小十佐18禁SS「烏との再会」前編12
- 2011/09/23 18:18
- Category: 小十佐::SS18禁「烏との再会」前編
俺は忍の上に覆い被さったまま、ぼんやりと山鳥や虫の鳴き声を聞いていた。
どっと疲労が押し寄せ、手を動かすことすら億劫に感じる。
思えば昼飯もろくに食わずにこいつを探し回っていたのだ。
こいつを失わずにすんだ、という安堵感から、俺は少しの間ほとんど呆けていた。
しかし気を取り直して忍を問い詰める。
「…どうして黙って出て行った。どれだけ心配したと思ってる」
「ごめんね、悪いとは思ったんだけど、ちゃんと挨拶したら余計につらくなっちゃいそうでさ」
「ここを出てどこへ行くつもりだった」
「だから言ってるでしょ、忍の里へ…」
「嘘をつくな。お前は里に戻れない身なんだろうが」
忍は驚いたらしく、首を捩って俺の顔を見た。
「どうしてその事を…」
「俺を見くびるなよ。お前の嘘なんざとっくにお見通しだ」
「そっか…そこまで知られてたとはね」
忍が首を振り、彼の髪が俺の頬に当たる。思いのほか柔らかい感触だった。
「どこにも行く当てなんてないけどさ、そう言ったらきっとあんたはずっとここにいろって言うだろ。でもこれ以上迷惑なんてかけらんねえし」
「お前のことを迷惑だと思ったことなんか一度もねえ」
「あんたはそうだろうけどさ、俺様の気持ちの問題っていうか…」
忍は手で己の額を撫でる。
「本当は早く死にたいよ。旦那のいない俺になんか価値がないしさ…でも自分で死ぬのは旦那に禁じられてるから、方々を彷徨いながらお迎えの順番が来るのを待つしかないなって思ってた」
こいつはそんな事を考えていたのか。
「くだらねえな。俺はてめえを買い被ってたようだ」
「何だよそれ…」
「迎えの順番を待つだと?てめえの人生をそんなくだらねえ事に使っちまっていいのか。真田に言われたんだろ、この世の行く末を見定めろと。だったらそれをしねえか」
「そりゃあまあ一応、やるけどさ…でも俺ほんとはあんまり興味ないんだよ、世の中のことなんかさ」
それはそうだろう。こいつは真田のいないこの世になぞ何の未練もないに違いない。
「自由になれと言われたんだろう」
「言われたけどさ。自由って何だよ?俺様は忍だよ。そんな事言われたってわかんねえよ…」
旦那の言う事は九割が幼稚なんだけど、時々すごく難しい事を言うんだよ、と独りごちている。
「自分のしたいことをする、それが自由だ」
「俺は真田の旦那の影でいたい」
忍はきっぱりと言った。
「でもそれはもう適わない。じゃあ自由っていったってどうなるんだよ?いちばんしたい事がもう絶対にできないのに。俺って一体何なんだ?」
真田亡き後、彼を彼たらしめていた輪郭は砂上の楼閣のごとくぼろぼろと崩壊し続けているのだ。
「次の自分がどういうものになるのか、ゆっくり見極めればいい。俺の所でな。時間はたっぷりあるんだ」
「だから、旦那のところにこれ以上厄介になる訳には…」
「てめえは必要以上に他人に気を使うのをやめねえか」
俺は眉をひそめて忍を見た。
「俺は何も義理や同情心でそう言ってるわけじゃねえんだ。俺はお前がこの先どういう人間になるのか見てみてえんだ。お前っていう生き物自体に興味がある。純粋な好奇心って奴だな」
「何それ…俺は珍獣かよ」
「そんなようなもんだろ」
俺が答えると、忍は露骨に顔を顰めた。
「それに奥州の人間は一度責任を取ると決めた相手を途中で放り出すことは絶対にしねえ。お前のことも最後まで面倒を見る」
「最後っていつだよ…」
「お前が次の自分を見つけられるまでだ」
「…はは」
忍が力なく笑う。
「ねえ旦那」
「なんだ」
「言いにくいんだけど…あのね、いい加減重たいから退いてほしいんだけど」
「ああ……」
悪い、と俺が手をついて半身を浮かせると、忍はその間からもぞもぞと這い出ていった。
言われてみれば、随分と長い間彼を抱きしめていた気がする。
今さらながらに気恥ずかしさを感じ、それに耐えるべく俺は目を伏せた。
忍は旦那って見かけ以上に重たいね、などと言いながらこきこきと首を鳴らしている。
「もう知ってるみたいだけど、俺様抜け忍だよ。ここにいるとバレたら絶対あんたや伊達に迷惑をかけることになる」
「だろうな」
「ご家老様ともあろうものが、わざわざ厄介事を抱え込んじゃっていいの?」
「よくはねえだろうな。だがな」
俺は顔を上げてきっと忍を見据えた。
「いくつもの矛盾する筋や道理を越えられなけりゃ、この先の国政なんざ務まるはずがねえだろう?政宗様もきっとそうおっしゃる」
「…変わってるよ、旦那もあんたも、伊達も」
忍はやれやれと肩をすくめ、
「こりゃ俺様の負けだね…そこまで言われちゃ仕方がない。もうしばらく厄介になりますよ、旦那」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
俺は右手を差し出した。
「?何それ?」
怪訝そうにしている忍に俺は説明した。
「握手って奴だ。右手同士を握り合う西洋式の挨拶だ」
これは政宗様が好む挨拶で、普段は俺はこんなやり方はしない。でも今は、この男とそれをしたいと思った。
忍は鳩が豆鉄砲を食らったような顔でしばらく俺の顔と右手を交互に眺めていたが、
「俺にとっちゃ、あんたも十分珍獣みたいなものですよ、右目の旦那」
苦笑をしながら、しかし確りと俺の右手を握り返した。