Entry

小十佐18禁SS「烏との再会」後編09

続き

その夜から、彼との関係がぎくしゃくし始めた。
食事はかろうじて共に摂ったが、あまり彼の部屋に立ち寄らないようになった。夜もそれぞれの部屋で眠る。
共に寝ようとはもう言えなかった。
彼の心の内には真田しかいないのに、これ以上無理を強いることはできない。


俺は政務が忙しいのを理由に、城によく泊まるようになった。
自然、彼と顔を合わせる時間が減っていった。
頭では理解していた。――彼と話をせねばならない。
しかし、感情がどうしてもそれを拒むのだ。
きっと俺たちは、一度情人であることをやめた方がいいのだろう。
その後どうなるにせよ、いったん関係を清算すべきだと思えた。
しかし同時に心が叫ぶのだ。
嫌だ。彼を手放したくない。
偽りでもいい、俺の傍にいてほしい。
お互いに本心を曝け出して話し合えば、どうあっても痛みを伴う結論が出るのは分かりきっていた。
俺は彼から逃げていた。
――いや、彼からではない。己の心から逃げていた。


「旦那」
玄関で草履を履いていると、背後から忍に呼び止められた。
「なんだ」
「今日、早めに帰って来られない?」
「わからねえな。――なんでだ?」
「話したい事があるんだ」
見ると、彼は至極真面目な面持ちをしている。普段の軽い調子はどこにもない。
「今ここでじゃ駄目なのか」
「…できれば落ち着いて話がしたい」
「…早く上がれるかどうかは分からねえな。努力はする」
本当はそこまで差し迫った用事はなかった。しかし俺は彼との約束をはぐらかし、屋敷を出た。


「Shit」
政宗様が舌打ちした。
「徳川の野郎、こすい真似ばっかりしやがって」
幕府は度々理由をつけては奥州の石高を削ろうとしていた。目の上の瘤の一つである政宗様の気勢を削ぎ、早く幕府の権威を磐石のものとしたいのだろう。その度にこちらものらりくらりと要求をかわしていた。
「つまらねえな」
政宗様が溜息をついた。
「どうかなされましたか」
思わず聞き返す。徳川の小細工は今に始まったものではなく、あらためて溜息をつくほどのことではない。
「こんなちまちましたくだらねえ駆け引きじゃなく、俺はもっとド派手なpartyがやりてえんだ」
「政宗様、それは」
「わかってるよ。今はそういう時期じゃねえってことくらいはな」
政宗様が肩をすくめる。
「大阪の夏の戦で、何もかも変わっちまったな…」
俺は沈黙することで同意を示す。
あの戦によって徳川の天下が決定付けられた。奥州とておいそれと徳川に平伏するつもりはないが、それまでのどの勢力が覇権を握るかまったく先が読めなかった時代と比べると、確実に機運が変わっていた。
あの良くも悪くも躍動感に満ちた時代は、静かに終わりを迎えていた。
「真田幸村はこういう地味なやり取りには向かない男だった。あそこで果てるのが、あいつらしかったのかもしれねえな」
「…かもしれませぬ」
あの時代と共に華々しく散った、時代の象徴のような男。
生き残った俺たちだけが、流れ行く時間を前に途方に暮れている。
政宗様も、俺も、――あの忍も。
「…それでも俺は、時代の流れに戸惑いうろたえ、なお牙を剥くあいつが見てみたかったぜ」
政宗様が深い息をつく。
政宗様は少しずつ喪失を受け入れようとされている。やがて主は喪失と同化するだろう。
これまでもずっと、心の一部を失うたびにそうしてきたように。
――そうだ。すべてのものは儚い。
逃げ惑っている余裕など、本来はどこにもありはしないのだ。
「政宗様」
俺はやにわに切り出した。
「どうした、小十郎」
政宗様が顔を上げる。
「誠に申し訳ないのですが、――本日は早めに暇をいただいてもよろしいでしょうか」


俺は夕暮れに屋敷に戻った。
脇目も振らず、忍の部屋に向かう。
勢いよく襖を開けた。――忍はいない。
俺は縁側を降り、庭から草原に向かった。かつて忍が烏を呼ぼうと苦心していたあの草原だ。
果たして、忍は一人草むらの中にぽつんと佇んでいた。
「猿飛」
駆け寄りながら声をかける。
「あれ、旦那。早かったじゃない」
忍が微笑む。
「そんな着流し一枚じゃ身体を冷やすぞ。早く部屋に戻れ」
「ごめんごめん」
彼は笑いながら俺の方に歩み寄ってきた。
「旦那が戻ってきてくれたことだし、お茶でも淹れるよ。…それで、ちょっと話をしてもいいかな」
間近で彼の眼差しを見て、俺は息を呑んだ。
彼は此処に来てからはずっとどこか不安げで頼りない顔つきをしていた。
真田の忍という立場を失い、自分という存在の意味を計りかね、持て余していたのだろう。
それが今は、眼差しに決意を漲らせていた。
まるで真田が存命の頃、真田の影として傍近く仕えていた昔に戻ったかのようだった。
その眼を見て、俺は直感的に理解した。


彼は此処を出て行くつもりなのだ。