小十佐18禁SS「烏との再会」後編04
- 2011/10/06 05:48
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虚無僧は見るからに面妖な外見をしていた。
身に着けるものはすべて汚れて擦り切れており、天蓋には数か所穴が開いている。そこから僅かに覗く彼の顔の皮膚は焼け爛れていて、過去に大きな火傷を負ったものと察せられた。
僧は片手に布施の椀を持って市の隅に佇んでいたが、俺たちの姿を認めると
「ほう、これはこれは」
と言い、もう片方に持っていた鐘をちりんと鳴らした。
その声は醜く潰れ、よく耳を傍立てないと何を言っているのか聞き取れなかった。火傷によって喉を損傷したのかもしれない。
「卿は闇の眷属か。闇夜に雷の迸るがごとく…いや、実に面白い」
虚無僧はじっと忍を見ている。
「…何者だ、あんた」
忍が身構える。俺も刀に手をかけこそしないが、いつでも抜刀できるように間合いを取る。
「何、案ずる必要はない…卿らに危害を加えはしない」
僧は微動だにしない。
虚無僧にあるまじき言葉遣いといい、俺たち二人に少しも怯まぬ態度といい、何かがおかしい。こいつは危険だと本能が警鐘を鳴らしている。
加えて、記憶の片隅がちりちりと疼く。俺はこいつを知っている気がする――
しかし、記憶の中の誰と符合するのかが分からない。
「どういう意図かは知らないが、裳脱を免れるなど無聊の極み――面白い物を見せて貰った礼に贈り物をしよう。受け取りたまえ」
僧の手にはいつの間にか古びた香炉が乗っている。目を凝らしていたにも関わらず、いつ取り出したのか全くわからなかった。
その香炉は両の掌を合わせた程の大きさで、脚はなく壺のような形状をしていた。煤のような色をしており、方々に細かい傷が入っている。なんという事はない代物なのだが、どことなく不吉な気迫を感じた。
「…何だよそれ」
忍が尋ねる。緊張から彼がぴりぴりと殺気立ってきているのが分かった。
「この香炉の価値が分からないかね?これは反魂香炉」
「反魂…?」
「死者の魂を黄泉より連れ戻すための道具だ。見たまえ、この幾多もの魂を振り返らせた鈍い輝きを」
僧はねっとりとした手つきで香炉を撫でる。
「満月から数え、次の新月が来るまで毎夜闇の眷属の血を香炉に捧げる。新月の夜、砒霜石、苺、繁縷、藤、梍、槿を粉にして練り、沈水香木に塗りつけ香炉で焚き、反魂の真言を唱える。さすればいかなる魂とて黄泉比良坂を下り、現世に蘇る。実に簡単だ」
「現世に…蘇る…」
忍がごくりと唾を飲み込む。
「何を言ってやがる」
俺は僧の言葉を遮った。刀の柄に手をかける。
「反魂だか何だか知らねえが、そんな紛い物を俺たちに見せてどうするつもりだ」
「これを紛い物と言うのかね?物の良し悪しが分からないとは哀れなことだ」
「何者かは知らねえが、不審者を見逃すことはできねえ。一緒に城に来てもらうぞ」
「私は紛い物には興味がない」
僧は俺を無視し、忍に向き直った。
「卿もそうだろう。紛い物の平和になど何の興味もないはずだ…」
僧が足を踏み出す。忍は気圧され、後ずさった。
「求めるがいい。卿の本物の光を」
「……っ」
僧がさらに忍に近づく。
「てめえッ」
俺は抜刀した。
その時だ。市の真中でわっと悲鳴が上がった。
「火が出た」「火事だ」と叫ぶ人々の声がする。
俺は一瞬気を取られた。
視線を外したのはほんの一瞬だった。それなのに僧の方に向き直ったとき、そこにはもう誰もいなかった。
かき消されたかのように、影も形も見当たらなかった。
「野郎、どこへ行きやがった」
俺は辺りを見回す。
「猿飛、お前は見てたか。あいつが消えた方向を」
「いや、すまねえ、旦那…俺も見逃しちまった」
忍は憮然としている。
見ると、僧が立っていた場所に件の香炉だけが残されていた。
忍が香炉をひょいと取り上げる。
「火事の方は俺様が見てくる。旦那はあの虚無僧を探して」
「わかった」
俺たちは二方に散った。
町中をくまなく探し回ったが、僧を見つけることはできなかった。
あのような不審者の町中への侵入を許し、あまつさえ取り逃がすとは――俺は己の不甲斐なさに歯噛みした。
仕方なく市へ戻ると、忍が軽い足取りで近寄ってきた。小脇に香炉を抱えている。
「右目の旦那、首尾はどう?」
「すまねえ、取り逃がした」
「しかたがないよ。なんか妙だったもんね、あの坊さん」
「火事はどうだった」
「ああ、大したことなかったよ、小火だった。最初バッと火が出たから皆びっくりしたみたいだけど、すぐ消えた」
忍は肩に手を当てこきこきと首を鳴らしている。
「その香炉…」
「ああ」
忍は脇に抱えていた香炉を身体の前で持ち直した。
「さっき中身を調べてみたけど、特に何も入ってなかったよ。あんたを狙って爆薬でも入ってるんじゃないかと警戒してたんだけど、良かった」
とへらへらしている。
「…どうもそいつには不吉なものを感じる。捨てちまえ」
俺がそう言うと、忍は怪訝そうな顔をした。
「え、それはまずいんじゃないの?旦那」
「なんでだ」
「この先もしかあの坊さんの身柄を確保できたとき、これが証拠になるかもしれないじゃない。しばらくは持っとくのがいいと思うけど」
「…それはそうなんだがな」
俺は先刻から胸騒ぎを感じていた。その香炉を見ていると、言葉にはできないのだがどうにも嫌な予感がするのだ。
「俺様が保管しとくよ。しばらく経って用済みだって決まれば捨てたらいい。でしょ?」
「……わかった」
俺は渋々頷いた。
この時香炉を持ち帰ったことを、俺は後に幾度も後悔することになる。