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◇◆ Confusion 2 ◇◆
「おい、そんな、嘘だろ……」
 三宅の動きがいきなり止まり、画面を見つめたまま硬直する。
 その言葉に促され英数字が羅列する画面を屈み見ると、 ろ紙に水がしみこむように画面下からジワジワと黒い影が文字を侵食しはじめていた。

「ウイルスか?」
 俺の声に身体をビクンと揺らし、ようやく正気に戻った三宅は何度も小さく頷き
「信じられないよ。僕のコンピューターに、新種のワームが放り込まれてる」
 それだけ言うと、指の動きが見てとれないほどの速さでキーボードを操り始めた。
 けれどその直後、フロア中から次々と小さな悲鳴があがる。
 周りを見渡せば、叫び声を上げた誰もが画面を見ながら頭を抱えていた。
 派手な音を立てて椅子から立ち上がった三宅が
「この状況からして、メインコンピューターがワームに侵されているんだ」
 俺にそう囁いてから大きく息を吸い込み、今度はフロアに向かって大声で叫んだ。
「みんな! すぐにコンピューターをシャットダウンして!」

 フロアの動きが、三宅の叫び声とともに慌しくなっていく。
 既に電源が落とされた画面を親指で差し示して、三宅に声を掛けた。
「外部からか?」
 けれど三宅は、ゆっくりと首を横に振り
「ハッキングは有り得ないよ。これは完全に中からだ……」
 肩を落として、俯きつぶやいた。

 監視カメラの映像を、摺り返られたときに浮かんだ疑惑。
 それはワームの出現で、確かなものへと変わる。
「あれだけ気をつけていたのに、僕の指紋が盗まれたんだ」
 苛立った三宅はキーボードを力任せに叩くと、いつになく険しい表情を浮かべて
「情報処理室に行って来る」
 デスクの引き出しをかき回し、必要なものを取り揃え始めた。

「あぁ、頼む。これはお前にしか……」
 自分では何もできない歯痒さに見舞われながら、三宅にそこまで言いかけたとき、 異常なほどの力で肩を捕まれ後方へと引き寄せられた。
 否応なく振り返れば、形相の苅野長官が目の前に立ちはだかり
「呉埜、貴様……岩間をどこに隠した!」
 フロア中に響き渡るほどの声で怒鳴りながら、俺の胸を突き飛ばす。
 長官の一言で、ざわめきが一瞬にして静寂に変わる。
「隠した? 一体、何のことでしょうか」
 静寂に合わせ静かに聞き返す俺の胸倉を、長官が捕んで揺さぶり叫ぶ。
「しらばっくれるな! 貴様が拘留室から岩間を逃がしたんだろうが!」

 岩間が拘留室から姿を消した?
 あいつが自ら逃げるはずがない。だが、あいつが易々と捕まるはずもない。
 こんなことをやって退けられる人間……
 堀内だ。だが、何のために岩間を連れ去った?

 胸倉を掴む長官の手を、逆に力を込めて握り返し
「拘留室の状況はどうなっているんですか。怪我を負っている者は?」
 長官の目を真っ直ぐに見据えて、現状を把握するためにゆっくりと切り出すけれど
「そんなものどうでもいい! お前と三宅が共謀してやったことは分かっているんだよ!」
 俺の質問に答えることなく、長官は歯を食いしばりながら凄み続けた。
 けれど俺が口を割らないと悟ると、怒りの矛先を三宅に向け始め
「既に調べがついているんだ。三宅、お前が細工したんだろ? お前が共犯なんだろ?」
 そう言いながら、俺に背を向け三宅をデスク脇まで追い詰める。

「よ、よしてくれ! 言いがかりにもほどがある!」
 狼狽する三宅の、その言葉を待っていたかの如く
「だったらこの情報処理室への入室記録を、どうやって説明するんだ?」
 長官は嬉しそうにほくそ笑みながら、ファイルをこれ見よがしにデスクに叩き付けた。
 ファイルの中身など見なくても、内容は把握できた。
 自分の指紋が盗まれたんだと言ったところで、相手を喜ばせるだけだ。
 だから三宅は言い訳をしなかった。ただ一言、否定の言葉を口にした。
「僕は行ってない!」

 三宅と長官の睨み合いが最高潮に達した時、内線のコール音が鳴り響き、張り詰めたその場の空気を緩和させた。
 セーフハウスからの連絡を意味するランプが点灯しているのを確認すると、 長官は三宅を睨みつけたまま鼻から息を吐き出し、苛立ち紛れに応答する。
「統括本部、苅野だ」
「ちょ、長官! 中庭で、堀内主任が撃たれているのを発見しました!」
 スピーカーから流れる予想外の通告に、無言でその場の交代を申し出る。
 けれど長官は、俺に代わることを許さず取り仕切り続けた。
「なんだって? なんでセーフハウスに堀内がいるんだ?」
「それは、その、長官の指示だと伺っておりますが……」
「何を言っているんだお前は? お前は誰だ、名を言ってみろ」

 肝心なことを聞こうともせず、自分に逆らう者と不都合な出来事には権力を振り翳す。
 延々と続きそうな長官の説教を、静かに聞いている余裕はどこにもない。
「呉埜だ。堀内の容態は?」
 長官の脇から身体を強引に滑り込ませ、内線に向かって呼びかける。
 安堵と不安の入り混じる溜息をつきながら、セーフハウスの警備が答えた。
「私が駆けつけたときには、既に息はありませんでした……」
 長官は呆然とその場に立ち竦み、警備と同じような溜息を三宅がこぼす。
 堀内の隣で倒れる香里を想像し、接続ボタンを押す手が脈と同時に波打つ。
 けれど聞かなければならない。香里が無事であることを祈りながら、かすれた声を出した。
「彼女は?」
「それが、どこにも見当たりません!」

 堀内の狙いは、明らかに香里だった。
 なぜそこまでして香里を狙う? 何の目的で岩間を拘留室から出した?
 なのに堀内は射殺されている。なぜだ、なぜ堀内が死ぬ?
 情報が足りない。ここに居ても埒が明かない……
 けれど堀内が撃たれた今、確かなことが一つだけある。
 裏切り者は、堀内だけじゃない――

「どういうことなんだ呉埜」
「解りません。現段階で言えるのは、あなたの指示でセーフハウスに向かった堀内が撃たれたと言うことだけです」
「自分の指示だと? そんな指示を出した覚えはない!」
「ですが、あなたのIDカードで、現に堀内はセーフハウスに入室しています」
「そ、そんな馬鹿なことがあるか!」
 長官との押し問答が続く中、突然フロアのブレーカーが落ち、壁面に設置されている緊急サイレンが鳴り出した。
 機械音のアナウンスが、無機質な声で異常を伝え始める。

『メインコンピューターの異常が確認されました。直ちにファイルを保存し、速やかに――』

 鮮やかな青いハロゲンランプが、回転するのを呆然と見届けながら
「メインが異常を感知して、セーフモードに切り替わったんだ……」
 事の深刻さを、誰よりも心配する三宅がつぶやいた。
 けれどその三宅の言葉を、強引に捻じ曲げて解釈した長官は
「なぜこうもタイミングよく緊急スイッチが作動するんだ。やはりお前が何か仕掛けたんだな?」
 引きつった薄笑いを浮かべ、三宅を指差しながらにじり寄る。

 自分の胸に人差し指を突き立てられた三宅は憤慨し、堪えきれずに爆発した。
「馬鹿は引っ込んでてくれよ。僕はこの緊急事態を、一刻も早く処理しなきゃならないんだ!」
「なんだと貴様!」
 汚物に触れるかのように自分を突き刺す長官の指を払い除け、三宅の爆弾投下は続く。
「僕を犯罪者扱いする前に、自分の保身を考えたほうがいいんじゃないの?」
「ど、どういう意味だ」
「IDカードの複製は無理だよ? だったら、あんたのその胸にくっついているカードが偽者で、 本物を堀内に渡したか、それとも盗まれたことにも気がつかない間抜けかのどちらかだろ?」
左手で長官の胸を指差し、相手に悟られることなく右手をズボンのポケットに忍び込ませた。

 無表情の三宅とは対照的に、顔を紅潮させた長官が言い返す。
「たかだか主任のくせして、俺に意見をするというのか? やはり貴様が……」
「もうあんたの御託は真っ平だ」
 長官の言葉を遮り、ポケットに入れたままの三宅の右手が動く。
 甲高い音で起動する機械音で、三宅がポケットの中で掴んだものを把握し、咄嗟に割り込み止めに入った。
「やめろ三宅!」
 誰も傷つけることなく、火花を散らしながらスタンガンが床に転がる。
 その光景を後ずさりながら見つめて、長官が悲鳴に近い息を呑む――

『本部地下拘留室で緊急事態が発生しました。関係者は直ちに現場へ――』
『セーフハウスで緊急事態が発生しました。緊急班は直ちに現場へ――』
『メインコンピューターの異常が確認されました。直ちにファイルを保存し、速やかに――』

 壁面の至るところに設置されているスピーカーから、異常を告げるアナウンスが次々と流れ始める。
 それぞれの壁にぶつかって跳ね返るその声は、反響しあい不協和音を奏でていた。

「なんなんだ? 一体、何が起きているんだ!」
 状況を飲み込むことができずに両手で頭を抱え、四方にあるスピーカーを自分自身が回転しながら確かめて
「岩間だな? 全て岩間の仕業だな? そして、お前ら2人が共犯だ!」
 都合の良い安易な推測を自分の中だけで確定し、長官と言う名の権限を行使して決定を叫ぶ。
「堀内を撃ったのは岩間だ! 岩間を探し出せ! 誰か、呉埜と三宅を拘束しろ!」

 半年前、俺はこの苅野長官の馬鹿げた一言で、国家反逆罪の罪に問われ警視庁に拘留された。
 肩に掛かる重圧と、香里のいない毎日と……
 全てに疲れ果て、何もかもに嫌気が差していた俺は、何一つ抵抗することなくその告発を受容れた。
 けれど今回は事情が違う。俺だけではなく三宅も。そして、香里の命も掛かっている――

「今回は、あなたの思い通りにはさせませんよ」
 顎を持ち上げ長官を見下ろしながら言い放てば、俺の視線に怯んだ長官は後ずさりながら警備員を盾にした。
「何をモタモタとやっているんだ! 早く呉埜を拘束しろ!」
 俺を拘束することに躊躇いを見せる警備員は、手にしていた手錠を後ろポケットに戻し
「仲間が、拘留室警備の仲間が、2名射殺されています。司令官、どうかよろしく頼みます……」
 唇をきつく噛み締め身体を震わせて、深々と頭を下げた。
「射殺? 詳しい状況を説明してくれ」
 警備に問う俺の言葉を退け、互いの間に割り込む長官が、警備に向かって腕を伸ばした。
「貴様は、俺の言うことが利けないのか? もういい、その手錠を俺に貸せ!」

「苅野くん、今の状態でこの二人を拘束するのは許可できんよ」
 穏やかな声とともに、ライトに照らされ青白く光る大臣の姿がフロアに浮かび上がる。
「ですが大臣――」
 反論を唱える長官を手のひらで制し、目を合わせることなく大臣が続けた。
「それよりも先に、事態の収拾をしなければ。三宅くんは――」
「お言葉ですが、この二人を野放しにするのは危険です!」
 それでも納得がいかない長官が、大臣に食い下がる。

 上着のポケットからフィルムケースほどの小さな薬容器を取り出した大臣は
「ならばこの事態の収拾全てを、君一人で処理できるのかね?」
 長官にそう告げると、二錠の黄みがかった錠剤を口の中に放り投げた。
 音を立てて錠剤を噛み砕きそれを飲み込んだ後、先程言いかけた指示を三宅に告げる。
「三宅くんは情報処理室で、メインコンピューターの復旧をできる限り急いでやってくれ」
「すぐ向かいます!」
 返事をすると同時に、フロア出入り口へと向かって三宅は走り出していた。
 そんな三宅の背中を見ながら、長官が最後まで抵抗を試みる。
「しかし大臣!」
「そこまで言うのなら、私も敢えて言わせて貰うよ。君のIDカードが使用されていた件については、どう釈明するのかね?」
「そ、それは、全て岩間の仕業だと……」

 大臣は溜息をつきながら、ゆっくりと何度も首を横に振った後
「確証のないことを、自分自身の保身のために口にする。それがSIU長官のすることなのか?」
 鋭く目を見開いて、長官を睨みつけた。
 長官は言葉を失い唾を飲み込み、大臣がこちらに振り返りざま指示を出す。
「アナウンスを聞いて、既に緊急班と科捜班がセーフハウスに向かっているだろう。  呉埜くんは、窪野くんとともに両班へ合流してくれ」
「分かりました」
 輪の外側で待機している窪野と、無言のまま頷き合う。
 上着を脱ぎ捨てた窪野が、脇腹に固定された銃に手を伸ばし走り出す。
 大臣に向かって軽く頭を下げてから、そんな窪野を追いかけた。

 一度だけフロアを振り返った俺は、額に手を押し当ててうな垂れる大臣を見た。
 そして、独り言をつぶやく大臣の口の動きを読み取り、新たな疑問に苛まれる――
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photo by © Lovepop