小十佐18禁SS「烏との再会」前編20
- 2011/09/28 06:29
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夜まで粘って政務に取り組んだが、明らかに今日の俺の采配はぼろぼろだった。
部下たちは片倉様がまるで元気がない、食い物にも手を付けないし腹を壊しているようだ、などと噂している。
観念して俺は屋敷に戻ることにした。
屋敷に着くなりすぐに忍の部屋に向かった。
忍は身体を横にして寝そべっていた。左手を立てて掌で頭を支え、ぼんやりと庭を眺めている。
「あっ旦那、お帰り。遅かったね」
俺を認めると上半身を起こし、こちらに笑いかけてくる。
「身体の調子はどうだ」
「昼間に寝たから、もうすっかりいいよ。旦那こそあんまり寝てないし大丈夫?顔色ちょっと悪いよ?」
「…大丈夫だ、心配するな」
彼がいることを認めた途端、失われていた食欲が幾分か戻ってくるのを感じた。
「お前、夕餉はもう摂ったのか」
「まだだけど?」
「俺もこれからだ。付き合え」
「はあい」
俺たちは忍の部屋で食事を摂ることにした。
忍は「奥州のご飯って本当においしいよねえ」などと言いながら焼魚にかじりついている。
俺は緩慢に料理をつつきながら、準備してきた文句を何度も言おうとしては言えず、悶々としていた。
もう夕べのようなことはこれきりにしよう。
お前は謝る必要はないと言ったが、やはり申し訳なく思う。お前を意に沿わぬ閨に引きずり込むのは本意ではない。お前は俺に気を使う必要はない。以前のように、友人でいてくれれば十分だ。
そう言おうとするのだが、どうしても口が思うように動いてくれない。
俺は深い溜息をつき、味噌汁の椀に口を付けた。
「そういえばさあ、俺様思ったんだけど」
「…なんだ」
「右目の旦那ってすんげえ絶倫だよねえ」
「ぶはっ」
味噌汁を噴き出してしまった。
忍が駆け寄ってきて、「何やってんの旦那!?あーあー」と言いながら俺の着物を手拭いで拭いている。
「早くこれ水に漬けないと染みになっちゃうよ。着替え貰ってくるから脱いでくれる?」
「猿飛」
俺は忍の手を掴んだ。着物の染みなどを気にしている場合ではないのだ。
「夕べは、すまなかった……」
なんとかそれだけを搾り出すように言った。
忍は困ったような顔をして、
「あんたってホントに生真面目だよねえ……あんたをそんなに悩ませたかった訳じゃないんだけどなあ」
と肩を竦める。
「ホントにそんなに気遣ってくれなくていいんだよ?俺様にとっちゃあんなこと、全然大したことじゃないんだし」
「…そんなはずはねえだろう」
お前は真田が好きなのに。
言おうとするが、また言葉が出ない。
「あんたはあれこれ気にしてくれてるみたいだけど、俺はあんたとやれて良かったって思ってるよ。…うまく言えないけど、あんたに抱きしめられた時、嬉しかった」
忍は彼の手を握り締めている俺の手の上に、もう片方の手をそっと重ねる。
「でも、ああいうことをあんたが重たく思うなら、もうやめる。もうあんたを誘ったりしないよ。ただの居候に戻る」
「………」
「どうかな?旦那。どうするのがあんたにとっていちばんいいんだろう?教えてほしいんだ」
俺は彼の目を見る。
彼の目は淡い緑の光を放っている。
俺は呼吸をするのが苦しくなり、はっ、はっと浅い息を繰り返した。
彼から願ってもない申し出があった。俺が「もうやめよう」とさえ言えば彼は納得し、俺たちはただの友人同士に戻れる。
――もう二度と彼を抱きしめることもなくなる。
嫌だ。
言葉が胸の内で弾けた。
嫌だ、嫌だ、彼にもう触れられなくなるなどと、耐えられない。
たとえ彼が俺を愛することなど絶対にないのだとしても、俺は――
「旦那…!?」
気がついたら、俺は彼を抱きしめていた。
「猿飛」
彼の耳元で囁く。
「何…?」
彼が密やかな声を出す。
「俺はお前が好きだ。お前を失いたくねえ」
腕に力を込める。
「旦那、苦しいって」と忍が俺の背を叩く。
「もう少し力緩めて…息ができないよ」
「…すまねえ」
俺は腕の力を抜き、しかし手を離すことはせず、彼の髪や背を撫でる。
彼の顔を見ると、彼は憂いを帯びた顔つきで目を伏せている。
長い睫、すっと通った鼻梁、薄くつややかな唇。
彼はこんなにも美しい顔をしていただろうか?
確かに整った造形をしているとは思っていたが、こんなにも艶のある男だっただろうか。
しかし分かっている。変わったのは彼ではなく、俺の感覚の方なのだ。
夕べを境に何もかもが変貌してしまった。
俺と彼は、もはや引き返せないところに至ってしまったのだ。
忍はふ、と息をつき、おもむろに俺の背に手を回した。
「ごめんね旦那」
「…なんで謝る」
「俺はあんたを奈落に突き落としちまったみたいだ」
「奈落だと…?」
「うん」
彼は俺の項に顔を埋め、すんと鼻を鳴らした。
「どういう意味だ」
「ううん。気にしないで…」
彼が俺の背を擦る。
「ありがと旦那。俺も、旦那が好きだよ…」
言いながら、彼は俺の唇に己の唇を重ねた。
俺は即座に理解した。
彼はまた一つ嘘をついた。
「………」
俺は身を乗り出し、彼の唇の間に舌を差し込み、彼との口付けを深いものへと変えてゆく。
それを嘘だとわかっていながら、俺は彼から手を離すことができなかった。