小十佐18禁SS「烏との再会」前編10
- 2011/09/17 19:33
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俺は飲んでいた茶を文机に置いた。
「抜け忍だと…」
「左様にございます」
「どういう事だ。あいつは何か里の命令に背いたってのか」
「武田信玄公が病に倒れた際に里から帰還命令が出たようです。それに背き続けたがために、ついには抜け忍として扱われることになった様子」
俺は顎に手を当て考え込んだ。
十分にあり得る話だ。
信玄公が倒れた際、武田および真田からは人が大量に流出していた。忍も例外ではない。
そもそも忍び里は複数の有力な武将に手駒を派遣し、それらの繋がりをもって総合的に里の生存を図るのが常だ。敗色が濃厚になった軍からはいち早く忍を引き上げる。里の有力な人材だった猿飛にも帰還命令が出たのだろう。
そして奴はそれに従わなかった。
真田幸村と添い遂げることを選んだ。
何が真田とは契約上の関係しかないだ。その肝心の契約がすでに破綻していたというのに。
激しい憤りを感じ、俺は歯を食いしばった。
「片倉様」
「何だ」
「里の抜け忍への仕打ちは容赦がありません。真田軍亡き今、里はあらゆる情報網を駆使して猿飛佐助の所在を追跡し、息の根を止めに来るでしょう」
「だろうな…」
「あ奴をかくまっていては、それに巻き込まれること必定」
「…あいつを見捨てて放り出せってのか」
「奥州の安寧を考えますならば…」
頭領の言う事は妥当だ。まったく正しい判断だと言える。
政宗様の治めるこの国に、余計な禍根を招き入れることなど絶対にあってはならない。
しかし、頭がうまく働かなかった。
呼んでも烏が来ないと淋しそうにしていた横顔。痩せぎすで傷だらけの体。金さえ貰えば何だってできると強がりを言いながら、哀れなほど項垂れていた背中。
そうだ。奴はここを出て里に帰ると言っていた。里で新しい仕事を請けると。
それすら嘘だったという事になる。
ここを出た後、奴はいったいどこへ向かうつもりなのか――
その時、ふと頭に閃くものがあった。
今朝、珍しく門まで俺を見送りに来ていた。
俺に手製の薬を託した。
一生恩は忘れないなどと、彼らしくもなく真摯な態度を見せた。
まさか。まさか――
「…すまねえ、用を思い出した。いったん屋敷に戻る」
俺は頭領を置いて部屋を飛び出た。
屋敷へと馬を走らせる間中、嫌な予感に胸が騒いだ。
奴は昨晩、もうじきここをお暇すると言っていた。その次の日に黙っていなくなるということがあるだろうか。
しかし奴の言う事はほとんどが嘘なのだ。
屋敷に馬をつけ、俺はほとんど走るようにして忍の部屋へ向かい、襖を開けた。
部屋の中はもぬけの殻だった。
忍の姿はなく、奴の荷物もすべて消えていた。
元々奴の荷物は数えるほどしかない。それらがすべて消えている上、部屋は綺麗に――完全に奴が来る前の状態に片付けられていた。
部屋の片隅の文机を見ると、白い紙切れが置いてある。
手に取ってみると、それは簡易な文だった。
右肩上がりで線の細い、癖のある字でこうしたためてあった。
「挨拶も無く辞する由許されたく候
貴殿より受け給いし御恩を今世にて御返し致す術の
無き事のみ心残りにて候
貴殿及び政宗公の無事息災を碧落より御祈り致し候
真田忍隊長 猿飛佐助」
「あの野郎…っ」
俺は文を握り潰した。
今世で恩を返せないだと。あいつ、死ぬつもりか。
頭の中でがんがんと早鐘のような音がする。
死なせるものか。絶対に、真田の元などに行かせはしない。
俺は身を翻して門まで走り、駐めてあった馬に飛び乗った。