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◇◆ The hidden reverse side ◇◆
「木下、おまえさん本当は、敵の正体が判ってるんじゃないのかね?」
「いきなり何を言い出されるのですか。そんなことはありません」
「正体だけではない。目的も、何もかも知った上で、そやつを庇い、若行を試している」
「……元帥」
「今回の任務は、若行にとっても、おまえさんにとっても、辛いものになるな」
「そういう元帥は、全てお見通しで、高みの見物ですか?」
「私は若行に、幸せになってもらいたいだけじゃよ」
「その気持ちは、私も一緒です……」


◆ SIU統括本部――

「君はどう思うかね?」
 珍しく眼鏡をかけた大臣が、書類に目を通しながら俺に問う。
 無機質な司令室とは違い、木目が統一された家具と、温かみのある調度品に囲まれた大臣のオフィス。
 いつ訪れても、居心地が悪いような、どこかホッとするような、複雑な感覚に陥る場所だった。
「ブラフは岩間のクローンではなく、ただの整形です。 酷似はさせていますが、声紋、骨格共に遺伝子操作とは無縁でした」
 シリアの任務から3日が過ぎていた。その間、岩間はSIU地下にある拘留室に身を置き、 あらゆる検査を受け続けている。
「なるほど。つまりAMIKAは、岩間くん本体にコアを埋め込んだということかな?」
「そうです。今、三宅に調べさせていますが、岩間の脳から取り出したコアの中身は、おそらく空でしょう」
 書類から目を離し、机を挟んで佇む俺を見上げると、怪訝そうな顔で大臣が言った。
「なぜ、そんな無意味な真似をする必要があるんだ」
 大臣のその言葉は、俺も真っ先に考えたことだった。
 岩間本人に空のコアを埋め込む。それが何を意図しているのか、未だ半信半疑のままだ。
「2重スパイの保護と、次への布石だと。岩間を2重スパイに仕立て上げ、さらに残されたコアが埋め込まれている人間も SIU関係者だと予告して、組織の撹乱を狙っているのではないかと……」

 大臣が大きな溜息をつきながら、ゆっくりと立ち上がる。
「確かに司令塔である岩間くんがあのように巻き込まれ、組織に大きな混乱が起きた。 だがAMIKAも馬鹿じゃない。調べれば岩間くんがコピーではないことぐらい、こちらが気づくと解るはずだろう」
 明らかに俺の考えを否定しながら、大臣が背を向けた。
「えぇ。ですからこちらも、情報を得ることができました。ブラフも2重スパイも、 AMIKAにとっては、ただの歩兵に過ぎないと言うことが」
 背中で組まれた大臣の手を見つめながら、食い下がるようにそこまでの仮説を吐き出し、一旦言葉を切った。
 けれど大臣は、動くことなく背中を向け続けている。

「これは全て仮説にすぎません。ただ、岩間がAMIKAの人間に、コアを埋め込まれたのは偽りのない事実です。 コアを埋め込んだ人物の見当はついています」
 その言葉の何かに反応した大臣が、立ち上がったときと同じように、ゆっくりとこちらに振り返る。
 そして、思いもよらなかった言葉を返してきた。
「それは、先日静岡で発見された女性の白骨死体が関係するかな?」
 岩間の女が、岩間にコアを埋め込んだと考えていた。でもその女が、白骨死体では意味がない。
「なぜそう思われるのですか?」
 戸惑う表情を隠しきれずに聞き返すけれど、そんな俺の問いに答えることなく
「呉埜くん、携帯を貸しなさい」
左手を俺に向けて伸ばし、携帯を差し出すように促す大臣。
 訳がわからないまま、言われた通りに携帯を差し出せば
「今回の任務で君を外したのには、理由がある。 考えたくはないが、君が冷静さを失う危険を孕んでいるからだ」
そう言いながら、手にした俺の携帯に小型の器具を装着した。
「……どういう意味でしょうか?」
 迷った挙句、不安をそのまま言葉にするが、また俺の問いに答えることなく大臣の話は続く。

「矢部を知っているかい? 苅野くんの前任の長官を務めていた男だ。白骨死体の身元は、 その矢部の娘だと判明したんだよ」
 小さな電子音が、俺の携帯から流れた。
 携帯に取り付けていた器具を外し、ジャック部分の蓋を閉めると
「君は、元帥の存在を知らなかったね。SIU最高上官のことだ。肩書きでは、私の部下に代わりはない。 でも元帥は、私の元上官でもあるんだ」
 携帯を俺に差し出しながら、話はこれで終わりだとばかりに、最後にこう付け加えた。
「元帥の番号を入力しておいた。もし万が一、私に何かあったら、ここに連絡をしてくれ。 どんなことがあっても、冷静さを欠いてはならないよ。君なら解るね――」

 自分のオフィスに戻ってからも、大臣の最後の言葉が頭から離れなかった。
 目の前に立ち昇る灰色の煙に目を細めながら、壁の染みを訳もなく見つめて物思いに耽る。
 大臣は、俺の問いにわざと答えなかった。その行動は、全貌を知りながら、何かを隠しているようにも見えた。
 平司令官と大臣が、旧知の仲だったことは解っていた。きっと、岩間と俺のようなものだろう。
 そこに矢部長官が加わる。大臣が敬称をつけなかったことからして、 矢部長官もまた、大臣と特別な関係なはずだ。
 平司令官が亡くなり、矢部長官の娘が殺された。そして自分の身の危険を感じている。
 だからこそ、俺に元帥の存在を明らかにした。俺が大臣を信頼しているように、 大臣が信頼する上官、それが元帥なんだ。

「待て。俺は、何か重要なことを見落としている……」

 そこまで整理して、ようやく気がついた。
 自分の考えが当たっているのならば、事は一刻を争う。
 真実は、きっと木下大臣が知っているだろう。だがその前に確証が居る。
 岩間だ。岩間に話を聞かなければならない……
 ゆっくりと椅子から立ち上がり、正面を向いたまま、Yシャツの袖のボタンをはめ、ネクタイをきつく締め上げる。
 マジックミラー越しに映る自分の姿を確認して、階下を眺めながら無表情を作り上げた――


 技術開発室と名づけられた三宅の部屋は、そこら中に破片や残骸らしきガラクタと、 何に使うのか解らない機材がひしめき合っている。
 そんな部屋の中に足を踏み入れ、金属が擦れ合う不愉快な音のする方へと声をかけた。
「三宅、頼みがあるんだ」
 フレームまで透明なゴーグルをかけた三宅が、作業の手を止めることなく返答する。
「呉埜っちの頼みは、いつも決まってよからぬことだ。どうせまた、岩間くんと密会したいから、 監視カメラの映像を差し替えろとか言うんでしょ」
「すごいな。素晴らしく冴えてるじゃないか」
 俺の即答に驚いた三宅が、ようやく手を止めて振り返った。
「まさか、本当にやれって言ってるの?」
「いや違う。岩間と面会したいのは当たっているが、カメラはそのままでいい」
「カメラは? とすると、差し替えるのは、マイクの方ってこと?  でも岩間くんの所には、マイクは設置されてないはずだよ?」
 そこまで言って三宅が言葉を切り、俺の返答を待つ。

「だが、盗聴マイクは付いている」
 棚に雑然と並べられている物体の1つを持ち上げて、観察しながら何気なさを装いそう言えば
「ありえるな。今のSIUの状態から察して、幹部にモグラが居そうだもんな……」
 足の踏み場もない床を、文字に反して華麗に移動する三宅が、迷うことなく何かを手に取り俺に差し出した。
「そういうことだったら、これを持っていきなよ。名づけて、盗聴防止腕時計ヤケックス。 ロレックスと三宅、それからヤケクソを混ぜたネーミングが素敵でしょ? あ、でもタイマー式だから、 5分間しか効力がないんだけどね」
「上等だ。ありがとう」
 渡された時計を眺めれば、高級腕時計を模った、金のベルトにダイヤの文字盤。  ロゴがカタカナで描かれているところが、三宅の言うヤケクソなのだろう。
「それを見て笑わなかったのは、呉埜っちが初めてだよ。 呉埜っちは、何を考えているか解らないけど、何を考えているか解らないからこそ信用できるんだ」
 親指を立てて笑う三宅に、つい口元が綻んだ。
「すごい言われようだな――」

 軽い笑みを浮かべたまま三宅の部屋を出て、そのまま地下拘留室へと続く階段を下りる。
 門番に軽く頷きかけると、俺の顔を確認した門番が、開錠スイッチを押す。
 頑丈な鉄格子が次々と自動で開く中を止まることなく進み、目的の室号にたどりついた。
 監視カメラの位置を、それとなく横目で確認してから、腕時計に組み込まれた機能を作動させた。

 岩間の座る簡易ベッドまで走り寄り、驚く岩間をよそに、胸倉を掴んで揺さぶりながら叫ぶ。
「カメラは回っているが、盗聴は遮断している。演技しろ!」
 俺の背後に取り付けられている監視カメラを盗み見て、岩間が状況判断を即座に下す。
 胸倉を掴む俺の腕を力ずくで解きながら、カメラに唇を読まれないように俯き言った。
「遮断できる時間は、何分なんだ」
「5分しかない。だから単刀直入に言う。お前にコアを埋め込んだのは、お前の女だな」
「俺の女が、AMIKAのスパイだったという確証があるのか?」
「確証はない。あくまでも俺の推測だ」
「解った。続けろ」

 話す側がカメラに背中を向けられるように、つかみ合い、ゆすり合い、緊迫した演技を続けた。
 けれど、次の言葉を放った途端、突然岩間の力が抜けた。
「その女はクローンであり、2枚目のコア保有者だ。 静岡で発見された白骨死体、それが本物のお前の女だ――」

「そうか。やはりあいつは殺されていたんだな……」
 黙祷するように、長く瞼を閉じる。そんな岩間の言動に、たまらず口を挟んだ。
「お前、気づいていたのか」
「あぁ、薄々な。認めたくなかったんだ。何かがおかしいって思うのに、あいつの目に宿る感情は、 何一つ変わっていなかったから。でもそれは、コアがそうさせただけだったんだな……」
 拘留室の壁を、拳が砕けるほどの力を込めて殴りつける。
 演技でも何でもない。岩間のその激しい感情と怒りは、紛れもなく本物だった。

「楠部仁美。それがあいつの名だよ。葉山で親父さんの跡を継ぐため、ケーキ屋の修業をしていて――」

 岩間が放ったその名前で、体の血の気が引いていくのが分かる。
 予想だにしなかった名前。考えつきもしなかった名前。
 香里の親友が岩間の女で、矢部長官の娘で、数年前に死亡していて、現存するのはクローンで……
 裏のウラ。どこまでが真実で、どこまでが偽りなのか。
 真実など、この世界に存在するのかすら、わからなくなっていく――

 肩に走る痛みで、ようやく我に返った。
 歪んでいた焦点が定まれば
「裏切り者が見ている。取り乱すな」
 俺の両肩を痣ができるほど強く握り締め、深く凄みのある声で語りかける岩間が映る。
「すまない。大丈夫だ。お前が居てくれて助かったよ……」
 深い溜息をつきながら、岩間の耳元にそう囁いた。
 丁度そのとき、5分のタイマーが切れたことを告げる電子音が鳴った。
 依然として俺の肩を掴んでいた岩間が、冷淡なほど静かに最後の言葉を放つ。
「お前の顔など2度と見たくもない。とっととここから失せろよ」
 そして俺は、肩に触れる岩間の手を跳ね除けて、形相を作ったまま拘留室を後にした――

 裏切り者は、俺をいつも近くで見ている。
 裏切り者が誰なのか、そんなものは初めから解っていた。
 けれど証拠がない。確かな証拠、そいつの尻尾を掴むまで、岩間が裏切り者の役を担う。
 あいつと俺だからできる暗黙の了解。逆の立場でも同じことをしただろう。

 形相を保ったまま、地下階段からフロアへと躍り出た。
 監視カメラを見ていただろう人物数人が、そんな俺の様子を伺っている。
 苛立ちを込めた舌打ちとともにネクタイを緩めれば、何事があったのかとフロアがざわめく。
 こうすれば、話しかけてくる人間など誰もいない。
 背中に視線を感じながら、司令室へと続く階段を上り、力任せにドアを閉めて施錠した。

 マジックミラーでフロアの動きを確認しながら、パソコンを起動させる。
 さほど重たくもないパソコンの、起動にかかる時間に苛立ち、机を指で何度も叩く。
 ようやく砂時計形のカーソルが消えたパソコンから、 メッセンジャーにサインインするが、そこに香里はいなかった。
 数年もの長い間、香里の親友を演じ続けた仁美。
 ブラフと岩間の一件が明るみになった今、何らかの行動を起こすことが予想された。

 香里は既に巻き込まれている。俺が姿を消した意味など、もうどこにもない。
 この手であいつを守らなければ。
 信じられる人間が、あいつには1人もいなくなってしまったのだから――
 叫び狂いたくなるほどの本能を、理性という名の、岩間の声が押し留めていた。

 裏切り者が見ている。取り乱すな――

 深呼吸を繰り返しながら、店脇の電柱に埋め込まれた隠しカメラを起動して、店内の様子を映し出す。
 いつものようにロールスクリーンが下げられ、今日はもう既に照明も落ちていた。
 カメラの角度を調整して2階の部屋を捉えるが、部屋の電気も点いていない。
 暗闇に包まれた香里の空間。心臓が早鐘を打つ。

 腕時計を見れば、それがヤケックスだったことに悪態をつきながら、壁の時計を見上げた。
 この時間、いつもなら香里は何をしている?
 メールだ。通販の顧客とメールで連絡を取り合っている時間だ。
 右手を伸ばし、内線ボタンを押す。2コールほどで、待ってましたとばかりに相手が出た。
「凄かったね迫真の演技! 訳知りの僕でも、観ていてドキドキしちゃったよ!」
「三宅、このパスワードを解いてくれ」
 相手の感想に答えることもせず、ただ自分の用件を伝えながらファイルを転送した。
「これって、WEBメールのパスワードじゃないの?」
「あぁ、頼む。急ぐんだ」
「簡単だよ。えっとね、パスワードは『m0522』だよ。0522って、やっぱ誕生日かな?」
「すまん三宅。助かった」
 長くなりそうな三宅の話を強引に切り上げ、内線を切った。

 三宅が解いたパスワードを入力し、香里のWEBメールに侵入する。
 受信メールをクリックすれば、顧客の名がついたアドレスが点在する中、1つだけ登録されていないアドレスを見つけた。
 3件続くそのアドレスから届いたメールは、最後の1通だけが未開封で、最初の2通は香里が既に読んでいる。
「これだ」と、つぶやきながら、1番古いメールを開く。

『I miss you.  Musk』

「私がアロマなら、あなたはムスクね。 若行は麝香。 麝香はムスクだもん!」
 無邪気にはしゃぐ、楽しげな香里の声が頭の中に響き渡る。
 偶然なんかじゃない。俺たちの、全てを知っているやつが仕組んだ罠だ。
 そしてそれは、続く2通目のメールをクリックして確信に変わる。

『PS.  ビールはもう冷えた頃かな?』

 誰かが俺の名を語り、香里の部屋へ明らかに侵入している。
 指先に、冷たい震えが走った。ここまでのメールを、香里は読んでいる。
 その後、何があったんだ? なぜ最後のメールを香里は読めなかったんだ?
 震えながら、未開封のままの最後のメールを開けた。

『遅かったな、呉埜』

 限界を超えた本能が、灰皿を壁に向かって投げつけた。
 吸殻と灰が宙を舞い、ガラス製の灰皿が大きく割れて落下する。
 映像は目に映っても、自分の心臓の音以外は耳に届かない。
 割れたガラスが床に拒絶され、バウンドしながら飛び散っていく。

 ガラスが香里に。灰が血に。最悪な状況と、刷り返られて広がるその光景。
 息をすることも忘れ、無我夢中で灰皿に向かって走り出す。
 香里の頭を抱きとめて、「俺のせいだ!」と幾度も叫び続ければ、  突然香里が目を開き、頬にあてがわれた俺の手をきつく噛んだ――

 人差し指の付け根から薄っすらと血が滲み、ようやくここで幻覚から解放された。
「何をやっているんだ俺は」
 灰に塗れた自分を見下ろし、汚れた手のまま頭を抱える。
 冷静になれ。相手の挑発に乗るな。考えをまとめるんだ。
 幾度も同じセリフを無理やり反芻して、砕けた灰皿を横目に煙草に火をつけた。
 心臓が、異常な震えを訴えている。
 けれどそれが携帯のバイブだと気がつくのに、今度はさほど時間がかからなかった。
 携帯の窓に浮かび上がる非表示の文字。それでも躊躇うことなく応答ボタンを押した。

「呉埜くんだね? 大丈夫だ。香里ちゃんは無事だよ――」
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photo by ©あんずいろ