づいている。
 寒気がする程、俺の全てが高揚した。こいつと競ってみたい。否、本気で戦ってみたい。
 そしてそれは、ある日実現した。
 突然施設に現れた、矢部と名乗る中年の男が、俺とそいつを呼び出し、にこやかに告げる。
「どうだい君たち、一勝負、手合わせしてみないかい?」
 未だ嘗て無い程、感情が一気に高まって行く。遣りたい。遣るに決まっている。
 俺と同じ想いを抱いた敵の感情が、空気を伝って俺に届く。
 そのビリビリとした物が、触覚という名の産毛を撫で、その感覚が益々俺を興奮させる。

 矢部の合図で始まった格闘だったけれど、結果は惨然としたものだった。
 何が起きたのかすら解らないまま、どちらも瞬時に倒れ、身動きできない状況に陥る。
 そんな俺たちを傍観していた機械男の一人が、嘲笑いながら愚弄を捏ねた。
「可哀想に。お前等は、脳みそまで獣なんだな」
 その言葉に、心の底から悔しさが込み上げる。俺は莫迦じゃない。成績だって、いつもトップだった。
 こんな弱々しい男に、小馬鹿にされて黙ってはいられない。

 けれど、予想に反して先に口を開いたのは、真向かいで横たわる敵の方だった。
「なら、お前なら勝てるって言うのかよ?」
「当然だ。お前やあいつなどに、負けはしない」
 瞬時に返されたその台詞で、動かない身体に戦慄が走る。
 この男は本気だ。見栄でもはったりでもなく、本気でそう言っている。
 多分、敵もそう感じたのだろう。脅しに近い返答でも、口調に真実味がない。
「ほお。その言葉を忘れるなよ」

 今思えば、これがあいつらの始まりだ。
 ただ、二言三言の会話を交わしただけで、二人の主従関係が築かれたように思えた。
 そこで、機械男が俺を見下げる。俺にも敵のように屈しろと、その瞳が語っていた。
 それでも俺は屈しなかった。俺が欲しいのは、導き、率いてくれる者じゃない。
 肩を並べ、同じ視線で物を見ることのできる、何処までも同列な、友が欲しいんだ。

 この日を境に、奴等が連む姿を、多く目にするようになる。
 あからさまな敵意を、投げつけられることもあったが、だからと言って、何かを仕掛けてくるわけでもなく、着々と時は過ぎて行った。
 もう一方の機械男は、相変わらず誰とも口を利かず、黙々と自分の世界に浸っている。
 そんな折、またあの矢部と言う男が施設に現れ、機械的な笑みを浮かべて命令を下す。
「君たちに任務を与える。出来ないとは言わせないぞ」

 任務など冗談じゃない。何故そんなものを、強いられなければならないんだ。
 けれど矢部の次の一言で、そんな想いは綺麗さっぱり拭い去られる。
「この任務が遂行できれば、君たちは晴れて自由の身になれる。謂わば、卒業試験だね」
 退屈な毎日から、解放されたいと願い続けた俺に、この言葉は魅力的に響く。
 此処を出でることが出来るのならば、人を殺めることも躊躇わなかっただろう。
 そして矢部の下、四人各々に任務が言い渡された。
 それでも、他の奴等の任務内容を、俺は知らない。
 自分は護衛と言う任務に就くこと以外、何も知らされていなかった。

 護衛任務とは名ばかりで、実際は、なんてことは無い、小学生のガキのお守りだ。
 況して女のガキだから、扱い方が解らず、途方に暮れた。
「やだ、何見てんのよっ、キショイ! スケベ!」
「ふ、ふざけんなよ、このクソガキ…お前の何処に、そんな魅力があるんだっ」
 それでも一抹の不安は残る。何か遭ったとき、俺はこの子を壊さず、守ることができるのだろうか。
 施設に来てからというもの、ただ食って寝て、筋トレをするだけの毎日だった。
 特殊な技術など、一切学んだりしていなければ、薬を飲まされたわけでもない。
 現に五感は鋭いままであり、あの馬鹿力が、制御できるとは思えなかった。

 ところが不思議なことに、イメージ通り、物に触れることが出来るようになっていた。
 撫でることもできる。けれど、壊すこともできる。
 思い描いた通りに、自分の力をコントロールすることができるんだ。
 そしてそれは、任務に就いて数週間が経った頃、事件を通して証明される。

 いつもの帰り道だった。
 気配と殺気。俺の五感が、遠方から放たれるそんな空気を感じ取る。
「仁美、そこの建物の中に入れ」
「いきなり何言ってんの? 冗談じゃないわよ。誰があんたな」
「いいから、今直ぐ入るんだっ!」
 狙撃。叫んだ瞬間、空近くから放たれる銃声音を、耳が拾う。
 言葉だけでは間に合わない。こいつに触れなければ守れない。それでも触れれば壊してしまう。
 否、悩むな。死ぬよりも骨を折る方が増しだ。

 ガキを抱え、建物の中に飛び込んだ。その直後、今居た場所に弾が撃ち込まれる。
 信じらない出来事に遭遇した街は、騒然となり、叫び声を挙げて逃げ惑う人々でごった返す。
 それでも解る。これで終わった訳ではない。
 これはただ一瞬を、免れただけで、続く狙撃が俺たちを待っている。
「大丈夫か? 怪我はないか? おい、まさか俺が触ったから……」
 驚くガキは、瞬きも呼吸すらも忘れて固まっているから、俺が触れたことで、怪我をさせてしまったのではないかと、この場に似つかない不安が込み上げる。

 けれどガキは、そこで漸く我に返り、飽く迄も強気な発言を吐く。
「あたしに触った代金、後で必ず貰うからっ」
 心底震え上がっているくせに、恐怖を押し殺そうと必死になっている仕草がいじらしい。
 そんなガキの姿に、初めて湧き上がる不思議な感情。
 こいつを守りたい。絶対に、守り抜いてみせる。
「いいか仁美、決して立つな。這ってあの裏まで進め」

 俺の指示通り、歯を食いしばったガキが動き出す。
 そこでまた、鋭く空気を切り裂く、鉛の音が耳に届く。
「仁美っ! 走れっ!」
 けれど、建物内の反響で、俺の五感に誤差が生じた。
 鉛は斜めの角度から窓を突き破り、立ち上がったガキの頭部を目指して飛んで行く。
 間に合わない。それでも俺は、こいつを守り抜くと誓ったんだ。
 手近にあった机を、真上に投げる。即座に、鉛が机に埋まる、鈍い音と衝撃が響き渡った。
 俺の馬鹿力も、偶には役に立つ。そんな安堵の想いを抱きながら、影に潜み、窓の外を見つめた。

 何処だ。何処に居やがる。
 音の発せられた方角、弾が届くまでの時間、聴覚が割り出す出所を、視覚が隈無く補い捜す。
「……居た」
 親指ほどの小さな物体。俺にはそれが、ライフルだとはっきり解る。
 何故だ。このガキは重要人の娘でもなければ、特別な才能を持つガキでもない。
 どこにでも居る普通のガキだし、単にケーキ屋の娘だ。
 それなのに、何故このガキが狙われるのかが、俺には全く理解できない。
 けれど目を凝らし、ライフルを構えるやつの顔を拝んで、その謎が解けた。
「てめぇか……」

 俺と同じ人種の男。機械男に屈した男。
 こいつの任務が狙撃だったとしたら、この騒動全ての辻褄が合う。
 それでも納得など出来ない。出来るはずがない。
 幼気なガキへ向けて、平然と引き金を引くこの男も、何も知らないガキを巻き込んだ矢部のことも、何もかもが許せない。
「ふざけるなっ! 俺が相手だっ!」

 きっとあいつには、俺の雄たけびが届くだろう。
 だから割れた窓の前に堂々と立ち塞がり、遠い向こう相手に喚き飛ばす。
 ところがそこで、背後から打たれる拍手と、穏やかな笑い声。
「直己くん、君は合格です」
 咄嗟に振り返れば、満面の笑みを浮かべた矢部が、一人静かに立っていた。

「叔父様! 仁美の演技、どうでした?」
 いくら雄たけびを挙げていたとはいえ、俺は矢部の気配を全く嗅ぎ取れなかった。
 それでも、そんなことよりも、もっと戸惑う台詞をガキに放たれたから堪らない。
「は? 仁美、お前……」
 矢部に向かって両手を広げ、ガキが走り寄って行く。
 すると、ガキを抱きかかえた矢部が、俺に向かって、のうのうと言い放つ。
「私の可愛い姪っ子なんですよ。今回の試験に協力してもらいました」

 これは卒業試験プログラムの一環で、俺たち以外、全ての人間がエキストラだと矢部は言った。
 その余りの愚かさに、全身の力が抜け、その場にへたり込む。
 それでも、矢部の言葉が頭を占める。
 とにかく俺は合格した。これで俺は自由なんだ。
 そんな浮き足立つ想いに囚われて、大事なこと全てが、頭の中から消え去っていた。
 あれは、紛れもなく実弾であったこと。そして、可愛いはずの姪っ子を、そんな危険に晒したこと。
 もし、このとき気づいていれば、俺の運命も、仁美の運命も、大きく変わっていたはずなのに……

 
「君はこれから、どんな道を進もうと考えているのかね?」
 卒業試験の直後、矢部が今後の進路を俺に問う。
 だから即答した。俺は若行に逢いたい。三年程前のあの日から、抱き続けた想いが叶うんだ。
「防衛医科大の入試を受けるつもりです」
「そう。でも、それは何故?」
「逢いたい男が居るからですよ」
 矢部に返答してから、ふと気づく。何故俺は、若行が医科大に進むと解ったのだろうか。
 けれどそんな疑問も、矢部の言葉で吹き飛んだ。
「この三年間、全く勉強をしていない君が、入れるような大学じゃないだろ……」

 俺の成績が良かったのは、頭が良いのではなく、記憶力の賜物だ。
 一度でも五感が受容したものは、決して忘れることがない。
 早い話が、頭で覚えるのではなく、身体で覚えるということなのだと思う。
 だからそれからの数週間は、矢部が呉れた、受験対策の参考書たるものを読むことに没頭した。
 音読すれば尚、能率が上がる。そこに記載されている全てを、丸暗記してしまえばそれで良い。
 普通とは異なる勉強方法だけれど、俺が普通には成れないのだから仕方がない。

 こうして迎えた、十一月初旬。
 防衛医科大にはセンター試験がなく、その代わりに、この時期、択一式の試験が行われる。
 試験会場に足を踏み入れた瞬間、一際特殊な空気を纏う男を見つけて、ほくそ笑んだ。
 名前など尋ねなくても解る。あれが若行だ。
 本当に、爺さんが言っていた通りの男だった。
 生きているのかと疑いたくなるほど、微動だにせず、不意の出来事にも全く反応しない。
 得体の知れないその風貌に、ぞくぞくと血が滾る。

 運良く、俺の受験番号は、若行の隣の席を宛がわれていた。
 逸る想いで、いそいそと通路を進み、ちらと若行を見ながら席に着く。
 爺さんから、若行の能面顔話は聞いていた。驚かせても、顔色一つ変えないと。
 それでも、俺の身体が教えてくれる。無表情の下で、こいつは相当緊張しているのだと。
 だから態と、若行へ向けて言葉を投げた。
「君はちっとも緊張してないんだね。うらやましいよ」
 これが、俺たちJNの始まりだった。
 肩を並べ、同じ視線で物を見ることのできる、何処までも同列な、最高の友との出逢いだった。

 後に若行から、こんなことを問い掛けられたことがある。
「直己、お前は空気が読めるのか?」
 若行の言う意味は、文字通りの意味だ。
 視覚では捉えることのできない、物体が発する空気を、感じ取ることができるのかと聞いている。
 大きく括れば、オーラといった言葉が、一番近いのかも知れない。
 そして俺の五感は、若行の言う通り、無意識下で、それを感じ取ることができるらしい。
「まぁよ、俺は、野性味豊かだからな」
「野性味というよりは、野生的だろ……」

 そのときは、笑い話に過ぎなかった。
 けれどこの動物的な本能が仇となり、知らなければ良かったことまでも、探り当ててしまうんだ――
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