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幸佐SS「森の中」04(完)

続き
あともう少しで麓というところで完全に日が暮れ、辺りは真っ暗になった。しかし俺は構わず歩き続けた。
「暗闇なのに歩けるのか」
「忍は夜目が利くし、道も覚えてるしね。ここまで来ればまあ問題ないよ」
主を背負っているので、用心のためゆっくりと歩を進めていると、
「すまない、佐助」
背中の主がぼそりとつぶやいた。
「何、どうしたの?今回のことならもう…」
「俺は俺に関わる人すべてを救いたいのだ。佐助、お前のことも」
「俺様?」
「初めて会った時、なんて底の知れない目をした人間なんだろうと思った……お前のような目をした人間を見たのは初めてだった。きっと今までの想像を絶する来し方がお前をそのようにしたのだろうと思った」
「……」
「初めて会ったその時に、お前の心を少しでも軽くしてやりたいと思ったのだ。自分でも不思議なのだが……お前は余計なお世話と言うだろうが。それでも、嘘偽りのないお前の笑顔を見てみたかった」
「弁丸様……」
驚いた。この子供は俺をそんなふうに見ていたのか。
「なのに、俺はお前の部下一人まともに助けることすらできない。俺には知恵も、力も、何もない」
「そんなことないよ……」
「しまいには怪我を負ったお前に担がれて山を下りる始末だ。佐助、こんな情けない俺についていて後悔はないか」
「…後悔なんてあるわけない。あんたはまだ子供なんだ、子供にしちゃ出来すぎなほどさ」
「ずっと俺を支えてくれるか」
「俺はあんたの忍だよ。命が尽きるまであんたの傍にいる」
本当は俺はその時点でも、真田家に対しての忠義心など持ち合わせてはいなかった。忍と武人の間には契約しかあり得ない。なのに、その時はするりと言葉がこぼれ出た。一生主の傍にいると、気がついたら言っていた。
「礼を言う、佐助……」
主は疲れて眠ってしまったようだった。背中から規則正しい寝息が聞こえ始めた。
とぼとぼと歩きながら考えた。やはり弁丸様の武将としての資質には懸念を感じる。彼は能力はあるがむらが大きい。武将としてとんでもない大物になるのか、それとも話にならない愚物と化すのか、まったく予測がつかなかった。
不意に、自分の胸がじわりと熱を持っていることに気がついた。少し動悸がする。何なのだろう、これは?子供を背負って山を駆けたくらいで心拍が上がるはずがない。傷は浅く血もそれほど失っていない。思い当たる節がない。突然の肉体の変調に俺は戸惑った。背中で眠る弁丸様の体温が俺の胸に移ったんだろうか?
急に視界が開け、城の明かりが見えたので俺はそれ以上考えるのをやめた。城に戻ると俺の部下はすでに事切れていた。彼は弁丸様のたっての願いで、忍としては異例なほど手厚く葬られた。
終わってみれば、単に一人の忍が死んだというだけのことだった。城の者はすぐにこの出来事を忘れた。俺も優秀な部下を失った痛手はあったが、多忙な日々を送るにつれ、すぐにこのことに関する記憶は脳裏の片隅に押しやられた。
それでもあの日夜道で感じた胸の温かみは、拡散しながらもすみずみに行き渡ったかのように、いつまでも俺の心に残り続けた。


俺は夢を見ている。
浅い眠りの合間に、覚めると同時に忘れてしまう夢を。
俺は木の洞の中にいる。幼い頃に入ったあの洞だ。
俺は息を潜め、身を屈めてじっと待っている。
誰かが来るのを待っている。
白雲斎みたいな新たな地獄の誘い手じゃない、俺をここから連れ出してくれる、すべての絶望から俺を救い出してくれる誰かを待っている。
けれども、誰も来はしない。いつまでたっても足音はない。木々が風にそよぐ音すらしない。
それでも俺は動かない。額に手をあてて一心に祈る。
いつか、きっと、必ず、誰かが。
この洞の中に飛び込んできてくれるのを、俺は今でもずっと待っている。