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小十佐18禁SS「烏との再会」前編15

続き
忍は俺の葛藤などそ知らぬ顔で
「夕暮れから盆踊りが始まるらしいよ。せっかくだから見て行きたいねー」
などと気楽なことを言っている。
彼の責任ではないとは言え、その明るい声色が恨めしかった。
「どうしたの?右目の旦那、なんか顔色が悪いけど…」
「大したことない、気にするな」
心配そうに覗き込んでくる忍から顔を逸らす。
最近の俺の心境の変化について、深く考えを及ぼすのが恐かった。真面目に考えると、何か後戻りできない事態が待っているような予感がしたのだ。
「そう?ならいいんだけど。何か飲み物でも――」
そこまで言って辺りを見回した忍が、何故か動きを止めた。
ある一点を凝視している。
見ると、視線の先には一人の青年が佇んでいる。
青年はこちらに背を向けていて、袴を身に付け、焦げ茶に近い色の長い髪を後ろ手にまとめている。
あれは、まさか、真田――
そう一瞬見まごうほど、その背姿は似ていた。
「旦那っ!!」
忍が叫び、青年へと駆け寄る。
「あんた、どこに行ってたんだよ!!どれほど俺様が心配したと――」
青年の前に回り込んだ忍が再び言葉を失う。
俺は慌てて忍の後を追い、青年の顔を確認した。
「…?どちら様ですか?」
突然忍に呼び止められて戸惑っている青年の声。
真田のものではなかった。
顔も、真田とは似ても似つかなかった。
「…あ……」
忍は二の句が告げず、呆然としている。
「すまねえ、人違いだった。知り合いによく似てたんでな」
俺が忍の代わりに詫びを入れると、青年は「いえいえ」などと言いながら祭櫓の方へ消えていった。
忍は顔面を蒼白にしてその場に立ち尽くしていた。


「疲れただろう。少し休憩するか」
いつまでもその場から動かない忍に俺は声をかけた。
「…うん」
忍は力なく頷く。
「どうするかな、そこの茶店でも――」
「…右目の旦那、俺様久しぶりに人ごみに来たせいか、人酔いしちゃったみたい」
忍は困ったように笑う。
「どこか人気の少ないところで休んでもいいかな?」
「そうか。そうだな…」
俺は忍を村の外れにある神社に連れて行った。
ここなら人目を気にせずに休むことができる。
「へー、こんな所があるんだ。いい所だね」
忍は神社の境内をきょろきょろと見回している。
俺達は拝殿にある賽銭箱の前の階段に腰掛けた。
人ごみから離れた、森の清浄な空気が心地よい。
「右目の旦那」
「なんだ」
「さっきの玩具の面、出してくれない?」
言われて、俺は懐にしまっていた玩具の狐の面を取り出した。
「ありがと」と言って忍は玩具の面を顔に付ける。面にすっぽりと覆われ、その表情はまったく見えなくなった。
「はー…だいぶ落ち着いた」
忍が深い息をつく。
「大丈夫か、猿飛」
俺が声をかけると、忍は「うん、もう平気」と頷いた。
それきりしばらく何も喋らず、二人で風が森を抜ける音を聞いていた。
「…俺さ、変なんだよね」
忍がぽつりと言った。
「変?何がだ?」
「真田の旦那が死んだって分かってるのに、つい考えちまうんだ。なんで旦那は俺に何の連絡も寄越さないんだろうって」
忍は面を付けた顔を上に向ける。空を見ているようだ。
「またどっかで熱き血潮が燃え滾るーとか言って敵と戦ってて伝令が疎かになってんのかな、まるっきり忍を使うのが下手くそなんだからなあのお人は…とか考えちまうんだ。おかしいよな、旦那は死んだのに。俺が旦那の遺体の処理までしたのに」
「………」
「あんたの屋敷を黙って出たあの時、あんまり深く考えてなかったんだけど、ひょっとしたら俺、真田の旦那を探しに行こうって思ってたのかもしれない…」
俺は相槌を打つことすらできず、黙って忍の言葉を待つ。
「…なんで旦那は、俺に旦那の後を追ったら駄目って命じたんだろう」
「…それは、お前のことが大切だったからだろう」
「わかんねえよ。俺が大事なら一緒に連れてこうとするもんなんじゃねえの?どうしてこんな、旦那がいないこの世を生きろなんて残酷なことを命じるんだよ。旦那は俺のことが嫌いだったのか?本当は気に入ってなかったのか?」
「違う。逆だ。己の命を越えてお前を愛していたんだ」
「なんであんたにそんな事が分かるッ!!」
忍が怒鳴った。
「なんであんたにそんな事が言える。何も知らないくせに…!」
仮面で表情は窺い知れないが、激しい怒気が忍から立ち上っている。
彼がこんなに感情を剥き出しにするところを見たのは、これが初めてだった。
「確かに俺は、お前と真田の関係がどんなものだったのかなんて全然知らねえ」
俺は膝に腕を乗せ、両手を強く握り合わせた。
「だがな、お前から真田の遺言を聞いた時に思ったんだ。『復讐はするな』、『長生きしろ』、『自分の代わりに世の行く末を見届けてくれ』…まるで親が子に託す願いみたいだってな」
俺がそう言うと、忍は虚を突かれたように黙り込んだ。
「…親が子に?真田の旦那が俺を…?」
「ああ、ただの印象だがな」
「………」
忍から怒気が消えた。彼は俯き、自分の膝を強く握りしめている。
「…俺、旦那が元服する前からお仕えしてたんだ」
「そうか」
「護衛係兼子守りみたいな感じでさ。俺世話焼きだから、旦那の母親みたいだなってからかわれたりして、憤慨したこともあったけど…でもどこかで俺がこの頼りない主を守るんだって、必要とあらば親代わりにでも何にでもなろうって、自分で言うのも何だけど結構気合を入れててさ」
忍は両の掌で面ごと顔を覆う。
「俺は旦那より大人だし、精神力も強いんだからって…でも実際は逆だった。旦那がいなくなって、自分がこんなに駄目になるなんて思ってもみなかった」
「………」
「俺は心を持たない忍のはずなのに。誰を失おうと平気なはずなのに…」
忍の身体が小刻みに震えている。
「俺が旦那を見守ってるつもりでいたけど、本当は、見守られていたのは、」
俺は忍の顔に手を伸ばした。
顔を覆う掌をどけ、狐の面を静かに外す。
「やっ…」
忍が弾かれたように俺を見る。
彼の頬を一筋の涙が伝っていた。
「やめてくれよ、返して…」
「こんな物付ける必要はねえ」
俺は面を懐にしまった。
「見ないでくれよ、こんなみっともない顔」
忍が俺から顔を背ける。
「もっとみっともないところを見せろ、猿飛」
俺は忍の肩を掴み、俺の方へ向き直らせた。
「俺とお前は今や一蓮托生だろうが。何も包み隠すな。お前の気持ちをもっと俺に曝け出しやがれ」
忍は懸命に涙を堪えていたが、やがて限界を迎えたらしく、後から後から涙が溢れ出てきた。
「……俺、どんな事をしてでも旦那を守りたかったんだ。旦那を死なせたくなかった」
「ああ」
「旦那の代わりに、俺が死にたかった」
「ああ」
「旦那に会いたい。一目でいい、もう一度会いたいよ…」
後はもう言葉にならなかった。
堰を切ったようにぼろぼろと涙をこぼす忍を、俺は自分の胸に抱き寄せた。
忍は噛み殺しきれない嗚咽を漏らし、涙で静かに俺の胸を濡らした。
俺は忍を抱きしめながら、彼の子供のようにしゃくりあげる声をいつまでも聞いていた。