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小十佐18禁SS「烏との再会」前編09

続き
次の日、城へ参じるため屋敷の門をくぐると、忍が塀にもたれかかって俺を待っていた。
珍しいことだった。彼は普段は俺の立場を気にして滅多に人前に出ようとしない。
「おはよー旦那」
片手を上げひらひらと振る。
「どうした、猿飛」
「詫びを言いに来たんだよ。昨日はごめんね、せっかくおいしいお酒を持ってきてくれたのにさ」
「気にするな。俺も余計なことを言いすぎた」
「これ、あげるよ」
忍は小瓶を差し出してきた。
「何だこれは」
「俺様のお手製、滋養強壮剤。あんた働きづめで大変そうだからさ~」
「……」
「あっ、体に悪い成分は入ってないからさ。疲れた時にでも飲んでよ、効くよー」
俺はまじまじと忍を見た。
以前から何とは無しに気づいていたことだが、彼は軽そうな見た目に反して実に細かい気の配り方をする。
この薬も、俺を本気で気遣って作ってくれたものなのだろう。
「…すまねえな。ありがたく頂戴する」
懐に小瓶を仕舞い込むと、忍は嬉しそうに笑った。
「右目の旦那。本当にありがとうね」
「なんだ、急にあらたまって」
「あんたに受けた恩は一生忘れない」
忍は真摯な面持ちでまっすぐにこちらを見つめている。
彼の瞳は薄い褐色をしている。しかし光の加減によっては縁が緑がかって見えることがある。
今も朝日を受けた彼の虹彩は、きらきらと薄い緑色を湛えている。
俺は言うべき言葉が見つからず、ただその不思議な瞳の色を眺めていた。
「…なんつってね」
忍は笑い、目を伏せた。緑色が見えなくなった。
「さあさあ旦那、お勤めでしょ。呼び止めてごめんね。早く行った行った」
「ああ……」
彼の人との距離の取り方は不思議だ。
のらりくらりとしていたかと思えば、瞬時に切り込んできたりする。そしてまた身を翻し距離を置く。
野性の動物のようだと思った。
「猿飛」
「ん。何?」
「また酒を持っていく。晩酌に付き合え」
「合点承知」
馬に乗り立ち去る俺に、忍はお仕事頑張ってねーとずっと手を振っていた。
なぜか浮遊感のような、後ろ髪を引かれるような感覚が残った。


城に上がり、常に山積みの政務を捌く。
「小十郎、どうだ?猿とは何か進展があったか?」
政宗様が文を読みつつ、にやにやしながら尋ねてくる。
「政宗様。猿飛とはそのような間柄ではないと何度言ったらわかるのですか」
「どうだかな。お前は自分自身の事には意外と疎いからな」
口に笑みを浮かべながら、すらすらと流麗な文をしたためる政宗様を眺める。
真田が死んだ直後と比べると、随分とお元気になられた。
以前は笑うこともなく、ただひたすらに仕事に打ち込み、心の痛みを澱のように沈ませていた。
遠い昔、母君との関係が思わしくなかった頃に戻ってしまったかのようだった。
猿飛から真田の遺言を聞いてのち、少しずつ回復していったように思われる。それでも、真田が生きていた頃の快活さや血気とは比べるべくもない。
真田は猿飛だけでなく、政宗様からも大事なものを抜き取って持ち去ってしまったのだ。
真田幸村。あの男はそれほど高い身分ではない。また年のせいもあるだろうが、統率者としては未熟で稚気が過ぎると感ずることも多々あった。
それでも彼のような者がまことの兵、まことの王者であったのだと今は思う。
王とは多くの領土を持つ者のことではない。多くの人の心を捉え、離さない者のことを言うのだ。
彼はあの忍と政宗様の心を当然のごとく捉まえ、もう二度と手の届かないところへ持ち去ってしまった。
二人だけではない。彼の死を悼む声は日の本中から上がっている。
これ以上はないほど濃密な生を一息に駆け抜けた若者。
真田が生きていた頃、俺は真田を羨ましいと思ったことはほとんどない。政宗様の興味を一身に受けていたが、妬ましいというよりは政宗様の好敵手としてふさわしい存在であってほしいという思いの方が強かった。
しかし今は彼が羨ましかった。妬ましかった。
持ち去った人々の心を、ほんの少しでいいから返して欲しいと切に願った。


昼時に一息入れていると、黒脛巾組の頭領が俺の元に現れた。
「お休み時に申し訳ございません、片倉様」
詫びを言い平伏しているが、休んでいると知りながらわざわざ現れたということは急ぎの用であるはずだ。
「例の件か」
「左様にございます」
「構わねえ。報告しろ」
「御意」
頭領は一息置いた後、抑揚のない声で続けた。
「真田の元忍隊長について調べがつきました」
「随分と早かったな」
「かの者は名の売れている忍ですので…」
数日前、俺は頭領に猿飛の身辺を洗うよう命令した。
奴はどうも重要なことほど俺たちに隠すきらいがある。
彼の言葉をそのまま鵜呑みにすると後々後悔があるかもしれない、と思い、念のため調査させることにしたのだ。
「そうか。どうだった」
「はい」
頭領は伏せていた顔を上げた。
「かの忍、猿飛佐助は抜け忍として里から追われています」