それは近い昔の物語。 長い長い歴史上の、つかの間の出来事――――― 約束の原 「わっかせーんせい♪」 沖田惣次郎――――この少年が、後の新撰組一番隊組長・沖田総司その人である。剣の天才と謳われた彼は、剣術の師匠でもある近藤をいたく尊敬していた。 「おぉどうした惣。というか・・・若先生はやめてくれ、お前にまでそう呼ばれると何だか背中の辺りがムズ痒くなる」 島崎勇――――後の新撰組局長・近藤勇は、まだ無名だった当時からその実直な性格により多くの者を惹きつけてやまなかった。もちろん沖田も惹きつけられたその一人である。 ――――――そして、もう一人。 「でもでも若先生は若先生でしょ?勇先生はもっと自分に自信持った方が絶対いいよっ」 「そんなことを言われてもなぁ・・・」 ガシッ 近藤に纏わりつく沖田の頭を背後から押さえる長身の男。 「・・・なーに勇さん困らせてやがんだよ、このクソガキ!!」 土方歳三――――後に“新撰組に鬼の副長あり”と恐れられる存在となる彼も、この時はまだ多摩の田舎で武士を夢見るただのバラガキでしかなかった。 ここは江戸試衛館。 天然理心流を謳い、後に新撰組幹部をも多く輩出することとなる剣術道場ではあったが、この頃はまだ知名度も低く、門下生もそう多くはなかった。 その中で近藤・沖田は幼い時分からこの道場の門下生として剣の腕を磨いており、ちょくちょく試衛館に足を運んでは剣を振り回す土方に二人それぞれの感情を抱いていた。 「歳!」 「げっ!」 二人同時に発せられた声は、一つは非常に明るく、一つは非常に不快な感情を表すもので・・・土方はすぐさま後者の声の主を振り返ると顔を引きつらせながら言った。 「あぁ?テメェ今“げっ”とか言いやがったな・・・?」 そこいらの子どもであったならば腰を抜かしていたかもしれない。 しかしその声の主・・・つまり沖田は、臆することも悪びれる様子もなく言い放った。 「はぁー?聞き間違いじゃねぇの〜?」 「しらばっくれる気かテメェ・・・いい度胸してんじゃねーかっ」 「へっ!そういう大口はオレに剣術で一回でも勝ってから言ってみろよ、土・方・さん?」 ・・・沖田と土方は、端的に言うと非常に仲が悪かった。 顔を合わせては言い争い、剣を突き合わせては沖田が土方を打ち負かす・・・というやり取りは、彼らが江戸を出るまで毎日のように続けられたという。 「はっは、惣が本気を出したら歳もまるで赤子のようだからな。惣、そのくらいにしておいてやれ」 「だって先生ー土方さんがヒドいんですよーぅ!」 沖田の近藤に対する態度には甘えの部分が多く含まれていた。そして近藤も沖田を実の弟のように可愛がる。 おもしろくないのは土方であった。 「はぁ!?テメ何言ってやがんだ!先に手ぇ出してきたのはそっちだろうが!!」 「手なんか出してませんー出したのは口だけですー。あらいやだ、土方さんってば手と口の違いもわっかんねーの?かっわいそ〜」 「んだとコラ!?」 どちらも短気な性格の上 互いに互いを良く思っていなかったため、一旦言い争いが始まると収まるまでに時間が掛かった。 まるで子どもの喧嘩である。(沖田は実際子どもであったが。) 「まぁまぁ歳、そう怒るな」 その喧嘩を収めるのは近藤の役目であったが、しばしばその抑制は意味をなさないこともあった。 「勇さんはこいつを甘やかしすぎだ!!」 「いいじゃないか、惣はまだ子どもなんだから」 「そーだそーだ!」 近藤の陰に隠れ、近藤を味方につけようとする沖田の態度が土方をどこまでも逆なでする。 「そーだじゃねぇよ!勇さんよく考えろ!こいつがガキってタマか!?」 「ひっでー、充分に可愛い子どもじゃん?」 「ガキは自分からそういうことは言わねーんだよ!」 「なんだよー、やるか?」 「はっ、てめぇなんかとやってる暇があったら薬売ってる方がよっぽど有意義だな」 「そーんなこと言って、俺に負けるからやりたくないんだろー?」 「んだとてめぇ・・・いい度胸だ表出ろ!!」 売り言葉に買い言葉で剣を取るも、勝つのは当然沖田で・・・数秒の後には、無様にも庭に転がる土方の姿があった。 「さぁってと・・・これでもまだやる?」 「くっそー・・・」 ご満悦の笑みを浮かべる沖田に、こればかりは何も言い返せない。 怒りが収まったところで近藤は沖田に笑いかけた。 「そのくらいで許してやれ惣、歳も悪気があったわけじゃないんだから」 「先生がそういうなら・・・仕方ねーから許してやるよぉ土方さん?」 「・・・何だ?俺が悪いのか?俺が悪いのか?!」 負けた上に“沖田に許される”というのは土方にとっては屈辱でしかなかった。 「っ・・・・・・くっそ、いつかぜってぇブッとばす・・・」 一見すると沖田が優位に見える。しかし 沖田が土方を嫌う理由の一つは近藤の態度にあった。 子ども扱いしかされない自分に対し、近藤と一つしか違わない土方は対等に扱われている。その上、門下生でもない土方が試衛館に出入りすることを誰も咎めない。それが悔しかった。 「・・・いーじゃん、土方さんは先生に贔屓されてんだし」 「あ?」 「何でもありませんー」 ボソリと呟いた言葉は土方にも近藤にも届かなかった。届かないまま、沖田はこの想いを心の隅で抱え続けていた。 その感情が払拭されるのは、数年の後の話になる。 「覚えているか?歳」 「何だよ勇さん。昔話か?」 「まぁそんなところだ」 土方と近藤は、試衛館とは別の剣術道場で出会った。 その頃近藤は既に天然理心流を極めており、いろいろな道場へと出稽古のために訪れていた。 その一つが、土方が剣を握っていた日野の佐藤道場である。 年の近い二人はすぐに意気投合し、互いの夢を語り合った。 その想いは今も変わっていない。 「われ壮年 武人となりて名を天下に挙げん――――――・・・道場の竹刀を高々と掲げて宣言したお前の姿、今もこの目にしっかりと焼き付いている。あれは忘れられんなぁ」 「俺だって、武士になる夢を、目ぇキラキラ輝かせながら熱く語った勇さんの姿、忘れちゃいないぜ」 ――――――武士になりたい。武士になって、武士として剣を握りたい。それが二人の夢だった。 こんな片田舎の道場にいてはとても叶えることなど出来ない大きな夢。 しかしその夢が、今 現実に近付こうとしていた。 「・・・京都に行こうと思うんだ」 「京都・・・ってあれか?新八が持ってきた貼り紙」 近藤は静かに頷いた。 「壬生浪士組と言うそうだ」 壬生浪士組――――新撰組の前身とも言えるこの部隊は、京都へ上洛する将軍の警護という名目上集められた。 しかしその思惑は様々で、近藤の場合はこれを足掛けに武士になる夢を叶えるという部分が非常に大きかった。 ならば土方には言っておかなくてはならない。共に夢を語り合った土方には。 「武士に――――――なりたいんだ」 穏やかに笑う近藤。その心は既に京都に向けて動き出しており、しかしその目は昔見たのと同じ輝きを放っていた。 「武士・・・・・・か」 近藤の言葉を噛み締めるように呟く土方。 その顔は笑っていた。 「・・・あれからいろいろあったなぁ」 「あぁ、勇さんは――――――結婚はするしガキは生まれるし・・・天然理心流四代目宗家にはなるし?」 ニヤリと笑う土方。近藤は照れたように笑いながら言葉を返した。 「歳はやっと、うちに入門してくれたな」 二人が出会ってから八年。 試衛館に足を運んではいたものの天然理心流への入門は拒んでいた土方が、遂に入門を決意した。 その知らせを聞いた近藤は飛び上がって喜んだという。 「別に、それはいーだろ」 「いや重要なことだぞ」 「そーか?」 照れ隠しなのか、そっぽを向いてしまう土方。 近藤はその様子に微笑みながらも構わず話を続けた。 「惣も元服して大人になったしな。今じゃうちの塾頭として門下生の恐怖の的だ」 「あー・・・あいつぁスパルタだかんなぁ・・・」 沖田の剣術指南の様子を思い出し苦笑する土方。 普段は明るく人懐っこい彼がどうして剣を持つとこうも人が変わるのだろうか、と門下生の間では度々議論が交わされている。 二面性、とでもいうのだろうか。 沖田の顔を思い浮かべ、土方はふと訊ねた。 「・・・そういやぁ勇さん、あいつには言ったのか?京都行きのこと」 「あいつ?」 「あのクソガキだよ」 言えば必ず付いてくる。そして必ず近藤の力となる。そんな確信が土方にはあった。 だがそれは近藤も感じていることのようであった。 「・・・惣には伝えないつもりだ。まだ二十歳を過ぎたばかりのあいつを血に染めるような真似はできないからな」 少し寂しそうに語る近藤を見ながら、土方はある決意を固めた。 遂に新撰組が動き出す―――――― 「おー、そこのクソガキ。ちょっと来いや」 「あぁ!?」 クソガキと呼ばれ文句を言おうと振り返るも、土方の真剣な表情に言葉を見失う。 「・・・くだんねぇ話だったら三本突きな」 三本突き、とは沖田の得意技であるが、それでも土方の言葉を了承したことには変わりなかった。 沖田は土方に連れられ、見晴らしの良い高台に腰を下ろした。 「こんなとこまで来て何の用だよ」 ここは試衛館からはかなり離れており、長くそこに住む沖田もあまり来たことのないような場所であった。 「・・・昔な、勇さんと約束をしたんだよ。日野の――――――丁度こんな感じの原っぱでよ」 われ壮年 武人となりて名を天下に挙げん。 近藤がよく覚えていると言ったその言葉は、土方自身も忘れようのない二人の夢そのものであった。 「俺は武士になりてぇ」 「・・・勝手になりゃいーだろ」 冷たく言葉を返す沖田に苦笑を漏らしながら土方は続ける。 「これは俺だけの夢じゃねぇ。昔、日野で勇さんと二人で誓ったんだ。ぜってぇ武士になってやろうぜってな」 丁度こんな感じの原っぱで・・・・・・隣には近藤がいた。 これからも、近藤の隣には自分がいる。そして―――――― 「その夢が、叶うかもしれねぇんだ」 「え?」 「こないだ新八が持ってきた貼り紙、壬生浪士組っつうらしいんだけどよ」 「壬生、浪士組・・・?」 「俺も、勇さんも、それに参加するつもりだ」 「・・・・・・え」 聞かされていない。そんな話は聞いていない。 自分が聞いていないことをこの男は――――――土方は知っていた。元服をして大人になっても、塾頭として剣術指南が出来るようになっても、近藤は自分を大人としては見てくれないのだ。対等に思ってはくれないのだ。 そう感じてショックだった。 「勇さんは、お前には伝えねぇっつってた」 土方の言葉を聞いて、思いが確信へと変わる。 近藤に認めてもらおうと、そのためだけにこんなに、こんなにもがんばっているのに―――――― 「・・・んで・・・・・・」 「ん?」 「なんでお前なんだよ!!なんで先生の隣にいんのがお前なんだよ!!」 土方に掴みかかる沖田。その勢いで土方は後ろへと倒れ込んだ。 「ってめ、何しやが・・・」 弾みで出た言葉は途中で止まる。 目の前の沖田を見てしまったら何も言えなくなった。 沖田は――――――泣いていた。 「なんでっ・・・なんでお前・・・・・・っお前がいるからっ・・・」 お前がいるから、先生は認めてくれないんだ―――――― ・・・言いながら、心のどこかでそうではないのだとも分かっていた。 それでも爆発した感情は止められなかった。 土方が今自分の隣にいることが、無性に許せなかった。 「っ・・・・・・」 声を上げて泣いてしまいたかったけれど、土方の前でだけはそんなことはしたくなかった。土方に慰められるのだけは絶対にごめんだ。 「お前・・・・・・っ行けよ!!行けばいいだろっ!?京都でもどこでも勝手に行け!!オレの前から・・・消えろ・・・っ」 絞り出すような言葉はそれでも土方の元へと届いた。 こんなに――――――こんなに憎まれているとは、知らなかった。 “惣はまだ子どもなんだから” いつかの近藤の言葉が思い返される。 自分は、沖田の剣の腕がたつからと忘れていたのかもしれない。 沖田が事実 年端のいかない幼な子であったことを。 「・・・・・・まぁ、いいから落ち着いて聞けや」 沖田を慰めようと頭に手を置くが、その手はすぐに振り払われる。 慰めですら憎いとでも言うように。 「・・・俺ぁ勇さんと行く。これは俺の独断だ。勇さんにゃあ言っちゃいねぇ」 行き場のなくなった手を空にさ迷わせながら言葉を続ける。 沖田の耳に届いているのかどうかは分からない。 「勇さんに言ったら反対されっかも知れねぇしな」 言いながら、もしそうならば近藤は最初から自分にも言わなかっただろうとも思ってしまう。 そしてその予想はきっと当たっている。 だからこれも――――――きっと当たっているだろう。 「俺は行く。勇さんが夢を叶えるっつうんなら、それを一番傍で見ててやる」 近藤は自分に一緒に来てほしいと思っている。 だから、行く。 そして―――――― 「テメェはどうする?」 きっと、沖田にも来てほしいと、本当はそう思っているのだ。 だから――――――連れて行く。 「・・・・・・」 沖田が顔を上げる。 その目に迷いはなかった。 「オレは・・・先生の傍にいたい」 「・・・じゃあ決まりだな」 土方は軽く微笑むと沖田を押しのけ立ち上がった。沖田は何かを言おうと逡巡している。 その内容は――――――聞かなくても想像がつくけれど。 「沖田ぁ」 「っ・・・・・・何だよ」 突然名前を呼ばれ、言おうとしていたことが呑み込まれる。 ・・・この男に名前を呼ばれたことなど今まであっただろうか。 「俺ぁ 勇さんのためになるんなら、ここの連中みんな京都に連れてっちまおうかとも思ってんだけどよ」 土方の言いたいことが分からず続きを伺う沖田。 土方は少し言いにくそうに、歯切れ悪く続けた。 「俺とお前だけは、違うと思ってる」 「違う?」 「俺とお前だけは、京都も将軍もどーでも良くて、ただ勇さんの・・・近藤勇の夢を叶える姿が見たくて――――――勇さんのために京都に行くんだと思ってる」 ――――――近藤勇という人のために。 誰が何と言おうと近藤を守り、近藤を慕うことのできる仲間。 それが沖田だと思った。 「・・・当ったり前じゃん」 沖田もその真意を汲み取り、照れながらも言葉を返した。 「オレを誰だと思ってんの?勇先生の一番弟子はこのオレ、沖田総司だ!」 そう言い切ってしまえば、それでもいいと思えるようになった。 認めたくはないが、土方のおかげだろう。 「あんた、今の今まで大っっっ嫌いだったけど」 「そんなにかよ」 「・・・でも、ほんーーーーの少しだけなら、認めてやってもいい」 目線を合わせずにボソリと呟く。これが沖田の精一杯だった。 「ほんーーーーの少しかよ。まぁ、俺も今の今までただのクソガキだと思ってたけど撤回してやるよ」 「?」 「テメェは“手のかかるクソガキ”だ」 「・・・・・・。んだとっ!?」 沖田が殴りかかり、土方が避ける。剣術では敵わなくとも、歴然とした体格の差は土方を有利にさせた。 殴りかかってきた沖田の腕を押さえながら、ここぞとばかりに土方は言った。 「おやおや、まだまだ力が足りないようですなぁ先・輩?」 「テメェやっぱ殺す!!」 存分に沖田をからかい一頻り笑ったあとに、土方は微笑みを浮かべゆっくりと告げた。 「もっともっと強くなれよ。俺が見ててやる」 突然の真剣な言葉に、沖田は拍子抜けして立ち止まる。 「いいか、俺たちは勇さんの兵だ。勇さんの行く道が閉ざされないように、どんなことをしてでも道を切り開くぞ」 「――――――・・・あぁ」 目線を合わせ、互いの意思を確認する。 きっとこの場面も一生忘れないのだろうと土方は思った。 「皮を切らせて肉を切れ、肉を切らせて骨を切れ、骨を切らせて」 「相手の生を絶て・・・天然理心流の極意、か」 「勇さんのためだ・・・――――――相手が何者であろうと、俺たちはそれを切る。そんで勇さんは、俺たちの上を堂々と歩いて行きゃあそれでいい」 「・・・そーだな。なんか・・・」 「あん?」 「土方さんって、勇先生のこと本当に好きなんだな」 自分の他にも、こんなにも近藤のことを想う人間がいるのだと沖田は改めて思った。 大丈夫、自分の気持ちさえ見失わなければ先生の隣にいるのがこいつだとしても・・・・・・いや、それはやっぱり悔しいけれど。 それでも、今まで持ち続けていた卑屈な感情は拭い去れたと感じることができた。 「テメェも相当だけどな」 同時に土方も、沖田の存在を自分で思っているよりもずっと確かに認めている自分がいることに気がついた。 自然と笑みが零れる。 「オレたちは先生バカなんだな」 「あぁ、とびっきりの勇さんバカだ」 近藤勇がいれば大丈夫だ。だから俺たちが彼を守る。 この日 二人は誓った。 最期まで近藤を守り、彼の兵でいることを。 固く、誓った―――――― |
新撰組ネタお蔵出し第2弾。江戸試衛館時代のお話です。 某漫研の部誌用に(〆切に追われて/笑)グワッと書いたのでとっても説明が多い感じになりましたが・・・まぁそれはそれで分かりやすいからよしということで。(そうか?) ゴミ箱に同じネタの文章が置いてあるんですが、「薬売ってる方が有意義」とか「俺が悪いのか?」とか「その先を見てみてぇ」とかの好きな台詞が部誌用に書いたときには消えてしまっていたので、今回UPするにあたっていろいろと加筆修正しました。やっぱりやっつけ仕事じゃダメですねぇ。 ちなみに増やした台詞の中では「もっと強くなれ」がダントツに好きです。自分で言うなって話ですが(笑) 果たして第3弾は書けるかなぁ・・・山南さんのネタとか書ければいいんだけどなぁ・・・ |