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小十佐18禁SS「烏との再会」後編16

続き

俺はしばらく、目の前の光景を信じることができなかった。
本当に彼なのか。
彼恋しさのあまり、俺は白昼夢でも見ているのではないのか。
俄には信じることができない。こんな、奥州からも上田からも遠いこの地で、まさか――
「…なんで右目の旦那がこんな所に…」
彼も相当に驚愕しているらしく、二の句が告げず口をぱくぱくとさせている。
それを見てようやく俺は我に帰ることができた。
「それはこっちの台詞だ。てめえ、なんで江戸なんかにいやがる」
「や、それはその…話せば長くなるんだけど…」
饒舌な彼にしては珍しく、目を泳がせ口ごもりながら言葉を捜している。
「立ち話じゃ埒があかねえ。…ついて来い」
俺は忍の腕を掴み、茶店の通りへと連れて行った。


俺は忍を伴って適当な茶店に入った。
店の娘に茶を二つ注文する。
「あ、旦那知ってる?ここの店珍しい菓子が食べられるんだよ。小麦で作った団子を油で――」
くだらない話題を捲し立てる忍を俺は手で遮った。
「そんな話はどうでもいい。お前の話を聞かせろ」
「………」
「お前、どうして江戸にいる。恐山に行ったんじゃねえのか」
「行ったよ。…あんたの屋敷を出た後、すぐに向かった」
「反魂は」
「うん、それがさ……ていうかちょっと待ってよ、急かさないで。俺まだ頭が混乱してて」
彼は店の娘が持ってきた茶を一気に半分ほど飲み干した。
たんと音を立て湯呑みを置き、ほうと息をつく。
「…俺様の話長いからさ。旦那の事を先に聞いてもいい?」
「あん?」
「なんで江戸にいるの?仕事か何か?」
「…そうだ。幕府の催しやら色々あってな」
「そうかあ……俺様としたことが、そういう可能性をすっかり忘れてたなあ……」
忍は腕を組み、勝手に何事かを得心したらしくうんうんと頷いている。
「俺様はね、あの後北の霊山に行って、本当に反魂の術を試してみたんだよ」
「…それで、術はどうなったんだ」
「限界まで自分の血を香炉に入れて、反魂用の香を作って焚いて、真言を唱えてさ……血がもう本当に足りなくなってたから、眩暈がして立てなくなって、香炉の横に寝転んでたんだ。そしたらさ…」
そこで忍は自らの席の下に置いていた背担ぎ用の大きな薬箱に手を突っ込み、中から麻袋を取り出した。
「見てよ、これ」
忍は麻袋を開け、中に入っていた物を取り出した。
――それは、真っ二つに割れた件の香炉だった。


「これは……」
「うん。いきなり凄い音がして、真っ二つにぱかって割れちゃったんだよ。吃驚してさ、もう一度血をかけてみたんだけど、いくらかけても前みたいに戻らなくて…辺りに人の気配なんか全然なかったのに、急にさ…」
俺は机の上に置かれた香炉の残骸を手に取った。角度を変えながらまじまじと眺める。
俺の見るところ、香炉はまず中央部に大振りの刃物で貫かれたような傷を得、その傷を起点として上下に亀裂が入り、綺麗に真二つに割れたようだ。
破片の欠損などがほとんどない、見事な割れ方だった。ただ石を投げつけたり棒で打ち据えたりしただけでは、絶対にこのような形にはならない。
これはまるで剣戟の達人による仕業のような――
そう、例えば真田の振るう槍捌きのような。
益体もないことだが、俺は確かにこの太刀筋は真田のものにそっくりだと思った。


「…それで香炉が壊れちゃって、もうやることもなくなっちゃったしさ。しかたがないから諸国の趨勢でも見て回ろうかな~って思って、今世情の中心って言ったらやっぱり江戸だろ?それで江戸にやってきたんだ」
「……ちょっと待て、てめえ」
「ん?」
「反魂が失敗したなら、なんで俺の所に戻って来ねえんだ」
「え…それは…」
「なんでだ。もう俺と暮らすのが嫌になったのか」
「ち、違うよ!!」
忍が慌てたように身を乗り出す。
「…その、まだ、真田の旦那のことを吹っ切れた自信がなかったし…半端な状態で戻ってまた同じ事の繰り返しになって、あんたを苦しめるのが嫌だったし。それに…」
「それに何だ」
「…あんたが俺のことを忘れて、お嫁さんとか貰ってくれるならそれがいちばんいいのかなって思ったり…いててて」
「てめえ、ふざけんなよ」
俺は忍の耳をぎりぎりと引っ張った。
「俺がどんな思いでお前を待ってたか、分かってんのかてめえ……それを……」
「ごめん、ごめんって!とにかく、一人で色々気持ちを整理したかったんだよ!放してって、痛い!!」
忍が大げさに痛がるので、俺はようやく耳を放してやった。
忍はおお痛えと耳を擦りながら、恨めしそうに涙目でこちらを見ていたが、やがて視線を机に下ろした。
「離れてる間、あんたのことを沢山考えたよ。あんた意外と精神的に脆いところがあるから、ちゃんと飯食ってるかなあとか…俺のことまだ好きなのかなあ、ホント物好きな御人だよなあとか…俺のことなんか早く忘れて、お嫁さん貰えばいいのにとか……」
「……俺もずっとお前のことを考えてたぜ。寝てる時も覚めてる時も、ずっとだ」
「………」
「…それで分かった。俺はもう、お前のいない暮らしに耐えられねえ」
俺は勢いよく両手を机につき、頭を下げた。
「頼む。戻って来てくれ。情けねえが、俺はお前がいないと駄目なんだ」
――常日頃、夜の町で色恋の愁嘆場を演じる人々――別れた情人や伴侶に取りすがり、復縁を迫るような悶着を見かけるたび、俺は同情と哀れみ、それから若干の軽蔑を感じていた。引き際くらい綺麗に退けねえのかと、内心呆れていた。
しかし、今の自分はかつて軽蔑していた愁嘆場を演じる男そのものだった。
忸怩たる思いだったが、どうしようもない。
彼と再会した瞬間、一目だけでも彼に会えるならそれでいいというそれまでの自己完結的な考えはどこかへ吹き飛んだ。
どんなに辛い思いをしても構わない。彼と共にいたかった。――俺はもう本当に限界だったのだ。
「ちょ、ちょっと止めてよ…俺なんかに、あんたみたいな御人が頭なんか下げないでよ…」
忍はうろたえた声を出している。
「いいから、頭だけでも上げてよ…ねえ、ちょっと…」
忍が俺の頭を両手で掴み、無理やり上に上げる。
至近距離で忍と目が合った。
お互いに目を逸らすことができず、瞬きもせずにじっと見入る。
――その時、
「へえ、随分と珍しい菓子を置いてるんだな。小麦を油で揚げてんのか?じゃあ、それを一つ」
聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
弾かれるように振り向くと、そこにはわが主君――政宗様の、軒先の台に腰かけ鼻歌まじりに品書を眺める背姿があった。