小十佐18禁SS「烏との再会」後編10
- 2011/10/09 06:57
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忍の部屋に戻ると、彼は寒かったでしょ、と言って茶を淹れてくれた。
彼の淹れる茶は濃さも温度も程よく、寒さで強張った俺の身体を寛げてくれた。
彼は机に茶器を置き、俺の傍らに腰掛ける。
「話したいこと、いっぱいあるんだよ…旦那、なかなか捕まんなかったからさ」
「…悪い」
彼は近くにあった麻袋を引き寄せた。
「とりあえずこれの話からするね。そこからじゃないと始まらないし…物凄く吃驚すると思うけど…」
「何なんだ?一体」
「いいから」
忍は俺を制しながら麻袋に手を差し込む。
彼が麻袋から取り出したもの、それは、
――古ぼけた黒金色の香炉だった。
「……!?」
驚愕のあまり思わず膝を浮かせる。
「なんでそれがそこにある…それは」
俺が床に叩きつけて割ったはずだ。
「うん…」
忍が軽い手つきで香炉を撫でる。
「――信じてくれるかどうか分からないんだけど」
諍いによって香炉が粉々になったあの日、忍は目を覚ましてから部屋に散乱する香炉の破片を片付けようとしたらしい。
その時に誤って破片で指を切り、血が破片の上に滴った。
そして忍が指の手当てを終えて振り返った時には、もう香炉は今の姿になっていたのだという。
「…信じられるか、そんな話」
「…だよね。あんたならそう言うと思ってた」
忍が苦笑を浮かべる。
忍の話を否定しつつも、俺は一連の話を認めざるを得ない迫力を香炉から感じ取っていた。
微量ではあるが、やはりあの怪僧が放っていた邪気を香炉から感じるのだ。
俺はもはや、香炉と件の怪僧をほとんど同一視するようになっていた。――あの怪僧は、いったいどこまで俺を引っ掻き回せば気が済むのか。
忍は俺の表情から、俺が先の話を頭から否定している訳ではないことを読み取ったのだろう。
意を決したように、きっとした表情で俺を見据えた。
「俺ね、やっぱり真田の旦那が呼んでる気がするんだ」
「猿飛……」
「俺、これを持って北の霊山に行こうと思ってる」
「…北の霊山…?」
というと、恐山か。
「うん」
「なぜそんな所へ行く?」
彼の話は飛躍しすぎて本筋が見えない。
「俺みたいな半端者が真言の威力を高めるには、霊場の力を借りるのがいちばんだと思うから」
真言――つまりそれは、
「俺、やっぱり反魂の術をやってみようと思う」
「猿飛!!」
俺は思わず声を荒げる。
彼はもう一度、あの夜繰り広げた不毛なやり取りを繰り返したいつもりなのか。
俺の怒色を見るや、彼は取り繕うように慌ててかぶりを振った。
「旦那、違うんだ。俺の話を聞いてくれ」
彼の真摯な様子に俺はどうにか怒りを治め、床に座り直す。
彼は香炉を床に置いた。ごとりと鈍い音がする。
「あれから俺、考えたんだよ。俺なりに。真田の旦那のこと、この香炉のこと、あんたに言われたこと――ずっと一人で、頭が痛くなるくらい考えたんだ」
忍は香炉を見つめながら吐息をついた。
「…真田の旦那は俺にとっちゃ多分、神様かなんかの一種なんだ」
「………」
「忘れようとしたって忘れられない。いくら逃げても逃げ切れない。…だからどうせ逃げられないんだったら、逆に懐に飛び込むしかないと思って」
「懐……?どういう意味だ」
俺が問うと、忍は苦しげに眉根を寄せた。
「あの人への気持ちをとことんまで突き詰めたいんだ。足掻くだけ足掻いたら、あの人への気持ちに決着が付く日が来るかもしれないだろ。…何もしなきゃ、俺はきっと一生このまんまだ」
「――そのために、反魂を利用するってことか」
「うん」
忍が頷く。
「成功しようと失敗しようと構わない。少しでも気持ちに整理がつくなら、それでいいんだ」
「もっと穏やかな方法があるんじゃねえか?」
「かもね。…それに、こんな事で本当に気持ちにけじめがつくのかどうかもよく分からない。なんだかんだ理由をつけて、やっぱりただ真田の旦那に会いたいだけなのかも」
「………」
「自分が前を見てるのか後ろを見てるのかもよく分からない。…でも俺、何でもいいから動きたいんだよ。――あんたに、これ以上迷惑かけたくないから」
俺ははっとして忍の目を見る。
彼は瞬きもせずに俺の目を見返している。
「…俺なんかにできるのかどうか分からないけど、あんたとちゃんと向き合えるようになりたいんだ。…だから」
彼の瞳は西日を浴びて緑色に輝いている。
この不思議な色彩が、俺は本当に好きだった。
「…自分の考えが正解なのか間違いなのか分からない。それでも今の俺の気持ちを、あんたにも分かって貰いたくて…」
「………」
「旦那、どうだろう?俺の考えは駄目なのかな……?」
俺は俯き、両膝に指を食い込ませる。
反魂を試すという彼の考えを支持するべきかどうか、俺にも判断がつかなかった。
確かに行き着くところまで行けば、彼の真田への気持ちに終着点が現れる可能性も出てくるのかもしれない。
しかし万が一、反魂が成功してしまったら?
あの魔王の妹のように、現世から外れた世界に彼が取り込まれることになったら?
黄泉より召喚された真田と、この世のものではない永劫の蜜月に包まれることになるのだとしたら――
言葉を発しない俺を見て、忍は悲しそうな顔をした。
「旦那、ごめん…一人であれこれ勝手に決めて。でも俺…」
「…戻って来い」
「…え?」
「真田への気持ちにけりを付けられる日が来たら、絶対に俺のところに戻って来い」
「旦那……」
「気持ちの整理がつかなくてもいい。戻りたいと思ったらいつでも戻って来い。約束しろ」
「………っ」
忍が顔を歪ませる。
俺は彼の腕を掴み、ぐいと抱き寄せた。
俺の腕の中に彼の身体がすっぽりと納まる。
彼の体温は低いが、気温の低い部屋で抱く彼の身体はほのかに温かかった。
俺はずっとこの温もりから逃げ続けていたのだ。本当に愚かだった。
「約束するよ。約束する…」
彼が俺の背に爪を立てる。
微かな安堵感を感じ、それから寂しさが胸に満ちた。俺は彼を抱く腕に力を込めた。
「――旦那」
不意に、彼の声に艶が宿る。
彼の顔を見ると、彼は潤みを帯びた目で俺を見ている。俺の背を指で軽く引掻く。
彼が俺を誘う時に見せる仕草だった。
「よせ、猿飛。…もういいんだ」
もう心の代わりに身体を差し出すような真似はしなくていい。
俺がそう言うと、忍はぱちくりと目を瞬かせた。
「…旦那さ、何か勘違いしてるみたいだけど、俺義理や恩義だけでここまでしたりしないよ?」
忍は困ったように眉尻を下げて笑っている。
「俺、あんたが好きだよ。気に入ってる。嘘じゃないよ…」
「……猿飛」
「あんたをもっと幸せな気持ちにさせてやりたかった。…でも結局は苦しめることにしかならなかった。本当にごめん」
「言うな、猿飛。いいんだ」
確かに彼への愛の報われなさや虚しさに耐えかね、身を屈めて幾度も眠れる夜をやり過ごした。
それでも、彼と暮らした他愛無い日々。ありふれた会話。彼の笑顔。
――俺は確かに幸せだったのだ。
「今だけは、あんたへの恩義も真田の旦那も関係ない」
彼が俺の耳元で囁く。
「ただ純粋に、あんたと抱き合いたいんだ。…駄目かな?」
俺は返事をせず、代わりに両手で彼の頬を包み、そっと口付ける。
それが彼との最後の情交となった。