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小十佐18禁SS「烏との再会」前編17

続き
「………猿飛……」
呆然として、思わず俺は彼の名を呼んだ。その声は掠れ、俺は己の喉が酷く乾いていることを知った。
「あらら、起きちゃった。おはよ、旦那」
忍はいつもの軽い調子で挨拶を寄越す。
彼はおはようと言ったが、今はまだ真夜中のようだった。障子の向こうの外は暗く、しとしとと幾分弱くなった雨音が鳴っている。
「てめえ、一体……何をしてやがった」
「何って、慰めて差し上げようかと思って」
「慰めるだと…?」
「旦那の身体にご奉仕しようかと思って」
俺は思わずごくりと生唾を飲み込んだ。
「何を考えてやがる、てめえ……」
「だって旦那、今いい人いないんでしょ。女郎屋に通ってるふうでもないし、喜んでもらえるかなーと思って」
忍は俺に吹っ飛ばされた際に乱れた髪を掻き上げながら、至極軽い調子で言う。まるで「寝てる間に旦那の足の爪切ってあげようかと思って」とでも言われたのかと勘違いしそうになるほどの軽さだ。
「お、お前、…お前……」
俺はあまりの事に、口をぱくぱくとさせるが言葉が出てこない。
「右目の旦那には俺、世話になりっぱなしで、でも俺から旦那にしてあげられることってほとんどないし」
忍は急に殊勝めいた声を出し、目を伏せた。
「薬を作ったり、屋敷に来る曲者を追っ払ったりはしてるけど、全然釣り合わないだろ。だからせめて、こんな事でもして喜んでもらえたらって…」
「…ふざけんじゃねえぞ、てめえ」
俺は腹から声を絞り出した。怒りのあまり身体がわなわなと震えている。
「てめえは、何か…じゃあ俺が、お前を女郎の代わりか何かにするために屋敷に置いたと、そう思ってるってのか」
「そんな事思ってないよ。ただ俺は…」
「ふざけるんじゃねえっ!!」
俺は忍を怒鳴りつけた。忍がびくっと身体を強張らせる。
「俺はてめえの手助けがしたいと、面倒を見てやりたいと思って家に置いたんだ。こんな欲得づくで、てめえに商売女の真似事をさせるために引き止めたんじゃねえっ!!俺を侮辱するのもいい加減にしろ!!」
「違う、違うよ、旦那……」
忍は蒼褪め、身を震わせている。
「もういい。さっさと布団に入って寝ろ」
俺は乱れた身なりを整え、忍に背を向けて自分の布団に潜り込んだ。
「二度とこんな事するんじゃねえぞ。今夜の事は忘れてやる。さっさと寝ろ」
「旦那、ごめん、俺そんなつもりじゃ……」
「さっさと寝ねえかっ!!」
しばらくの間、無言で俺を見つめる忍の視線を感じていたが、やがて諦めたらしく背後で布団に潜り込む音がした。


布団に横たわったものの、目が冴えてまったく眠れなかった。
彼に怒鳴り散らしすぎたと、後悔が胸に渦巻いていた。あれは正当な怒りではなかった。ただの八つ当たりだった。
そうだ。俺はいつの間にか、女を見るような目で彼を見るようになっていた。その事から懸命に目を逸らしていたのに、いちばん知られたくない部分をいきなり彼に鷲掴みにされ、ほとんど激昂したのだ。
俺は彼を女のように組み敷きたいという下心を満たすために、彼を家に置いたのか?彼が立ち直る手助けがしたいなどと、ただの言い訳だったのだろうか。
違う、違う、あの崖の縁で彼と握手を交わした時、確かに俺達の間には純粋な友情があった。あの時の俺には彼に対する欲などなかった。
それがどうしてこうなったのか。
心臓がどくどくと激しい鼓動を刻み、頭がずきずきと痛んだ。下腹が熱を帯び硬くなってしまっていた。冷静になろうと努めるものの、まったく鎮まる気配を見せない。
彼に触れられていたのだと思うだけで、火種を呑んだように身体が熱くなってしまうのだ。
俺は彼に激しく欲情していた。
できることならばこのまま彼を組み伏せ、欲望のままに犯してしまいたかった。しかしそれは俺の矜持が許さなかった。
ここで彼に手を出してしまっては、本当に彼のことを色欲でしか見ていない下種野郎に成り下がってしまう。
それに、傷ついて隙だらけの今の彼の心情に付け込むような汚い真似はしたくなかった。
たとえ本心がどうであろうと、彼とは真っ当な関係を築きたかったのだ。
彼は布団に入ったままぴくりともしない。しかし寝ている気配はなかった。
俺も今夜は到底眠れそうにない。
早く夜が明けて欲しいと、ただそれだけを願った。
このまま夜が明ければ、きっとすべてを水に流すことができる。俺も本心をひた隠したまま、彼との友情を築き上げていくことができるはずだ。
早く朝日よ昇れ。早く。早く………
その時、背中に温かな感触を覚えた。
「なっ……」
忍だった。彼が俺の身体に手を回し、俺の背に抱きついているのだ。
「何をしてやがる、てめえはっ…」
俺が声を荒げると、忍は「待って、お願いだから」と俺を制した。
「お願いだよ、怒らないで、頼むから。もう変な事はしないから」
忍は切なげな声で哀願する。
「眠れなくってさ。眠りに落ちるまでこうしててもいい?」
「………」
「こうしてると安心するんだ。だから」
「………」
「お願いだよ……何かにすがりついてないと俺、崩れそうなんだ。だから……」
俺に巻き付けた彼の手が小刻みに震えている。
限界だった。
俺は脳裏で何かの掛金が外れる音を聞いた。
俺は忍の方に向き直り、力任せに抱き寄せ、彼に口付けした。