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小十佐18禁SS「烏との再会」後編08

続き

――足元が崩れ落ちるような気がした。
――そうだ。
全部錯覚だった。
彼の本心を察しながら、それでも少しくらいは彼の支えになれているのではないかとどこかで期待していた。
全部、俺の独りよがりだった。
妄想を抱いていたのは、俺の方だったのだ。


俺は彼の手の中にあった香炉を奪い取った。
「あっ…」
おもむろに、頭上高く振り上げる。
「…旦那、何を……あ…っ」
俺の意図を察した忍が叫んだ。
「やめてよ……旦那……っ――やめてくれ!!」
俺は香炉を床に叩き付けた。
鋭い音を立てて香炉が砕け散る。


静寂が辺りを包み込んだ。
忍がへなへなと床に崩れ落ちた。
「……なんで……なんて事を…」
呆然と、粉々に砕け散った破片を見つめている。
「…あれは、魔性のものだ。猿飛…魔に呑まれるな」
言いながら、俺はもうそれが言い訳でしかないことを知っている。
「反魂の術がたとえ成功したとしても、それはもう以前の真田じゃねえ。真田の形をしたただの悪鬼だ」
片膝をつき、蹲る忍と視線を合わせた。
そのまま彼の背に腕を回す。
「…真田の代わりになれるとは端から思っちゃいねえ。だがな、ほんの少しでもいい。前を見てくれ…」
回した腕に力を込める。
「…俺を、見てくれ」
彼をきつく抱きしめたまま、時だけが流れた。


「…旦那に、会いたいんだ」
忍が消え入るような声でささやいた。
「真田は死んだんだ。猿飛……」
俺は忍の背に指を食い込ませる。
「…たとえ死んだのだとしても、会いたい」
「人は、死者にはもう二度と会えないんだ」
「会いたい」
「無理だ。それがこの世の理なんだ」
「…理を捻じ曲げてでも、会いたい」
「それはしてはならない事なんだ、猿飛」
「………」
静かになった。
見ると、忍は眠りに落ちていた。
思えば彼は相当な量の血を流していた。体力の限界が来たのだろう。
寝具の上に彼の身体を横たえる。
俺は部屋を見回した。
方々に香炉の破片が飛び散っていたが、不思議なことに彼の血らしき汚れはどこにもなかった。
彼が香炉の中に注ぎ込んでいた血はどこへ行ったのだろう。
――まさか、本当に香炉が飲み下したというのか。
背筋に悪寒が走った。
ともあれ、香炉は砕け散った。こんな怪奇じみたことはもう終わりだ。
――本当の問題は、香炉なんかではないのだ。
俺は寝具に横たわる彼を見つめる。心に暗い闇が染み渡ってゆく。
彼の心は永遠に真田から離れはしない。
俺の彼への想いは、どこにもたどり着きはしない。
彼への愛が報われることを期待しては裏切られ、失望する。
彼と共にあるということは、それを永劫に繰り返すということなのだ。
――俺か彼が死ぬまで、ずっと。
目の前が暗くなる。
いつだったか、彼と情を交わすようになったばかりの頃、彼は俺に「あんたを奈落に突き落としてしまった」と言った。
今ならその意味がよく分かる。


目の前の風景は、確かに奈落によく似ていた。