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小十佐18禁SS「烏との再会」後編03

続き

俺たちはあの頃、綱渡りのようにぎりぎりの均衡で安穏な関係を維持していた。
ひとたび風が吹けば、今の危うい均衡は簡単に崩れ去るのだ。
俺は常に予感を抱いていた。きっとこんな関係は長くは持たないと。
事実、風は吹いた。
そしてその風は、俺の漠とした想像よりもずっと強く激しいものだったのだ。


「今度、城下町に市が立つ」
ある日の夜、俺は床の傍らに座し、先程まで脱ぎ捨てていた寝着の袖に腕を通しながら忍に言った。
「ふーん」
忍は寝具にすっぽりと埋まり、濡れた身体を懐紙で拭きながら曖昧に返事をする。
最近気温が下がってきたため、寒がりの彼は夜は極力床から出ようとしないのだ。
「何か欲しいものがあれば手に入るかもしれねえぞ。行ってみるか?」
「そうだねえ」
忍は身体を拭く手を止め、
「走野老と曼陀羅華、手に入らないかなあ…無理かなあ…」
などと考え込んでいる。
「薬の材料か?」
「そうそう」
「よし、決まりだ」
俺は襟を正して忍のいる床に入った。
「前と同じように、昼に屋敷で落ち合ってから町に向かうか」
「そうねえ…」
どうも気のない返事だ。
「あんまり乗り気じゃなさそうだな」
俺は忍の顔を覗き込む。
「や、行きたくないわけじゃないんだけどね。町だとさらにあんたの部下に会う確率が高くなるだろうし」
「それはそうだが」
「旦那が人からあれこれ身の上を勘ぐられたりするようになったら迷惑かかるし、やだからさ」
忍は懐紙を弄んでいる。
「前よりも確り変装すればいい。お前は俺の屋敷の下男で、新入りってことにすればいい」
「そうねえ…」
すると忍は俄かににやっと笑い、
「あ、なるほど…そうまでしてでも俺様と町中で逢引きしたいってことね?」
などと言う。
「馬鹿言ってんじゃねえ」
俺は鼻白んだような声を出したが、内心は照れを押し殺していた。心情の幾ばくかは図星だったからだ。
もちろん、主目的はこいつに息抜きをさせることなのだが。
「なるほど、なるほど…右目の旦那ってホントに照れ屋さんなんだからなー」
と勝手に納得した様子でにこにこ頷いている。
「うん、わかった。じゃあ一緒に行こ。竜の旦那のやる市なんだから、きっと華やかなんだろうね」
忍の笑顔に俺も安堵した。
床の中で市について話をしながら、その夜は二人で眠りについた。


市の日が来た。
「凄いね!こんなにたくさん商人が来てるなんて!」
忍が驚いた様子で辺りを見回している。
彼は下男姿に身を包み、髪と眉の色を黒に染め、髪は後ろで結っていた。
顔にも化粧を施し、すっかり人相を変えてしまっている。その技術はとても巧妙で、至近距離で目を凝らさなければ、それが化粧による変装だとは到底見破ることはできないだろう。
俺は彼の元の容姿が好きだった。だから本当は彼に本来の顔立ちを隠してほしくはなかったが、致し方ない。
「薬屋はどの辺にあるんだろう…忍具は売ってないかな、無理だろうなあ」
と興味深げにあちこちを見て回っている。
「あっ、見て!あれ!」
忍が書を扱っている区画に駆け寄る。
「これ見てよ、真田の旦那の御伽草子だ…」
彼が手に取った書には赤備えの鎧を見にまとった武者と忍の部隊の絵が描かれ、傍らに「真田十勇士」という文字が躍っている。
「今江戸で真田の御伽草子が流行っているらしい。今度歌舞伎にもかかるそうだ」
俺は彼の様子を注視したが、そこまで取り乱した気配はない。
「歌舞伎だって?…よく徳川が許可を出したね」
「徳川はむしろ立国の礎となった英雄を讃えるべしという姿勢らしいぞ」
「なるほど、自分の懐の深さを示すために真田の旦那を利用してるってわけだ。あの狸らしいや」
忍は酷薄な笑みを浮かべた。
彼は時折、物事に対して酷く斜に構えた態度を取る。そうしているとどことなく政宗様に似ていると思うのだが、確実に憤慨するので本人には言っていない。
「買うか?」
「ええ?いらないよ。誰よりも旦那のことを知ってる俺様がなんでこんなもん買わないといけないの?」
「お前も出ているらしいぞ。俺は興味がある」
「ええ?余計にいらないって!やめてよ!」
彼は懐から財布を取り出そうとする俺の手をぺしっと叩いた。
「そんなのいいからあっち、薬売りの方行こうよ!」
とぐいぐいと背を押してくる。
薬の区画には彼の目当ての品は無かったのだが、「へえ、こんなのがあるんだ」などと言いながらいくつかの品を俺にねだってきた。
「ありがとね、旦那」
「これくらいどうってことねえ、気にするな」
たとえ容姿を変えていたとしても、彼と他愛無い会話をしながら連れ立って町を歩くのは楽しかった。
空も抜けるような秋晴れで、俺は浮き立つ気分に一つ伸びをする。
その時のことだった。
俺は突如として感じた禍々しい気配に眉を顰め、急いで辺りを見回した。
敵か。
忍も同じものを感じたらしく、身体に緊張を漲らせている。
「…旦那、あそこ」
忍が俺にしか聞こえないような小声で言い、軽く顎を振って方向を指し示す。
忍の示した先は市の外れ、そこにはぽつんとみすぼらしい虚無僧が佇んでいた。