小十佐18禁SS「烏との再会」後編13
- 2011/10/14 05:55
- Category: 小十佐::SS18禁「烏との再会」後編
こうして忍は俺の前から姿を消した。
俺は形ばかりは常の通りに振る舞い、日々の暮らしを淡々とこなした。
政務においても生活においても、冬が来る前に片付けておかねばならない事は多い。
俺は心を硬く鎧い、ひたすら雑務に没頭した。
その方が、余計なことを考えずに済むからだ。
それでも俺の気力が落ちていることは周囲に伝わるらしく、部下たちからたびたび心配され、言葉をかけられた。そのたびに俺は曖昧に返事をして誤魔化した。
しまいには城内で「片倉様は乗り気だった縁談が両家の都合で流れてしまい、気落ちされているのだ」という噂まで流れ始め、さすがにそれには苦笑するしかなかった。
と同時に部下たちの心遣いがありがたく、また目下の者にまで心配をかけてしまう己の未熟さが情けなかった。
日々の生活に埋没しながら、俺はひたすら彼の帰りを待った。
しかし、彼は帰って来なかった。
彼が屋敷を去ってからまもなく、本格的な降雪にみまわれた。
ついに奥州に冬が来たのだ。
奥州では冬は戦をしない。積雪のために兵を動かすことができなくなるのだ。
戦どころか、近隣国の偵察すら困難になる。そのため外交も最小限にせざるを得なくなる。
冬の間、奥州には人間の敵はいなくなる。冬の寒さそのものが最大の敵となるのだ。
雪によって固く閉ざされた世界の中で人々は息を潜め、春が来るのを待ちわびる。
それが奥州の冬だ。
政宗様が縁側に腰掛け、煙管を吸いながら降りしきる雪を見ている。
「お身体を冷やしてしまいます。中にお入りください」と声をかけたが、
「俺はそんなにやわじゃねえ」と軽くいなされた。
「猿はまだ戻らねえのか」
「…はい」
忍が去ってから一月が経っていた。
「あいつ、馬鹿だ馬鹿だと思ってたが本物の馬鹿だったか。反魂だあ?そんなもん出来るわけねえに決まってるだろうが」
「………」
「万が一出来るとしても、気持ちよく眠ってる真田をてめえの都合で叩き起こすってことだろうが。あいつだって迷惑だろうよ」
政宗様が灰皿の縁にかつんと煙管を当て、中の灰を落とす。
「しかも俺の右目をたらし込んだ挙句、こんなにやつれさせやがって…次に会ったらぶん殴ってやる」
「…次…ですか」
次に会う時。
――本当に忍と、もう一度会えるのだろうか。
「会えるぜ、小十郎」
政宗様が俺の内心を読み当てたかのように言う。
「心の底から信じるんだ。もう一度会えるってな。そうしたらそれは必ず実現する。…お前が信じないで、誰があいつを信じるんだ?」
「…お言葉、痛み入ります」
政宗様を見るたび、俺は時の流れを感じずにはいられない。
その昔、主はとても気弱で大人しい少年だった。
病で右目を失い、母君から疎んじられ、自分は世界から祝福されていないと絶望し、己の固い殻の中に閉じこもっておられたのだ。
しかし俺は主の残された隻眼を覗き込むたび、この少年はこんなところで終わってしまう器ではないと確信していた。そうして全霊を込めて主とぶつかり、頂を目指す道へと誘った。
あの頃、政宗様が涙を流すたびに俺は厳しく、時には優しく主を励ました。
それが今ではどうだろう。精神的にはむしろ俺の方が、主に支えられていることが多い気がする。
人は変化するのだ。――いや、生き延びるために変化を選択する。
その変化が、いつかあの忍にも訪れるといい。俺はそう祈った。
大晦日が迫った年の暮れ、俺は久々に忍が使っていた部屋に足を踏み入れた。
それまでは彼がいなくなったことを実感するのが嫌で、彼の部屋に入ることを避けていたのだ。
しかし、その日はふと入ってみようという気になった。
辛い思いをしても構わない。彼の気配を感じたかった。
部屋の中はきちんと整頓されていた。家の者が片付けたのだろう。
物入れの中を見ると、彼が残していったわずかな私物が入っていた。
製薬道具や書物。それらを掻き分けていると、見覚えのあるものが出てきた。
玩具の狐の面。
――あの祭の日に、彼が籤引きで当てたものだ。
あれはたかだか数ヶ月前のことのはずなのだが、もう何年も昔のように感じられた。
彼と二人、浴衣に身を包み連れ立って出かけた。
彼は子供のようにはしゃいでいた。
真田に似た人物を見かけ、その後彼は泣いた。
神社の境内で彼を抱きしめた時の感触が、今もありありと蘇る。
心臓がきりきりと甘く痛み、俺は狐面を胸に抱く。
――今思うと、あの時すでに俺は恋に落ちていた。
多分それよりもずっと前、森の奥で血塗れの彼を見つけた時から、俺の彼への気持ちは静かに始まっていたのだと思う。
また雪が降り始めた。
彼は今どうしているのだろう。
北の霊山で何か異変が起きていはしないかと、あれこれ手を使って情報を集めてはみたが、彼に関する情報は手に入らなかった。
あの日以来、彼はぱたりと消息を絶ってしまっていた。
――どうして俺の所に戻って来ないのだろう。
反魂が失敗し、さりとて真田への執着も断ち切れず、当てもなくどこかを彷徨い歩いているのか。
それとも反魂が成功し、真田と共に現世と黄泉の境界に堕ちたのか。
あるいは俺の所に戻るのが嫌になり、どこかで好きに暮らしているのか。
まさかとは思うが、里の追っ手に発見され、命を狙われる羽目に陥っているのではないか――
彼への物思いは尽きることがない。
寂しい。
心の内で呟いた。
寂しい。独りは嫌だ。
――彼に傍にいて欲しかった。
彼と出会う前、己がどのようにして日常を過ごしていたのか、もう思い出すことができない。
庭には雪が降り積もっている。
一面の白に覆われた世界。
まるで彼がいなくなったがために、俺の世界から色が失われたのかと錯覚しそうになる。
会いたい。
一目でいい、彼に会いたい。
――果ての見えない喪失感。
彼が味わった喪失に比べれば、こんなものは物の内にも入らないだろう。
それでも、ほんの少しだけでも彼に近づけたのではないかと考えた。
雪は止むことを忘れたかのように、いつまでも降りしきっていた。