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小十佐18禁SS「烏との再会」前編07

続き
しばらくは平穏な時間が過ぎた。
忍はおとなしく怪我の養生に専念していた。
忍が薬研やすり鉢があれば譲ってほしいと言うので、薬師のもう使わなくなったものを貰ってきて与えた。すると忍はどこからか薬草を摘んできては自前で薬を作るようになった。
草や実を乾燥させ、薬研でごりごりとすり潰し、さじで計量してこね鉢で混ぜ合わせる。
薬師に勝るとも劣らない鮮やかな手つきに感心した。
「あっさり俺様に道具を渡していいの?毒を作ってあんたに盛るかもよ」
と忍はおどけて言った。
「お前の薬に助けられたこともある。今さらそんなことを言っても始まらねえ」
と答えると、「肝の太いこって」と忍は肩をすくめた。
様子を見に忍の部屋へ行くと、たいていは薬を作るか書を読むかしていた。横になるなりしてもっと体を休めろというのだが聞かない。何かしていないと落ち着かないという。
「本当はこういう時は獲物の手入れをするのがいちばん落ち着くんだけど」と彼は言う。
しかし彼が身につけていた武器は彼を拾った時にはすでに壊れていたので、それを叶えることはできなかった。
時間のある時は彼の部屋に行き、たわいない話をしたり、さもなくばほとんど話もせずに彼の薬を作る作業を眺めて過ごしたりした。

ある日彼の様子を見に部屋に行くと、彼は諸肌を脱いで身体に薬を塗っていた。
「ああ、ごめんね、とんだご無礼を…今服着るから待って」
慌てて衣服を正そうとする彼を制し、「構わん、そのまま塗ってろ」と言った。
彼は居心地が悪そうにしていたが、手当てを終わらせてしまいたかったのだろう、「じゃ、失礼して」とそのまま作業を続けた。
こちらに背を向けて手当てを続ける忍を眺める。
「怪我の調子はどうだ」
「お陰様でだいぶいいよ。でも左足がね」
左足の傷は一見軽めだったが、どうも毒を食らったらしく、感覚がなかなか元に戻らないという。
「解毒の薬をあれこれ調合してみてはいるんだけどね…」
「医者に診てもらうか」
「忍ごときに医者を呼ぶなんざもったいないよ。これくらい自力で治してみせるさ」
「…そうか」
「でも、早く治さないとな…速駆けができないなんざ猿飛の名が泣いちまうよ。いつまでもあんたんとこにやっかいになるのも悪いしね」
喋りながら忍は器用に包帯を巻いてゆく。
忍の身体をあらためて見返す。
引き締まった身体をしているが、如何せん線が細い。忍は身軽さを重視するため、体格が良すぎるのはまずいのだろう。
よくよく見ると随分と肌の色が白い。髪の色といい、異人の血でも入っているのだろうか。
その白い肌の上に、今回の怪我の他、夥しい数の傷跡が走っている。刀傷が多いが、中にはどんな獲物でつけられたのか見当もつかないような傷もある。おそらくは忍の暗器によるものだろう。
元は美しかったのだろうが、傷のせいであちこち引きつれ、お世辞にも綺麗な見目とはいえなくなっている。
しかしこれらはすべて真田幸村を守るために己の身体を捧げた証なのだ。
きっと真田は、これらの傷跡の酷さをこそ慈しみ、愛でたことだろう。
「あんまりじろじろ見ないでくれよ、恥ずかしいでしょ」
振り向きもせずに忍が言った。
「…すまん」
「忍の身体が珍しい?」
「まあな」
「身体を見られるのは恥ずかしいんだよね、どれだけヘマをしてきたかがバレちまうからさ」
忍は照れたように頭をぽりぽりと掻く。
「主への献身の証だ。なんら恥じることはねえ」
そう言うと、忍が首だけで振り返った。
「旦那と同じ事を言うんだな」
「……」
「あんた優しいね」
忍はふっと目を細めた。
俺は何故か羞恥を感じ、彼から目を逸らした。

それからしばらくは政務が忙しく、忍の様子を見に行けない日が続いた。
しかし久しぶりの休みの日、畑に行くと瓜が食べ頃になっていたので忍に持っていってやる事にした。
笊に盛った瓜を片手に忍の部屋に行くと、部屋には人の姿がなかった。
どこに行ったのかといぶかしみ、障子を開けて縁側に出る。庭にも忍の姿はなかった。
庭からは屋敷の裏手にある草原に出る事ができる。俺は垣根を潜り草原に向かってみた。
背高く生い茂った野草の群れの只中に、今やすっかり見慣れた茜色が風にたなびいていた。
忍は虚ろな目をして空を見上げている。
と、忍が口に手を当て指笛を吹いた。
甲高い音色が空に抜けていく。
指笛の音の余韻が消えると、あとにはまた草の風にそよぐ音だけが残った。
声をかけるのがためらわれ、俺はその様子をただ眺めていた。
「あ、右目の旦那、来てたの」
忍がこちらに気づいて歩み寄ってきた。
「何をしてやがった」
「烏を呼んでたんだよ」
「烏?」
「そう。忍は動物を使役するんだ、俺は烏を使う。文を運んでくれたりぶら下がって空を飛んだり、便利なんだよ」
そういえば戦場で烏に掴まって飛ぶ彼を見たことがある。
「昔馴染みに文の一つでも出そうかと思ってね…でも困った、言う事を聞いてくれないんだ。近くには来てるんだけどね」
俺は空を見回して烏を探してみたが、烏はおろか小鳥の姿すら見当たらない。
「今の俺の有り様に呆れてるのかも」
「呆れる?烏がか?」
「そうだよ。世間では烏は卑しい鳥だって言われるけど、本当は物凄く賢くて誇り高いんだ。主として認められる力量のある人間の言う事しか絶対に聞きはしない」
あの黒い鳥が?そんな話は初めて聞いた。
「今の俺様の情けない有り様に愛想を尽かしちまったのかも。あ~あ、俺様どうしよっかな」
忍はいつもの軽い調子で肩をすくめた。
しかしその目にはほんの僅かだが不安げな色が浮かんでいる。
それを誤魔化すように、忍は己の長い髪を両手でかき上げ後ろ手にまとめた。両腕と首筋が露になる。
「もー忍やめちゃおっかなー」などと努めて軽く振る舞う忍を見ながら、俺は唐突に思った。
こいつの身体は前からこんなにもか細かっただろうか?
以前はもう少ししっかりとした印象を持っていたのだが。
もちろん彼も成人した男であるから、それなりの体格をしているものの、以前の印象と比べると駆け離れて細い。
今は普段の戦装束でなく、簡単な着流ししか着ていないというのもある。
怪我のために痩せてしまったというのもあるだろう。
しかしそれにも増して、今の彼からはどんな事をしてでも主を守るという気迫が消え失せてしまっている。
忍としての誇りと気概が彼を実際より一回りも二回りも大きく見せていたのだ。
それなのに彼を彼たらしめていたものを失い、深い困惑の淵に落ち込み途方にくれている。
俺は初めてこの男のことを哀れだと思った。
傾き始めた日差しの中、カア、と烏の鳴き声が一つ響いた。