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幸佐SS「森の中」01

続き
村の傍で戦があった。俺が物心ついて間もない頃だ。
ひどい戦だった。村の中に武人たちがなだれ込み、無関係の年寄りや女子供まで大量に殺された。
俺も殺されかけた。しかし俺に手をかけようとした武人を後ろから女が石で殴って気絶させたので、すんでのところで助かった。この女が俺の母だったのか、母でなかったのかすら今となってははっきりしない。
「逃げろ!!」と女は叫んだ。「森の中に逃げるんだよ!!」
俺はその通りにした。振り向きもせずに一目散に走った。
俺の村の傍には大きな森があった。鬱蒼としていて、まれに子供が神隠しに遭っていた。だから子供は勝手に森に入ることを禁じられていた。
でもその時は森に入ることに何の抵抗もなかった。瞬く間に血で真っ赤にに染まっていく村を見て、この惨状から逃れるには森しかないと直感的に思ったのだ。


俺はなんとか武人たちの目をかいくぐって森に入った。そしてひたすらに森の奥へと向かった。
森は暗く、荒い地面に何度も足を取られたが、死にたくない思いで必死だった。
さんざん歩き回り、疲労で足が思うように動かなくなった頃、一際大きな木の元にたどり着いた。
木には程よい大きさの洞があった。子供がすっぽりと中に入れる大きさだった。俺は迷い無くその中に入り込み、外界から自分の身体を隠した。
洞の中に入ると外の音がほとんど聞こえなくなり、少し息をつくことができた。
それでも緊張を解くことはできなかった。森の中にまで武人が来るかもしれない。もしも見つかったら、その時こそすべてが終わる。俺は洞の中で息を潜め、膝を抱えて身を丸めた。
しかし緊張感は長くは続かなかった。俺は相当に疲れていたらしい。いつの間にか洞の中で眠りに落ちていた。


どれくらい眠っていたのだろう。気がついた時には外は真っ暗だった。
数時間だけ眠っていたのか、それとも数日間眠り続けたのかすら分からない。身体の節々が痛み、喉が焼け付くように渇いていた。
猛烈に水が飲みたかった。空腹は感じなかったが、とにかく水だ。
しかし外に出るのは怖かった。武人に見つかれば即座に死だ。どうするべきか分からず、俺は洞の中で悶々としていた。
次第に夜が白んできた。そっと外の様子を眺めると、木々に朝の陽光が当たり、葉の縁がきらきらと輝いていた。鳥のさえずる声が聞こえ、ひどく平和な気持ちになった。ひょっとして今までのことは何もかも夢なのではないだろうか?俺は悪戯心を起こして森に入って迷ってしまったのだ。森から出れば、きっと今までどおりの暮らしが待っている……
その時、さく、さくと地面を踏む音が聞こえた。
人間だ!武人がここまで来たのだ。俺は慌てて頭を引っ込め、膝をぎゅっと抱え込んだ。見つかりたくない。見つかりたくない。死にたくない。頭の中でそれだけを念じた。
「なるほど、童か」
老人の声がした。ずいぶんと穏やかな声だった。
「戦から逃れて森に入ったか。安心しろ、わしは侍ではない。ぬしを殺したりはせぬ。戦はとうに終わったぞ」
洞から少し距離を置いて人が佇む気配がした。殺気は感じないが、罠かもしれない。俺は逡巡した。このままじっとしていれば、諦めて立ち去ってくれないものか。
しかし立ち去る気配はなかった。しかたがない、どうせ大人が本気になったら洞から出ようと出なかろうと殺されるのだ。俺は覚悟を決め、そろそろと洞から歩み出た。
そこにいたのは小柄な老人だった。真っ白な眉毛と髭で顔がほとんど見えない。老人はほとんど開いていない目をさらに細めてじっと俺を見つめた。
「おぬしであったか、面白い気を発していたのは…。ぬしの村は滅んだぞ。お前以外は全員殺された」
老人は出会い頭にそう言った。それが嘘でないということは容易に察せられた。俺が森に逃げ込む前ですらほとんど皆殺しの状態だったのだ。今頃はもう生きている人間は残ってはいないだろう。
「童、わしと来るか」
唐突に老人が言った。俺から視線を外さない。身体は小柄だが、何か不思議な迫力を感じた。
「……なんであんたと一緒に行かなけりゃならない。ていうか、あんた何者」
「わしの名は戸澤白雲斎。今はただの老いぼれじゃ、忍を育てたりはしとるがの……おぬし、わしの元で忍にならんか」
「忍?」
「そうじゃ、忍じゃ。おぬし、このまま一人で彷徨っていてはいずれ死ぬぞ。それよりは忍の術を身につけ生き延びる方がいいとは思わんか」
俺は老人を睨んだ。老人の言うとおりだった。子供一人でこの戦乱の世を生き延びられるはずがない。じきにどこかで野垂れ死にだ。しかし、この老人が俺を騙していたら?人買いか何かの類だったら?その時はその時でやはり死ぬだけだ。
「……決める前に村を見たい。ひょっとしたら俺みたいに逃げ延びた人が戻って来てるかもしれないし」
「なるほど、それも道理じゃ」
俺は老人に誘われ村へと向かった。


村からは幾筋も黒い煙が上がっていた。家という家はめちゃくちゃに崩れ、四肢や首を失った死体があちこちに転がっていた。
俺を助けてくれた女も死んでいた。俺を助けてくれた井戸の辺りで、背中を袈裟懸けに斬られて絶命していた。
涙が出ないのが不思議だった。頭の芯がきりきりとして、それでいて麻痺したように現実感がなかった。これは夢じゃないのか。いや夢じゃない、そんなことはとっくに理解している。いやしかし、この惨状はあまりにも酷すぎる。感情が全くついていかない。
老人が言った。
「童、こんな世の中は間違うとると思わんか。弱い者が理不尽に殺される、そんな世の中に一矢報いたいとは思わんか」
「……」
「儂のところに来れば、少なくとも理不尽な武人どもに殺されないだけの術を身につけることはできるぞ。どうじゃ」
俺にはもう選択肢は残っていなかった。この老人について行くしかないのだ。